アウトブレイク 前編

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<plot>
6月上旬、政治局に奇妙な任務が持ち込まれる。「黄」というコードネーム以外全てが不明な中国人ブローカーの捜索。JAGPATO調停裁判所によって情報封鎖が行われ、追跡不可能となったPoIを再捜査せよとの命令だった。
財団が収集したほぼすべての資料へのアクセスが失われた中、封鎖されていない情報を頼りに西塔らは黄を追跡していた機動部隊を特定する。機動部隊は横浜での任務に多く人員を割いていた。道策からGOC偵察ユニットが横浜入りしたとの報を受け、西塔らも横浜へ向かう。
イヴァノフは[人物未定]に面会し、任務について聞く。[未定]は言葉を濁しつつ、黄と財団内部の腐敗勢力との関連を示唆し、任務の遂行と深入りしないよう圧をかける。了承しつつ食い下がるイヴァノフに対し、[未定]はあるコードを開示する。
別行動中の育良は加賀町警察署で潜入エージェントから不審事案を聞き取る。支離滅裂な発言をする白人を何度も保護したという。現地でエージェント[未定]と合流した西塔らがその白人の名前を入力すると、神州は特別クリアランスを要求し、西塔らは困惑する。
白人の保護された地点をもとに港とのアクセスや財団の監視網を考慮して絞られた地域は中華街のすぐ脇だった。観光客を装い巡回するチームの前に、GOC式の奇跡論的隠蔽の痕跡が現れる。
GOCに先を越され歯噛みするチームはせめて突入の現場を抑えようとするが、突如イヴァノフが通信で警告を行う。生物系SCiP汚染の可能性が高いという。イヴァノフが付与したクリアランスで神州にアクセスすると、SCP-1131(吸血した相手を特定の白人に変化させる蚊)の情報が出現。驚くチームの前に、1131に噛まれ昏睡状態の隊員を抱えた排撃班員が援助を要請してきた。
<plotここまで>
<後編→GOCと限定協力して黄を追跡、漏れた生物系アノマリーの収容、事態の隠蔽。情報封鎖は生きているため後手後手に回る。横浜市街で応援呼びつつ駆け回り、黄は確保するも死亡、財団内部との深い繋がりを匂わせる>


 それらが初めて財団の網にかかったのは、果たしていつのことだったろうか。

 顕微鏡のレンズ越しに眺めるぶんには無個性な、それでいてあまりにも特徴的なある種の生き物たち。これまでのところ、それらは強化ガラス張りの巨大な水槽の底、積層箔プラスチックの虫かごの奥、カーボンナノチューブで編まれた蚊帳の中、そういったところに注意深く押し込められていて、誰の目にも触れないようになっていた。

 だからそれは洗礼だったのだ。ぼくらにとってはあまりにも鮮烈で、これ以上ないほどに強い記憶として残っている。

 初夏の昼下がりのことだ。6月のはじめ、下着代わりのTシャツに汗がにじみ始める、いくらか蒸し暑いころだった。


「ああ畜生、暑いぞ。信じられねえ。いま一体何月だよ?」
「そのセリフきょう5回目ですよ、西塔さん」

 紀尾井町は暑い。初夏の日差しそのものはそこまで厳しくはないけれど、ここ最近空調完備のオフィスで書類仕事ばかりこなしていた肉体は外回りの感覚をすっかり忘れ去っている。
 風のない昼下がり、早めの昼食を終えた後ともなれば身体は自然と熱を持つもので、同僚は早くものぼせ始めていた。
 最も、彼女のお世辞にも上等とは言い難い性格は、そもそもが熱しやすく激しやすいのである。

「クソ、なんだってタクシー代も下りねえんだよ。なにがギョーセーカントクブだ? 堂々とクルマ回して乗り付けられねえエージェントに役人がいい顔するかっての」
「仕方ないですよ、ここのところ代表部は不祥事続きですから」
「その不祥事の尻拭いして回ってんのが私らなんだぞ。予算寄越す先が間違ってるだろ」
「その予算を目的外支出で浪費してるのは誰ですか……?」

 地下の快適なオフィスから命令一下、書面一枚で飛び出すのが財団エージェント。そしてそれを完全に理解、納得した上で八つ当たり先をぼくに見定めたのが西塔道香という女である。
 ぶつぶつ自分の待遇について(決して自分たちのではない)愚痴をこぼし続ける間にも、アスファルトに靴の踵を突き刺すようにしてずかずかと大股で歩き続ける。
 こちらの反論は完全に聞き逃しているのは分かっているので、色々と諦めてぼくは静かにため息をついた。

「──それで、件の中国人の話、どこから始めるんですか」
「あ?」

 数時間前の会話を反芻する。部屋の主のロシア人が不在の中、中学生のような外見の上席エージェントから告げられた、雲を掴むような任務の話。

「活動範囲は東京23区内。本名不明、顔も住所もデータなし。扱ってる荷の中身も未確認。分かっているのは“ファン”という通称だけ。なんなんですかね、これ」
「密輸潰しの裏取りに政治局のエージェントを駆り出すなって話だよな」

 渡された資料は部外秘の割に中身が異様に薄かった。開示できる情報が少なすぎるんです、とは情報秘匿が専門である来栖の言だ。
 オブジェクト研究に携わる職員ならいざ知らず、諜報機関のエージェントは黒塗りで機密情報を隠した資料を渡されることはほとんどない。理由は単純で、秘匿されている情報が存在することすら機密のうちだからだ。来栖に言わせると、黒塗りで原文そのままの資料を渡されるのは『隠された部分の存在を理解してもそれ以上を追求することがない人物』だという保安担当者からの信頼の証なんだとか。ぼくら諜報部門出身のエージェントは当然ながら全く信頼されておらず、いかにも急場しのぎで作りましたと言わんばかりに簡素なテキストが箇条書きされた人確資料を手渡された。
 何もかもがはっきりしない中、ネタだけは明快──人探し。それもアノマリー密輸の重要参考人。

「さっきも言ったけどよ。実質容疑者だろ、これ」
「ですね」

 西塔の結論にぼくも頷く。こればかりはブリーフィングの段階で意見の一致をみた。
 資料の情報は少なかったが、ぼくらに開示できる情報だけでも胃もたれしそうな内容だった。物流総局と諜報部門がここ最近熱を上げているアノマリーの密輸ルート潰し(ぼくらはもちろん初耳だった)、その末端のひとつとして捜査線状に上がってきた“黄”なる中国人ブローカーは、実のところ複数のGoIが絡むパラテック密貿易の中継点の可能性が高いというわけだ。
 財団の諜報部門はもちろんそいつを追う専任部隊を編成したのだが、その成果は結実する寸前で差し止められている。いわゆる組織間の例外的な事情によって。

「調停裁判所には来栖さんが行ってるんですよね」
「どうせ無駄足だろ、横槍が入るような場所じゃない。ドジ踏んだのがどっちだか知らねえけど」
「うちじゃないことを祈りたいですね……」

 気が早い蝉がどこかで鳴く声が微かに聞こえ、そちらに向きそうになる意識を立て直す。なんてことはない仕事の会話にも気を抜くべきじゃない。
 路上での会話だ。盗聴の可能性は低いとはいえそれなりに単語選びには気を遣う。
 誰も聞いていないはずの場所で内部用語を使ったら後日録音データ付きで譴責処分された、なんて話はエージェントの間じゃ笑い話にもならない。
 屋外でのそれらしい会話も慣れているとはいえ、清掃されていることが確実なオフィスや部の備品の車内ほど気楽ではない。意識は強く持ったまま、けれど少しばかり気詰まりで、ふと目線を脇に逸らしたときに気がついた。
 見覚えのありすぎる通り。紀尾井町から徒歩でこの景色を見るとなれば行き先は、

「西塔さん、この道は──」
「蛇の道は蛇って言うだろうが」

 我が意を得たりと西塔が笑う。
 千代田区霞が関2丁目1-1。警視庁の威容が信号機の向こうに見えていた。


「ですから、情報提供の依頼は連絡事務局を通していただかないと──」
「その情報提供依頼の書類には調停裁判所の認可が必要だと言われて私はここにいるわけですが、もう一度繰り返すべきですか?」

 道策常道がその場所にやってきたのは単純な理由で、彼のオフィスから一番近い喫煙所がそこにあったからだ。日本超常組織平和友好条約機構、JAGPATOのオフィスにも分煙の嵐が吹き荒れており、さらにはその性質上増えることはあっても減ることはない彼らの業務内容による部署の増殖と地下施設の拡張性の低さから、喫煙所の総数は常に削減の憂き目を強いられていた。
 したがって、彼は自身の業務とはなんら関係のない調停裁判所の係争準備局資料室、そのオフィス脇にひっそりと設置された自動販売機付きの喫煙所まで難民のごとく地下施設をはるばる歩いてきたのだが──

「わかりました、本日はこれで失礼します。とにかく、私のIDと申請内容を第3種係争審査局まで可能な限り迅速に届けてください。いいですね? 迅速にです。よろしくお願いします」

 哀れな事務職員を半ば恫喝するように繰り返し、肩を怒らせてオフィスから出てきた人影がその声の剣幕からは想像もつかない小柄な女性だったのを見た道策は、ともあれこう声をかけざるを得なかった。

「よかったら煙草、どうだい? エージェント・来栖」
「ご一緒します」

 即答であった。

 


「つまり、こういうことか? 調停裁判所に持ち込まれ情報封鎖された案件が火急の問題になっていて、動けない本来の担当部署の代役に君たちが駆り出されているものの、案件への取っ掛かりが掴めずにいて焦っていると」
「理解が早くて助かります」
「こう言ってはなんだが、幕僚部はもう長いのでね。知っての通り今では半ば便利屋扱いされているから、聞くばかりで関わることは少ないが」
「私が言うのもどうかと思いますが、それで良いんですか……?」

 無言で紫煙をくゆらせること10分ばかり。込み入った話はここではできないからと、道策のオフィスに招待された来栖は少しばかり呆れていた。
 とある事件への対応で取った越権行為が原因で総合企画局のJAGPATO専従要員となったこの男は、およそ週に2日の割合でこのJAGPATOの地下オフィスに封ぜられることになっている。来栖の想像では彼は何だかんだと理由をつけてすぐさまこの苦境を辞し、サイト管理官職に返り咲くことになっていた。多少の問題行為はあったにせよ事件は解決し、彼はその立役者だ。そして何よりも重要なことに、彼は掛け値無しに有能な幕僚だ──しかし来栖の、そして多くの職員の予想を裏切って、道策は特に嫌がる様子もなく地上の激務と地下の閑職を並行してこなし続けていた。
 職務柄サイト-8100ではよく顔を合わせる間柄だが、この場所で話すのは初めてのことだ。その理由を作ったのは彼女の裏の上司なのだから、少しばかり奇妙に思えてくる。

「マクリーンが貴方に何を言ったのか私は知りませんし、知る必要があるとも思いません。しかし、何というか、意外です。貴方がその椅子に、文句も言わず座り続けてているのは」
「総合企画局資料収集室JAGPATO専従班長は、意外と似合いの席のように感じている」

 そうそう長居するつもりもないがね。そう言って苦笑する道策のデスクは、大量の書類で埋もれていた。
 カバー表の身分の関係上、文書管理を学んだ来栖から見れば一目で分かる。低強度ミーム防護、あるいは防護無しの黒塗り文書の山。非異常職員人事書類の崩れた谷。財団とJAGPATO、双方の書式の陳情書の反り立つ崖。GOC極東部門からの意見書は別ファイルで後方の戸棚の上段だ。
 総じて低重要度・限定機密の折衝、会談、調整業務。とても元サイト管理官の職務内容とは思えない。
 彼女の思考を知ってか知らずか、道策が机上のファイルを軽く叩くと、塵がふわりと宙に舞った。

「マクリーンの示唆してくれたことについて、少しばかり思考をまとめる時間が必要なのさ。そういう意味ではここは良い場所だ。自分がどちら側なのかを日々考えさせてくれるから」
「私の職務を一応ご存知だと思うのですが、そういった曲解可能な発言は控えて欲しいですね」
「申し訳ない。それで君たちの抱える案件だが、内容は当然機密だろう?」
「残念ながらそうなります。道策班長、貴方にお話しできれば心強かったのですが、今回の業務に総合企画局は関与していないので」

 私たちに開示されている情報の範囲では──そう言い添えるのを忘れないだけの慎重さは当然備わっていた。

 班長というある種わざとらしい呼び掛けも保険の内だ。今はJAGPATO本部における合法的対人諜報リーガルヒューミントの一翼を担う資料収集室JAGPATO専従班のいち班長に私的に話しかけており、総合企画局本流のエリート幕僚に情報提供を依頼しているわけではない──そういう形式は常に重要だ。どうせこの部屋は清掃されておらず、そこら中に耳と目がついているのだから。
 そんな計算を知ってか知らずか、道策が頷く。その眉間に少しの皺が寄った。

「調停裁判所、それも第3種審査だろう? 財団と連合の、いわゆるババの押し付け合いだ。一般社会における裁判ほどのスケールじゃないにせよ、審理には相応の時間がかかる。君たちみたいな職員に言い渡される調査の対象はおおよそ想像がつくが、それに絡むとなるとネタは内偵、あるいはマンハントの失敗か──」
「踏み込み過ぎは禁物です。それくらいで十分ですよ、それから」

 会釈しつつ訂正する。「私たちの間ではウェットワークと呼称します」

「ではウェットワークの失敗か、あるいは成功にしてもケチがついたか。しかも係争中、情報封鎖済みときたからには、現在進行形で燃え広がっている」

 当たりはつけられそうだな、と道策が呟く。語られざりし意思疎通が完了したのを見て取って、来栖は注意深く椅子から降りた。女性職員が増えてきているとはいえ、残業も多いJAGPATO専従班は男所帯である。女性にしても特に背の低い彼女にとって、何もかもが大きいこの場所でスマートに椅子を使うのは技術が必要だった。

「行くのか」
「業務がありますので。何か気がついたら連絡をお願いします。ただし、知ることができる範囲で」
「善処する、と言うべきだろうか?」
「少なくともエージェントとしては、それは歓迎できる回答です」

 よろしくお願いします。
 そう言って早足で去ってゆくエージェントの背中を、最近便利屋が板についてきた男は感慨深げに見送った。


「大屋さんはいませんよ」

 意気揚々と(おそらくは馴染みの警部補への大いなる嗜虐心とともに)警視庁公安部特事課のオフィスを襲撃した挙句、一瞬で返り討ちに遭った西塔は憤然として、新人だろう刑事相手に実入りのない聞き取りを行っている。オフィスの入口脇で無知かつ能天気な新人と苛立ちを隠さないエージェントの不毛な戦いを眺めていたぼくには、懐の携帯端末の振動に即応する余裕があった。

「はい、こちら海野」
『あ、育良です。こっちは空振りでした』
「了解。こちらは始めたばかりです。なんとも行き先不安ですが」
『あはは。お互い頑張るしかないですね』
「これからどちらに?」
『僕は室戸研です。先日の一件で研究施設を一時的に移管したそうで、いま多摩地域に行っちゃってるんですよ』
「では外事警察と特案はこちらで。それと、多摩まで出向くなら横浜港をお願いできますか」
『了解です。何かあれば報告します』

 それじゃ、と言って通話が切れた。
 育良は最近増員で政治局付きになったエージェントだ。出先の内閣官房で遠隔の業務通達を受けて、同じく情報収集に駆け回る羽目になっている。
 育良の連絡によって、内閣情報調査室と国家安全保障局がこの件に絡んでいないことはほぼ確定した。いや、もしかしたら情報の尻尾くらいは掴んでいるのかもしれないが、昨日の今日で情報を出し渋る意味がない。
 日本の政策中枢を襲った超常テロの記憶は未だ新しい。政府系の超常機関は、独立性の維持を狙った主導権争いに超常技術が絡むことでどのような惨劇が引き起こされるか自らの痛みで学習した。だからJAGPATOで係争中の案件だろうと、尻尾があるなら見せてくるだろう──なぜならこちらは財団で、彼らは係争当事者GOCではない。

「行くぞ海野、空振りだ」

 沸騰するマグマ溜まりみたいになった西塔が両足を交互に床に突き刺しながら部屋を出て行く。新人刑事はにこにこして、小さく手を振ってすらいた。短い間ながら同職にいたものとしては、彼は大成するように思える。残念ながら、それは出世と同義ではないけれど。

「特事は何も情報を持っちゃいない。外国人、麻薬、武器、宗教、大規模送金にヤクザがらみ、どれも普段通りだ」
「内情とNSS国家安全保障局も空振りだそうです」
「昨日の今日だぞ、連中が隠すわけがねえ。次行くぞ次」

 西塔も同じ結論に達したらしい。ああ暑い歩くの面倒くせえな、と言いながらも成人男性顔負けの早足で殺風景な廊下を戻る。

「東京港湾系は物流総局のお膝元で総抑えだ、何かあったら情報封鎖されてようが流石にこっちにもネタが回る。てことはシロだ、横浜税関にI5サイト群のデポがあったろ? 首都圏で東京避けて何か密輸するなら横浜だけだ」
「育良さんにお願いしました、文科省の室戸研の帰りに」
「横浜市警もエージェントいるんだから抑えさせろよ。中国人つったらまずは中華街だろ」
「そんな安直な……」

 とはいえ西塔の動物的な勘(というより今回は連想ゲームだ)はハズレが少ない。車中だろう育良のためにぼくは廊下の白い壁を背にしてメールに取り掛かる。視界の隅で西塔がノックとほとんど同時に外事課のドアをねじり開け、中で驚いて腰を浮かせた課員に幕僚部政治局のネームタグを突きつけた。

「財団から来ました、政治局の斎藤です。ちょっとお尋ねしたいことが」

 エージェントとして長いこと一緒に活動しているが、未だに敬語を使う彼女には慣れない。質問責めにされている哀れな外事警察の課員を眺めつつ、携帯端末で育良への追加オーダーを送信。政治局員向けの支給端末は一般職員よりもアクセス権限が高く設定されているらしく、メールの暗号化処理も機密保持のためか少々重い。回転するSCiPNETのスキャニングマークを見ながらこれからの行動を考えてみる。
 現在進行形で揉めている西塔の様子を考えても、警察が情報を持っている可能性は低い。紀尾井町のルートは期待薄。調停裁判所は口を割らないだろう。係争中らしいGOCは論外に近い。とすれば情報を得るルートは限られてくる。東京は広い、何も情報がない状態でたった一人の参考人を追いかけるのはいくら財団エージェントでも難しい。
 結局、最大の問題は基準となる情報がないことなのだ。
 財団諜報部門の有するリソースは非常に大きく、政治局のエージェントとなった今もぼくらのアクセス権限は生きている。捜索対象の氏名、活動場所、取引口座、表向きの所属、なんでもいい──財団の人工知能徴募員AICは優秀で、データベース化されているならばありとあらゆる場所から該当するデータを引っこ抜いてきてくれる。ただし今回は問題があった。検索窓に単語を入れさえすれば無敵のAICも、入力するべき単語が見つからなければ仕事のしようがない。

「何か取っ掛かりがあれば……」

 情報封鎖。来栖が苦り切った顔で語ったところによれば、JAGPATOの係争裁判所が何らかの理由で係争中の案件に対して発動する措置のひとつで、証拠の隠滅を防止する目的で係争事案に関する情報の保全が図られるらしい。財団とGOC、どちらも情報の扱いに長じた組織である以上、証拠を保全するためには封鎖の範囲が大きくなる。今回の件はそのいい例だ。
 係争対象者は事件に関する内容について話すことが禁じられ、関連する情報は全て隔離される。協定に基づく情報封鎖の権限は高く、来栖のクリアランスでは掘り下げても満足な結果は得られないらしい──「掘り下げる」とはなんなのか聞く気は起きなかった。

 いくつかのファイルを詰め込ませた封筒を奪い取った西塔が、引き気味の課員の制止を振り切って戻ってくる。放られた封筒はとても軽かった。

「ダメだ」
「やっぱりですか」
「このぶんだと特案も似たようなもんだぞ。どうする」
「一度戻るしかありませんよ。他の人が手分けして官庁を当たってくれてるでしょうし」
「いくらかファイルが出てきたけどよ、これどうせ連中の公刊資料諜報オシントだろ。漁るだけ時間の無駄だ」
「AICに読ませましょう。裏が取れるかも」

 面倒そうに西塔が額にかかった短髪を払う。苛立ちが収まってくると同時に、早くもこの不真面目な同僚は業務へ投入する気力を失い始めたらしい。
 吹き付ける熱風の不快感を拭うように、ぼくらは紀尾井町へ戻った。


「結論から言えば、無駄足でした」

 来栖朔夜はオフィスの彼女専用にしつらえられた椅子に深く沈み、無表情に宣言した。
 彼女のデスクに積まれた資料のファイルはすべてスキャン済みの印が捺されていて、ぼくの持たされているタブレットの中では今まさに財団のデータベースと各所から収集された情報が突き合わせられている。現状での動きは手詰まりに近かった。

「せめてその黄なにがしの罪状の詳細が分からないことにはどうにもなりません。彼あるいは彼女のプロフィールはすべて関連する部局か機動部隊が持っていたはずで、そのすべてが隔離されている」
「お前が本職じゃないのか、そういうのは」
「RAISAのエージェントは本職じゃあありませんよ。一通りの訓練は受けましたけど」

 そもそもRAISAの職務は折衝じゃないですし──彼女の呟きはどこか言い訳じみていた。

「公刊資料では大した情報は出ないでしょう。財団は間違いなく、黄を確保するだけの証拠を有していたはずです。一からそれを集めるのは不可能に近い。手がかりがなさすぎますし、消去済みの可能性もあります」
「そもそもの上からのオーダーは何だ。わたしたちに何を期待してる」
「人物の確保としか。情報封鎖されている範囲そのものも封鎖対象です。具体的に何をしてマークされた人物かなど教えられないでしょうね」
「密輸してる物品の中身の手がかりはないんですか? 価格とか取引相手とか」
「私たちに白羽の矢が立った時点である程度の想像は可能です。危険なアノマリーや戦略物資の類ではないでしょう。かといって低価値でもない。政治局のエージェント複数を動員するわけですから、それ相応の意味があります」
「政治的な価値があるということですか」
「少なくとも現時点で十分に価値ありです。財団とGOCの争いの渦中にあり、彼を確保することは判決の行方を左右します」

 有利不利はわかりませんけどね。そう言って来栖が目を遣るのは調停裁判所から届いた文書だ。
 内容は至極簡潔で、情報提供の依頼には応じられない旨の第3種係争審査局名義の回答だった。拒否の理由は『調停当事者からの申立』。

「GOCもこいつを追ってるってか? 連中とカチ合うのは洒落になってねえぞ」

 西塔が不機嫌そうに宙を睨む。その乱暴な仕草や言動とは裏腹に、彼女の目つきは猛烈に何かを考えている時のものだ。
 ぼくも考え込む。現状は手詰まりだ。こういう時、諜報に関わるものは逆説を考える。つまり理由だ。ぼくらにこの任務が下された理由。調停が行われる理由。ぼくらがこうしてオフィスに戻らざるを得なかった理由。誰も黄なる人物の情報を持っていない理由。
 ぼくらを動かさざるを得なくなった理由はなんだ。諜報部門にはいくらでもエージェントがいるのに、行政監督部を──管理総局をわざわざ捜査に噛ませたのはなぜだ。元々の情報を有していたのは? 情報封鎖を誰が行い、誰が受け入れた? 当初の捜査主体となっていたのは物流総局と諜報総局で──
 ぼくと西塔が顔を見合わせるのはほぼ同時だった。

「GOCと揉めたからには、向こうにもやり合う大義名分があるんだよな?」
「情報封鎖の範囲には、参加した部隊の足跡まで含まれてるんですよね?」
「ええ、そのはずですが」

 珍しく来栖が目を白黒させている。
 西塔が手元にバッグを引き寄せてメモ帳を掴み、ぼくはタブレットから“神州”の検索画面を呼び出した。

「つまりだ、どっかの時点で調停裁判所に財団とGOCの揉め事が持ち込まれたわけだ。そいつが火種になった。審査が開始され、どこぞのバカが情報封鎖を要請した。すると案件に関与していた部隊の情報は秘匿される」
「対象になったのはおそらく首都圏、主に東京でGoIかPoIの活動に関与していた部隊です。封鎖以降、その活動が記録に上がらなくなったはず。係争中の案件が理由なら、ことさら活動中断したこと自体は隠蔽しません」
「施設利用記録が残ってるぞ。GOCと表立って揉めてること自体がキモなんだ、やばいことをやってる部隊が関わってるならお互い内々で手打ちにする。そもそもJAGPATOに持ち込めるわけがねえ
「財団とGOC双方に争う意思がある、つまり調停審の過程で業務の内容が表沙汰になってもお互いダメージが少ない。脛に傷がない連中、そういうことですか」
「それが決め手だ。間違いなく私らのクリアランスでも見られる、名前の通った連中だ」

 来栖が口元に手を当てる。少しの間瞑目したかと思えば、先ほどの回答文書を封筒から引っ張り出した。

「私も調停裁判所については最低限の知識しかありません。それで見逃していましたが」
 口をへの字に曲げる。

「第3種係争審査局は、財団日本支部と世界オカルト連合極東部門の、いわば公的なさや当ての場です。道策班長曰く、ババの押し付け合いだと」
「あの天下り野郎が言うなら間違いなさそうだ。それで?」
「第3種係争審査はかなり広範な審査内容を含みますが、一応の分類があるんです。第3種審査の定義は、相互協定の侵害の申立」
「ほとんどの場合は喧嘩を売りつける建前だろうけどよ。今回は本当だって言いたいのか」
「おそらくそれで決まりでしょう。考えてもみてください、この案件は内部保安部門でも諜報部門でもなく政治局の、それも行政監督部に持ち込まれたんです。これは政治局マター、つまり財団とGOCの協力体制の破綻が原因の案件とみるべきです」
「かなり面倒そうだな。海野、出たか?」
「待ってください、すぐに」

 タブレットの中で”神州”がデータベースを引っ掻き回し、まだ隔離されていないデータから条件に合う部隊を探し出す。いくつもの機動部隊が候補に表示されては、検索ワードとの不整合によって除外されていく。ぼくも名前を知っている機動部隊から実際に協働したもの、聞いたこともないもの、名前が黒塗りされているものまで様々だ。

「私らのクリアランスに対して活動が機密指定されてるのは全部はじけ」
「広域機動部隊も違うでしょうね。そんな部隊に情報封鎖を適用したら司令部が機能不全になりますよ」
「機動捜査を担当する部隊に絞りますか?」
「それだと別件対応の部隊が臨時動員された可能性を見過ごします。この件に絡んでいるのは物流総局と諜報総局です、そこの職掌下にある部隊を候補に加えてください」
「対象の活動範囲からして首都圏のベースを使ってるはずだ。海沿いと空港周辺」
「特定のオブジェクトに専従している部隊も除外してください。警察内部のエージェントを動員したはずですから、絞り込みに人事局のログが必要ですね」

 視界の隅で西塔がホワイトボードを引っ張り出してきて、椅子の上に危なっかしく飛び乗った来栖が条件を挙げては書き留めていく。ぼくは必死に二人の発言を追いかけ、検索条件を動かすだけだ。最初はぼくと西塔の思いつきだったはずだが、流石に上席エージェントだけあって、この場の雰囲気はすっかり来栖の独壇場だった。あの西塔が文句も揶揄の一つもなく、来栖の言に従って机の資料を漁っているのだから相当だ。

「これでどうですか」

 短い時間で条件を捻り出したためか、僅かに上気した顔の来栖が聞く。
 部屋の隅にあるプリンターが唸りを上げ、機動部隊のロゴマークが印字された書類を出力した。

「全部で32部隊あります」
「上出来だろ。この中に答えがある」

 リストを鷲掴みにした西塔が笑いながらそれを乱暴に振る。
 来栖とぼくは顔を見合わせた。

「あ? なんだよお前ら、あとはこいつを片っ端から読んで怪しいのを当たればいいんだろうが」
「いや、それはそうなんですけど、西塔さん」

 ぼくが言い淀んでいる間に来栖は速やかに行動に移った。ハンカチで汗を拭き、速やかに机の上にスペースを開け、飲み物を脇に退避させ、椅子にクッションを追加している。
 あまつさえ机からチョコレートの袋詰めを取り出すに至り、上席エージェントが困難を察知して素早く長期戦の構えをとるのに感心しつつ、ぼくは西塔に無慈悲な宣告を行うことにした。

「…………そのリスト、最初の1部隊ぶんですよ」
「な、」

 プリンターが悲鳴にも似た唸り声と共に、SCiPNETの閲覧制限を潜り抜けた機動部隊の活動報告を大量に放出し始める。
 告知義務は果たした。唖然とする西塔を尻目にぼくも自分の机を整理する。
 ここからは長丁場だ。正直に言って単調な書類仕事は苦手なのだが、行政監督部の本来の職務はこうなのである。

「西塔さん、早くしてください。とりあえずそのリストは貴女の担当です。あらゆる面から確認して、情報封鎖の痕跡を洗い出してもらいます。行政監督業務ですよ、私たちの仕事です」

 中学生にしか見えない上司の冷徹な声が、戦いの始まりを告げる。
 項垂れる西塔の頭上で、時計の針が5時を回ろうとしていた。


 その部屋が薄暗く感じられるのは、何も陽光の加減だけの問題ではないだろう。
 沈黙する部屋の主の気配を椅子の背越しに感じつつ、イヴァノフは何度目かの溜め息を押し殺した。

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