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午後三時、サイト-81██の食堂、朝昼夕は何人もの職員でにぎわうこの場所も、大半の職員が昼休憩を取り、再び業務に戻った今は静まり返っている。そんな中、一人でスイーツを頬張って幸せそうな顔をしている職員がいた。長い白髪を静かに揺らし、ゆっくりとスプーンを口に運び、純白のクリームを口に含んでいる女性、雨霧霧香である。
彼女のたった一つの楽しみであり、仕事で受けたストレスを忘れられる時間、パフェを食べている時だけは、誰にも邪魔されず、静かで、満たされた時間を過ごすことが出来る。そんな雨霧唯一の楽しみは、空間を引き裂き飛んできた耳障りな声で破られた。
「雨霧さーん!こんにちは!」
(うわ……雨霧さん不機嫌そうだな……)
「……」
雨霧霧香は他人との交流を好まない。特に、人の心に土足で踏み込み、それを理解したかのように語る者達には憎しみすら抱いていた。桜田博士と、その頭の上に乗っている青く小さな、しぃカウンセラー。雨霧は不機嫌さを隠そうともせずに、自身のただでさえ優しいとは言えない顔を歪ませ、桜田とその頭の上に乗っているしぃカウンセラーを睨みつけた。
「……何の用ですか?」
「うーん、特に用事があったわけじゃないんですけど、とぉっても美味しそうにパフェを食べているので、ついお声がけしちゃいました!」
桜田の甘ったるい声と、相手に不快感を与えているとは微塵も思っていないであろう笑顔がますます雨霧の苛立ちを加速させた。強烈な敵意を感じ取りでもしたのか、しぃカウンセラーは必死に桜田の髪の毛を引っ張っている。
「え?なんですか?ふんふん、なるほど、わかりました。あっ、でも、私もパフェ食べたいです!……ダメっ!?そんなあ」
しぃカウンセラーは声を出さず、テレパシーによる会話を行う。そのため、今の桜田博士は傍から見れば独り言を捲し立てているおかしな女だが、しぃカウンセラーと何かしらの会話を行っていた。そんな彼女の子供じみた所作の一つ一つが、雨霧の心を逆撫でしていることに、桜田千代は気づかない。
「一杯だけですから!お願いします!……むむむ、そんなに意地悪なことを言うなら、目的地まで歩いてもらいますよ!……そうですかあ、ありがとうございます!私はパフェを取りに行ってくるので、カウンセラーさんはここで雨霧さんとお喋りでもしててくださいね!」
しぃカウンセラーをテーブルに置いた桜田は、食堂のカウンターまで歩いて行った。雨霧はテーブルに置かれ、居心地悪そうにしているしぃカウンセラーを睨む。一人と一匹の間にはどんよりとした重たい空気が漂っていた。纏わりつく気まずさを振り払おうとするように、しぃカウンセラーは雨霧に語り掛けてくる。頭に直接響く声は、幼い少年のようだった。
(雨霧さん、貴女は何がそんなに気にいらないんですか?確かに貴女が人との会話をあまり好まないというのは知っています。それにしても、ちょっと当たりが強すぎません?特に、私を見たときの顔は怖すぎ……)
「……」
雨霧はこの小さな生物を恐れていた、正確には、カウンセラーやセラピストを恐れていた。彼らは患者の悩みに付き添い、解決してこようとする。理解しようとする。人の心なんて、他人の理解が及ぶものではないというのに。どれだけ礼を尽くして上がり込もうとしても、人は誰しも他人に踏み込まれたくない領域があるというのに。
(だんまりですか……まあいいです。私の経験からなのですが、貴女のように気を強く張り、他者との交流を避ける方にはある共通点があります。「他人を頼る術を知らない」ということです。これは幼少期にネグレクトや虐待を受けたりしていた人の中でも、周囲が適切なケアを行えなかった場合によく見られます。自分の力でそれらを乗り越るしかなく、周りの大人たちが誰も助けてくれなかったという経験が、他者への信頼感を持つことが出来ない元凶で……)
「……」
雨霧はもはやしぃカウンセラーを見ていない。彼女の精神は過去に飛んでいた。忌まわしく、忘れがたい、強烈な思い出。封じていたはずのもの、思い出したくないもの、己の人生から永遠に消し去ってしまいたい、腐臭漂う記憶。
工業地区の団地には、いつもどんよりとしたブラインドが掛かっていた。それは目を、喉を、皮膚を焼き、人を狂わせる呪いの雲だった。警報が鳴り響き、人々に家に帰るように告げる。そんななか、物陰に隠れ、うずくまっている少女がいた。
足早に家路を急ぐ者たちは、そんな少女が視界に入っても、見向きもしないか、一度振り返るだけであり、誰も関わろうとはしなかった。ここでは誰もが自分のことで精一杯であり、他人の面倒を見る余裕などなかった。
「あなた、どーしたの?お外にいるとあぶないよ?かえろう?」
そんな時、少女──雨霧霧香に話しかける者がいた。雨霧は顔を上げ、声の主を視界に入れた。ぼやけた視界が次第にはっきりしてくると、自分よりほんの少し年下の少女が瞳に映った。
「帰れないの……」
「どーして?」
「それは……」
雨霧は躊躇った、彼女が光化学スモッグ警報が出たにも関わらず外にいるのは、家に帰るよりもマシだという考えからだった。しかし、彼女はその理由を誰かに伝えることはできない。何故ならば……。
「おい」
建物の角からでっぷりと太った中年の男が現れ、雨霧と少女を睨む。男の顔は醜く、おとぎ話に出てくる
鬼のようであった。それを見た少女は怯えるように足を震わせ、男が一歩前に踏み出すたびに後ずさる。
「こんなところに居たのか、帰るぞ」
うずくまる雨霧の腕を掴み、無理やり立たせると、男は自分の娘にだけ聞こえるように、そっと囁いた。
「お前、あのガキに話したりしてねえだろうな」
「……あの子は何も知らない」
それを聞いた男は雨霧の腕を引きながらその場を後にした。雨霧に話しかけていた少女にこう告げて。
「今度うちの霧香に声かけたら……ぶち殺すぞクソガキ」
少女は脱兎の如く駆け出した。
引きずられるようにして辿り着いた「912号室」それが彼女と父親の住処だ。雨霧を先に中へ押し込むようにして入れ、男は後から扉を閉めた。施錠音は、霧香が再び囚人になることを示す音でもあった。
「お前、酒も買わずに何あんなとこで油売ってんだ、え?」
男は部屋に転がる空き缶や瓶の類を蹴飛ばし、擦り切れたフローリングに腰を下ろした。フローリングには、黒いしみが幾つもついている。雨霧は冷たい床に正座をさせられたまま問いただされる。
「……お金がないの、お金無しじゃお酒も、何も買えない」
雨霧の頬を何かが掠め飛んで行った。壁に当たり、乾いた音を立てて床を転がるのは、ビールの空き缶だ。男の顔は歪み、醜さを際立たせる。
「クソが……金がないだと?知ったことか!お前は言われたとおりにすりゃいいんだ!」
男は立ち上がると、霧香を押し倒し、馬乗りになる。男は拳を握り込み、霧香に思い切り振り下ろした。霧香は腕で拳を受け止め、何度も鈍い音が響く。父親が娘を執拗に殴る音は、静かな部屋で発せられる唯一の音だった。
30分も経った頃、男はようやく殴ることに飽きたのか、霧香の上から降りる。彼女の腕には青痣が幾つも出来ていた。痛みを堪えるように震える彼女に、男は告げる。
「脱げ」
「……」
男が初めて霧香を辱めた時から、彼女の中で父親は死んだ。それから彼女はただの他人と一緒に暮らしていた。
染み付いた男の匂いを消すために、何度も体を擦り、何時しか彼女は潔癖を追求するようになる。
彼女は辱められている時、常に母のことを考えていた。彼女を産み、優しさをもって育てた母。顔も心もすっかり変わってしまった男も、母が生きていた時は不器用ながらも優しかった気がした。母が死んでから全ては変わった。男は酒に溺れ、職を失い、娘に暴力を振るうところまで落ちた。時には霧香のせいで母親が死んだとわめき散らした。
工業地帯で集団自殺を引き起こしたSCP-███-JPは確保され、唯一の生存者であり、強い精神抵抗を示したことから財団の興味を引いた雨霧霧香は職員として雇用されることになった。
霧香の住んでいた部屋には男の他殺・・死体が一体。それらは速やかに財団の"掃除屋"によって片付けられ、霧香とその父親は書類上自殺したということになった。
絹を裂くような悲鳴で現実に引き戻された雨霧が最初に目にしたのは、青い吐しゃ物のような不定形の何かだった。ほのかに香るミントの匂いが、辛うじてそれがしぃカウンセラーの成れの果てであることを知らせる。
雨霧は即座に周囲を警戒した、要注意団体の襲撃か、収容違反したオブジェクトによる殺害を疑ったからだ。しかし、周囲に壊されたものも無く、意識が飛んでいた自分と無防備に震える桜田が無傷であること、スプーンに付着している青い肉片、雨霧の腕、首、顔を汚す青い汁。ようやく何が起きたのか……自分が何をしてしまったのか悟った。
「……汚いなあ」
同僚をミンチにした雨霧霧香が最初に抱いた感情は、同僚だった肉片に対する、どうしようもないほどの嫌悪感だった。穢れを嫌う彼女は、過去の腐臭とミントの香りを振り払うように、何処かへと消えた。
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任意A任意B任意C- portal:5875210 (22 Nov 2019 06:43)
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