蒐集院についての一考察

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蒐集院についての一考察



概要

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蒐集院神紋: 蒐集院の神紋。特定の神を奉じることのない蒐集院では、普遍的かつ効果的なモチーフを組み合わせた神紋が時代ごとに作成されてきた。

蒐集院(Shūshū-In)は、過去に日本国内を主な活動領域としていた正常性維持機関です。彼らの目的は、勢力圏内における異常物品を収集・保管し、その機能を停止あるいは制限することにありました。不明な時点から1940年代までの長期間に渡って、蒐集院及びその前身組織は日本国内における最大規模のアノマリー収集機関であり続けました。日本国の歴史上類を見ない長期間において存続したと考えられているこの組織は、構成員の比較的多数を弱体な妖術師・呪術師・神官・巫女等と俗称される、いわゆる妖術者1が占めていました。また、少数の現実改変者2や再生者3、変身者4が所属していたようです。

蒐集院は異常な物品を収集、管理すると同時に、それらに対する独自の研儀5も行っていました。現在の主流科学が発展する以前の研儀活動は、神話伝承の一種としての解釈や反復実験、呪術や霊的存在との対話等による奇跡論的なアプローチが主であったようです。特に神格存在6およびそれに関係する事象や遺物・祭具に対しては盛んな収集と研儀が行われ、それらを専門とする一族も存在していました。蒐集院が複数の神格存在の観測記録を保有し、またその一部においては交戦、依代の殲滅、顕現の阻止といった行動を取っていたことは特筆するべきです。

多くの正常性維持機関と同様に蒐集院は一般社会から姿を隠し、アノマリーの存在もまた隠蔽しようとしていました。しかしながら、特に前近代までの蒐集院において隠蔽は主要な目的とは見做されていなかったようです。蒐集院におけるアノマリーの存在隠蔽は、あくまで時の政権を始めとする様々な集団あるいは個人によって収集活動が妨害されないための手段でした。組織の存在を隠匿していたのもまた、同様の理由によるものだったようです──日本国内の複数の公的な歴史資料において蒐集院に関する言及が見られたことがその証左であり、財団日本支部はその全てを検閲しました。

歴史上、蒐集院以外の正常性維持機関あるいは要注意団体に相当する組織が日本国内に出現する機会は複数回ありました。しかし、その多くは早期に消滅するか、蒐集院に吸収されることとなりました。記録に残る日本国内の要注意団体の多くは小規模なものです──例外的に、明治後期から昭和中期にかけての近代日本では複数の大規模な要注意団体が出現しましたが、これには後述する日本国政府の介入が存在したことを特筆するべきです。18~19世紀における蒐集院は中央政権との接近を一貫して忌避し、その傾向は日本国内における官製の小規模要注意団体の乱立を招いたことに注意してください。

日本列島の地政学的な事情や蒐集院の起源に端を発する内向的な活動方針、日本国における外征政権の失敗等の要因により、長らく蒐集院の勢力圏は日本列島に限定されてきました。1853年のマシュー・ペリー来航が齎した一連の開国政策と1867年に開始された明治維新は、蒐集院の方針転換の一助となりました──しかしながら、その後も蒐集院の外地への展開は様々な要因から阻まれました。最終的に、1945年の大日本帝国の敗戦に伴う財団の極東地域進出により、蒐集院は完全に解体され、財団に吸収されました。

現在、蒐集院は超常社会において公的には存在しない組織です。解体・吸収された蒐集院の構成員の多くは財団日本支部の設立に際し、職員として加入することを選択しました。少数の元構成員が解体を拒否し、一定数のアノマリーと共に逃亡しました。彼らの追跡とアノマリーの回収は、戦後70年が経過した現在でも継続されています。蒐集院残党の想定規模は年々縮小していますが、複数の有力な要注意団体は今なお無視できない勢力です。

目的

蒐集院は正常性維持機関に分類されていますが、その性質と行動は、正常性の維持を目的としたものとは言い難い側面が散見されます。近年の研究は、蒐集院の正常性維持機関としての在り方は副次的なものであり、意図した振る舞いではないと結論付けてきました。

蒐集院の大目的は鎮護であると説明されており、実際に蒐集院は異常存在への攻撃や異常物品の回収・封印に努めてきました。一方でその対処方針は一律でなく、また妖術者や現実改変者自体を攻撃対象とすることはありませんでした。総じて、蒐集院の目的は勢力圏内の超常的平穏にあり、正常性が維持されずとも一定の秩序が保たれていれば問題ないと判断する傾向がありました──後述する成立経緯により、蒐集院は中央政権から距離を取ろうとしたため、その行動はしばしば他の組織との衝突を許容し、異常物品回収のために正常性を敢えて放棄する結果をも招きました。

蒐集院の正常性維持は、勢力圏内における異常物品の収集・管理を蒐集院が独占することと表裏一体の価値観でした。そのため、近代における大日本帝国政府からの度重なる干渉に伴う異常物品の供出は直ちに蒐集院の存在意義を破壊し、大規模な人員及び資産の流出に繋がりました。しかしながら、結果的に長期間にわたって日本列島の正常性維持に蒐集院が貢献してきた事実は変わらず評価されています。

組織構造

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蒐集院組織図: 安土桃山時代中期以降の蒐集院の組織図。これは簡略化されたものであり、実際には地域ごとの別院7や七哲直下の秘匿部門、多くの内部部門が存在した。

蒐集院の組織構造は時代ごとに変化しており、また中世から近代に至るまでを除く多くの期間で資料が散逸しています。

七哲8は安土桃山時代以降の蒐集院において指導的な地位を占めた役職であり、複数の同階位の役職者による合議制が取られていました。初代の七哲は、蒐集院幹部であった千利休の高弟として知られる利休十哲と深い関係がありました──利休十哲のうち利休と特に親しかった芝山宗綱、古田重然に関しては、実際に初代七哲の一員であったとする説が主流です。多くの時代において蒐集院には総裁職が置かれましたが、実際にはその顧問官である七哲が実権を握っていました。総裁職は名誉職あるいは傀儡であり、同時に蒐集院全体に対する呪的攻撃の標的として機能する防衛機構──いわゆる依巫9だったのでしょう。

江戸時代以降の蒐集院では、江戸幕府の成立に伴って出現した新たな人口密集地に対する監視や政権との対話確立のため、一定の拠点を関東地域に設置する必要性が生じました。それまで京都に置かれていた本院が江戸に移され、京都には新たに内院が置かれました。七哲を始めとする意思決定機関が京都に残ったことから、蒐集院内部での権力基盤は依然として内院にあり、本院の移設は江戸幕府に対する表面的な恭順を示すパフォーマンスに過ぎなかったと考えられています。以後、中枢機関としての内院・政権との仲立ちや東国の管理を担う本院の二重体制は蒐集院の解体まで存続しました。20世紀後半の蒐集院における離反者の多くが本院所属であったことが示すように、関東の本院における内院のプレゼンスは完全なものではなかったようです。

内院あるいは本院の下に置かれた大まかな部局が蒐集職・奉斎10職・研儀職・秘衛府です。蒐集職・奉斎職・研儀職はそれぞれ異常物品の回収・封印管理・研究解明に携わっていました。秘衛府は蒐集院の実力部隊として活動しました──所属者は衛士11と呼ばれ、武装して非戦闘員の警護や異常存在との交戦、各種諜報活動を行いました。奉斎職・研儀職が秘匿部門としての色合いが強く、世襲的な傾向も見られた一方、蒐集職や秘衛府においては外来の人材を取り入れることも珍しくなかったようです。特に室町後期から戦国時代にかけてと明治時代以降、両部局では傭人や按察司と呼ばれる人材を活用していました。傭人は蒐集職、按察司は秘衛府に雇用され、国内を巡回しての情報収集や表立った身分での活動の影でスパイ行為を行っていました。これらの有名な人材としては、明治時代から昭和初期に関東以北での傭人活動を統括した柳田國男、戦国時代に徳川家康の参謀を務める裏で按察司として蒐集院に通じていた以心崇伝らが挙げられます。

時代ごとにその形態を変化させることで、蒐集院はおよそ1500年に渡ってその権勢を保ちました。一方、近代の急速な社会環境の変化と国際情勢の激動は蒐集院を疲弊させ、構造的瓦解を生みました。財団の極東管区進出が成されていなくとも、蒐集院は戦後の日本国内情勢に適応できず数年内に崩壊したとする説が現在の主流です。

歴史-蒐集院の起源

蒐集院の起源に関する情報ははっきりしておらず、正確な成立年代を特定することは困難です。しかしながら、初期の蒐集院/蒐集寮の設立において、外部超常勢力の存在が大きな役割を果たしたことは確実視されています。

紀元3世紀頃のユーラシア中央部の寒冷化により、3~4世紀は大陸全体で民族の南進が起きていました。複数の民間伝承や中国の各王朝における資料は、この時期にプロト・サーキシズムに代表される複数の中小規模超常コミュニティが、ユーラシア大陸中央から朝鮮半島、インドシナ半島に南下したことを示唆しています。当時、崩壊したサーキック文明の末裔はユーラシア大陸各地に分布していました──同様に、ユーラシア西部から中央部にかけて、断片的なメカニト帝国の末裔がシルクロードを通じて中国各地に流入しました。両者の衝突と寒冷化による食糧難は、大陸からの超常集団を含む民族流出を招き、そのうちの少なくない数が日本列島に到着したと考えられています。

266年から413年にかけての日本に関する書誌・遺跡情報の欠落、いわゆる「空白の四世紀」には財団による情報統制も含まれていますが、殆どの資料の喪失は財団成立以前のものです。これらには複数回の超常勢力の渡来が関係していた可能性があります。おそらく最大の渡来勢力はサーキック・カルトでした。異常な伝染病流行の痕跡が複数の古墳から発見されています──当時のヤマト王権はサーキック・カルトを始めとする超常集団に対して限定的な対抗策しか有しませんでした。蒐集院の起源は、これらの外敵に対抗するために国内の呪術勢力を纏め上げたことにあると考えられています。

財団が保有する最古の信頼できる記録は、蒐集院または蒐集寮12が6世紀に当時の蘇我・物部両氏に臣従する呪術に携わる部曲から編成された可能性を示唆しています。当時、ヤマト王権側で国内の祭具や宗教関連物品を収蔵する斎蔵(Imikura)を管理していたのが忌部(Inbe)氏でした。忌部氏の出自は不明ですが、複数の妖術者を抱え、畿内地域の呪的平定に関与していたようです。国内の超常勢力への対処において、忌部氏は既存の呪的基盤を、蘇我氏は伝来したばかりの仏教を重視していました。最終的に両者は同盟を結び、当時権勢を誇った物部氏に対抗し、古式神道と仏教によって国内の安定に寄与することでヤマト王権内での地位を確立しました。

しかし、7~9世紀の政治局面において蘇我-忌部同盟は衰退し、代わって物部-中臣(藤原)の勢力が伸長しました。中国大陸の情勢が安定し渡来勢力が減少したこと、仏教勢力の拡大に伴って両者の権力基盤の協調に綻びが生じたことがその主要な要因だったでしょう。9世紀中盤までに蘇我-忌部同盟は歴史の表舞台から消え、おそらく同時期に蒐集院または蒐集寮の体制が確立しました。蒐集院から財団に引き渡された目録の内容から、忌部氏と蘇我氏の末裔が蒐集院に合流したこと、彼らの管理していた異常物品や斎蔵の祭具が蒐集院に引き継がれたことが判明しています。

複数の散逸した資料から、蒐集院は少なくとも10世紀末までに日本国内における最大規模の正常性維持機関としての地位を確立し、異物13の回収と保管を行っていたと考えられています。以後、蒐集院は朝廷との繋がりを保ちつつ、国内の政変に際しては中立を維持し、異常存在の供出や製作を拒み続けました。この一貫した方針の裏には、蒐集院の起源と蘇我-忌部同盟の衰退経緯に起因する、中央政権への強い不信があったようです。

歴史-平安中期から末期

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晴明桔梗: 安倍晴明が好んで用いた紋章、いわゆる晴明紋の一種。安倍一門絶頂期において陰陽寮の象徴として用いられ、以後の陰陽師のイメージを決定付けた。呪術的にも重要な意味を持つ。

7世紀中ごろに天武天皇によって設置された陰陽寮14は、律令制下における先進技術者集団でした。蒐集寮と陰陽寮は当初、畿内一円の地脈を共同あるいは重複管理しており、前述の蘇我-忌部同盟の衰退に伴ってそれらの管理は陰陽寮に移りました。この時代の日本列島、特に京都周辺は霊的に不安定で、怪異や異常物品、化生の出現が多かった旨の記録が残っています。蒐集寮にはこれらに対処する人員が不足しており、陰陽寮の台頭を招きました。

平安後期に急速に宗教化・官職の流動化が進んだ陰陽寮は、蒐集寮の権益を収奪する政敵としての側面を強くしていきました。両者関係の最大のターニングポイントは、日本史上最高峰の妖術者として知られる安倍晴明の出現です。安倍晴明は蘆屋道満討伐を始めとする功績で名声を博し、死後その縁者である安倍家・賀茂家率いる陰陽寮が畿内一円の地脈を支配したことで蒐集寮は政治的窮地に立たされました。安倍晴明死後も大規模な異常事件において両者の協力は続いた一方、律令制の緩みもあり、民間陰陽師や破戒僧の出現、貴族による政敵への呪詛等が横行し正常性は維持されませんでした。また、五行結社の結成はこの時期であるとされていますが、詳細は不明です。

平安末期の国内情勢は非常に不安定でした──超常世界では、12世紀中盤の鳥羽上皇の治世に玉藻前15が出現し、京都一帯から那須野における一連の討伐によって蒐集寮・陰陽寮の戦力は大きく減じました。世相も不安定であり、勢力圏の安定のために蒐集寮は殆ど身動きが取れない状況にあったと思われます。また、政治的には中臣氏の血縁である藤原氏が摂関政治を行い、かつて政敵だった蘇我・忌部の系譜を継ぐ蒐集院は冷遇されていました。京都、特に朝廷の守護は薄く、晴明院16が三種の神器を始めとした宝物の守護に就いていました。

1150年代からの相次ぐ政情不安は蒐集寮を更なる窮地に追いやりました。保元・平治の乱によって平氏に代表される武士支配が強まり、蒐集寮・陰陽寮を含む朝廷側勢力は大打撃を受け、さらに崇徳院の怨霊17に対して為す術がなかった正常性維持機関に疑念の目が向けられました。

最終的に、治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)の一連の推移によって、ほぼ全ての超常勢力は京都における超常的実権を喪失しました。京都の霊的安定の核であった三種の神器が平氏方によって持ち去られたこと、京都一円が戦乱の舞台となったことで国内の正常性維持は不可能となり、その対処に完全に忙殺されたことで、超常勢力は一連の内乱へ関与することが不可能な状況にありました。最終的に壇ノ浦の戦闘後、草薙剣を除く神器が蒐集寮・陰陽寮・晴明院の合同で回収されたことで辛うじて各組織は面目を保ちましたが、もはや戦後の権力基盤を確立する源氏に取り入ることはできませんでした。

平安末期の動乱において主体的な役割を果たすことのなかった蒐集寮は、史上初の全国を巻き込んだ内乱の勃発を経て、これまでの京都至上主義的な思想から国内全体の霊的安定を重視する思想への転換を図ります。鎌倉幕府が開かれ、東国と西国の往来が活発になるのに乗じて全国に蒐集職を派遣するようになり、また東国武士等の外部人材を積極的に取り込むようになりました。しかし、低下した地位の回復には戦国時代中期までを要しました。

歴史-鎌倉から室町

歴史-安土桃山から江戸

歴史-近代

歴史-近代:翼賛体制と蒐集院

歴史-戦後

解体後の蒐集院

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