古巣は音を立てて崩れる

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ああ、さようなら明。春川先輩。

セピア色の夢に手を伸ばすが、無神経なアラームに叩き起こされた。頬の冷えた感覚に虚しさを覚えつつ、ベッドに惜別を告げる。

鍋に水を入れ、コンロに火を点す。次に、やや背伸びして購入したスピーカーの電源を入れ、お気に入りの曲を再生する。まだ中学生だった90年代、当時のラジオでよく流れた名曲が現実を拒絶するかのように、室内に優しく響き渡る。沸騰するまでの数分間、至福の日課だ。心地の良いリズムに乗せられて、思わずカーテンを開けると ───

美しい青空に不釣り合いな、円筒状の無機質なタワーがこちらを見下ろしていた。

こんなことは分かっていたはずなのに。一時の尊い回想は、不気味な進化を遂げた現在に殺された。



何十年も味の変わらないインスタントコーヒーを一口含み心を落ち着かせていると、息子の大樹が二階から下りてきた。眠たげに目を擦る息子に声をかけ、質素な朝食を一緒に頂く。特段の会話はなく、フォークの金属音と素晴らしいBGMだけが空間を支配する。大樹は時折表情を歪ませて、食事を中断する様子を見せた。少々弛いそのシャツは胸元にひどく残る暗紫色の痣をちらつかせ、生傷が癒えていないことを主調していた。高鳴る鼓動が私を責め立てているようだった。

大樹は何も言わぬまま、そそくさと準備して家を出た。あんな小学校行きたくもないだろうに。引き留める言葉を出せなかった自分にひどく嫌悪する。

テレビを点けると、黒煙を噴き上げたスタジアムの様子が映し出された。盛る炎の轟音と、鋭く飛び交う避難指示の声。緊迫感漂うその現場に対し、ワイプに映る肩書きだけの専門家が早口でコメントを垂れた。

「今月で三件、三件目ですよ。さっきね高島アナが伝えましたとおり、スタジアムにたまたまアニマリーがいたってだけですからね、これは。でー、その彼らはですね、過去が絶対なんだと。正常な、彼らが言うにはですよ、正常な過去を取り戻すためにはテロだって構わない、こう言うわけなんですよ。こんなのね、許されませんよ、ええ」

ワイプの下には、濃赤色で「夏鳥 爆破テロ三件目 豊田スタジアム」のテロップが目立つように表示されていた。このセンセーショナルな事件は、きっとまた大樹を責め立てる口実に使われるのだろう。

私は間違っていない。その考えが揺らいだこともない。自主退職を暗に勧められたときも、妻が家を出たときも、……大樹が学校で苛められていると知ったときも。化物を恐れて何が悪い? 旧き良き時代を愛して何が悪い? 私は新聞やニュースに取り上げられる過激派の彼らとは違う。理想は同じであれ、現在を塗り潰してその思いを顕現させるつもりは毛頭ない。腐臭のする理想郷に価値はない。そう何度も訴えているのに、何故私たちまで下らぬ尺度で弾圧されなければならないんだ。

ソファーに身を投げ出して真っ白な天井を見上げる。末端の感覚を奪うこの気だるさのように、数年間、そしてこれからも変わらぬ思想と大樹への罪悪感との矛盾にきっと苦しめられるのだろう。地獄から逃れるように視界はぼやけ、暗い奥底へ意識が沈んで行く。また夢を見られることを祈って。



がさがさと物音で目を覚ますと、辺りはほんの少しだけ薄暗くなっていた。壁掛け時計の短針は午後5時ちょうどを指している。キッチンから飛び出した大樹と目が合うが、何も言わずそのまま自室に戻って行った。大樹が一瞬だけ浮かべた、あの気まずそうな表情は何だったのだろうか。妙な胸騒ぎを覚え、キッチンに向かうと ──

ゴミ箱にはノートや破れた体操服が乱雑に捨てられていた。汚れたノートには、「殺人鬼」、「死ねよひなどり」、「病気は学校くんな」、「差別するとか死ねゴミ」の文字がずらずらと羅列されていた。中でも、私を揶揄していたであろう罵倒を赤ペンで塗り潰されているのが、私の心を強く締め付けた。

大樹には私と違って輝かしい未来が待っていると思い込んでいた。しかし間違っていた。こんなにも親想いの優しい大樹が多数によって理不尽に押し潰されそうになっているのに、未来も何もない。こんなことが許容されていいはずがない、されてたまるか!

点けたままだったテレビが世間の声を垂れ流す。






「絶対に許せませんよね」






「身近にいると思うと、怖いです」






「思想の自由だって言う人もいるけど、犯罪を増長させる思想なんて裁かれて当然だと思う」






「このまま野放しにしてほしくない。政府には強い対応をしてもらいたいです」






「ほんと、迷惑な人達ですね」



排斥されるべきはお前らの方だ。

過激派とされる彼らが何故テロを起こすのか。彼らの目的は正常な世界の回帰じゃない、偏見と異常で形成された「現在」を打ち崩したいだけだ。根底にあるのは途方もなく蓄積した怒り、抗えぬ衝動。私は、彼らを理解するに至った。
























外の風が心地良い。嫌悪の対象でしかなかった化物が、無機質なタワーが今では別の視点で捉えることができる。過去に浸る日々は終わりを告げた。これからは明日を、自分なりの未来を目指せる。どこか晴れやかな思いを胸に一歩踏み出すと、バッグの中の刃物がからからと音を立てた。


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