SCP-XXX-JP - 椅子の上の死█
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Item #: SCP-XXX-JP
Object Class: Skótos1
Clearance Level: 2
Restricted

特別収容プロトコル:

説明:

 小生は先般、丸の内倶楽部の庚戌会で、短時間拝眉の栄を得ましたもので、貴兄と御同様に九州帝国大学、耳鼻科出身の後輩であります。昨、昭和八年の六月初旬から、当横浜市の宮崎町に、臼杵耳鼻科のネオンサインを掲げておる者でありますが、突然にかような奇怪な手紙を差し上げる非礼をお許し下さい。
 姫草ユリ子が自殺したのです。
 あの名前の通りに可憐な、清浄無垢な姿をした彼女は、貴下と小生の名を呪咀いながら自殺したのです。あの鳩のような小さな胸に浮かみ現われた根も葉もない妄想によって、貴下と小生の家庭は申すに及ばず、満都の新聞紙、警視庁、神奈川県の司法当局までも、その虚構の天国を構成する材料に織込んで来たつもりで、却って一種の戦慄すべき脅迫観念の地獄絵巻を描き現わして来ました彼女は、遂に彼女自身を、その自分の創作した地獄絵巻のドン底に葬り去らなければならなくなったのです。その地獄絵巻の実在を、自分の死によって裏書きして、小生等を仏教の所謂、永劫の戦慄、恐怖の無間地獄に突き落すべく……。
 その一見、平々凡々な、何んでもない出来事の連続のように見える彼女の虚構の裡面に脈動している摩訶不思議な少女の心理作用の恐しさ。その心理作用に対する彼女の執着さを、小生は貴下に対して逐一説明し、解剖し、分析して行かねばならぬという異常な責任を持っておる者であります。
 しかもその困難を極めた、一種異様な責任は本日の午後に、思いもかけぬ未知の人物から、私の双肩に投げかけられたものであります。……ですからこの一種特別の報告書も、順序としてその不可思議な未知の人物の事から書き始めさして頂きます。

 本日の午後一時頃の事でした。
 重態の脳膜炎患者の手術に疲れ切った私は、外来患者の途絶えた診察室の長椅子に横たわって、硝子窓越に見える横浜港内の汽笛と、窓の下の往来の雑音をゴッチャに聞きながらウトウトしておりますと、突然に玄関のベルが鳴って、一人の黒い男性の影が静かに辷り込んで来ました。
 跳ね起きてみますと、それはさながらに外国の映画に出て来る名探偵じみた風采の男でした。年の頃は四十四、五でしたろうか。顔が長く、眉が濃く太く、高い、品のいい鼻梁の左右に、切れ目の長い眼が落ち窪んで鋭い、黒い光を放っているところは、とりあえず和製のシャアロック・ホルムズと言った感じでした。全体の皮膚の色が私と同様に青黒く、スラリとした骨太い身体に、シックリした折目正しい黒地のモーニング、真新しい黒のベロア帽、同じく黒のエナメル靴、銀頭の蛇木杖という微塵も隙のない態度風采で、診察室の扉を後ろ手に静かに閉めますと、私一人しかいない室内をジロリと一眼見まわしながら立ち佇って、慇懃に帽子を脱って、中禿を巧みに隠した頭を下げました。
 軽率な私は、この人物を新来の患者と思いましたので愛想よく立ち上りました。
「サアどうぞ」とジャコビアン張の小椅子を進めました。
「私が臼杵です」
 しかし相手の紳士は依然として黒い、冷たい影法師のように突立っておりました。ちょっと眼を伏せて……わかっている……と言ったような表情をした切り一言も口を利きませんでした。そのうちに青白い毛ムクジャラの手を胴衣の内ポケットに入れて、一枚のカード型の紙片を探り出しますと、私の顔を意味ありげにチラリと見ながら、傍の小卓子の上に置いて私の方へ押し遣りました。
 そこで私は滑稽にも……サテは唖の患者が来たな……と思いながらその紙片を取り上げてみますと、意外にも下手な小学生じみた鉛筆文字でハッキリと「姫草ユリ子の行方を御存じですか」と書いて在るのです。
 私は唖然となってその男の顔を見上げました。背丈が五尺七、八寸もありましたろうか。
「……ハハア。知りませんがね。だまって出て行きましたから……」
 と即答をしましたが、その刹那に……サテハこの男が姫草ユリ子の黒幕だな。何かしら俺を脅迫しに来やがったんだな……と直感しましたので直ぐに……糞でも啖らえ……という覚悟を腹の中で決めてしまいました。しかし表面にはソンナ気振も見せないようにして、平凡な開業医らしいトボケ方をしておりました。……姫草ユリ子の行方を知っていないでよかった。知っていると言ったら直ぐに付け込まれて脅迫されるところであったろう……と腹の中で思いながら……。
 相手の紳士はそうした私の顔を、その黒い、つめたい執念深い瞳付で十数秒間、凝視しておりましたが、やがてまた胴衣の内側から一つの白い封筒を探り出して、恭しく私の前に置きました。……御覧下さい……と言う風に薄笑いを含みながら……。
 白い封筒の中味はありふれた便箋でしたが、文字は擬いもない姫草ユリ子のペン字で、処々汚なくにじんだり、奇妙に震えたりしているのが何となく無気味でした。

「白鷹先生
 臼杵先生
 妾は自殺いたします。お二人に御迷惑のかからないように、築地の婦人科病院、曼陀羅先生の病室で自殺いたします。子宮病で入院中にジフテリ性の心臓麻痺で死んだようにして処理して頂くよう曼陀羅先生にお願いして置きます。
 白鷹先生 臼杵先生
 お二人様の妾に賜わりました御愛情と、その御愛情を受け入れました妾を、お憎しみにもならず、親身の妹同様に可愛がって頂きました、お二人の奥様方の御恩を、妾は死んでも忘れませぬでしょう。ですから、その奥様方の気高い、ありがたい御恩の万分の一でも報いたい気持から妾は、こんなにコッソリと自殺するのです。わたくしの小さい霊魂はこれから、お二人の御家庭の平和を永久に守るでしょう。
 妾が息を引き取りましたならば、眼を閉じて、口を塞ぎましたならば、今まで妾が見たり聞いたり致しました事実は皆、あとかたもないウソとなりまして、お二人の先生方は安心して貞淑な、お美しい奥様方と平和な御家庭を守ってお出でになれるだろうと思いますから。
 罪深い罪深いユリ子。
 姫草ユリ子はこの世に望みをなくしました。
 お二人の先生方のようなお立派な地位や名望のある方々にまでも妾の誠実が信じて頂けないこの世に何の望みが御座いましょう。社会的に地位と名誉のある方の御言葉は、たといウソでもホントになり、何も知らない純な少女の言葉は、たとい事実でもウソとなって行く世の中に、何の生甲斐がありましょう。
 さようなら。
 白鷹先生 臼杵先生
 可哀そうなユリ子は死んで行きます。
 どうぞ御安心下さいませ。
  昭和八年十二月三日
姫草ユリ子 」

 この手紙はすでに田宮特高課長に渡しました実物の写しで、貴下にお眼にかけたいためにコピーを取って置いたものですが、これを初めて読みました時も私は、何の感じも受けずにいる事が出来ました。依然として呆れ返ったトボケた顔で、相手の鋭い視線を平気で見返しながら問いかけました。
「ヘエ。貴方がこの手紙の曼陀羅先生で……」
「そうです」
 相手は初めて口を開きました。シャガレた、底強い声でした。
「モウ死骸は片付けられましたか」
「火葬にして遺骨を保管しておりますが……死後三日目ですから」
「姫草が頼んだ通りの手続きにしてですか」
「さようです」
「何で自殺したんですか」
「モルフィンの皮下注射で死んでおりました。何処で手に入れたものか知りませんが……」
 ここで相手は探るように私の顔を見ましたが、私は依然として無表情な強直を続けておりました。
 曼陀羅院長の眼の光が柔らぎました。こころもち歪んだ唇が軽く動き出しました。
「先月……十一月の二十一日の事です。姫草さんはかなり重い子宮内膜炎で私のところへ入院しましたが、そのうちに外で感染して来たらしいジフテリをやりましてね。それがヤット治癒りかけたと思いますと……」
「耳鼻科医に診せられたのですか」
「いや。ジフテリ程度の注射なら耳鼻科医でなくとも院内で遣っております」
「成る程……」
「それがヤット治癒りかけたと思いますと、今月の三日の晩、十二時の最後の検温後に、自分でモヒを注射したらしいのです。四日の……さよう……一昨々日の朝はシーツの中で冷たくなっているのを看護婦が発見したのですが……」
「付添人も何もいなかったのですか」
「本人が要らないと申しましたので……」
「いかにも……」
「キチンと綺麗にお化粧をして、頬紅や口紅をさしておりましたので、強直屍体とは思われないくらいでしたが……生きている時のように微笑を含んでおりましてね。実に無残な気持がしましたよ。この遺書は枕の下にあったのですが……」
「検屍はお受けになりましたか」
「いいえ」
「どうしてですか。医師法違反になりはしませんか」
 相手は静かに私の瞳を凝視した。いかにも悪党らしい冷やかな笑い方をした。
「検屍を受けたらこのお手紙の内容が表沙汰になる虞がありますからね。同業者の好誼というものがありますからね」
「成る程。ありがとう。してみると貴下はユリ子の言葉を信じておられるのですね」
「あれ程の容色を持った女が無意味に死ぬものとは思われません。余程の事がなくては……」
「つまりその白鷹という人物と、僕とが、二人がかりで姫草ユリ子を玩具にして、アトを無情に突き離して自殺させたと信じておられるのですね……貴下は……」
「……ええ……さような事実の有無を、お尋ねに来たんですがね。事を荒立てたくないと思いましたので……」
「貴方は姫草ユリ子の御親戚ですか」
「いいえ。何でもないのですが、しかし……」
「アハハ。そんなら貴下も僕等と同様、被害者の一人です。姫草に欺瞞されて、医師法違反を敢えてされたのです」
 相手の顔が突然、悪魔のように険悪になりました。
「怪しからん……その証拠は……」
「……証拠ですか。ほかの被害者の一人を呼べば、すぐに判明る事です」
「呼んで下さい。怪しからん……罪も報いもない死人の遺志を冒涜するものです」
「呼んでもいいですね」
「……是非……すぐに願います」
 私は卓上電話器を取り上げて神奈川県庁を呼出し、特高課長室に繋いで貰った。
「ああ。田宮特高課長ですか。臼杵です。臼杵医院の臼杵です。先般は姫草の件につきましていろいろどうも……ところで早速ですが……お忙しいところまことにすみませんが、直ぐに病院へお出で願えますまいか。姫草ユリ子の行方がわかったのです。……イヤ死んでいるのです。ある処で……実はその姫草ユリ子の被害者がまた一人出て来たのです。イヤイヤ。今度のは本物です。だいぶ被害が深刻なのです。築地の曼陀羅病院長と仰言る方ですが……そうです、そうです……聞いた事のない病院ですが……例の彼女一流の芝居に引っかかって医師法違反までさせられたという事実を説明しに、わざわざ僕の処に来ておられるのですが。姫草ユリ子の自殺屍体の遺骨を保管しておられると言うのですが……そうです、そうです。とんでもない話ですが事実です。今ここに待っておられるのです。是非貴方にお眼にかかりたいと言って……ああ。もしもし……もしもし……モウ曼陀羅院長は帰りかけておられます。帽子とステッキを持って慌てて出て行かれます。アハアハ。モウ出て行きました。今、勇敢な看護婦が駈け出して見送っております。ちょっと待って下さい。僕が方向を見届けて報告しますから……あ。服装ですか。服装は一口に言うと黒ずくめのリュウとしたモーニングです。身長は五尺七、八寸。色の青黒い、外国人じみた立派な痩形の紳士……あ。脅迫用の手紙を忘れて行きました。アハアハ。この電話に驚いたらしいです。アハアハアハ。……あ。そうですか。それじゃお帰りがけにお寄り下さい。まだ話がありますから。イヤどうも失礼……すみませんでした。サヨナラ」
 曼陀羅院長は田宮課長の敏速な手配にもかかわらずトウトウ捕まらなかったらしく、今日の日が暮れるまで何の音沙汰もありませんでした。したがって彼氏が、彼女とどんな関係を持ったドンナ種類の人間であったか。どうして彼女の遺書を手に入れたか。いつから彼女の蔭身に付添って、どの程度の黒い活躍をしていたか……と言ったような事実はまだ推測出来ません。
 しかし神奈川県庁から帰りがけに病院に立ち寄って、私の提供した姫草ユリ子に関する新事実を聴き取った田宮特高課長は、容易ならぬ事件という見込を付けたらしく即刻、東京に移牒する意嚮らしかったのですから、彼女の死に関する真相も遠からずハッキリして来る事と思いますが、それよりも先に小生は、一刻も早く彼女に関する事実の一切を貴下に御報告申し上げて、後日の御参考に供して置かねばならぬ責任を感じましたから、かように徹宵の覚悟で、この筆を執っている次第です。今までは余りに恥かしい事ばかりなので御報告を躊躇しておったのですが……否……今日まで貴下と何等の御打合わせも出来なかったのが矢張り、かの不可思議な少女、姫草ユリ子の怪手腕に魅せられて脳髄を麻痺させられていたせいかも知れませぬが……。

 何よりも先に明らかに致して置きたいのは彼女……姫草ユリ子と自称する可憐の一少女が、昨春三月頃の東都の新聞という新聞にデカデカと書き立てられました特号標題の「謎の女」に相違ない事です。この事実は本日面会しました前記の司法当局者に、私から説明しましたので、同氏が「容易ならぬ事件」と認めて、即刻、警視庁に移牒したという理由もそこに在る事と察しられるのですが、その新聞記事によりますと(御記憶かも知れませんが)彼女は、その情夫? との密会所を警察に発見されたくないという考えから、その密会所付近の警察に自動電話をかけたものだそうです。
「妾は只今××の××という家に誘拐、監禁されている無垢の少女です。只今、魔の手が妾の方へ伸びかかっておりますが、僅かの隙間を見て電話をかけてるのです。助けて下さい、助けて下さい」
 と言う意味の、真に迫った、息絶え絶えの声を送って、当局の自動車をとんでもない遠方の方角違いへ逐い遣ってしまったのです。彼女はかようにして、それから度々警察を騒がせましたので結局、同じ女だと言う事がわかって、極度に当局を憤慨させ、新聞記者を喜ばせた……というのが事実の真相です。
 その無鉄砲とも無茶苦茶とも形容の出来ない一種の虚構の天才である彼女が、貴下の御懸念になっている彼女であり、ツイこの間まで白い服を着て小生の病院内を飛び廻っておりました彼女だったことを、現在、彼女の身元引受人であった者がハッキリと主張しているのです。そうしてその主張している理由は彼女の心理状態から押して真実と認められるので、現に警察当局でもそうした主張の真実性を厘毫も疑っていない次第です。
 それにしても渺たる一少女に過ぎない彼女が、あらゆる通信、交通機関の横溢している今の世の中に、しかも眼と鼻の間とも言うべき東京と横浜に在る貴下と私の一家を、かくも長い間、お互いに怪しみ、探り合わせながら、どうしてもめぐり合う事が出来ないと言う不可思議な、気味の悪い運命に陥れて行くと同時に、彼女自身の運命までも葬らなければならぬほどの深刻な窮地に陥れて行くべく余儀なくされた、そのソモソモの動機は何処に在るのでしょうか。
 以下は私の日記の抜書を一つの報告文体に作り上げたものです。ですから中には彼女に関する貴下の御記憶と重複しているところもありましょう。または貴下の御人格を冒涜するような章句もありましょう。なおまた、敬語を抜きにした記録体に致しましたために、無作法に亙るような個所が出来るかも知れませんが、何卒、悪しからず御諒読を願います。何れもその時の私の心境を率直、如実に告白致したいために、日記の記録する通りに文章を取纏めたものですから……。

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  1. portal:6059604 ( 04 Feb 2020 13:50 )
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