Tale「その橋で伝言を託して」(お見合い企画2021 / サイト-8148コン)

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「ニーフォ=ママナ」。「咬冴こうが 舞波まな」。それぞれサミオマリエにおったウチと、財団のウチの名前や。

ニーフォ=ママナは両親から貰った名前……。サミオマリエを失った今となっては、もう使い処が無いような名前になってしもうた。

咬冴の方は、世話役のタケナギが付けてくれた名前。"財団におるウチ" が、サミオマリエとは違ったウチが名乗る名前や。

(ウチは財団におることも、自分で拒絶したんやろうか……?)

ただ青い空と青い海面が遥か遠くの靄の中で溶け合って、その水平線へと焦げ茶色の1本道が、左右に白く、低い柵を伴って続いとる。まるで何かの絵ハガキにでもありそうな、どこか現実味の無い光景だけがここにある。

……見たこともない海上の長い、長い橋の上に立ったまま、もうウチは自分の名前が何なのかも分からへん。この水面はサイトの自室奥にあった、寝床を兼ねたプールなんかより遥かに青く縁も無い。せやけども、空と違って遥かに暗く、波音1つも立てんもんやから、ウチに行き場は無いような気がした。

(ウチが立ち尽くしとるのは、いつからやろうか……)

動かんとアカン、そう思ってもただその言葉が頭の中を流れるだけで、ウチの心が動こうとしてくれへんから小指1つも動かんかった。

財団はウチの故郷やないけど、それでも「咬冴 舞波」やったウチは、トレーニングに模擬戦に、後は「最低限の」なんて言われてテスト用紙に向かわされたり、そこには確かにウチがおって良い場所やった。

昔話を思い出したら、ほんの少しだけ思考が進む……

(……あぁ、それにもっと楽しい事も色々あったわ、年相応の "子供らしい" 事……。)

(………………。)

(……。)

そんな時でさえ、少し意識を自分の中に戻した途端に赤く濁った海中が目に浮かぶ。タコの煙幕みたいに全身から血を吹き出して、もうどんな姿勢で殴られとるかも分からんマヌマロの悲鳴が。ウチの名前を呼びながら両手足を死に物狂いで動かすフィレムが、水流に飲まれて視界の彼方へ消えていく姿が。そしてその水流で岩に押さえつけられたまま振り向いたウチの、視界を埋め尽くした潜水艦が。「咬冴 舞波」では固めきれへん「ニーフォ=ママナ」の記憶が。

(……こんな海を見とると特にや。)

……特に、それにこの光景だけは、他と違ってぼやける事無く鮮明やった。やけどそれでも、財団で知り合った皆と飾り付きのケーキ取り合ったり、オバケみたいなサイズのチョコレート作って贈りあったり、或いは体を捻って上に飛んだり地を踏んで横に飛び避けたりの訓練でもええ。誰かと表情や体を向けあっとる間の方が、独りの時より苦しくなかった。

それやのに、何でウチは自分から独りになってもうたんやろうか。

約束通りやったら、ウチは今頃最後の準備でカボチャでもくり貫いとる筈やった。





[10月24日]

時刻は14時過ぎやった。床にあぐらをかいてウチは今、購買で買ったパーティーグッズのライオンマスクを改造中や。タケナギやマダラザが教えてくれたやり方で縫い針を潜らせ捻ってまた外へ出し、取り外したタテガミの代わりのプリーツ布を取り付けていく。

「ふぅ……。」

割りと時間かかってまっとるな……。少しだけ手を止め右手の壁にゴトン、ともたれた。下に行くほど青いグラデーションの、その壁の一番濃い青に指先が落ちる。あんまり青いと失くした日々を思い出してまうもんやから、敢えてこの青はネイビーブルーに近い色味や。

「……財団ちじょうに来てから4年やな……
……ウチは、もう失くしたのと同じくらいの密度の日常を手にした筈や……。」

財団の日々は密度が濃い。サミオマリエで暮らす時間は、もっとゆっくり流れとった様な気がする。……隊員としての毎日の訓練は、サミオマリエでの最低限の自衛のための身体維持とは根本から違っとる。浮力の無いまま自重を支えて過ごす時間も、いつの間にかマヌマロを遥かに超えとる。幼いウチは5時間地上におったと聞いて、「鍛練かかさん格闘家は格がちゃうなぁ」なんて風に思っとったっけな……。

「はぁ。」と視線を上に持ち上げた所で、自分がいつの間にか体の向きを変えて、壁に背中を押し付けとる事に気付いた。さっき左にあった壁掛け時計と、牛乳瓶やら瓶詰めクリスマスツリーやら、購買で買ったまま飾りと化しとる知恵の輪に、やたらリアルな鬼面なんかの並んだ飾り棚がウチの正面にある。この雑多なもん達がウチの、財団で積み上げてきた日常の記録や。瓶詰めツリーは見る度にあのメロディーが頭に流れるし、床に豆ぶちまけて鬼面の角が折れる程に転けさせたユラヅキには色んな意味で悪いことしてもうたなと苦笑する。笑って許してくれたけど……。

そこまで思い出回した辺りで(……ん?)と何かの違和感が。身体的な違和感は、よく考えれば当然やった。背鰭が潰されとるし尻尾も窮屈。いつの間にか、ウチと体の造りのちゃう人間がとる姿勢を無意識に真似とった。

「……まぁええか。」

そう声に出しながらグッと体を壁から起こしてヨイショと立て膝をつく。亜人的なアノマリー職員でもちらほらと、あの姿勢普通にとれる奴らおるしな。ふっと視線を下に向けると、口をポカーンと開けたまま、撥水性の床の上からウチを見上げるライオンマスクと目が合った。

(せやリンコが帰ってくるまでに終わらせといたろ!)

ウチは元のあぐらに戻って青いビーズみたいなヘッドのついたまち針をまた1本外し、針山に戻そうと左手を前に伸ばした。でもそこで、その先にあるプラスチック張りの扉からコンコン、とノックの音がした……。木や金属やと塩水と相性が悪いから、この扉は白い強化プラスチックで作られとる。その扉の向こうから「開けて~」と声を上げとるんが、30分前にサイト内での買い食いに出た後帰ってきたらしい友達のリンコや。思った直後に間に合わんかった。

「あー今作業中なんやけど、自分じゃ開けられん感じなんか?」

顔を上げ、体か荷物の擦れる音だけで開く気配が全くしとらん、飾りっ気の無い部屋の入り口のドアを見る。

「うーん、とりあえず、試してみる……」

相変わらずのガサゴソ音と、蹴っつまづいたみたいな鈍い音がゴッ、ゴッ、と連続2回。少し間があってからドアノブがゆっ……くりと傾いて、扉がぎこちなく開いて行く。外向きに開いた扉の影からにじり出てきたリンコは……、

「……いやまだ24日なのに、もうトリック・オア・トリートの後みたいになっとるやないか!」

両手に大きな紙袋やら、LLサイズやろうな、って大きさのバケツを抱えて、ショートとセミロングの間くらいの髪を左へ3歩、右に1歩と転けそうになるたびに揺らしとる。仮装は一応しとらんとはいえ、ピンクベースに黄緑に水色、ねり飴混ぜたみたいなシャツを着とるし、そもウチと同じアノマリー職員で肌のところどころがカメレオンの緑色やから既に仮装しとるみたいなもんや。そんで右手を塞いどるんは……、あれパフェか!?

「ちょ、リンコそら流石にウチも手伝うで!」

ウチは戻そうとしとったまち針を使ってプリーツ布とマスクを留めて、床と足裏の鮫肌を咬ませるように立ち上がって走り出す。視界の下端に何か写る、まぁそら今まさに、そこにブツ拡げて裁縫しとったからな……、

(……ってあかんやん!)

このまま踏み降ろしたら大怪我や。大急ぎで下を見ながら、大口ポカンの針が刺さったライオンマスクに、踏んだらヤバい針山やらを避けた踏み場に足を運んで、バランス危うく視線は下で。そんなまま勢い付いたウチの視界の中に前方からピンクと緑が迫ってきとるヤバいヤバいヤバい……

「「……おっ、とっ、と!……あぉっ、と。セーフ!」」

ウチらはギリギリで衝突を回避、というか勢いを弱めながらの偶然な接触で上手いこと両方が倒れず止まれた。

「いや良かったわ~。流石にウチの部屋にパフェぶちまけるんはカンペンやで。まぁウチも危なかったんやけど……。」

大股開きの大の字になってブレーキかけたウチの鼻先に、腰を斜めに落として屈んだ姿勢をとっとるリンコの頭の襟巻きがある。初対面では緑のナースキャップ被っとるんかと思ったが、この距離で見ると細かいウロコとかあるし生きた身体の一部やな。

「ごめん、流石に一気にこの量は無謀すぎたかな……。」

屈んだ妙な姿勢のまんまで顔だけウチを見上げるリンコにコクン、と頷く。

「むしろパーティーまでこの菓子だけでも食い繋げるくらいの量やで。……とりあえず、剥き身のパフェは早いとこ食い。」

「あー、そっか。……OKごめん、とりあえずパフェだけ食べちゃうね。」

「椅子借りていいかな?」と尋ねるリンコにウチは「ええで」と答えてポップコーンのバケツを預かる。ちと身が軽くなったリンコは両手に下げた他の袋を1つづつ下へと下ろし……姿勢を直すとウチらの視線の高さは大体同じ。同じ景色見とるしウチらは同じ過去を持っとる。

「いただきまーす!」

それでも、リンコは凄く明るい。心の内側の古傷から今もどす黒い血反吐を流し続けとるウチの目に、その色は心地が良かった。リンコの頭の上の襟巻きと、半袖シャツから覗かせた両手の所々にあるカメレオン肌。普段は緑が基本のそれが、パフェのクリームやフレークを口に運ぶ度ピンクや黄色に変わってく。

本当、甘いもん好きなんやなぁ。


……さて。

……ウチはパーティー用の衣裳準備の続きや!
腰を下ろして三度あぐらに戻り、指先で針を泳がす作業に戻る。ウチらが参加するんはこのサイト-8148の、8181本家に便乗したお祭りや。毎年日本支部公式の方のハロウィンパーティーはサイト-8181で管理部門が開いとるけど、中にはスケジュールやら異常性の影響やらで自分のサイトを離れられん職員もおる。そんな人らも楽しめる様にと、トラヤいう人が幾つかの別サイトでの便乗を、企画したんが始まりやそう。

……あれ?

「……そういやリンコ、なんで毎年ハロウィンの度に8148におるんや?しかも数日前から……」

思ったままにそう言って、リンコの方を見上げて "しまった!"、思った。斜め前で椅子をウチの方に向け、パフェ頬張っとったリンコの頭がググっ、と軽く後ろに揺れる。喉からゴクッ、と、ちと苦しそうに大きな音が。あかんウチさっき「早やいとこ食い。」って言うたばっかやないか……

飲み込み終わったリンコはまだ胸の辺りが収まらんのか、目を閉じ口をキュッと結んで今度は前向きに屈んで揺れとる。短い間に、ウチの中で色んな思考がグルグルしとる。

(そも8148に来れるんやったら8181の本家パーティーにかて行けるやろうし、……もしかしてウチが毎年8148固定にさせてまっとるんやろか?ウチやって休暇と8181行きをタケナギに相談する位なら……)

リンコの閉じられとった目がパチッと開く。

「ん、だってここのパーティーが一番豪華なんだもん!サイト全部会場……は流石に言い過ぎだけど、でもさ、ホールとか通路にまでジャックオランタン並ぶのここだけなんだよ?あと色んなとこでお菓子貰えるし……!」

パフェ最後の大きな大きな一欠片が食道を通り終わったようで、想定外に明るい声音で答えたリンコは、前にウチの机が置かれたグラデーションの壁をバックに女児アニメの元気キャラか?って笑顔でサムズアップして言葉を続ける。

「それにアタシの業務って、端末1つで出来るからさ。」

ウチは1秒か2秒くらいの間、手元で裁縫途中のまんまのライオンみたいなポカン口。その後安堵が押し寄せてきて、

「……せやった端末1つやったな……!」

やたら女児っぽくて幼さの残るファッションセンスや容姿からは想像もつかんが、リンコの業務はプログラマーや。手の平サイズの端末で……8148のシステム担当やっとるイソガイが言うには「常軌を逸し」とるらしいけど、前に目の前でミニゲーム作っとった時の指の動きは確かに見とるから納得する他あらへん。リンコの他にも特定サイトにあんま縛られんエージェントとか、この時期は結構色んな人が8148にお邪魔して来とる。元々の管理部門が掲げた目的、「同じ財団の職員同士、普段の業務じゃ関わらんような交友関係を拡げるために職員交流をメインに置いたハロウィンパーティー」は果たされとるから黙認されとるいうことやろう。



……と、そうこう考えとる内に、

「タテガミ完了、あと塗るだけや!今年こそ、何着てもマナちゃんはマナちゃん、なんて言わせへんで!」

縫い糸の端を結び終わって、プリーツ布の新しいタテガミがライオンに完全にくっついた。

「……え!?もう!早くない!?」

「タケナギに週一習っとったらこんなもんやで。」

毎年この時期、魔女、ゾンビ、バンパイア、何の仮装をしても「本体が仮装を喰ってる」なんて言われてまって煮えきらん感じしとったけど……

❰マーライオン❱

今年はアイディアガールなリンコが名案をぶん投げてくれたからもう完璧や。ウチ自身の身体も仮装モチーフの1部へと、組み込んでまうって発想は無かった。

「リンコ、えぇアドバイス有り難な!」


思えば初対面の日もハロウィンで、どうせなら一緒に回ろうと案内役をしてくれたのもリンコやった。お陰で "トリック・オア・トリート" は大体分かって、

そして、その他の何よりも。

「あぁ……。アタシの場合は、両親いないからさ。」

リンコにも両親が、おらんかった。

1度亡くしたおとん、おかんに代わりなんておらへん。タケナギたちは必死で"親代わり"になろうとしてくれとるけど、それは亡くした者にしか分からん、共感でけへん感覚なんかもしらへん。ウチはその感覚を共有できる相手を何処かで探しとったんやと思う。

「ウチも、このサイトにたった1人や。」

「アタシは、お姉ちゃんと2人。」

「そっか。お姉ちゃんのこと、大事にせぇや。」

そんな会話を覚えとる。

「パンプキンのチョコボール、マナちゃんも食べる?」

差し出された紫色の小箱には、どこか無邪気なニタニタ笑いのハロウィンカボチャが描かれとる。

「これ期間限定か?是非に貰うで、有り難な!」

リンコはやっぱ昔から、自分色に一直線なアイディアガールやったんやろか。




……アンタは、誰なんや。

もう1人のサミオマリエ人が、目の前でウチの事を見とる。

あり得へんのや。もう、ウチ以外にはおらんのや。せやから苦しいんや。せやからあん時、辛く当たってもうたんや。

重い心がのし掛かって、橋板から顔を上げられへん。それやから目の前の相手の顔は見えん筈やのに、何故かウチの事真っ直ぐ見つめとるんが分かる。

ずっと、ずっと考えてきた。自分自身の思考に、考えさせられてきた。

足元を、橋板と自分の爪先の境を無意味に見つめ続けるウチの、肩にポン、とソイツは手を置いた。何もかもが今更なウチに、そんなことして何の意味があるんやろうか。

(………。)

……ウチはずっと考えてきた。ウチも皆と同じとこに行くべきやったんやないか、と。1人だけ逃がされて、それに甘えたウチは卑怯者なんやないか、と。

……せやから。



……せやから、ウチの苦しみを否定せんでくれ。アンタが誰なんかは知らん。やけどもこんな、こんなまやかしサミオマリエ人の姿で、仲間面をせんでくれ……

ウチの本当の仲間たちは、今もどっかで聞いた「霊界」いう所でウチの事覚えてくれとるやろうか。たった1人の、卑怯もんになったウチの事、やっぱり恨んでおるんやろうか。

そんな思考が、ウチの頭をグルグルしとった。




[10月25日]

(今日は結構、トレーニングがハードやったな……)

今は夜の8時半頃。「20:32」になっとるデジタル時計が、視線の先のプールサイドに置いてある。ウチはプールに浮かべるタイプのベッドに転がって、昨日「実は半分はマナちゃんの」言うてリンコがくれたキャラメルコーンを1つまた1つと袋から口へ運んどる。普段なら水中に転がるウチが浮力を受けられんベッドにおるんは、1つはキャラメルコーンのためや。そして左耳の下敷きにした、水没させたらアカンもんがもう1つ……

「……後はラスボスのモーション作ればラストステージ完成だけど、腕が168本あるからもうちょいお待ちを!」

(いやどんな造形のラスボスなんよ……。)

スズネに貰ったケータイ通じて、ウチとリンコは通話中。スズネ言うんは、リンコの姉や。
ケータイ通じた先からもサクサク音が聞こえとるから、多分リンコも何か食っとるなこれ。

「あと頭も58個ある。インドの神話モチーフにするとどうにもこうなっちゃうのよね……。」

「その見た目、多分スズネに見せたら悲鳴上げるで。」と、ウチはケータイのマイク部分に声を浴びせる。ソフト担当のリンコとは逆にハードに強いスズネは、色々とリンコとは正反対や。結構大人しめな感じやし、イベントとかでも舞台裏から見守るタイプ。……業務やったり休暇やったりで、スズネも度々8148に顔を見せる事がある。この前5月頃に会ったときに貰ったこのケータイは、旧型のジャンクを改造したから格安なんやと聞かされた。やけどもこの機種はちょうどそんときにウチがドハマりしとった2000年代ドラマの主人公のと同じやもんで、きっとリンコの方が意図して選んでくれたもんなんやろなと。……あー、でも。ウチの部屋やと濡れかねんから、タケナギに頼み込んで発注してもらった専用の防水ケースと、首から下げて持ち運ぶためのぶっとい紐を着けてまっとる。主人公のとは違う見た目に……。すまん、リンコ。

「……それで、今年は鈴音すずねも小さい子達の引率担当で8148に来てくれる事になったんだけど……さ。ちょっと相談良いかな?」

「どしたんやいきなり?」

キャラメルコーンを摘まんで口に、持ってこうとしとった手が止まって妙な格好になる。リンコがこういう事言うときは、普通に真面目な問題か、割りとどうでも良いけどおもろい内容か……

「実はね……、財団に2月前に引き取られた女の子が、よく夢を見るんだって。」

……とりあえず、どっちや?歪な三日月みたいな形の黄色、キャラメルコーンを見つめたまんまで、ウチの頭に疑問符が刺さる。

「夢……何か、あかん夢なんか?」

財団に引き取られた子供の話自体は別に場違いでも唐突でもない。例のハロウィンパーティーが、もう数日後に控えとるからや。様々な理由で財団へと引き取られた子供たちも、サイト併設の学校施設経由で結構参加する。やけども夢、そっちの話がピンと来んくて……。

「亡くなったお母さん、お父さんの夢。詳しい事までは専用のクリアランスが要るから分からないけど、オブジェクトに引きずり込まれたお母さんとお父さんを夢に見て、目が覚める度に泣き出すみたいで……」

……あぁ、

そういう事か。真面目な話の方やった。

(…………。)

ウチの手から歪な三日月が落ちて水の底に沈んでいった。一瞬、潜水服に頭を…………おとんの姿が脳裏でウチの視界に重なる。打ち消すように強く瞬きをして頭を揺すって、……今度はボロみたいになったおかんが見えた。

あかん、話の方に集中せんと。両手で頭を抱えて明るい声で自分の心に平静を装う。

「つまり……」

「それでね。親代わりのチャットボットプログラム、組めないかなって思って、それで、優しいお母さん、お父さんの条件って何かな?」

「……………え……?」

目を開け視線をデジタル時計と向こうの壁のネイビーブルーに向けたまま、ウチはリンコが何言っとるんか、数秒理解が回らんかった。頭抱えたままの姿勢で、理解が回ると今度は言っとる意味が分からんかった。どんなに優しいもんやって、目の前で奪われたおとん、おかんの代わりにだけは絶対ならへん。それはウチだけやなくてリンコやって……。リンコやって、おとんとおかんを、亡くしとるのとちゃうかったんか。

「……リンコ、多分、それ無理や。」

自分で微かに震えを感じる、そんな声で絞り出したウチの言葉は、今度はリンコの方からの「……え?」の1文字で聞き返された。

(何でや。何でそないに「予想外……」みたいな声が出せるんや。)

……ウチの目は視界の中に映っとる壁や時計やキャラメルコーンの袋に助けを求めて泳ぐ。当然やけども、答えは来ない。

(リンコ自身やって、同じ経験したんとちゃうんか……?おとんを、おかんを、目の前で……)

思考が焼けて加速しかかって、…………ウチが自分の間違いに、気付いたんはこん時やった。

(……目の前で?)

(……あぁ、そうか……。)

自分でも、かっ開いた目が充血した上、吐息も震えとるのが分かる。

(それはウチの経験や。ウチは、自分の境遇を勝手にリンコにも投影してたんか……)

形容できる言葉の出てこん "空虚なカビ" みたいなもんが、ウチの胸、心臓に拡がってく様な感覚がする。ウチの目はまた泳いどる。視界の中の数える程の物品からの答えは無い。

(……同じ経験、してないんやな。

……両親いない言うんも、ウチの思い違いか聞き違いやったんやろか。)

ウチ自身の中で、無理矢理にでも話を完結させるしか他に無い。

「……もしもし?……マナちゃん……?」

声が頭を横切った。
……そうやな……。突然黙りこくったウチが、どんな姿で、心でおるかはケータイ越しには伝わらへん。ウチは唐突に乾いた気がする口を、強く意図してようやく僅かに開かせた。

「あんな、ウチな……」

ウチは、説明をしようとした。その途端、胸に拡がった空虚なカビが、どす黒く重い塊に変わった。あらゆる悲鳴と血の煙幕と、どれが誰かも分からんバラバラの身体に、おとん、おかんを棄てて逃げるしかなかったウチを見つけてくれて、一緒に逃げ延びる約束をしたのに果たせんかったフィレムの姿が……

それでもウチは、説明しようと。


あのな。


ウチな。

あの、な……。


……出来んかった。何かの鍵がかかった分厚い扉みたいに、喉の所で何かが言葉を止めとった。

何で、何で言えへんのやろか。

……それも分からんでウチは無理矢理、代わりの言葉を絞り出す他に無かった。

「……………ほら、どんなに上手い模造品でも、マニアや鑑定士の目は誤魔化せん。それで人は誰でもな、身近な誰かが死んだ途端に、その故人のマニアになるんや。」


……よくよく思い返したらこれは、例のドラマに出てくる嫌味な先輩キャラの台詞やったから、結局のところウチは嫌なヤツになったんやと思う。




相も変わらずウチは自分と、目の前の奴の足元と橋板を見つめとる。何か左右の視野が無くなったみたく、焦げ茶と水色だけがウチに見えとる全てで……。

「……いつまで、そうしとるんよ。ここにおるんは、あんた1人やで。あんた自身や。まやかし何かとちゃう。」

目の前の "それ" から声がした。想像していた "それ" よりも、遥かに優しい声やった。

目の前におるソイツは、あまりにもサミオマリエ人やった。否定しようにも、あまりにもそれは "ウチ" やった。

「もう無理し続けんでもええ。すごろくで言う "1回休み" や。立ち止まってええ時が来たんやで。」

否定しようにも、それは、まるで……




[10月26日]

「それで、咬冴さんのお話というのは?」

ケータイの向こうからリンコと同じ、やけども畏まりきった口調の声が聞き返す。昨夜と同じ姿勢のウチは、自分でもどうすれば良いんか分からんくなってスズネに相談を持ちかけとった。あの事は昨夜からモヤついとるけど、でも仲違いしたい訳やない。

「それがな、……すまん、言おうとしても上手く纏まらんのや……。」

「……?」

ウチは、勝手に自分と同じやと、 "共感し合える相手" の役目をリンコに求めてしまっとったんやろか。でも "両親がおらへん" と、リンコ自身の言葉でハッキリ聞いた筈やのに……。

そんな事ばかり考えてまうから、リンコの部屋にお邪魔して一緒にライオンマスクの白への塗装は終わらせたけど、あのカラフルな部屋に似合った声音も話題も会話も何も出せへんかった。

「ウチ、ハロウィンパーティー言うもんが何かって事もリンコに教えて貰ろて。初対面でどうしてええかも分からんウチに、その場で友達買って出てくれて。」

スズネの息遣いはまるで、再び、(……?)と続きを待っとるみたいや。ウチは、何とか言葉を続けなならん……

……このままやったら、またあの光景が思い出されてまうから、ウチは無理矢理別の光景、財団に来て初めてん時のハロウィンの事を思い浮かべる。

(……せや。)

(……せや、ウチはあん時、財団が何かデカい悪もんに勝ちでもしたんかと思っとったわ。)

「……やたら飾り付けがされ始めたんは何かに勝ったお祝いか!?」……カボチャやコウモリもウチには初めて見るモチーフで、飾り付けられるサイト内を見てタケナギにそう聞いたの覚えとる。SPCやったらええなとも。

(あぁまたサミオマリエの話になってまう……)

思考がまた一瞬固まる。デジタル時計の「21:03」を見据えて眼球の奥の脳に力を入れるみたいに、それを無理矢理再起動させる。

(……せや、それで……)
……お菓子貰って回るいうのも「マナちゃんは、年齢的に貰う側だよ!」って言われて初めて知って。

……そんでオロオロしとった所に……。……ここん所の記憶は特に、目を閉じれば瞼の裏にはっきり見える。いつものお堅い雰囲気とのギャップの気圧差、水圧差で深海病になりそうな程にポップな、色紙を切って作られたカボチャ、コウモリ、フランケンやらが壁に並んだサイトの廊下。そこで走り回っとった4、5歳の男の子に「ぶつかるから危ないで!」と声をかけたその直後、ウチの後ろからカラフル綿菓子オバケみたいな仮装の10代少女がぶつかって。ウチも男の子もポカーン、なったけど、それがリンコとの初対面やった。

「……スズネとリンコって、双子やのにだいぶ正反対な感じよなぁ。」

結局の所ウチの言葉は、また本当に話したかった事とは明後日の方に飛んでまう。スズネはふふ、と少し笑って、

「同一存在じゃないから、互いに代わったりできないんですよね。」

とそう言った。そして少し間を開けてから、

「それにあの子の向こう見ずなとこに助けられる事もありますし。」

とも。

(……結局ウチは、あの事を話す事はできんのや……。)

その思考がまた少しずつ、もがいて呻いて事切れていく皆を頭蓋の中に呼び込むもんで、またウチは目を開き今度は奥の壁のネイビーブルー睨んで思考を曲げる。

「ウチ、リンコとはハロウィンのパーティーの時に初めて会ったんよ。」

……もうどうせ上手く話せへんなら、何か楽しい事でも話したら、モヤついた気分も晴れるやろうか……。

何か思考も濁ってきたみたいやと思う。ふと気付くと左耳が痛くなっとるし、同じく左の腕も長時間自分の下敷きになって痺れとる。ウチの身体は「寝返り」いうもん打てるようには出来とらんから、向き変える為に立ち上がろうとは思えんウチはそのまま口だけ動かし続ける。

「それでな、ハロウィンって何のお祭りなんや?ウチ、未だに分かっとらんくて。」

この身体に痺れる痛みが強くなってけば、この胸の中捕まれとるみたいな感覚を麻痺させてくれんやろうかと。……そんな考えも浮かんだ気がした。どうにもならんウチの耳へと、ケータイ越しの向こうから合点が行った声がする。

「あぁ!ご存知無かったんですね。そうですよねこれ地上のお祭りですし。……私も間違いが無いように、検索で自分の知識に裏付けを取りながらお話しますね……。」

スズネの声音はウチの言葉を、そのままに納得した声やった。左耳にカタカタと、ケータイ越しのタイピング音が聞こえとる。

「えーと、まずですね。元々はケルト、つまり今のアイルランドの辺りの文化からの発祥で……」





ウチはスズネの真摯な解説を、血染めの海水が満ちたみたいな頭でボーッと聞いとった。何か「霊界」いうもんが関係するらしい。そこから亡者や、他の諸々が溢れだして来るらしい。

「………で、……は…………るんです。それで、仮装は霊界からやってくる者達に "私は同類ですよ" と思わせるための……」

スズネのしてくれとる解説の、そこだけが鮮明に聞こえた気がした。霊界から亡者たちが、言うことは、おとん、おかんに、ルーちゃんに、フィレムやマヌマロたちも来るんやろか。ウチは1人だけ生き延びてもうた外れもんやのに、遊び半分で "私は同類ですよ" なんて最悪な卑怯者やんか……。

「……成る程こちらのwebサイトですと、"こうした儀式は、それ自体に意味は無くとも、形をなぞることで意味を成すものといえるでしょう" 、と書いてあります。この内容は、私も概ね……」

後はもう、ただただ言葉が頭を貫通しながら素通りしていくだけやった。




「もう無理し続けんでもええ。すごろくで言う "1回休み" や。立ち止まってええ時が来たんやで。」

ソイツの言葉が、頭ん中をグルグルしとる。ソイツがサミオマリエ人やいうことを、否定しようにもこの声はまるで……

(まるでウチと、双子みたいにそっくりや……)

そう思った。視線は足元しか見とらんいうのに、ウチは何故かソイツがウチと同じ、やけどもウチではあり得ん程に穏やかな顔でおるのが分かってまっとる。

(ウチの双子の、姉か妹……)

直後に、ウチはそれを否定する。

(そうやない。双子は "同じ存在" やない。)

目の前のソイツは、鏡写しみたいにそっくりやった。

その鏡には、ウチの心のズタズタだけが映っとらんくて。

せやけども、目の前にいるのは、紛れもなくこのウチやった。

目の前のウチが口を開いて……、

「ウチなら、あんたの役割、代わったれるで……。」

「…………」

あの惨劇を。あの惨劇を経験した同じウチでありながら、その全てを乗り越えて先へ進んだような。目の前のウチは、そんな余りに眩しいウチやった。

ウチはウチをウチやと受け入れて、 顔をゆっくりと上げて目にハッキリその姿を写す。

首にはスズネがくれたケータイ提げて、タケナギがくれた水着に身を包んどる。そのウチは、やっぱり全てを亡くして傷だらけのこのウチと、同じ姿を映したウチやった。




[10月28日]

あれから、ずっと自室の寝床プールに沈んどる。思考がどんどん悪化する。全然眠れとらんから夜が来るたび、起きとるのと寝とるのの間をふらふらしながら悪夢を見てはハッとなる。

サミオマリエはどす黒い肉塊と血溜まりに変えられた。あの日突然やってきた、SPCいう名前の奴らにそうされた。

ウチはただ、今はプールの底に沈んで上だけ見とる。真っ白な天井が水面越しにユラユラ歪んで、それを時たま浮かんで漂うベッドの影が遮る。

……まるであの潜水艦の影みたいや……、とウチは思った。あの日おとんは、おかんは、ウチを助けた。ウチは言われるがままに、その言葉に従った。赤黒いものを視界にとらえながら、や。ウチは、ウチ自身は、おとんもおかんもルーちゃんも他の皆も、全員見捨てて逃げた事になる。あの時のウチが立ち向かって勝てたかと言えば、答えは否やろう。確実に。でも、地上こっちに来てから読んだ数多の物語の主人公たちは、大抵立ち向かって行くものやった。……分かっとる。それはフィクションや。現実には力の差は埋まらんし、時間稼ぎをできたとしてもヒーローは来ない。せやから、ウチは悪くない、誰かそう言ってや……

ガチャ。

誰かが、ウチの部屋の扉を開けた。

「マナちゃん?……忘れてったマーライオン、届けに来たよ大丈夫?」

ウチは天井の白と影の黒を見たままで、ぼやけた目の焦点も合わせることもなく。

「……ウチ、パーティー出られそうに無いわ。」

水越しに足音が響いて聞こえる。プールの方に駆け寄って来て、ウチに何かを呼び掛けとるんは、心配してくれとるんやろう。その優しさがすれ違った今となっては、心の内側の古傷からどす黒い血反吐を流すウチには辛かった。

「リンコは、スズネとパーティー楽しんでな。……あんまり、スズネに心配させたらあかんで。」

(……こんな思いするんは、ウチだけで充分や……)

きっとリンコは今が幸せなんやから……、こないに何度も思い返して動けんくなる感覚なんて、分からん方が幸せなままでおられるんや。

せやのに。

(どうして自分が、ウチだけが、抱え込まなならんのやろか……。)ウチはそんな風に考えてまう。

ウチの視界は霞んだままで、ただ何にも合わない焦点を虚空に泳がせとるだけや。

「これで吐き出して巻き込んでもうたら、ウチは"毒素"になってまう。」
小さい声でポツリと言うて、その言葉は泡になった。

それでも誰かに吐き出してすがり付きたい、そう思ってもうた時、水面の向こうプールの縁からひょこりとリンコらしき影が覗いた。結局ウチは弱かったから、「おとんやおかんの事、考えとったんや……」、とそう言うて。

「おとんと、おかん?」

もうリンコに、ウチの発した言葉は届いてもうた。

「マナちゃんのご両親ってどんな人……?」




小さなサメを抱き締めて。結局怪我から救ってあげれんかった子供の小さな小さなサメを抱き締めて。まだ本当の幼子やった、その日のウチは泣いとった。

誰かがそんなウチの身体を、後ろから優しく包み込む。このキメ細やかな華奢でいて、安心感をくれる両手はウチのおかんや。

「最期まで、手当てをしてあげてたんでしょ。だからきっとママナの優しさを受けて、その子も救われてたと思う。……ママナは、硬い岩場で寂しく死んでいく筈だったその子の最期を、優しさに包まれたものにしてあげられたんだと思うわ……。」


おかんは本当に、本当に優しい人やった。そのおかんと惹かれ合ったおとんも、何度も挫けそうなウチに前を向かせてくれた人やった。

ウチは、それをリンコに話した。話した直後に奥歯がギリギリ言うて開かんくなって、微かなうめき声が口と鰓孔から漏れる。

絶対に、絶対にあんな死に方を、していい筈が無かったんや……


……おとんの叫び声がする。おかんの叫び声がする。頭の上から轟音がする。反射的に視線を上にしたウチの目の前に浮かんどったのは、表情のないSPCの潜水服の顔やった。それは少し首を傾けるようしてにウチを眺めとる。せやのに、コイツは絶対にウチに拳を振るわんのや。そうやって、ウチだけが逃れた事を責めるんや……。

「なんで、なんでウチだけここにおるんや……!」

目の前の潜水服に、ウチの側から振り下ろした両手が何も捉えずに水中を切る。

「ちょ、ちょちょ、マナちゃん落ち着いて!?」

掻き消えた潜水服の先、潜水服と同じ角度に首を傾げて覗き込んどったリンコが慌てて声を上げとる。

(…………。)

誰かの嗚咽の声が聞こえる。ウチの嗚咽の声が聞こえる。誰かやなくてウチの声……

(……………。)

沈黙があった。

ウチの周りにはただ壁に囲まれたプールの水と、頭上の水面の上のリンコがおるだけやった。少し動いたら鳩尾の下、腹の上で何か固いもんが転がって首が引っ張られる。

(……何やっとるんやろウチ……)

いくら防水カバー言うたって限度がある。

ケータイ、壊れてまうやんか。




「アタシはね。……父親は、見たことがないんだ。」

……あぁ、また意識が虚ろになっとった。

これは、リンコの声やいう事が分かる。ウチは水底に沈んだままでそれを聞く。

「それで母親は、収容室。……マナちゃんとは違って、アタシの母親は……」

「……母親は?」

ウチの声がようやく相槌を返して、リンコの言葉がその後に続く。

「……ご飯の欠片を溢したから、2人ともアザだらけで耐えなきゃいけない。泣き声を抑えられなかったから、その日は何も食べられない。アタシたちの、母親はそういう人だった。それで、鈴音がいつもアタシのこと庇ってくれてて。」

(………。)

「でも、自分だけが護られる形じゃいけないと思った。だから必死で立ち向かった。」

……ウチとはちゃうというだけやった。リンコやって、ウチとはちゃう過去と戦っとった。……そう思えた矢先やった。

「……でも、マナちゃんのお母さんは、大切に思えるお母さんなんだよね。お父さんも。それならたまに里帰りしたり、困ってるときは一緒に寄り添ってたりしてあげればいいと思う。人事部に帰省申請出せば、ほら、マナちゃんのお父さんお母さんって、どっかの別サイト住みでしょ?マナちゃん確か"このサイトに1人で住んでる"って……、」

「……。帰省、な。」

ウチの喉から、ウチの鰓から。その声には、自分でも聞いたことのないビリビリとした低音が混ざっとった。

「……やっぱり、ウチは死ぬべきやったんやろか。」

「え……?え、あ……」

最初から行っとったなら、問題は起こらんかったんや。

今更行ったら、それは裏切りになってまう。……ウチを逃がすために、自分たちは逃げんかった。おとんも、おかんも。

「1人に、してくれんか。」

怒気を含んだ声やった。これまで出したことも無かった声に、ウチは頭の思考で驚いて、……なのに心は何も感じとらんかった。ただその声よりも前からの、潰れた圧迫感が胸にあるただそれだけやった。

ウチは、もうリンコの目を見ず仰向けに、倒れるように水底に沈んだ。室内は明かりが付いとる筈やが、もう閉じた両目には瞼から透けての光さえも無い暗闇が広がっとるような気がした。

(結局それだけの理由で、ウチは生きとるのやろうか……。)

ウチはもう、自分の心が分からんくなった。


(リンコは、もう帰ってもうたやろうか。もしそうや無かったら……)

(……取り返しのつかん位に、ぐちゃぐちゃに潰れて鬱血した臓物を全部吐き出すみたいに……)

きっと既にリンコの心にナイフを突き立ててもうたウチは、更に深く深く捩じ込むように、取り返しのつかん形に抉り殺してまう事になる。

(それでもこのウチいう奴は、死にたくて、死ねなくて、それでいながら現世への未練にはしがみつくんか……?)


……そんな事を考えとる内、ウチは意識を失くすように眠っとったんやと思う。……どんくらい眠ったんやろか。


それでそのまま、この橋の上で目を覚ましたんやと思う。




ただ青い空と青い海面が遥か遠くの靄の中で溶け合って、その水平線へと焦げ茶色の1本道が、左右に白く、低い柵を伴って続いとる。まるで何かの絵ハガキにでもありそうな、そんな世界に立っとるウチが、もう1人のウチが言葉を紡ぐ。

「ウチなら分かっとる。分かっとるし、受け止めたれるで。」

「ウチはな、あんた自身や。」

ウチはウチ自身の言葉を、どう受け止めればええんやろうか。

「他の誰にも話せへんなら、自分自身に話すしかないやろ……。」

「……。」

……このウチは、傷だらけやいうのに……

……ウチの中の心の海にどす黒く広がるおとんおかんやルーちゃんだったもの、声も表情も無いままに笑みを浮かべて、ウチの隣でルーちゃんの砕けた頭の感触を、更に捻り押し込む拳で悦んでいる潜水服と、ハッチを開いてその同類を無数に吐き出す逆光で黒い潜水艦。そういうものが、ウチの頭にちらつき続けとる。

「大丈夫。ウチは何があったんか全部知っとる。知った上で聞くんや。ほら、要は"儀式"や。」

全部知ってて、でもこのウチみたいにどす黒い血を吐いとらん、目の前のウチはそんな存在で。

ウチは視線を白い柵へと向ける。そのウチに似合った、綺麗な橋や。

……それでそのウチは儀式や言うた。儀式いうんは、近頃どこかで聞いた気がする。それ自体に意味は無くとも、形をなぞることで意味を成すもの。……あぁ、せや、スズネがしてくれた解説や。晴れやかな顔で微笑みかけとるウチは、本当にウチと同じ経験を全部してきたウチなんやな……。それまでぐちゃぐちゃやった頭を回して、それから長い沈黙があって、……それで、ウチの声が、ようやく言葉を成して溢れた。

「ウチな……、」

橋の上に、もう1人のウチに背中を向け膝が崩れるように座り込む。橋の木の床が膝を叩いて、ウチの全身の軟骨にまで響く鈍く固い衝撃をウチは無視する。

「……ウチな、ずっと、消えたらあかん、そう思って生きてきたんや。ウチが、ウチが命棄ててもうたら、おとんは、おかんは、何のために自分の命差し出したんや、ってことになる。」

……さっきまでとは反対側を向いたけど、遥か遠くの水平線へと橋が延びとるその光景は変わらへん。

「ウチ、リンコに言われたんよ。サミオマリエの皆のとこに帰ったらえぇ、それで優しくしたればえぇって。」

ウチはあの時の水面越しのリンコとの、最後のやり取りを思い出す。リンコは、分かっとらんのやなくて、知らんかったんやな……。

何か視界が水面みたいに、揺れてきたんは涙やろうか。

……リンコは知らんかった言うことをウチはちゃんと分かっとる。それでもウチは、……あの時の言葉に心臓握りつぶされてもうた。

「……ウチにはできへんのや。皆のとこに行くいうことが。皆が目の前に本当に居ったりしたら、思い出してまう。ズタボロになった皆の事を。息できんくなる。動けんくなってまう。それに……こんなボロボロのウチを見せる事そのものやって……」

ウチの目からの、涙が溢れる。後ろのウチは身体を屈めて、ゆっくりとウチを抱き締めてくれた。

「それが……、さっき言っとった事なんやな。裏切り者になってまう、って。おとんやおかんに、結局全部が無意味やったと突きつけてまう。」

優しい声に、ウチは声を上げて泣かへん事が出来んかった。声を上げて泣きながら、心の中のズタズタを叫んどる。

「ウチの命は、ウチだけのものとちゃうくなってまっとる……。それやのに、どうやってウチは死ねばええんや……!」

ウチが嗚咽して咳き込む間も、ウチはウチを抱き締め続けてくれた。それやから、ウチは幼子やった頃のウチみたくその優しさが心地良かった。それでもウチはズタズタで、そのズタズタを叫び続けとる。

「おとん、おかんに逃がされて、自分一人だけ助かって。勝てなかったのなんて分かっとる。せやから、あん時のウチがアイツらに立ち向かうべきやった筈なんて無い。でもな、それでも結局ウチは皆のこと……
……ウチ、皆に謝れてないんや……!」


……ウチの中で何かの糸が耐えきれずに引きちぎれたんやと思う。

そこから次に出た言葉は、弱々しい呟きで。

「……ウチ、消えてしまいたいわ……。」

目の前が、涙でもう訳分からへん。また、ウチは沈黙に戻ってしもうた。

「………。」

「………。」

やけどもウチの背中から腕を回して、確かな優しさがそこにはあった。

「……。」

涙でぐちゃぐちゃな視界の中に、何か小さい点が光っとる。

何かが、光っとる事だけが分かった。

……鳩尾の下、お腹の辺りで電子的な光が明滅しとる。


「メッセージ、届いとるみたいやで。」

背中の後ろで、ウチが、ウチにそう言った。

リンコが選んでくれたウチのケータイが、そのメール着信を知らせるランプが最期の力を振り絞るように明滅しとった。


20██/10/30 23:11


ごめんね。

20██/10/31 01:24


ごめんなさい。

20██/10/31 11:13


アタシ、マナちゃんに死ねって言っちゃったんだよね、ごめんなさい、上手く言葉が見つけられなくて、何て書いたらいいのかわからない

死なないで

20██/10/31 12:27

❰受信失敗❱

「………。そっか……。」

ウチは焦げ茶色の橋板に、落ちたウチ自身の影を見る。ウチの影とも一緒になって、影は一塊やった。

ウチやって。……死にたくなんてない筈なんや。……それやのに、泡にでもなってまいたい、何でそんな風に思ってしまうんやろうか……

「なぁ、……ウチは、何で消えたいんやろか。」

ウチは気付くと抱き締めてくれとるウチの腕にしがみついて、その答えを求めとった。

「………。」

ウチは優しく、ウチを抱く腕をもっとギュッとしただけやった。せやけども、そうして罪を背負ったまま生きる苦しさが、死ぬ事で犯す「裏切り」の辛さを上回ったからや、そういう答えがウチの中で見つかっとった。

「……でも……、」

ウチの手の中で、ケータイが映す最期の光が消えていく。

「ウチが死ぬことで犯す事になる罪が、1つやなくなってもうた。増やされたら死ねへんやんか……」

身体を捻って立ち上がり、もう一度ウチと正面向けて向かい合う。ウチが消えたら、リンコにウチと同じもん背負わせてまう。

あん時、ウチは抉れてぐちゃぐちゃになった感情の片鱗を見せてもうた。あん時の事、あの感情をちゃんと説明して謝れるんは、傷だらけのウチ自身しかおらん。そこが、そこだけが、ここで涙流しとるウチと微笑み抱き締めてくれとったウチのたった1つの違いや。たったそれだけの違いやけど……

……その違いは、あんまりに大きい。


もう一人のウチは、リンコに謝る事なんてできへん。ただ笑って「大丈夫」って、言うことしかできへん。傷だらけのウチが行くしか無いんや……



……でも、じゃあ、どうしたらええんや。

おとんにもおかんにも皆にも、ウチは笑っとって欲しい……

もう1人のウチは、ウチの答えを待って佇んどる。

(……。)

……誰かが、何か助言をくれとった気がする。せや、アイディアガールが言っとったやないか。

"たまに里帰りしたり、困ってるときは一緒に寄り添ってたりしてあげればいいと思う"……それって、笑って皆んとこに行かんとあかんて事やんな……。


ウチの中で、答えが決まった。

……澄んだ青を背景に立つ、もう1人のウチの澄んだ瞳に。

「なぁ、1つ伝言を頼んでもええか?」

ウチは1つお願いをした。

コクン。

もう1人のウチは頷いて、ウチはその先の言葉を続ける。

「おとん、おかん、それに皆に伝えて欲しいんや。ウチは地上で友達もいっぱいできて、やりたい事、やらんとならん事もいっぱいある。元気にやってくことに決めたで、って。……それでな。」

「うん?」

「ウチのおかんやおとん、他の皆に笑って寄り添ったってや。この役割、あんたに託すで。」



ウチを見返すその瞳には、頬に涙の後を残して微笑むウチの姿があった。


「……分かったで。ここから先は、アンタ1人の。ウチはおらへん、アンタ1人の駆けっこや。」

そのウチは、ウチの先へと続く橋の向こうを指差した。

「……達者でやるんやで、咬冴 舞波隊員。」

そう言ったもう1人のウチの体には、もうあの水着も、あのケータイもあらへんかった。その事に、ウチは妙に納得感を感じて言葉をかける。

「あぁ。そっちこそ達者でな、ニーフォ=ママナ。」

ウチは最後に別れを告げて、彼女の指差す方向の先へと走り出す。



ウチが駆け出した先の青空は、雲1つ無い光の差し込む空やった。




20██/10/31 12:27


今、皆で探してる。このメール見てたらお願い、帰ってきて、ちゃんと謝るから、お願い

……明るく白い天井が、揺れる水面を突き抜けてウチを出迎えてくれとった。ウチは自室の寝床を兼ねたプールの、底に横たわった姿勢で目覚めた。

スイッ、と手足に尻尾の鰭を動かして一気に水面を破り、プールの外へと顔を出す。

(……あれ?)

ウチの首から下がったケータイが、何故か同じのが2つになっとる。


起動を試して調べてみると、もう壊れて動かん1つと、まだ動いとって受信失敗になっとったメールをちゃんと着信してくれとったんが1つ。

(……謝るんはウチの方やろ……)

……そしてこの日はどうやら10月31日。リンコと約束しとったハロウィンパーティーの当日や。

撥水性の床を踏み、一応机の引き出しから出したタオルで身体を軽く拭って。強化プラスチックの白い扉のドアノブを傾け、ギィと押して部屋を出ると、部屋の目の前でタケナギが通話中やった。

「はい、……私もこれから、正式に、……はい。行方不明との連絡を……え、マ、マナちゃん!?」

ウチはどういう訳やか分からんが、行方不明いう扱いになっとったらしい。

「……あの、リンコからメール来とるんやけど、リンコの方は今どこにおるんや?」

タケナギから答えを聞くや否や、走り出しとるウチがおった。8148のハロウィンパーティーにウチが初めて参加した時、走り回る男の子を注意しとったあの廊下や。

ホールを横切って向かいの通路に入り、分岐を右へと曲がった先に背中が見えた。あのシャツとパッチワークなカメレオン肌、間違いなくリンコの背中や。

リンコは端末を胸の前両手で持ったまま、メール作成の、文字が空っぽな端末の画面を見つめて硬直したまま指が震えとる。

「……帰ってきたで。」

「……え……?」

リンコの体がカクン、と揺れる。何でやろう?と思って直後、ウチがリンコを後ろから、抱き締めとった事に気付いた。

優しく、ギュッと力を込めて。

そして、ウチは真っ先に言わんとあかん言葉があった。

「……リンコ、ウチ、もう大丈夫や。それに色々、リンコに謝らんといかんわ。

……でも、真っ先にこれだけ言わせてくれや。

……有り難うな……。」


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