蛇と焚書のカルテット: 第五頁 - 障壁と鉄槌(改)
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日ノ出町駅から徒歩5分。野毛坂の急斜面を300メートルほど登ったその先に、“それ”は黒々とそびえ立っていた。深夜23時の色彩に染まった外観は、“来る者を拒む”と言うよりも、寧ろ“生かして帰すつもりがない”といった具合の不気味な威圧感すら放っているように思える。

何かを隠すにはうってつけの場所。同じく夜の色に溶けこんだ逃亡者は、左手首に装着した簡素なミサンガに自らの血を滴らせ、背嚢と背中の隙間から一本のネイルハンマーを引き抜く。短く深く呼吸を整え、ガラスを埋める空虚な黒を見据えた。

「術式拡張完了。通報システムは俺が無効化する。あとはラムダ、お前次第だ。」
『一時間以内に終わらせるつもりだよ。もっかい聞いとくけど、私の分裂体の活動限界時間は?』
「ジャスト2時間。再同化不能となった分は1リットルにつき6時間かけて再生する。」
『OK。それにしてもやっぱり変な感覚だね、体を分裂させるのって。人型が一番馴染むな。』
「しばらくは背嚢から出れないぞ。」
『大丈夫。行こう、レンジ。』

小さな逃避行の大きな出発地点。横浜市中央図書館の正面玄関ドアをこじ開けたレンジは、背嚢の中に潜む相棒、ラムダが取り出した懐中電灯をノールックでキャッチし、三階の郷土資料コーナーへと向かった。

「──ナギ。」

「ナギ。聞こえてるか?」
「……ん、あぁ、すまん。何かあったか?」
「いや、大丈夫ならそれでいいんだが。さっきからまったく動いてなかったからな。」

野毛坂の頂上付近、現地の中学校の駐車場。すべてのカーテンを閉め切った大型キャンピングカーの中で、6311排撃班“ヤシオリ”の面々は長い作戦待機を続けていた。新班長ナギはゆっくりと立ち上がり、無表情でこちらを心配している新副班長キョウの肩に、「大丈夫だ」と呟きながら手を添える。作戦配置から既に2時間半が経過しようとしていた。

汎用偽装装甲車両“アンモナイト” 市街戦カスタム。見た目こそただのキャンピングカーではあるものの、その外装は一般的なライフル弾の貫通を防ぎ、さらには車両内部からの作戦指揮、オプション次第では本格的な電子戦も可能な代物である。本来は各班の長に選抜された数名のバックアップスタッフが、運転や整備、その他諸々の作業を担当するのが主流だが、ヤシオリは極東支部内でも珍しく、数年前から実働部隊員のみでの運用を継続している。

ナギのすぐ横のテーブル上には、いつの間にか大量の栄養ゼリーとレーションの袋が積み重ねられていた。袋の山の向こう側では血眼のマガタと真顔のルルがペットボトル入りの水を全力で飲み込んでいる。

「……状況を説明してくれ。」

シュール極まりない光景に目を覚まされたせいか、意識は軽いのに、身体は未だに少し重い。

「9822評価班“トライアド”が横浜市中央図書館各所に潜伏中。ターゲットを確認したら俺たちの到着まで見張ってくれるらしい。作戦エリアの半径50メートル地点の4箇所と例の中学校の屋上2箇所に“閃”所属エージェント合計12名がバックアップ待機。内2名は特異排撃資産だ。“ハウンドドッグ”は緊急時のバックアップ要員として──」
「いや、それはブリーフィングで聞いてる。……その……何だ。あいつら二人のことだ。大食い対決でもやってるのか?」

数秒の沈黙。いつの間にかキョトンとした表情でこちらを眺めていたマガタたちは、会話が途切れたと判断するなり、再び新しい栄養ゼリーを開封し始める。

「腹が減っては何とやら、ってことらしい。少なくともルルはそうなんだろうが、マガタは完全にメンタルの安定化のためにやってるな。」
「……競争しているようにしか見えない。」
「そうか?」

何となくではあるが『ルルが煽ってマガタが噛みついた』という経緯が見えなくもない絵面だ。特にマガタはずっとルルのことを意識しているように思える。本当に顔に出やすい奴だなと内心苦笑いしながら、自らも山盛りになっている未開封のゼリーに手を着けた。幸い好きな味のパックはまだ残っている。

「食いすぎで支障を来さないようにな。」
「あたぼうよ。現場でゲロ吐くほど鈍っちゃいないぜ。」
「ボクが言うのも何ですけどちょっと食いすぎなんとちゃいます?」
「こうでもしねえと喪中の人間は動けねえんだよ。」
「……」
「すまん。言葉を間違えた。」
「いやいや、謝ることはないですって。」

こちらが見ていない間に何かあったのか。若干ぎこちないとは言えど、二人の仲はそれなりに深まってるようにも思えた。昼間に何かあったのだろうか。

「──ああ、戦闘用呪符の作成過程を見学させてもらってな。かなり面白かったよ。」
「あと簡単な式神の操作とかも体験してもらったんですわ。ブルーじゃないのが惜しまれるくらい飲み込みが早くて。そのゼリーこっちに回してください。」
「ふふん。」
「……まぁ、あんま役には立ちませんけどね、紙の鳥なんて。所詮は遊びの域ですわ。」
「操作可能範囲が術者から半径3尺圏内のみって時点で戦闘転用もクソも無いからなぁ。」
「欧米の魔法使いなんかはああいう簡単な式神や低級の悪魔、幽体なんかをチャフや防御壁、小型の追尾弾頭として使ってますよ。物理干渉型の妖術戦における戦法の一つなんで、その手の敵と殴り合うときなんかは思い出してくださいな。」
「おぉ、なんかかっけーな。俺が言うのもなんだけどアニメのキャラみてえだ。」
「……言うても使役関係の術を極限まで磨き上げたようなタイプ・ブルーでもなけりゃそんな小洒落たマネ出来へんし、マガタも言ってしまえばただの人間。そんなステージには永遠に上がれんっちゅー話やな。敵が使うにしてもボクらには白服や高火力の火器があるし屁でもないというか、見る機会はあんま無いと思いますよ。」

天井を見上げて「むー」と零すマガタを尻目に、ルルはゼリーの一袋を瞬時に飲み尽くした。少しだけ微笑みながら立ち上がる。

「……はい、ボクの勝ち。カルビ丼奢ってもらいます。」
「……あ゙っ!」
「勝ちは勝ちですんで。さっき早食い勝負に乗ってくれたのもキッチリ憶えてますから。キョウさんも見てましたよね?」
「勝負の件は初耳だが、そういう話なら仕方ないな。ちゃんと奢れよ。班内での信用に関わるぞ。」
「キョウお前! ……ナギ! 班員間でのこういう勝負ってあんまよろしくないと思うんだけどお前はどう思うよ!? こういう勝負を班内で──」

あたふたと救いの手を求めてくるマガタを尻目に自らもゼリーを飲み干し、若干ニヤケながらルルに向けて親指を立てる。敗者は絶望の末その場に倒れ込んだ。小躍りしているルルの横で、キョウは黙々とゴミを回収し始める。車内には一時の平和が訪れていた。

班長だけがここにいない

またこれだ。脳裏を過った現実が、表情筋を静かに定位置へ押し戻す感覚。あの日以来、幾度となく自分を包み込んだ薄暗い絶望感。笑いを浮かべる度に訪れるそれは、多分この先もずっと俺の中に居座り続ける。

今は鏡を見たくない。仲間にも背を向けていたい。

解っている。少なくともルル以外の全員が同じ空白を抱えている。二度と塗り潰せない胸中の空白を、他人の血飛沫で無意味に埋め尽くそうとしていることは変わらない。墓前に差し出された仇の首で浮かばれる死者がいないことも、胸の穴が埋まらないことも解っている。これから切り落とす首の軽さは、その意味の重さは、自分が一番知っている。

それでも俺は刃を振るわなければならない。
この殺戮の連鎖の先に、誰も待っていないことを知りながら。

『──9822-1より作戦参加中の全人員へ。』

無線機越しに響く不明瞭な声。4人の視線は瞬間的にスピーカーへと収束した。声は続く。

『9822-2、-3が、黒のウィンドブレーカーを着た成人男性と思わしき実体を目視で確認。つい先ほど図書館正面玄関を突破し館内に侵入したとの情報が入った。恐らく報告にあった“レンジ”であると思われる。“ラムダ”らしき人物は現状確認されず。館内の通報システムは作動していない。VERITASスキャンでのEVE測定を試みてはいるが、今のところ対象のエーテルの類は一切検知できていない。……6311-1の指示を請う。』

──15時間前

「マズいな。そろそろ金がなくなるぞ。」
「残り……1522円か。口座差し押さえられる前にもっと引き落としとくべきだったね。」

ヨレヨレの皮財布を掌からずるりと取り込み、横浜の狭っ苦しい空を細目で仰ぎながら日陰を歩く。この時間はさして苦痛ではなかったし、唯一心を許せる相棒との散歩だと思えばむしろ楽しいくらいだった。高架線の裏側。掠れた横断歩道。ゆるゆると続く坂道をゆらゆらと下り、少ない口数を歩数で補うように歩みを進める。

残り時間は僅か。神奈川県全域を警察とGOCの私服組が掌握している状況下で、我々は

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