蝗屋喜兵衛

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作 六代目神林伯玄
 えー、江戸の中頃のお話でございますが。信州松代の真田伊豆守様の御領地でのお話でございます。
 信濃国と云いますと、色々なものが採れます処ですが、やはり何と云っても蝗の佃煮でございます。この日の本如何に広しと云えども虫を食する処と云うのは、やはり此処くらいでございましょうが、まあそこはさておきまして。
 松代の農村に喜兵衛と云う、商売人がおりました。この喜兵衛、御公儀とも繋がりがございまして村の名主であったり、はたまたお侍様の代わりでもって色々な働きをすると云う人でございます。
 この喜兵衛と云う人、ある時お殿様より御命令を頂戴する事と相成りました。
「喜兵衛、其方村々を回って蝗について調べて参れ」
と申しますのは、蝗と云うのはご存知の通り稲を食い荒らす害虫でございます。お殿様にしてみれば、蝗がどれだけ現れるかでその年の年貢が決まるもんですから、無関心ではいられないと云う次第でございます。
「ははあ」
と喜兵衛このお話を受けまして、早速村へと向かいます。

 「おーい、誰か居るかーい」 
「へえ、何か御用で」
「ウム。拙者殿の命を受けてこの村の蝗について調べに参った」
「蝗でござりますか。しかし、正確な数は私共もよく知りませんで…」
「それなら、佃煮を入れておる壺の数を教えてくれ。無論、今年仕込んだものだ。さすれば凡そ察しがつく」
「ええ、それでございましたら、どうぞ此方へ」
喜兵衛を案内しましたのは与一と申します土地の農民でございまして、まあ純朴なお人でございます。素直に佃煮を保管しております蔵まで案内をしてくれるわけです
 さて蔵につきますと棚にそこそこ大きな壺がいくつか並べてございます。
「これは全て佃煮か?」
「ええ、左様でござんす。今年仕込んだもんでございますと、こっから此処までのまあ、十壺ばかしでございましょうが」
「一壺凡そ何匹と云うところか」
「へえー…まあ五十は下らんでしょうが…」
「ふーむ、成程こんなものか。全て捕らえておるとはあり得ぬ事。殿には、少々増やし目でもってご報告を申し上げよう。与一、他に佃煮を保管しておるところはあるか」
「ある事はありますが、皆一壺そこらでございまして。かくも多量の蝗にやられたのは恐らくうち限りでございましょう」
「ほうほう、それは不運な事じゃったな。何ぞあれば殿に申し上げるもやぶさかでは無いぞ」
「へえ、有難う存じます」
なんてな事を云い合ってる間に、すっかり日が暮れてしまいまして、もうお城へ戻るには夜の山道は危ないと云いますので、喜兵衛この村に泊まるということになりました。
 さて、折しもその日は村を挙げての祭りの日でございます。お若い方にもわかる様に申し上げますと、収穫祭と云うものでございまして米の獲れたのを神様に感謝をすると、そう云う行事でございます。
 与一の家には村の農民がより集まりまして、宴をやるわけですね。それでもってみんなが三間ばかし襖取っ払ってにわか作りの広間に車座にやって何杯もやる訳です。しかも、農民にとって白米が喰えるのは後他人の祝言と葬式くらいなもんでございましたから、兎に角みんな呑み食いをすると云う次第でございます。
 さて、酒を呑むからには何かつまみが必要でございますね。流石に祭りの日まで塩や味噌で呑むと云うのも味気ない。それなら、という訳でおかみさんが蔵から佃煮の壺を出してきて皿にこれでもかと大盛りにする訳でございます。
 お若い方には何ともご想像しづらいでございましょうが、まあ簡単に申しますとバッタが大皿に山盛りになっているとご想像あれと。
 まあみんながみんなそうとは申しませんが、居るのは皆信州で育った生え抜きでございますから、佃煮をバクバク食っていく訳です。この速さには流石の喜兵衛も閉口しまして、やれやれと云う。しかし、こんなに食い過ぎてしまって、飢えの時は如何するのかと気になりました喜兵衛、傍らの弥助と云う者に聞いてみたんですね。
「なあ、此処までバクバク食うても良い物なのか?」
「ええ、全く問題ございませんで」
「しかし、飢えがある時如何するんだい?」
「いやあ、もしかしてご存知ないんで?この家の蔵って云やあ、無限に蝗の佃煮が湧くって有名なんですぜ」
こらァ随分とバカらしい事だと皆様思し召されたでございましょうが、まあ、喜兵衛も同じでございまして。
「へっ、何をバカな事を」
と心中思いましたが、周りの人間がうんうんと頷いておりますから、単なる酔っ払いの戯言とも思えない訳でございます。
 気になりました喜兵衛、主人の与一を呼び出しまして、先程の事について問い質すわけです。すると与一、意外にもポロっと吐いてしまいまして「へえ、真のことでございます」
と喜兵衛に申し述べる。
ははあ、こいつ。如何やら蝗が大量に来たと嘘並べて、年貢を減らして貰おうと狡い事を考えやがったな、と喜兵衛心中こう考える訳ですね。
「其方の申す事が嘘か真かは今は置いておこう。しかして、今年其方の田に蝗はやって参ったのか」
「いいえ。今年は稀に見る豊作でございまして、また蝗に稲をやられる事も殆どございませんで。あの壺は、皆今よりずっと前に仕込みを致したものにございます」
やはり嘘八百並べていたと見えて、喜兵衛普段ならば「御公儀を欺こうとは不埒至極」と叱り飛ばすべきでございましょうが、どちらかと云いますと今はその「無限に湧く」と云う蝗の方に興味が向いていた訳です。
「なれば与一。明日、其方の家の『無限に湧く蝗』について拙者に仔細漏らさず教えよ。さすれば御公儀を欺かんとしたその罪、無かった事にして進ぜよう」
「へい、有難う存じます」
とまあ、うまい調子で持ってこの蝗について話を聞きにいく事が出来る様になりました。明日が楽しみだと、喜兵衛密かに心ん中で笑みを浮かべておりました。

 さて次の日、早速与一の案内でもってまた例の蔵へと戻って参ります。蔵の中には昨日酒盛りで開けた壺三つが無くなってまして残りが七つとなってございます。
「さて与一。これの何処が無限に湧く蝗と申すのか」
「へ?見てお分かりになりませんか?」
「何?」
「いや、私共は昨日三つ壺の佃煮を食いましたが、変わらず壺は七つじゃあございませんか?」
「いやいや、其方心得違いをしておろう。拙者が壺を見た時は壺は十あった。そして三つ減って七つになっておるぞ」
「はて…よく分かりませんな」
こっちのセリフでございます。喜兵衛は壺が十あったと申しまして、与一は初めっから七つしかなかったとそう申します。
 こりゃ一体如何なる訳かと申しますれば、実のところこの蝗、「無限に湧き出る」と云う訳では無く「食われたことを無かった事にする」とこう云うもんなんですね。昨日連中が十壺あった分を三壺ばかしバクバク食っちまったのを、この蝗と云うのは食われた分は、元から蝗として生まれなかった、と不思議な事に人の記憶をねじ曲げちまう訳です。ただ、蝗を食ったと云うその人の記憶は残る訳ですから、そのつり合いを取る為に「量が減って無い」と云う嘘の記憶が混じる訳でございます。
 十のうち三食ったなら残りは七つ。しかし、食われた三は元から無かったと蝗がねじ曲げる。すると元から七しか無かったと思い込むと言う訳でございます。これがまあ絡繰でございまして。
 ま、それは兎も角。お客様におかれましては「何だって喜兵衛だけ記憶がそのまんまなのか」
と疑問に思われてるでございましょうが、こりゃ簡単な事でございましてね、喜兵衛は例の村に来てから日が浅いもんでその土地の蝗を食べ慣れてないわけです。根が土地の者は生まれた時から蝗を食ってるもんですから、こう、やられてしまうと云う訳です。
 さて喜兵衛。この人根っからの商人ですから、この蝗の佃煮を使って儲けようと一計案じる訳でございます。取り敢えず二壺ばかし佃煮をもらってきたんでございますが、これを如何使うのか。喜兵衛が向いましたのは、筆頭家老の席を頂戴しております矢沢家邸でございます。
 時の御当主矢沢但馬守と云う人は、御家族共々とにかく蝗の佃煮のお好きな方でありまして、毎日の様に食事の供としてつけさせていると云う奇特な方でございました。そこへ喜兵衛行くわけです。
 「おお、喜兵衛か。久しいな」
「はっ。御家老様におかれましても、お変わりなき様でお慶びを申し上げます」
「して、何用であるか」
「はい。実はこの前、何々郡の何処何処村に参りました際、不思議な『蝗の湧き出る壺』と云うものを手に入れまして」
「何?今其方が携えておるその壺か」
「はい。この壺の中には、それこそ隙間の無いほど蝗の佃煮が詰まってございますが、これはたといどれだけ食べても蝗の数が減らないと云う、不思議な壺でございます」
とんでもない話でございまして、不思議なのは蝗の方でして壺の方では無いんでございますが、喜兵衛これを口八丁手八丁でもって矢沢但馬守に宣伝をするわけですね。
「ううむ。真なら千両出そうとも欲しい物。いかほどであるか」
「他のお方ならば、五百両は頂戴したいところでござりまするが、恩義重なる矢沢様でございます故、タダでお譲りをさせていただきます」
「何!タダであるか。喜兵衛、これは恩にきるぞ。今後御公儀の仕事は、皆其方へと渡す事も考えようではあるまいか」
「ははあ、有難う存じます」
喜兵衛の考えと申しますのは、壺の中の蝗をしこたま食べさせる事で、与一たちの様に記憶というのを歪ませまして、あたかも「無限に蝗の佃煮が湧き出している」と錯覚をさせようという事でございます。壺の中にはギッチリ佃煮が入ってございますから、間違い無くこの人は与一と同じ様に佃煮が減っておらぬと錯覚をするでしょう。しめしめと、喜兵衛。家へと帰って参ります。そして前祝いの酒盛りと致しまして、蝗の佃煮でもって宴をしたんでございましょうが。
 翌日の朝、早駕籠でもって矢沢邸から喜兵衛のとこへ使いが来たんでございますが、様子からしてただ事じゃございません。兎にも角にも矢沢邸へ向いますと、
「これ喜兵衛。其方に聞きたいことがあって呼んだ」
「はっ、何でございましょう」
「これを見よ」
そう申しまして矢沢但馬守、空っぽになった壺をごとりと喜兵衛の目の前に置きます。
「其方、これの事を、限りなく蝗が湧く壺じゃと申したな」
「は、はい」
「それを聞きつけた、近所の者が蝗の佃煮欲しさにやってきた。確かにどれだけ気前よくくれてやっても量は減らぬ。しかし、不思議な事にある時を境に皆『蝗などありませぬ』と申す様になった。変じゃのう、確かに蝗は零匹おると云うのに」
(苦し紛れに)「そりゃ何とも、礼が無い奴らですな」

 昭和十一年 七代目卯凪亭参笑 口演

補記
調査の結果、長野県の一部地域に異常性を持つ蝗が実際に生息している事が明らかになった。この特性については、日本生類研究所にて研究するに値する事項である
昭和十二年三月九日 凍霧天


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