Idコンbtale下書き 雨矢服飾技士の理由

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「服飾技士は、何故それほど服を作るのが好きなんですか?」

 いつか依頼人から訊かれた一言。その一言で夢から覚醒し朝を迎えた。今日は久方ぶりの休日。山の様な依頼と書類仕事を片付け、次の依頼へ向けた型紙の用意と布も注文し終えた後の、タスクが溜まっていない休暇であった。
 のそのそと布団から這い出す姿は蝸牛の様で、普段の機敏な手捌きとはかけ離れている。鋏と針を扱う彼女──雨矢・ココ・憩──の華奢な手指は働き者だ。目にもとまらぬ速さで布を裁断し、針で縫い、美麗な刺繍を施す。
 しかし彼女も人間である以上、朝特有の眠気は堪える。時間をかけて心地好いベッドから脱出した雨矢は、猫の様に腕と背を伸ばし、奥歯が見える程大きな欠伸を一つ。
 そのしなやかな背中に、金糸の髪がさらさらと流れ落つ。未だ眠っている様な深い目と、鏡越しに目を合わせた。立派な鏡台には、少しの化粧品と装飾品が美術品の如く並んでいる。
 雨矢は寝室から出で、洗面器に温水を溜めた。洗顔剤を泡立て、白い絹の様な肌を埋める。くるくると優しく肌を撫で、泡を残さぬ様丁寧に洗い流した。雨矢はそこで漸く目が醒める。正確に言うならば、脳が覚醒し始めた、と言った所だろうか。
 眼鏡をかけ、ベルギーの探偵がその口にする常套句を思い出し、ふと口にする。
『私の小さな灰色の脳細胞が活動を始めた』
 雨矢は再び寝室に戻り、長い遮光カーテンを開き朝日を浴び、寝間着のまま朝支度を始めた。金糸の髪を鼈甲の櫛で梳き、肌色を整える程度にファンデーションをつけ、ブルーベースのアイメイクを施し、最後、唇に紅をさした。
 普段のまるでメイド服の様な仕事着とはまた異なった、メリーポピンズの様な柔らかい印象のワンピースを身に纏う。しかしメリーポピンズの様な紅ではなく、より黒に近い藍である。一度や二度染めた程度では出せぬ深い色。それを横切る白のレースが刺繍されている。白いベストを上から着、全体のバランスを見てバレッタを選び髪を纏めた。
 姿見の前でくるり、と回ると、布面積の多いスカート部分が円卓の様に広がる。まるでマホガニーの如き優美と気品を誇る彼女だが、その実態は超常現象や物品、土地等の確保、収用、保護を実行するSCP財団の職員である。彼女は財団日本支部に於いて『服飾技士』と言う特殊な役を担っており、職員の被服製作や装備品の設計を仕切っている。
 研究員や博士には、一つしかない身を薬品から身を守り耐火性にも優れた白衣を。機動部隊員には、その身に穴を開けさせない防弾と機動力に優れたチョッキと迷彩服を。そして時に、個人からの依頼によって望みの服を仕立てるのだ。彼女の仕立てた装備品に、すんでのところで命を救われた職員は決して少なくない。
 それ程重要な任を引き受ける彼女──雨矢服飾技士は、己の為に衣服を仕立てた事が少ない。作る事には作るのだが、必要になった時のみ仕立てる程度である。故に、他職員から疑問を持たれる事は多い。職業故、私服を着る事が少なくなっている為かもしれないが。
 朝食のトーストを焼きながら、今まで自分の為に仕立てた服を数える。覚えているだけでも両手に入る程度だ。その内幾つかは着潰して処分している。それにプライベートな外出着の様な物は仕立てていないのだ。大概、仕事で着る服の縫目が解れて修繕するだとか、寸法が合わなくなって新調したりとかで、個人用の服は既製品で間に合わせている。
 仕事に忙殺されている、と言い訳にすれば人は大方納得してくれるだろうが、雨矢は引っ掛かりを感じていた。

 一通りの家事を済ませ、読書に耽っていた昼。雨矢が定期講読している愛読書の服飾雑誌が、郵便受けに投函された。玄関から響いた音に反応したエージェント内野が吠える。雨矢はそれを短く宥め、スリッパをぱたぱた言わせて玄関へ向かった。
 投函されたものは、財団フロント企業に勤務し始めた頃から読んでいるものである。梱包を解く間も内から湧き出る興奮は、いぬのしり音頭となり雨矢は口ずさむ。雑誌を包んでいた薄い箱をエージェント内野にやると、内野はそれを咥えそのままぶんぶん首を振って止めを刺していた。
 雨矢はソファに深く腰かけ、早速雑誌の表紙を開く。懐かしい、と言葉が零れた。過去の記事が再掲載されている訳ではないのだが、雨矢は読む度こう口にする。
 華の十代で財団に回収され、財団の教育施設に入り、財団のフロント企業に勤めた彼女の生活の中で、彼女が強い興味を示したのが服飾だ。最終的に全ての決断を下したのは雨矢だが、その切っ掛けを与えたのは偶然手にしたこの雑誌である。夢中で雑誌の頁を捲っていたその手が、不意に止まった。
 その頁に特集されていた、とあるファッションデザイナーのインタビュー記事。よくありそうな質疑応答の中に、今の職種に興味を持った経緯が記されている。確かに彼の高名なデザイナーが、如何にしてその才を業界で振るう事を決定した経緯は気になるだろう。黙々と文字を追い掛けた。

記者: ████さん、是非この業界に入ろうと決意した理由や、その経緯を教えてください。

デザイナー: そうですね。……初めは、かくれんぼで母のウォークインクローゼットに侵入した事でしょうか。その時から、人生の歯車が回り始めたと言いますか……。

記者: 人生の歯車、ですか。

デザイナー: はい。その時思ったのは、「こんな素敵な服を着てみたい」と言った、己の欲を満たす感想でした。その頃から教室の隅で一人自由帳にドレスを描いてましたね。しかし僕は男で、成長してから気付きました。自分はあのクローゼットにあった様な服は着られないと。

記者: 願いが叶わないと分かって……それからどうされたんですか?

デザイナー: それからは、着飾る人を応援する為に服を作りたいと考える様になりました。

記者: その切っ掛けはありますか?

デザイナー: はい、今でもよく覚えていますよ。専門学校の恩師に貰った言葉なのですが、「誰かの為に尽力しつつ自分の欲も満たせるならばその道を選びなさい」

──私、何の為に人に服を作っているんだっけ?
 自分が服を作る意味を見失っては何も手につかない。
 遊び心を許してくれる職場は大好きだが、そこではあくまで『他人の為に』服を作るのだ。
 私が服飾関係を目指した切っ掛けはなんだったっけ?
 人に何かして尽くそうと思った切っ掛けは?
 関係者の採寸に執着するのはどうして?
 思えば想う程、スポンジが水を吸う様に自問自答は膨らみ、抱えきれなくなった頃、エージェント内野が手を舐めた。
 その刺激で我に返り、エージェント内野の尻を撫でる。
 ああ癒される。
 降り積もる悩みを抱えていても、いずれ仕事に支障を来すかも知れない。
 これをどうしていいか、考えあぐねていた。
 少なくとも他人にどうこう出来る問題ではない。
 自分でどうにかせねば。
 カウンセリングでも受けるべきだろうか。
 携帯端末を手に取り、番号を呼び出す。

「言うのもあれだけど、有りがちだねえ」
 雨矢と対面に腰掛ける賀茂川カウンセラーは、呆れた様な声で難しい表情を浮かべて言った。
「まあ、貴女の言う通り有りがちですわね」
 しかし雨矢も解っている上で相談に来ている。
 サイト内医療棟の精神科の一角に位置するカウンセリング室は、まるで茶室の様な独特の雰囲気で満たされ、完全に相談者を癒す事が目的の一室であった。
 焙じ茶色の壁に畳は青々しく、床間の掛軸には季節の花が描かれている。卓袱台には紅茶と緑茶のカップとクッキー缶が並んでおり、コースターはレースで編まれていた。
 消毒液の匂いが常時充満し、床や壁や天井、ドア、窓枠に至るまで白一色に統一された医療棟内とは思えない程、一線を画する内装である。
 その中に、女性二人が翡翠色の通称人を駄目にするクッションに腰掛けていた。一人は雨矢服飾技士。もう一人は、このカウンセリング室の管理と運用を担う賀茂川カウンセラーである。
 賀茂川カウンセラーは、蒐集院解体後財団に編入した医師であった。彼女はカウンセリング室内に居室を設け生活している。
「このクッションいいですね」
「でしょう? 財団は外から荷物を注文して施設内に入れようとすると遅いから、随分待ったよ」
 賀茂川カウンセラーは、やや興奮した様子で家具を調達する事の苦労を語る。
「そんな事より、私の悩みを聞いていただけませんかねえ」
「ああ悪かった。いやこれはねえ、有りがちな相談故に難しい案件でもあるからなのよ」
「有りがち故に難しい、ですか」
 雨矢は首を傾げる。有りがちだと言うのなら、ある程度そのパターンが決まっていそうなものだが。
「そう。何かに行き詰まって何かを見失うなら、行き詰まった原因を取り除けば良い。だけど雨矢技士、貴女のは違うの。貴女は特に決定的な出来事だとか、トラウマがなくて突発的に発生した悩みを抱えている訳でしょう?」
「確かに、これと言った理由はありませんが……」
 私は有名雑誌に取り上げられた彼に勝手に嫉妬して、勝手に己の環境を憎み、自分を卑下した結果小さな不安が積もり積もっただけ。私には財団と言う狭く広い一つの世界に、活躍の場が設けられていると言うのに。それ以上を望んでしまった。
 立派な職務を与えられているにも関わらず、自分は外の彼と異なるから不満だと、駄々を捏ねている。外の世界に憧れても飛び立つ事が出来ないから、憧れる事は許されないんじゃないか。そんな気がして。
 醜い思いの丈を吐露して、蜘蛛の糸──賀茂川カウンセラーにすがった。
「ふーむ。……つまり理由もなく、己が財団の服飾技士として被服を作り続ける理由を見失って、探している訳ね」
 賀茂川はクッキーをつまみ、緑茶で流し込む。私は首を縦に振って首肯し、薦められるままクッキーに手を伸ばした。美味しい。
「自分でもよくないと分かっているんです。勝手に降り積もった不安を誰かに解決してもらいたい、だなんて烏滸がましい」
 独白する様に吐くと、賀茂川は否定するでも肯定するでもなく、静かに言葉を紡ぐ。
「服に興味があって、技術だって持ち合わせているのなら、外の世界で活躍する事も出来た。だけど、貴女が十代の頃に与えられた世界は財団であり、唯一の世界でもある」
「そうですね……。だからどうと言う事もないのですけれど、此処に飽きている、と言う事でもございません」
「そうよね」
 確認を取りたかったのだろうか、まるで一言ひとことに念を押す様に話す。賀茂川は雨矢に紅茶を注ぎ、話を続ける。
「雨矢服飾技士、貴女が服飾に──服に興味を持ったのは、その世間一般の大衆に親しまれているファッション雑誌から、と言う所にひっかかりを感じるのよ」
 雨矢はまるで心外だとでも言う様に目を見開く。まさか。学生時代の夢はその雑誌の取材を受ける事だったのだ。それが叶わない事を再認識させられて、今この瞬間カウンセリング室にお世話になっていると言うのに。
「真逆。決断を下したのは私ですけど、切っ掛けは確実にこの雑誌で……」
「違うのよ、否定している訳じゃないわ。その雑誌を手にするに至った経緯があるんじゃなくて?」
 そう言って、賀茂川は見透かしている様な目で私を見詰める。私の経歴を事前に調査していたのだろうか。
 私は古い記憶を手繰り寄せる。財団に回収された後の事を。財団教育機関の恩師や学友、フロント企業勤務時代等々様々な事が思い出される。
 朧気な記憶から的確に情報を拾い上げるには難儀した。その中にふと、特定の恩師の顔とそれにまつわる記憶を掬い上げる。
 確かその人は財団から派遣された女性教師で、白衣の下に身を包んでいる衣服がとてもお洒落だったのを覚えている。
 いつもカラフルで落ち着きのある色々をその華奢な身に纏い、咎められない程度の比較的明るい髪色をしており、イヤリングや鞄やその他小物も素敵だった。
 それはどれもこれも財団の外から来た物で、灰色の世界がそこだけ色付いて見えていた。
「…………ああ、幾らか思い出しましたわ。朧気ですけれど」
 少し時間をかけて、記憶を手繰り寄せながらそれを伝えると賀茂川は優しい笑みを浮かべて頷く。
「多分当時の貴女には、白一色の白衣しかないこの財団で、外の世界の服は余程輝いて見えたでしょうね」
「その通りですわ。……大変参考になりました、改めて己と向き合えたと思います」
「それはよかった」
「今日は本当にありがとうございました。それにお茶まで……」
「これ、実はいい茶葉が入ったので特別にお出ししたんですよ」
「まあそうでしたの? 今度銘柄を教えてくださいな」
「ええ。それでは」

 賀茂川カウンセラーは美事に答えを出してくれた。私はカウンセリング中、聞かれた質問に答えただけ。その限られた情報から推察し、答えを出すのは容易ではない。
 最終的に判断するのは私だが、賀茂川カウンセラーの言葉に背中を押された。私は恐らく、あのカウンセリング中あまり自己と向き合っていない。分からない分からない、と駄々を捏ね、誰かの言葉を待っていただけ。
 私は昼間の雑誌を手に取り、栞を挟んでいた気に入りの頁を開いた。寒色系の生地が映える、洋装の型紙が掲載されたその頁を開きっぱなしにして、机に向かう。
 今度賀茂川カウンセラーに服を贈ろう。茶葉とお茶請けも買って、仕立てた服と一緒に。
 以前採寸したデータを基に型を取る。でも誤差があるだろうから、明日にでも計測するべきだろうか。あの人はきっと寒色系が似合う。
 プライベートでは和装を好んでいると聞いたが、現場で役立つのは動きやすい洋装だ。尚且つ、彼女の嗜好性を汲みデザインを決めなければならない。白衣に合う、薄い色の生地を引っ張り出す。
 嗚呼。私はきっと、こうして服を作るのが好きだった。私の仕立てた服が、色の限られたサイト内を彩るのを想像しながら。

 件の女性教師は臨時雇いであった為、交流はごく浅いものだった。
 灰の世界で一際異彩を放っていた彼女が購読していた雑誌、と情報を得て、自分も真似して読み始めたのがあの服飾雑誌である。
 その雑誌から多大な影響を受けたのは間違いないが、その切っ掛けをもたらしたのは偶然派遣された彼女だ。だがきっと彼女も無意識だろうし、ここまで他人の人生に影響を与えたとは夢にも見ていないだろう。
 私は今日も服を作る。そしてこの手が動かなくなるまでも、ずっとずうっと。
 私が雨矢服飾技師たる理由だ。


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