姿見ひとつ無い部屋なので

 
  

×月×日×曜日、みなさま、どうも初めまして。
私が此度のヒーローです。


 

姿見ひとつ無い部屋なので

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 前任者がみな長い長い遺書を残すのに倣い、刻が止まった世界にて、ログを記そうと思います。生きた証が欲しいわけじゃない。誰が読むかも分からない。それでも私はこれを書く。ペンを握ると、不思議と心が落ち着くから。私はまだ、当分は……少なくとも仕事が残っているうちは、狂うわけにはいかないのです。
 さて、つらい仕事の泣き言で紙面を埋めるその前に、ここでひとつ私自身のことをまとめておきましょう。誰が読むかも分からない、などと格好をつけた手前くすぐったさを覚えますが、このような書き方は私の根元の性分でもあるのです。幼い頃は小説家になる夢を持っていたのだっけ。今、ぼんやりと思い出しました。
 愛する家族の不可思議な死によりヴェールの内を覗き見てからはや十年、救世主を待ち侘びていた一介の研究員は、プロトコル・ヴェルダンディにて晴れて、人身御供となりました。なんでも、親を亡くし恋人もなく友人にも恵まれない一人ぼっちの優等生たるこの私は、奇妙な壁掛け時計に心拍を同期させ、悠久にも似た刻の中で世界の終わりを独り阻止する役目にぴったりだというのです。この命令を初めて仰せつかったときは、自害の痛みに思いを馳せるより先に、自嘲の笑いが溢れたものでした。
 仕事の詳細としましては……ことの起こりは四ヶ月前、映画か何かに感化された大莫迦者が、賢いサルを作り出して街に放ったところから先ず始まります。私はその作品を見たことはなく──今後見る機会すら無くしてしまったわけですが、資料に添付されていたあらすじを見るに、この有り様は概ね奴らの望み通りの形なのではないでしょうか。そう、私が阻止するのはSKクラス。新たな支配者として君臨せんとする異常存在、その全てを、ナイフ一本で殺せ尽くせとのオーダーです。なぜ刃物だなんて原始的な道具ひとつで事を為さねばならないのでしょう?曰く、刻が止まった世界で動けるのは、私と、この時計のある部屋にあるごく限られたもののみであり、銃のような内部に複雑な機構を持つものの内部もまた、すっかり止まって動かなくなってしまっているのだそうです。あぁ、初めて生命を撃ったあのときですら、三日三晩何も口にすることができなくなったのに。この手で直に生きた肉を捌く感触は、いったいどれほどのものでしょうか。想像だけでも頬がするする濡れて行くようです、けれど私には、全て投げ出して次のだれかに責任を押し付けてしまうことの方がよほど、寂しいことに思えたから。
 現実逃避にも一先ず蹴りをつけましょう。今日は記念すべき初仕事の日。なるべく、うまく行きますように。
 


 
 ×月×日×曜日、本日二度目のログを残します。仕事を終えて眠りにつこうとしたわけですが、どういうわけだか目が冴えるので、こうして机に向かっているのです。
 初仕事は思ったよりもずっと順調に済みました。初めてナイフを刺し込む瞬間こそ全身が強張ったものの、銃声も、断末魔も、血の一滴が落ちる音すら響かない世界でのその行為は、解体作業とでも呼ぶ方が、殺し、などと特別な言葉を宛てがうよりも、ずっと相応しく思えます。奴らの毛皮を押し退け滑り込んだ刃は、硬い骨すら容易く断ち切り、心臓を刺し貫いてもなお、切れ味が落ちることはなかった。ほんとうに、何のことなく、ナイフ一本で事足りたのです。拍子抜けとすら言えるほど、あっさりと。
 とにもかくにも、今日の私はサイト周辺のエリアでの駆除作業と、さらには清掃も終えました。幸先の良いスタートに、とても、とても気分が良い。
 とても気分が良いのです。
 


 
 ×月×日×曜日、今日もまた×日です。
 とても、とても恥ずかしいことに、私はようやく今しがた、止まるはずのない刻が止まった事実をしっかりと理解することができました。止まった世界でログに日付を書きつけたとして、一体何の意味があるのか。この迂闊さへの自戒として、これからも暫くは、日付を刻もうと思います。
 それで、今回の日記ですが。いくつかの私物を持ち込むことを許可されていたのを思い出したので、今のうちに書き留めておこうと思います。他人に言ってもあまり理解はされないのですが、私は本でも菓子でも筆記具でも、買ったなら買ったところでところで満足してしまうたちなので、こうして一覧にしておけば、きっと、たぶん、おそらくは、持て余さずにいられるだろうと考えました。
 まず初めに、これを書いている筆記具一式。少ない給料をかき集めて買ったは良いものの、勿体ないからと使えずにいた万年筆を、いい機会にと持ち出しました。それにしても、良い値段がするものは使い心地も良いもので、どうして今まで使ってやらなかったのかと、後悔ばかりが募ります。替えのインクも十分ですし、これ一本だけでも当面の間は楽しめるでしょう。それと読みかけの本に、辞書。自動変換に甘やかされた人間にとっての命綱です。こうして書き出してみるとどうやら、刻が止まった外側の世界から持ち込んだとしても問題なく使えるものばかり持ち込んでしまったようですが、CDプレイヤーを持ち込んだことは、私にしては上手くやったのではないでしょうか。そして最後に、家族の写真。亡くしてから今までの間、私はずっと、両親のことを忘れたことなどないのです。
 詰まらないものばかり持ち込んでしまったのかもしれませんが、これらはみな今のところは、私の支えになっています。それに、案外この部屋の中は快適で、長い刻をひとり過ごした前任者たちの些細な工夫が、私のもとまで繋がったのだと実感できる。私もいずれは誰かの前任者となって、かれらの退屈を紛らわせることができるはずだと、そう思うのです。
 


 
 ×月×日×曜日、人は群れをなす生き物なのだと実感します。
 孤独な夜にはすっかり慣れたと思い込んでいたわけですが、やはり、こう何日も静寂が続けば、気分も滅入るというものです。人が恋しい。誰かに会いたい。話がしたい。少しで良いから。
 そんなわけで、CDプレイヤーはほんとうに役立ちました。こいつからは、自分以外の声がする。流れる曲に自分の声を合わせてみれば、私の間抜けな歌声だって、深く、深く、寂しい心に響くのです。
 そしてこの手記の存在にも、私は救われている。何者かにより救われたという事実をここでありのままに書くことで、ぼんやりと宙に浮いていた感情が、感動としてすとんと落ちる。自己暗示に過ぎないのかもしれません。それでも私は、自分のことを、自分できっと救うことができる。
 それと今日は、東エリアでの作業を終えました。


 
 ×月×日×曜日、なんだか喉がひりひりします。もしかして風邪ではなかろうかと一日不安に過ごしていましたが、なんのことはない、昨日大声を張り上げていたのが原因でした。あんなに騒がしかった西地区はずれの路地裏が凍りついたように静かなものだから、清掃ついでに靴音を鳴らしていたのですが、それがまた、良く響く。誰にも聞かれていないと思うと、気が大きくなっていけません。合わせて歌まで歌いだしたのが、どうやら良くないようでした。
 

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ページ情報

執筆者: EveningRose
文字数: 3229
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批評コメント: 0

最終更新: 12 Apr 2021 08:02
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