男はのろかった

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男はのろかった。何をするにもいつも遅く、学校の体育では常に最下位だった。

男は何度自分を恨んだかわからない。何度周りの環境を呪ったかわからない。のろい。ただそれだけでここまで馬鹿にされるのは何故なのか。何故こんな体で生まれてきたのか。皆にだってできないことはあるはずなのに、どうしてここまで馬鹿にされるのか。何度も何度も考えたが、結局男がその問いに答えを出すことはできなかった。

学生時代、男は何度も死を選ぼうとした。しかしその度、必ず彼女の邪魔をしていた。

「もうちょっと色々楽しんでから死んでも遅くないんじゃない?君はとろいんだからさ」

俗に言う幼馴染という関係の彼女。何をするにも素早く正確に行動し、明るい性格だった為m常にみんなの中心にいる人物で、男とは正反対の存在だった。

「なーんかさ、君といるとウサギと亀ってほんとはこんな感じだったんじゃないかって思うんだよ」

彼女は男に会うたびにそう呟いていた。曰く、圧倒的な差を見せつけられた亀は顔に出さずとも少しくらい絶望したんじゃないかとのことらしい。男は童話にそんなものを求めるなと言ったが、彼女は聞く耳を持たなかった。

「だからさ、私は思うんだよ。そうやって絶望した亀に、ウサギが手を差し伸べるべきなんじゃないかって。2匹共笑ってゴールできるはずなのにって」

彼女は最後にいつもそう言っていた。みんなが幸せになるのが好きな彼女らしい言葉だった。だが何故それを自分に何度も言うのか、男はいつも疑問符を浮かべていた。



高校、大学と進学していくにつれ彼女からの干渉は止むどころか勢いを増していき、男が就職してからも続いた。いい加減鬱陶しいと思った男は、ある日荒々しい口調で彼女を問い詰めた。なぜ僕に付きまとうんだ、と。彼女はそんな滅多に見ない男の気迫など意にも介さず、あっけらかんと言った。

「だって私、君のこと好きだもん。死なれちゃ困るよ」

絶句した。男は自分が今までそんな風に思われていたなどと微塵も考えたことがなかった。

「結構わかりやすいと思ったんだけどなぁ。ほら、好きな子に執拗にかまったり嫌がらせするって言うじゃん?あれのつもり。ほんっとに鈍感なんだねぇ。で、返事は?」

そう言いながら迫る彼女の気迫に押され、男はNoと言う事ができなかった。その後も終始彼女に振り回され続け、気付けば2人は10年以上の時間を共にしていた。

ある日、男は彼女に聞いてみた。どうしてこんなのろまな自分を好きになったのか?と。

「え、何、嘘でしょ?もしかして理由わからないままずっと一緒にいたの?ばっかだねぇほんとに」

彼女はそう言って涙を流すほど笑った。ひとしきり笑ったのち、機嫌を損ねた男の顔を見ながら言葉を続けた。

「ほら、私いつも言ってたでしょ?ウサギと亀の話。あれよあれ。ウサギは絶望した亀を助けるべきだってやつ」

確かにそんな話を何度もされてきたが、男はそう言われてもあまりピンと来ていないと言いたげな表情を浮かべる。

「私ね、昔から君を見てるのが辛かったんだ。いつものろいのろいって皆にバカにされて、でも何も言い返さずに我慢して愛想笑いをする君が。……でもそれ以上に、君が私を見る目が嫌だった。羨むような、妬むような、自分にないものを見る目が本当に、本当に嫌だった。私と君に違いなんて全然ないのにさ。気づいてなかった?」

全く気付いていなかったと男は答える。彼女はそれを聞いて「だろうね」と肩をすくめて小さく笑う。

「だから考えたの。私が君の手を取って、できるだけ一緒にゴールまで走ってやろうって。最初は別に恋愛感情とかはなかったんだよ?でも段々一緒にいるうちに…ね?」

彼女はそういってグイと顔を近づけ、唇を重ねる。何十回と繰り返してきたキスだったが、男には初めての事のように感じられた。

「だから、私が死ぬまで一緒にいなさい。君が死なない為にも、私が君で悩まないためにも。後何より、私が君に惚れた責任を取ってよね」

男の服の胸元を掴み、初めて見る小悪魔じみた笑顔を浮かべる彼女。男はあっけにとられながらも、はいはいと慣れた様子で返事をし、彼女を抱きしめた。顔に当たる彼女の毛が、少しだけくすぐったかった。



「…なーんてことがあったの、覚えてるかい?あの時、僕はかなり救われた気持ちになったのを覚えているよ」

日の光照らす縁側で男はそう呟く。その隣に彼女の姿はなく、代わりに一枚の写真立てが置いてあった。彼女に先立たれて大分経った今、男の齢は既に100を超えていたが、一向に死ぬ気配はない。多くいた友人も、皆一足早く旅立って行ってしまった。

「今思えば、君があぁして僕に色々してくれたのは、こうなっても自殺なんて考えないようにするためだったんだろう?全く、本当に君は良い性格してるよ」

写真が答えることはない。だが男の言葉を肯定するかのように、一陣の風が男の頬を撫でる。

『おはようございます。今月16日、目白にて発生した大規模な次元屈曲現象に関して、財団は昨晩調査結果を会見で公表し……』

そんなアナウンサーの声が誰もいないリビングから聞こえてくる。1人になった男には少し広い家だが、どうしても引っ越す気にはなれずにいた。

「僕もね、覚悟はしてたんだよ。でもいざ現実のものになるとやっぱりきつかったよ。明るく元気な君がいなくなった生活が、一気に味気ないものになっていった」

写真を手に取り、そっと表面をなでる。写真に映る白い毛並みの彼女は、変わらず柔らかな微笑みを浮かべている。

「でもね、君のおかげで僕は今まで生きてこれたんだよ。絶望した亀にウサギが手を伸ばしてくれたからこそ、亀はまだかけっこをやめてないんだよ。まぁもっとも、僕はまだ道半ばだけどね。ほんと、君は足が速かったねぇ」

男はふぅと一つ息を吐き、空を見上げる。

「そのおかげでこの僕は色んな人に出会えた。いろんな終わりや別れを経験したけど、それ以上の発見や出会いに巡り会うことができた。君は死んでもずっと僕の手を引っ張ってくれているよ。……この言葉を直接言えたらいいんだけど、生憎ゴールが見えてこなくてね。それはまだ当分先になりそうなんだ」

彼女がいてもいなくても、この世界の在り方が変わることはない。だが彼女は確実に、1人の男の人生を変えた。生きる価値を見出した。途中で投げ出さず、かけっこのゴールを目指すことを目標にさせた。

「だから、さもう少しだけ待っててくれないかな。僕が一人で生きていけるように。最後まであきらめることなく、ゴールにたどり着けるために。ウサギと亀、両方が笑ってゴールするのが君の願いだっただろ?」

いくら待っても、聞こえてくるのは周りの生活音ばかり。近所の公園で子供がはしゃぐ声、ゴミ収集車のエンジン音、つけっぱなしのテレビから聞こえるニュースの音声。何の変り映えもしない日常だったが、男にはひどく輝いて見えるものばかりだった。

「……はは。全く、僕は本当にのろまだなぁ」

うっすら涙を浮かべる男の頭上で美しい音色が聞こえる。顔を上げれば、小鳥が3羽、楽しげに飛び回り、やがてその翼を休めるために男の甲羅に止まった。

「やぁ、休憩かい?」

男の問いに、小鳥たちは短い鳴き声で返事をする。

「そうかそうか、いくらでも休憩するといい。その代わりと言っては何だが、君たちの歌声を聴かせてもらえるかい?どうやら僕はあの心地い音色を気に入ったようでね、是非もう一度聴きたいんだよ」

小鳥たちは一瞬顔を見せ合わせたのち、先ほどと同じように透き通った歌声を奏でだした。男は満足げに目を細め、そっと写真を手に取りキスをした。そんな写真の彼女がいつもよりにこやかに笑っているように見えた。


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