休憩時間に訪れたカフェ。神山博士は、"山本"と名乗った目の前の男を、慎重に観察した。
彼は妙な男だった。夏真っ盛りだというのに、黒いパーカーを着込み(彼は"寒がりなんだ"と説明した)、今いるカフェで、ホットミルクを注文した。
褐色の肌に大柄な体格。声も見た目通り大きい。コミュニケーション能力が高いのだろう。さっきからグイグイ来る。
そして何より彼が奇妙なのは、初対面のはずの自分──神山 狐蔵に対し、昔から知っている友の様に振る舞うことだ。狐蔵、もとい響蔵 平蔵 尚蔵 啓蔵 政蔵 孝蔵 才蔵 謙蔵 九蔵 朔蔵 徳蔵 端蔵 黒蔵 元蔵 栄蔵 ベーブ蔵 権蔵 白蔵 弾蔵──の記憶では、この男はつい5分前に会ったばかりなのだが。
「ですから、山本さん。あなたは人違いをしている。私はあなたの言う"佐藤"という人物ではなく、神山です。あなたとはつい5分前に会ったばかりだし、あなたがさっきから言っている話にもとんと覚えがない。」
「いーや、絶対佐藤だろ?顔から何からそっくりだ。名前を変えてる理由は聞かないから、とりあえず認めてくれよ。」
「ですから私は──
神山は5分前から繰り広げられる押し問答に、つい声を荒げてしまう。
無理も無い。知らない男に馴れ馴れしく話しかけられて、その上よく分からない思い出を語られたら誰だって苛つく。
数奇な運命の元にいる財団職員といえど、例外ではないだろう。
「なあ、佐藤。もしかして何かの撮影でもしてるのか?それとも…記憶障害とか……流石にないか!佐藤、本当に覚えてないのか?オレ、お前、"中島"でよく遊んだだろ?中島もこの前会いたがってたぞ。」
「……さっきから何度も言ってますが、私は佐藤ではないし、その中島とか言うヤツ──失礼、中島という人も知りません。私は神山 狐蔵です。」
神山は頭痛を押さえながら、何とか言葉を絞り出す。この山本という男、なんと強情なのだろう。似たような顔の人物など世界に3人──神山に関しては19人はいるだろう。それなのに、この山本という男は。
神山は、さっきから強く振動している携帯に顔をしかめながら、ため息をついた。おそらく諸知博士からだろう。(憂鬱・苛つきという感情を抱くのは何時ぶりかな?)神山は心の奥底でそう思う。
「山本さん。あなたには悪いが、私にも仕事がある。お金を払ったら帰らせてもらいますよ。今日は忙しいんです。」
「おいおい、連れねえなあ。もうちょっと話そうぜ。久しぶりの再開だろ?」
「だーかーらー私は佐藤ではなく神山 狐──
神山が、もう何回目か分からないような文句を言おうとしたその時──
「はぁ。」山本が突然ため息を一つつき、そのまま太い腕で神山をがっしりと掴んだ。
(え……は?)
突然かつ予想外の行動に驚く神山。いや、本当に驚いていたのは、腕を捕まれたことではなく、その掴む"力"。神山はこれでも武術の心得があるが、その神山が全く動けなくなるほど山本の力は強かった。
「なあ佐藤。いや、神山 狐蔵だったか?もう少し話そうぜ?」
(マズイ!)神山は危険を察し逃げようとするが、動けない。店内を見渡しても武器になりそうなものは0だ。
(最初からおかしいと思っていたが、コイツまさか、私の精神に影響を──)
人を呼びたいが、鋭い頭痛に襲われ動けない。ポケットの携帯はブーブーと鳴り続けている。叫びたくても、なぜか声が出ない。店内に、人はいない。
「さあ、神山さんよ、少し場所を変えようぜ?オレの主人があんたと話をしたがってるんだ。」
「この、……く……あ」
焦る。──すごく焦る。とても焦る。焦る。あせる。アセル。額に汗が滲む。目眩がする。
最悪、"死ぬのは良い"。だが、この体を調べられるのは──
──刹那。山本の頭を3発の7.62㎜弾が突き抜けた。
とっくに過ぎた休憩時間とカフェ。神山は諸知博士と目の前のエージェントに、お礼を言った。
「しかし、不運だったねえ。まさか高度術式殺封力人形88型──簡単に言うと、クソ強い泥人形に絡まれるとは。手口からして、最近話題の要注意団体だろう。」
「ええ、あなた方が来てくれなかったら私も危なかったです。」
「感謝ならそこの、飯沼…結城くんに言ってくれ。あの距離から人形の頭を撃ち抜いたのは彼なんだから。」
「始めまして。」とだけ、短くいったエージェントに対し、神山は軽く会釈する。
距離にして、恐らく60m以上。その距離から人間の頭部に3発打ち込むのは、スゴいを通り越して、もはや恐怖だ。しかも、恐ろしく"慣れた手つき"で。
「ところで──神山博士?口調、仕草についてなんだが、今度サイト-44常設診療室に来てくれないか。」
──神山は静かに、だが、重々しく発せられたその言葉に対し、長い長い間をおいた。そして
「分かりました諸知博士。お手を煩わせてすいません。後処理の要請は私がしておきます。」
"神山博士らしい"完璧な返事をした。
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