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「これで最後ですね。貴重なボディを寄付していただき感謝いたします、マダム」
プロメテウス研究所の社員証を首にかけた若い男が、にこやかに礼を言う。
「お礼は結構よ、こちらこそ協力してくれてありがとう。ああ、そこの方、ソレは私が引き取るわ。黒のビニール袋をいただける?」
彼女は、綺麗に並べられた4つのピンクの塊を、左から順番に指差した。それらは、呼応するかのように小さく脈打った。
「え? これらは私どもで廃棄いたしますので──」
「……ふむ。君はマダムに黒のビニール袋を用意してくれ」
指示を受けた職員は困惑しつつも、彼女に黒のビニール袋を渡す。彼女は再度礼を言い、ピンクの塊を次々と袋に放り込む。
「公平な取引が出来て光栄です、マダム」

はあ……
寒空の下、マハード・ツェヴェリンは気疲れを精算するように溜め息をつく。白い吐息はゆらゆらと揺れ、静かに霧散した。サイケデリックな歓楽街が彼を誘うが、出所したばかりの彼にとっては少々鬱陶しいように感じられた。
昔、ジャンキー集団に母子2人が惨殺されるというショッキングなニュースが話題となった。犯行に計画性が認められなかったことから幾度か減刑されたが、その度にアメリカ市民は裁判所に唾を吐きかけた。厳罰を求む署名運動は苛烈な勢いとなり、アメリカ中はその熱で燃え上がった。
しかし、マハードに課せられた112年の刑期は、ゆっくりと熱を奪うのに十分すぎた。無事に刑期満了で出所した彼に、石を投げる者は既にいなかった。
マハードは気を紛らせるため、人混みに流されつつも歓楽街を抜ける。先ほどまでの喧騒さが嘘のような、どこかメランコリックな雰囲気漂う裏路地は、彼が散歩をするのに都合が良かった。
より一層静けさの増す午前1時、マハードはふと空を見上げる。視界には、絵の具をぶちまけたかのような夜空がいっぱいに拡がっていた。拾ったタバコを片手に、夜空に白煙を撒く。社会への疎外感、迎える友人のいない孤独、これらに付随した感情がどっと彼の胸に押し寄せるが、マハードはおかしさから笑みを浮かべる。彼にとってそれらは、あまりにも馴染みのないものだった。
「何がそんなにおかしいの?」
マハードは、声のした方向へ反射的に顔を向ける。赤いドレスに身を包んだ、妖しく笑う婦女がそこに佇んでいた。
ちくしょう
「あら、キレーなお姉さん。あそこのサカった野犬の隣でもよけりゃあ、ツケでよろしく頼んでもいいかい」
からかうようにマハードは応える。婦女の表情は変わらない。
「112年ぶりね、マハード」
「なーんだ、知り合いかよ。ジュリアナか? それともジェイシー? まさかジェイクじゃないだろうな……」
「私はエレイン・シュラード、覚えているかしら?」
マハードは、錆び付いた記憶を掘り返す。エレイン、エレイン……と、しばらく名前を反芻した後、かつて犯した大罪を想起する。
「あ。俺らがぶっ殺した家族のババアか! てっきり10代そこらの売女かと思ったが、若作りもこのレベルになるとさすがに分かんねぇなー」
「最近手術したばかりなの。あなたは随分と落ち着いた容姿になったわね」
「ははっ、人権保護バンザイ! つってもよ、ヨボヨボな元の身体より幾分かマシだが、もう少し派手な身体が良かったぜ」
数分間、沈黙が流れる。エレインの表情は変わらない。揺るがぬその笑顔に、マハードは若干の苛立ちを覚えた。
しょうもねぇ
「で、きちんと罪を償った善良な俺様に何の用だ? まさかボケた訳じゃねぇよな」
「ええ。あなたと一緒で、頭だけは昔と変わらないわ」
「ふん。じゃあ何だ、報復か? 死んで償え、ってか」
我ながら傑作なジョークだと言わんばかりに、マハードは口を大きく開けて笑う。笑い声は、ほんの少し残響した後に冷たいコンクリートに吸い込まれた。エレインは何も答えない。
「俺に一体何を求めてんだよ。ガキでサッカーボールした感想か? それともアバズレの残した死際のセリフを教えて欲しいのか? 鼻水垂らしながら"子供は殺さないで"、だよ。無様で実に感動的だろ?」
彼女の態度ですっかり頭に血が昇ったマハードは、さらに続ける。
「運が悪いぜ、アバズレもガキも。お前がもう少しゴムで我慢してれば、死ななくて済んだのによ。全部お前のせいだ、クソババア!」
マハードは懸命に挑発するが、エレインはやはり無反応だった。マハードは露骨に苛立ちを見せ、舌打ちを交えながら毒づく。
「ナメやがって。あーあれか、ぶち殺したアバズレみたく、俺に抱いて欲しいんだろ。さすが穢れた母子だな!」
マハードは鼻息を荒げ、薄汚れたジャケットを乱暴に脱ぎ捨てる。そして、獣の如くエレインに向かって走り出す。
やめろ、やめてくれ
マハードは彼女に掴みかかり、押し倒す。彼は卑しく笑った。エレインは笑顔を歪ませた。
もう許してくれ
「今日は、どんな夢を視ているの?」
落ちたタバコが、煌々と燃え、そして静かに燃え尽きる。それが、終了を告げる合図だった。何も変わらない、いつもどおりの。
ああ神様、どうか死なせてくれ
彼女のハイヒールの下で、今日も彼は悪夢を視る。冷たい床に転がる彼らは、終わらぬ生に捕らわれていた。
予定タグ:tale-jp end-of-death プロメテウス
以前のものを少し改稿したものです(方向性がやや異なるため別verとしています)。
スポイラーは以下のとおりです。
①冒頭のやりとり
マダムことエレインは、マハード含むジャンキー集団のボディをプロメテウス研究所に提供する。不要な脳ミソについては、エレインが持ち帰る。
②マハードの回想
この部分は全て脳ミソ状態マハードの回想。脳ミソ状態にされるまでの直前のやりとりを回想している。時々入る斜線文字は、脳ミソ状態マハードの言葉。最後のぐちゃぐちゃセリフは、脳ミソ状態マハードにかけたエレインの言葉。
③脳ミソ状態マハードを踏みつけるエレイン。ジャンキー集団は、エレインと終わらぬ人生に捕らわれている。
- portal:5252746 ( 26 Mar 2019 10:15 )

>いち、に、さん、よん、と左から順番に指差す。それらは、呼応するかのように脈を打つ。
もう少し詳しい説明がいるかもしれません
>視界には、絵の具をぶちまけたかのような夜空がいっぱいに拡がっていた。
絵具はおかしいかもしれません
>はあ……
>妖しく笑う婦女がそこに佇んでいた。やめてくれ
>しょうもねぇ
>ああ、ダメだ
>神様、死なせてくれ
文末に「。」
to2to2様、コメントありがとうございます。
それぞれ適宜修正いたしました。
面白かったです。斜め文字が少し分かりづらかったので単独での一文にしていいかもと思いました。また最後の台詞以降の段落同士をもう少し近づけることで時系列の変化が分かりやすくなるかなと思います。
このまえの定例会で見た時より明らかに面白くなっていると感じました。
「きちんと」でしょうか。
→solvex様、コメントありがとうございます。
斜め文字、段落についてそれぞれ調整してみました。如何でしょう、見やすくなりましたでしょうか。
→Rokurokubi様、コメントありがとうございます。
該当箇所について修正いたしました。