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冷たい鉄の箱が動き出し、液晶に刻まれた数字が1つずつ減っていくのを見てため息が出た。これでみんな助かる。10秒ほど前、息を切らしながらクラスメイト達とエレベーターに駆け込み、やっと安全な場所についたと安堵していたら、定員オーバーを示すブザーが鳴った。先に入っていた同級生が一斉に私を見つめ、その瞳は普段よく動く口よりも雄弁に彼らの意思を語ってくれた。
"降りて"
私が乗ったのは一番最後で入り口に近かったのは確かだ。でも選ばれた理由は多分そうじゃない。私がクラスに馴染めていなかったから、彼らは無意識の内に目を向けたんだ。群れの脆弱な個体を捕食者への囮にする動物と一緒だ。現実逃避の思考を遮るように振り向く。廊下を塞ぐほど大きなラーメンの器が8本のこれまた大きな箸に支えられて直立していた。器から湧き出る湯気と黄色い触手は鶏がらスープの香りを辺りへ撒き散らしている。触手の1本は先端にナルトを備え、その中心にある1つ目が私を見つめていた。遡ること5分ほど前、部活紹介中に料理部のラーメンへ何かが入り込み、何の変哲も無かったそれは見る見るうちに巨大化して襲い掛かってきた。
ラーメンの怪物はゆっくりと箸を動かして近付いてくる。
「こないで!」
両手を前に突き出して声を張り上げても怪物は止まらない。器から伸びる黄色い触手に両手足を縛られ持ち上げられると、チャーシュー2枚で口のように象られた穴の中へ押し込まれそうになる。にわかに恐怖が湧き上がってきた。こんなふざけた怪物に食べられて終わりたくない。必死にもがいても触手はビクともせず、あまりの強度に鋼鉄のワイヤーで拘束されているのかと錯覚してしまう。
「放しなさい!」
「悲しむことは無い」
ラーメンの怪物が獲物を呑み込む動作を中断して告げた。低音の渋めなバリカタで、滑らかによく通るトンコツボイスが鼓膜を震わせる。会話が出来るなら交渉の余地があるかもしれない。
「あの──」
「貴様は我がメンスーとなり、約束の地カハタへの昇天が約束されるのだ。安心せよ。苦痛は与えぬ」
「ヤッ……イヤァ!」
使っている言葉は同じでも会話が通じないタイプだった。全力疾走したばかりの体に鞭打って力の限り暴れる。抜け出せそうな感じは微塵も無い。チャーシューの間に広がる闇が近付いてくる。
「誰か助けて!」
突然の浮遊感と衝撃、気付けば床にへたり込んでいた。顔を上げれば私を縛っていた触手が切断されている。前方から今までにない気配を感じて動かした視線の先にソレは居た。私とラーメンの間に知らない人が背を向けて立っている。差し色のように金色のメッシュが入った腰まで届く豊かな黒髪と、全身を覆う黒い靄、腕から枝分かれのように伸長する黒く太い触手が見えた。
「我が食を妨げるは誰ぞ」
「キミが知る必要はない」
謎の人物──たぶん女性──が腕を振るう。8本の割りばしが砕け散り、体勢を崩したラーメンは床に落下しながら触手を隙間なく乱入者に殺到させた。戦闘が行われているのは狭い廊下であり、どうあがいても回避できない。敗北は必至だ。ところが彼女は避けるどころか黄金の槍衾へ躊躇なく突撃し、その姿は硬質の麺流に埋もれてしまった。
「他愛ない。使徒たる我に敵う筈が──」
言葉は陶器にヒビが入るような音で遮られた。視線をラーメンへ向けると、器には何本もの亀裂が走り隙間からスープと思しき液体が漏れ出している。そして謎の人物は器の根元で腰を落とし、拳を打ち込んだ体勢で停止していた。彼女の周りには何本もの折れた触手が散乱している。
「ありえん。我が神より与えられし器を貴様如きが」
「キミを作ったのは料理部の生徒たちで器は学校の備品だよ。廃棄食品さん」
言い終えると同時に拳が引き抜かれた。この世の物とは思えない悍ましい慟哭が廊下に響き渡る。砕けた器からは具材が流れ出していた。床に散らばったそれらはもはやピクリとも動かず、1体の怪物が志半ばで果てた事実をハッキリと示している。目の前で繰り広げられた光景に呆然としていると謎の人物が振り返った。顔と体は殆ど見えないが、靄の隙間から黒と碧のオッドアイが露出している。その瞳に宿る感情が何なのか、その答えを私は知っているような気がした。
「あ、あの、ありがとうございます」
「キミ、名前は?」
「へっ!?あ、フィ、フィオナ・セイレムでしゅ!」
まさか名前を聞かれるとは思っておらず慌てて答えたら噛んでしまった。頬が真っ赤に染まったのを自覚し、両手で顔を隠す。
「良い名前だね。それじゃ」
「待ってください!」
"私と同じ思いを抱えていますか?"なんて聞けるわけないと気付いたのは呼び止めた後だった。高速で思考を巡らせる。
「ん、どうしたの?」
「なんで、私を助けてくれたんですか?」
咄嗟に別の問いで誤魔化した。しばらく考えるような素振りをした後、命の恩人はあっけらかんとした様子で言い放つ。
「なんとなく、かな」
言葉の意味を考えている間に彼女は何処かへ去っていた。
昼休み。私はいつものように空き教室の椅子に座って弁当を広げている。
「フィオナちゃん。来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「こちらこそお招きいただきありがとうございます」
私を招待してくれた部屋の主こと"クロ"は優雅な所作で机に腰掛けている。彼女は見慣れないデザインの制服を身に着けていた。学園のマークが入っているので花籠の制服で間違いないが、同じデザインの制服を着ている人は他に見たことが無い。
「それじゃあ。今日もお話聞かせて」
「はい。この間は酷い目にあって──」
ラーメン騒ぎの後、図書委員会委員長の龍涎 香りゅうぜん かおるから呼び出しを受け、学園内のある棟と部屋番号の書かれたメモを渡された。訳も分からず指定された場所へ向かうと、そこに居たのは龍涎先輩ではなくクロだった。私は面食らいつつも彼女から請われるままに最近の出来事などを話しつつ弁当を食べ、昼休みが終わる少し前に教室へ返された。それから1週間に1度、同じ時間に同じ教室で同じことをしている。ボッチ飯を黙々と貪っていた以前より遥かに楽しい昼休みを過ごせていた。
だから、私は多くを尋ねない。
クロの髪と瞳はあの時私を助けてくれた人と同じ特徴を備えていた。話し方も声もまるっきり同じである。それなのに彼女はあの時のことを何も話そうとしない。初めは私も聞き出すつもりだったが、軽く触れてもはぐらかされるばかりで進展が無かった。そうなるとより踏み込んだ質問が必要となる。しかし、あの件について触れてほしくなさそうな態度を取る彼女にそんな聞き方をすれば、機嫌を損ねて2度と呼んでもらえなくなるかもしれない。それは嫌だ。ここに来てから過ごした寂しい日々の中で幸運にも降って来た交流の機会を、詰まらない疑念ごときで失うわけにはいかない。誘いを断らない理由はもう1つあった。あの時感じた思いだ。彼女の纏う雰囲気は間違いなく私と同じものだが、それが具体的にどんな感情なのかはまだ分かっていない。それを突き止めたかった。
「それは大変だったねえ。あそこは怖い人も多いから、今度からなるべく近付かない方が良いんじゃない?」
「そうですね。いくら戻してもらえたとはいえ、水を飲んだだけで酩酊状態になる体質なんて2度と御免です」
「うんうん。あ、そうだ」
何かを思い出したかのように手を叩いたクロは、少し身をかがめて顔を覗き込んできた。お互いの距離が縮まる。彼女はいつも机に腰掛けるので、顔を見て話すために私は結構な角度で見上げなければならなかった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「ど、どうしたんですか急に?別にいいですけど」
両者の顔がそこそこ近付いたにも関わらず、陽射しを背にしているクロの顔は陰になっていてよく見えない。
「ボクの正体は何だと思う?」
問いを告げる彼女の声は別世界の空気を孕んでいるかのように異質だった。午後の陽気で満たされていた体に悪寒が走り、思わず生唾を呑み込んでしまう。正体って……なに?
「はい!時間切れ~」
「えぁ、ちょっと待ってください!」
いつも通りの声音で理不尽なタイムアップを告げる彼女には不穏な気配など少しも残っていなかった。私が聞き間違いでもしたのだろうか。
「冗談冗談~だいじょーぶだよ」
力を抜いて椅子に深く腰掛ける。
「期限は明日の同じ時間ね」
微笑みと共に宣言された言葉は、問題と真剣に向き合うことを求める気迫を備えていた。
授業の合間やちょっとしたスキマ時間を使って、私はクロの問いに対する答えを探す。
「はぁ」
データベースの検索画面を閉じる。現在の1年から3年までの生徒一覧にクロの名前は無かった。そもそも彼女が教えてくれた名前は偽名かもしれない──ここを疑い出すとどうしようもない。資料がダメなら生の情報だ。
「ありがとうございましたっと……はぁ」
ウィンドウを閉じる。ガーデンシステムを応用した学内チャットの質問板で彼女のことを聞いても成果はさっぱりだった。クロのことを知っている学生はいないか、いたとしても名乗り出る気が無いらしい。結局それ以上の目ぼしい情報を得ることは出来ず、情報収集は空振りに終わってしまった。
「そもそも正体ってなんなのよ……」
放課後、気分転換に図書室へよって面白そうな本が無いか探る。ダウンロードすればどこでも読めるけど実家に置いてあったのは大半が紙の本だったので、そっちの方が手に馴染んだ。借りる予定の本を何冊か抱えて室内を彷徨い歩く。
「物語っていいよな」
後ろから声を掛けてきたのは物語研究会(通称: ブッケン)の会員、鬼灯 顎ほおずき がくだった。室内だというのに頭から赤褐色の外套を身に纏い、大きな瞳をめいっぱい広げている。
「ほ、鬼灯先輩!?いらっしゃったんですね」
「気付いたらここに足が向いてたんだ。今はどれも読めないけど」
「読めないというと?」
「カオルを怒らせちゃってさ」
花籠学園の図書委員長である龍涎 香は学園内の図書室と、その蔵書に関連する多大な権限と義務を有していた。しかし、彼女がそれを乱用したという話は今まで聞いた事が無い。鬼灯先輩はこっぴどくやらかしたんだろう。
「まあ正確には読めないって言うより、頭に何も入ってこない」
上手く理解できなかった。今の私はさぞ呆けた顔をしているに違いない。
「そうだな。文章から何も感じられないって言えば分かるか?あいつに貰った本を読んでこうなったから、最初は文章にミームとか認識災害が仕込まれてたんだろうと推測した。だが、調べてみたらどうもそういうのとは根本的に仕組みが違うらしい」
物語が主食と豪語する程の読書好きで有名な彼にとって、本を楽しめないというのはかなり辛そうなものだが、意外なことにそれほど深刻な状態ではなさそうだった。
「そういえばフィオナってさ。ここに入るまではどんな感じだったんだ?」
「私、ですか……?」
いつのまにか床も壁も何もかも消え失せ、私の体は昏い海の底へ沈んでいた。視界の端に影が入り込む。段々と近付いてきたソレは赤褐色の巨大なイカだった。私の体より大きな目と視線が重なる。その瞳を見つめていると頭の中で警鐘が鳴りだした──私の中から何かが失われてしまう!しかしそこに息苦しさや恐怖は無く、むしろ心地よさすら感じられた。

「そこまでになさい」
穏やかでありながら熱を感じる声音で現実に引き戻される。私の周りにあるのは海水ではなく床と壁、空気と本だ。鬼灯先輩へ目を向けると、彼は頭を動かさずに目だけを横に向けていた。視線の先には他ならぬ龍涎先輩が本を片手に佇んでいる。
「なぜここにいる?」
「ある方からご忠告いただきまして」
「なるほど、あいつの仕業か」
2人が共有している前提情報が多すぎて会話についていけないが、辛うじて誰かのおかげで助かったらしいことだけは分かった。
「この場は退散するとしよう」
「二度といらっしゃることが無いよう心よりお祈りいたしますわ」
ひらひらと手を振って鬼灯先輩は図書室から出て行く。私に話しかけてきた時と龍涎先輩と話していた時、どちらが素の口調なんだろう。彼が傍を通り過ぎた時、塩辛い匂いが鼻を突いた。
「セイレムさん。借りる本をお探しのようですわね。わたくしのおススメはこちらです」
そう言って彼女から幾つかの本を手渡される。見覚えの無いものばかりだ。
「ありがとう、ございます」
気力を振り絞って謝意を口にしてから、貸し出し登録を済ませて帰宅の途に就いた。図書館でかなりの時間を過ごしてしまったらしく、危うく通学用モノレールの最終便を逃すところだった。
湯船の中で膝を抱えて体を見つめる。他人からは陰で「病的な」と喩えられる白い肌だが、私は両親との血の繋がりを感じられるこの色が好きだ。父譲りの金髪をかき上げ、水面を見つめれば母譲りの青眼が見つめ返す。1人暮らしがこんなに寂しいなんて。
「はぁ」
嫌な気分を振り払い、明日には答えなければならない問題を考える。クロの正体とは何なのだろうか。暫くの間あーでもないこーでもないと思考を巡らせても、一向に解決の糸口は見えてこない。思ったより時間が立っていることに気付き、のぼせ掛けていた体を引き上げ、しっかりと水気を拭き取ってから脱衣所へ出た。パジャマに着替えてリビングのテレビを付ける。特に見たい番組があるわけではないが、こうすると少し寂しくなくなる。
ソファに腰掛けてボーっとしているとテーブルに重ねられた本の塔が目に入った。そこから先輩にオススメされた2冊を抜いてタイトルを確認する。
1冊目は『取り寄せ魔術アポーテーションの危険性』現在地から遠く離れた場所のものを文字通り"取り寄せる"効果を持った奇跡術の危険性と、過去の事故例の検証レポートを纏めた本だった。
2冊目は『闇の花籠学園史~剪定された忌まわしき過去に迫る~』トンデモ暴露本を何冊も出して炎上している有名な出版社の本だった。読む気が湧いてこない。先輩は何を思ってこんなものを渡したんだろう。
「なにこれ」
1冊目の途中に折りたたまれた新聞の切り抜きが挟まっていた。10年以上前に花籠学園で起きた生徒失踪事件──地球外生命体研究会という名で活動を行っていた学生4人が部室から忽然と消失した未解決事件についての記事だ。記事には行方不明となった生徒の顔写真と名前が載っていた。そこに思いがけないものを見つけてしまう。
「クロ、どうして……?」
彼女と瓜二つの顔が失踪した生徒として記載されていた。併記された彼女の本名へ目を向ける。
「外星神 くろ……」
小声で呟いたはずの言葉がやけにハッキリと聞こえた。本を置き、PCを立ち上げて市内図書館の仮想書庫へアクセスする。この事件について詳しく調べなければならない。それが彼女の正体を探るカギになるはずだ。
ニュースが夜の11時を告げた。
昨日と同じ時間、同じ空き教室でクロと向き合う。彼女はまた机に腰掛けて薄っすらと笑みを浮かべていた。私が視線を合わせるためには見上げなければならない。
「あなたの正体が分かりました」
彼女に何か言われる前に先手を打った。昨日は会話の主導権を握られっぱなしだったけど、今日は私が主役だ。クロは広げた両手の指を顔の前で合わせている。
「朝からずっと考えてたんだ。キミがどんな回答をしてくれるのか」
「待ってください。先に推理を話してからです」
「あぁ……うん。良いよ」
クロはラーメン騒ぎについて聞いた時と同じような雰囲気を醸し出していた。だけど、今日こそは躊躇わない。そう誓ってここに来たのだから。
「何年も前、この学園で部活を行っていた学生4人が行方不明になりました。失踪した生徒の中にはクロの名前もあったんです。これは明らかな異常事態ですよね」
「それで?」
「調べみたら面白いことが分かりました。事件当日、花籠学園内にあったEVE関連の観測機器が10000キャスパーを超える強さのアスペクト放射を記録していたんです。これは全ての機器が故障を起こしたのでもない限り、学園全体が大規模な超常現象に見舞われていてもおかしくない数値です。しかしそんな現象は観測されていません。私は機器に残されていた記録を元にマッピングを行いました。驚くべきことに、放射の発生源はこの部屋だったんです」
呼吸を整えてクロに目を向ける。彼女は真顔で私を見下ろしていた。目を逸らそうとする弱気を抑え込み、しっかりと下から顔を見据える。
「記録されていたアスペクト放射の色相、ピッチ、構成をICSUTのデータベースで照合した結果、ある魔術を使用した際に出る痕跡と酷似していました」
相槌を待たずに言葉を繋ぐ。
「星間規模のアポーテーション。かつてこの部屋では、星を跨いだ召喚の儀式が行われていたんです」
何の変哲もない空き教室で学生たちは遥か彼方へ呼びかけていたのだ。彼らが何を想ってそうしていたのかまでは分からないが、クロの問いを解きほぐす切っ掛けになってくれた。
私が推理を言い終えるとクロは直ぐに口を開いた。
「よく一晩でそこまで調べたね。ちゃんと寝た?」
「徹夜に決まってるでしょ……いえ、今はそんなことどうでも良い。大切なのは、あんたが星間規模のアポーテーションによって発生したであろうバックラッシュを免れたこと!儀式を行った学生たちは宇宙の彼方へ飛ばされたはず。しかし、そうならない者が1つだけ存在する。それは呼び出された対象」
大きく息を吸い心を落ち着けた。弾は既に込められ、撃鉄は上がっている。後は撃つだけだ。
「クロ、あんたの正体はエイリアンよ!」
口調を繕う事すら忘れて力強く言い切った。興奮と緊張で顔が上気する。彼女はパチパチと乾いた拍手と共に応答した。
「大当たり~」
その言葉と声音はどこか投げやりだった。そう感じたのは恐らく気のせいでは無い。彼女の態度は、正解した回答者に対する出題者のそれとはまるで違う。むしろ、間違った答えを自信満々に語り終えた回答者への失望を帯びていた。
「本当に合ってるの?」
「そうだよ。で、回答は終わり?」
何かを言おうとして、けっきょく何も出てこなかった。無言のまま頷く他に出来る事は無い。
「そう。ご苦労様。帰っていいよ」
言うやいなや彼女は机に座ったまま体を反対へ向けた。その背中が震えていることに気付き、終わらせたのは私なのに思わず口を開いてしまった。
「ねえクロ──」
「帰って!」
沈黙が場を支配する。正解の喜びは微塵もなく、むしろ敗北の惨めさが心を満たしていた。今度こそ何も言えずに背を向けて廊下に出て自分のクラスに戻った。席に座り机に突っ伏して頭を抱える。クラスメイトたちの喧騒がいつもより騒がしく感じたのは、彼女の周りが静けさに満ちていたからだろうか。意思だけがまだやれると意気込んでいても情報が、思考が伴わなければ駄目なのだ。分かっていても悔しさは収まらない。
「セイレムさん。放課後お時間いただけるかしら」
聞き覚えのある声が絶望と後悔の淵から私を呼び覚ました。
夜の屋上で草花を眺めつつ思案に暮れる。今回は答えこそ間違っていたがアプローチは面白かった。沢山の新入生たちに声を掛けてきたけど、あんなルートで推理してきたのは香くらいだ。聡明な彼女は間違いなくあの先も、私が求める本当の答えも知っていたに違いない。それなのに口に出してはくれなかった。知らないふりをした。わたしが、居なくなってしまった彼らの代わりを求めているに過ぎないからだろうか。
「クロ!」
意識外から呼びかけられたことに動揺して反応が遅れる。一帯に張り巡らせていたはずの探知端末は1つも反応していない。
「っ!……何しに来たの?」
振り返った先、フィオナは怒ったような悲しそうな顔で私を見据えていた。夜闇に溶ける青い瞳の目元には真っ赤な痕が付いている。
「やっと同じ高さで話せるわね」
普段の彼女とはまるで異なる砕けた口調、今日の推理でもそうだった。しかし、それほどまでに感情が高ぶっている理由が分からない。先ほどは完全に打ちのめされていたというのに。
「机のこと?ごめんね。あれ昔からの癖で」
「そうだったの。それじゃあ本題に入るわ。あんたの求める答えを伝えに来た」
「キミが見つけられるわけ」
あまりにも荒唐無稽な発言で思わず内容を聞く前から否定してしまいそうになる。あまりにも真剣そのものなフィオナと相対し、いつの間にか気圧されていたのかもしれない。
「無いと言い切れますか?」
声はフィオナの後ろから聞こえた。私にとって暗闇は問題にならない。人ならざるモノの双眼で彼女の背後に目を凝らす。瞳に映し出された光景は信じ難いものだった。
「カオル!?なんでここに、どうしてキミがフィオナと……」
頭の中で瞬時に導き出された答えは最も有り得ないもので、しかしこの状況が成立するにはそれしか無かった。
「まさか教えたの?彼女に、すべて!」
「そうですわ」
「なんてこと……約束を忘れちゃった!?」
地球外生命体の怒号を前にして、彼女は臆することなく首を横に振った。
「いいえ」
「じゃあなぜ……」
「セイレムさんはまだ諦めていません。それに、見ていられないほど可哀想な知人がいたので」
次に口を開いたのは私でも香でも無かった。
「クロ!龍涎先輩から色々聞かせてもらったわ。昔の花籠がどんな場所で、そこに喚ばれたあんたと、あんたを喚んだ3人のことを。でもね。あんたの問い掛け、あんたの欲しい答えは私が考えて考えて考え抜いて、自分で導き出したの。だからお願い。もう一度だけチャンスをちょうだい」
首を横に振った。先に聞いておかなければならないことがある。
「どうしてそこまでボクに関わろうとする?」
「それは……あんたが助けてくれたからよ」
「あれはちょっとした気紛れだよ。なんとなくっていうのは言葉通りの意味さ」
「それでも嬉しかった。だけど、本当はそれだけじゃないの」
黙して続きを促す。
「あんた、ホントは寂しいんでしょ」
「……なんで?」
「私も同じだから」
胸の奥で何かが打ち震えた。
「初めて会った時から他人の気がしなかったのよ。どこが、とかあの時は分かんなかったけど。やっと理解できたわ」
ほんの少しだけ、フィオナの瞳に希望のようなものを見てしまう。彼女は、常に上から見下ろしていた私に目を合わせてくれていた。頭を振って冷静に思考する。そんなものはまやかしに過ぎない。彼女と彼らは違う。でも、気になってしまった。彼女の導き出した問いとその答えを聞いてみたくなってしまった。
「1度だけ、今回限りだ」
「ありがとう。クロ」
「カオル。これはキミにも言ってるんだよ。もう二度と、こんな真似はしないで」
香は無言の首肯を持って応答する。フィオナが私との距離を詰めた。彼女の口から発される答えを、一言一句聞き逃さない様に聴覚を最大稼働させる。
「あんたの問い掛け。ボクと友達になってくれる?」
「あんたの欲しい答え。いいよ、私がなってあげる」
脳を揺さぶられたかのような衝撃で全身から力が抜ける。ヒト型を維持できない。ゆっくりと本来の私を彼女たちにさらけ出す。それは初めてあった時とも、普段見せている姿とも違う。一切の飾りを取っ払った私の真の姿だ。フィオナの瞳に悪夢から抜け出してきたような生物が反射している。もう一度問い掛けよう。今度は私の口から、私の声で。
「この姿、この声を前にしても答えは変わらな──」
「変わらない!」
言い終えるより早く暖かな感触に包み込まれた。あんな小さな体が私を覆うほどの熱を発している。ああ、懐かしいこの感覚は、彼らと同じだ。
「大正解ありがとう」
花籠学園の昼休み。空き教室で2人の学生が歓談に興じている。お互いが言葉を尽くし語り合う彼女たちの間には、片方が一方的に語っていた頃より多くの笑顔が花を咲かせていた。
結
付与予定タグ: jp tale yakushi 1998 花籠学園 qコン22
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ジャンル
アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:5875210 (22 Nov 2019 06:43)
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