tale 『俺だけの夏休み』

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「ちょっと用事ができたから。私が帰ってくるまで、ここの管理お願いね」

何日か前、店長さんはそう言い残して姿を消した。その夜の寂しさは、今もはっきり覚えている。話し相手が居なくなったこと以外大きな変化は無い。店内は今も物置の様相を呈しており、店長さんが淹れたコーヒーの匂いで満たされている。このコーヒーは、店長さんが出ていく直前まで飲んでいたものだ。飲んでいたとは言っても、まだ一口しか飲んでいない筈だが。

「ここに来てもう1年か……」

埃や糸屑が付いた手を洗ってからコーヒー入りのマグカップが陣取るちゃぶ台に座る。こうするとなんとなく落ち着くのは、覚えていないだけで、昨日までも同じようにしていたからだろう。
朝イチでカレンダーを見た記憶が確かなら、今日でちょうど365日目。蝉の声で一日が始まってから体感では4時間ほどしか経っていないし、折角の夏休み1周年だ。最初から全て思い出すのもいいかもしれない。かなり時間はかかるだろうが……どうせ客など来ないし、閉店時間まではまだ時間がある。
そんな思い付きのもと、俺は記憶の海へと飛び込んだ。




祖父母の家から17分。ずっしり重い日光を背負って歩き続けて、俺は目的地にたどり着いた。古き良き駄菓子屋のような店構え、店の外まで並んだ商品、そして、暴力的な緑色の匂いに混ざって鼻腔を刺激するコーヒーの香り。時間が止まっていたのではないかと思うほど去年と変わらない風景が広がっている。記憶をどう掘り起しても相違点が見つからないのは、俺の記憶力の問題ではないだろう。
開放された扉を通って店内に入ると、統一感の無い商品の山が俺を出迎えてくれる。本にティーセット、置物や衣服……何よりも多いのは、頭でっかちの科学じゃ説明できないアレコレ。
去年指定された道順で、一歩ごとに強くなるコーヒーの香りを辿っていくと、ようやくカウンター  バーにあるようなものではなく、電卓と卓上扇風機が乗った木の台だ  と、この乱雑で散らかった空間のあるじである、俺がこの一年間ずっと会いたかった人物がようやく見えてきた。

「店長さん、お久しぶりです」
「久しぶり」

俺が店長さんと呼んだのは、首の後ろで長い黒髪を1つに結んで丸眼鏡を掛けた若い女性。この真夏でも涼しい顔で長袖を着て、熱いコーヒーを飲む変わり者だ。本人は慣れだと言っていたが、理解はできない。名前は知らないので店長さんとだけ呼んでいる。退屈な祖父母の家で貴重な夏休みを浪費することを嫌がった小学生の俺が、偶然ここにたどり着いて以来、ここは定番の遊び場所となっていた。
来る途中に自動販売機で買ったストレートを騙る、甘ったるい紅茶で喉を湿らせ、1分、2分と時間を過ごしたあたりで、店長さんが口を開いた。ここまで黙っていた理由は分からないけど、きっと何か考えがあるのだろう。

「去年の話、結論は出た?」

去年の話というのは、俺とこの店をずっと夏休みにする、という荒唐無稽な提案のことだ。普通ならとても信じられた話ではないのだが、この店は"普通"ではないし、店長さんは嘘を吐いたことがない。つまり、俺が判断するべきなのは、事の真偽などではなく、首をどの向きに振るべきなのかということだけだった。しかし、当時中学2年生だった俺はすぐに首を動かすことができなかったので1年の猶予を貰ったのだ。ここに来たのは例年通り遊ぶためでもあるが、最も大きい理由はこの約束だった。

「夏休み。お願いします」
「そう言うと思ってたよ」

満足げに頷くと、店長さんはカウンターの下から日めくりカレンダーのようなものを取り出した。俺が知っているカレンダーと違うのは、日付の代わりに"1"と大きく書かれていることだ。次のページには2、さらにその次のページには3が書かれており、カレンダーよりはカウンターという見た目である。
店長さん曰く、これが"今日"を切り取って保存するカレンダーらしいが……正直、よくわからない。そんな俺の内心を知ってか知らずか、カレンダーをガムテープで壁に貼り付けると、徐に口を開いた。

「さて、今日から、ここが君の全てになる。他に何か質問は?」
名前を、教えてくれませんか?

……それで、俺は何か聞いたのだったか。記憶にノイズが走る。店長さんが居なくなってから、ずっと何かを忘れ続けている気がするのだ。上手く思い出せない苛立ちから逃げるように、意識を現実に引き戻す。戻ってきた俺を出迎えた蒸し暑さも、蝉の大合唱も、全て記憶の中と同じだった。思い出せなくなった日々も、きっと同じだったのだろう。
頭を振って立ち上がり、やかんから麦茶を注ぐ。室温まで冷めた麦茶が、無意味な追憶に逃げて時間を浪費する俺を責めているような気がした。壁に貼り付けた日めくりカレンダー   店長さんが砂時計を仕舞いながら取り出した、あのカレンダーだ  も、朝から引き続き365という俺が浪費した時間を掲げている。
時間は大事にしろ、という誰かさんじぶんじしんへの苦情を麦茶で流し込み、少し湿った溜息とともにちゃぶ台に戻った。

さて、これから何をしよう。商品の整理などはとうに終わっているし、かといって再び記憶に潜るのも気が進まない。
徒然なるままに数秒間見回して、あるものを見つけた。正確には、思い出した。
飾り気のない、無機質な陶器のマグカップ……その中身。いつぞやの嘘つきな紅茶と違う、名前通りのブラックコーヒーだ。昔飲ませてもらったときはとても飲めたものではなかったのを覚えている。今はどうだろうか。あの時と違って熱々ではないし、俺も少しは精神的に成長した。
きたる苦みを想像しながらマグカップを持ち上げて少し傾け  

「やっぱり、砂糖がなきゃな」

  舌を湿らせたあたりで机に置いた。麦茶で苦みを洗い流し、店外に目を向ける。
思いの外長い時間記憶に浸っていたらしく、外は夕焼けに染まり始め、何処からか雨の匂いが漂い始めていた。もうすぐ閉店時間だろう、と考えた瞬間、5時のチャイムが鳴り響いた。かつて店長さんがしていたように、俺も5時のチャイムとともに、カレンダーを千切る。今日の営業はここまでだ。徐々にチャイムが遠ざかっていくように聞こえるのは、きっと錯覚などではないだろう。
空気中に溶けるようにして千切った365が消え、366が現れる。それと同時に、信号が変わるように夕焼けは快晴へと変わり、蝉の鳴き声が再び大きくなった。"昨日"は忘却の彼方へと追いやられ、"今日"がやってきた。俺の一日は、いつもこうして始まる。

「もう1年経ったのか。今日は……奥の方片づけるか」

きっと一周年のお祝いは昨日の俺がやったはずだ。今日からは平常運転、働き者の俺である。湯気が上るコーヒーを横目に立ち上がる。冴えた目で見まわした店内は、店長さんが居た時と全く変わらず  昨日までの俺を疑ってしまうほど  乱雑で散らかっていた。


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  1. portal:5647303 (06 Mar 2020 14:16)
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