このページの批評は終了しました。
この世界には英雄がいる。
元犯罪者からエージェントまで様々な人物が、英雄と呼ばれるに値する行動を取った事実がある。
他人のために自らの命を顧みず動く。ああ、まったく、素晴らしい美談だ。彼らの存在は人間の善性の証明と言えるだろう。しかし、敢えて俺はここで一つ、余計な一言を挟んでみようと思う。
"英雄"は、英雄になりたかったのだろうか?
「溝口さんについて、ですか? あんまり仲良かったわけじゃないんですが……わかりました」
「同じフィールドエージェントだったので任務で一緒になりましたが、なんでもそつなくこなすタイプでした」
「とにかく真面目な人でした。任務中はずっと気を引き締めてて。でも、新人だった僕のことも気にかけてくれて。良い人なのは間違いないとおもいます」
「彼は有能だったので、すぐにエージェントとしていろんな任務に行くようになって。その活躍は耳にしていましたが、最近は合ってないですね。だから、怪我をして休んでるっていうのを聞いたのも最近で」
「重症じゃないと聞いていたんですが、仕事への復帰が遅れてるということは、思ったより悪いんですか?」
「……そうですよね、怪我はあなた方対話部門は管轄外ですよね、すいません」
「溝口くんは優秀な部下です。今までも何度も重要な任務を果敢にこなしてきていました。だから2ヶ月前の件にも彼を向かわせたんです」
「立地的に、民間人に危険が及ぶ可能性がありましたから。結果的に正解だったと思っています。彼のお陰で、20人近い民間人が現場に居合わせたにも関わらず、犠牲者0でオブジェクトを確保できた」
「正義感の強い、真面目な男でしたからね。なにせ私が見舞いに行って、最初に聞いてきたのが犠牲者は出ていないかですよ?」
「ええ、上司として誇りに思います。彼が復帰したらこのポジションが危ういかもしれませんけどね、はは」
「作戦の立案は溝口が行いました。一人が囮になって誘導、コンテナ付近に誘き寄せてから一斉射撃して無力化し、確保しました。囮は溝口自ら。そのせいで、彼はオブジェクトの一撃を受けてしまって」
「エージェントは4人居ましたが、囮をやろうとする人間はいませんでした、自分含めて。それを察して自分からやると言ってくれたのかもしれません。不甲斐ないです」
「……彼も怖かったとは思います。でも、この場ではそれが最前だから、と言っていました」
「 はい、溝口は間違いなく英雄でした。早い復帰を願っています」
周囲の人間への聞き取りを終えて、本人に会うために面会室に向かう。
実際のところ、患者 エージェント・溝口は元気だった。怪我は一月も前には完治し、後遺症も残らないと判断された。それでも尚。彼はドクターストップをかけられている。
面会室の扉には"対話部門"のロゴ。彼は一月前から、精神面の問題でエージェントとしての業務を拒絶している。体ではなく心を癒すために、彼は治療を受けていた。
扉を開く。圧迫感を与えない程度に小さな部屋、その中央。患者はソファーに座って待っていた。
「こんにちは、溝口さん。調子はどうですか?」
「飯尾さん……。いや、そんなに悪くないです、食事もちゃんと取れました」
「それならよかった」
自身の担当カウンセラーに頭を下げる男は、聞き取りから連想される勇者からは連想しにくい、自信のなさそうな声でそう言った。カウンセラー・飯尾は対面に腰を下ろし、優しい口調で話し始める。
「溝口さん。これから、どうしたいですか?」
「……わかりません」
目を伏せる。真面目な男だ、曖昧な答えを返すことにも、仕事を続けたいと言えないことにも罪悪感があるのだろう。飯尾はその返答に少し黙り、ソファーに深くもたれかかる。患者よりも上の空間に目線を向けて、それでも雰囲気は優しいままに、会話を続ける。
「じゃあ、そうですね」
エージェント、辞めましょう。
カウンセラーが発した言葉、エージェント・溝口はその口元を見返した。
「別に難しい話じゃないんですよ。エージェントだけが財団に貢献してるわけじゃないですし、ただ職種を変えればいい」
「でも、いやそれは……」
反論できない正論に、若いエージェントは口籠る。若いカウンセラーは言葉を続けた。
「今回の溝口さんの症状、俺は最初、命を落としかけたことが原因の心的外傷、トラウマの類いかと思ってたんですけどね」
「はい、僕もそう思っています。違ったんですか?」
困惑を顔に落として、患者はカウンセラーに問いかける。
「はい。溝口さんの知り合いにも話を聞いたんですが、あなたは自分の意志で死線に立つことを選んでいるし、何より、あなたは命をかけるのが初めてじゃない」
後はまー、フラッシュバックとかそういうのも特になく、ただ恐怖を感じているだけというのも判断要因でしたね。飯尾はそう付け足して、また溝口の目を見る。数秒目が合って、先に逸らしたのは見られた方。
「……トラウマじゃ、ない」
俯いたまま、彼は呟いた。彼の抱えている感情は、"トラウマでないのならなぜ銃を持てないのか"と言う疑問から、"もっと酷い何かだったら"という恐怖へと変わった。恐怖が視線と服の裾を握る力に漏れ出る。その感情を読み取ったかは定かではないが、カウンセラーは間髪入れずに診断を明かした。
「溝口くんはね。心身共に正常だ」
…………聞き間違い、だろうか。異常存在があると知らされた時と同じ、あるいはそれ以上の動揺と驚愕。ぽかん、という擬音がそのまま当てはまる表情を浮かべる。ふっ、と飯尾が吹き出した。
「っはは! 驚きすぎてすっげえ顔になってますよ?」
「いや、すいません……ちょっと、理解が追いついてないです」
ソファーを揺らしてけらけら笑うカウンセラーに、溝口は未だ抜けきらない困惑を問いかける。飯尾は笑いを止め目を拭い、手元の資料に目を落としたままま返答を返す。
「いや、そのまんまの意味。ストレスレベル基準値、心的外傷もない、そのほか考えうる精神疾患は一個もない。認識災害に類するオブジェクトとの接触記録もなし」
「じゃあどうして!」
聞けば聞くほどわからなくなってくる、見えなくなる疑問に、溝口は思わず声を荒げてしまう。だが、そう。「声を荒げるほどの元気がある」ことが彼の精神が正常であることの証明なのだ。つまり
「 逆なんだよ」
「え?」
「あの怪我で、君は正常になったんだ」
飯尾は、僅かな憐憫を混ざった目で彼を見た。
「いや、そもそもの話さー。普通の人間が世界のために命を賭けられるか?」
メサイアコンプレックス、という言葉がある。日本語で救世主妄想と呼ばれるそれは、自分は世界を救う救世主である、英雄であるという愚かな妄想を信じ込んでしまう精神状態を指す。対話部門ではよく見る言葉だ。それは、財団職員が陥りやすい、異常な精神状態の一つであるから。
何故か?決まっている。タチの悪いことに、本当に世界を救っているからだ。半分、妄想ではないからだ。
「でも、溝口くんはビビった。怪我をして、普通に一月休んで、気がついちゃったんだろ。自分は思ったより強くないって」
それでも、半分は妄想だ。財団職員は英雄ではない。大抵の場合特別な人間ではない、いや、特別な人間であっても関係ない。死ぬときはあっけなく、なんの見せ場もなく死ぬ。そんな英雄がどこにいる?
丁寧な言葉使いが抜けている飯尾の言葉に、元英雄は下を向き黙ったまま。一方だけが語り続ける。
「最前線に出るのが怖い、それは正常なんだ。アンタはきっと、勇者じゃなかった」
「……そうですね」
小さく、息を吐いた。正常な心は、正常な判断を下すことができる。迷いはあった。期待に応えたいという思いもあった。ただ、彼はそれらは、今の自分にとって正しい選択肢ではないと思った。深呼吸して、前を向き言う。
「新しく働く場所、どこがいいと思いますか?」
「んー、購買部かな! このサイトの配属になって、俺に割引してくれるんなら紹介するけど」
そんな彼の言葉に、元エージェントはちゃんと笑顔を見せた。それに、カウンセラーも笑顔で返す。
「……どうする?もう少し話していく?」
「いや、やめておきます。荷物、纏めたいんで」
ひとしきり話終えて、溝口が席を立つ。ありがとうございました、と一礼して、面会室の扉を開けて、閉める。彼の性格上、ここにまた来ることはもしかしたらあるかもしれない。でも、少なくとも。もう彼は世界の重荷を感じてはいない。
飯尾は、一人きりの部屋で一つ考える。彼は英雄になりたかったのだろうか? そうではないだろうと思う。きっと彼がエージェントをやるには、世界のためと思うしかなかったのだろう。そしてそれは、財団にとっては益になる。だから本当は彼を治療するより、記憶処理でもしてエージェントに戻す方が、財団のためには良いのかもしれない。
知ったことかよ。飯尾は馬鹿らしくなって笑った。何にせよ、狂っていた人間が正気になっただけ。そこに難しい理屈を捏ねるのはそれこそ異常な話だ。次の患者のため、資料を集めに席を立った。
「溝口さんですか? いい人なんですけど、ちょっと不器用なんですかね。レジ打ちがたどたどしくて、何回も教える羽目になるんですよ」
「でも、楽しそうに仕事してくれます」
ページコンソール
批評ステータス
カテゴリ
SCP-JP本投稿の際にscpタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。
本投稿の際にgoi-formatタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。
本投稿の際にtaleタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。
翻訳作品の下書きが該当します。
他のカテゴリタグのいずれにも当て嵌まらない下書きが該当します。
言語
EnglishРусский한국어中文FrançaisPolskiEspañolภาษาไทยDeutschItalianoУкраїнськаPortuguêsČesky繁體中文Việtその他日→外国語翻訳日本支部の記事を他言語版サイトに翻訳投稿する場合の下書きが該当します。
コンテンツマーカー
ジョーク本投稿の際にジョークタグを付与する下書きが該当します。
本投稿の際にアダルトタグを付与する下書きが該当します。
本投稿済みの下書きが該当します。
イベント参加予定の下書きが該当します。
フィーチャー
短編構文を除き数千字以下の短編・掌編の下書きが該当します。
短編にも長編にも満たない中編の下書きが該当します。
構文を除き数万字以上の長編の下書きが該当します。
特定の事前知識を求めない下書きが該当します。
SCPやGoIFなどのフォーマットが一定の記事種でフォーマットを崩している下書きが該当します。
シリーズ-JP所属
JPのカノンや連作に所属しているか、JPの特定記事の続編の下書きが該当します。
JPではないカノンや連作に所属しているか、JPではない特定記事の続編の下書きが該当します。
JPのGoIやLoIなどの世界観用語が登場する下書きが該当します。
JPではないGoIやLoIなどの世界観用語が登場する下書きが該当します。
ジャンル
アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:5526847 (09 Aug 2019 13:25)
コメント投稿フォームへ
批評コメントTopへ