花籠学園の初代生徒会長は文字通り学園の全てを掌握していた。その力を受け継ぐに足る人格と能力を持つ者は遂に現れず、彼が持っていた学園の機能と権限は生徒会と委員会、生徒会の承認を受けた部活動に分割された。
初代生徒会長の時代から10年以上の時が経った現在、部活間抗争の頻発によって学内の治安は悪化し、事後処理に伴う追加業務は生徒会のキャパシティを常に圧迫していた。それに加え、生徒会へ公然と反発する学生支援協会の活動も見逃せない。
このような状況下において、生徒会と委員会は問題解決の為にとある秘策を打つ。それは後に、学園全体を揺るがす大事件の火種となる可能性を秘めていた。
花籠学園本館 第二会議室前 廊下 [フルネーム(名)]
[フルネーム(名)]は浴槽の中で目を覚まし、腰まで液体に浸かった状態で水面を見つめる。
彼女が顔を上げると、目の前の扉が開いて待ち人──大炊御門 ハカリが現れた。重厚な扉が閉じ、部屋と廊下が隔絶されるのを見届けてから口を開く。
「どうだった?部長」
ハカリは首を横に振る。
「仕方ないよ。あんな不意討ちされたらどうしようもないって」
ハカリは浴槽に備え付けられたハンドルを握って無言で押し始める。足音と車輪の転がる音が静かな廊下に反響した。
「今回の監査、普通じゃない」
口を開いたハカリの声音に感情の色は滲んでいない。
「冷静だね。私たちの部活が解体されるのに」
「怒りは会議室で吐き出してきた」
数日ほど前、彼女たちが所属する部活動「創作料理研究部」に対し、生徒会から突如として食品安全性監査が通告され、彼女たちの部活はそこで不適格の烙印を押されてしまった。そのような部活を待ち受ける運命は想像に難くない。つまるところ、廃部処分である。先ほどまで行われていた生徒会への抗議は、処分を撤回させるに至らなかった。
「学食部の差し金だと思う」
「あいつら自分で監査に来るなんて露骨すぎだったね」
花籠学園の食堂には2桁を超える数の料理系部活動が所属している。彼らの料理にコレといった特徴はないものの、極端に質の低い料理が提供されることは無い。雑多な集まりの学食が品質を維持できているのには『学食部1』の存在が大きかった。彼らと創作料理研究部の仲はお世辞にも友好的とは言えない。創料研は表向き「普通に美味しい料理しか作らない学食の料理系部活動に代わり、新しい食を研究・開発する」ことになっているが、実態としては「学食の料理系部活動の審査に落ちても、何とかして料理に関わる部活に入りたい」という生徒たちの受け皿になっているからだ。
「あいつらが見下すのを辞めれば済む話なのに」
「相手は相手で、私たちが学食に所属すれば済む話だと思っているかもしれない」
[名前]は天を仰ぎ、呟くように言葉を零した。
「創料研が癪に障るからって解体すること無いよね」
「多分それだけじゃない」
[名前]が質問を発するより早くハカリは言葉を続ける。
「生徒会を構成する委員会は一枚岩じゃない。学食部が監査を提案しても対立派閥が反対票を入れるはず。個人的な都合だから組織票での対抗は難しい。つまり、それが通るだけの何かがあった」
「誰かが学食部の提案を後押ししたとか?」
ハカリは頷き、声のトーンを1つ落とした。
「ある筋から手に入れた情報によると、生徒会は近いうちに学園の風紀を引き締めようとしてる」
「なにそれ。私たちは見せしめってこと?」
「何でもいい。大切なのは、正攻法では廃部を回避できないということ。監査と同じように」
「それはそうだね」
[フルネーム(名)]は胸を撫でおろす。彼女は、監査結果発表から心に巣食っていた不快な違和感をようやく解消できた。
(創料研はの衛生管理は学食部にも負けてない。私の浴槽だって内容物を自動で清潔に保つ特別製だ。それなのに監査結果は「不適格」だなんておかしいと思ってたけど、やっぱり裏があったんだ)
「納得できない」
嘆きの主は[名前]ではなくハカリだ。常と変わらない口調に込められた憎悪の炎に照らされ、[名前]は自分の思考が急速に冷えていくのを感じる━━「怒りは会議室で吐き出してきた」とは言うものの、それだけでは足りなかったらしい。そのおかげで、彼女は現実的な問題に目を向けられた。
「私だって悔しいけどさぁ。生徒会の決定じゃどうしようもなくない?」
「……」
学生自治が原則の花籠学園において、彼の組織の決定を覆すことは困難だ。最悪の場合、抗議した全部員に停学処分が下る可能性すらあった。
「無理しなくても良いじゃん。廃部になったらさ、名前変えてやりなおそうよ」
「大丈夫。どうにかするアテはある」
ハカリが愉しそうな顔をしているのに気付き、[名前]はそれ以上の反論をしなかった。こうなったら止まらないということを彼女はよく知っている。ならばいつも通り、助言を与えて穏便な方向へ誘導するのが私の役目だろう。自分がそんなことを考えている裏で、ハカリが思考と感情の板挟みとなっていることに[名前]は気付かない。
創作料理研究部 調理室 [フルネーム(名)]
椅子に座らず、浴槽から上半身だけ出して机に頬杖をつく女、それが今の[フルネーム(名)]だ。コンソメスープの様に温かな夕日が照らす部屋の中、彼女の他には誰もいない。今日の活動を終えて部員を見送った後、独り物思いに耽っていた。
「はぁ……」
このような時でも、[名前]の心に浮かぶのは楽しい思い出ばかりだった。
創作料理研究部に来た当初、彼女は調理という行為自体を理解していなかった。食事なんて単なるエネルギー補給に過ぎないのだから、味や食感を気にする必要はない。そんな爆弾発言を投下した変人すら受け入れて、自分に料理と食事の楽しさを教えてくれた部員たちを、彼女は深く尊敬している。
「はぁぁ……」
自分の得意料理を見つけた時、[名前]は飛び上がりそうなほど興奮した。創作料理研究部は部員ごとに「これなら右に出る者はいない」という料理のジャンルを持っている。彼女が得意なのは液体料理、と言っても普通のスープやシチューではない。見た目こそドロドロの酷いものだが、普段は固形でしか食べられない料理の味を損なうことなく液体として味わえるのがウリだ。食べる前の部員たちからの評価は、予想通り散々なものだった。しかし一口食べた彼らは「美味い」と零し、二口食べれば言葉をなくし、三口からは止まらなくなった。[名前]は口の中で転がす食べ方を推奨していた。転がすことで香りや味わいをより楽しむ事ができ、深みが増すのだ。
「あぁぁぁ……」
学園料理コンテストで創作料理研究部が優勝した時、[名前]は今でもあの日の光景を鮮明に思い出すことが出来る。当時は代表戦形式で、学食部代表の『渡蟹の真蒸椀』と創料研代表──[名前]の『boire du steak飲むステーキ』が決勝で激突した。
(結果が出るまで、心臓がうるさくて1秒も落ち着けなかったなあ)
審査員は政治的闘争と縁の遠いメンバーで固まっており、それは[名前]にとって幸運だった━━学食部が優勝すれば利益を享受できたはずの人間は少なくない。今にも泣きだしそうな空の下で結果発表がされた瞬間、学園上空を覆っていた暗雲は吹き飛び、青空が彼女を祝福した。
(次の日の祝賀会は本当に楽しかったな。空き部屋を貸し切って夜まで飲めや遊べの大騒ぎ。お酒を飲んだわけでもないのに雰囲気で酔いつぶれちゃう子もいたっけ)
「本当に、楽しい思い出ばっかで困っちゃうなぁ」
(思い出を傷痕にしたくない。過ぎ去りし日々を想って泣くのも嫌だ)
[名前]は両手を握りしめて決意を固めた。立派な意思と裏腹に、彼女は自分がすべきことを知り得ていない。
調理室を出て戸締りを終えた[名前]に声を掛ける者がいた。
「はじめまして。生徒会の連絡係を務める者です」
一切改造の無い制服を着た中肉中背の男子生徒が、朗らかな笑顔で挨拶を述べる。[名前]は水槽ごとその場でターンし、来訪者に正面を向けた。吊り上がった瞳と真一文字に結ばれた唇が、彼女にとって望まぬ来訪であると端的に示している。
「安心してください。あなたが想像しているような目的ではありませんよ」
[名前]は警戒を解かずに続きを促す──丸っきり信用していないのは明らかだった。不愛想な態度を取られても男子生徒は笑みを崩さない。
「生徒会の提案を伝えに来ました。そちらにとっても損の無いお話です」
「白々しい。利用するだけ利用して、終わったら切り捨てる腹積もりのくせに」
自らを連絡係と称する男子生徒は、心底残念そうな顔でため息を吐いた。
「我々にそういったイメージをお持ちの方は珍しくありません。それもこれも、あの組織のネガティブキャンペーンが原因です。ああそうだ。これはそちらの部長に関わる話でもあります」
[名前]の心臓が飛び出さんばかりに跳ね上がる。確かに、ここ最近の部活動にハカリは顔を見せていなかった。
「どういうことか教えて……ちょうだい」
生徒会の使者に聞かざるを得ないのは[名前]にとって屈辱だ。しかし、牽制を続けるような心の余裕は残されていなかった。彼女の態度に満足したのか、男子生徒は先程よりも自然な笑顔で話を切り出す。
「学生支援協会は御存知ですね?」
学生支援協会は、花籠学園で生徒会に公然と対立する唯一の組織だ。活動許可を得ていない非公認サークルであり、不良生徒の集まりと言うイメージを持つ生徒も少なくない。しかし、[名前]が彼らに抱く印象は違った。
(私たちが本当に困っていた時、相談に乗ってくれたのは学生支援協会だけだった。それに協会の人たちは私の料理を美味しいって喜んでくれた)
創作料理研究部がコンテストで優勝して以来、エスカレートした学食部の嫌がらせにより部員同士の小競り合いは常態化し、両者の激突は時間の問題と思われた。部活間闘争が発生した場合、規模で劣る創料研が敗北する事は想像に難くない。創料研は生徒会と風紀委員会に相談を申し込んだものの多忙を理由にろくに相手されず、手詰まりの状況に陥った。そんな時、学生支援協会だけは真剣に創料研の話を聞き、学食部を告発しようと提案した。創料研が監査通告を受けたのは、協会と共同で告発の準備をしていた矢先だった。
(告発計画の要旨は協会幹部の人とハカリで話してたからどんなものか知らないけど、協会員の人は証拠資料のファイリングを夜遅くまで手伝ってくれたし、話しても普通に良い感じの生徒だった。そんな人たちと今の話がどう関係するっていうんだろう)
「詳細はお伝えできませんが、近ごろ彼らは以前にも増して不穏な動きを見せています。その調査過程で発覚したのが、これです」
男子生徒は制服の内ポケットから写真を取り出した。画像データではない写真を見るのは[名前]にとって久しぶりの出来事だが、写真に映る人物を見た瞬間そんな事はどうでもよくなった。
「ハカリ!?と、これは誰」
「学生支援協会の幹部です。協会内のタカ派筆頭で、武力による生徒会の転覆を主張しています」
(協会がそんな危険組織の筈ない。でも、もし事実ならハカリは……)
「彼らは表向き学生の支援を謳っていますが、真の目標は生徒会に成り代わる事です。その手法をどうするかで派閥が異なるものの最終目標は変わりません」
[名前]は鈍器で頭を殴られるような錯覚に襲われ、浴槽の中でよろめいた。
「お前の言葉を裏付ける証拠はどこにある?」
「機密ゆえ、お見せすることはできません」
「そんな言い分が通用すると、本気で思ってるわけじゃないでしょう」
「仰る通り。尤も、どちらが正しいのかは自ずと明らかになるでしょう」
何の証拠も提示できていないにも関わらず余裕を崩さない生徒会の男の態度が、[名前]には不気味で仕方なかった。
「いい加減そっちの提案とやらを教えてくれる?」
耐えきれなくなった[名前]は話題を変え、生徒会の使者は嘲るような声音を隠すことも無く答えた。
「そんなこと!私がやる、とでも……」
返答を聞いた[名前]は目を剥き、否定の言葉を吐き捨てようとしたが、その勢いは徐々に衰えてしまい、遂に言い切ることは出来なかった。
花籠学園 中央広場
花籠学園の広場には大きめのベンチや幅広の階段といった簡易的な休憩ポイントが点在している。日当たりが丁度良いことも相まって平時は学生たちの憩いの場だ。そんな広場の真ん中に、今は景観をぶち壊す場違いな演説台が設置されていた。台上には、見上げるような大きさまで拡大された学生支援協会員の上半身が投影されている。
「生徒会役員の怠慢を覆い隠し、我々の自由を奪う過剰な規制に反対する!」「「「反対する!」」」
「身内で馴れ合うだけの不健全な生徒会は即刻解散せよ!」「「「解散せよ!」」」
「真に花籠を憂う学生支援協会は、学園の主権たる生徒と共に生徒会へ鉄槌を下す!」「「「鉄槌を下す!」」」
巨大ホログラムの演説に呼応して、何人もの生徒が拳を突き上げた。ホログラムの周りには主張を簡単に記したカラフルなプラカードが何枚か投影されている。演説台の周りには大勢の生徒が集まり、何人かは写真や動画の撮影に興じていた。
そんな喧騒を2人の学生が遠巻きに眺める。ベンチに腰を下ろしているハカリと隣でピンク色の液体で満たされた浴槽に浸かり、浮かない表情の[名前]だ。
「もしかすると今頃、私達もあそこに混ざってたかもね」
「間違いない」
創作料理研究部の廃部は保留となった。生徒会広報は、検査器具に不具合が見つかったためと発表したが、内情を知る生徒たちは発表を一笑に付した──本当に不具合があったとして、今の生徒会がそれを認めるはずがない。
「こんな暑い時間に集会なんて熱心だねぇ」
「新しい学則のせいで少なくない数の部活、同好会が活動停止を宣告されてる。どんな大人しい人でも沈黙はできない」
「それにしても、朝から夕方まで何かしらやってるのはおかしいって」
「[名前]。部活とレシピ以外は見てるだけ」
「はは、そうだね」
[名前]は絞り出すような明るい声音で問い掛けた。
「ねえねえ、最近ちょっと忙しいみたいじゃん。レシピ案件だったら私にも共有してよ」
「今回は出来ない」
「……そっか、ごめんね変なこと聞いちゃって」
「大丈夫。気にしないで」
ぎこちない会話の後に沈黙が残る。いつのまにか、騒がしかった演説も収まっていた。心地の良い静寂ではない。むしろ真逆、不安を掻き立てる嵐の前の静けさと言った方が正しい。
そんな中、[名前]は前兆を目にした。彼女の視線の先、演説台の周りにいる人々を囲むような形で地面に数十の魔法陣が現れる。
「なんなの、あれ」
「逃げよう」
広場に遠吠えが響き渡ると同時、陣の上に盾と警棒を持つ集団が出現した。彼らの装備には、盾と精悍な犬の横顔を合わせたエンブレムが装飾されている。演説台の近くにいた不良生徒たちは見覚えのある装いに目を剥き、慌てふためく。
「風紀委員会だ!学則違反者を拘束する!」
集団の先頭に立つ風紀委員が声を上げる。呼びかけに対し、殆どの一般生徒は即座に降伏した。徹底抗戦の姿勢を見せた学生支援協会員とパニックになって暴れた不良生徒たちは、姿が見えなくなるほど囲まれて盾と棒で何度も殴打されている。
「クソが、何でこいつら相手だと不発なんだよ!」
「知るか!いいから手と足を動かせ!」
抵抗者たちの異能はこの場において発動しない。それは身体に宿る能力であろうと、超常技術の産物であろうと変わらなかった。今期の生徒会によって初めて承認された”特質封鎖領域の生成による治安維持活動安定化の為の悪魔契約”は、その効果を存分に発揮している。
魔法陣の包囲を免れた学生たちは我先にと逃げ出す。彼らより一足早く、ハカリと[名前]はその場を離れていた。
その日を最後に、大炊御門 ハカリは一切の連絡を絶った。
花籠学園 庭 廃墟
「君の作戦が成功し、学園全体が注目する生放送で生徒会を糾弾すれば、彼らの権威は完全に失墜するな」
「学園の運営はあなたたちの思うがままになり、私たちは廃部を確実に回避できる。お互いに損のない話」
「管理体制の打破こそ初代生徒会長の意志だというのに。今の生徒会役員どもは学園史に明るくないようだ」
「そうですね」
花籠学園に存在する廃墟の幾つかは独立戦争2期の名残である。そんな歴史ある廃墟の1つで、創作料理研究部長と学生支援協会幹部が対峙していた。
協会幹部が指を鳴らすと、側に控えていた協会員が端末を操作し、部長と幹部の視界に資料が映し出される。
学園革命のためのレシピ Ver.2.023
調理期間: 仕込みから完成まで3か月ほど
完成品: 生徒会の権威を失墜させ、学生支援協会が学園の管理運営権を握る
調理目標と手順
大目標: 生徒会を武力制圧し、革命が全生徒の総意であると広く印象付ける
- 手順: 陽動として、襲撃直前に学園各所で偽のデモ活動を決行する。状況をコントロールするため、デモは協会員のみで行う。風紀委員会がデモ対応に追われている隙を突き、生徒会と各委員長が集結する委員長会議の場を武力制圧する──協会員が扇動した一般生徒を主戦力とする。制圧後、規制と管理を尊ぶ正常性維持機関が如き生徒会は不要である旨の宣言文を読み上げ、その様子を校内全域に放送する
中目標: 風紀委員会の警備を突破し、生徒会役員と各委員長を制圧可能な戦力を確保する(進捗率60%)
- 手順: 抗議運動を定期的に展開し、生徒会へ不満を持つ生徒の数を把握しておく。活動停止で生徒会を恨む部活や同好会について、革命成功後に活動再開を認可する条件で協力を得る
小目標: 生徒会に対する不満を煽り、革命の機運を高める(達成済み)
- 手順: 学内外のSNSで生徒会へのネガティブキャンペーンを展開
食材の状態と調理時の注意点
- 十分な数の一般生徒を確保できなかった場合、戦力不足で会議室を制圧できない
「前回の話し合いで残った懸念点は参加者の不足だったな。解決の目途は立ったのかい」
「学園各所のデモや集会で予想以上の参加者を確認。協会員の半分以上を陽動に回しても、一般生徒と協会員に協力者を加えれば制圧可能と判断」
「素晴らしい。君と手を組んで正解だな。これを見せれば、すぐにでも協会長の支持を取り付けられるだろう。ハト派の腰抜け共も首を縦に振る他ない」
「おっしゃる通り」
「詳細はこちらで詰め、後ほどそれを元に調整を行っていく。問題ないか?」
「構いません。では」
廃墟の出口へ歩き出したハカリの背に向けて、協会幹部が思い出したように声をかける。
「風の噂だけど、次期選挙に向けて生徒会が囲い込みを図っているらしい。支援協会と協力関係にある部活や同好会から報告があった。情報漏洩は心配無くとも、引き抜かれると厄介だな」
「自分から泥船に乗ろうとする物好きはいない」
「随分と自信があるんだな。まあ、自信のない計画を持ってこられても困るけど」
花籠学園 裏庭 竜ノ沼
廃墟での密会から数日後、[部長]は植物の繁茂する沼の畔に立っていた。頂点はすでに過ぎていても、陽は未だ高い。
[部長を身体的特徴を交えて描写する]は何かを探すように周囲を見回し始めた。暫くして、目当てを見つけたのか顔をほころばせる。視線の先には、緑のカーペットを車輪で踏みしめながら近付く浴槽があった。[名前]は浴槽から上半身を覗かせている。
「久しぶり。最近、忙しくて返信できなかった」
「そうね。私も忙しかったよ。人に相談するのが苦手で、1人で突っ走る上級生をサポートしてあげなきゃいけないから」
「面白い知人、気になる。今度紹介して」
「……うん、いいよ」
[名前]は目を伏せたまま答えた。
「懐かしい。ここで[名前]と出会った。あの時のキミは━━」
思い出話に花を咲かせようとする[部長]を遮って、[名前]が質問を飛ばす。
「協会と組んで何するつもり?わた、部活サボってやらなきゃならないほど忙しい用事ってなに?」
「言えない。秘密保持ギアスがある」
「ギアスですって?」
[名前]は眉間にシワを寄せた。ミーム工学を用いた超常契約は確かに機密漏洩を防ぐには有用だが、扱うには高度な技術が要求される代物だ。花籠学園では、生徒会の審査で"問題無し"と認められた場合を除き禁止されている。扱いを誤ると命に関わるため、不良生徒ですら手を出さない。
「ますます放っておけない」
「悪いけど何も教えられない。ただ……」
「ただ?」
「来月の██日は学校を休んだ方が良い。部のみんなにも伝えて」
「ああ、そういうことね。分かったよ」
言い終えると同時、[名前]を乗せた浴槽はその自走機能をいかんなく発揮して[部長]を置き去りにした。
「待って!」
後を追って走り始めた[部長]は、10mほど進んだところで足をもつれさせ倒れ込んだ。もんどりうって転がった彼女の耳に、[名前]の冷たい声が響く。
「委員長会議の日、放課後の部室で会いましょう」
[部長]が呼吸を整えて立ち上がったころには、[名前]の姿は見えなくなっていた。
「竜ノ沼」は花籠学園に伝わる12不思議スポットの1つでありながら、立地が悪いせいで訪れる生徒は皆無に等しい。そんな僻地に学園の制服を着た少女がやってきた。彼女は沼の縁に着くと立ち止まって水面を見つめる。数秒の間を置き、口を真一文字に結んだ少女は沼に飛び込んだ。
小さな水飛沫と波紋が収まり、沼はいつも通りの静けさを取り戻す。しかし静寂は長続きしなかった。沼の中心からバスケットゴール程の高さの水柱が上がり、その勢いで何かが吹き飛ぶ。陸に叩き付けられた物体は飛び込んだ少女であった。ひとしきり咳き込み、今は肩で息をしている彼女に声が掛けられる。
「死にたいの?」
問い掛けるようでありながら、答えに微塵の興味も持っていない。そんな風に声を掛けたのは、[部長]より簡素なデザインの制服を着た異形の少女━━[名前]である。淡い青の髪は沼の中心から縁まで届くほど長く、ターコイズブルーの蛇眼は透き通ったカリブの海を思わせる。水色の肌には爬虫類のような鱗が見え隠れし、頭頂部には黄色い枝状の双角がそびえ立つ。
「ありがとう」
投げられた問いに返される噛み合わない感謝の言葉。[名前]にとって、それは心に湧いた感謝の念から出た言葉ではなく"助けて貰ったらお礼をする"という常識をなぞっただけに見えた。沼から現れた少女は顔をしかめる。
「あんた誰?」
「大炊御門 ハカリ、中等部2年」
「珍しい苗字だね。で、なんでこんなことしたの」
「『竜ノ沼に竜人あり。しかれど、尋常なる手段にて見ゆること叶わじ』そういう噂だった」
臆面もなく言い切る[部長]を見た[名前]は、片手を額に当て小声で呟いた。
「イカレてる」
[部長]はそれから何度も竜ノ沼を訪れた。出会いから間もない内は辛辣な言葉遣いで応対していた[名前]も、打ち解けたのか効果が無いと察したのか、次第にそういった態度は鳴りを潜めた。
「また来たの。私と話しても得るものは無いのに。奇特なヤツ」
「あなたから何かを得るんじゃない。あなたを手に入れる。そのために此処へ来た」
「会ってからそれほど経ってないんだけど」
「見た目が好み。竜の戦闘力も魅力的。希少価値が高い」
「反応に困るわ」
「本音を隠したり、口調を取り繕わなくても、お喋りしてくれる」
「そっちを最初に言えば良かったのに」
[部長]が沼にやって来るたび今の学園について話すと、自分の知る姿とは全く異なる学園の話に惹かれたのか、[名前]は彼女の訪問を待ちわびるようになった。
「へぇ~今はそんな授業やってるんだ。昔はマッドサイエンティストの巣窟だったのに、結構マジで学校してるね」
「そうだよ」
「他に面白そうな話ある?」
「ウチの副部長、規律に厳格なはずだけど時々不可解な判断をする。定期のレシピ発表会に遅れた部員は規則通りならその回は参加できない筈なのに、この前遅れてきた子が土下座してお願いしたら苦しそうな顔で参加を承諾してた」
話終えた[部長]は[名前]をじっと見る。言葉を弄さずとも、感想を待っていることは明白だった。
「規律が大事だけど情にも厚いんじゃない。泣き落としとかめっちゃ効きそう」
「なるほど。それで、一緒に来てくれる気にはなった?」
「急にぶっ込んでくるねえ。う~ん。ならないかなあ」
「分かった。一緒にいたいと思える人物像を教えて」
「露骨にアプローチ変えてくるじゃん」
面白い考え方で世界を見てるヤツ。そういうのが好きだと[名前]は語った。翌日、沼を訪れた[部長]はいきなり持論を開陳し始めた。
「政治という料理を作るにあたって、重要なのはレシピと食材。レシピとは計画、これが無ければなにも作ることは出来ない。食材とは人や組織、レシピに従ってそれらを調理する」
[名前]は前触れなく明かされた思想に驚愕するでもなく、しかし興味を隠せない様子で続きを促した。
「政治とは人や組織の調理。コネて叩いて火を通し、洗って剥いで微塵に裏切り、拐って煮込んで出汁を取る。徒党派閥が集合離散。下拵えで全てが決まる」
[部長]の語りがひと段落したところで質問が投げかけられる。
「何か実績は?」
「無いけど、所属部活の次期部長になる計画を作成中」
「面白そうじゃん。出来たら見せて」
「いいよ」
澱みなく返された言葉を聞いて、[名前]は満足そうに何度も頷いた。
出会いから3週間ほど経ったある日、[部長]は頬を真っ赤に染めて駆け足で沼までやってきた。
「そんなに急いでどうしたのさ」
言葉に代わり、息を切らした[部長]はタブレット画面を見せつけることで一旦の答えとし、息が落ち着いた頃に説明を始めた。
創作料理研究部長になるためのレシピ Ver.1.0
調理期間: 仕込みから完成まで1ヵ月ほど
完成品: [部長]が創作料理研究部部員の過半数から票を集め、次の部長に就任する
調理目標と手順
大目標: 学園祭中に開催される花籠学園料理コンテストで、創作料理研究部を優勝させる
- 手順: コンテスト管理運営チームに休部中の創料研部員を潜り込ませ、審査員を創料研に好意的なメンバーで固めさせる
小目標: 花籠学園料理コンテストで創作料理研究部の指揮を執る
- 手順: コンテスト当日までに、副部長を足が付かない方法で盤面から排除して創料研の指揮権を握る
食材の状態と調理時の注意点
- 創作料理研究部の現部長は高等部6年で就職活動が多忙なためコンテストには不参加
- コンテストで部を指揮するリーダーに立候補しているのは[部長]と副部長のみ
- コンテスト審査員は学園祭実行委員の内、コンテスト管理運営チームが選定する
- コンテスト会場の警備や不正行為の摘発に携わる風紀委員は、食材への異物混入やすり替え、相手チームへの攻撃や脅迫など直接的な妨害にしか注意を払っていない
「以上がレシピの全容」
説明を終えた[部長]は視線を[名前]に向ける。視線を向けられた[名前]は両手を組んで何やら考え込み、暫くして口を開いた。
「……面白い。けど、部員を実行委員にして審査員を固めさせるのはやりすぎだと思う。誰かに調べられたら直ぐに足が付いちゃうからね。私だったら、1人潜り込ませて審査員たちが共通して好きな料理の情報を貰うかな」
[部長]は参考になったと礼を述べたが、その顔には影が射している。[名前]が聞けば、[部長]は困ったような口振りで答えた。
「未解決の懸念点が残ってる」
「懸念点って?」
「副部長は耐久力と部員からの知名度が高く、秘密裏に排除する手段が見つかってない」
[名前]は先程と同じポーズのまま目を瞑り、10分ほど経ってから開眼した。
「確か副部長って泣き落としに弱かった筈だよね。だったら、無理に排除しなくてもお願いすれば良いんじゃない?」
[部長]は瞬きを繰り返してから何度も頷き、ため息を漏らした。
「リーダーを譲って欲しいと素直に頼む。彼を1人の人間ではなく排除すべき障害としか捉えていなかった私では思い付けなかった。ありがとう」
「まあ、上手く行くかどうかは分かんないけどね」
暫くの逡巡を経て、[名前]は気まずそうな顔で質問した。
「創作料理研究部のレシピが全部こんな感じでは……ないんだよね?」
「陰謀を企ててるのは私くらいだし、私だって食べる料理の方のレシピも作ってる」
「他の部員は純粋に料理を作りたい人たちってことね。了解。それにしても『食べる料理の方のレシピ』なんて言葉初めて聞いたよ」
[名前]はケラケラと笑い、[部長]はそれを見てほんの少し微笑んだ。
花籠学園の中央広場にはベンチやテーブルが点在し、普段から多くの生徒に憩いの場として使われている。今日はそこに幾つもの屋台と大勢の老若男女が加わり、客を呼び込む生徒たちの掛け声や訪れた人々の笑い声、時おり現れるホログラム案内係の誘導など活気に溢れている。今年の学園祭は例年を超える盛況ぶりだった。
そんな広場のテーブル付きベンチに2人の少女が腰掛けている。
「時の流れもあると思うけど、雰囲気が全然違うなあ。無機質な感じが殆んどないし、解放感がある」
感慨に耽る[名前]の前に軽食とお菓子を持つ手が現れる。その主は、[名前]をこんな場所に連れてきた張本人だ。
「はい。これ食べて」
数分前に人混みへ消えた[部長]は綿菓子、フランクフルト、チョコバナナ、焼きそば、りんご飴、他にも様々な軽食とお菓子を手に戻ってくると、テーブルで頬杖をついている[名前]に買ってきたものの大半を差し出した。
「ありがと」
[名前]がそれらを受け取ると[部長]は立ち上がって歩き始めた。[名前]も数秒ほど逡巡し後を追う。途中で軽食をつまむことも忘れない。
場所は変わって屋上。色とりどりの花が咲き乱れる光景は見る者に学園の名を想起させる。今は2人しかいないその場所で前を行く[部長]が振り返った。
「何か感想は?」
「移動とエネルギー補給を両立できて効率的だったね。数十年ぶりにエネルギーが底をつきかけてたから助かったよ」
「ありきたりな料理ではあったけど、その返答は予想外」
[部長]が呆れたような表情を晒し、[名前]は微笑みを見せた。
「ねえ。こんなところまで連れて来てどうしたの?」
「[名前]。私と一緒に来て欲しい」
前置きの類を一切合切すっ飛ばし、直球の想いがぶつけられた。
異能の力を持つ者たちの学び舎、ヴェール無き世界の先端技術研究所、学生が治める学校……様々な面を持つ花籠学園の始まりは決して明るいものではない。学生とは名ばかりの実験体として産み出された子供たち、彼らは学園を支配する大人たちの手で徹底的に管理されていた。後に"一期生"と呼ばれる当時の生徒たちは、団結して大人に反旗を翻して支配体制を打ち破った。そうして初めて、彼らの自由な学園生活は始まりを迎えた。
全ての人間が与えられた機会を活かせるとは限らない。少なくとも、竜の遺伝子を持つ実験体の少女には考える時間が必要だった。
"与えられた自由をどう使えば良いのか"
実験体として死んだように生きてきた彼女は問いの答えをずっと考えていた。考え続ける日々の中、人を避け、面倒を避け、繋がりを避ける内に彼女の心はゆっくりと麻痺し、何のために考えているのかさえ曖昧となる。何もかもどうでもよくなった彼女の前に、転機は向こうからやってきた。
[名前]が飛び込んできた少女を助けたのは単なる気まぐれでしかない。しかし、その行動は彼女の在り方を変える切っ掛けとなった。
最初はただの予感に過ぎなかった考えが、示されたレシピで信憑性を増し、今日の行動で確信を得るに至った。
「よろしくね。[部長]」
この女に付いていって、レシピに色々と口を出す生活は楽しそうだ。両手を握りしめる目の前の女に対し、[名前]はそのような結論を下した。
創作料理研究部 部室
部室の中央に設置された机と椅子。机上のスマホで委員長会議の生中継を眺めつつ、スマホ立ての前で何度も手を組み直す女がいた。何も知らない人間が見れば、試写会に出席した映画関係者のように感じたかもしれない。その認識は間違っていない。襲撃計画を立案したのは彼女だ。
約束の時間まで5分もない。その時が来れば、整然とした会議室の景色は阿鼻叫喚の地獄絵図に塗り変わる。筋書きを書いた脚本家の口角は知らず吊り上がっていた。
遠くから響く爆発音と同時に、会議室の扉が僅かに揺れる。女は立ち上がり、食い入るように画面を見つめた。これから画面の向こう側で魔術、怒号、陰陽術、苦痛に歪む顔、使い魔、血飛沫、銃刀、爆砕、徒手空拳が入り乱れる。迫力満点のバトルシーンが終われば、室内を制圧した学生支援協会と勝利の雄たけびを上げる一般学生が見えるはずだ。女の脳内では、せっかちなファンファーレと戦闘勝利BGMが早くも始まっていた。
だが、そうはならなかった。断続的に生じる爆発音と怒号は徐々に収まり、静寂が異変の終わりを告げる。会議室に誰かが突入してくることはなく、生徒会を脅かす事態は起きなかった。会議は何事もなく進行し続け、終わりを迎えた。
沈む夕日に照らされながら、女は椅子へ倒れ込むように体を預けていた。両腕を力無く投げ出し、首をだらりと傾けた彼女の瞳から光は消え失せている。スマホには学内ニュースサイトの速報記事が表示されていた。
文花新報
生徒会襲撃未遂、犯人グループ17人の身柄確保 特殊部隊が活躍
生徒会役員と各委員会の委員長が集い、学園運営について協議する委員長会議の場に緊張が走った。本日午後4時20分頃、武装した複数の生徒が会議の開催されていた花籠学園本館第1会議室へ接近を試みた。学生支援協会員を中心とした17人の集団は、会議室へ到着することなく風紀委員会の特殊部隊によって全員が捕縛された。確保を行った部隊は一般に"猟犬部隊"の名で知られ、平時から不良生徒の鎮圧任務に従事するスペシャリストたちだ。
今回活躍したのは猟犬部隊だけではない。これまで秘匿されていた第二の特殊部隊が、猟犬部隊の到着まで会議室への接近を防いでいたことが明らかとなった。一部関係者が"WOLF小隊"と呼ぶ彼らは、一般の風紀委員では対応が困難と判断された事案への介入や、即応性が求められる事態への対処を主な目的とする特殊部隊だ。隊員は風紀委員の中でも特に優秀な能力を持つ生徒から選抜され……[続きを読む]
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計画は完璧だったはず。猟犬部隊と風紀委員は学園各地で協会員が起こした偽装デモの対応に追われていた。WOLF小隊とか言うのは想定外だったけど、少人数の特殊部隊なんて数の暴力で問題にならない。異能が使えなくても純粋な暴力で蹂躙できる筈だった。離反者から情報が漏れた?いや、秘密保持ギアスがある以上ありえないし、計画通りなら数のゴリ押しでバレても大して問題ない。というか、問題があったのは攻撃側こっちの人数でほぼ間違いない。先導役兼戦闘員として、学生支援協会員から最低20人は参加する手筈だったのに、全部で17人ってどういうことだ。参加した一般生徒は何人いる?
「いやーごめんごめん遅れちゃって。偉い人たちはお話が長くてさー……ってか大丈夫?じゃないよね。そりゃそっか」
聞き覚えのある声が網となり、思考の海に沈む私を引き上げてくれた。そうだ。今日は[名前]と会う約束をしてて、だから襲撃への参加は辞退したんだ。私の身体能力じゃ一瞬で風紀委員に拘束されて、そしたら約束を果たせなってしまう。
部室の出入り口からピンク色の液体に満たされた浴槽が入ってくる。声の主は水面から上半身だけを出していた。青みがかった顔に微笑を浮かべて面白い物でも見るかのように。いや、事実そうなのだろう。
「生徒会にリークした?」
「日時が露骨すぎて、狙いを推測するのは難しくなかったよ。創作料理研究部は存続確定だって」
「そっか、良かった」
目的を達成できたと知り、計画失敗のショックが少しは安らいだ。[名前]は何が気に入らないのか、心なしかムスッとした表情で言葉を続ける。
「あれだけ得意そうに語ってくれたレシピだし、相当自信あったんでしょ?だから失敗の事実に耐えられない」
「そうじゃない」
「ふーん」
椅子に預けていた体を起こす。たったそれだけの動作で疲労感に襲われた。よろめきながら立ち上がった足は、生まれたての小鹿みたいに震えている。
「どんな料理にだって失敗のリスクは付きまとう。初めて挑戦するレシピなら猶の事。上手くいかなかったのは悲しいけど本質はそこじゃない。大事なのは上手くいかなかった理由」
子供が嫌う野菜をハンバーグに混ぜて分からなくするのと、大多数が支持する正論に言いたくないけど伝わって欲しい本音を隠すのは同じようなことだ。
「大した理由じゃないと思うよ」
「どういうこと」
「本当に分からない?」
思い当たる節がないわけではない。それを認められるかどうかは別の話だ。視界の端に映った怪物から目を離せないことと、正面に立って睨みつけることは全く違う。
「生徒会のネガティブキャンペーンは大成功だったね」
花籠学園生の多くがSNSで現生徒会を糾弾していた。糾弾の中心、学生支援協会公式アカウントのフォロワー数は、騒動前と比較して数百倍に膨れ上がった。他にも生徒会への不平不満を発信する呟きが増えて、その中の幾つかはかなりバズっていた記憶がある。
「ネットは情報拡散速度に比べてファクトチェックを心掛けるユーザーが圧倒的に少ない。情報操作にはもってこい」
「ウチの学生はそこらへんリテラシー高い気がしてたけど、そうでもなかったな~」
でも、と前置きして[名前]は話を続ける。
「現実の抗議運動はどうだったかな。上手くいってた?」
「そちらも問題なかった。生徒会解散を求める学園各所のデモが何よりの証拠」
「協会中心ではあったけど、一般生徒も多く参加してたのは間違いないね」
迂遠な言い回しに焦れかけていた時、1つの恐ろしい予想に辿り着いてしまった。このやり取りが丁寧に退路を塞ぐ手順だとしたら。私はこれから、言い逃れできない己の過ちを見せつけられるのではないか。
「デモに来てた子と1回でもちゃんと話した?」
「忙しくてそんな暇は無かった」
[名前]は浴槽の中で静かに手を叩いた。ぱちゃぱちゃ、控え目な水音と共にピンク色の液体が跳ねる。頬に付いた水滴をハンカチで拭うと、[名前]が正面から私を見つめていた。シルエットは同じなのに、いつも話していた[名前]と此処にいる彼女の姿が重ならない。口角は吊り上がっているのに、目は全く笑っていない。
「食材の状態は確認した方が良いよ」
その一言で自分の過ちを突き付けられた。目を背けていた罪に正面から向き合わされ、背筋が凍る。
「私は、決めつけてしまっていた?」
「花籠ウチの生徒は確かに変わった子が多いけどさぁ。それにしたって武力革命はやり過ぎだったと思うよ。ネットの声を真に受け過ぎたね」
「あの子達は本気じゃなかった?」
「そうじゃなくて、デモには参加するけど次の生徒会選挙に期待してるって子も多かったんじゃない?」
もはや[名前]の顔を直視することすら出来ず、俯いてしまった。顔から湯気でも出てるのかってくらい熱い。羞恥心で茹で上がってしまいそうだ。いっそのこと、茹で[部長]になってしまえたらどんなに楽だろう。だけど、そうはいかない。向き合わなければならないのだ。向き合って悩んで、反省を次に活かす。
決心を固めて顔を上げた。[名前]を正面から見据える。
「自分の目と耳で食材を吟味し、疑問があればこれを解きほぐす」
「そうだね。私もそれが良いと──」
「まずは[名前]」
「んん?どういうこと?」
「廃部回避という目的を達成した[名前]が、わざわざ会いに来てくれた。計画への助言に徹して現場で動かない筈の[名前]が、生徒への聞き込みを行っていた。そこにどんな思考があるのか気になる」
「でっでも、なんで私を最初に?」
「私にとって一番身近な食材は[名前]。これまでそうだったし、これからも……そうだよね?」
一抹の不安を込めて[名前]を見上げる━━もしかしたら、愛想を尽かされてしまったのではないか。1秒の間を挟み、[名前]は大きな水しぶきを上げて浴槽に潜った。正面から液体を被った私は上から下までピンクの濡れネズミ状態になってしまう。なんてことだ。謎が増えた。とはいえ、もう遅い時間だ。
「今日は帰ろう」
花籠学園 屋外通路
外に出るとすっかり日は落ちていた。熱い陽射しに代わって、冷たい月の光が私たちを照らす。
「ストップ」
水の中から聞こえた声に従い、歩みを止める──声が届く原理は[名前]にも分からないらしい。立ち止まっていると徐々に水面が凪いでいく。波紋が完全に無くなった頃、浴槽に視線を落とした。鏡面に浮かぶ桃色の月は美しく輝いている。その輝きすら、水底に沈む竜を想うと霞んでしまった。
水面から顔を出した[名前]と目が合い、2人して時間が止まったようにお互いを見つめ合う。暫くして彼女の発した言葉は、先程の揶揄うような声音と打って変わって神妙な雰囲気を纏っていた。
「なんで相談してくれなかったの」
「それは」
"ギアスがあったから"それが言い訳にならないことは自分でも分かる。契約を結ぶ前に相談すれば良いのだから。なにより、頬に赤みが差し、瞳に涙を湛えた彼女にそんな表層だけの言葉を告げる訳にはいかない。
「今回のレシピは相談するだけでは済まなかった。秘密を知る者として事態に巻き込んでしまう。それがイヤだった。[名前]を危険な目に遭わせたくなかった」
生徒会がどんな手を使うか予想できなかったわけじゃない。彼らの持つ膨大な手札、その全てに対処しきるのは不可能だと判断した。万が一を考えれば、巻き込むわけにはいかなかった。
「……」
どれくらい答えを待っただろうか。30分、1時間、あるいはもっと。こういう時の体感は当てにならない。どんな答えが返ってくるだろうか。
心が壊れないように取り留めも無い思考を走らせていると、前触れなく返答が告げられる。
「前に話したと思うけど、私が求めるのは一緒にいて楽しいかどうか。対立シナリオごっこも悪くなかったけど、そっちから誘って欲しかったな」
唇を人差し指で封じられる。
「今度あんな面白いことやるなら私も1枚噛ませてね。そうじゃなきゃ━━」
月明かりに照らされる中、浴槽に隠れていた彼女の腰から下━━上半身と異なり完全に鱗で覆われている━━細長い体が上方に向かって伸びてゆく。浴槽に入りきるとは思えない長さの体を外気に晒し、背中で翼を広げる彼女の姿は人と竜の掛け合わせそのものだ。
斜め上からトルコ石の瞳で見下ろす[名前]が再び口を開いた。
「飛んで行っちゃうよ」
微笑みを浮かべて頷く。そうすべきだと思ったから。
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