春である。
東弊重工営業部の朝霧は、美しく舞う桜をぼんやりと眺めていた。
正直にいって、今の朝霧に会社でのセルフ花見を楽しんでいる余裕はない。これはいわゆる現実逃避というやつであった。
東弊重工に勤め始めてもう十年は経つ。三十路も佳境に差し掛かり始めた朝霧は、東弊内での自分に微妙に不満を抱いていた。
朝霧の体感時間としては、結構長く勤めている会社である。万全の福利厚生と身の程に自身の人生を謳歌できる給料、ブラック企業だの何だの言われる昨今では信じられないほど待遇も良い。
文句などつけようがないし、朝霧自身もそれなりにまあ、満足はしていた。きっとこれで良かったのだろう。普通の企業なら。
───残念ながら東弊重工は"今"の現状に甘んじるだけの社員を養ってくれるほど優しくはなかったし、常に進歩を求めるその姿勢は社員一人一人の骨の髄まで叩き込まれていた。
という訳で朝霧の不満である。
言われるがままに仕事をこなし、それなりに業績を伸ばしてきた。その後も続ければそれなりの地位には就けるだろう。ただ、それではいけないともう一人の己が叫んでいた。
「───悪弊 旧弊 困弊を、叡智と理学で砕くまで…」
入社式で貰ったパンフレットに載っていた社歌のフレーズを、誰に聞かせるまでもなく口に出す。
生産性、先進性、先見性。東弊の誇りであり美学であり精神であり、東弊重工の椅子に座る者に求められるもの。
春だ。
新しい事を始めるには、ぴったりな季節だと朝霧は思った。
ただ、その「新しい事」がどうしても思いつかない。家にいても散歩をしても本を読んでも思いつかない。実際の職場に身を置けば何かいいアイデアが閃かないかと、今はこうして非番にも関わらず会社に来ているのであった。
まあ、ぼんやりしていてもいいアイデアは思いつかない。
今までに何十分ぼんやりしていたか分からない。いい加減暇を持て余してきた朝霧は、とりあえずいつもの癖で動画サイトを開く事にした。
───その時だ。
朝霧の頭に、画期的なアイデアが閃いたのは。
「時代はインターネットですよ!」
上司を前に、朝霧は自身のアイデアについて熱く語った。
「情報社会と呼ばれる今、ユーザーの拡張には何が一番必要か?ネットです。ワンクリックで世界中と繋がれる昨今、やはり我々もインターネットの世界に進出すべきです!」
「だがなあ、朝霧くん…」
輝く目で語る朝霧とは反対に、彼の上司である水出みずいでの反応は渋いものだった。
「インターネットか…我が社も視野に入れた事はあるが、君も知っている通り我々が取り扱うのは本来、一般人の目に触れてはいけないものだ。超常現象と呼ばれるもの。それを公に晒し公言するなど…」
───水出の言う事も最もだ、と朝霧は思う。
東弊重工の重きは本来"異常すらも技術の常にする"いわゆる異常物体の開発だった。勿論世に出ていない、またある程度のリスクも伴うため唯人では購入はおろか知る事すら許されていない。ただ腐っても社員、そこの妥協案を考えていない朝霧ではなかった。
「勿論、私たちが扱っているものを宣伝しろとは言いません。ただ、我が東弊重工にはその他にもたくさんの優れた技術を持った者たちがいるでしょう。その人たちに密着取材したり、商品を宣伝したり───どうですか?新しく良い文明でしょう。」
「新しく良い文明」という言葉に、水出の心も若干揺らいだらしい。
水出は別にインターネットを多用するような人物ではなかったが、その利便性と有用性についての理解はあった。机をひっくり返さんばかりの勢いで新しいアイデアを語る部下に若干気圧されながら、それでも提案には了承を返す。
「む…まあ悪くはないな。朝霧くん、君は何かその宣伝方法について具体的に何か案を持っているのか?」
「ええ、勿論」
ドヤ、という効果音でも付きそうな笑顔で胸を張り、朝霧は勿体ぶって言う。
「美少女系動画配信者です!」
社員食堂で青椒肉絲をつつきながら、朝霧は後輩の入野と新企画の話に花を咲かせていた。
「朝霧さんはやっぱりすごいですね!公式でSNSを始めようかって案はもうあったんですけど、動画配信なんて!目の付け所が違いますよ!」
「いやあ…おっ入野、水が切れてんな。取ってこようか?」
「えっ良いんですか?ありがとうございまーす」
例え世辞が半分くらいだとしても、可愛い後輩に褒められて悪い気はしない。自分含めて二人分入れてきたコップの水は、入野が食べていた激辛麻婆豆腐の所為によりあっという間に彼の腹へ流れ込んだ。
「それにしても、美少女で配信ですか…。やっぱりアレですよね、ここは最先端の、3Dモデル作ってモーションキャプチャでやるやつですよね!」
「勿論!…と言いたい所だが、技術者がいるか微妙なんだよな…」
本来東弊は名の通り「重工」であり、最新機器をゴリゴリに扱うような技術者はいないのが現状だった。
今までは十分にそれでいけたが、もし本当に3Dモデルを使った配信をするなら相応の職人が必要になる。朝霧はため息をついた。
「そりゃなー…東弊って本来そっち系じゃねえし。まあ何とかなるだろ。そこは外注するとか。」
「3Dとかモーションキャプチャとか持ってる人、心当たりあります?」
「…ナクモナイ」
無くもない。が、正直頼りたくない。
苦い顔をした朝霧に、入野は不安げな顔をした。
「でも実際問題、技術がないと実現できませんよ」
「だよなー…やだなー関わるの…」
「まあとりあえず上に掛け合ってみて、良ければ話を進めれば良いじゃないですか。何事も挑戦ですよ挑戦。新しい事象は新しく始める勇気がなければ生まれません。」
「そうか、そうだよな…」
「はい!」
ニコッと笑った後輩の顔に、少しだけ背中が押される気がする。
「それに朝霧さんのが没になっても僕が改訂して自分の手柄にします」
「お前可愛い顔して結構強かだよな」
「失敬な!会社の進歩と自分の向上に余念がないと言ってください」
「はいはい」
結論から言うと。
朝霧のアイデアは採用になった。ただ、やはり技術者の問題は浮上した。
そして自身の企画に焦っていた朝霧は、つい口を滑らせてしまったのだ。
「技術者の当てはある」と───。
朝霧が語った一部始終を聞いていたMy Friend知り合いは、一拍の間のあと、部屋が揺らぐかという勢いで大爆笑した。
エリックは朝霧のMy Friend知り合いであり、3Dグラフィックやプログラミングに卓越した技能を持つ技術者であり、───ここだけの話ではあるが、ゲーマーズ・アゲインスト・ウィードのメンバーの一人でもあった。
アメリカ出身のエリックと、生まれてこのかた日本から出た事のない朝霧が何故こうして知り合ったのかは割愛する。ただエリックは朝霧が東弊に就職する前からのMy Friend知り合いであり、長い付き合い腐れ縁だった。
───ルビに他意はない。本当に。
「ナルホド!それで俺の力を貸して欲しいってか、アサキリ!」
「…ああ。だいぶ不本意ではあるがな。」
「何を言う!俺とお前の仲だろう!知ってるぞ、それは日本の文化のツンデレというヤツだろ?」
「伝わらんな…この心の底からの不快感」
「HAHAHA!相変わらずアサキリはジョークが下手だな!」
「ジョークじゃない。あと俺の名前はアサギリだ。」
「It's trivial!些細な事だ!」
いつになく(いつもだが)ハイテンションなエリックを見ながら、朝霧は頭が痛くなってくるのを感じる。
出会った当初から高かったが、最近更に磨きあげられた技術は本物であり、部類は違えど同じ専門技術を扱う職として(朝霧はあくまで営業担当であり、実際の作業に携わる訳ではないが)尊敬すべきところもある。ただ本人が持つその優秀さを、本人による絶望的なまでに話を聞かない空気を読めない周りに合わせられない、有り体に言えばゴーイングマイウェイさで潰しているというのが事実だった。朝霧としてはエリックのテンションには正直ついていけないしあまり関わりたくはないのだが、何だかんだ言いつつずるずると関係を引きずり古い馴染みと言えるまでに来ている。
「パーチャルな動画配信者を企業が使うのか!相変わらず君の国は愉快な事を考えるな。」
「茶化してないで真面目に考えてくれ…。お前の腕は借りられるか?」
「Of course!可愛い女の子モデルなら尚更だ!」
「お前のお眼鏡にかなうかは知らんが女だ。名前は…決まってないが。」
「楽しみに待つよアサキリ!君のとこの会社はとても素敵だ。物作りの技術は日本最高峰と言っていい!」
「なんだエリック、当たり前の事だが改めて言われると照れるが」
自慢の会社を褒められ、朝霧が少し機嫌を直す。
朝霧の横でいつの間にか出したクッキーを摘みながら、エリックは快活に笑った。
「素晴らしいアイデアを期待するよMy Friend!」
「お前に友達扱いされる筋合いはない」
「相変わらずつれないなアサキリ。俺はいつまでも君を一番の親友だと思ってるのに。」
「正しく訂正をしたまでだ。…まあでも、デザインは期待しろ。素晴らしいのを持ってきてやる。」
「やっぱり君は昔から自信に満ちた笑顔が一番だ!えーとこういうのは君の国では確か、首を洗って待つと言うんだっけ。」
「…………お前の偏った文語表現には敢えて目を瞑ろうエリック。そうだな、首を洗って待て世界!インターネットという波を華麗に乗りこなし、我が東弊重工は新たなステージへと進むのだ!」
「Keep it up!」
ビシイ!と来るべき未来へ向かって指を突きつけた朝霧に、エリックが楽しそうに拍手を送る。
そのまま彼が思い切り朝霧の背中を叩いたため、朝霧はしばらく内出血した背中の痛みに苦しむ事になった。
募集 絵心があるスタッフ
今回、東弊重工では、新しい試みとしてパーチャル動画配信者を始めることになりました。
つきましては、新企画のキャラクターデザインを募集します。
キャラクター詳細については、下部をご覧ください。
なお、もし社内から良い案が出ない場合、外注イラストレーターに依頼する可能性があるということもご了承ください。名前:東 神子(あずま みこ)
性別:女
イメージ:神職の女の子
年齢:19歳くらい締め切り █月█日(█)
問い合わせは営業部・朝霧か、営業部・入野まで。
前略、上層部から予算をもぎ取ってきた。
「申請が通ったみたいですね。おめでとうございます。」
「やりましたね、朝霧さん!」
「だろ?」
笑顔を見せた同僚の森嶋、それに入野を見、朝霧が胸を張る。
エリックと別れた日の夜、徹夜で考えた名前だ。昔からネーミングセンスがダサいと言われ続けていた己だが、今回の名前は結構自信があった。侮りがたし、深夜テンション。
その後募集した原画イラストの中から、同プロジェクトに携わる森嶋や入野含む何人かで候補を選び、最終案は上層部の意見も取り入れながら決定した。
東弊の東は古き読み方で『あずま』、『神子』は神事として技術を捧げていた歴史を汲んだものだ。
「森嶋さん、女性の目から見てどうですか?良い感じですか?」
「私個人としては、大変可愛らしく素敵なデザインだと思います」
「それは何よりだ」
『───功利で熱意を向上させ、、信仰で功利を補ってきた我々の歴史を今、ここでもう一度振り返るべきです。東弊重工は新たなステージへ歩もうとしています───神職たる少女が我が社が誇る最新の技術を紹介する。我々が繋ぎ合わせるのです。人の技術と神の心を。』
企画会議で自分が言った言葉を思い出し、朝霧は自分でも少し痛かったか、と苦笑を漏らす。
「技術者の当て、ついたんですね。この予算だと少し余裕がありますから、折角なのでちょっと良い機材買っちゃいましょう!」
「そうだな」
「朝霧さん、モデリング担当の方に連絡はしたのですか?」
「ああ。最終案が決まった夜にデータ送った。可愛い女の子は作業が捗ると喜んでたぞ。」
「面白い方ですね」
「ただの変人だ」
原画の決定稿を見る。やや茶色がかった黒髪を括り、現代風にアレンジされた巫女装束を纏う少女は事務の女の子が描いたのだそうだ。東弊のロゴがイメージされたヘアピンなど、細部まで手が入っている所を評価した。
「私は朝霧さんと結構長い付き合いだと自負しておりますが、今だに貴方の周りの交友関係が不思議で仕方ありません。」
「前な。ほんと昔。ちょっと色々あったんだよ。」
「朝霧さんて東弊来る前何やってたんですか?」
「学生」
「もーそういう事じゃなくて!」
朝霧、森嶋、入野は営業部ではわりかし有名な仲の良い三人である。
森嶋は朝霧と共に東弊に入社した同期だ。人付き合いが上手くアクティブな朝霧と、物静かでやや近寄りがたい印象のある森嶋は気質こそ反対だったが東弊への愛と仕事への情熱は共に等しく、凸凹ながらも互いに協力しながら業務をこなしてきた。
そんな中、少し遅れて入社したのが入野である。朗らかな性格だが強かで頭の切れる入野は、朝霧や森嶋が気づかなかった思わぬ所を突いてくる事も多かった。豊富な対人関係とフットワークの軽さが売りの朝霧、冷静沈着で高所から俯瞰した目を持つ森嶋、二人にはない独自の視点と誰にでも好かれる明るい性格を備えた入野のそれぞれ三人は、互いに切磋琢磨しつつも同じ職場で苦楽を共にする大切な仲間でもあった。
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