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月下氷人委員会より通達

財団職員お見合い企画2020開催のお知らせ


財団日本支部の明るい未来・将来の新入職員のために奮ってご参加ください!

エントリー募集期間
2/1 〜 2/14

お見合い期間
2/15 〜 2/28 3/6

成立カップル発表
2/29 3/7 〜 3/22


日本支部 財団管理部門
人事情報統括局 月下氷人委員会


「お見合い……財団ってこんなこともやるんだ…」

ある日の夕方、掲示板に張り出された一枚の紙を眺めながら、橋ヶ谷勇人は誰もいない廊下でそう呟いた。ハロウィンパーティーやクリスマス会、新年会などがあったのは知っていたが、出会いを求めるイベントというのは初めて目にした。

「…………はぁ」

小さくため息をつき、足早に部屋へと戻っていく。いじめが解決し、今の仕事環境になってから一年と少し、今まで職員が集まるイベントに参加したことがなかった。いや、正確には行けなかったといった方が正しいのかもしれない。過去に負った傷は彼に深い爪痕を刻み、もともと奥底にあったのであろう暗い部分を白日の下にさらけ出した。今の彼は人を恐れ、他人からの心象を常に気にし、拾われた子犬のように怯えながら生活している。自分には何もない、ここしか居場所がない、いつ捨てられても仕方がない、自分のやるべきことだけやればいい、それ以外の事をする権利などない。多く職員と交流し多少笑うようになった現在でも、その考えだけはずっと居座り続けていた。

「恋人かぁ……僕にも、もしかしたらできてたのかな」

それ故か、彼はよく「もしも」を考えてしまう。もしもあの時こうしていれば、もっとあぁしていればこうなっていたのかもしれない。今更考えたところでどうしようもないし、何も変わらない。そうわかっていながらも、何度も何度も答えのない妄想を繰り返す。そんな彼の眼には、このお見合いという企画は極めてどうでもよく、あまりに眩しいものだった。





「で?それを俺に話してどうするんだ?ってあちょ、それハメだろ」
「どうもしませんよ。ただの独り言ですよ…っと」
「あ!だーくそっ!また負けた!」

画面に大きく「GAME SET」の文字が表示され、宇羅飯さんは悔しそうにコントローラーをクッションめがけて放り投げた。

「はーあ…やっぱ橋ヶ谷君はゲーム強いなぁ。流石引きこもり」
「む、そんな言い方ないじゃないですか。仕事はちゃんとやってるんですから」
「わかってるって。よし、もう一回だ。リベンジさせろ。な?」
「はいはい…わかってますよ」

僕の仕事場は基本的にこの自室だ。仕事は全部メールで回してもらい、報告書の作成、備品管理、色々と手伝わせてもらっている。部屋から出ることと言えば、食事を買いに行くときか、夜誰もいないテラスに出る時くらいだ。

「少しでも気になるなら参加すれば良かったのに」
「あはは…僕はそういうのは興味がなくて…。独りのほうが気楽ですし」
「かー!だぁからお前はそんな暗いままなんだよ!一度でいいから前に踏み出して、大事にしたいって思える人と一緒になってみろ!世界が変わるぞ!」

いつもは真面目で丁寧な宇羅飯さんだが、オフになるとこんな感じで一気にラフになる。僕としては他人行儀な仕事モードよりこっちの方が好きだし、話しやすいからずっとこっちのままでい良いと思ってたりする。ただ一つ欠点を挙げるとすれば、散らかしたお菓子のゴミなんかを片付けずに帰ってしまうところくらいだろうか。

「は、はぁ……宇羅飯さんは過去にそういう経験が?」
「おう。つっても高校の時に一回だけだけどな。向こう死んでたし」
「……霊ですか」
「まぁな。んなことよりさ、今回のお見合い結構な人数が参加してるらしいぜ?俺としては結構意外なんだよな」
「大体の人がサイトに籠りっきりですから、家庭がない人は出会いを求めるのかもしれませんね」
「だなぁ。俺聞いてるだけでもえぇと…隈取博士だろ?国都博士天霧拷問官神恵研究員とかあとは…ころころポリゴン研究員とか。あとは福路捜索部隊長とか…」
「福路捜索部隊長、お見合いに参加してるんですか!?」

言葉が口から飛び出る。意識など全くしていない、ほぼ脊髄反射だった。

「おう…らしいよ。なんだ?福路捜索部隊長がどうかしたか?」
「あ、い、いえ…すいません…」
「お、おぉそうか…。そういや、お前は前にサイト-8129に行ってたんだっけ」
「はい。といっても短めの研修だったので、1ヶ月でこっちに戻ってきましたけどね。向こうでは皆優しくて、楽しく過ごさせてもらいました」
「へぇ……」
「な、なんですかその顔…」

いつになくニヤニヤした表情で僕の顔を眺める宇羅飯さんに眉をひそめる。

「いやぁ別に?ただお前の口から二次元以外に対して楽しいなんて言葉、初めて聞いたからさ」
「そ、そうですか…?」
「おう。お前基本無表情だからな。何考えてるかわかんないし。なんなら今すっごいいい笑顔してたぞ」
「そんなにですか?普通に話してるだけだったんですけど…」

確かにあそこでの生活は楽しかった。皆優しく接してくれて、僕みたいな異常性を持った職員の割合が高い所だったからなおさら居心地がよかった。サイトに到着してすぐ、歓迎されて泣いてしまったりもした。皆優しかったけど、その中でも福路捜索部隊長は特に優しくしてくれた。仕事が終わると一緒にゲームをしたり、話し相手になってくれたり、一緒に食事もした。僕と同い年かそこらのはずなのに、子供のように無邪気で、誰にでも仲良く接して、にこりと笑った顔がとても可愛らしくて…。

「っしゃあもらい!」
「え?あっしまった!」

隙を突かれてコンボを決められた僕のキャラは場外に吹き飛び、最後の残機を失った。

「よっしゃ勝ちぃ!」
「ありゃりゃ……油断しちゃった…」
「おいおい言い訳かぁ?どうだ、俺もそこそこ強くなっただろ?」
「そうですね、大分動きがよくなったと思いますよ」
「だろだろ?もう一回やろうぜ!今度は一回もやられずに倒してやる」

宇羅飯さんはそう言ってコントローラーを握りしめる。僕は大して悔しいという気持ちもわかず、いまだに福路捜索部隊長の事をぼんやりと考えていた。自分でもよくわからないくらい、あの人のことを考えてしまっている。結局その理由はわからず、僕は宇羅飯さんが飽きるまでひたすら彼をボコボコにした。





「はーしがーや君!」
「っ!?あ、福路捜索部隊長……」

驚いて振り向くと、黒く綺麗な毛並み、漂う甘いお菓子の香り、小柄な体格によく似合ったロングコート風の制服と車掌帽。ここサイト-8129に常駐している捜索部隊ふ-96("Detection dogs")の部隊長を務めている福路捜索部隊長が可愛らしい笑顔を向けてきていた。

「こんばんは。相変わらずお菓子をたくさん持ち歩いてるんですね」
「勿論なのだ!わっちの元気の源だから、切らさないようにいっぱい持っているのだ!橋ヶ谷君も一ついかがなのだ?」

そう言って福路捜索部隊長はポケットから飴を一つ取り出し、僕に差し出した。匂いから考えるに、果物系の味だろうか。

「ありがとうございます。でもすいません、僕甘いものが苦手で…」
「あ、そうだったのか…ごめんなのだ」
「いえいえ、そんな謝らないでください。福路捜索部隊長が気にすることじゃないですから」

福路捜索部隊長はしょんぼりとした顔で包みから飴を取り出し、口の中で転がし始めた。コロコロと音が鳴るうちに、彼の顔にはすぐに笑顔が戻った。

「ところで、福路捜索部隊長はどうしてここに?」
「んむ?いや、君がぼーっと座ってるのが見えたから脅かしにきただけなのだ。そう言う君こそ、こんな時間に何をしているのだ?もう2時を過ぎてるのだ」
「僕は仕事が全部片付いたのでただぼーっとしていただけです。唯一の日課みたいなものなんですよ」
「そうなのかぁ……ん?全部?」
「はい、全部」

そう言うと、福路捜索部隊長はポカンとした表情になった。

「いやいやいや、ちょっと待つのだ。あの量を?一日で?」
「はい」
「1人で?」
「まぁ、資料とか備品の保管場所とか、いろんな人に聞いたりはしましたけど、基本1人でやりましたね」
「え、なんでそんなに急いでやったのだ?渡した書類、確か4日後に貰えれば大丈夫なはずなのだ…」
「あれ、そうだったんですか?今まであんな感じの量を毎日やらされてたので、てっきり同じかと…。じゃあ今日朝一で全部報告して、次の仕事貰いますね」

福路捜索部隊長の顔が一気に曇る。信じられないものを見るような、可哀そうなものを見るような、そんな目で僕を見つめていた。

「あ、あの……僕何か変なこと言いました?」
「はぁ……国都さんが言ってた通りなのだ」

国都博士…確か昨日見かけたあの女性の事だ。聞いた話だとかなりの怖がりらしく、福路捜索部隊長を初めて見たときは収容違反だと勘違いしたらしい。

「国都博士が何か言ってたんですか?」
「一昨日、橋ヶ谷君がこっちに来てから無理ばっかしてるって言ってたのだ」
「あぁそういう…。まぁ大丈夫ですよ。前の仕事場だと今日の倍近い量を一日で頼まれて、気が付けば朝なんてこともよくあったので」
「そんなの断ればいいのだ!君に仕事を押し付けてただけなのだ!」
「いえいえ、僕皆さんの仕事を手伝うくらいしかできないので、このくらいやって当然ですよ。でもまぁ、今にして思えば、過労で倒れなかったのが奇跡みたいなもんなんでしょうね。あ、ここって労災下りるんですかね?無理そうだなぁ」

そう笑いながら言う僕とは対照的に、福路捜索部隊長の顔つきはどんどん険しくなる。困惑と言うよりかは、怒りに近い表情だ。

「そんなんじゃ、いつか倒れてしまうのだ!無理してそうなる方がみんなに迷惑なのだ!周りにちゃんと手伝ってもらうのだ!」
「大丈夫ですよ。限界はちゃんとわかってますし、そこまで無茶するつもりはないですから。それに、他の皆さんにだって仕事があるんですから、手伝いを頼んだらかえって迷惑ですよ」
「違うのだ!まずその考えが間違ってるのだ!皆協力し合って仕事をしてるのだ!だからお願いなのだ!もっと周りを頼ってほしいのだ!」
「大丈夫ですって。じゃあ今日はもう遅いので、僕はそろそろ寝ますね」
「ま、待つのだ!まだ話は終わってな…」

立ち上がりドアに向かおうとした僕の左手首を、福路捜索部隊長はがしりと掴んだ。目的は僕を呼び止めるため。そんなことは分かっていた。分かっているはずだった。だが気が付いた時、僕はベンチから少し離れた場所にうずくまり、福路捜索部隊長は大きく尻もちをついていた。

「あいたた…」

振り上げられている自分の左腕を見上げる。それは僕が彼を振り払った証拠に他ならないと気付くのに、数秒の時間を必要とした。瞬間、強烈な息苦しさに襲われる。心臓の鼓動が耳の中でやかましく響き、視界が狭くなる。僕はなんてことをしてしまったんだ。謝らないと。謝らなくちゃ。土下座しなきゃ。頭をこすりつけて、謝らなくちゃ。

「あ、ち、ちが…その、ご、ごめんな…さ、ごめ…」

上手く言葉が出てこない。福路捜索部隊長が何か言っているが、頭に入ってこない。胸が痛い。苦しい。吐き気がする。たまらずその場で丸くなる。

「ぁ…かひゅっ…はぁっ」

視界がチカチカする。脳の奥底に追いやったはずの記憶が湧き出てくる。ここに来てから半年、いじめられ続けたあの記憶が一気にフラッシュバックする。目の前にいるはずの福路捜索部隊長の姿はそこにはなく、僕を虐め続けた部門の職員達の顔があった。目を瞑っても、瞼の裏に現れる。耳をふさいでも、罵詈雑言がガンガン鳴り響く。

嫌と言うほどの暴言を、ありとあらゆる非難の言葉を浴びせられた。
「お前は屑だ」「何もできないくせに、なんで収容されない」「バケモノはバケモノらしく、黙って人間様の役に立て」
何度も拳をふるわれた。何度も蹴りをいれられた。何度も煙草を押し付けられた。消えない跡もたくさんできた。食べられないものを食べさせられた。何度吐いて苦しんでも、あの人たちはやめなかった。
僕は、ただの道具だった。ほとんどの仕事を押し付けられ、機嫌が悪い日にはサンドバックにされる。欲望のはけ口にされるなんてこともあった。
ある程度は仕方がないと耐え続けた。でもある日、疲れ切った自分の顔を鏡で見た時、どうしようもなく惨めで、虚しく見えて。気が付いたら涙があふれて、
多分、その日からなんだろう。
僕は、僕の中から何かを追い出した。
苦しまないために、傷つかないために。
必要ないと思ったものを、全て追い出した。
今となっては、それが何なのかさえ思い出すことはできない
ようやく普通の職員として働けると思ったのに。
結局僕は、あの人達の言うようにただの屑なんだ

「あ…ぁあ……ぅ…」

嗚咽が漏れる。涙があふれる。泣く権利などないと自分に言い聞かせても、涙は止まらず地面を濡らす。

誰かの手がそっと頭に触れ、思わず肩が跳ねる。福路捜索部隊長だろう。払い飛ばしてしまったんだから、どれだけ怒られても、罵られても仕方がない。それでも、怖い。優しく接してしてくれる彼が、無邪気な笑顔が似合い彼が僕を罵り、あの人たちと同じ顔で僕をあざ笑うのが、今まで経験したどんなものよりも怖くて、僕は目を固く瞑り、可能な限り呼吸を整え、その時を待った。

「よく頑張ったのだ」
「……え?」

彼はそう言うと、僕の頭をゆっくりと撫でた。何度も何度も、優しくゆっくりと撫で続けた。予想外の言葉にどうしたらいいのかわからず顔を上げると、そこには涙目で笑う福路捜索部隊長の顔があった。

「え…福路捜索部隊長、なんで、泣いて…」
「ごめんなのだ。君がこれまでにされたことを知りながら、あんな軽はずみなことしちゃって…。わっちのせいで辛いことを思い出させてしまって、申し訳ないのだ」
「ふ、福路捜索部隊長が謝ること必要なんてないですよ。僕が、僕があなたを払いのけて…そのうえ尻もちつかせて…」
「そうなっちゃうまで、君は頑張ってきたのだ。誰にも相談できずに、ただ一人でじっと我慢し続けて…」

福路部隊長はそう言って、そっと僕を抱きしめた。僕より一回りは小さいであろう小さな体で包み込むように、ただそっと、抱きしめた。知らない暖かさが僕を包み込む。僕はただぼろぼろ涙を流しながら、謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。

「ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい……」
「もう大丈夫なのだ。誰も君をいじめたりしないのだ。今までよく頑張ってきたのだ。君はとっても偉い子なのだ」
「でも…僕は…僕は……」
「今は何も考えずに、ただ泣けばいいのだ。今まで休まず頑張ってきたのだから、そのくらい休んだって誰も文句は言わないのだ」

その言葉で、今まで抑えていたものが溢れ出した。痛い。辛い。逃げ出したい。やめたい。助けてほしい。そんな感情が渦を巻き、涙となり、嗚咽となって漏れ出した。彼の胸に顔を押しつけ、顔がぐちゃぐちゃになるまで泣き叫ぶ。そんな子供のように泣き叫ぶ僕を、福路捜索部隊長は何も言わず、ただ母親のようにそっと撫で続けてくれた。


 
 
 



「どうだ?少しは落ち着いたのだ?」
「はい…すいません、服も汚してしまって…」
「いいのだいいのだ。洗えばいいだけだし、替えはちゃんとあるのだ!」
「あ、それ何着もあるんですね」
「うむ!あちきのお気に入りなのだ!」

かれこれ10分程泣き続け、ある程度落ち着いたところで福路捜索部隊長がホットミルクを持ってきてくれた。

「福路捜索部隊長って、お優しい方ですね」
「そうか?当たり前のことをやっているだけなのだ。困っている人がいたら助ける。助けを求める人がいたら手を差し伸べる。人間って、そういうもんだと思うのだ」
「それができる人って結構少ないですよ?それができるのはすごいことなんですよ」
「そ、そうなのだ?えへへ…なんか照れるのだ…」

尻尾をパタパタと振り、顔を赤らめながら照れる福路捜索部隊長に思わず笑みがこぼれる。

「む、今なんで笑ったのだ」
「いやぁ、かわいらしいなぁと思いましてね」
「むー……ってそんなことより橋ヶ谷君、少しは人を頼ろうと思えるようになったのだ?」
「え、あ、うーん…」
「……ダメなのだ?」
「多分……。僕変に頑固なんで、決めたことは曲げたくないんですよ」
「…わかったのだ。ならわっちは何も言わないのだ…。じゃあその代わりに」

福路捜索部隊長はスマホに電源をいれ、画面を僕に見えるように差し出す。

「えっと…電話番号ですか?」
「うむ。最近国都さんに使い方を教えてもらっててな…肉球だと扱いにくいからあまり色々はできないのだが、電話でいろいろ相談にのるならできると思うのだ」
「……」
「あ、あれ?嫌だったのだ?」
「いえ、その……人の電話番号を教えてもらう経験がほとんどなくて…いつもはメールで済ませているし…」
「じゃあなお更教えるのだ!ちょっとでも辛くなったら、愚痴でも何でもいいから僕に教えるのだ!」
「…はい。ありがとうございます」

ひとつ、大きな欠伸が出る。つられて福路捜索部隊長も欠伸をする。時刻は2時半。いい加減寝ないと今日の仕事に支障が出る。

「じゃあ、そろそろ寝るとしますか」
「うむ…我も急に眠たくなってきたのだ……」
「いろいろとありがとうございました。電話番号も」
「んぅ…気にすることないのだ…。いつでも相談に乗るからかけてくるのだぞ…良いな?」
「わかりました。じゃあおやすみなさい」
「お休みなのだ…」

ふらふらと自室へ向かう福路捜索部隊長を見送り、自室へと戻る。朝提出する書類やファイルを整理し、そのままベッドに倒れこむ。よほど疲れていたのか、一気に襲いかかってきた睡魔にあらがうことができず、意識はだんだんと沈んでいった。体が軽くなり、まるで水の中を漂っているかのような感覚に陥る。深く、深く、深く、僕の意識は沈んでいく。それがとても心地よくて、息をすることさえ忘れてしまったようで……息を……息が…。

「…っぶはぁっ!はぁっ…はぁっ…はぁっ……」

湯船に沈んでいた身体を慌てて起こし、空気を求めて激しく呼吸する。どうやら風呂の中で眠ってしまっていたようだ。いや、正確には気絶なんだっけか…。あれから既に2か月、福路捜索部隊長とは今でも時々電話をしてお互いの近況を話し合ったり、雑談をしている。特別仲がいいわけではない。福路捜索部隊長は、よくそうやってみんなとコミュニケーションをとってる人だ。ああいう誰とでもコミュニケーションができるて明るい性格だからこそ、部隊を一つ任されているのだろう。湯船から出て、シャワーを浴びる。曇った鏡を手でこすり、自分の目を覗き込む。

「あの人と違って、お前には何かできる?」

鏡に問う。向こうも同じように口を動かす。当然返事はない。意味なんかない。それでも、自分に問いたくなる。僕の職員としての存在意義を、生きる意味を、何がしたいのかを。

「…はっ。ばーか」

うすら笑いで罵倒を口にする。向こうも僕を馬鹿にする。毛先から水がしたたり落ちる音だけが響く。そんな生産性のない時間が、抜け落ちた毛と共に排水溝へと流れていった。





「だーくっそ!勝てん!ぜんっぜん勝てん!」

そう叫んで、宇羅飯さんはコントローラーを放り投げた。彼が遊びに来て早1時間、これで僕の11連勝だ。

「ねぇなんで!?俺前より確実に上手くなってるのに!なんで勝てねぇんだ!?くそ!もう一回!」
「わかってますよ。その前に、飲み物入れなおしますね。宇羅飯さんコーラでいいですか?」
「おう!あそうだ、氷も新しくしてくんない?」
「はいはい、ほんと厚かましいですね…」

コップをもって冷蔵庫に向かい、氷を2つずつコップに入れる。カラカラとガラスと氷がぶつかり合う音が涼しげで心地いい。

「そういえばさー、3週間くらい前にお見合いあったの覚えてる?」
「ありましたねぇそんなの。確かそろそろ終わったんじゃないでしたっけ」
「おう。気になって見に行ったんだけどよ、思ってた以上にカップルできててびっくりしたぜ」
「そんなに多かったんですか?」
「あぁ、なんならお前が気にしてた福路捜索部隊長もカップル成立してたぞ」

視界が暗転する。四肢の力が抜け、体がゆらゆらと揺れているのがわかる。宇羅飯さんが何か言いながら慌てた様子で近づいてくるが、何を言っているのか全く聞き取れない。キーンという音が断続的に耳の中で響き、頭がうまく回らない。あれ、なんでこんなことになってるんだっけ。よく思い出せない。なんでこんな……。

「……谷ー?…ヶ谷ったら。おぃ橋ヶ谷!」
「えっ、あ、宇羅飯さん、僕…」
「おいお前大丈夫か?急にぼーっとして、どっか怪我してないか?」
「え、あ、コップ……割れて…」

言われて視線を下に落とすと、さっきまで持っていたはずのコップは手の中になく、ガラス片と氷のかけらが床に散らばっていた。足を持ち上げるとどこか切ったのか、床に少し血がついていた。

「おいおい、怪我してんじゃねぇか!絆創膏あるか?」
「い、いえ…この部屋には置いてないです…。怪我なんてめったにしないので…」
「そっか、じゃあ俺どっかで絆創膏と箒貰ってくるから、そっから動くんじゃないぞ!」

僕の返事を待たずに、宇羅飯さんは部屋から飛び出していった。あわただしい人がいなくなった部屋はしんと静まり、何があったのかを考えるには十分な空間となった。

「えっと…なにがあったんだけ……」

何があったの必死で記憶を手繰り寄せる。確かゲームで宇羅飯さんに勝って、飲み物をつごうとしたら氷をいれてきてくれって言われて、それで取りに行った時にお見合いの話を……。

「…あ、そうだお見合い」 

例のお見合い企画の話をしていたら、いきなり頭が真っ白になって…。確か宇羅飯さんが、成立したカップルが発表されたから見に行ったら思った以上に驚いて、それに相槌打って、そしたら福路捜索部隊…。

ズキッ

胸が痛む。強く締め付けられるような、鋭いもので刺されたような、そんな痛みに襲われる。痛みと同時に原因は福路捜索部隊長だと確信する。だが一体どうして?なぜ彼がカップル成立したということでここまで苦しくなる?痛い。暴力を振るわれた時とは比べ物にならないほど痛い。息ができなくなるわけではない。ただ純粋に痛い。苦しい。なんで?どうして?いくら考えても、答えは出てこない。

Prrrr……

スマホに着信が入り、ポケットが震える。手に取り画面を見ると、表示されていた名前は

[福路捜索部隊長]

ひとつ大きく深呼吸をする。意味はない。ただ自分でもわからなないまま、心を落ち着かせようとしているのだけはわかっていた。ボタンを押し、受話器を耳に当てる。

「…もしもし?」
『あ、橋ヶ谷君?久しぶりなのだ!一か月ぶりくらいになるのだ?』
「…お久しぶりです、福路捜索部隊長」
『ん?どうしたのだ?元気ないのだ。あ、まさかまた無茶して体調崩したのだ?』
「違います違います。実はちょっとぼーっとしちゃって、コップ割っちゃったんですよ」
『えぇっ!?怪我とか大丈夫なのだ?』
「少し足の裏を切っただけですから、大丈夫ですよ。今宇羅飯さんが絆創膏を取りに行ってくれてるんです」
『なら一安心したのだ…。全く、ちゃんと手元には気をつけるのだ!」

いつものように言葉を交わす。彼に悟られないようにできるだけ平静を装い、少しオーバー気味に明るく振舞う。

「ところで福路捜索部隊長、何か用事があって僕に電話したんじゃないんですか?」
『え?あ!そうだったのだ!すっかり忘れてたのだ!』
「どんな用です?書類の手伝いとかなら、喜んで受けますけど…」
『あぁいや、今回はそういうのじゃないのだ。用事って程の事でもなくて…その…むしろプライベートって言うか…」
「…?なんです?」
『えぇと…その……橋ヶ谷君は、先月やってた"財団職員お見合い企画"って知ってるのだ?」

息が詰まる。心臓が早鐘を打つ。彼が言いたいことは概ね予想できていた。体がそれを強く拒絶しているのもすぐにわかった。耳が、脳が、全身が、彼の口からその事実を知らされることを恐れていた。

「…えぇはい。やってたのは知ってます。結構いろんな人が参加してたみたいですね。それがどうかしましたか?」

やめろ


『実は俺、それに参加してたのだ…』

聞きたくない


「ふむふむ、それで?」

今すぐ電話を切るんだ


『いや…その……ぼ…わ、あちし…』

何言うかなんてわかってるだろ?


「なんですかもう、じれったいなぁ。早く言ってくださいよ」

どうして自分から茨を踏みに行くんだ


「じ、実は…あ、ある女性と……お、お付き合いすることになったのだ!」

あぁ

聞いてしまった

聞こえてしまった

聞きたくない言葉が

夢ならいいと思った事実が

目の前に大きな壁となって立ち塞がり

空想への退路を今まさに断ち切った

思考が止まる

空気が冷たくなる

でもどうして?

どうして僕がここまで苦しくなる?

どうして聞きたくなかった

どうして知りたくなかった?

わからない

いくら考えてもわからない

いくら探しても見つからない

見つからな…




「本当ですか!?おめでとうございます!ちなみに相手はどんな人ですか?」
『あ、ありがとうなのだ…。えぇと、川獺丸従業員って女性で、皆からはアマハルさんって呼ばれてるのだ」
「川獺丸従業員…あぁ、確かユーラシアカワウソの!直接お会いしたことはないですけど、どんな人かは聞いたことがあります」
『そうそう。でも正直、我不安なのだ。本当に僕なんかに彼女の相手が務まるのか不安で仕方がないのだ』
「大丈夫ですよ!福路捜索部隊長はいい人ですもん!部隊の人や周りからも信頼されている、素晴らしい人なんですから、自信持ってください」

ぽたり


『そ、そうなのだ…?』
「そうですよ!それに福路捜索部隊長だって、川獺丸従業員と一緒になりたいって思ったのでしょう?」
『それはもちろんそうなのだ』
「だったら、ちゃんと正面から向き合ってあげてください。そんでもって、しっかりと愛してあげてください」

ぽたり ぽたり


『……うん、わかったのだ!橋ヶ谷君の言った通りなのだ!儂がちゃんとしないとだめなのだ!ありがとなのだ!』
「いえいえ。僕は福路捜索部隊長の事、応援してますよ」

ぽたぽた ぽたり


『ありがとうなのだ!ってあれ、橋ヶ谷君なんか鼻声になってるのだ?』
「あぁその、急に鼻が詰まっちゃって…風邪でも引いたかなぁ」
『えぇ!?それは大変なのだ!今すぐベッドに横にやって休むのだ!』
「あはは、そうします。じゃあガラスの片付けもまだなんで、今日はこれで失礼します」
『うむ!ちゃんと温かくして寝るのだぞ?また布団の中でゲームしてたりしたら怒るからな!』
「あはは、わかってますよ。じゃあおやすみなさい」

通話を切り、スマホをポケットにしまう。

「……うん、我ながら上出来だったんじゃないかな?案外役者とか向いてるのかもしれないなぁ」

止まることなく流れる涙をぬぐいながら、笑顔でそう呟く。

やっとわかった

見つからないんじゃなくて、もうとっくの昔に捨てたんだ

虐められてたあの時に

必要のないものとして、捨ててたんだ

僕がこうなっている原因を

僕が今必要としているものを

今となっては、それが何なのかわからない

ただそれでも、それでも1つわかることはある

あの時、彼が恥ずかしそうに話していたあの時

僕は間違いなく、嘘をついていた



「わりぃ!なかなか見つからなくて時間かかっちまって……橋ヶ谷お前、泣いてんのか?」
「あぁ宇羅飯さん。おかえりなさい。いえなに、ちょっと欠伸をして涙が出ただけですよ。よくあるじゃないですか」
「そうか?それならいいんだ。今片付けるからな、まだ動くなよ」

宇羅飯さんはそう言って、手にした箒と塵取りでガラスを丁寧に集める。ほんと、こういうところは丁寧な人だ。

「……ねぇ、宇羅飯さん」

呼びかけた意味などない。口にする必要もない。心の中で反芻するだけでいい。

「ん、なんだ?他にけがしてるとこでもあったか?」
「人間って………バカみたいですね」
「あ?いきなり何言ってんだ」 

それでも、聞き流してくれていいから、理解しなくていいから、ただ、誰かに聞いて欲しかった。声に出したかった。

「だって、欲しいと思った時にそれがもうなかったら、どうしようもないんですもん」

何が言いたいのかさっぱりわからんと首をかしげる宇羅飯さんに、僕はにこりと笑いかけた。

「そんなことより、片づけたらもう一勝負しません?1人もいいですけど、やっぱゲームは誰かとやるのが一番楽しいですからね!」

胸に空いた大きな穴で、そんな虚勢まみれの大声が反響している気がした。


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