凝結(仮題)

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死んだはずの先輩が、額に風穴をあけて還ってきた。

最期の刻まで彼の中に唯ひとつ残されていたはずの「何か」は、人が感情と呼ぶそれは、全部あの穴から零れてしまったようだった。
 
 
生前の彼は、人から命じられて何かをすることが嫌いだった。気に食わない仕事は何かと理由をつけ僕に押し付けてきた。
彼は所謂「あとで面倒くさくなりそうなこと」が嫌いだった。都合が悪くなるとすぐ他人に話を振ってそこから逃げようとしていた。
そのくせ書類事務の類は三度の飯より大好きで、どこからか仕事を分捕ってきては今夜も徹夜だなどと喚いていたものだった。

ああ、確かにある意味においては彼は生前と何も変わっていなかった。高位のクリアランスは不要の、しかし財団のなかで最も人手の足りていない仕事のひとつ。それをあろうことか自ら好きこのんでやるような書類狂だった彼は、相も変わらず不機嫌そうにパソコンに向かって、……それでも彼はもう仕事をえり好みすることはなかったし、今までと変わらない、しかしもう二度と同一になることのない生活を、彼等が彼に与えた「役割」を、文句も言わずただ粛々と再現していた。
 
 
彼の心は冷たくなっていた。
以前であれば僕が少しからかったら火がついたように怒り出したものを、今ではこちらをちらりと見るだけで、すぐに何も無かったみたいにパソコンの画面に視線を戻してしまうようになった。

そして、以前よりギアーズが彼のそばに居る頻度が増えた。
彼があんな姿になって還ってきたというのに、ギアーズは何も変わらなかった。
おそらく彼は全て識っていたのだろう。ギアーズはその背中で、彼を庇うではなく何かを隠すしているように見えた。彼等が遂に手にしてしまった、恐ろしい秘密を隠蔽するかように。

僕はそれがとても悲しくて、身体の奥底では怒りがマグマのように沸き立っていた。
仕方ないこととは分かっていても、それでもこの理不尽に、心は耐えられない。
貴方もわかっているはずなのに、どうしてあんなに涼しい顔でいられるんだ。それとも貴方はこの意味を本当は理解していないのか? 僕は一体何を見せられている?
 
 
「彼は、確かに僕が殺したはずだった。」
 
 
自分が死ぬというその瞬間まで、口の減らない先輩は相変わらず「ざまあみろ」と(どこか興奮気味に)棘のある言葉を投げた。
「自分」が喪われる前に心ごと壊してしまいたい、けれど自分ではもうその引き金を引くことはできない、でもギアにだけは頼みたくない、だから仕方なくお前に、と──そんな我儘ばかりの願いを、僕は聞き届けることにした。

何故なら僕も同意見だったから。
感情のままに生きられないなんて、それはその人の人生と言えるのか? 外からの刺激に何も反応しない人間を、誰が「彼だ」と理解してくれるのか?
 
 
……本当は僕等二人は、ギアーズも救いたかった。
けれどその願いが叶うことはなかった。

いや、ギアーズだけじゃない。
 
 
そして彼は此処に還ってきた。
僕は彼に「おかえり」と言うことは出来なかった。代わりに「あなたの顔なんて二度と見たくはなかった」と吐いた僕を、ギアーズは無表情のまま見つめていた。

僕はどうすればよかったのか? 彼らは死して尚、「貢献せよ」と耳元で囁き続けてくるらしい。

……ならば。僕はそっと、腰に手をまわす。
何かを殺す度に手に馴染んできたその金属物は、今は決意の標のようだった。

ならば僕は、何度でも引き金を引こう。何度でもこの手で。それで彼が望む安らぎが訪れるなら、僕は例えあの声に仇なしてでも、彼を撃ち抜いてみせる。
 
 
そう心に誓い、ピストルを握った僕の後頭部に、何かひやりとしたものが触れた。
僕の手の中のものに酷く似ているような。
血の気が引く。僕はその影を知っていた。僕は背後に立つその人のことをよく知っていた。
残念です、と影から発せられる音。
それはあまりにも無機質で、
 
 
なにかの機械のようだった。

***

正午過ぎ、アルト・クレフは廊下を歩いていた。正面からやって来たギアーズと2人の助手に軽く会釈する。
ひとりは自分の研究についてを、慕う上司に聞き入れてもらおうと早口にまくし立て、もうひとりは仏頂面の禿げた博士を笑わせようとなんどもジョークに挑んでいた。

そうだ、それはかつての話だ。

クレフは、沈黙を携え去っていくひとりの男とその部下達の後ろ姿を見やった。今や彼等の中にあるのは、冷たい操り糸の繋がりだけのように見えた。
彼は、10回目の助手解雇を見送ることにした。乳房だけが取り柄の女でも、友人の姿をしたマリオネットに比べればよっぽど可愛く思えたからだ。

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