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長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地上階層)
下水道商業化計画Sewerage Commercializing Planning日本法人本社ビル敷地内
A棟(管理職員用執務区画) エントランス前広場現地時刻(JST) PM6:32
どの建物も窓が破られ、煤けていた。各種の消化手段は正常に作動しているにも拘らず、まだ炎が中で燻り続けているものもある。頑丈な鉄筋コンクリートの壁面は無数の銃撃で打ち砕かれ、剥がれ落ち、穴だらけだった。
自分達を奉仕者/義勇兵と信じて疑わない彼らは、自分達が何のためにこの場所を攻撃するのか知らされていなかったし、知ろうともしなかった。狂信者達に必要なのはただ行動を起こす動機と分かりやすいランドマークだけだった。
即ち、外国資本の企業が世界一整備され、しかしその寿命が尽きようとしているこの国の水道インフラを牛耳った挙句、清潔な水を得る権利さえ奪われようとしているのだと。生命線である海上輸送路の多くが封鎖され、物価の高騰、娯楽産業の衰退に襲われた国民は、その不満の捌け口を探していた。
"彼"は支持者に最も都合の良い"真実"のストーリーを、SNSの文脈から読み取れる彼らの嗜好に併せて構築し、何気ない日常と魅力的なプロフィールとを織り交ぜながら、数年にも亘ってそれらを断片的に、そして思わせぶりに語り続けた。そして絶えず寄せられる"彼"への批判に対して真摯に反論して見せた。その振る舞いは、少なくとも彼より知性が低い大多数の人間にとっては、先入観に満ちた罵倒混じりの批判者よりも遥かに知的に見えた。そして彼らはこう思ったのだ。"彼は自分の不満を代弁してくれている"と。まるで"彼"が言語化する前からその概念を自らの精神に宿していたのだと言わんばかりに。
多くが"彼"のメッセンジャーとなる事を望み、一部はそれに成功したのだろう。"彼"は正に"インフルエンサー"を体現していた。
それは組織ではなかった。各々が漫然と社会と自分の置かれた環境に不満を抱く個人でしかなかった。家族、友人、恋人が、"彼"のフォロワーに含まれていたとしても不思議ではなかったが、そのバックグラウンドが彼らを結びつけた訳ではなかった。形の無いそれらに共通の拠り所を与えられたように感じたという事、彼らの共通点はそれだけだった。日常的に見聞きする文脈に言語化された"彼"の意志が僅かに含まれるだけで、長い時間を掛けて揺り起こし、補強していった。啓蒙した訳ではない。"彼"はそれを"事実"として伝える最小限の言語を点として置いただけだった。SNSでは彼のフォロワーの内、一際目立った幸運な者が新たな"伝道者"となり、彼らは情報源も定かではない上辺だけの知識を饒舌に語り、点と点を繋いだだけで、新しい何かを見つけ出したような自己肯定感を、優越感を満たしていった。
そして、分かりやすい敵を一方的に優位な体勢で蹂躙する熱狂に酔いたいのは人類共通の欲望であって、それらを互いに繋ぎ合わせたのは、"彼"自身の言葉ではなかった。
仮に人口に占めるバカの割合が1%だとしても、彼らは愚者の遺伝子を後世に残し、愚かなまま一生を終えるだけだ。しかし、愚かさとは相対的な物であって、より愚かな者が少しマシな者の幸福の犠牲になる。そしてその事さえ理解できない大馬鹿者はその中の更に1%に過ぎないかもしれない。しかしそんな大馬鹿者さえ世界には70万人も居るのだ。そして70万人の内何人かは武器を持っているし、突拍子もない陰謀論を根拠なしに信じ込む者も、目の前の危険を避ける事さえ出来ない者も居る。それでただ死んでくれれば後世に彼らの遺伝子が残る事は無いだろうが、残念ながら彼らは優越感中毒という点で共通している。剥き出しの暴力、"真実への気づき"、或いは"ただの風邪如きに恐れを抱かない不屈の精神"を示す事で"優位"を自認している。そしてそれに惹かれる超弩級の大馬鹿者も確かに存在するのだ。同じ川に2度と入れないこの世界では、高次認知と後知恵バイアスを自ら区別するのは存外に難しい。
確かに、動機だけで人は行動を起こせる。そして確かに動機付けは為された。だが、手段があればその心理的ハードルはより低くなる。投石や手製の火炎瓶よりM16の方が遥かに分かりやすい代物だ。誰がどんな手段で贈り物を届けたのかは別として、それを手にする事が出来た者は、決心を固めるのにさほど葛藤は無かったに違いない。更に言えば彼らはSNSで、VoIPアプリで、根拠のない連帯感に昂揚すると共に、無意識の同調圧力を互いに掛け合っているのだ。
上瀧管理官は喧騒の残滓を前に立ち尽くしながら述懐した。彼をここまで連れ出した保安要員は壁に背を預けたままの姿勢で事切れている。
では、彼らは何をしたのか。自家用車で近くまで乗り付け、自動小銃や軽機関銃でサイトの建物も職員も区別なく撃ちまくり、手製の火炎瓶を投げ、ガソリンを撒いて放火した後、逃げ出してきた職員を捕まえ、壁に並べて立たせて撃ち殺した。彼らにとっては攻撃そのものが目的であって、彼らはその初めて身を置く状況にただ熱狂し、酔いしれただけだった。日本国内でこの種の攻撃が発生し得るなど誰も考えなかった。保安要員が常時携行する最も強力な武器はドイツ製の9㎜拳銃だ。それさえもこの国では過剰な装備だと考えられていた。施設の地下階層にはもう少しマシな物が幾つかあったが、警備主任が武器庫のロックを解除したのは既に敵が敷地内に雪崩れ込んだ後だった。
彼は前任者の言葉を思い出していた。
"この国でテロは絶対に起きない。日本人は恐怖に鈍感だからだ。彼らにとって常識というものはそれほどに強く、変化とは見出すものではなく与えられるものだ。そして一度変化が始まれば、ここでは新たな常識に取って代わる。言語のせいか、彼らは一際認識バイアスが強い。だから、心理戦は長期化するが、変化を維持し続ける事が出来れば、その状態は容易く定着する。10,000tの焼夷弾で首都を焼き払われて僅か10年で復興を遂げた原動力は、与えられた変化と、その"常識"を手放したくないという心情だったに違いない。カルトが毒ガスを撒こうと、歩行者を次々にナイフで襲おうと、それをテロとは思わない。常識から外れた狂人が、常識外れの行動をとった程度で彼らの日常は乱されない。"
"だが、同時に変化を、いや、変化の供給を渇望する。だから何かが起きた時、カバーストーリーの流布よりも、それらしい怪談や都市伝説を対抗神話とセットで流布した方が遥かに良い。彼らはそれを望む。自分に知性で理解できない事を、それの及ぶ範囲の外に置き続ける事で、彼らは常識を守る事が出来るからだ。故に、変化を望むときはダブルスピークを効果的に使用せよ。"経過措置"、あれは良い言葉だ。そう、彼らの日常にとっては信条も概念もルールもない。常識こそがフレームワークだ。"
上瀧管理官は警備の不手際を責める気にはなれなかった。銃火器で武装した数十人の暴徒が後先構わず押し入ってくる状況なんて誰も想定していない。不審者を尋問し、必要に応じて連行する以上の役割、そして能力を保安チームに期待する事は無かった。紛争地帯であれば話は別だが、ここは日本だ。
夜が明けようとしている。彼は破れた有刺鉄線越しに朝焼けを見つめていた。何も心に浮かばない。このような状況で生き残る為の訓練など受けていないし、そもそも何を考えれば良いのか、それさえ彼は知らなかった。そして何より、彼にはもう気力が無かった。彼の手には無線機とまだ一度も発砲していない拳銃があったが、それさえ彼にとっては只の重荷でしかなかった。
遠くに見える街の灯り、気づいた時はいつもと変わらないように見えたが、空を覆う煙で気づいた。目に見えるものは近くも遠くも全て燃えている。
上瀧管理官は自身の役割と立場を正しく理解していたし、他と同様に忠実な職員だった。総支部が現状を把握できていないとは思えない。だが救援を寄越す事は出来ないのだ。そして襲撃者の正体も不明、だが思い当たる節は幾らでもある。ではどうすればいいか。
まずは職員の所在を確認する。そしてここに残って情報を集める。この状況を他に見ている、敵ではない誰かが彼を救うに値する存在だと認識させるのに十分な情報を。まだ生きている設備が残っている筈だ。彼はもう一度、彼をここまで連れ出した男の死体を見やった。彼には悪いが、私はまた戻らねばならない。だが、君の犠牲を無駄にするつもりはない。
東京都多摩地区: 横田飛行場
アメリカ逸脱戦対応軍USDEVWARCOM戦略介入・阻止・防衛統合機能構成部隊JFCC-SIID1前線作戦拠点FOB
仮設ブリーフィングルーム現地時刻(JST) PM9:57
ハンガー内には巨大なディスプレイとコンソールが幾つも配置されており、すぐ後ろではメインフレームが全力で稼働している。だが冷房は無い。出席者は全員、何度も汗をタオルやシャツの裾で拭っていた。
ディスプレイの前で進行役を務めるのは、まだ20代の様に見える若い女性だった。フィールド・グレーの士官用標準勤務服と少佐の制帽を着用している。部屋の隅にはもう一人、女性が腕を組んで佇んでいる。深く被られたキャップのせいでその容貌は伺えない。首元に僅かにはみ出たブロンドと女性にしては高い身長以外、その特徴を捉える事は出来なかったが、"少佐"と異なり彼女は私服だった。飾り気のないTシャツに黒のストレートデニム。
「中華人民共和国人民解放軍海軍PLAN北海艦隊に所属する039A型SS2の一隻、ハルナンバー340が行方不明になってから1か月が経過する。中華人民共和国国家安全部MSS第19局に対する電子情報収集ELINTは、当該アセットが何かしらの逸脱戦プロファイルに参加している可能性を示している」
彼女、ローザ・アルヴァレス連邦国防軍少佐の表情はサングラスとキャップで隠されていた。"情報通"IASSの実働部隊──それは書面上の秘匿名称さえ存在しない本物の"影の部隊"BlackOps──を率いる指揮官だと聞かされた時、何名かは冗談だろうという顔をした。
「我々は、この数ヶ月間、MSS第19局による日本支部へのサボタージュを監視していた。正確にはMSSの複数部署が絡んでいる。君達も知っている通り、中華人民共和国人民解放軍PLAは"肉の奔流"ではなくこちらを、つまり日本及び合衆国インド太平洋軍USINDOPACOMとの開戦を準備している。防衛省情報本部DIHは葫芦島と旅順にあと50隻~100隻が集まれば始まるだろうと予測している。現状のペースが続くなら最長でも3か月以内だ。第19局、及び財団中国支部ドラゴンウォーターは恐らくこの国に存在する財団日本支部サムライ・ロック資産の奪取、解放、或いは破壊による兵器化を目的にしている可能性が高い」
彼女は手元のコンソールを操作し、別の映像を映す。武装した3~40名程度がどこかの施設に殺到し、破壊の限りを尽くした後に意気揚々と引き上げていく様子が映っていた。それを見る限り、襲撃そのものが目的であってその施設が何なのか、或いはそこに何があるのかを理解している様子は無かった。
「この映像は3時間前、サムライ・ロック施設への襲撃を捉えたものだ。施設名称はエリア-81F。MSSの手引きした密輸物資を追跡している過程で偶然に確認された。映像解析によれば保安部隊SecOpsに生存者は無し。だが問題は、これが起きた場所だ。ダル・エス・サラームでもベンガジでもダマスカスでもない。そしてまた、サムライ・ロックは情報統制以外に何の対応も行っていない。逸脱性対応軍DEVWARCOMは財団本部フラミンゴから機動部隊の動員要請を受けていないし、奴ら子飼いのアセットが招集された形跡もない。そしてこちらからの問い合わせには一切応答しない。現地に中国共産党ダブル・チャーリーの中枢、或いはドラゴンウォーターによる工作が進行中の可能性が高い。支部間の協定に沿った対応、という訳だ」
再度ディスプレイが静止画に切り替わる。鋭い目つきの若いアジア人男性。更に数枚のプライベート写真、水着姿でのハグ。しかし、二人ともその表情にはどこか獰猛なものを感じさせる。
「この男の名は劉暁光。3年前、総参謀部第二部から国安部第19局に移籍、軍籍は我々で言う所の大尉。婚約者はドラゴンウォーターの政治局員、張葉青。後者の関与は不明だが、前者は今年に入ってから複数のヤクザ・クランとの取引現場に顔を出している。この写真はそれをマークしていた我々のアセットが捉えたものだ。当該アセットは関連組織の拠点を制圧、銃身は中国国内で生産されたコピー品に交換され、シリアルは消されていたが、2019年、香港民主化デモ鎮圧の際に和勝和の拠点を香港警察HKPDが強襲した際に押収されたものである可能性が高い。銃表面と薬室内からは中国製の催涙手榴弾に用いられるクロロアセトフェノンに極めて高レベルで一致する成分が検出された。そして劉暁光はデモが激化したタイミングで特殊戦術小隊3の顧問として招集され、その時期を境に押収品の内、特に違法薬物と銃器の多くが行方不明になっているという事実がある」
"MSSが内乱工作を企図するのは理解できますが、何故それがサムライ・ロック資産の襲撃に使用されたんですか?"
聞いていたメンバーの一人が手を上げながら口を開く。
「今回はその窓口が異なる。ここ数ヶ月、密輸品の取引現場が何者かに襲撃される事件が3件発生した。立ち会ったヤクザは全員遺体どころか血痕さえ残さず消失。その全てで未知の酵素を含んだ体液と血液が微量検出された。つまり肉体改変能力者Type Yellow、又はその系統の術式を駆使し得る魔術使役者Type Blueが関与した可能性が高い」
"我々の仕事は人型知的逸脱実体Colouredのテロリスト退治ですか?"
別の一人が先と同じように問う。
彼女はかぶりを振って、続ける。
「そう簡単な話でもない。襲撃犯に武器を提供したのは五行結社FEAだ」
参加メンバーが互いに顔を見合わせる。FEAと第19局の関連性など想像した事も無かったからだ。
「簡単に言うならば、ヤクザ・クランの連中は両者間の配達係に使われたに過ぎない。問題はその動機だ。FEAの連中が銃を必要とする理由はない。だが、経過だけを見ればFEAは第19局の、つまり中国支部による日本支部への破壊工作を結果的に手助けしているように見える」
最初に質問した男が再度口を開く。今度は挙手は無しだった。
"つまり、”溜め込み屋”Hoodersの内紛にFEAが絡んでいると。目的は共通しているので?"
「中国支部が第19局の意向で日本支部に、ひいては日本に対して攻撃を行っているのは事実だが、FEAが単純に同調しているとは考えにくい。一つ言えるのは、奴らは高度に組織化されていて、恐らくはサムライ・ロックを敵視している。施設を制圧しておきながら中身に手を出さないのは、この襲撃を手引きした連中が、破壊か、奪取か、いずれにしても収容事案そのものに興味があるからだろう。これ自体は第19局と共通するが、その意図は不明だ。いずれにせよ、FEAは組織規模も、構成員個々についても不明な点が多い。ギムレットGOCの記録はどれも役に立たなかった。別の目的があると考えた方が良いだろう。つまるところ、クソに集る蛆虫共のパーティをぶち壊そう、そういう話だ」
彼女は一呼吸入れ、周りを見渡した。ブリーフィングを聞いていた面々のうち半数、i3任務群のメンバー3名はやや渋い顔をしていた。神出鬼没の人型逸脱性脅威と鉢合わせるのは、それがイエローであれブルーであれ、或いはグリーンであれ、愉快な事ではない。脇に立つもう一人の女性は腕組みをしたまま微動だにしない。
「リーパー4は既にビンゴ、帰投中だ。よってアルファはサムライ・ロック施設の監視を引き継ぐ。ブラヴォーは後方連絡線の制圧。まずは現地に潜伏しているMSSエージェントを捜索、確保し、可能ならインタビューを試みる。アルファには私が、ブラヴォーには彼女が同行する。そちら側の配分は任せる」
"あー、それで我々だけですか?"
最後に口を開いたダニエル・ハリソン連邦国防軍大尉は、前の2名よりだいぶ砕けた言い方だった。
「うちとそちらのCRSAメンバー、ArSecで前哨偵察混成チームを編成済み、彼らがチャーリーだ。市街地に撤収した暴徒の"鎮圧"は彼らに任せる。フォックストロット資産の詳細が判明次第、共同でターゲットを確保する。更にプランBに備えて第616戦闘航空団のF-15と第925爆撃航空団のB-2がグアムに移動中だ。もし確保が不可能なら、大型地中貫通爆弾GBU-57で施設ごと資産を破壊する。今回はフラミンゴの絡みは一切なしだ。従って、我々が失敗した場合、政府は一切関知しない」
"突然ナンバー105に鉢合わせる可能性が高い?"
ハリソンは表情を変えずに質問を続ける。
「アルファ、ブラヴォー、チャーリー全てに、だ。覚悟を決めろよ、ダン」
"それだけ分かれば十分だ。弾を残したまま死ぬ気はないさ、ローザ”
長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地下階層)
セーフルーム兼予備指揮所現地時刻(JST) PM8:43
上瀧管理官は僅かな生存者を集め、ここに誘導する事に成功した。業務の殆どが自動化された今、襲撃の時点で駐在職員の殆どは地上の宿舎に居た筈で、今や殆どが殺されたか捕まって連れ去られたかのどちらかだろう。彼を除く生き残った幸運な職員3名のうち2名が情報セキュリティ担当者だった。
数日前からSCiP-NET経由でエリア-810A~F群へのトラフィックが急増しているという報告は上瀧にも上げられていた。定例のミーティングでは人員と資材の追加要求が提言されたが、それが実現する前に実業務にも影響が及ぶに至り、エリア間イントラの回線速度が担保できなくなった事でIT部門の定常外業務は急増、残業を余儀なくされていた。しかし彼らは、今やその状況に感謝していた。結局その原因は突き止められなかったが。上瀧管理官は、何の根拠もなく漠然と、彼らの残業の理由がつい先ほど地上で起きた事象と連動している可能性について考え、直ぐに結論を出した。即ち、"有り得ない"と。仮にそうならば、SCiP-NET上でサイバー戦が行われているという事ではないか。今のこの世界の状況──ヴェールの表でも裏でも"第三次世界大戦"の最中だというのに、内輪揉めをしている余地など無い筈だった。殆どの職員が信じる財団は自らに対しても、そして人類全て、ひいては正常な世界に対しても功利主義を貫く筈であり、故に今の世界に於いて生き残るには政治的にも実力的にも万能には程遠い組織でしかない財団が、その価値を認められているのだと。財団は三大任務──確保、収容、保護──の為にのみ存在し、その為に全力を尽くし、故に我々はそれに殉じる。彼は殆どの職員と同じように、現実AsIsと理想ToBeは同一であった。
残る1名はエリア-81群の主要任務である"女媧"開発計画の中心人物だった。上瀧エリア管理者さえ詳細は知らされていないその計画は、しかし条項オメガ/99の発動間近の現状に在ってはヴェール崩壊後かつ人類が失った土地の奪還に於ける切り札であり、故に彼の責任領域は女媧計画の円滑な進行とほぼ同義にとされている事自体は認識していた。それ故に、上瀧管理官は一瞬脳裏に浮かんだ取るに足らない妄想を追いやり、最悪の状況下で彼女が生き残った事を何より喜ぶべきだと思った。
上瀧管理官は3名に現状を掻い摘んで説明し、武器を持っていない情報セキュリティ担当の2名に武器庫に残っていたドイツ製の9㎜カービン銃と弾薬を配布した。装弾数30発、長い設計の歴史を持つ法執行機関御用達のサブマシンガンから連射機能を省いたものだが、熟練した使い手とは言い難い総合職に使わせる為の武器として用意されている物であったが故に、その制限は順当だろうと思った。いずれにせよ自分の持つ拳銃よりは遥かに優れた武器である事に違いは無いのだから。彼らは年に数回、グアムで射撃訓練を受けている。しかし普段身近にある訳ではないそのツールを思うように扱う事はやはり難しい様子で、説明書を見ながら弾倉に弾を込め、銃に挿入した。"撃つ直前まで初弾を装填しない事"と書かれた注意書きと、装填動作の図解を何度も読み返していた。彼らにとって銃は恐ろしいツールだったが、それを使わなくてはならない状況であるという事実は更に彼らの恐怖を煽った。実際の所、全員が恐慌状態に陥ってもおかしくない。彼らにとって未知の異常実体は確かに脅威だが、それが異常性かどうかは関係なく目の前に差し迫った剥き出しの暴力の方がよほど恐ろしかった。
彼はセーフルームのコンソールを操作し、予備電源が正常に機能している事を確認した。地下階層の監視カメラと保安用動体センサーは生きている。交代しながらであれば休息を取る事も出来るだろう。だが、SCiP-NETへの接続、及び支部理事会とのホットラインは完全に沈黙している。端末自体は生きているが、外部への回線は音声もデータも駄目だった。予備の外部仮想回線も同じだった。もしかしたらSCiP-NETのサーバー自体がダウンしているのかもしれない。私用の携帯端末は宿舎ごと燃えてしまった。外部への通信手段はなし。考え付く方法は、地上階の生き残っている照明を使ってモールス信号を送る事くらいだった。誰かが見ていれば、きっと気づいてくれるだろう。しかし、同時にまだ生き残りが居る事を襲撃者たちに教えてしまうかもしれない。
考えあぐねた後、彼は何もしない事を選択した。エリア-810群は最重要施設だ。定時連絡が途絶えた時点で理事会は気づくだろう。
彼は自分の考えを他のメンバーに伝えた。笠木研究主任──彼はその時初めて、彼女の名を知った──だけは、何とか通信手段の確保に努めるべきだと主張した。如何なる犠牲を払ってでも、女媧計画の成果物と資料を早急に確保せねばならないと、彼女は無表情に、そして冷徹に告げた。彼女の立場からすればそれも当然だった。この施設には女媧計画に必要な人材、サンプル、情報が集約されており、逆に言えばそれ以外に価値のある物は存在しない。ふと、上瀧管理官の脳裏には彼女は我々を殺してでも使命を果たそうとするのではないかという考えが浮かんだ。上瀧管理官は自身の職責が彼女と完全に重複している訳ではない事をこの短時間の対話で思い知らされた。彼にとって主任研究員も情報セキュリティ担当も役職の一つに過ぎず、故にサイトそのものとサイトに勤務する全ての職員の機能維持という観点からは等価であった。上瀧管理官は、殆ど反射的に、先ほど浮かんだ下らない考えを口にした。即ち財団内部の裏切り者が襲撃者に通じていた場合、ここの機能がまだ生きている事を知らせるリスクは負うべきではない、と。意外にも、笠木研究主任もそれにはすんなり同意した。もしかしたら、彼女は財団という組織に対して、自分とは違う視点を持っているのかもしれない。いや、彼女の様に技術畑一筋で生きてきた人間には、そもそも自身の雇用主に対して何かしらの考えを持つ事さえ無いのではないだろうか。彼は、彼女が休んでいる間に彼女のバッグを探り、拳銃から弾を抜くという困難なミッションの事をひとまず考えずに済んだ事に安堵した。
東京都多摩地区: 横田飛行場
アメリカ連邦国防軍区画 仮設兵舎現地時刻(JST) PM10:11
「あー、その、大尉。今まで散々聞かれてうんざりなのは察しますが、一つ聞きたい。その顔は一体?」
"少佐"と共に合流したもう一人のIASS要員、ダニエラ・リントハート大尉は、初めての質問に一瞬戸惑った。彼女は今までCRITICSの他チームメンバーと行動した事が無かった。それ故に彼女の素顔を知らない者にそれを見せるのも、その反応を受けた事も無かった。自分に向けられた敵意ではない事を察し、彼女は事情を簡潔に伝えた。そう、敵意でないならどうでもいい。
「2025年11月24日、リビア、タドラルト・アカクス、ツイステッド・ゴブレット作戦。乗機が落とされた。ガナーは即死、私自身も大脳の損傷で意思表現手段を喪失。コアレッセンスでそれを代替し、フォーチュン・メディカル社が実装を。私の肉体を回収したのは君達だと聞いているよ、マシュー・ジョエル少尉」
キャップを脱いで素顔を晒した彼女は、異形の名に相応しい要望だった。白い肌に覆われていたであろう顔面の左目から下顎のすぐ上までが白磁で硬質のカバーで覆われており、隙間からガンメタルグレーが覗く。元々は右と同じく青く美しい目が治まっていた場所には得体の知れない電子デバイスめいた構造物が張り付いている。一方で、まだ人のそれであろう顔の右側には幾つもの傷跡が残っていた。
「"クソ溜めの王達"ですか。アパッチが来てくれなかったら我々もここには居られなかったでしょう。あの時は助かりました、"シャープエッジ-61"」
マシュー"マット"ジョエル少尉は、彼女をその時の記憶から辿った乗機のコールサインで呼んだ。
見えない手が若い野戦猟兵の頭を掴んで持ち上げ、それが破裂すると共に悲鳴が途絶えるのを目の当たりにした事を思い出す。確かに強力で組織的な現実改変者ロミオ・ブラヴォーの集団で、その力を奴らは足元の砂粒に対して行使した。クライン型指向性秩序形成ダストプラズマ凝縮体、或いは疑似的幻像実体Phantasmorph、口語的にはシンプルに"亡霊"と呼ばれる煙の様な存在、その我々が今まで遭遇してきたそれの派生型。それらは微細な砂粒で構成されているせいで銃弾が突き抜け、組織には殆ど損傷を与える事が出来なかった。クライン型の鎮圧には爆風で自己組織化したダストを吹き飛ばすのが一番手っ取り早い。故に破片効果を抑える代わりに爆風効果を強化したサーモバリック弾頭を使うのが彼らの定石だった。それを持っていかなかったのは、財団の連中は敵の存在自体は知っていてもその手段については子飼いの"九尾狐"にも俺たちにもそれを伝えなかったからだ。いや、正確には知らなかったのだろう。毎秒10発近い30㎜焼夷榴弾HEIと一斉に放たれるハイドラ6は、彼らがXM10607に期待するのと同等以上の効果を上げ、故に体勢を立て直す事が出来た。アパッチの1機が落とされたのは、あの時に戦死した他の7人と同じく、単に運が悪かっただけだ。FLIR8で捕捉できないゴーストを捕捉する為に、通常より更に低く飛んだせいで奴らに捕まった。
捜索救難SARの為に墜落地点に向かった彼らは、血まみれでボロボロの遺体と、まだ息はあるがそれとは余り変わらない状態のもう一人を運び出した。マットは元の容貌が判別不能なほど多数の裂傷に覆われたパイロットを見たが、それが今、自分と対面している事が信じられなかった。もっと酷い負傷を負いながらも生還した者を見た事が無いわけではないが、例え生き残っても一生車椅子だろうと思ったのを思い出したからだ。
戦闘に関しての素人のまま何十年も過ごしてきた奴らは戦闘後報告AARの内容を見て何を思ったのだろうか。具体的な脅威の中身について知ろうとしないのであれば、それはポルターガイストに遭遇して大騒ぎした挙句に霊媒師を金を積むだけの一般人と何ら変わらない。そういえばあの時、敵の何名かは生け捕りにしたんだった。出来る事なら彼自身が尋問してやりたかった。
「フォーチュン・メディカルといえば非侵襲型バイオニューラルインターフェース式筋電義手のメーカーですよね」
複雑な心境で次の言葉を選びかねたマットに代わって、もう一人が会話に割り込む。
「良く知ってるな」
「モロッコ帰りの猟兵に知り合いがいてね、感覚までシミュレーションしてくれる。お陰で嫁さんとまた励めるようになったとか。お前も備えておいた方が良いぞ。アンジェラが悲しませるな」
「不服従、上官への不適切な態度及びプライベートへの過度な言及、上官の私物盗難、その他諸々の容疑で告発しても良いんだぞ。で、大尉。コアレッセンスって何です?」
ゲータレードの2,3本くらいでそう怒らなくても、と呟く"准尉"。マットが睨みつけるとわざとらしく敬礼をして見せた。
「スフィア内の自己同一性発現要素、概念表象の総体、叡智圏の不可知領域を投影する可処分領域」
ダニエラはそんな様子には一向に構わず、二人には到底理解できそうにない単語を連ね続ける。彼女に悪気はない。ただ、聞かれた事について正確に回答しているだけだ。
「スフィアって?」
「試験稼働中の汎地球量子サーバー間ネットワーク」
「何を言ってるんだかさっぱりわからないのですが」
量子サーバーは構想段階でしかなく、それが稼働している事はおろか昨日の全容さえ一部の知るべき者にしか明かされていない。それは将来的に完全ユビキタス社会を成立させる為、人類の生存圏を構成する要素の内、物理的な実体を持たない情報構造体全てを管理・統制する基盤として構築された物だと彼女は説明した。当然ながら、唐突かつ短時間に凝縮された情報量を2人が吸収できる筈はない。
「君も電子デバイスを作動原理から情報処理ロジックまで論述する事は不可能、違う?」
彼女は???塗れの表情を浮かべている2人に向かって、暗に"理解しようとしても無駄だ"と告げて見せた。
「あー、了解しました。それでは大尉、ここでは貴方が上官です。指示を」
「ブリーフィング通り、我々は目標地点に向かう。私はここ、君達は、私と一緒じゃなければどこでもいい。位置の連絡も不要。識別はコネクサスで行われる」
「えーっと、コネクサスとは?」
「質問が多い」
「お互いに何かあった時の為です」
「貴方たちは今までそうやって生き残ってきた。良く知っている」
彼女は二人に顔を合わせた直後、氏名と顔を"スフィア"内のとある高セキュリティ階層で検索していた。そこにアクセスできるのは彼女を含めて数名程度しかいない。
「生き残れなかった者もいます。ですが、貴方が怪しげなパラテクで復活したサイボーグであったとしても、俺たちはチームである事に変わりはありませんよ。まずは自己紹介といきませんか」
ダニエラにとって、主観時間が情動に作用する事は無い。数秒前の体験はまるで何年も前の事の様に感じられるし、逆もまた然り。しかしそれでも彼の回答は予想外だった。この身体と脳には、最早慣れるという感覚さえない。感情を含む心的作用全てを失った訳ではないが、それは最早彼女のシリコン混じりの神経系にとって信号の集合体とその記録に過ぎない。少なくとも、彼女はそのように感じていた。
「了解した。私はダニエラ・リントハート、少尉。原隊は独立航空攻撃旅団第1大隊。この身体(RiG)については後ほど。私自身はアナーコ・トランスヒューマニストではないし、パラテクは1ナノも含まれていないから安心して。マシュー・ジョエル少尉、君の識別番号876662354、原隊は第11野戦猟兵旅団。そっちの彼はスタンリー・エプスタイン准尉、識別番号156870955、原隊は同じく第11野戦猟兵旅団」
「マットで結構。そっちの無礼な奴はスタン、又は間抜けAppleheadとでも。いつの間に我々のプロフィールを?」
「私の全身は、そう、いわば細胞一つ一つが記憶媒体でもある。正確には細胞小器官に一つ一つに折り畳まれている。記憶されている情報は、CRITICSに関する殆ど全てのアーカイブ。データは随時更新される、そっちは回線状況次第だけれど」
「なるほど、IASSメンバーであるが故に強化された者Augumentedであるだけではなく、接続された者Connectedでもある、と。であれば我々が持っていく予定のウェポンシステムについては特に説明は不要でしょうか」
「その言い方は覚えておこう。それと、その武器は始めて見た。支給品でも民生品でもないようだけど」
彼女が指示した方向には巨大なライフルが置いてあった。幾らか銃の知識がある者であれば、誰でもそれが大口径弾を使用する対物狙撃銃の類である事を推測できる外見だったが、シャーシの各所のピカティニーレールに載せられた電子デバイスはどれも市販の物とは違う。マットとスタンが代わる代わる説明を始めた。
曰く、最新世代の主力戦車並みの火器管制システムを特注の効果極まりない弾薬と射撃プラットフォームに組み合わせ、第2射の機会を考慮しない対象、即ちタイプ・ブルー、或いはタイプ・グリーンに指定される存在を、彼らが射手の存在そのものを知覚できないまま抹殺する為、これはそれだけの為に開発された兵器システムだった。それ故に部品の大半は特注、又は手製で、5挺が作られたがどれも少しずつ構成が異なっており、1挺がDWARF9の試験用兵器保管庫に、2挺はSOCOM経由でデルタに、1挺はDEVWARCOMの兵器開発センターに、そして最後の1挺がここにある。1~2マイルの範囲に於いて着弾の瞬間まで対象に知覚される事無く狙撃を行う必要がある状況とは、即ちそういう相手を一方的に殺す事が求められる状況である事は彼女も今までの経験から知っていた。
サプレッサーの如く銃口に取り付けられた角柱状の物体は電磁コイルを用いた初速測定装置と銃身の温度を検出するセンサーを内蔵、ピカティニーレールには2種類のレーザーデバイスが取り付けられており、一つはレーザー測距儀、もう一つはLIDARによる風向測定器で、後者は目標に照射する事で大気中の微粒子やその振る舞いを検出し、弾道に影響を与える諸要素、即ち気温、湿度、気圧、風向を測定する。シャーシ上に取り付けられた火器管制システムにはサブシステム群及び内蔵されたGPSの検出したパラメータが入力され、必要に応じて射手と観測手が操作するタブレット端末から数値の補正入力を行い、予想着弾点はデジタル式電子光学照準器にMOA0.2~2に調整可能な光点として表示される。
「マイル級の射撃では、射撃地点と目標周辺、及びその2点を繋ぐ弾頭の予測経路上ではこれら大気の状態が大きく異なるケースがしばしば存在します。そういう時、射手は面倒な計算に時間を費やす必要がありますが、それを待っていられない場合が殆どです。そういう時、我々はしばしば経験則に頼ってきました。この装置はそういう邪魔な業務から狙撃手を解放してくれる玩具です。EX32110なんて目じゃありませんよ」
スタンが自慢げににやにやしながら告げる。実際、ここまでの解説の大半は彼の口から出た物だ。マットは半ば呆れた表情でそれを見やる。そういえば鍛冶屋連中DWARFSから25㎜スマートライフルの試作品を紹介された時も一番喜んでいたな、とぼんやり回想しながら。
銃本体にも奇妙な部分があった。カナダのPGW社がC14ティンバーウルフ狙撃ライフルの民間向けバリエーションとしてリリースしているエクストラ・ロングアクションを機関部に据え、弾倉を持たない単発、単射式ボルトアクションという点だけを見れば特段変わった点は無い。銃身は32インチの特注品だが、一番目を引くのはグリップ側面に存在するセレクターだった。電子制御発火式と通常の機械式撃針の異なる撃発方式を使用する事が可能で、通常後者はバックアップとして存在する。電気発火式を選択した場合、トリガーはデジタル信号入力用の感圧式スイッチとなり、実質的に動かない──厳密には射手の違和感を抑制する為に0.2mmだけ動く──事で、引き金を引くという動作が射撃姿勢、及びその延長線上に存在する銃口の向きに与える影響を最小化する。
DWARFの技術オタク達によって.378マックス=キャスパーという縁起の悪い名を与えられたその弾薬は、着弾の瞬間まで狙撃の秘匿性を維持する事を念頭に置いて開発された弾薬だった。弾頭はシアーズ・ハック形状、後部は放物線形テールコーンに成形され、前方は断面積変化を最小化する事で圧縮抵抗と造波抵抗の双方を低減し、また後部は乱流の負圧界面による吸引抵抗を抑制する。既知の多くの小火器用弾薬と異なり高度に品質を管理された単一素材・無弾芯型弾薬として設計、製造されている事は、ライフリングによって得られた軸回転による安定化飛翔を実現する、銃身との接触面はフッ化炭素樹脂でコーティングされており、ライフリング及び銃身そのものへの負荷を軽減すると共に、弾体そのものの摩擦抵抗低減、更には一種のドライビングバンドとして機能する。弾薬が超音速を維持する範囲内に於いて、弾頭の変形或いは不規則な運動は最小限に留まる一方でその速度による体内でのキャビテーションの発生が、既知の同級弾薬を上回る規模の永久空洞を生じ、硬組織を破砕する。
更に、"スマートラック"とスタンが呼んだ銃架。それはM777榴弾砲のそれを参考にしたという4脚構造の支持装置で、複合素材を構造部位に用いているお陰で重量は4㎏以下だが手動操作の他、火器管制システムと連接して自動的に目標に銃口を指向し、電子トリガーを動作させる事で遠隔射撃が可能だという。但し、射撃を心から愛するスタンは、その機能を使う事に乗り気ではないらしく、”余計な機能"と言い放った。
「これ1セットでラ・フェラーリが買える。こっちの416gr弾は1発55$、2マイル先まで超音速を維持する代償です。327gr弾の場合、1,000ヤードまでのポイントブランク射撃が可能です。お値段は37.5$、銅=ニッケル合金製で、タングステン合金製よりは安くつきます。いずれにせよ、ゴミ掃除用にしては高いツールですな」
「ついでに我々3人の給料も加えればオーディオとクーラーくらいは付けられるかな。で、大尉の装備は?」
彼女はマットの質問に軽く頷くと、唐突にシャツを脱ぎ始めた。
スタンは慌てて両手で目を覆い、マットは彼女の手を止めようとしてその身体に目を奪われた。形の良い乳房でも、白く曇りの無い肌でもなく、彼の眼を引いたそれは、冷たく硬質な筋肉繊維を模したような様々なチューブ状の集合体に覆われたフレーム状の構造物が左腕と左脚を置き換えている様相だった。意のままに軟化・硬化、変形させ、それを使ってテーブルの上の書類で紙飛行機を折ると、飛ばして見せた。全くその方向を見ずに。それは彼女の手を何度離れても全く同じ軌道を描いて彼女の手元に戻ってきた。偶然ではない。すべての外的要素を完璧に演算し、掌握している事を示すデモンストレーション。
そして彼女の肢体を纏う"艤装"リグ、それは人体の限界を軽々しく超える右腕のパワーによって生身の肉体に負荷が掛からないようにする為の能動式サイバネティックデバイスだった。彼女を構成する細胞の大半の、その他の小器官に混在する微小機械の集合体は、記憶媒体及び演算素子としても機能し、生身のそれは随意筋と同じようにそれを操る事が出来る。艤装と義肢を構成する素子は同時に微細な受発信素子でもあり、数マイル以内の電磁波発信源を探知するか、或いは自ら発信、反射波を捉える事さえ出来る、識別できる目標数は彼女の脳次第。それが目の前の手品を実現している仕掛けだった。
呆気に取られるのにも疲れたような二人を後目に、彼女は自分の武装を整え始めた。独り言の様に武器の説明をしていたが、二人はそれを正しく受け止める心的状態ではなかったように見えた。単結晶チタン合金の心金をL6ベイナイトで挟み込んだサムライ・ソードめいた刀を、右腕のガントレットに装着されている鞘に納める。その後、数度動作確認。左腕を振るい、鞘がはじき出されて目の前を薙ぎ、次の瞬間にはブレードが同じ軌跡で空間を切り裂く。更に彼女はP220の10㎜ノーマ・オート仕様をホルスターに納め、弾倉3本をレッグリグに差し、ベルトに更に2本。
どう考えてもまともではない。
シースは左手で銃を保持したままブレードを抜く事が出来るよう、前腕部の外側に堅固に保持されているが、着用者の任意でその拘束を解く事が出来るようになっており、腕を振り抜くタイミングと同期させればそれ自体を打撃に用いる事も出来るようになっていた。全ての弾倉は底部バンパーを備え、容量の拡張された10連仕様、底部のみで保持するタイプの弾倉入れに収められており、ベルトに並行でそれは片手で、即ちブレードを使用しながら同時に弾倉交換を行う事を想定しているように思われた。
即ち、斬撃の合間に弾倉交換を要する程の弾数を発砲するつもりなのだ、この女は。
動きと姿形の双方に於いて、美しさと悍ましさを同時に表現したアートめいたその光景から目を離せなくなっている2人の脳裏には、共通した言葉がリフレインしていた。即ち、"パラテクは1ナノも含まれていない"という彼女の言葉。彼女は最先端科学が逸脱技術を凌駕しようとして箍が外れた結果なのだろうか。しかし彼女がチームの一要素である事実は変わらない。それはつまり、誰かが彼女の代わりに死ぬか、或いはその逆が起きる可能性を許容するという意味だった。
上等だ、理不尽だけで道理を殺せると思うなよ。
マシュー"マット"ジョエル少尉は誰にも聞こえない声でそう嘯き、彼女に並んで自分の身支度を始めた。
長野県北佐久郡立科町: 郊外
雑居ビルの一室現地時刻(JST) AM1:15
「3分間だ、リュウ上尉。その間にお前を生かしておくに値するかどうか、自分で証明して見せろ。それが為せないなら、お前の死に様を婚約者に送りつけてやる」
コインをありったけ口に詰め込まれ殴られた結果、劉暁光上尉の顔面は大きく変形し、話す事さえ危うかった。それでもなお、彼は反抗的な態度を止めなかった。ローザことロザリー・ハイド=ホワイト大尉は、慈悲に満ちた笑顔のまま──それは彼に対面した時からずっと顔に張り付いていた──、既に彼への興味を失っていた。彼を行動不能にし、この部屋にあった無線傍受装置と端末、幾つかの観測機材を破壊した時点で目的は達成されている。更に言えば、ご丁寧に定時連絡の乱数表と回収予定地点を示す地図が入った携帯端末まで。ここからはおまけに過ぎない。
ローザはリュウにタブレットを見せた。張と劉のプライベート写真が投降されたSNSのアカウント。そして、彼が扇動者となるに至った文面の数々。隠しても無駄、の誇示。最後に映し出されたのは写真ではなく映像。覆面を被せられ、後ろ手に縛られてテーブルの前に座らされた誰か。ローザが指示を出すと、ディスプレイの中で誰かがその覆面を外した。一瞬で判る。疲れ切った葉青の素顔。血と泥で汚れている。そこで劉は初めて感情を出した。ローザが畳みかける。
「リュウ、お前自体に価値は無い。これは私の気まぐれでしかない。自分の立場が理解できたか?」
劉は激しく葛藤し、それが表情に浮かぶのを抑えられなかった。
「"编故事"工程だ」
喉から絞り出すような声。
ローザは表情を変えずに、再びタブレットに呼び掛ける。簡潔かつ容赦の無い無感情な一言。。
銃声、張の肩が赤く染まる。悲鳴、椅子ごと後ろに倒れ込む。発砲した男は銃口を彼女の頭に向ける。彼女の表情は手前のテーブルに隠されて見えない。
劉は叫びと呻きの中間の様な声を上げた。
「次にどこを撃つかはお前次第だ。狭い牢獄で一生を過ごす。その間に彼女は新しい人生を歩み出す。お前はその全てを見逃す事になる。だが、少なくとも彼女には新しい幸福を見つけ出す自由がある。それがお前が唯一彼女に残せるものだ、お前の選択次第で、な」
「彼女に手を出すな」
「お前次第だ」
「・・・"编故事"工程、それは財団日本支部の核心的資産を中国支部の管轄下に納める為の計画だ」
劉は観念し、語り出した。即ち彼ら──第19局は、SCP財団中国支部を通じ、オリンピア計画が形を変えて再開された事を知った。肉の奔流が過ぎ去った後に党をより強力な存在によって再建し、サーカイトに同化する事もない戦力を以て、サーカイトによるSK後の人類を主導する。その為の資産は本部で管理されていたが、その副計画が日本支部で行われている。
ローザはその話題の大半には興味を取り戻さなかった。半分は既に知っており、残る半分は彼らの事実誤認である事がはっきりしたからだ。それとは別に、彼女は"我々"が共産党を再建する?荒唐無稽にも程がある。意図しない限りミームには感染しない実体にどうやって毛沢東主義マオイズムを浸透させるというのか。
「そういう下らない話はどうでもいい。私が知りたいのはお前がここにいた理由だけだ。FEAの連中がここを指示したのか、それともお前の意志か、それだけを答えろ」
彼女はここに来てからずっと続けていた表情を脱ぎ捨て、静かに詰問した。
「FEAなんて組織は知らない。ここは日本政府のエージェントが用意した観測拠点だ」
五行結社の存在を知らない財団諜報員なんて存在しない。ましてやMSSの局員が知らない筈はない。しらばっくれているのでなければ、こいつはとっくに”バカになっちまった”のだ。
「最後に良い事を教えてやろう。同業者の好だ。日本政府は本件には関与していない。超常性に関する嘱託機関は財団のみだ。局本部は既に"编故事"工程とやらの失敗を把握している。ようやく手玉に取られている事に気づいたらしい。自分と相手が同じように考える筈がない事を、お前たちは誰よりもよく知っている筈なんだが、運が悪かったな。次に、張葉青は負傷していない。だが、彼女には別件で用がある。故に今のところは、という但し書きが付く。冷静に見れば見破れたかもしれないが、撃たれる瞬間からフェイクに差し替えてある。最後に、お前はここで死ぬ。最後の数分を堪能しろ」
FEAとの繋がりが無い以上、これ以上会話を楽しむ必要は無かった。本部がどこまで把握しているかは別として、リュウ自身はこれが有りもしない日本政府直属の超常機関との統合作戦ジョイント・オペレーションだと思い込んでいる。無能にしてはマシな死に方だ。
「アザレア6、ヴァイオラ。デリバリーの注文だ。スパイシーソーセージピザ、ハラペーニョ増量の激辛ヘルファイアを2枚。5分後」
血と硝煙に満ちた団地の中庭、一つだけ灯りのついた部屋から漏れる中国語の罵声と呻き声が一瞬止む。ハイラックスの車内から辺りに転がる日本人の遺体を眺め、マットは中で行われていた事を想像した。俺たちの仕事では珍しくない。だが、それで気分が晴れる訳ではない。何かを守るという事はそういう事なのだ、そう理解していても割り切れるものではない。遠くでは時折、"チャーリー"ことカレンデュラ小隊が、未だに反撃してくる暴徒と交戦している音が聞こえる。ビルをクリアリングし、見通しの良い部屋か屋上に狙撃手を配し、小銃班は引き続き前進する。上空のリーパーが目標位置を捉え、ダウンリンクされる。撃っている弾の数は明らかに敵の方が多いが、それでもなおこれは一方的な虐殺に等しかった。静かに最小限の弾数で敵を排除していく。銃を手にした民間人の集団は、よく訓練されていない限り同じように武装し、組織的に強襲を企図する相手を阻止する事は単純な数だけでは不可能だ。地の利など情報優勢の前には無意味に等しい。
死体と一緒に転がっている雑多な武器──AK-101、M16、AUG、UZI、MAC10、MP5、及びそれらが各国でライセンス生産されたものや、非正規のコピー品。良くもこれだけかき集めた物だ。弾種だけは5.56㎜と9㎜で統一されているのは、恐らく素人が扱う事を想定しての事だろう。投げようとした火炎瓶で焼け死んだ哀れな奴もいた。咄嗟に慈悲を与えてやったが、あの時は拳銃に持ち替えるべきだったか。
ハリソンは周囲を警戒しつつ、ダッシュボードから装填済みのSTANAG弾倉を取り出して、ベルトに取り付けられた弾倉入れの中身と交換した。
鍛冶屋達が、"Rinkhals" 44マグナム・リボルバー の後継となる秘匿携行可能な近接狙撃用、そしてこういった浸透任務用にセットアップした秘匿用低視認性強襲火器CLAW。300BLK仕様、7.5インチ銃身。レシーバーとの接合部と上面先端以外はM-LOKスロットのみの6.7インチハンドガードにワイヤーストック。小型のLAM11にウェポンライト、4倍と等倍を組み合わせた光学照準器。それでも素のM4小銃より軽く、上着の下に隠せる程度の長さしかない。
最初に見かけた奴らは、銃を壁に立てかけながら談笑していた。その次は慌ただしく駆け出してきた奴ら。少なくとも移動射撃訓練よりもずっと楽だった。ビルに踏み込んだ後も、自分には弾が当たらないと思い込んでいるように遮蔽物から身を乗り出して撃とうとする奴らばかり。思い切り背を向けて逃げ出す奴も少なくない。
哀れな中国人の叫び声を背にローザが出てくるのを見て、ハリソンは車のエンジンを掛ける。
「で、収穫は?」
「死体と話した方がまだマシだった。中国支部が設立された時からこうなる事は分かっていた筈だ。我々が"ペンタグラム"を、ソヴィエトが"P"部局を設立しておいて、彼らがそうならないはずはない。そして彼らは我々ほど付随的損害に気を止める事はない。それがNBC兵器だろうと超常技術だろうと同じ事だ」
2人を乗せたハイラックスが走り出した直後、バックミラー越しに先ほどの部屋が爆風と残骸に覆われるのが見えた。
「それで、次はどうする。ブラヴォーに合流するか、ここでクソ共を殺しまくるか、帰って一杯やるか」
「どれでもない。奴らのポータルを破壊して回る。トランクの中身を使う時は弾をケチるなよ。アザレア6、ヴァイオラ、"ペダル付きのリーパー"は?」
「5分後にオンライン、舞台で第二幕が上がったようだ。CASは暫くそっちにつきっきりになる」
彼女はハリソンとの対話を切り上げ、"次"の準備を始めた。ペダルとは?
山道に入った所で、彼女は説明を始めた。間もなく上空に到着するリーパーは非武装の代わりにPEDALS受動式EVE検出・標定システム12を搭載している。FEAの連中がここに来るなら、必ずEVEの触媒となり得る霊素の還流経路、即ち霊脈レイラインを通じた召喚法儀を使う筈で、そのポータルを先んじて潰す。
日本海: 某海域(日本沿岸より約50海里)
現地時刻(JST) PM3:55
ハルナンバー340こと"遠征40"は工作員との通信が不意に途絶えた事から、この"特殊作戦"が失敗しつつある事を把握した。艦長は情報が漏洩した事を危惧し、直ちに離脱する事を進言したが、政治局員はそれを阻止した。039A型は日本のそうりゅう型に匹敵する低観測性があり、それ故直ちに特殊工作部隊を上陸させて工作員を救出するべきだと。決断は迅速に、行動も同様に。そしてまだ夜明けまで時間がある。行動するなら今だ、と。この海域に関する季節水温躍層の情報は主にスパイ活動によって得られたものであって、しかも5年前に取得されたものだ。海洋調査艦が直接調べたわけではなく、今はどうなっているか分からない。艦長はしかし自身のキャリアを諦めるつもりも、自艦性能を疑う事もない若い男だった。
ローザがリュウから取得した情報は、JFCC-SIID司令部を通じ、断片的ながら日本の自衛艦隊司令部に提供された。
付近に展開していたDD-120『しらぬい』以下、DD-112『まきなみ』、DD-114『すずなみ』の3隻は艦載ヘリコプターは受領した情報に基づき艦載ヘリコプターを発進させ、投下されたソノブイ網は慌ただしくキャビテーションをばら撒きながら急速に加速して日本本土に向かう未知の"039A型潜水艦"を捕捉した。正に艦長が懸念したように、遠征40は変温層の上を航行していた。最新鋭の通常動力型潜水艦が誇る静寂性は、それを目標と識別するのに時間を浪費させたが、司令部が交戦許可を出すまでには更に時間を要した。何しろ、未だに日中間での直接的な交戦は起きていない。東シナ海から日本海に至る領域で第7艦隊が展開している航空阻止活動は、航空戦に留まっていた。米海軍の空母機動部隊が常時展開して3か月、それでもなおF-14DやF/A-18Eと中国製フランカーとの接触は散発的で、その交戦領域が日本の領空に及ぶことは一度もなかった。交戦許可が下りたのは、発見から3時間が経過した後であった。既に護衛艦群は遠征40を自艦のソナーで補足できる所まで接近していた。交戦許可から間もなく、『しらぬい』がアスロック132発を発射し、ヘリコプターがその成果を確認した事で、日本海上自衛隊による初の実戦は終わりを告げた。生存者は無し。
長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地下階層)
特設研究区画: 制御室現地時刻(JST) AM2:05
笠木研究主任は、何かが起きつつある事を直感しつつあった。表に出るのは危険だと上瀧管理官は制止したが、彼女は計画責任者として状況を正しく把握する必要があるとが説明した通りの凄惨な光景が広がっていたが、彼女がそう認識したのはその目に映るものではなく、遠くから聞こえる銃声と閃光だった。ロケット花火が破裂するような音が不規則に連続して響き、時折爆発音の様な音も聞こえる。やはり、何かがここに来ようとしている。守りを固めなくては。"代替兵士"は計画の副産物に過ぎないが、武装警備には十分に使えるだけの制御性と性能がある筈だ。それに、少なくとも財団職員を敵と識別する機能はある。彼女はそれを"解凍"する為、保管制御室に向かう事にした。その機能は予備指揮所には無いからだ。
ディスプレイ越しに映る人型のシルエットが複数。金属製のアームで全ての関節部位が固定されている。防毒マスクとバイザー型のHUDを装備している点と、その体躯が明らかに大きい点を除けば、それは暴徒鎮圧用のアーマーを着込んだ治安部隊の隊員の様に見える。僅かに除く肌は全く血の気を感じない灰色。ガラス越しでも冷気が漂ってくる。
それはHomo eudaimoniaと呼ばれる実体のうち、恐らくは戦士階級の大柄な素体を奇蹟論と既知の生命工学の両面から遺伝子改変・クローニングによって製造された代替兵士だった。装備には"プロメテウス・ディフェンス・アンド・セキュリティー"のロゴがプリントされている。量産に成功していれば、財団は少なくとも機動部隊の人的手段を自弁できるようになり、今までの様に米軍に依存する必要は無くなる。それはヴェールの厳格化にも有益な筈だった。残念だったのは、少なくとも"コーカサス内乱" に間に合っていれば、今も世界はヴェールを維持できていただろうという事実だった。この分野に財団はもっと先に投資しておくべきだったと彼女は常々思っていた。
入室時の虹彩、指紋認証とここで入力する顔認証の結果が一致し、更に職員IDとパスワードを入力して漸く管理画面にログインできる。更に"解凍"手順を進めるには専用のパスワードが必要になる。彼女はコンソールを操作し、暗記した長い文字列を入力する。巨人の兵士達が目を覚ますプロセスが自動的に開始される。薬剤が注射され、初めはゆっくりと、次にまるで拘束されている事実に気づき、動揺しているかのように藻掻いているのが見える。
あと少しだ。
笠木研究主任はデスクに深く身を沈め、強く哀れな傀儡達が目覚める様子を眺めていた。
長野県北佐久郡立科町: 郊外の山道
現地時刻(JST) AM3:22
突然の飛来物がハイラックスのフロントガラスに蜘蛛の巣を作った。ハリソンは突き刺さった鏃の先端を睨みつつ悪態をつきながら急ブレーキ。2人はお互いをカバーしながら車の陰に身を隠す。
「ハリソン、分隊支援火器SAWの出番だ」
後部座席のバッグを引っ張り出し、中から特殊作戦仕様のM24914を取り出す。
御影石の建造物に火が灯されている。ローザ曰く灯篭に似ているが、このように自然信仰を連想させるモチーフは使われないらしい。蛇とスター・アニスを象ったそれは原始の自然信仰で見られるトーテムのようにも見えた。
その周りを囲む人影。人ではないのは一目で判る。概念構成体ではなく物理的に相互作用可能な人工サイコモーフ、銃で殺せる亡霊、散逸構造化/指向性集合化奇蹟論主導型疑似生命実体SODALITE15、そして彼らの表現で言えば死人憑。
掴み難い容貌の顔面を覆う裹頭、槍や弓矢、良く知られるカタナよりも幾分直線的な片刃のショートソード。彼らが纏う泥まみれでボロボロの革甲冑は、胸から下を全周で覆う上半身部分と足元まで裾の伸びたスカート状の下半身部分に分かれている。ハリソンが知る伝統的な日本の武将の戦装束とは幾分異なっていたが、彼にとっての興味は奴らをどう殺すか、それだけに注がれていた。
「あれはFEA製の竜牙兵みたいなものだ。クライン型じゃない。頭を撃てば殺せるし、A-BOXにヒットすれば大抵は動けなくなる。中枢神経と肉体構造だけを模擬した人形だ」
傀儡にしては組織的な戦闘を展開しようとしていた。弓兵は一斉に矢を構え、槍兵は戦列を組み始めた。とすれば、"糸繰"はどこだ?
「射撃範囲の設定は?」
「右側は全て好きに撃ちまくれ。私はそれに合わせる」
ハリソンがローザからその指示を聞いたのは2回目、初回はタドラルト・アカクスで第5野戦猟兵のタスクフォースと共同作戦を行っていた時。そういえばあの時CASに飛来したアパッチに乗っていたのは今の彼女の副官ではなかったか。
先ほどの矢は放物線ではなく低伸弾道、即ち直接照準で打ち出された筈だ。伏兵の居場所が特定できていない為、彼は二脚を伏射用ではなくグリップ代わりに使用し、立って射撃を行う事を選択した。数回の連射の後に移動、出鼻を挫かなくてはならない。毎秒15発のMk318mod0強化型通常弾がまず弓兵の隊列に注がれる。銃と違い、銃声やマズルフラッシュで射点を推測できない分、暗視装置NODS越しに見えている奴を、まずは片っ端から撃ち倒していく。ローザはと言えば後方からの猛烈な銃火を厭う事なく飛び出し、300BLKを集団に向かって速射、拳銃への持ち替えトランジション、最初のサイコモーフの頭部に10㎜のホローポイントを叩き込み、突き込まれる槍を避けながら腰のマチェットを抜き、攻撃者の頭部を叩き割った。更に別のターゲットのボディに10㎜を2発、続いて踵でその頭を粉砕する。
"糸繰"は目で追いきれないほどの暴虐の嵐に戸惑ったのか、それとも個体数の急激な減少が単に予定されていた戦術を崩壊させたのか、サイコモーフの集団は最早連携の取れていない散兵と化していた。例のトーテムの周りでは奴らがまだ次々と生み出されているが、最初の集団をSAWが薙ぎ払った後に出現したそれは、何か行動を取る前にボロ切れと化した。
ふと、音もなく飛来した何かがハリソンのすぐ足元に突き刺さる。クソッ、火点が目視できない分、これはスナイパーより厄介だぞ。
「ローザ、伏兵が邪魔だ。周囲を掃射する」
「待て、アザレア6、ヴァイオラ、主要目標周辺の活動をピックアップしてレーザー照射してくれないか。効果測定の報告も併せて頼む」
「アザレア6、了解した。目標を指示する」
「ハリソン、聞いての通りだ。私はトーテムを破壊する。指示された領域に順次集中射撃しろ」
「了解!」
NODS越しに上空から示される光線、その照射点に当たりをつけ、茂みごとそこを縦射する。
「ヴァイオラ、アザレア1、ターゲットを捉えた。目標撃破、次のターゲットを照射する。スタンバイ」
グリーン相手に血みどろの制圧戦を展開するよりは随分と楽だ、ハリソンはそう思いながらボンネットに2脚を据え、次の照射点に銃口を指向する。
長野県東御市: 市街地
現地時刻(JST) AM1:32
市街戦と呼ぶには余りに一方的な虐殺だった。数時間前まで暴徒だった彼らは一方的な暴力を存分に行使し、アドレナリンが減少していくとそれは疲労を彼らに思い出させた。今や彼らは一部を除き、無形の正義を為した達成感と優越感だけを引き摺った一般人に過ぎなかった。銃を片手に談笑し、未だに興奮の退かない一部は戯れにコンビニエンスストアから略奪し、駐車場で酒を飲み、その場に出くわした運の無い女性を銃で脅して強姦する。銃を見せられても本物だと信じない場合、何か、場合によっては不幸な誰かを撃って判断の誤りを教えてやる。住人の多くは外の騒ぎに目を覚ましており、警察への通報も相次いだが、彼らがいきなり自動小銃を持った集団に遭遇する事など、彼ら自身も含めて誰も想像していなかった。その為、ピックアップトラックに分乗したカレンデュラ小隊は誰にも咎められる事なく市街地に向かう事が出来た。
小隊は偵察狙撃チーム、機動強襲チーム、火力チームに分かれ、偵察狙撃チームと機動強襲チームは予め選定済みのビルに侵入、狙撃班は屋上から索敵を行い、機動チームはそこを基点として射界から外れる地点をカバーし、偵察狙撃チームや上空のリーパーが捕捉した屋内のターゲットを制圧する。そして火力チームは包囲線を狭めていく。彼らは集団ではあったが、組織ではない。指揮官も居なければ情報の共有も皆無に等しかった。従って、反撃は散発的かつ突発的であって、暴力的な祭りの余興を楽しんでいる様を見つけ出された直後、数百yd先から狙い撃たれるか、若しくは閃光手榴弾を投げ込まれて混乱する所を至近距離から撃たれるかのどちらかの運命を辿った。ついでに、彼らに銃を向けた不幸な警官も2,3名ほど。チームにとってそれは正当な射撃であり、誤射ですらない。外の様子を見に出てきた民間人には"家にいろ"とだけ伝え、撮影機材を向けられたら直ちに没収、銃口を向けられては抵抗する者もいない。民間人が銃を向けてこない分、彼らにとって今まで経験してきた戦場よりも精神的にも戦術的にも遥かに楽な仕事だった。
状況に変化が生じたのは30分ほど前、粗方暴徒が逃げ出すか死ぬかした後に、作戦領域の外周で哨戒中の部隊から"馬鹿でかい犬みたいなモンスターに騎乗した未確認敵性存在"が急速に接近中と報告が入った時だった。火力班はM24016でそれらを押し留めていたが、その数量は火力を圧倒しつつあった。カレンデュラ指揮官アクチュアル指揮官は、リーパーが搭載する多帯域目標捕捉システムMTSの自動目標認識アルゴリズムで捉えられなかった事実を根拠として、それは人間Foot-Mobileでも通常の機械的な実体でもない事を即座に判断した。既に何体かは市街地に浸透している事が判明すると、火力チームを車両隊から切り離して機動チームに合流させ、狙撃チームの支援下でターゲットを制圧する。幸い、彼らは動きこそ早いものの、それ以上に目立つ。但し、その不規則な動きは長距離狙撃での制圧を困難にしており、更には狙撃チームが監視できる範囲外には部隊を展開させる事が出来ない状態となった。"誰も置き去りにしない"は兵士の動機付けに役立つが、この部隊にとってはそれ以上に、この事案そのものの秘匿という意味があった。それ故に死傷者を出す可能性のある選択肢は取りづらい。強襲から防衛戦闘への急速な転換。市街地への爆撃許可は、カラジウム指揮官の裁量下には与えられていない。彼は周りの部下と共に表に出て、兵を降ろしたその四足実体がビルの壁面をよじ登っている所にM4の短い連射を見舞い、防衛線を分断されないよう指示すると、もっと火力を寄越せと司令部に通達した。
マサチューセッツ州エセックス郡: フォート・ビューレン連邦国防軍基地
JFCC-SIID統合作戦センター現地時刻(EST) PM3:02
現場指揮官の怒りを、ジェフリー・フィリップ・ガイスト大尉は理解していた。部下を危険に晒したい指揮官はいない。そしてまた、作戦上も彼らは危険を冒す訳にはいかなかった。日本という国の片田舎、その市街地で私服とはいえボディアーマーにヘルメット、最新型のNODSにM4を携行した彼らの姿が白日の下に晒される訳にはいかない。IASSのサイバー戦資産はISUと共同で既に通信網と電力網をネットワーク経由で遮断していたが、その前にSNSには画像や動画付きで現地から投稿された記事が複数確認されている。とはいえ大半は不鮮明で、周りの状況が分かるようなものでもなかった。散発的な漏洩であれば、一部の過激な陰謀論愛好家は兎も角、大衆に受け入れられる前に抑制できる。事後に録画がネットに流れたとしても、何とでもなる。しかし近接航空支援となれば話は別だ。確実に痕跡が残り、恐らくは民間人への"付随的損害"が発生する。
彼はオペレーターにUAVの残弾と残りの滞空時間を問い、回答を得るとすぐに決断した。だが、その前にやる事がある。彼は目の前の端末に向かい、とあるメールアドレス宛に短いメールを送った。
"さっさと目を覚まして為すべき事を為せ、腰抜け共"
長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地上階層) — 中央広場
現地時刻(JST) AM2:55
ダニエラは"リグ"の不可視化モードを起動して1時間が経過しようとしていた。既にクレイモアを2箇所に設置済み。夜明けまで3時間を切っている。エリア81-Fの敷地内。ゲートも監視所も、そしてここ、建物に囲まれた中央広場でも死体を見かけた。微かに混じる地と硝煙、ガソリンと人の肉体が焼ける匂い。彼女の感覚フィルターはそれを正確に情報として記録したが、それで彼女が何か情動を呼び起こされる事は無い。社名とロゴが描かれた看板には一際多数の弾痕。それだけ襲撃者の怒りを買う存在だったのか。いや、違う。そう思わせる為の演出だ。相手の行動や思想を自分の常識に当て嵌めるにはそう解釈するしかない。それが出来ない場合は"狂人"扱いして終わり。我々が相手にしているのはそういった種類の存在だ。故に、我々は"狂人"の思考をシミュレートする。常識ではなく、信条、概念、ルールから彼らにとっての合理性を見出す。
「ベゴニア6、こちらベゴニア1、シエラ。こちらの射撃可能ゾーンに動き有り。"ライダー"が複数。未知のターゲット、射撃するか」
「シエラ、待機せよ。指示あるまで交戦は控えろ」
「シエラ、了解」
少しばかり落胆したような応答。
スタンは新しい玩具で目に物見せてやる瞬間を待ち望んでいた。"クソ溜めの王達"との戦闘時にこれが何セットか有れば、奴らの本体だけをぶち抜いて作戦は終わった筈だ。理不尽を別の理不尽で殺すのは変態のやる事であって、道理で事を為すからこそ意味がある。目の前にその対象があるにも関わらずその欲求を抑えるのは苦労した。
「シエラ、瞑想しろよ。自分を俯瞰するんだ」
マットが無線越しに軽い口調で嗜める。彼はスタンから50m程離れた地点にいる。一度に2人が発見されないための措置。彼の手にするMG-33817は、一人で運搬・操作出来る癖に、急所に当たればグリズリーさえ1発で撃ち倒せる威力の銃弾を1マイル先までばら撒ける火力を持っており、少なくとも予期せぬ別の脅威がこちらに向いた時の抵抗は出来る筈だった。しかし、今の彼は機関銃を肩から外して脇に置き、時折タブレットに数値を入力しながら双眼鏡で監視を行っている。狼めいた四脚歩行の実体に騎乗し、槍を手にした異形の騎兵ライダー達、"アルファ"と"チャーリー"が既に接敵したSODALITEユニット。その中に1人、妙な格好の男が混じっている。フード付きのローブに覆われていて顔は伺えないが、それ以外の格好は全く以て普通の一般人と変わりないように見えた。彼が指揮官の可能性が高いが、この時点で断定はできない。
ダニエラは自分ではなく、彼らが切り札になる事と信じていた。確認されているポータルが破壊されたにも拘らず、市街地とここにSODALITEが現出した理由は今も不明だった。故に、敵がここにいる限り確実に検知できない伏撃手段は最後まで取っておくべきだった。地雷も、そして1.5マイル離れた地点にいる彼らも。
"指揮官"はサイトの入り口で片足を引き摺るような奇妙なキネトグリフを演じ始めた。仕掛けるタイミングだ。
ダニエラは"シエラ"狙撃手に優先目標への射撃指示を下し、自らはクロークを解除すると同時に疾走体勢を取る。彼女の狙いは取り巻きだ。
長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地下階層)
特設保存区画 — 制御室現地時刻(JST) AM3:18
笠木研究主任はそれまでの精神的疲労による反動から来る睡魔との戦いに敗北した。彼女がそれに気づいた時、解凍プロセスの終了から15分ほどが経過していた。ディスプレイに映る光景を見て彼女は混乱する。なぜ予備指揮所にゴーレムが居るのか。上瀧管理官は拳銃を発砲しているが、ライフルの徹甲弾にさえ耐えうるアーマーで覆われたそれ火花を散らして弾かれるだけだった。彼を遥かに上回る体躯が彼に迫り、首を掴んで持ち上げる。藻掻く間は一瞬のみ、彼の身体が痙攣し、力無く首が傾く。彼女の頭脳は入力された情報量に圧倒され、状況判断のフェーズで完全にスタックしていた。制御上のトラブルか、それとも他の理由か。しかし職員の識別機能は既に実証済みの筈だった。では何故?
彼女はふと、別の不安に駆られてディスプレイを切り替える。全てのゴーレムには位置情報をリアルタイムで把握する為のインプラントが埋め込まれている。彼女は研究者の性を捨て、自身の身の安全を確認するという生物としての本能に従う事にした。そして、それは絶望的な現実を彼女に突き付ける。マップ上の光点の内一つがこの部屋を目指して移動しているのに気づいたからだ。彼女はドアのロックを確認する。制御室の扉はこの施設の最重要区画の一つであり、それは即ちセーフルームと同等の防護が施されているという事を意味する。だが、ゴーレムはセーフルームに押し入る事が出来た。それが示す結末は──。
一瞬の静寂。衝撃音と共に鋼鉄の塊が拉げる。彼女は失禁と嘔吐で恐怖を表現したが、それで何かが変わるわけではない。ドアが吹き飛び、彼女の下半身はその残骸に押しつぶされた。彼女が最後に見た物は、ゆっくりとゴーレムが部屋に入ってくる姿だった。直後、短時間の大量の出血に伴う身体の防衛機能が意識を失わせた。
長野県北佐久郡立科町: 郊外
現地時刻(JST) AM3:42
ローザは指を嚙みながら、見落としが無かったかを考えている。そのすぐ近くでは相変わらずSAWを構えたハリソンが周囲を警戒している。周囲にはSODALITEが崩壊した事に拠る残滓、燐光めいた仄かな寒色の炎。ステレオタイプな邪教の儀式の現場を連想させる光景。
あれだけのSODALITEを導いた触媒は何だ?PEDALSは周囲とのEVE強度の差分を検出し、その位置を特定する。即ち強度のEVEが遍在する環境では、EVEの局地的な集中は秘匿され得る。大量の死後間もない遺体?違う。それは既に数時間前からこの地にある。領域外に未検出のトーテムがある?それも違う。SODALITEの実体化後の移動速度は基底現実の法則に縛られる。即ち、この短時間で大量のサイコモーフ、或いは同様の術式を扱えるタイプブルーをこの地域に召喚するには、付近にポータルが存在しない限り不可能だ。
「アザレア6、ヴァイオラ。周辺の施設、或いは環境情報の検索を頼む。レイラインへのポータルとして機能する何か、或いはSODALITEの発生源でもいい」
「アザレア6、了解した。待機せよ」
「厄介だな、ゴーストハントは」
ハリソンがふと誰に問いかけるでもなく呟く。全くだ。SODALITEが崩壊した事に拠る残滓、燐光めいた仄かな寒色の炎。ステレオタイプな邪教の儀式の現場を連想させる光景。ローザはそれらを眺めながらただフォート・ビューレンからの回答を待つしかなかった。
「ところで、"いつから"だ?」
「気づいてたか」
「前も後ろも全部かわせる奴は常人モータルじゃない」
「脊索腫、神経鞘腫、神経膠腫の併発だ。前線復帰はほぼ不可能、余命は5年以内と診断された。ただ死ぬのは御免だ。お前だってそうだろう?」
「確かに、戦って死ぬか、奴らを皆殺しにしてからゆっくり死ぬ方が好みだ」
「我々にとってはどっちも同じ事だ。お陰で余暇の大半は"過去を学習する"事に費やす必要があるが、後悔はしてない」
「で、どんな機能が?」
「虹彩による個体識別、記憶と演算機能の強化による身体制御機能のアップデート、それとスフィアへのアクセス機能。倫理規定違反の半侵襲型だ」
「そいつで"奴"が指揮官だと断定したのか」
「肯定アファーマティブだ。ダニエラからの映像ダウンリンク。奴が少なくともタイプ・ブルーである事は疑いようがない。つまり、殺せるという意味だ」
ローザは遠くを見ながら、既に他人の物と化した過去の自分に思いを馳せる。ハリソンと初めて出会った時の事も。何が"いつもの"だ。それは"彼女"の記憶であって、私はそれを記録から学習したに過ぎない。
「ヴァイオラ、アザレア6、可能性のある範囲を絞り込んだ。座標を送る。神社シュラインの様だ。この地域では珍しくない。だが範囲が広い。具体的なポイントは特定は出来ていない」
「行けば分かる。グレイクラウドは?」
「116と117が30分後にIPを通過する。プランBか?」
「ターゲット変更の可能性有り、リーパーをもう1機寄越せるか」
「ネガティブ、PEDALは帰投中、武装型Armedもあと10分ほどで帰投する。別の手段を検討する」
「ラジャー、アウト」
通信を終え、彼女は誰に言うでもなく嘯く。
「では、神を冒涜しに行くとするか」
長野県北佐久郡立科町: SCP財団秘匿エリア-810F(地上階層)
下水道商業化計画・日本法人本社ビル敷地内──D棟(シェアードオペレーション執務区画)前広場現地時刻(JST) AM3:29
剣戟を示す音が響く。ダニエラは胸の正面でブレードを構える。銃であっても剣であっても基本は同じ。弾薬の代わりに斬撃によって消費されるのは時間だ。相手の呼吸を読む、隙を見出す。全て欺瞞だ。相手より速く必殺の一撃を撃ち込むのが全てであり、それを左右するのは照準の精度と一撃を放つ速度に依存する。例えそれが捌かれたとしても、均衡させるつもりはない。次の一閃を可能な限り早く、そして正確に放つのみだ。彼女の全細胞が身体の制御と武器の記憶に連接する。
あの”ザミエル”と名付けられたウェポンシステム、そしてスタンの射撃能力、その全てはこの時点で望み得る最高の成果を齎した。タングステン合金の無垢で構成された超音速の弾体、それが胸腔を破砕してなお”優先目標”が倒れなかったのは、単に運が悪かっただけだ。陰陽術の延長線上に存在する魔術の類が、操血術のトリガーとして機能し、肉体改変を再生能力の形態で発現させる。それは彼らにとって初めて遭遇した脅威の在り方であり、故に初弾は物理的には期待される経過、即ち対象実体の致命的な破壊を齎したにも拘らず、それは今も脅威であり続けている。
一閃、一文字。
相手はその先端付近を、手にした異形の剣で撃ち落として見せた。逆袈裟、彼女はその反動を上体の軸回転で吸収し、同時に銃を抜くと腰の位置から10㎜を3発、一瞬前まで身体の中心線が位置していた場所を900m/sで通過する。既に次の手を読んでいたのか、迎撃動作の慣性でそのまま横へ移動。一瞬間を置いて逆袈裟、続いて左からも逆袈裟の2連撃。彼女はそれを身を引いて避け、踏み込んだ相手の中心線に向け片手での刺突。再び体を捩じって回避、ガントレットにマウントされた鞘を腕ごと振り抜いて打撃、続いて斬撃の代わりに再度発砲、2連射。
斬撃、銃撃、その全てに彼女は必殺の意志を籠める。お互いの殺し間に身を置いた、本物の殺し合い。牽制など意味を為さない、真実の時間。それは本来彼女達が最も避けるべき状況だった。私たちは批評家CRITICS、脅威は実力を以て一方的かつ完膚なきまでに排除し、それを後から巧くやれたか評論するのが本業だ。
180grのホローポイントがついに目標を捉える。しかし、それは期待した効果を上げなかった。
「どこぞの戌にしては良い使い手だ」
相手が初めて言葉を発する。彼女はそれに答えず、更に2連射、命中。相手の上体がぐらつく。だが出血は無い。
「しかし、聞く耳持たぬとは、所詮戌には違いないか」
弾痕のその先には、血塗れの素肌ではなく、ただ赤黒い文様の一部が覗くのみ。即ち"操血術"Hemomancyで肉体の反応速度を引き上げ、同時に着弾点の予測と部分的な肉体改変で弾を防いだのだと、彼女は瞬時に理解した。
初めて彼女の表情に怒りが浮かぶ。
しかし、彼の言葉に応えるつもりはなかった。彼女は会話をしにここに来たわけではない。
彼はダニエラの変化を見て言葉を続ける。
「私は"土蜘蛛"と呼ばれている。不本意だが、"彼ら"にとっても外法の使い手であるが故、致し方あるまい。根本は同じなのだがな。それに、君たちほどに箍が外れてはいないつもりだ」
「無様に死ね、"土蜘蛛"」
彼女は再び正対する。今度はブレードを構えない。次の一挙動で弾倉の交換と斬撃を同時に繰り出すつもりだった。
「なんだ、話せるんじゃないか。単なる野犬狩りではつまらないからな」
彼の言葉を無視し、腰を落としてからの再び仕切り直しの鞘による打撃、隙を作りながら今度は追撃の抜刀と抜銃を同時に行う。マガジンが銃から弾き出される。そのまま太腿のポーチにグリップを押し当て、10発入りのロングマガジンを装填する。今度は腕を伸ばしての片手射撃、2発。その効果を確認する前に、彼女は右腕を大きく引いて刺突の準備に移行。2発目が銃身から飛び出すのと寸分違わぬタイミング、彼女は艤装の力によってブーストされた体のバネで一気に前方に駆け出す。
"土蜘蛛"は最初の銃撃を避ける事なく受け、身体を大きく捩じって再度円移動。ダニエラは彼の横を通過するタイミングで銃口を敵の刃先端に指向、更に2発を連射。そのまま後方にまで自身のブレードを振り抜き、それは土蜘蛛の肩を僅かに薙いだ。彼は構わず応酬、先ほどと同じ横一文字の一閃。その軌道上にはダニエラの頭部。僅かにそれを掠め、髪の毛の数本が舞う間もなく切断されて地面に落ちる。それは"土蜘蛛"にとって、銃撃に翻弄されながらも、あえてそれを受け止める事で繰り出した、それまでで最も高い精度の斬撃だった。ダニエラは"リグ"の拡張モードを起動、前頭部と顎がコールタールめいた不定形の塊を纏い、一瞬の後に黒い硬質の防具へと変貌した。
空気が焦げる匂いが漂うような神速の応酬が続く。いつしか"土蜘蛛"の表情からは余裕が消え、僅かな苛立ちが浮かんでいた。理不尽こそが道理を殺すのだ。故に操血術という外法と陰陽の技とを結びつける道を選んだのであり、目の前の道理が異常進化の果てに成した"化け物"などにそれが通じない筈がない。しかし、その概念は彼の肉体が存在する空間を覆い尽くす1400個の鉄球によって打ち砕かれた。
何が起きたのか彼が理解する間も無く、最後の一閃は明らかにそれまでと異なる狙いで飛来した。即ち、剣の根元を狙う神速の刺突。それは相手の体制を崩すためでも無ければ、狙いを違えた訳でもない。
これ見よがしに振るう異形の剣、その正体に気づいたのだ。
まずはこいつから殺そう。
"脊髄"を打ち砕き、それは血を吹き出し、干からびた臓物と骨片が剥がれ落ちながら土に孵る。
"―生きているなら、殺せる"
彼女はそう嘯く。
目の前の男は憤怒の形相を剥き出しにする。怒りのあまり笑いが込み上げるのを事を最早彼は抑えられない。
「その無様なシリコン塗れの肉体は持ち帰って調べ上げてやろうと思ったが、もう止めだ。手足の端から少しずつ磨り潰した後に吊るして干物にしてやる」
彼女の目を通じた視覚情報走査が警告を発する。異常性反ミームの発生。
急速に膨張する肉体と増殖する腕が彼のシャツを引き裂き、露わになった上半身には幾つもの顔が痣の様に浮かぶ。
「本当の姿を見せるのは初めてじゃないが、ちゃんと見てくれるのは君が初めてだ」
彼女の目を通じた視覚情報走査が警告を発する。異常性反ミームの発生。
幾つもの声が唱和する。気分が悪い。だからこいつを殺す。
「最後まで見ていてくれよ、差金仕掛け」
予め適切な措置を講じていない者にとって、それは"土蜘蛛"の周りを飛び回っては辺りを手あたり次第切り裂く光景として描写されたかもしれない。目の前の男は更なる異形へと進化を遂げようとしている。両肩から腰に掛けて天使、或いは悪魔の羽根を思わせるような腕、ディノニクスを連想させる大鎌めいた鉤爪、腕とも脚とも判別つかぬ未分化の四肢状器官が24本、元と合わせて計28本。表皮の顔は鬼神のそれを思わせる形相へと変化、硬質化して歪な凹凸を構成する。
「私を倒すには"腕"が足りんようだな」
彼女の斬撃は幾度となく表皮に巨大な裂傷を負わせたが、バイタルパートには一向に届かない。距離を置いて飛び掛かりながらの片手袈裟斬り、着地後に地を這うような姿勢から両手で中心線を狙う刺突、それらの全ては表皮より奥に進む事が無い。これは単純に質量の差なのか、それとも何か内骨格にも劇的な変化が起きているのか。一瞬でそれらの疑念は放棄する。構造が不明の対象を殺す事など我々にとって珍しい事ではない。元来HESIC18共との遭遇戦とはそういう物の筈だ。
故に殺す。徹底的に、無残に。
計14本の前脚、その各々が殴打、斬撃、蹴撃を一斉に浴びせる。
彼女は初めて、それらを凌ぐ為の斬撃を繰り出す。軌道を読み、それに交差させつつも後方へのベクトルを残す様に繊細な捌き。全身の細胞に内蔵された人工小器官がミトコンドリアのATP合成を促し、それらが筋肉に、そして神経伝達系にエネルギーを与える。活動電位による情報処理は既に中枢神経系全てが焼き切れる寸前にまで稼働し、それに呼応して最適化された操作が筋肉と人造部位とを完全に統合化する。の彼女は、至近距離で放たれたSMGの1連射さえブレードだけで捌ききれる程の処理を行っている。それでもなお、優位を取り戻す事は出来ない。刹那、腕の何本かが彼女を捉えた。ブレードは弾力限界を超える圧力によって圧壊し、単結晶の破片が彼女の頬を切り裂く。彼女は折れたブレードを突き刺し、藻掻く。リグが閾値を上回る外圧によって圧迫され、彼女の肉体を押しつぶそうとする。
彼女は一瞬だけ苦痛を忘れ、逡巡する。
機密保持措置の手順を開始。ブレードに内蔵されている目標位置情報をODIN19へ承認コードと共に送信する。苦痛が再び遅い、自身がまだ”生きて”いる事を認識させられる。これはデータとして記録されるそれではなく、死につつある肉体が最後まで足掻けと肉体と脳に命じる魂の慟哭。
だがまだ彼らが居る。彼らは私より遥かに強い。人間でいる事に耐えられなかった私や、お前よりも遥かに。
「チャンスだ、シエラ。彼女を死なせるな」
彼はその瞬間を待っていた。幾ら火器管制が自動化され、状況認識が平易化されても、弾薬を装填し、銃口を指向するのは、引き金を引くのは、即ち殺すのはこの俺だ。
マットの"撃て、撃て、撃て"を聞く間は数分にまで拡張され、彼の肉体は銃と同化する。電子トリガーが通電する感覚、薬室に流れ込んだ電流が発射薬を燃焼させる感覚、反動が徐々に肩に伝わり、419grのタングステン合金が銃身を通過する感覚、ナノ秒が知覚できる時間に拡張され、彼は銃口を弾が通過し終えるまでその姿勢を維持する事に専念する。俺は殺意を持った銃架だ。
超低抵抗弾体LVDP20が32インチの銃身を通過し、音速の3倍を超えるまでに加速される。ターゲットへの距離は3,500yd弱。即ち発砲音が対象に聞こえるまでの所要時間は概ね9.4秒、その間に彼は2射目を放つ。既に"冷たい銃腔からの射撃"コールドボア・ショットは成功済み、故に彼は2射目であるこの射撃の結果を見る前に知っていた。1射目で体勢を崩し、運動能力を奪った所で2射目を致命弾として撃ち込む。こちらが本命だ。まだ初弾が飛翔中のうちに彼は新しい弾薬を、撫でるような滑らかな動作で薬室に収める。ボルトを戻し、射撃姿勢を再度構築する。ちょうどその時、ディスプレイ越しにターゲットの脚の付け根付近がピンク色の霧に包まれるのが見えた。
それは"土蜘蛛"の鎧めいた鱗の重合体を突き破り、その内側にたっぷりと詰まった体液をその圧力によって気泡に変え、キャビテーションの波が巨大な空洞を生む。
不意に、彼女の情報処理系に外部からの通信が割り込む。"ベゴニア1、オメガ。交戦開始"と。
その瞬間、彼女の感覚が飛来する超音速の飛翔体を捉え、"魔弾の射手"との距離から発射音が到達するまでのタイムラインを詳細に構築、まだ辛うじて機能する右腕──即ち生身の腕が腰のP220を捉え、"土蜘蛛"の頭部を狙う。計った着弾のタイミングに合わせて彼女は10発分、弾倉1本分を2秒弱で撃ち尽くす。
鞭打ちが連想される音、それは弾頭が水分をたっぷり含んだ肉体を超音速で貫通した事に拠るキャビテーション音。彼の右脚が千切れ飛ぶ。続く2発目は頭部に飛来、彼の肉体は半壊状態だった。
「ベゴニア1、良い射撃だ。後はこちらで引き受ける。遅滞行動を取りながら撤退し、アザレアに合流しろ」
頭部を失った"土蜘蛛"は、器官と食道の残存物から口から内蔵の破片混じりの血を嘔吐する音を立てながら、それでもなお立ち上がった。レイラインから連続的に供給されるEVEの焦点、ARadに指向性を与える意識がその意味を失い、無秩序な肉体改変は無貌の肉塊を生み出す。剥がれ落ちた肉体が蛞蝓めいた半流体状の実体と化し、それらが"彼ら"の方に向かって流れを形成するのが見えた。
「あんたを置いて行けと?お断りだ」
マットの怒気を含んだ声が無線越しに響く。
「不服従、上官への不適切な態度及びプライベートへの過度な言及、上官の私物盗難、その他諸々の容疑で告発されたいか?兎も角、これは命令だ」
「ベゴニア6、どうされるおつもりで?」
言葉を失うマットに代わってスタンの声。それは不服を言外に含む皮肉。
「私はキルゾーンの内側に居る。脅威を排除してから合流する」
「戦闘可能な状態には見えませんが」
「機密保持の為に私を撃てと命令されたいなら、そうしてやる。本時点でペゴニア6は指揮機能を喪失、以降の状況判断はアザレア6に委譲。アザレア6、了解ですか?」
「アザレア6、了解した。ベゴニア両名は自身の生存を最優先として退避、こちらに合流しろ。復唱を」
「クソッ、アザレア6、こちらベゴニア1オメガ、了解!」
「ファッキン・シット、アザレア6、ベゴニア1は遅滞行動を取りつつ自身の確保を優先して離脱、アザレア6と合流。ああ、一つ言い忘れました、ベゴニア6。プライマリの回収は不可能と判断、ウェポンシステム一式は全て残置する。幸運を」
「ベゴニア6、"機密保持措置"は不要だ。必要な時は私が代行する」
彼女は全身の──即ち生身と義肢に置き換えられた部位の双方──に自己診断プログラムを走らせ、辛うじて機能障害が許容範囲内である事を確認した。スフィア上に流れるその情報によってODINの火器管制システムが不活性化、攻撃中止コードを受領。次いで、全身の細胞内に埋め込まれた微細なシリコン粒子に指示を出す。それは、細胞質基質の解糖系を強制的に活性化させ、ミトコンドリアでの好気呼吸による代謝頻度を引き上げる事で、細胞単位での活動エネルギーをより巨視的な単位である筋肉と神経伝達系の能力を限界まで持続的に引き上げるものだった。故に長続きはしない。
彼女は体の芯から込み上げる熱を感じながら、目の前に現出した白痴の百手巨人ヘカトンケイルに向かって語りかける。
「似合いの姿だ、ファックヘッド」
長野県北佐久郡立科町
蓼科神社里宮: 境内現地時刻(JST) AM4:22
「"神社"というのは初めて見たが、神道ってのはサーキシズムなのか?」
ハリソンは呆れた様な口調で呟く。ここに立ち入るまでに随分と弾を消費してしまった。SAWは最後の弾帯が残り半分ほど、STANAGと拳銃の弾倉は残り2本ずつ。
それはハルコストを生み出す儀式の痕跡に近いように思われた。理路整然と注意深く切り開かれ、心臓が抜き取られた遺体達。着衣を見るに、彼らはみな聖職者だろうと判断した。彼はナイフで遺体の一つを探り、どれも頭蓋骨を継ぎ目から注意深く剥がされ、脳と脊椎が抜き取られている事に気づいた。頭部と胸部以外には一切損傷を与えることなく事を成したのだ。
そして、その遺体はある一定の規則に沿って、巨大な木の周りに並べられていた。遺体を退けると、地面には足で踏みしめて作られた文様に血が溜まり、乾いて固まっているのが目に入る。
血を媒介にしてEVEを誘導する手法自体は、それを必要とする限り、それは操血術、各種の魔術、呪術、或いは陰陽術であろうとその動力源がEVEに依存する限り、同じように有効だ。操血術に於いて最も重要な役割を果たす部位は通常、心臓であって中枢神経系をそれに用いる術式など聞いた事がない。そして陰陽術の場合は通常出血が術者の目に入る手段自体を避ける筈だ。
「こいつが"トーテム"の代わり?」
死臭漂う辺りを写真に納めながら問う。
「そのようだ。レイラインの末端でEVE還流を用いて、SODALITEの再構成と、恐らくは術者自身の召喚を行う。それ自体はFEAの手口だ。それと同時に、再構成に使用すると同時に、術者の神経を触媒に操血術で何か、恐らくは兵器化されたHESICsの生成も行った」
出来るのか、そんな事が。彼の訝しむ表情を見て、彼女は続ける。
「私は技術方面の専門家じゃないが、理論上は可能だろうと推察する。肉体改変とは突き詰めて言えば制御された自己組織化による予定調和的な創発に過ぎない。陰陽術はその補助を普遍的に行うための手段として発達した。そこに別の術式を組み合わせれば、想定しない対象に想定しない影響を与える事もできるんじゃないか、きっと。いずれにせよ、こいつを何とかしないと部下が危ない。お前も、私も、そしてチャーリーもだ」
「なるほどね。TH3は2個残ってる。燃やすか?それとも残りのC4を使うか?」
ハリソンは、出来れば前者がありがたい。この臭いと穢れた肉片を浴びるのは出来れば御免被りたい、そう思いながら上官の指示を仰ぐ。
「考えてみろ、レイラインの末端だぞ。ハチの巣をショットガンで撃つようなものだ」
じゃあどうするんだ、と言いかけた彼を尻目に、彼女は無線に話しかける。
「ヴァイオラ、グレイ・クラウドに爆撃指示を。ここに全弾落としてくれ」
「了解、グレイ・クラウド116はIPに再進入中だ。両機とも5分後に爆撃工程に入る。退避を」
「アザレア6、了解。交信終了」
ここにGBU-57が4発、あと5分で降ってくる?未だ形を為そうとするSODALITEごと"神木"とやらを吹き飛ばすだけでは飽き足らず、レイラインごとぶち抜いて元からEVEの供給を絶つつもりか。
絶句している彼の様子を見て、ローザは告げる。
「随分とお疲れの様だな。帰りは私が運転してやるよ」
地震かと錯覚するような地面の振動、閃光、そしてその地域に居る各々の距離に応じて耳に入るのは、やけに篭った雷鳴を思わせる残響。
目の前の異形は全ての表情を失い、戸惑ったかのように動きを止める。
止めを刺さねばならない。
彼女はスフィアを通じ、自身の権限で使用できる全ての手段を検索する。一つだけ、それは偶然にも、弾薬が装填されている状態で、3,500yd先にあった。だが、体内のナノマシン群は彼女の生命維持に全力を注いでおり、彼女自身が火器管制を行う余地は存在しない。彼女は自身の肉体に予め設定された"運用規定違反"を無視し、限界を超えて肉体をブースト、折れたブレードを叩き込む。彼女に代わり、ブレードが本来"機密保持措置"に必要だった最終目標位置座標を”ザミエル"に送信する。
彼女は柄にも無く、古代より現代に至るまで戦士が時折抱く感傷、即ち"武器にはそれを扱う者の記憶が宿る"を信じようとしていた。
ダニエラは自分ではなく、彼らが切り札になる事と信じていた。そしてそれが今、真実へと結実しつつある。
最後に送られた信号が、電子制御された銃弾の発射機構を作動させる。
超光速の弾体は道理の極致、それは”理不尽”の肉体を破壊する為に3,500ydを5秒足らずで飛翔する。
目の前には千切れ飛んで腐敗しかけた四肢、いや、正確には二十八肢か。
血色の悪いゾンビめいた重装備の兵士達に取り囲まれ、その内の一体が腕部と一体化したブレードを構えて突進してくるのを見つめながら、彼女はP220をまだ辛うじて無事な方の腕を使い、膝の関節で挟み込んで保持し空の弾倉を排出、最後の弾倉を嵌め込む。目の前に迫る新たな異形、その頭部に照準が乗り、引き金に殺意を込める。
しかし、"ゴーレム"の頭部を撃ち砕いたのは彼女の銃から発射された物ではなかった。崩れ落ちる異形の兵士、続いて後ろで待機していた他の個体が何かに気づき、別の方角に向かって突進しようと試みる。
誰かが駆け寄って、ゆっくりと手から銃を取り去り、弾倉を抜いてスライドを引いた時、彼女はまだ立っていたが、表層意識の優先権は制御機構によって奪われており、それは生命保持を優先すべくシャットダウンしようとしていた。
彼女は耳慣れた小銃や機関銃、40㎜擲弾発射機の射撃音を聞きながら、静かにその場に横たわる。
長野県長野県佐久市茂田井
国道142号線: 路上現地時刻(JST) AM5:57
他に一台の車も通らない道を、1台のハイラックスが駆ける。後席のマットとスタンは眠りこけている。
夜明けを示す日差しに目を顰め、ハリソンはふと思い出したように述懐する。
「奴ら、自前の軍隊でも持つつもりだったのか?この国には敵が多すぎるし、外から来た奴らもほぼノーガード。超常コミュニティの見本市。そう考えれば気持ちは分からんでもないが」
「多分、違うと思うね。図体ばかりデカい融通の利かない木偶の坊、あいつらがいくら強力でも、それは飽くまでモータルに比較すれば、の話だ。反乱を恐れてか、近接戦闘用の武器しか装備してなかったのは、制御が確立されていなかったからだろう。だが、何か目的がある筈だ。ポストヒューマンの量産か、忠実な奴隷が欲しかったか」
先程まで蜘蛛の巣が貼っていたフロントガラスは彼女の一蹴りで砕け散って久しい。お陰でハリソンはサングラスの隙間から入ってくる風に目を瞬かせる羽目になった。おちおち居眠りも出来ない、とぼやきながら。
「そしてその奪い合いになった、と。FEAを差し向けたのは連合か?」
「独断にしろ連合ぐるみにしろ、奴らの信条は大局的には一致している。つまり、どっちにしろ我々にとっては同じ事だ。"脅威は実力を以て排除する"」
ハイラックスは昔の方が良かった、と考えながら彼らのモットーを告げるローザ。
「で、この国での俺たちの仕事はこれで終わり?」
「まだだ。腰抜け共のケツをぶっ叩く仕事が残ってる」
「具体的には?奴らの脳天を吹き飛ばすなら…」
「もっと派手にやろう。眠りこけていたサムライ・ロックの連中全員に食いかけのハムサンドを送り付けてやる。それでまだ気づかないなら、奴らはただ邪魔なだけだ」
「そういえば、結局"倉庫番"の元締めは何も言ってこなかったのか?」
「奴らには何枚舌があるか分からん。初めから信用などしていない。この世界がどうなろうと、少なくとも死ぬまではここで生きてかなきゃならんのだからな。奴らはそうではないのかもしれんが、知った事か」
最後に吐き捨てるようにローズは言う。ハリソンはそれを聞いてふと思い出した曲の一説を口ずさみ始める。昔好きだったあるバンドの曲。
”俺は孤独に歩く"I am a man who walks alone
"暗い夜道を歩く時も、公園をぶらついている時も"And when I’m walking a dark road at night, or strolling through the park
「なんだ、その曲は」
「気にするな、ただの気分転換だ」
「お腹空いた」
ダニエラは彼女を隠すためにカバーで覆われたストレッチャーの上で、今猛烈に食べたい物で頭の中を一杯にしながら、そう呟いた。
忌々しいシリコンのタブレットをジン・トニックで流し込んだら、プライムリブを1.5ポンド、クリームド・スピナッチとマッシュルームのソテー、マッシュポテトを山盛りで添えて。前菜もパンも要らない。デザートはたっぷりのホイップクリームを乗せたバナナプディングと倍の濃さで淹れたエスプレッソ(ドッピオ)。これで決まり。
地球上、又は衛星軌道上の何処か。或いは量子サーバー上の表象区画、及びそれらの全てを含む基底現実の物理要素と形而上学的叡智圏のネクサス
時刻 定義不能
"プロメテウス資産の回収は遅滞なく成功しました。日本支部の連中は今頃大騒ぎでしょうね"
"批評家共の介入は丁度良い目くらましだろう。トリニティ・プロトコルの完遂には必須の資産だ。あの国で「確保・収容・保護」できる物ではない事は、君たちが証明した通り。彼らにそれを気取られなかったのは幸いだった。とにかく、君たちはよくやった"
"「団結すれば勝利する」とはあなた方の言葉でしょう。ですが、契約の完遂にはまだ道のりが残っています"
"その通り。幸い、生産施設の守備は万全だ。例え奴らが本土に上陸したとしても、トリニティ・プロトコルは遅滞なく進行する。"肉の夜明け"後の地上に降りたいと思うものはいまい。君たちも、私たちも。新天地でも我々"選ばれし250名"の使命は変わらない。君たちもそこに加わるのだ。それで契約は完遂する。ところで、連合は何と?"
"本件に関しては不干渉を明言しています。アジアグループ管轄のUNICASE資産にも目立った動きは見られません"
"彼らはこの期に及んでまだあんな事を続けているのだな。ここは既に守るべき世界ではないというのに"
"彼らはそれを為す為の忠実な護衛となれるでしょうか"
"少なくとも、我々がまだ軌道上に存在する間は。制御法もエリア81-0Fの襲撃で明らかになった通りだ。拠点にエヴァーハート共鳴器と制御ユニット一式を配置する事など容易い。そして我々が旅立った後の事は、気にする必要もない。彼らが生存者のコロニーを襲おうが、ハルコストを圧倒して新たな支配者になろうが、我々には関係のない事だ"
"批評家共についてはどうします?このまま黙っているとも思えませんが"
"その為のオメガ条項だ。スフィア内の所定領域は既に稼働している。我々13名の──失礼、12名だったな──。兎も角、意識転写は既に進行中だ。我々の未来など誰も気づくまい。そして、彼らはどうなろうとこの滅びゆく世界にしがみつこうと必死だ。我々は違う。"
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ジャンル
アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:5828346 (02 Nov 2019 14:12)
夜のコンテスト2021-月夜部門に参加予定のTaleです。
批評を頂くに際し、特に以下の点が気になっています。
・1ページに対して文章量が過大ではないか(≒複数編に分けた方が良いか)。
・会話のやり取りに際して不自然さ、或いは説明不足/過多となっている箇所が無いか。
・情報過多になっていないか(≒ルビ/脚注の使い分けは適切か)
・作品を記述する上で不要な登場人物が居ないか(登場人物が多すぎないか、キャラクターの掘り下げが不十分ではないか、など)
・展開の不自然さ
・そのほか、表現上の不備、読みやすさなど。
以上、忌憚ないご意見を頂ければ幸いです。