面影の残滓

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「クソ、なんでこんなことに……」

逆巻く焔の渦の中で、てらてらと先輩の背中が艷めいている。

「どうして救助がこない……いや来るはずもないか、僕達がここにいるなんて誰も知らないんだから」

ああクソ、やけっぱちで放たれたその叫びは虚空に消え、先輩は激しく噎せた。

僕達はあるアノマリーについての情報を追っていた。そして見事その尻尾を掴み、今やサイコーに素敵な状況に追い込まれている。

「クソッタレ……」

先輩の身体は"融点"をとうに超え、ドロドロと溶け始めていた。

「おい、エージェント」

突然、彼は僕の方を振り返った。彼の顔面の左半分は既に原形を失くし、身体中から液化した肉体が滴っている。

「奴等のために身を尽くすのは癪だが、このまま何も成し遂げられずに二人揃って惨めに死ぬのはもっと最悪だ。だからお前は──」

からり、コップに入れたままの氷水が誰にも触れられず自然と融解し始める、そんなか細い悲鳴のような音がして、彼の身体は地になだれ落ちた。


次に目が覚めた時、僕は特別治療室の中で、”コールドスリープ解除”の処置を受けていた。

医師の話によると、僕は完全な焼け跡の中から冷凍保存されたような状態で発見されたのだという。そして、僕の他には生存者も、さらには死者すら確認されなかったと。

「当時の記憶は?」

医師の問いかけに、僕は「よく思い出せない」と答えた。


僕が意識を取り戻したと聞いて、多くの友人達──いわゆる悪友って類の奴らだ──が見舞いにやってきた。彼等は口々に「災難だったな」「しかしよくあの状況で生還できたよな」「さすが一級エージェントは違うな」「今回もお宝を手に入れたんだって?」なんて言って、僕を労ったりからかったりした。

そして誰も、あの頃から依然行方の分からない彼の話をしようとはしなかった。

僕のメンタルケア担当にあたった壮年の心理鑑定士は、困ったような顔をして「思い出せないなんて、また君は嘘をついているね」と笑っていた。彼には全てお見通しで、だから僕は、正直に今回も記憶処理を拒否する旨を伝えた。

「だってそういうことにしとけば、記憶処理の話題を出されることもないでしょう?」

僕が”それ”に対して良い印象を持っていないのは貴方だって知っているじゃないですか。そう呟いて、僕は目をそらす。

グラス博士がいい人なのは僕だって知っている。だからこそこの人に悲しそうな顔をさせるのは本意ではない。けれど自分が不安定な時ほど、僕はこの人と話したいと思えなくなる。この人は目は、真っ直ぐすぎるから。

「それだけの用なら、帰ってもらえませんか」

「君に無理強いするつもりはないけれどね。それでも、その方が生きやすいと思う人もいるし、確かにこの場所で全てを背負って生きていくのは難しすぎると、僕も思っている」

「だとしても……これを忘れることは自分を忘れてしまうことと同じだから。忘れてはいけないんですよ、僕は」

すると彼は少し黙った後、静かにこう言った。

「それは、アイスバーグに関わることなのかな」

「さあ。それは博士のご想像にお任せしますよ。でもこれは、少なくとも僕にとっては何より重要なんで」

さすがのグラス博士も僕の真意をはかりかねているようだった。しばらくの沈黙が続く。もういいでしょう、そう言いかけたとき、思いがけず博士が口を開いた。

「いや、君はそういう人間だものね」

肯定するようにも、突き放すようにも聞こえた言葉。彼がそんな言い方をするのを聞いたのは初めてだったので、僕は驚いて彼の方を見た。
彼は口元に微笑をたたえて、こちらを見つめていた。けれどその表情のほんとうの意味を理解することはすぐには出来なくて、僕はただ見つめ返すしかなかった。

この人は今何を考えているんだろう。

僕がその答えに到達しないうちに、既に彼はいつもの”財団の問題児達の保護者”顔に戻っていた。「全く、君達のワガママには困ったものだよ」僕は素直にすみませんと謝った。

「それにしても……君の瞳の色は、そんな鮮やかな赤色をしていたかな?」

突然、温度を持たない刃のような言葉が僕の脳天を貫いた。そんな、まさか。

「君が君であることに疲れたら、その時はいつでも言うといい」

ひとつの足音が去っていき、僕は一人、氷山に取り残された。


あの日、彼は僕に、液化した自分の身体を飲むように言った。僕は、生き延びるためにそれに従った。

そして"僕達"は生きて還ってきた。僕は窓ガラスに映る自分の姿を見た。

「貴方は……?」

思わずそんな言葉が口の端から零れる。

色を失った虹彩から透けて見える赤。芯まで凍り付いてしまったような雪藍の髪。
よく馴染んだ、しかし一生交わることは無いと思っていたはずの色。

そこには、摂氏-7度の体温を持つ、エージェント・ラメントと似て非なる男の姿があった。


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