A Headless Body

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「それで、遺体ホトケの身許は割れてるのか」刑事は鑑識の男に訊ねた。
「いえ、なにしろこの遺体の状態では  身分証明書の類いも見つかっていませんし」

そうか、と投げやりに応じ、刑事は目の前の頭部がない死体の傍らに屈み込んだ。たしかに、身許もクソもねえよなあ、と思う。後輩の刑事が死体に歩み寄り、うわ酷いすね、と顔を顰めた。首の断面を神妙な顔で覗き込みながら「なんでこんなことを」と呟いて、少し間をおいて「怨恨すかね」と続ける。

「さあな。殺人犯ヒトゴロシの考えなんざ  ただまあ、普通の精神状態じゃねえってのは確かだな」

それはどうでしょう、と鑑識の男が会話に割り込む。

「あ?」
「普通じゃないのは、やはり殺す瞬間でしょう。その後死体をバラバラにするのは、殺人を隠蔽するためとか、日常の欲求を満たすためとか、むしろ普通に戻るための行為なのではないでしょうか」

刑事は鑑識の男を無遠慮に眺めた。キャップが影になって表情が読み取れない。最初に話しかけたときは気がつかなかったが、日陰にいるせいなのか、あるいは経年劣化による変色なのか、本来は紺色であるはずの鑑識の制服が色彩を失った灰色に見えた。

「本で読んだんです。面白い見解だと思いませんか」

刑事は少し逡巡して、詭弁だな、とだけ言った。

「詭弁、ですか。まあそうかもしれません。でもほら、死体は何もしませんし、頭が無いのでは誰なのかも分からない。分からないなら、その人は誰にとっても重要ではない、ということでしょう? 犯人が忘れてしまえば、もう何もない。日常です」
  日常じゃねえよ。死んでんだ、人が。俺たちだって捜査するし、報道もされる。世間は少なからず影響されるし、事件を重要視する。身許だって、顔が分からねえだけなら確認する方法はいくらでもあるし、警察はそうそう犯人を取り逃がさねえ」
「ええ、もちろん。影響力の欠如、アイデンティティの欠落。所詮は現実逃避です。でも、束の間でも現実から逃げたくなる気持ち  

鑑識の男は刑事を一瞬だけ見て、分かる気がしますけれどねぇ、と見えない表情で言った。刑事はうんざりした様子を隠そうともせずに、無言でそれに返答した。

  しかし、所持品がどこにも見当たらねえな」
「ホームレスすかね」

刑事は後輩の言葉に、このグレーのコート高級そうだけどな、と呟く。後輩の刑事は、コートすかと言って死体に手を伸ばした。

「あ、おいッ! お前手袋は  
「あ。」後輩の刑事は手を引っ込めて、にへらと笑った。「すみません、忘れてました」
「指紋、つけてねえだろうな」
「はは、指先でちょっとだけ触っちゃったすけど、指紋はついてないかと」

笑い事じゃねえ、と刑事が怒鳴った。刑事はふと、この現場に鑑識の男以外の鑑識官が居ないことに気づいた。

*

すみません、と首なし死体が嗤う。
なに嗤ってんだ、と首なし死体は溜め息混じりに呟いた。吐息が地面に落ち、重みで地面が窪む。それを見て、首なし死体はもうそんな季節ですか、と言った。たしかに、身許もクソもねえよなあ、と思う。
首がないから、表情が読み取れない。脳がどろりと垂れた。脳髄が地面に落ち、重みで地面が窪む。
死体の首に蛆が湧き、うわ酷いすね、と顔を顰める。
刑事と首なし死体は、日常の欲求を満たすために流れた脳髄を啜った。
不意に鑑識の男が立ち上がった。鑑識の男の右手首が地面に落ち、重みで地面が窪む。鑑識の男は、コートすかと言って死体に手を伸ばした。首なし死体を食べながら、笑い事じゃねえ、と刑事が怒鳴った。頭が地面に落ち重みで地面が  

*

「非存在に触れようとするのは賢明とは言えませんね」

刑事が見ると、鑑識の男が死体に触れていた。直前まで着けていた右手の手袋は地面に捨てられている。刑事は立ち上がろうとするが、体が思うように動かなかった。頭が酷く痛い。

「しかしノーバディの首なし死体か…"頭も体もない"Headless Nobodyとは、なるほど興味深い」

男は何処からともなく、使い古された黒革の手帳を取り出した。手帳にペンを走らせながら、おそらく、と続ける。

「そこで倒れているあなたの後輩。彼が死体に触れたことで、周囲の現実性が一時的に、歪んでしまった  のだと思います。私もこのようなケースは初めてなので、確実なことは言えませんが」

そこまで早口に捲し立てて、男は唐突に微笑んだ。

「まあ、なんにせよ運が無かったですね。助けられて良かった。触れたのが一瞬だったのは不幸中の幸いです。あとの諸々の問題はしかるべき組織が  おそらくは財団が対応するでしょう」
「財団? なんだか知らねえがな、これは警察の仕事だ。警察が対応するんだ!」

男はわざとらしい笑みを保ったまま、何も言わずに目線を手帳に戻した。この慇懃無礼な男が鑑識官ではないことはもはや明らかだったが、刑事は動くこともできず、頭痛と耳鳴りに耐えながら、男をただ睨みつけた。

「無とは、本来はその意味通り有り得ない。でも此の世には、時々こういう存在モノが顕れる。存在しないそれらが形あるものと交わることは非常に珍しい、ですが  

男は気絶した後輩の刑事を一瞥し、手帳を閉じた。

非有がひとたび交会してしまえば  良くないことが起きる
「おいッ、てめえ何者だッ」

さっきのはなんだ、とまでは言えなかった。

「ああいえ、私は。私は  

その先を聞く前に、刑事は気を失った。

*

暫くして刑事が目を覚ますと、そこに男の影は無く、ただ首のない死体があるばかりだった。一瞥して、刑事はただ大きく息を吐いた。

男の行方は、誰も知らない。


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