絢爛たる闇

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 煌々とした光の中に、時折、狭霧のごとく立ち込めたかげが落ちるのを見ることがある。

 例えば、ふと立ち止まった裏路地に捨てられた、行き場のない箱の山の隙間から垣間見る道の奥。はいからな店に置かれた、手の込んだ細工の洋卓テーブルの脚の下。真白い茶道具ティーセットの受け皿。
 例えば、手に洋灯ランプを持っている時の、照らされた顔の凹凸。袖から伸びる手首。伸びた背筋を這うような服の皺。
 例えば、自分のすぐ足元。
 
 豪奢な灯りで塗り潰された闇の中で、確かに脈打つ翳の息づかいを感じるのが好きだった。深く重く垂れ込めるように。霞のごとくわだかまるように。光の底から浮き上がるように。様々な顔でこちらを見つめる翳を見るたびに、少しだけ安堵のようなものを覚える。

 生きていないものには翳がない。ならばきっと、翳の存在が、我々をいきものたらしめていた。ここに実体を持つものとして、地に縫い止めてくれていた。
 
 闇の中に溶かした様々な色を黒一色に染め上げて、翳は今日も己の隣に佇んでいる。
 
 

第一章

 はじめまして、と言って右手を差し出した人の顔をじっと見つめ、伊東いとう一二三ひふみはかすかに息を呑み込んだ。

 五月の風が頬を撫で、後ろで一つに括った髪が首をくすぐる。明るい太陽のもとで見る相手の目は、底の方にわずかに金の光があるけれど、一見には凪いだ濡羽色が沈んでいた。──はじめまして。なんとか言葉を返し、差し出された手を握る。かすかに見える手首の奥まで白い手は仄かにあたたかく、一二三は出来の良い人形のような造形のその人に宿る脈の気配を感じた。

 はじめまして、という言葉をもう一度舌の上で転がす。それはそうだろう。どんな人だって、自分の人生の中の、ほんのわずか袖が触れた程度の人間を覚えている訳がない。

応神いらがみ国光くにみつ蒐集官だ。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう。最近帝都に来た、かの名門応神家の──」
「余計な紹介は結構。私は私の意思でここにいるし、独断で隣にいる人間を選んだ。家は関係ない」

 滑らかで落ち着いた語調は乱れないものの、周りの言葉全てを跳ね除ける強さのある声だった。論を封じられた上官が黙り込むのに一瞥もくれず、国光は一二三の目を真っ直ぐに見つめる。

「君はこれから蒐集官である私の護衛役だ。君にとっては青天の霹靂以外の何物でもないだろうが、すまないな。ただ、君の剣の腕を信頼して言っている。それは分かってくれ」

 あとはまあ、運が悪かったと諦めてくれればそれで良い。国光の言葉も、一二三にはどこか遠かった。
 盲亀もうき浮木ふぼく、とはこんな時のことを言うのだろうか。運が悪かった?寧ろ、降って湧いた幸運だと大喜びしたいところである。一二三は内心で、幼い自分に無理やり刀を握らせ、蒐集総院ここに押し込めた父親に感謝した。
 

 ずっと会いたかった。そして、話をしてみたかった。
 人の剣を見て、「綺麗だ」と思ったのは、この人が初めてだったのだ。
 
 

 士官学校を出たあと、《天道総帥直属秘匿機関帝國異常蒐集総院》──もとい、蒐集総院に入るというのが、父との約束だった。

 士官学校に行くと押し切ったのは自分である。一二三の家は院と関わりが深く、両親は次男である一二三を院に入れたがったが、一二三は頑なに拒絶した。一度入ってしまえばどうせ、一生を院──ないしは、その上位組織である天皇機関に捧げ尽くすのみである。一二三はそれが嫌だった。自分の命を賭し、身を捧げ、生を奉ずるものくらい、自分で選ばせて欲しかった。

 『お前には、陛下の御威光が分からないのか。陛下の夢を守らんとする院の方々の素晴らしさが、理解できないのか』

 父には怒られた。妹と弟がいる前で、見せしめのように叱られることもあった。そして、母からは呆れと諦観の混ざった目を向けられる。

 『陛下、そしてこの帝都のために身を尽くすことの、何がいけないのですか。あまり父と母を困らせないでください』

 まるで自分たちが被害者のように──正しいかのように、悲壮な面持ちでそうのたまうのだ。
 
 士官学校に行けることになった過程はよく覚えていないが、多分社会勉強とか、腕が立って悪いことはないとか、そういったことを適当に並べたのだと思う。ふと意識が戻ったとき、自分は手に剣を持ち、今まさにかかってこようとする同級生を見つめていた。

 『洋刀はいけない。やはり日本人ならば刀を持つべきだろう。一二三、お前は日本刀を──居合を学べ。他のは院の方で様々教えてくださるだろうから』

 ──嗚呼もう、本当にうるさい。自分は陛下万歳と叫びながら死地に向かう傀儡などにはならない。自分の生き方は自分で決めるし、それができるくらいには強くなってみせる。

 向かってきた剣を刀身で受け止め、一旦身を引いて構え直す。反撃の隙を与えないよう立て続けに打って相手の体勢を崩すと、隙を見てその首にひたりと刃を当てた。──同級生に後から聞いた話によれば、その時の自分はまるでそれがごみか何かのような冷たい瞳で、相手の目を見つめていたらしい。
 

 話のできる同級生も、尊敬に値する先輩も、自分を慕ってくれた後輩もいたが、自分が「ここにいたい」と思えるほどの価値は見出せなかった。確かに帝都の民たちを守る大事な役割ではあるが、それならば院にいた方がまだ実感が持てると思っていた。
 
 結局自分は、与えられた役割でしか息ができない、同じ舞台で照明を浴びる舞台装置でしかない。
 帝都に住まう紳士も夫人も文士も学生も兵隊も、脚本のページが途切れた劇の一幕の書き割り。自分が内心で蔑んでいた家族も、生きる価値のある生をと願った自分も、等しく意味があり、等しく無価値である。

 それでも、舞台に上がった以上は、そこで演ずる己がいる意味を見出したかった。
 
 そんな一二三の人生が文字通り一変したのは、或る夜のことである。
 

 士官学校卒業の一週間ほど前。同級生から食事の誘いを受けた。曰く、最近開店した洋食店レストランを見に行きたいらしい。時刻は夕方を少し過ぎたあたり。煌々と光る街灯で照らされる道を歩きながら、なんとなく嫌な予感が脳裏を掠めたのに、知らないふりをしていた。

 つつがなく、とはあまり言えないものの、食事は無事済んだ。珍しいもの、金持ちの象徴となるようなものの類に入る自動人形オートマタが居たということもあり、同級生たちは機嫌が良かった。珍しいものを見た。美味い店だった。奥の席にいたお嬢さんたちは、きっと我々のことを見ていただろう。取り止めもないことを話す中で、彼らの一人が「遅くなったから近道をしよう」と言い出した。──それが良くなかった。

 夢で作られ狂騒に彩られた幻想の都は、夜と昼でそのかんばせの色を変える。
 あっという間に夜の闇に囚われ、行く道も戻る道も失った先にあったのは、自分たちの理解の外側にいるものだった。
 
 はるか昔に潰えたはずの、巨大な──狼の、死体。
 
 首を断たれた日本狼だった。いっそ切られた方に羨ましさを感じるほど綺麗な斬り口である。一二三は吸い寄せられるようにその骸へ近づき、首元をじっと見つめる。迷いも躊躇いもない、鮮やかな太刀筋だっただろう。ほとんど無意識のうちに、こくりと息を呑み下した。一点の翳りもない。見惚れるほど美しい。

 切られた首から流れる鮮やかな色は、どちらかというと赤より紫に近かった。それを見ながら、ああ、これはもしかしたら生きていないものだったのかもしれない、なんて思う。
 骸の側に膝をつき、手を合わせようとした瞬間、背後にものすごい殺意を感じて振り返った。

 息を浅くした狼が、灰金色の目を爛々と輝かせこちらをめ付けていた。
 ひゅ、と息が漏れる。銀の色の毛並みが、かすかに届く街の光に煌めいていた。ぞくりと背筋が粟立つ。逃げなければ、と本能が告げている。今の自分の刃では、この狼の命に届かない。

 音もなく、狼が近づいてくる。他に人の気配がしないあたり、自分以外の人たちは皆逃げてしまったのだろうか。逃げなければ。嗚呼、体が動かない。剣を抜けば確実に敵として見做される。そうなってしまったら、今の自分に勝ち目は──
 
 ──闇の底の中から、曇りのない銀の刃が閃いた。
 その時の一二三には、そう感じることしかできなかった。
  
 耳元にかすかに残った声は、なにかのまじないの類だろうか。一閃、そして一刀。足を薙ぎ、首を払う。迷いなく、躊躇いなく、雑念なく、危なげもなく、ただ斬るべきものと、自分の刃に向き合っている。体の中になにか、自分の知らない種類の火が着くのを感じた。ぞくぞくと、熱い衝動が背を駆け下りる。まるで一目惚れをした生娘のように熱い息を漏らした。

 あの剣を、もっと、知りたい。

 知らない衝動に身を焦がされる自分と対照的に、サーベルの持ち主は至極冷静に得物をしまった。狼がこれ以上動かないことを確認し、こちらに向かって歩いてくる。

『大丈夫か』
『……はい。あの、』
『怪我がなくて良かった。その服は士官学校のものだろう?自分の技量を考えて、無闇に剣を抜かなかったのは賢い判断だったな』
『いえ。その』
『送って行こう。他に巻き込まれた者はいるか?どうやら何人かいたようだが、彼らは?』

 軍服を模した──だが、どこかが決定的に異なる──動きやすそうな服。しなやかに伸びた背筋に、端正なつくりの面立ち。鴉羽色の髪、金の光が照る双眸。一二三が足元の石でよろめいたとき、差し出された手はひやりと冷たかった。
 
『……蒐集総院の、方ですか』

 同級生たちがめいめい部屋に戻って行くのを確認し、歩きながらずっと考えていた推測を口にする。
 応えてくれる可能性は、限りなく少なかった。薄氷を渡るようなものだ。だが、その氷がどれだけ薄くても、渡らなければ向こう岸には辿り着けない。

 一二三の不意の問いに、その人は驚いたような顔を見せたあと、わずかに目を細めて笑った。夜の灯に照らされたその笑顔があまりに綺麗で、同性ながら少しだけ心臓が跳ねるのを感じた。

『なんのことやら──と言っても、納得しないという顔だね。正解だ。関係者?』
『今年の春から……そちらにお世話になります』
『それは奇遇だ。ならば、私の後輩ということになるのか。志を同じくする者として、君を歓迎しよう。院で待っているよ』

 きっと、あなたに会いに行きます、と。内に秘めた言葉とともに、握った手に力を込める。
 

 次の日から、人が変わったように院の情報を求め出した自分に、両親は驚きながらも嬉しそうに応じてくれた。
 そして、あの日の綺麗な人を見つけたのだ。
 
 応神国光。宗家を大阪に構える、院でも指折りの名家である応神家の跡取りでありながら、帝都に身を置く蒐集官。
 そして──本来ならば、サーベルではなく二振りの日本刀での立ち回りを得手とする、比類なき武人。
 
 この人の隣にいられたなら──最期に見るのがこの人のあの美しい刃の銀色だったなら、自分は命だって惜しくない。
 なんのてらいもなく、そんな思いが滑り落ちた。
 
 

── ◆◇◆ ──

 

 帝都に来て三月ばかり。正直なところまだ街に馴染めないという国光に、ほとんど反射的に「私でよければご案内します」と進言した。
 断られたら心底気まずいと思ったが、案外あっさりと「では、頼もうかな」言われ、内心胸を撫で下ろす。──今はとにかく、一刻一秒でも長くこの人の隣にいたかった。
 

 煉瓦造りの東京駅。モダンな洋館のような造りをした帝国劇場。人で賑わう活動写真館に、はいからな喫茶店。立ち並ぶガス灯に、和服も洋服も混ざり込み大路を行き交う人々。その中を悠然と進む大市電。

 さまざまな場所に足を運び、街を見物し、時折買い食いなどしながら、一二三は国光とあれこれ話をした。
 もともと決して饒舌な方ではないが、この人の前では言いたい思い、伝えたい言葉がたくさん溢れてくる。帝都の生まれで、上に兄と姉、下に妹と弟を持つ五人兄弟の真ん中だということ。士官学校の後に院に入ったこと。院に入ったあとにできた、ひとつ年上の友人がいること。
 
 聞けば、国光も一二三とそう年が変わらなかった。まだ二十歳の半ばらしい。自分とあまり変わらないのに、どうしてあんな綺麗な剣を振るえるのか、一二三は不思議だった。鍛え方や心持ちが違うのだろうか。
 出過ぎたことだとは思っていたが、なるべくさりげなくそう聞いた。大路の店で買ったシベリアを食べながら、国光は小さく笑う。

「生まれた時からそうあれかしと定められたものは、あるだろう?私はそれを、自分の意思で選び直した。……そして、自分の中で『選択した価値がある』と思えるまで、修練を続けている」
「今でも、ですか」
「未だ自分が達するべき果てすら見えていない状況だ。先は長いな」


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