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 カーテンの隙間から伸びた光に少年は起こされた。頬に伝う暖かな感触とは対照的に、少年の気分は暗く沈んでいた。鬱陶しいだけの陽の光から少年が顔を背けると、今度は枕元に置いたデジタル時計が朝を告げた。少年は一際大きな欠伸をかいて、口惜しくもベッドから離れた。絨毯に下ろした足はそのまま学習机を通り過ぎ、本棚を過ぎ、クローゼットを過ぎ、部屋の扉の前まで運ばれた。途中、クローゼットの奥で埃被ったちゃんちゃんこがこちらを見つめていたが、少年は気にも留めなかった。少年が溜息とともに押し込んだ扉は不吉なほどに鋭い軋音を響かせた。

 リビングに下りた少年は、テレビの前で胡座をかいていた父親にできるだけ明るく挨拶をしてみた。しかし、陽気なニュースキャスターの声が返ってくるのみで、父親の返事はなかった。少年の視線は気まずそうに揺らぎ、テーブルの上に置かれたコンビニのおにぎりを捉えた。昨夜からの空腹は少年に自然におにぎりを手に取らせたが、幾重にも包装されたビニールフィルムは些か親切なものではなく、完食するのに三十分も要した。少年が台拭きを濡らそうと席を離れたタイミングを見計らって、父親が立ち上がった。テーブルの上に散乱したビニールフィルムと米粒を遠目に見た父親は、数瞬の沈黙の後に舌打ちを鳴らした。

「餌もまともに食えねえのかクソ犬」

水の音に紛れたその言葉は厭に鋭く、そして少年の心を締め付けた。

 洗面台に立ち寄った少年は、映し出された鏡像をじっと見つめた。頬まで裂けた長い口、垂れ下がった長い耳。そして、顔の隅々からサイズの合わないパジャマの胸元までにかけて生えた長い茶色の毛。どう見ても出来の悪いマスクだが、頬に添わせた指がリアルな質感を伝えた。少年は鏡像の怪物から目を逸らし、先程の指を胸にまでずらした。皮膚の境目を超えたところで指を止め、僅かな音に耳を傾けた。ときに激しく、ときに不安げに震える鼓動は、彼を人間であると肯定してくれているようだった。

 洗顔と歯磨きを終えた少年の退室に合わせて、鏡には遠のく背面が映し出された。ふりふりと尻尾を自信なさげに揺らす少年、もとい峯川 章大の背中は年齢以上に小さく見えた。



 章大の住むこの町は、ステレオタイプの閉鎖的なコミュニティだった。技術革新を繰り返す都市部からは遠く離れ、地理的にも陸の孤島と化したこの町で住人たちは暮らしていた。わずか200人足らずの住人同士の絆は家族のそれよりも強く、そこにマイノリティな存在など付け入る隙もなかった。稀に現れた超常的な存在には両手を挙げて崇拝の意を示すか、過度に恐れるか── 元奇蹄病患者の章大は後者であった。

 数年前、帰省していた叔父を介して章大とその母親は奇蹄病に感染した。当初こそ発熱や悪寒程度の緩やかな症状であったが、村唯一の医者が奇蹄病に対する適切な治療法を知らなかったが故に病状は悪化する一方だった。獣変の過程で章大の歯がより鋭いものへと生え変わった頃には、それまで献身的な看護に務めていた近所の住人も掌を返して彼らを遠ざけるようになった。同様に住人たちから執拗な嫌がらせを受けていた父親も次第にやつれ、最後には必死に縋る母親の手を払いのけて出て行ってしまった。

 満足に栄養が摂れないために手足は痩せ細り、身体を拭けないために脇や股間に夥しい湿疹ができ、何より、異常な発熱と全身を引き裂かれるような獣変が彼らを叫ばせ続けた。無限にも思える塗炭の苦しみの中、多くの恨み言を吐いて母親と叔父は息を引き取った。そして章大もまた死に瀕したそのとき、財団の特別医療チームが門戸を叩いた。忙しく職員が部屋を出入りする中、章大は眠気にも似た安堵感ともうすぐ日常に戻れるという喜びに浸っていた。しかし、すぐ外のバリケードの隙間に並んだ無数の目はそうではなく、膨れ上がった狂気が赤く刻まれていた。




給食の時間。色めき立つ周囲とは対照的に、章大は暗い表情を浮かべ項垂れている。そんな彼の元に、ニヤついたクラスメイトたちが卵スープを配膳する。「わざわざ運んであげたよ」、「俺たち親切だねー」などと、思い思いに勝手なことを彼らは語る。そんな彼らを御して、このクラスのリーダー格であり、村長の息子でもある山口隆久が口を開く。

「早く食えよ」

彼の言葉に促されるように、章大はスプーンを手に取る。そして恐る恐る卵スープをすくうと、

溺れもがく、数匹のミミズがその姿を現した。

章大は短い悲鳴をあげ抵抗するが、クラスメイトたちはそれを許さない。彼の両手を後ろに回し、二人がそれを押さえつける。隆久はミミズをつまみ上げ、章大の口にじりじりと近づける。章大は必死に閉口するが、数人の手にかかれば空しい抵抗であった。こじ開けられた口に、ミミズが放り込まれる。

ミミズが安息を求めて、喉奥に向かって這う感覚が舌を通じて章大の脳に伝えられた。隆久に片手で首を圧迫されたので、満足に舌を動かすこともできない。もぞもぞと食道に侵入したミミズは、直後の反射的な嘔吐によって排除された。隆久は椅子ごと章大を床に押し倒し、卵スープとミミズの残骸混じる吐瀉物を食すよう促す。クラスメイトたちからは好奇のアンコールの声。担任の先生は冷ややかな目でこちらを見つめるばかり。章大に選択の余地はなかった。



 下校途中、章大はブロック塀の立ち並ぶ大通りを歩いていた。その周りでは隆久と数人のクラスメイトが後をついて回り、ときどき小突いたりして彼の反応を愉しんでいた。その一方で、章大は額にプツプツと大粒の汗を浮かべ、張り詰めた腹部を押さえて吐き気を堪えようとするが、それも限界を迎えようとしていた。章大は、彼らに不調を悟られまいと固く締めていた口元を緩め、忙しく吐息を漏らしながら訴えた。

「も、もうやめて。なんだかお腹が気持ち悪くて。トイレに行かせて」

「は?」

 隆久は章大のランドセルを掴み、力任せに振り回して近くのブロック塀へと叩きつけた。脇腹を通り抜けた衝撃は腹痛のさらなる激化を招き、せり上がる苦痛に章大は呻いた。隆久は項垂れる章大の耳を引っ張り上げ、嘲笑を孕んだ声で囁いた。

「もう一回言ってよ、ほら」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 章大は垂らした舌を引っ込めるのも忘れ、隆久に何度も許しを乞いた。足元に縋る章大の姿に、隆久の嗜虐心は徒に刺激されるばかりであった。

「いいよ。じゃあ許してやるから、その代わりそこの電柱でションベンして見せてよ。できるでしょ?」

 頭上からの命令に章大は戸惑ったが、ここで聞き返したり下手に反抗したりすればより酷い目に合うのは明白だった。章大はしゃっくりにも似た声色で許諾し、クラスメイトたちに囃子立てられる中、背にしていたブロック塀を支えに立ち上がった。彼の膝は羞恥に震え、首筋には体毛の間を滑るように汗が滴っていた。章大が覚悟を決めたように生唾を飲み込み、ズボンのチャックに指をかけた────そしてパンツをずらそうとしたそのとき、隆久から念を押された。

「"お前"がションベンするんだぞ。どうすればいいかくらい、言わなくても分かるよね?」

 章大は呆気に取られたかのように立ち尽くした。頭では隆久が言わんとすることを理解していたが、それを口に出すのが憚られたからだ。拒絶を示そうとするも喉が乾くばかりで口籠ったような言葉しか出せず、長い耳と鼻をピクピクと震わせるのが精一杯の抵抗だった。

 煮え切らない様子に痺れを切らした隆久は、取り巻きのクラスメイトたちに章大の衣服を脱がすよう命令した。クラスメイトの一人が章大を羽交い締めにして、他の取り巻きが彼の衣服を剥ぎ取っていった。シャツのボタンは弾き飛び、ズボンとパンツは強引に下ろされた。靴下まで脱がされてしまった章大は、少しでも恥部を隠そうと蹲ったが、いいように踏みつけの的になるだけだった。色素の薄い肌が紫斑の踏み跡だらけになったところで章大はついに音を上げ、空を仰いで泣きじゃくった。隆久たちは章大の申し訳程度に生えた性器を指差して、大口を開けて笑った。

 数分後、隆久に促され、章大は電柱に足をかけて"自分"らしいポーズを見せた。一粒の涙が垂れ落ちたのを皮切りに、不愉快な臭いを伴って情けない音が続いた。太ももに滴る生温かい感触はどうにも気持ち悪く、彼をさらに惨めにさせた。ひとしきり終えた章大が振り向くと、一斉に吹き出された哄笑が彼を出迎えた。

去り際、隆久たちは破れた衣服を彼の足元に投げ捨てていった。水溜りとなったそれに浸った衣服はすっかり汚れた、拾い上げるとひどく臭った。吹き荒れる12月の強風。濡らされた股と足裏は冷やされ、無力な彼はただ身体を震わせるで精一杯だった。



 帰宅後、父親に発見されぬよう、章大はお風呂場でズボンとパンツの汚れをシャワーの水で洗い流した。しばらくすると、クラスメイトたちを刺激しないよう我慢していた涙が途端に溢れ出た。シャワーの喧しい音は、止まらない嗚咽と鼻を啜る音をかき消すのに都合が良かった。

 体毛に染み付いた水分に苦労しつつも、軽く身体をバスタオルで拭き取った。ドライヤーに手を伸ばすと、不覚にも鏡面に自分の姿が映し出された。

 頬まで裂けた長い口、垂れ下がった長い耳。そして、胸元までにかけて生えた長い茶色の毛。。加えて、情けない顔と下半身を露出した無様な格好。

 章大は、自分がいかに化物なのかを改めて思い知った。思わず視線を落とすと、無造作に置かれたハサミが目に入った。

体毛さえなければ、少しは───

 ふと、治療後に担当職員から受けた注意の言葉を章大は思い出した。「その体毛は体温調節をするのに必要だ」と。彼は理不尽な現実が嫌いでたまらなかったが、決して死にたい訳ではなかった。ハサミを置き、どうしようもない感情の吹き溜まりを泣き声に換えて吐き出した。



 つまらないバラエティ番組を呆然と眺めていると、父親が仕事から帰宅した。父親は章大を一瞥するも、特段の反応はなかった。しばらく、妙にどんよりとした気まずい沈黙がリビングに流れた。



「おい」

 突然、父親から声をかけられた。久しぶりのことで章大は戸惑いつつも返事をした。彼は無根拠に、次の父親の言葉に少しだけ期待を寄せた。

「お前、明日学校休め」

 まさしく期待どおりの言葉だった。章大は逸る気持ちを抑えて、念の為、休まなければならない理由を聞いてみた。すると、返ってきたのは予想外の答えだった。

「山口さんとこの牝犬が発情期らしい。毎晩吠えてばかりで煩いんだと。だからお前相手してやれ」

 視界が暗く揺れた。章大はさらに聞こうとするも、次の言葉に詰まり、脈絡のない上擦り声だけが漏れるばかりであった。戸惑う章太を横目に父親が背中を向けて自室に帰ろうとしたので、彼は何とか言葉を絞り出した。

「何で僕が」

 父親は露骨に舌打ちを鳴らし、章大に詰め寄った。

「セックスの仕方くらい学校で習っただろが。それやればいいんだよ」

「だ、だから何で僕が」

 章大の態度に腹を立てた父親は、彼の頬を引っ叩いた。勢いで章大はテーブルにぶつかり、小さな悲鳴をあげた。室内に鳴り響く、落ちたグラスの割れる音。あまりの出来事に困惑する彼に、父親は罵声混じりに吐き捨てた。

「てめえが犬っころだからに決まってんじゃねえか!」

「お前がちゃっちゃとセックスすれば山口さんがもう困らずにすむんだよ。ほんと頭悪りぃなお前」

 十中八九、隆久の嫌がらせだろうと冷静に推測する一方、父親がそれに従っているのが章大には受け入れ難い事実であった。だが、頬に伝う鈍痛が現実であることを肯定した。尚も戸惑いの表情を浮かべる章大に、さらに父親は声を荒らげた。

「なんか文句あんのかよ、犬のくせに。それともセックスの仕方が分かんねえのか? ほら、こうやって」

 父親は章大のズボンに手を差し込み、強引に股間を弄り始めた。がさつな父親の手つきは不愉快に他ならず、章大は腰が抜けたような体勢で喚き続けた。パンツを這う指先がお尻にまで伸びかけたそのとき、半ば防衛反応に従う形で章大は父親を突き飛ばした。

「やめてってたら!」

 大きな物音に釣られて章大が目を開けると、父親はかなり後ろの本棚に頭をぶつけて倒れていた。慌てて駆寄ろうとする章大を押しのけ、後頭部を擦りながら父親が立ち上がった。そして章大に向けられた父親の視線には、殺意にすら近い怒気が含まれていた。

「親の言うことも聞けねえのか、この役立たずのクズが! てめえみたいな化物のせいでどれほど俺が苦しめられているのか分かってんのか? ああ?」

「何で俺がこんな目に合わないといけないんだよ! てめえみたいな出来損ないを作ったばかりに、とんだ災難だ!」

 何年間も溜め込んだストレスが、父親の口を通して吐き出された。膝から崩れ落ちた章大を気にする様子もなく、何十分にもわたって怒号は続いた。しばらくして息を切らした父親は、そのまま章大を見ることなくリビングから出て行った。

「母さんと一緒に死ねば良かったのに」

 去り際、父親はそう呟いた。



 吐き気と頭痛が止まらなかった。搔きむしるような嫌悪感と嘆きの感情が渦巻いた。目まぐるしいほどに、父親の言葉と屈辱の日々が彼の頭に過った。揺れ動く激情の中、顔を洗うために洗面台に立ち寄った。そして、再びあの鏡と対面した。

頬まで裂けた長い口、垂れ下がった長い耳。そして、胸元までにかけて生えた長い茶色の毛。



発達した剥き出しの犬歯。

鋭利なまでに伸びた丈夫な爪。

そして、強く見開かれた黒い眼。



そうだ、僕は化物なんだ






鏡の中の化物が口角を吊り上げる。彼の中で、何かが音を立てて壊れた。






早く、早く



死ね、死ね、死ね



お前なんか



痛い



ざまあみろ



苦しめ



痛い



剥いで、それから



絶対に許さない



あ、隆久くん!



痛い痛い



ああ、お父さんも



死ね



ごめんなさい



噛み千切って



おいしい!



痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い



全員殺すまでは



死ね死ね死ね死ね死ね



ああああああ先生死ね死ね死ね死ねあクズああああああああああ死ねあああああああああ死ね死ねお前も死ねあああああああああああ死ねあああああああああ死ねあ葵くんあああああああ許さないああああ全員ああああああああああああ死ね死ねああああ死ねあああ



皆殺しにしてやる



お前もお前もお前らも



ああああああああああああ肉ああああああああああああ死ね死ねああああ花江ちゃんあああああああああゴミがああああ死ね死ねああああああああくず死ねああああああああああ死ね死ね死ねあああああああクソ死ね死ねああ実くんああああああ死ねあああああ死ね死ね死ね死ね死ねああああああああああ死ね死ね死ね死ねああああ死ねああああああ骨あああああああああああああああああああああクソああああ死ね死ね死ね死ね死ね









もう疲れた



死にたい



死にたくない



独りはやだ



誰か助けて





徐々に拡がる血溜まりの中で、章大は倒れていた。腹部を両手で必死に押さえるも、数ヶ所の刺傷から血は止めどなく溢れ出た。浅く弱々しい息を繰り返し吐き出しながら、視線だけを上に向けた。目の前には、愛して止まなかった母親の墓。長年放置されていたため、墓石の色はくすみ、所々汚れが目立っていた。彼は口腔内に溜まった血を吐き出し、ヒューヒューと空気の抜けるような音を鳴らした。少しずつ、そして確実に終わりが迫っていた。



お母さん

僕ね、これでも頑張ったんだよ

みんなに嫌われないよう、負けないよう頑張ったんだ

でもダメだった。僕は化物だから



血に滲む視界が、少しずつ明度を失っていく。



寒い、寒い



肌に灯っていた赤みが、少しずつ引いていく。



お母さん助けて



カチカチと鳴らす歯の震えが止まり、脂汗も止まる。血液が流れ出る度、身体のどこかがその機能を止める。それは、意識すらも。



死にたくない死にたくない死に──



一粒の涙を溢して、彼の短い生涯は静かに幕を閉じた。









「緊張連絡を受けて来てみれば……この様か」

「大方「ふとした拍子に狂暴性を発揮して村民全員を惨殺した」といった筋書きだろうな。まあ、元奇蹄病患者ならよくある話だ」

「なあ、これからどうなるんだろうな?」

「処分の仕方は明確に決まっていないけど、前例に倣えば適当にサンプル採った後に廃棄所へ──いや最近だと市民団体がうるさいから、説明のためにまず今回の事案についての顛末書を作成してから、ええと……」

「何で俺らがそんな面倒なことやんなきゃいけないんだよ!」

「ああ迷惑な話だ、ちくしょう」

二人の役人は化物の死体を車のトランクに詰め込み、走り去って行った。

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