分岐2

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注意: 暴力的、親から子への虐待の表現有り

Table of Contents

1

夜、8歳のジュリアンは布団の中で息を殺しながら、懐中電灯に照らされた薄汚れてシミだらけの家電用品の説明書を読んでいた。理解の追いつかない箇所があってもメモ出来ないことが歯痒かった。この家にボールペンというものは無い。しかし、今はそんなことはどうでもいいほどに、彼は説明書に夢中だった。細かな鉄の棒や小さな歯車が噛み合って、静かに滑らかに動く様を想像するとジュリアンの心は一本の蝋燭に火が灯るように暖かくなった。

家の中に機械や、それに関するものを持ち込むことを、彼は母親から固く禁じられていた。ジュリアンはゴミ捨て場でそれを見つけた。

あまりに集中していたのだろう、誰かが階段を登ってくる軋みに彼は気づかなかった。部屋の扉が開けられる気配に、ジュリアンは素早く灯りを消し説明書を枕の下に押し込もうとしたが、間に合わなかった。布団を剥いだ母親の表情にはどんな感情も浮かんではいない、全くの──無だった。

 
「ジュリアン。」

 
母親は何の感情もこもっていない声で彼を呼んだ。

 
「ジュリアン。」

 
ジュリアンは震えながら手に持った物を渡した。母親は冷たい眼差しで、体を固くこわばらせる自分の息子を見下ろしていた。まるで一分が一時間に感じられるような濃密な静寂が親子の間に横たわっていた。

 
「ねえ、ジュリアン。なぜ人は悪いものに惹かれるのか分かる? 悪魔というものは常に魅力的だからよ。」
違う、何が悪を決めるのは常に「支配者」だ。これは誘導だ。騙されるな。
 
穏やかで感情のこもっていない声で母親は言った。彼女はベッドの脇の椅子に腰掛けると、ポケットから煙草の箱を取り出し、一本引き抜いた。口に咥え、右手でマッチを取り出すと、煙草に火を付け一度深く吸って、吐いた。息子から取り上げた説明書をしばらく検分する。それは家庭用ミシンの説明書で、上下する針や回転する歯車やベルトについて、イラスト付きで書かれている。検分に満足してしまうと母親は説明書に火を付けた。ジュリアンはベッドの上で丸くなり震えながら背中でその気配を感じていた。

 
──嫌だ

 
──何も感じたくなんてない

 
──何も感じなくなれたらいいのに
本当に?喜びも楽しみもない「無」にお前はなりたいのか?
 
母親が何もせず去っていってくれることを願いながら、ジュリアンはこの家で信仰されている神に祈った。家の中は常にこの神の正しさで満たされており、それは肉で、ただ、ジュリアンには肉屋に並ぶそれと神の違いが分からなかった。

 
──神様、どうか、ごめんなさい。お願い、許して。

 
願いは届かなかった。背後で母親が二本目のマッチを擦る音が聞こえた。

 
「ジュリアン。いけない子。」

 
ジュリアンは震える声で謝罪の言葉を口にしたが、それはあまりに微かで母親には届かなかった。

煙草が背中に押しつけられる熱を、8歳のジュリアンは感じ、こんな恐怖など感じない機械になってしまいたいと願った。
お前は母親の煙草の匂いを覚えているのか?母親は煙草なんて吸っちゃいなかった。早く目を覚ますんだ。
 
 

2

「ああ、僕としてはあの男を今の立場から引きずり下ろせるならば協力は惜しまないとも。」

 
電話口の向こうの若い女は一瞬黙り込んでいた。そして、やや迷ったような口調で言った。

 
「……そんなに、彼のことが嫌いなの?」

 
「勿論。薄気味悪くて、何を考えてるか分からない。感情のない殺人ロボット。誰が仲良くなれる?」

 
「……分かった。とにかく──あなたと話せて良かった。ありがとう。また連絡するわ。」

 
電話を切ると、アイスバーグは吸っていた煙草を地面に捨て、靴で踏み消して建物の中へ入っていった。彼はいつまでも親に執着している女のことを見下していた。やり取りをするのはあくまで、利害が一致しているからだった。

女は自分をアリスと名乗り、厳密には異なるもののおおよそギアーズ博士──現在のアイスバーグの直属の上司である──の娘であることを告げた。あの鉄面皮が子どもをこさえていたことが驚きだ。そしてそれを捨てた。何故? 彼は大して知りたくもなかった。そして女は十数年も自分を見捨てた親を人生を犠牲にして探し求め、取り返すことを人生の目的だと勘違いしており、人のせいばかりにして甘ったれている。
"それ"は偽物だ。お前を油断させるための出まかせに過ぎない。
それとも、とアイスバーグは思った。
愛されて育つと人間は愚者に成長するのかもしれない。
違う

アイスバーグはいつでもそうだった。
少なくともこの世界では、彼はクソみたいな犯罪者共を書類に簡単なサインをするだけで抹殺し、その血で食事と酒と煙草を買い、単調な仕事をして休憩には同僚と上司の悪口を言い合い、それで何にも罪悪感を抱かなかった。簡単なことだった。氷のように冷たい心を誰にも開かなければ。
お前は馬鹿だ。でもまだ間に合う

 
何にせよギアーズは彼にとって目障りだった。
そしてアリスとの邂逅を経てますます不可解になった。

 
クリアランスレベルに見合わないオブジェクトの取り扱いも、自我を捨てているかのような忠誠心も、その為に傷害や殺人を犯しても世界平和のためだと言わんばかりに顔色一つ変えないことも、家族がいたにも関わらず世界という曖昧な概念のためにそれを破滅させたことも何もかもが。
今すぐその戯言をやめて彼の話を聞け。事故を起こせ、早く

この世界の彼には世界を守るだなんて馬鹿げた思想はなかった。

 
事務所に戻ると追加書類のファイルが机の上に重ねられており、メモが添えてあった。

急ぎませんので、よろしく。 - ギアーズ

傍らに置いてあるチョコバーを選び、アイスバーグはメモをゴミ箱に捨てた。

 

かつて自分がそうされたように。

 

違うと彼は思った。逆襲? いいや、僕はあいつのことなんてまるで興味がないんだ。その立場以外は何も。アリスは父親を取り返す、僕は代理として上に立ち、そのままあの立場を得る。それで完璧だ。
 
 

3

ジュリアンの父親は教員をしていたが、ジュリアンにも母親の価値観にも全く興味を持たなかった。まるで始めからそこに居ないように。
これはその通りだ。

ジュリアンの年齢が上がるにつれ彼の生活と家庭の思想との間の溝は更に深くなった。ジュリアンは父親に救いを求めようとした。注目を得るために学年上位の成績を収め、同級生に教科書を切り刻まれても一度も学校を休まなかった。母親からの暴力はもはや理不尽な域に達していた。ある日、ジュリアンが高熱のために初めて学校を休み、ベッドに横になっていると父親が部屋を通りかかった。開きかかった扉からふいに父親が顔を覗かせるのを見て、ジュリアンの心は踊った。「お父さん」と呼びかかったとき、父親は一言「何だ、居たのか。」と呟き、さっさと行ってしまった。
健気なこった。涙が出るね

 
そしてその夜、母親はベッドの傍の椅子に座っていつものように説教を聞かせながら、煙草を吹かし終えると何度目かに言った。

 
「あんたなんて産まなきゃ良かった。」
 

知ってる、とジュリアンは思った。
知らないね。
分かってる、僕が産まれて母さんは何か大事なものを失ったんだろう。僕が特別にならなきゃいけないのはそこなんだ。しかし、分厚い眼鏡をかけたモジャモジャ頭の10歳のジュリアンには何が母親を癒せるのか分からなかった。きっとだからもっと知らなければならないのだろう、色々なことを。そうすれば母親に空いた穴を埋められるかもしれないと思った。そしてそれが彼の人生の悲劇の始まりだった。

 
熱にうなされながら彼は悪夢の中で燃え盛る巨大な二足歩行の機械を見た。それは歩き続けやがて南の端に到達し、崖から海に向かって落ちると轟音と共に砕け散り、辺り一面に血と脂と糞便を撒き散らしバラバラになり彼は神が死んだことを悟った。ひどい。やがて崖はドロドロに溶け始め肉の塊がボトボトと彼の上に落ちむせ返るような獣の匂いが立ち込め、身体を虫が這い回るのを感じ、自分が次第に分解され土に還っていくのを感じ、悲しみのあまり叫ぶことすらままならず、愛されたかった、愛されたい、抱きしめられたい、という気持ちからこれ以上血と涙が溢れないように祈るように胸を締め付けて、笑える。もうやめよう諦めようという肉どもの囁きから耳を塞いでいた。仮に僕が10代でこれを書いて、後で見つけたら死にたくなるほど恥ずかしいだろうね
 
 

4

清潔なベッドの上で目を覚ましたジュリアンはしばらく白い天井を見つめながら、今は何時でここは何処なのかに思いを巡らせていた。ついさっきまで米軍の武器庫で作業をしていた筈だった。身体中に痛みと冷たさを感じていた。冷たさ? 部屋が寒すぎるのか? 彼は身震いしながら手探りで眼鏡を探し特徴の無い部屋の中を見渡した。自分が実験動物にでもなったような気分だった。
今じゃ懐かしい。

 
茫然としている彼の元へ部屋の外からノックの音が響いて聞こえた。そちらを見やると黒いスーツの男と、背の高い軍人風の男が部屋に入って来た。彼らはベッドの脇で立ち止まりしばらく何も言わず、ジュリアンもしばらく何も言わなかった。沈黙の中で心臓の鼓動と身体の震えが空気を乱す音だけが場違いに大きく響いて聞こえ、彼は身体が緊張するのを感じた。黒服の男は目の前の男の呼吸が落ち着くのを待ってから口を開いた。並んで立つ男は二人ともこういった状況に慣れている様子だった。今となっちゃ3人とも死んでる

 
「覚えていることは?」黒服が言った。

 
「僕は軍に居たんじゃなかったかな?」

 
「そうだ、今は違う。」黒服は言った。

 
「じゃあここは何処なんだ?」

 
「簡潔に説明する。」黒服は言った。

 
「君は軍の施設で働いていたが付けてはならないものに火を付けた。それは我々の組織が君たちのような一般人から隠すべきものだったが、米軍は密かにそれを兵器に転用するつもりだったらしい。」

 
「つまり?」ジュリアンは肩をすくめた。

 
「僕は一般人だってのにそのアメコミみたいな陰謀に巻き込まれたのか?」

 
今は違う。」

 
黒服はあくまで簡潔に言い、軍人服へ頷くと、軍人服がジュリアンへ手鏡を差し出した。中を覗くと知らない髪の色と知らない肌の色をした痩せっぽっちの男が一人映っていて、それは白と茶色だった。

「君はいずれかを選ぶことが出来る、一生、生活の心配なく研究対象として暮らすか、一生を研究生活に捧げるかだ。」

「どちらも同じように聞こえるけど。」

「若造」そこで初めて軍人の方が口を開いた。

 
「貴様みたいなナヨっちい小僧が軍にいたとはとても信じがたいな。ケツでも掘られたか?」

 
ジュリアンは素早く軍人の方を睨みつけたが、状況からして敵わないことを悟りため息をついた。

 
「コードネームは追って通知する。多分、君の入社には間に合うだろう。」黒服は淡々としていた。

 
「今までの名前は?」

「セキュリティに関わるので使うことが出来ない。社会的には"死んだ"と思ってくれ。」

 
「そうか」名前のない男は目を伏せしばらくの間シーツを見つめていたが顔を上げて言った。

 
「現時点で一番嬉しいニュースだ。」

 
 

5

ジュリアンが17歳の時、ハイスクールの寮に実家から電話がかかってきて、彼は母親が首を吊って死んだことを知った。
正しくは病死だ。

アリスが8歳の時、彼女に「おやすみ。愛しているよ。」とキスをしてくれた父親は次の朝も、その次の朝も、二度と家に帰って来なかった。
嘘つき野郎

 
 

6

ギアーズと組んでからの毎日は実に順調で言い換えれば退屈な日々だった。事故も収容違反もアイスバーグが助手になってからの数年、ただの一度も無かった。考えてみればおかしなことだった。こんなに簡単に異常を抑えられるなんてそれ自体が異常だったんだ。

 
ギアーズは気付いていただろうか?
墓について君が何も話さないこの世界が、共に吹雪に閉じ込められた記憶を書き留めた日誌が存在しないこの世界が、僕が君を憎みながらでも昇進しようと歯を食いしばって助手を務めていたこの世界が自分が選んだものじゃないと気付いたときの絶望を君も感じたのか?

 
あのクソ野郎が僕に何て言ったか、君に想像が着くかい? 何がなくとも仕事だけは山のようにあったから、実際そんな気には最近あまりなれなかったんだ。言い訳みたいに聞こえるかい。流石の僕にだって直属の(それも嫌いな)上司の娘からのお誘いに乗る勇気は無かったんだ。こんなことは言うべきじゃなかったのかもしれないが、君に仮に子どもが居たとしてそんなアバズレにいや、君を侮辱するつもりはなかった。しかし、後世のために残しておくよ。

 
実を言うと、僕はホンモノの君の娘に会ったかもしれない。しれないというのは確証は持てないんだが、次元の狭間で君に良く似た目を持つ女の子を見たんだ。正直言ってかなりタイプだったね。ただ、その時の僕はマトモな身体を持っていなかったから……奴は彼女が別の狭間に連れて行った。ワールド・ワイド・ウェブさ。分かるだろ?

 

7

雨の中、家と庭木が燃え盛る幻想的な風景を彼は一生忘れないだろう。それは間違いなく彼の原形を作った出来事だった。同時に思い出すのはガソリンと、肉が焦げるような臭いだった。

サイレンの音を聞く前に彼は駆け出した。走って、駅まで行き寝台特急に乗って、どこか遠くへ行こう、行かなければならない、と思った。大学は中退扱いになるだろう、それでも構わなかった。軍に入れば住む場所と食べるものには困らない筈だ。そう信じていた。目を閉じ、耳を塞ぎ、列車の揺れに身体をまかせた。列車は雨の降りしきる暗闇の中へスピードを落とすことなく飲み込まれていき、窓の外は一面の闇で、彼は毛布を頭から被ってしまうと自分も暗い夢の中へ落ちていくのが分かった。上手くいかなかった。何もかも。家族が元に戻り、平和な会話で盛り上がる暖かい食卓も、若者一人の力ではどうしようもなかった。どうしようもなかったのだ。彼はそう自分に言い聞かせた。初めから噛み合っていなかったんだ、と。雨は彼の身体から容赦なく熱を奪い、ベッドを濡らした。知識と情報だけが彼を支えていた。

 

8

アイスバーグは目の前で上司が突然膝を付いたことに、瞬時に反応することが出来なかった。それはあまりに予期せぬ出来事であり、上司の後ろにはアリスが立っていた。血に塗れたナイフを手にしたアリスが。彼女は地面を蹴り、次にアイスバーグの胸へと真っ直ぐにナイフを突き立てた。倒れた彼の上に馬乗りになり、ナイフを引き抜くともう一度。一度目はアイスバーグの肺に穴を開け、二度目は心臓の近くの血管を傷つけた。

混乱の中で薄れ行く意識が最期に捉えたのは、ギアーズのデスクへと歩いていき、コンピュータを操作するアリスの姿だった。彼女が文書にアクセスすると、それは画面上から片っ端から消えていった。


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