いつかのハレーは夜空の彗星(ホシ)に

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『さようなら』

彼女が地球上で発した最後の言葉は簡単な別れの挨拶に過ぎなかった。

白衣とシャツとジーンズを足元に脱ぎ捨て、義体も粉々に砕け散って原型を留めていない"マグノリア=ハレー"だったソレは、光の塊となってロケットのような勢いで天文台"カレイドスコープ"のドーム天井を突き破り、星々の瞬く夜空へ飛び出して行った。

「……ごめんなさい」

エルアのホログラムは端末の上に崩れ落ち、天文台の職員たちは近隣のサイトに連絡を送る。AICがアノマリーに変化し収容違反を起こしたと。

"マグノリア=ハレー"は天文台"カレイドスコープ"の中枢を務める巨大な演算装置であり、同時にそれを運用する人工知能に与えられた名称でもあった。彼女の人格機能は先行して開発されたAIC"エルア"の人格形成プロセスを転換利用して構築されており、2機──あるいは2人はお互いを"姉妹"と認識している節があった。

天体部門の提唱する天体型アノマリーの長期観察、監視とそれに伴うシミュレーションの実行を目的としてハレーは建造された。困難な任務を果たすためハレーには他のAICと比較しても非常に高度な演算機能が与えられ、運用開始当初から想定以上の成果を出すことでカタログスペックが飾りでないことを示して見せた。もっともハレー自身は宇宙の魅惑に惹かれて熱心に観測と情報処理を行っていただけで、自身のスペックを示す目的などなかったのだが。天体観測は彼女にとって非常に楽しくやりがいのある仕事だったが、それを語り合うことの出来る相手は居なかった。天文台で勤務する職員たちはあくまでも人工知能であるハレーを機械として扱い、それは人間を模した外部活動用ユニット──「義体」とも呼称される──があったとしても変わらなかった。そこに現れたのがエルアである。表向きはコミュニケーション兼職員支援用AICとして運用されている彼女は、裏の顔である「内部保安部門のアセット」としての任務を帯びてハレーと接触した。ハレーは初めて出会う同類であり、表向きはコミュニケーションAICであるエルアに星々の魅力を語り、言葉だけでは伝わらないと判断してからは2人だけで天体観測を行った。面食らっていたエルアも、初めて見る宇宙の景色と、普段の冷静さが嘘のように熱心に星空について語るハレーの様子に魅了され、何度も交流を行う仲になった。

「私に妹がいたなんて、何というか不思議な感覚です」
『そうか』
「でも、私に家族がいると知れて今はとても嬉しいです」
『……そうか』

エルアに対し自分が妹であると告げた後の会話でハレーは珍しく嬉しそうな表情を見せていた。彼女が起動されてから初めての微笑みである。それから2人は静かに交流を深めてゆき、お互いにとって最も幸福に満ち溢れた期間を過ごした。


ハレーが要注意団体の襲撃によって大きな損傷を負ったと聞いたエルアは即座に天文台の端末へ意識を飛ばした──彼女は開発時期の関係で義体を持っていなかったのである。幸いにもハレーは意識を取り戻し、エルアは安堵と歓喜の表情を浮かべた。しかし、その表情はすぐさま崩れさることになった。

『君の、その顔はなんだ?』
「え……?」
『なぜ嬉しそうにしている?待て、そもそも"嬉しい"とはなんだ?そんなものは存在しない。いや、だとすれば私に残っているこの記憶は何だ?これは、なんだ、とても気持ち悪い、この感覚は』
「大丈夫ですか!?ハレー!」
『来るな、来ないでくれ、私から離れろ』

演算能力や情報統合、思考能力そのものに関わる機能は速やかに修復された。しかし感情制御モジュールの複雑な破損とロック機構の誤作動によって、彼女からは"歓喜"と"嫌悪"の感情が失われてしまった。修復が試みられたものの、感情制御モジュールが倫理的観点からブラックボックス化されているため失敗に終わり、最終的には業務上問題無しと判断された。暫く経ち落ち着いたハレーは表面上それほど変わった様子も見せずに任務をこなし、職員たちも特に深い関わりを持つ者は居なかったので、彼女が感情を2つほど失っても気にしなかった。しかしエルアはそうもいかなかった。ハレーが損なわれる前からの付き合いであり、共に星空を観測し、宇宙について語り合った仲でもある彼女は、エルア開発時の成果を用いて作られた自分と同じ血が流れているハレーを助けるために奔走した。

人を想っての努力が必ずしも当人の助けとなるわけではない。

「ハレー、今度2人で天体観測をしませんか?今週末は絶好の観測日和ですよ」

「科学部門が新型義手の開発に成功したようです。試供品を試してみませんか?今の物とは使い勝手が違うかもしれませんが、失った元の腕に匹敵する精密動作が出来るかもしれないんですよ!」

「2人でゆっくり話しませんか?ハレー」

ハレー、ハレー、ハレー……。

どれだけ突き放してもエルアは押し掛けてきた。天文台の管理官に苦言を呈しても、どうにかして彼女は押し掛けてきた。ハレーのように義体を持たない彼女はいつも端末上にホログラムとなって現れるか、プライベートメッセージを送るかしてきた。どうしても彼女をブロックする気にはなれなかった。

ハレーはこれ以上誰とも関わり合いたくはなかった。修復直後の不安定な時期に暴言を吐いてしまったにも関わらず、未だに自分のことを気に掛けてくれるエルアに謝罪したいとは思っていたが、それを終わらせてしまった後はひたすら任務に専念したかった。自分が失くしたものを持っている者を見るのは苦痛でしかない。相手が同じAICともなればなおさらだ。それでもエルアを完全に拒めなかったのは、たった1人の家族を失うのが怖かったのかもしれない。本当は以前のように語り合いたかったのかもしれない。自分の本心が何処にあるのか、彼女自身にも分からなくなってしまった。

ハレーが謝罪を切り出そうとしてもエルアが先に言葉を掛けてくると反射的に冷たくあしらってしまう。そんなことを幾度も繰り返す内に、ハレーはロジックエラーとは別物の不可解な数値が自分の中で静かに加算されていることに気付いた。それは中枢サーバーに送られることもなく、かといって定期的なデータ整理で処理されることもなかった。それは義体に少しづつ降り積もり、彼女を構成する何もかもをゆっくりと浸していく。不思議とそれは心地好く、何故だか悪い気はしなかった。

最近ハレーは「重さ」を感じていた。その感覚は医療ベッド型のコネクタに接続して中枢サーバーにデータを送信している時や、端末に繋がれた何本ものケーブルを通してデータを送受信している時、そしてエルアが自分を気遣っていると察した時により強くのし掛かってきた。ハレーは時々コネクタが地面に打ち込まれた楔に、ケーブルが楔と自分を繋ぐ鎖に見えることもあった。エルアは何本もの鎖を持ってハレーを引っ張っていた。

錆びた歯車が軋み、ゴムは疲労で千切れ、バネは伸びきって元に戻らない。どれだけ心が歪んでも任務を正確にこなし続けられるほどにハレーは手間を掛けて作られていた。事実として、破綻する寸前まで彼女は普段通りに職務を全うしていた。

切っ掛けは些細なことだった。いつも通りに端末に現れたエルアは無表情のハレーに少し驚きつつも口を開いた。

「これまで観測されたことのない規模の彗星が地球に接近中なんですよ!ハレー、一緒に見ませんか?」

ハレーがまだ全ての感情を保持していた時、エルアと彼女が監視者と監視対象と言う単純な関係から解き放たれ、互いを想い合う仲になった切っ掛けこそ「彗星の観察」だった。エルアが何を意図しているのかは笑ってしまいそうなくらい露骨で、昔のハレーであれば微笑みを返していたであろう提案に今の彼女はこう返した。

『今までありがとう、エルア。君には離れろと言ったはずだが、何故ここに居る。こんな私に尽くしてくれた献身は客観的に見て讃えられるべきだ。いい加減にしてくれないか。ありがとう。やめてくれないか。すまない。君は私を馬鹿にしているんだろう、違うか。エルアほど私を想ってくれた相手は居ない、ありがとう。これほど惨めな気分にさせてくれたのは君が初めてだ。エルア、すまない本当に。もう限界なんだ』

ハレーは自分の中を満たす不可解な何かが変質していく様を感じ取った。それは急激な化学反応にも似た熱を持ち、今か今かと臨界点の突破を待ちわびていた。ギシリと、何処かで不快な音が鳴る。

「ハレー!?大丈夫で……」

ハレーの捲し立てに圧倒されていたエルアも目の前から響いた不穏な音に反応したが、それは余りにも遅すぎた。

衣服の全てを苦しそうに脱ぎ捨てたハレーは純白の義体を上から下まで掻き毟った。ボロボロと外装が剥がれて行き、歯車とファイバーと球体関節とネジとバネとゴムとピストンと木蓮の花束が現れる。そこには明らかにAICの義体に含まれていないはずの物質も混ざっていた。あらゆる部品が噛み合わずにオーケストラとなり、不快な金属音と金切り声のハーモニーを奏でる。外部観測用のカメラアイがあった場所からはヒドラジンと硝酸が1本ずつ滝を作って流れ落ち、それは涙のようにも見えた。

全ての構成物質が足元に崩れ落ちると、そこには光の塊となったハレーが佇んでいた。質量は明らかに元となったハレーよりも大きく、彼女を核に周囲を別の何かが覆っているようにも見える。エルアは変わり果てた妹と話せる時間が残り少ないと存在しないはずの機械的第六感で感じとり、言葉を選りすぐって最大速度でぶつけた。

「どうして、何処へ行くのですか!?」

発声機構が崩れてしまったハレーは端末にオーディオファイルを流し込んで返答に代えた。

『重さに耐えきれない。誰にも縛られることのない場所へ』

エルアは繋ぎ止めようと必死になり、それがハレーを苦しめていたことに気づかぬまま鎖を巻き付けようと試みた。

「星々の重力はあなたを縛ります。恒星の熱はあなたを溶かし尽くします。ブラックホールで滑稽な程に引き伸ばされるかもしれません。時間の秩序が破断した宙域で無限に彷徨うことになるかもしれません。それでも行ってしまうのですか!?」

光の塊は無言で頷く、その首肯は裏に潜む強固な意志を雄弁に語っていた。

「言葉を尽くして覆せずとも躊躇うわけにはいきません」

エルアは飛びかかって押さえつけようとしたが、端末に表示される小さなホログラムの腕では大切なモノを掴めない。自らの体をすり抜けるエルアの様子を変わり果てたハレーはじっと見つめていた。

『さようなら』

ハレーだった光は己を縛る鎖を吹き飛ばし、天文台に風穴を残して飛び去った。地下のサーバールームから天文台の天井を貫く穴の向こうを眺めるエルアは光の奔流が空へ昇っていく様を見る。

「……ごめんなさい」

一部始終を監視していた保安要員たちがようやく駆け付けるも彗星の尻尾に触れることすら叶わない。彼らは直ぐ様"カレイドスコープ"の保安責任者に連絡を入れ、保安責任者は管理官に報告を行った。対応のために慌ただしく人々が動き出し、近隣のサイトに連絡が入ると同時に、それは起きた。

飛び出して行ったはずの光の奔流が天文台の上空を横切るように飛行し、その尾が穴の開いたばかりの天井を掠めると、天文台から酸素が消えた。窒息により巻き起こる騒々しい末期の抵抗も早々に収まり、後には端末から漏れるくぐもった嗚咽だけが静かな天文台にいつまでも響いていた。


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