Tale下書き「忘れられない顔と価値」

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白い肌の女は私に「死ぬのは怖くはない」と言った。

その手を震わせながら、瞳孔を収斂させながら、彼女は死んでいった。私は彼女のその行動が死に対する恐怖によるものなのか、それとも反射の一つなのかは最期までわかることはなかった。

もう、4年と半年も前のことになる。

タナトーマは人を死から遠ざける治療行為の一環であって死人を生き返らせる禁忌ではありません。生物から抽出させる「それ」は「生」が「死」へと変わる過程です。故に血の廻らぬ死に支配された肉の塊は、どうすることもできません。


「絵曇さんのカウンセリングを担当させていただきます、対話部門の雅灯しんと申します。よろしくお願いいたします。」

「よろしくお願いします。…本日は財団に新規雇用されてから1ヶ月経過した職員に対するものとお聞きしたのですが。」

「はい。雇用前から異常と密接にかかわって生活していた職員も何割かはいますが、やはり正常な社会から就職、スカウトされた方々がほとんどですので。あまりにも大きな環境の変化に本人が自覚していない心の疲れを早期発見する意味合いでこのサイトでは一定間隔、かつ全職員に義務付けられています。」

だがそれはあくまでwebアンケートやその職員を担当している研究主任の主導で行われる簡単な形式のはずだ。対話部門とマンツーマンでのカウンセリングとなると…私の勤務意欲がよろしくないと思われたのだろう。多分。

「…ここに入ってから心境の変化はありません。人々を暗闇から遠ざけるために異常を確保し、収容し、保護する。私はその一心で行動しています。」

「特に生活に不満を持ったことは?」

「ありません。」

「知人や家族に会いたくなったりはしませんか?」

「いいえ。」

できる限り不安を気取られないようにしようと、はっきりした態度で返答するよう努めた。雅灯博士は少し困ったような笑顔を浮かべた。

「ううん…私たちはどこまで行っても人間です。私たちが守ろうとしている存在と大きな違いはありません。常に財団の理念を持つべきではありますが、いきなり心を切り替えるのではなくゆっくりと、しかし確実にその重荷を増やすべきだと私は考えています。そうしないといつか、その重さで心が瓦解してしまいますから。」

そう言うと雅灯博士はカウンセリング室に備え付けられていたコーヒーメーカーに近づいた。

「私はカウンセリングに必ずコーヒーを淹れています。単に人との関わりを軽んじているわけではなく、コーヒーが話題のきっかけになってくれればいいなとか、お相手の心をリラックスさせてくれればとか…色々と考えはありますが1番はこれが心の拠り所の1つだからです。」

心の、拠り所。

無意識的にオウム返しをする。網膜に焼き付いた彼女の死に際が微かにフラッシュバックした。

「これが唯一、財団に入る前から私が持っているものなんです。思い出も結婚指輪も…娘もヴェールの内側に置いてきました。私たちの誰しもの人生にも劇的な環境の変化というものが避けられようもなく存在します。そしてその時に人は心に大きなストレスを感じることが多いです。」

雅灯博士は話を続ける間もこちらを見ている。私の心のどこが痛いと言っているのか判別するために、その顔をこちらに向ける。

「そして環境の変化というのはなにも個人だけに起こる話ではありません。ヴェールの外側もタナトーマの出現によってその有り様は劇的に変化しました。身体が死の危険を恐れなくて済むようになったというと聞こえはいいですがその実、体をより無茶に動かせるようになったとも言い換えられますよね。そんな時に発生した心的外傷というのは自他共に発見しづらいものです。」

「そういう、ものですか。」

「ええ。はいどうぞ。あなたの分です。」

手渡されたカップに映った自分の顔は、茶色に染まっていてよく判別できない。

「雅灯博士、実は私には悩みがあるんです。」

「…はい?」

流石に唐突すぎたのだろう。ようやく患者が問題を打ち明けたというのに対面の博士は不意を突かれたような声を出した。

「私の経歴に「大学時代、部活とは別に有志のサークル活動をしていた」とありますよね。実はそのサークルというのはタナトーマ反対派の組織しているものなんです。」

「タナトーマ反対派、日本だけではなく主要な先進国で社会問題になりかけていますね。タナトーマ抽出はむしろ体に悪影響を及ぼすというデマを信じていたり、タナトーマが抽出された体に慣れてしまい注入を拒む人間が増えることで、将来的に超規模の人口爆発が発生するという陰謀論を支持していたり、動機は様々ですが彼らもまた環境の変化に耐え切れなかった人たちです。」

雅灯博士の説明を受けて、当時自分がいたグループの人間たちの顔を思い出す。耐え切れないというより自分が理解できないものを受け入れられない、受け入れたくないという顔の人間がほとんどだった気がする。

「私がタナトーマ反対派になったのは、そうですね、不公平だなと思ったからです。」

「不公平、それは何に対してですか。」

「6年と半年前、親しい人の死に立ち会いました。異常の関わらない世間一般ではありふれた…かはどうか分かりませんが、そういう死因でした。その時彼女は死ぬのは怖くないと最後の力を振り絞って私に伝えました。私は未だに引きずっています。どうして」

一瞬言葉に引っかかる。言ってしまえば自分の中で何かが壊れてしまいそうだったから。だが、言い続けるしかない。

「どうしてタナトーマは死から彼女を守ってくれなかったのか、と。」

「なるほど、自分の大切な人を守らずに他の人を守っているから不公平、ということですか。」

男の顔は見えない。見えるのはあの時私に微笑んだ、白い肌の女の顔だけだった。長い沈黙。

「そんなんじゃ、そんな理由ではない。」

必死で絞り出した言葉は、反発というよりかは自分自身に言い聞かせているみたいだなと、心のどこかで冷えた目で分析している自分がいた。

「最初に言った私の悩みというのは、生と死といった概念的なものの「価値」を鑑定してくれるオブジェクトが使いたいというものです。」

再び話題が飛ぶ。だが今回、雅灯博士は顔色一つ変えずジッとこちらを見続けることをやめない。

「…話を続けてください、絵曇さん。」

「私が憤ったのは、彼女が自身の死に納得しているかどうか言わないままに死んでいったことに対してです。私は知りたいのです。死は怖くないという心理が死という現象と等価なのかを。そもそも本当に死ぬのは怖くないのかを。彼女もまた、心の傷をひた隠しにして強がっていたんじゃないかを。それが噓だったとして、その価値は死に釣り合うのかを。だって、不公平じゃありませんか。もう死んだ人間にとっての「死」と、まだ死んでいない人間の「死」の価値が、あまりにも違うなんて。最早ヴェールの外の社会はあの時の「正常」ではない。ならば逆に、物理法則がねじ曲がり、簡単に世界が滅びるような物品がいくつもあるこの異常な世界では、ひょっとしたら。」

自分でも驚くほど饒舌に、ところどころ突っかかりながらもまくし立てることを不思議に思う一方で、ああやっぱり、言わないほうがよかったなと自嘲的にもなった。

「あの時の彼女の死にも、生きる意味を失った私の命にも正しい価値がつけられるのではないかと。そう思っています。」

収容オブジェクト使用の嘆願書

使用嘆願者: 絵曇 亮輔(研究員)

推薦者: 雅灯 しん(博士)

使用嘆願オブジェクト: SCP-███-JP(必要セキュリティクリアランス4)

理由: オブジェクトの異常性変更の懸念による実験目的。推薦者主導のもと、嘆願者を同伴として…

・・・

・・・

・・・


検索結果をクリックした瞬間にミーム殺害エージェントが発生する。目から得た情報が死神の形を成して、私の意識が一瞬飛びかける。

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

ミーム殺害エージェント作動

生命徴候の継続を確認

安全装置を解除

ようこそ、担当職員様。ご希望のファイルを選択してください。

チカチカとする目で該当のファイルを読む。しばらくすると体面に座る雅灯博士が説明する。

「きっとそのオブジェクトならば、理論上は、死んだ人間を甦らせることができます。それも完全な形でです。ゾンビになったりとか、記憶が著しく欠落していたりなんてことはありません。」

「…これを、今から使うんですか。」

「ええ。あなたがね。」

「これを私が使えば、彼女は甦るんですよね。」

「理論上は。」

雅灯博士の言葉は、あまりにも軽い。嘆願書もすんなり通った。その言葉が意味するのはきっと、このオブジェクトが起こす挙動は予想の範疇の出来事しか起こらないということであろう。

「あなたは財団に入る前から「死んだ女性を生き返らせる」という一心で生きてきた。それとは別に「異常への憎悪」という点で財団への忠誠も持っていた。その二つが両立していた時点で、あなたの心は対話だけではどうしようもできないほど救えない場所までいたのかもしれません。」

「だから、今から実際に見せて教えようというのですか。異常な世界での生と死の価値を。」

その後何回か確認すべきことを話し合い、雅灯博士はオブジェクトを研究室に持ってきた。私は震える手で、問うべきものの名前を入力した。人を生き返らせるオブジェクト。あの時の彼女を。異常などないそのままの彼女を生き返らせるためならばこの体など。だから頼むよ。神でも悪魔でもいい。どうか…

指先から体がひどく冷えていくのを感じた。それと同時に心のどこかで「分かっていた」と諦観の感情もあった。

これでいいはずなんだ。彼女の死は自分のそれよりもずっと尊いものなんだ。それが証明されて、

証明されたから、なんだ?

「もうやめてください、絵曇さん。」

なんでだよ。

「最初から分かっていたことでした。もうこのオブジェクトに生きている人間をどれほど生贄にしたところで願望は達成されることはありません。」

そんなはずない。じゃあなんで、なんでおれは生きてるんだよ。

「タナトーマによって人々は死という暗闇に灯りとなる火を灯すことができました。しかしそれは同時に、暗闇に行ってしまった死者たちを完全に見限ったことを意味します。我々は彼らの手を取ることは永遠にできません。でも、それでも財団はまだ灯りのない暗闇に火をともすために生きなくてはいけません。この生に価値をつけるために。」

彼女の死が尊いものなら、その生も尊いはずだ。ならなんで俺の生なんかが彼女を、差し置いて。なんでだよ。答えを出すだけ出しやがって。説明してくれよ。なあ。頼むよ。

ノートパソコンの天秤はその笑顔をついぞ見せることはなかった。


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執筆者: EianSakashiba
文字数: 6260
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批評コメント: 4

最終更新: 06 Nov 2021 12:15
最終コメント: 06 Nov 2021 11:32 by EianSakashiba

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