悪食

音一つしない遺体安置所。その中央に横たえられたご遺体がある。エンバーミングされ、異常性がないかを何度も確認されたご遺体だ。白い布で覆われていてる様子は、さながらお披露目前のオークションの商品のようだ。いや、私にとっては何が出てくるかわからないくじ引きと言った方が正しいのかしら。

「早川秀一さん。28歳男性。収容違反を起こしたオブジェクトの鎮圧作戦中に対象からの攻撃によって致命傷を負い、その後死亡。死因は出血性ショック…ですか」

検案書に書かれた文章を口に出してかみ砕く。そしてゆっくりと目を閉じ、彼が死の間際に置かれてたであろう環境を空想する。

吠える収容対象、辺りで花火のように光る銃口と弾ける発砲音。そんな光景を目にしながら、彼はどうにか止血を試みていたのだろうか。いや、書類に記載されている傷の数と深さを見れば、そんな力も残ってなかったのだろう。きっと為す術なく力尽きたに違いない。

「あれ、そういえばこの人前にどこかで…」

ふと、どこかで聞いたことがある名前のような気がしたが、今の私にはそんなことはどうでもいい。

「納棺まであと2時間…。時間は十分にありますね」

そっとご遺体の顔に被せられた布に手をかける。それと同時に、少しだけ口を開く。この瞬間が私は一番ワクワクしている。多分これ以上胸が躍ることはこの先の人生でも滅多にないだろう。顔をご遺体の十数センチ先まで近づけ、ゆっくりを布をどかす。顔が完全に露わになった。清拭とエンゼルメイクを済ませ綺麗になった顔。私はそれを見つめながらゆっくり、ゆっくりと空を噛んだ。

コツン、と歯と歯がぶつかる音がする。無論、今の行動で何かが噛めたわけではない。だが私の口には、ハッキリとした甘みが広がっていた。

「……なるほど、あなたはそういう迎え方だったのですね」

そう呟き、顔を遠ざけ姿勢を正す。そして手を合わせ、彼の死に敬意を払い、その冥福を祈る。その間も私は小さく、ゆっくりと咀嚼を続ける。

コツ コツ コツ

歯と歯がぶつかる。甘みが広がる。果物のような鼻に抜ける甘みでもなく、砂糖のようにただただ甘いだけでもなく、下にまとわりつき、しがみつくかのように延々と離れないような甘み。そんな甘みが私の口の中で洪水のようにあふれ出してくる。少しだけ雑味が感じられるが、かなりの当たりだ。

「こういうことがあるからやめられないんですよね、これ」

コツ コツ コツ コツ

噛んで、噛んで、飲み込んで、また噛んで。滅多に味わえない至福のひと時を何度も何度も噛みしめる。あぁ美味しい。できることならずっとこうしていたい。甘味の洪水にただひたすら身を任せ、そのまま溺れてしまいたい。

「いつまで手を合わせているつもりです?仏像のモノマネですか?」

そんな声が聞こえてきてハッとする。声の方を見てみれば、朧さんが腕を組んでこちらを眺めていた。

「あ、朧さん。えっと…どのくらいやってました?」

「少なくとも、僕がここに来てから3分ほど経過しています。もう十分ですよね?どうせ葬儀の時でもできますし」

「え、えぇ。そうですね。もう出ます」

そう言って布を再び顔に被せ、入り口へと向かう。

「全く、はたから見たらただ一心に手を合わせているように見えるからまだいいですけど、それでも奇妙なことには変わりないんですから、気を付けてくださいね」

「はい…。いつもご迷惑をおかけしています」

そう謝って、くるりとご遺体の方へ振り向く。

「ありがとうございました」

頭を下げてお礼をする。これが私なりの彼への礼儀だ。

「とりあえず、僕の部屋でこの後の打ち合わせをしましょう。食堂でテイクアウトもしてあるので、食べながらどうです?」

「ほんとですか!?あの…その中に麻婆豆腐って…」

「勿論ありますよ」

「…!じゃあ私、書類とタッパー持ってきますね!」

流石朧さんだ。私の事をよく理解してくれている。さぁ、料理が冷める前に大急ぎで必要な物をもってこよう。そう浮ついた気持ちで、人にぶつからないように駆けていった。



「んー美味しい!やっぱり辛い物は最高ですねぇ」

「理解できませんね。どうしてそんなに唐辛子を追加するんですか。ここの食堂の麻婆豆腐、そこそこ辛い部類のはずですよ?」

サイトの食堂のメニューは、場所ごとに職員からのリクエストや料理長の個性が反映されるため、メニューや味付けが同じ場所はない。ここサイト-8173の食堂では、料理長が辛い物好きということもあって麻婆豆腐やカレーはそこそこ辛く味付けされているものも用意されている。

「いえいえ、こんなの序の口ですよ。刺激は毒にならなければいいものですよ。刺激はいいものですよ。時にものの見方を一変させてくれることさえありますからね」

「そうですか。僕は特に刺激は必要ないので、やりたいことができればそれで充分です」

「まぁそういう考え方もありますよね。朧さんは人を眺めるのが好きですからねぇ」

「そんなことより、今回のご遺体はどうでしたか?」

「あ、そうそうあのご遺体!聞いてくださいよ!かなりの当たりだったんですよ!」

朧さんの言葉に思わず声が大きくなる。二度と味わうことができないかもしれないほどの甘美な味わい、今でもはっきりと思い出すことができる。

「これまで味わったことのないような優しい甘さ!しつこ過ぎずくど過ぎず、それでいて執着しているかのように舌にまとわりつく甘味…。少し雑味が気になりましたけど、それもまたアクセントになってていい味出してたんですよ」

「なるほど…雑味がアクセントにですか」

「あの…葬儀の度にそれ聞いてきますけど、何か意味があるんですか?」

「いえ、個人的に知りたいだけです。だってあなた以外いないんじゃないですか?死を味で感じる人なんて」

そう、私は死を味として感じることができる。最初はどういった条件で味が異なるのかわからなかったが、故人の遺族や友人と話すうちに、亡くなる直前に抱いていた感情が大きく関わっているとわかった。穏やかで幸福ならば甘味、苦痛や恐怖だったなら苦味、緊張や怒りならば辛味といった具合だ。

「それはわかりませんけど、数えるほどしかいないと思いますよ。恐らく共感覚の類なんでしょうけど、よくわからないし、迷惑もしてないので放置してます」

「そりゃ迷惑はしてないでしょうね。あんなに楽しんでたんですから」

最初にこの感覚に気づいたのは中学生の時、祖母の葬式でのことだった。綺麗になった顔を覗いた瞬間、口の中に刺すような痛みと感じたことのない苦味が口の中を埋め尽くした。次に感じたのは祖父の葬儀。今度は甘みと苦味が半々くらいの味だった。そのあとも

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