はじめまして。ひどくありきたりかつ耳になじまない言葉を呟いた僕に、目の前の相手はただ優しい一瞥を返しただけだった。
「どこまで覚えていますか?」
「……何、も」
耳朶をなぞる音は確かに僕の声と呼べるのだろうけど、どこかふわふわと宙に浮いていて、どうにも僕の手には馴染まなかった。
きまり悪く視線を彷徨わせた僕に、聞こえてきたのはため息ひとつ。それからコツ、コツ、と音が聞こえて、すぐ隣の人の気配が濃くなる。
「貴方は財団所属のエージェント。任務に赴き、そして生還し、記憶処理を希望しました。受けたのはクラスB。しかし、高頻度の記憶処理財の使用により、貴方は本来の処理剤の効果以上の記憶を───過去の全ての記憶を、喪失しています」
「……」
財団エージェント。記憶処理。
耳慣れない、でもひどく体に馴染む言葉を漠然と聞きながら、僕は少しだけ瞬きをした。
「記憶処理を受けると決定したのは貴方自身です、エージェント・真宵」
「まよい」
きおくをそうしつ。記憶を喪失。
空漠とした頭は、点が線を結ぶのに少しタイムラグがある。
「必要とあらば、人事ファイルの開示が許可されていますが。閲覧を希望しますか?」
「……いいえ」
僕の答えがわかっていたかのように、白衣の人はやんわりとした笑顔を浮かべた。くるりと後ろを向くと、尻尾のように括られた髪が首のあたりで揺れる。
「部屋までお送りしましょう、エージェント・真宵まよい」
「あの、僕は」
「今は何も考えなくていいのです。どうせ明日から、嫌でも前を向かされる。思考を止めることは許されなくなるのですから」
白衣の人は手に持っていたボードに何かを書き込んだあと、僕の方を向いて優しく微笑む。その笑顔がなぜだか薄気味悪く思えて、僕は目を逸らした。
立てますかと言われて、ベットに縫い付けられた身を起こそうと体を動かす。ここでようやく僕は、自分がひどい怪我をしていることに気づいた。
「申し遅れました。私、貴方の記憶処理を担当した諸知と申します。どうせ次に会うときは私のことを覚えていないでしょうから、別に気にしなくても結構ですが。───おそらく私の方も、貴方のことを忘れているでしょうし」
◇◆◇
あなたがこれを読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。
誰がこの手紙を手に取るかはわかりません。もしかしたら、鍵のかかった抽斗の中に永遠に閉じ込められているかもしれません。開かれることなく焼かれるか、破られるかしてしまうかもしれません。
それでも私は、ペンを取りました。私を見つけてくれる人がいるように。少しだけでいいから、思い返してくれる人がいるように。
どうか、この手紙が私という存在が確かに生きていたという証になるように。
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任意A任意B任意C- portal:6217955 (25 Mar 2020 05:21)
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