散歩する屍

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ロッカー.jpg

「名前?」
「そう、名前」

はいばらなつめ榛原棗は首を傾げた。灰色のロッカールーム。彼女の愛用するスニーカーは、安っぽいプラ製ベンチの下に適当に転がされている。手首のブレスレット型端末には充電ケーブルが繋がっていた。

「あらゆるものには名前がある。名前には意味がある。名前がなければ認識されない。ここまでいいかな」
「えー、まあ」
「じゃあ問題、敢えて名前をつけないことに意味を見出す場合、それは何?」
「私が答える必要あります?」
「いんや、全然」

新人への問題。そう言って、ちよみとうか千代巳透香はからりと笑った。

「先週から面倒見てる研修生が活きのいいやつでさ。桜木っていうんだけど、そいつに出す問題なの」
「それをなぜ私に」
「どんな答えが出てくるか知りたいじゃん。天才客席研究員さまの頭脳から出てくる答え」

揶揄するような口調とは裏腹に、千代巳の視線に暗さはない。講師用のマニュアルで片手が塞がれていながらも、素早く私物をロッカーに叩き込み、己の身支度を済ませていく。反対に榛原の動きは鈍く、靴紐を結ぶのにすら手間取っていた。時折鼻を鳴らしては、小動物のように小刻みに頭を左右に振る。
始業10分前。ちらりと千代巳が腕時計を見た。

「榛原、まだ蝶結びできないの?」
「研究所時代はサンダルでしたので」
「知ってる。私もう行くけど、迷わずオフィスまで着けるのか?」
「大丈夫ですよ、これでも今週は2回しか遅刻してませんから」
「今日水曜日だけど」

あーもう、と絡まった紐を靴の中に乱暴に突っ込む。
頭をがしがしと掻きながら緩慢に白衣を着込もうとし、袖が引っかかって藻掻いている客席研究員を呆れた顔で見て、千代巳は颯爽とロッカールームを出ていった。後ろ手を大きく振る挨拶が実に様になっている。
後に残された榛原は、右だけ腕を通した白衣姿でエージェントに手を振り返したあと、その姿勢のまま沈黙した。

開いたロッカー。ばらまかれた私物。突っ掛けたスニーカー。傾いたネームカード。
小さく首を傾げて、混沌の中心で榛原は年上の友人が残したささやかな問題について考え込んでいた。
端末から鳴り響く始業のアラーム。背中を曲げて、彼女は動かない。




サイト-81KA。正式名称、財団日本支部千葉総合収容研究施設。大学研究施設に偽装された広大な敷地に、数多くのオブジェクトと収容・研究部門を抱え込んだ大規模拠点。

そのオフィスはサイトのA区画北部、B区画との境界付近に位置する。一般人の学生が多く通うダミー施設である大学構内に近いそのブロックを、サイト職員は陰に日向にこう呼んでいた。

最北のA区画──NAブロック。曰く、人事制度上の島流しN/A地点。

オフィス.jpg

3人分の人影が、朝から淀んだ空気の中に沈んでいた。

『サテライト18144-Cより発報、西埼市鹿頭台3丁目12号、異常事象報告。エージェントの緊急出動を要請。機動部隊司令部は初期状況監視、関係機関への通達を──』
「あー、煩い」

鳴り響く警報を手元のスイッチでぶつりと切って、刈遠純弥かるとおすみやは呻いた。
彼はもう30時間ばかり寝ておらず、数時間前から机の上で放置していた泥水のような色のコーヒーを啜りながら頭を振るほかに、彼の不満を表現する方法はオフィス内に存在していなかった。元はと言えば、原因は彼にあるのだが。

「御代くん、私のアシスタントは起きたかな?」
「まだです。いつも通りならそろそろ覚醒するはずですが」
「なんともはや……ところで君、少しくらい手伝う気は」
「ありません。自分の仕事を済ませますので」

御代記内みしろきないは冷静に言った。端正な目元が特徴のエージェントの鋭い視線は卓上ディスプレイに向いていて、彼の意識は報告書作成の最終チェックに割かれており、10歳以上年上の髭面の研究員が背後で情けなく机に突っ伏す姿は目に入ってすらいなかった。
向かい合わせのオフィスデスクが2列に並べられた部屋の脇にくたびれたソファがあり、そこには若い男がぐったりと力なく寝そべっている。そちらにちらりと視線を飛ばし、男が起き上がる気配がないのを確認して、刈遠は弱々しく首を振った。

「あんなに初歩的な合成写真で気絶するとは……」
「人事評価見てなかったんですか。彼は外傷恐怖症ですよ」
「きみと同じフィールドエージェントだぞ、少しくらい平気だと思うだろう。あれで実地調査ができるのかね?」
「できないからここに来たんでしょう。アシスタントのメンタルケアくらいご自分でなさってください」

完成したファイルのコピーをサイトのメインサーバーに保存する。不慣れな手付きで3段階の認証を慎重にクリアしていく御代に、刈遠はなおも言い募った。

「半年分のE 2 ロ グ超常現象記録の精査を1ヶ月でやってるんだぜ、息が詰まって仕方ないじゃないか。君はまったく遊び甲斐がない堅物だし、榛原くんはあの通りだからな」
「職場で仕事以外のことに精力を傾ける必要はないと思います」
「だからきみは駄目なんだ。いいか、あらゆるものに楽しみを見出す私の向上心をだね」
「とにかく、邪魔なのでそこを退いてくれますか」

刈遠を適当に椅子ごと押しのけた御代は原稿確認のためにプリンター前に陣取る。刈遠は何度目かのため息をつき、コーヒーを追加しようと立ち上がった。
不用心に開け放したドアから新たな人影が入ってきたのはその時だ。

「みんな、おはよう」

書類綴を脇に抱えたパンツスーツ姿の前原愛まえはらあいは、室内を見渡して僅かな困惑の表情を浮かべた。御代は折り目正しく礼をし、刈遠は肩を落としたまま適当に手を上げて応えた。

「相変わらず出席率の悪い職場ね。悠子はどうしたの、あんたらのボスは」
「遅刻だそうで。通話は繋がりますが、掛けます?」
「いらない、どうせ布団から出られないんでしょ。神舎利2、そこで寝込んでるのは? 見たことない顔だけど」
「新人の加山です。そのうち起きるかと思います」
「ふうん──ああ、外で榛原を見かけた。休憩スペースでぶっ倒れてたから拾っておいて」
「あの女……」

額に青筋を立てる御代を面白そうに一瞥して、前原は書類綴を脇の書棚に置いた。手慣れた様子でオフィスの壁に埋め込まれた端末を操作する。駆動音と共に天井のスリットからプロジェクターとスクリーンがせり出し、この場の全員が見慣れた待機画面が映し出された。

財団のロゴマーク。サイト-81KAの徽章。機動部隊司令部の認識番号。
それらが流れていった後に、ひとつながりの文字列が残る。

"Unclassified Extranormal-Event Assessment Division"

U   E   A   D未分類超常現象分析課に新しい仕事を持ってきた」

前原機動部隊管理官補がにんまりと笑う。指し棒を手首のスナップで伸ばすさまは奇妙なほど彼女に似合っている。
スクリーンにいくつかの写真が展開し、銀色の切っ先がそのうちの一つを指し示した。

「一昨日の晩に発生した城北市の不審死事件、こいつにアノマリーが関わっている可能性がある。事件の情報を収集し、発生事象の異常性の有無ならびに収容の必要性を調査。機動部隊司令部に報告するように」
「不審死……現実改変ですか?」
「Kant-NETs3に反応はなかった。可能性は低いでしょう。それに、即時介入が必要とまでは言い切れない。ここに持ってくるケースはどれもそうだけど、機動部隊の限られたリソースを投入するべきか判断できないのよ」

前原が懐から取り出した携帯端末を操作すると、スクリーンに新たなファイルが現れた。サイトの中央サーバーからUEADの下位サーバーに、調査に必要な資料がダウンロードされていく。

「うちから出せる情報は全部ここにある──とはいえ、実際に部隊が出張ったわけじゃない。先遣調査に出たエージェントの報告、公刊資料の抜粋、地誌情報、警察の内部報告書ってところ。もし本当に異常存在が関わっているなら早めに回収したい。それじゃあ、良い結果を期待してるから」

悠子には私から伝えておく、と言って部屋を出ていこうとする前原を、刈遠が手を上げて引き止める。先程までの弱々しい態度とは打って変わって、彼の髭面はふてぶてしい笑みに彩られていた。

「前原さん、うちの課にわざわざ要請したってことは、何か妙なことがあるんでしょ? 機動部隊を突っ込ませるほどでもないが、エージェントの追跡調査で1ヶ月も待ちたくない。すぐに白黒つけたい、そんな理由。何がありました?」
「資料を読めば分かるのに、私から言わせようっての」
「ただでさえ仕事が溜まってるわけで、時短ですな」
「いい度胸してるなあ。じゃあ教えてやろう」

腕組みをした前原が顎で示す先、スクリーンには一枚の写真が大写しになっていた。
アパートの一室だろうか、手前に和室。襖が開き、奥に狭い流し台が見える──その手前の薄暗い通路に、大まかに人型の影が倒れていた。
警察の捜査中なのだろう、脇に黄色の識別板が置かれている。

「久住伸二、67歳。泉ヶ原3丁目のアパートで死体で発見。検死はまだだけど、発見時の状態からして死後3日は経ってた。身寄りはなく独居、心筋梗塞の既往歴。警察もただの孤独死だと思ってたけど、聞き込み調査で妙な話になった」
「妙、とは?」
「ある意味では、よくある話なんだけどね」

眉を立てた笑みで前原が言う。

「この爺さん──死亡推定時刻よりも後に、日課の散歩を目撃されてるのよ。死体が見つかった後ですら、ね」




—-—
する屍
—-—




城北市泉ヶ原3丁目7-2号。
繁華街の西側、暗渠化された用水路のほど近くに現場となったアパートがある。
表通りから住宅街に入って5分ほど。住民が時折自転車で通り過ぎる他には人通りもなく、狭い路地は乗用車がすれ違うことすら難しいだろう。
どこにでも走っているような、目立たない白のライトバン。運転席に座る御代は、万が一にも事故を起こさないよう注意深くハンドルを切っていく。
現場まであと数百メートル。住民の注意を引くのは避けたい──特に、助手席に座るこの女を衆目に晒すのは御免だった。

「住人の構成は40代以上が半数を占める。彼らの多くは互いに顔見知り。路地は狭く外部の人間が立ち寄るような施設もなし。こうなると顔貌を誤認することは難しい……」
「資料の内容を口に出すな榛原」

俯いて手元の資料を捲りつつブツブツと呟き続ける榛原を、車窓の向こうを通り過ぎていく通行人が気味悪げに見ている。半ばうんざりした声色であることを自覚しつつも注意するが、彼女の耳には届いていないようだった。

「監視カメラは周辺350m圏内に存在しない。久住の散歩する経路はおそらく4種類で、どれも映像記録がない。目撃証言は複数。ただし時間帯はばらばらで生前の行動パターンと一致しない」
「おい、榛原」
「現場の状況から自然死の可能性が高く、ヒューム値の変動は観測されなかった。久住の経歴にも怪しい点はない。遺留品も非異常。生物学的には何の問題もなく……」
「榛原」
「……なんですか」

停車する。二の腕を強く引かれ、ぐえ、と小さく榛原は呻いた。
緩慢に顔を上げ、不満げな顔で同僚を見る。一方のエージェントはと言えば、怒りと非難とが等量に満ちた眼差しを彼女に注いでいた。

「何ですか。私、ちゃんと仕事してますけど」
「その口を閉じてたら認めてやる。機密をべらべらと喋るんじゃない」
「癖なんですよ、口に出して纏めるの。いいでしょう、車の中なんですし」
「集音マイクがあれば全部聞こえる。どこに何が潜んでるかなんて分からないんだ。ここは署内じゃないんだぞ」
「……わかりましたよ」

何かを言おうとして黙り込んだ榛原が、ふと首を傾げる。

「あ、外出ていいですか」
「何のために」
「ここ、久住の散歩してた道なんです。匂いを嗅ぎたくて」
「匂い? お前何を」
「出ます。3分でいいので」
「おい!」

引き止める間もなく、ドアを開けてするりと抜け出す。ふらふらと歩き始める様子は完全に無防備だ。時折周囲を見渡しては立ち止まって頭を振り、僅かに顔を上げて空気の匂いを嗅ぎ、また歩く。
明らかに不審者だ。車を離れるわけにもいかず、額を揉んで頭痛を堪えながら運転席で見守る御代の懐で、財団支給の携帯端末が震えた。

「…………はい、神舎利」
『いよお、記内ちゃん? 私だけど』

奇妙に浮かれたような、耳障りに響く軽薄な声。思わず小さく舌打ちが漏れた。

「亦好、あんたか」
『はいどうも、工作担当官のまたよしひさ亦好久ですよ』

歯噛みするような、明白な拒絶の感情が籠もった応答も通話相手は一顧だにしない。
そういう人間だと知っているから、余計に腹が立つのだが。

『そんなに嫌そうに唸っちゃって、私は悲しいね。でさ、あとどのくらいで到着する? 管理人さんがお茶淹れてくれるっていうんだけど』
「あの女がまともに歩いてくれれば5分もかからない……何だと?」
『佐倉茶の良いのがあるんだって。ご厚意で頂いてるんだからさ、早くおいでよ。アパート西棟の1階管理人室。あー、私は又吉刑事ね、漢字は芸人の方だから。階級は巡査部長』
「何を勝手に、待て切るな、俺たちのカバー偽装身分は? 保険業者の査定じゃなかったのか」
『それがおっかしいの、上の介入が間に合わなくてさ、フロントで引き継げなかったんだって。秘密組織が後から書類不備でバレましたじゃ格好つかないでしょ? だから特事課と話つけてきた。今日は君ら刑事ってことになってるから。手帳あるでしょ? よろしくね』
「待て、聞いてな」

5分以内ね、と言い残して通話が切れた。

御代は静かに天を仰ぐ。
無性に叫び出したい気分だったが、堪えるだけの分別が彼にはあった。
徐行して、車を数メートル進める。T字路の脇で爪先立ちになってカーブミラーに顔を寄せている同僚にゆっくりと声をかけた。

「榛原」
「今度は何ですか、私ちゃんと黙ってますけど。それにあと1分は」
「お前、カバーの手帳持ってるか」

かばあ、と呟いて榛原が首を傾げる。

「警察手帳ですか? ないですけど。今日は保険会社の査定でしょう、だから車もこのダサいやつだって」
「……」

腹の底から流れ出る重い溜息が、灰色の交差点に溶けて消えた。
さしあたっては、さやま狭山保険社のロゴ入りバンをどこに隠すのか考えなければならないだろう。




結局、新人は目を覚まさなかった。
全く、人事部ときたら使えないやつを寄越したものだ──何事かにうなされている加山をオフィスに放置して、頭を掻きつつ殺風景な廊下を渡る。

死んだ後も歩き回ることはできなくはないけど、死体にその形跡はない


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執筆者: islandsmaster
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最終更新: 01 Sep 2020 13:41
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ソース: Pixabay
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公開年: 2015
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