洞窟

ユークは72冊目の石板を読み終わったところで司書が遂に耐え切れず寝床へ行ってしまったことに気づいた。ひとたび倒壊すれば彼を押し潰せそうな量の石板の山はここ百と数十年分の叡智が詰まっており、しかしながらユークは遂に自分たちの共同体の名称がなんであるかを突き止めることができなかった。全ての部族の呼称は一人称と二人称、そして相手部族の特徴を簡単に示した暫定的な名前のみであり、というのもこの世界では敢えて部族の名を決めて団結を高めずとも皆が常に全滅の危機の中の共産制で暮らしており、ほかの部族と二度会うことがあるとすればそれは怪物に襲われて逃げ延びた難民かその怪物に襲われて散った骸骨を見るときだけだったからだ。

それでも彼らの部族で図書館の存在価値が認められていたのは、予測不可能な魑魅魍魎たちの特性をせめて予想だけでもしようと過去の戦士たちがその血でもって数多の悪夢共と対面した時のことを記していたからであった。ユークのような部族の戦士が図書館へ潜ることはそう珍しいとはみなされていなかったが、それは戦士たち自身が襲われた時にせめて文字を記す分だけでも命を残して帰る方法を学ぶためであって天井まで届こうかという石板の塔が崩れることを司書が憂慮するような事態は初めてだった。司書は最初こそ彼が読み終わるたび健気に石板1つを新たに出していたが、40冊目が積まれたころになると彼女は3冊同時、次は4冊重ねて、その次は8冊を背中に背負って書庫とユークの席を往復していた。

ユークはその努力には全く気付かず寝床に帰ってしまった司書を恨んだが、聳え立つ石の塔は彼の知的欲求を完全に満たすほどではないにしろ中々有意義なものだと合点し身勝手に彼女を許した。共同体の歴史と構成人数の変化についてはかなり詳細に記述されており、中でも彼の知らなかった遠い昔のいくつかの大移動は目を引いた。しかし口伝で伝えられ信じられている「創世の10年」と「放浪の8年」についてのその当時の記述はほとんど見つからず、神と悪魔が跋扈する世界でなければ無神論者になっていたであろう程度には彼は神話の真偽に疑念を抱いた。それでもそれが事実だとしたならば、受け継ぐべき情報を持った者が記す間もなく散ったか或いはその情報自体が劇毒であったかだ。

仕方なく自分で取りに行った73冊目の記述はさらに興味深いものだった。78年前、「"生けるオオトカゲ"に族長の妻が殺された。奴には槍も愛情者も効かず、外の呪いを避けて動く。奴に出会ったのは灰煙の踊りと初めて出会った日から80日後、覆いの時間に狩りへ行った戦士たちだった。50人ほどの戦士集団が壊滅し、数人のみが帰ってきた。彼らが言うには奴はトカゲで、しかしそれは大きく、強く、そして怒りに満ち溢れていた。戦士は奴を見た瞬間に逃げようとしたが、トカゲは私たちに気付き、執拗に追いかけてきた。戦士は逃げ、或いは立ち向かい、1人ずつ死んでいった。最終的には何手かに分かれて生き残った者たちがこのトカゲのことを知らせよう、と同意した。唯一逃げ切れたのが自分たちの組で、他の者たちは凄惨に殺されている頃合いだろう、と彼らは述べた。伝えた者たちはその恐怖から皆戦士を引退した。しかしその17日後の大移動の日には、彼らはその恐怖でその時の巣から外に出ることができず、結果その巣に置いていかれた。最早生きてはいないだろう。その後しばらくは奴を見ることはなかったが、異様な力を以て破壊されたとしか考えられない痕跡がその時の巣の周囲で見つかった。当時の族長であったグリーネスは再び大移動を宣言した。大移動は祝福の日に行われ、近くにいるであろう奴の目を盗んで移動しようとしたが、映し運び屋キートルが崖から落ちた時──

図書館までラッパの音が鳴り響いてきた。狩りの時間の合図だ。彼らの「巣」は天然のものを拡張した洞窟となっており、無秩序に入り組んだ巣に全体指示を流すには結局音を流すのが最も効率的だった。ラッパに呼応して巣のあちこちから歓声が響いて洞窟を充填し、戦士たちは自らの寝床へと武器を取りに行く。30時間ぶりの睡眠をまた阻まれた司書に石板の処理を任せてユークも準備しに向かいながら、狩りの音を聞くのは何カ月ぶりだろうかと一瞬疑問を抱いた。その答えはまだ取り出されていない石板に書いてあったが、疑問は解かれる前に2度目のラッパに吹き消された。


巣の部屋のほとんどは木や土を固めて境や支柱を作っているが、外に通じる「戦士の部屋」だけは例外だ。滅多に回収できない金属を溶かし組み合わせ、家の中と外を、即ち天国と地獄の境界を明確にしている。扉の機構や擦りガラスの窓は記録が見当たらないほど昔からあるが、ここに設置されたのはつい20年前でしかない。内部を完全に密閉するこれを部族は如何なる怪物に襲われようとも部死守してきた。中には、扉とガラスを取り外し新しい家まで運ぶだけの血筋もある。さもなくば、どこへ逃げようとも善意か悪意のどちらかを胸に孕んだ死神が土足で入り込んでくることを知っているからだ。

擦りガラス窓の外はほぼ何も見えないと言ってよかった。モザイクがかった景色が歪んでいるのは、大量の雨が吹き付けているからだろう。その色に彩度がこもってないのは、太陽が完全に覆い隠されているからだろう。

──つまり、狩りをするには最高のコンディションだ。


部族の経験則を記した石板、その2冊目の一番上にはこう記されている。
「7日以上雨がなく、その間に愛情者が訪れず、またその後に甚だ強い雨が来た時。これは、2日より長い間太陽が雲に隠れるためのしるしである。」










吹き付ける雨は戦士たちの身体を濡らしはしない。水を弾きある程度の衝撃や牙なら押さえつける防具にゴーグルのような狩猟眼鏡が心もとないながらも彼らを保護している。今やこの世のほとんどの生物は雨行性、というより暗行性であり、彼らも基本的には何かを食べねば生きていけないがゆえ出会える確率はたかかった。それでも戦士たちが祈りを捧げているのは、これから対面する存在が彼らより弱いか否かという文字通りの死活問題を恐れているからだった。


元文
「点呼!」
「はい!」
「天候部隊!」
「1!」
「2!」
「3!」
「4!」
「行ってこい!」
「はい!」

天候部隊と呼ばれた彼らは、蟻塚のように折れ曲がった洞窟を迷うことなく進んでいく。彼らの後ろには、ひと目で奴隷と分かる下等な服を着た男が連れて行かれている。倉庫を抜け、武器屋の横を通り、だんだんと人気のない方向へ進んでいく。左側から、いつものようにブツブツと声が聞こえる。呪術師の声だ。祝詞だか祈りだかを捧げているのは知っているが、何を言っているのか、どこの神に祈っているのかは限られたものしか知らない。いや、もしかしたらこの女も含めて、最早誰も知らないのかもしれない。そろそろ地表に近くなってきたのを空気で感じる。そして、あと一つ曲がれば出口かというところで、4人は熟練の楽団のようにピッタリと足音を止める。

「天候確認!」
「はい!」

先程の点呼で4番目に返事した男は、出口へ繋がる角を曲がり、出口に日が射していないことを確認する。

「0、角を曲がって雲量を見てこい。」

0と呼ばれたのは先程の奴隷だった。彼はしぶしぶといった容貌で角を曲がり、洞窟を出て空を見る。雨こそないものの、雲が全天を覆い尽くしている。現代人の感覚で言えば、まさに“どんよりとした天気”といったところだ。だが、0が太陽は見えないと言ったのを聞いた天候部隊は、宝くじでも当たったかのように歓喜に打ち震えた。その喜びの表情のまま、2はずっと前から空けられていたのであろう彼らが待機していた場所のすぐ近くにあった細い穴に、磨かれた石を投げ込む。曇り、彼らにとって絶好なコンディションであるサインだ。

数分待つと、十数人の狩人が洞窟の奥から姿を見せた。天候部隊は彼ら、狩猟部隊とハイタッチを交わし、幸運と収穫を願うハンドサインを送る。




太陽から出ていないからといって、依然として外の世界は危険である。危険な敵に出くわした後、死体が残らなければまだいい方だ。巣に戻らされて意識の残ったままこの手で家族を皆殺しにさせられる羽目になる。だが、今のところは狩りは順調だった。幾つか兎を狩れたし、新しいマンモスの足跡も見つけた。これが上手く狩れれば、しばらく部族の生活は安定する。空がずっと曇り顔であることを祈りつつ、鬱蒼と自らを包み込んでくれる木々をかき分ける。…いた。非過食部位である脳が無駄に大きいのか、それとも今まで運が良かっただけなのかは知らないが、なかなかの大きさに育っている。槍を持ち、アイコンタクトで裏に回る。ここから動かぬ死体を巣まで連れて行こうものなら、1日はかかってしまう。だからと言って放置していれば、ここらを闊歩する悪魔どもに骨ごと持ち去られるだろう。だから、追い込む。陰から音をたてないよう、舞台と巣の対角線上にマンモスがあるように移動する。そして、自らが今までに見た魑魅魍魎を思い出しながら腹の底から大声を上げる。こんなところに住んでいる生物だ、危機意識は非常に高い。でかい図体を活かすこともせず、選択肢が一つしかないかのように逃走する。巣が目視できるほどまで追い込んだ所には、仲間が息の根を止める準備をしている。あそこの陰から飛び出して槍を…

刺さない。草むらからは、何が起きたかを精一杯示すように、血が流れ出ている。そこから無害そうに顔を出したのは、体長数十センチの小さなリスだった。いや、一つ訂正すると、無害そうというのは誤りだ。その歯から、今くっつけたばかりですと言わんばかりに血が垂れている。死んだ1人を除いて、狩猟部隊15人が等しく恐怖を感じている。何より、こいつがどうやって仲間を殺したのかが分からない。いくらリスとはいえ、むざむざ急所まで登らせて噛みつかせるなんてことはしないはずだ。やつを探る必要がある。立場の低い信心は、玄人の巧みな唆しによってリスに近づいていく。可愛がらないと殺戮の限りを尽くす凶暴なリス、だなんて嘘を真に受け、殺人リスを撫でるために歩み寄る。

「ああ..そうだ..大丈夫。ほ~らおいで、可愛いリスちゃん。撫でてあげるよ。だから、どうか、落ち着いて。」

震えながら彼は草を踏む。その音を察知したリスは、可動域を超えて首だけを彼に向ける。そして彼は冥途の土産に、音速の早さと頸が掻っ切れる感覚、世界の不条理さを知った。

ああ、クソ。彼らが殺された理由は簡単だった。ただ、あいつがアホみたいに速いだけだ。しかも、クルクル回るあいつの首は、律儀に俺たちを一人ずつを確認している。どうせ距離を離したままであっても、文字通りに瞬く間で殺されるだけだ。全員がそのことを理解し、捨て身の特攻を始めた。最早誰の眼中にも入っていなかったマンモスが、ゴング代わりに雄叫びを上げる。

しかし、当然その槍は刺さらない。当のリスはマンモスの方へ突っ込んでいき、その内部で止まった。内側から自らの身が食われていくのを感じ、マンモスはお凡そ擬声語では表せない断末魔を上げる。彼らは自らの生命線が幾何学を超越した腹に次々収まっていくのを、ただ見ていることしかできない。見当をつけてマンモスの体内を刺しても、どういうわけかマンモスごと数十センチ動き、槍は空振りに終わる。

何時だか分からなくなるまでその無益な行為を繰り返した後、いよいよ煩わしくなってきたのかリスはその歯を動かすのを止め、地表に出てきた。機械のように等速で回る首が、また一人の犠牲者候補を睨みつける。彼は死と文字通りに直面した心地になり、踵を返して巣に逃げる。遭遇した時から数秒前までずっと考慮されていた巣への二次的被害発生の阻止の概念は、足元の土と共に履き飛ばされた。リスはその距離を歯牙にも掛けず、彼の頸動脈に目を合わせて地面から跳び立つ。彼が振り向いた時にはそれは数センチもないほどにまで近づいており、そして──

リスは止まった。慣性の法則を完全に無視し、何もない空間で、完全に静止した。それは自由落下を経たのち、空を見上げた。その目には、焦燥と畏怖のみが映っている。──雲が、太陽から生命を守る覆いが、その職務を終えようとしていた。彼らもすぐその後、リスが既に影も形もなくなっていた時にそのことに気づいた。太陽だけはまずい。先刻までの疲れをすべて無視し、脳が肉体を動かす。実際、彼らが巣まで着くのにはそう掛からなかった。だが、一寸後ろから段々と陽が迫ってくる恐怖は、彼らの人生で最も大きいものになっただろう。この後のことが起きなければ。

ジュルジュルとした音、巣内の環境と神話と惨状を舐め回すように綿密に描写、逃走劇(何人か殺す)、管理者(要検討)登場、サイコロ、CKG


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