ある少女の死

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わたしはゆきが好き。

くらいそらからしずかにふってくる、白くてふわふわしたつめたいゆき。
さわると手のなかでなくなってしまう、小さくてかたちのないゆき。

ゆきがほしいといったらパパはわらって、わたしをなでる。
ママはすなばでがまんしなさいって。目に入らないようにしなさいねって。
ゆきがほしいけど、しかたない。その日はないたけど、つぎの日はなかなかった。

がまんしていたら、パパがゆきをくれた。
スノーグロ、ブ? まだ名まえをおぼえられない。
引っくりかえすとゆきがふる。つめたくない、きれいなゆき。
まい日ずっとながめてる。

パパもママもいそがしそうにしてる。
ようちえんにもいけなくなった。
みったんとゆう子先生にあいたいし、おなかがすいた。
ゆきをたべたら、おなかがすかないかな?

おなかがすいた。

パパとママにあいたい。

わたしはゆきが好き。


早朝の身を切るような寒さは、陽光によって和らぐことはない。
息を吐き出せば白く凍える初冬。重く分厚いコートの下に溜め込まれた3時間分の暖気は、ワゴン車から降りて数分後には霧散していた。
人気のない住宅街。閑静な、という表現が似合うはずの奥まった通りは、どこか浮ついた喧騒に満ちている。

「それで、もう一度言ってくれ。何をしたって?」
「はい、霧島さん。爆撃です」
「…………よくあることか?」
「いいえ、滅多には」

底知れない笑みとともに吐き出された言葉は、白色に染まって眩い陽射しに溶けた。


住宅街の中心部だった。
駅前のロータリーから徒歩20分。小中学校は近いが高校は少々遠い。寂れかけの商店街と郊外の大型スーパーの中間点で、入り組んだ路地に小さな建売住宅とアパート、それに昭和の名残のような旧い住宅が混在する。アパート住まいなら駐車場は持てず、生活には自転車が必要だ。
まさに今、眼前には崩壊したアパートの残骸が燻り、霧島の足元にはフレームが歪んだ自転車がある。
安っぽい薄青色の、俗にママチャリと言われるようなそれは後輪が吹き飛んで、焼け焦げの痕跡が痛々しい。

痛々しい?

「馬鹿な」

一言呟いて、そして彼はすべてを飲み込んだ。
怒りも、悲しみも、同情も、そしてそれらすべてを総合してなお余りある絶大な無力感も、すべてを臓腑の底に沈めた。
それができるだけの知識があり、だからこそ彼はここにいた。

「大丈夫ですか?」

蛇のように隣に纏わりついてくるこの男は、たぶん分かっているのだろう。
こちらの思考を読んで、その間隙を突くことなど簡単で、その上でこうして気遣ってくる。
何もかもが腹立たしい。

「問題ない。ここに何人いた?」
「14名です。うち、所在を確認できているのは8名」
「残りはホトケか?」
「少なくとも1名はそうでしょう。彼女が果たして仏道の教義に相応の存在だったかは分かりませんが」
「一般市民を巻き込んだのか。どうする気だ」
「事前の避難誘導は済ませ、アパートには標的とその家族しか居ませんでした。ベースは問題ないと言っていますが」
特事課おれたちがそう言うと思うか?」
「滅相もない」

だからこうして調べています──と、世界オカルト連合GOCの工作員、"孟宗竹Moso Bamboo"は片手を振る。
警察官、マスコミ、清掃業者、近隣住民。多種多様な人間が現場に蠢き、思い思いの仕事をしている。
そのすべてが連合の偽装要員カバーだ。この場に本物は霧島だけ。
馬鹿げている。馬鹿にしている。どこまで俺たちを虚仮にする?
そんな思いを代弁するように、彼の足元のフレームが砕けた。

ざらざらと崩れ落ちる自転車は、冗談のようにその外形を剥がしていく。
まるで逆向きにしたコマ回しのように、大人用のはずの自転車が、手のひらに握り込める程度の白い砂粒へと姿を変じた。
目を剥く霧島を眺めながら、おやおや、と"孟宗竹"が笑う。

「これは創りものでしたか。いやはや良くできている。生身で見抜くのは難しい」
「…………これが、理由か?」
「無論です。我々とて仕事でやっているわけですからね」

しゃがみ込み、ポケットから証拠品袋を取り出す。砂を袋の口で掬い上げると、微かに砂は揺らめいた。
何もかもがおかしい。

「部屋を見たい」
「構いませんとも」

口先の関係とは裏腹に、"孟宗竹"の歩みに従う他には霧島の選択肢はなかった。


焼け焦げた三輪車があった。
溶け落ちた箒と塵取りがあった。
半ばから折れた物干し竿があった。
破裂して張り付いたゴムボールがあった。

すべてが白い砂粒になった。

「現実改変者について、どの程度御存知でしたっけ?」
「お前たちや財団が、俺たちに知ってほしい程度なら」
「ああ、難しい謎掛けですね。人によって答えが変わってしまう」
「因果関係を変える。ものを別物に組み替える。なにかを起きなかったことにする。そういう連中だとは理解してる」
「ならば話は簡単です」

ひしゃげた階段に脚立を縛り付け、ロープで手すりを張った通路を"孟宗竹"は危なげに歩く。
おっとり刀でついていく霧島は、視界の端で砂に変わってゆく物たちを記憶に焼き付けていく。
特事課はまだ信頼されていない。デジタル記録が可能な機材は持ち込めない。それでも記録は不可能ではない。公安警察はそのための訓練を積んでいる。

の字型をしたアパートの折れ曲がる中心から南側にかけて、4部屋が完全に消滅していた。2階部分の403号室は、半ば崩壊して空が見えている。

爆発で内側から吹き飛んだドアが、もとあった廊下の手すりを巻き込んで向かいの一軒家に突き刺さっていた。遠目に見えるドアに貼られたカラフルなシールが白く溶けていくのを、"孟宗竹"が頷きながら見ていた。

「ここに現実改変者が居ました。ちょうど昨夜、午前2時過ぎまではね」
「両親と3人で暮らしていた。そうだな?」
「ええ、そうです。貧しくも慎ましやかで幸福な。しかしながら」

ため息とともに男たちが入室する。破壊され尽くした室内で、言葉を切った"孟宗竹"が「あれです」と部屋の一角を指した。

赤い、陽光を受けてぴかぴかに輝く、新品と思しきそれが、六畳間の隅のテーブルの上に鎮座している。
両手に規則通り白手袋を嵌めて、霧島は銀に光る留め金に触れた。
呆気なくランドセルは砕け散った。白い砂が煤まみれの畳に飛び散り、仄かに濡れたような匂いが漂った。

「全ては偽物だったのですよ。彼女の創作物というわけです」
「ランドセル、三輪車、ゴムボール。造ったのか、彼女の力で?」
「彼女だけでは無理だったでしょうね。現実改変もまた法則です。彼女だけでは力が足りませんから」

イマジネーションの問題ですよ。

小型カメラで現場を写真に収めながら"孟宗竹"が言った。舌打ちしつつも、霧島は室内を見渡してメモを取ることにした。
結局のところ、捜査なのだ。どれほど異常で、どれほど無力で、どれほど逸脱していても。日本政府は国内捜査権を手放さないと連合に啖呵を切ったのは誰か霧島は知らなかった。
問題はそんなことではなかった。
メモを取る。新人の頃のように。間取りの図を書き、目にしたものをすべて箇条書きして、矢印で間取りの中に付け替える。
あらゆる場所の生活の痕を、脳に刻みつけていく。

「ここにいた少女が既知脅威存在KTEだと知ったとき、連合は迅速に動きました。捜査し、観測し、特定した。彼女を狩るために準備しました。調査は全てに優先する。それで評価班が割り当てられました」
「偵察部隊だろ」

視界の右端で壁の絵が崩れた。幼稚園かどこかで描かれたと思しき、青色の服を着た少年少女たちが楽しげに笑っている絵だった。

「私たちの用語があるのです──とにかく、彼らは任務を果たした。彼女を最も簡単に粛清する方法が算出されました。彼女は自身の脅威となるものを大まかに理解していましたが、空はその対象外だった」
「夜中に住宅街を堂々と爆撃して、ひとりの少女とその家族を爆殺した」

視界の左脇でフライパンが砕けた。音もなく砂を吹き出して、ラックに干されていた調理器具が順繰りに、その形を失って台所の床に舞った。

「違います、霧島さん。KTEを粛清しました。人類全体への脅威と、それに影響された存在を」
「罪状は明らかでなく認否もない、日本国民3人。うちひとりは小学生にもなってなかった」

眼前で3つの枕が並び、焦げた縫い目から砂が流れ落ちる。輪郭が崩れ、床に溶けた。赤青黄色の三色が、白一色に漂白されていく。

「非常に危険な現実改変者です。砂を操り、物性を自在に書き換える」
「どれほど危険なんだ、年端も行かない子供をこんな──」

限界だった。爆弾に焼かれ、引き裂かれながらも残っていた家族の痕跡が、暖かな絆の証拠が音もなく消えていくのを、霧島は震えながら見つめていた。

「ええ、年端も行かない子供ですとも。推定5歳11ヶ月です。しかし」
「何だ!」
「ひとつ間違っていますので、訂正を。1名です。彼女しかいなかった」
「…………何?」

それが決め手でした、と連合のエージェントは呟く。

「その報告を最後に、我々は755評価班を失いました。評価対象に見つかってはならないのは自明のことです。彼らは油断しすぎました。スノーグローブが最初の触媒だと気付いた時点で、もっと警戒すべきだったんです」

少しだけ残念そうに"孟宗竹"は頭を掻いた。

「証拠採取が終わったら出ましょう。現場検証のために床に補強を入れていますが、万が一崩れたら大変ですからね。お互い、五体満足で捜査を終えたいでしょう? 手早く済ませたほうが良い」

言葉を失って、霧島は動けない。
壁の大穴から吹き込む風に煽られて、一陣の白い波濤が床に立った。


「KTE-6488-Green-Snow Grobe。それが少女の名前でした。本当の名前はわかりませんし、それを調べるのはおそらくあなたたちのほうが得意でしょうね」
「無論だ、すべて突き止める。情報は必ず共有する。だが、それはそちらも同じだ」
「私の裁量の範囲で、全てを。──つまるところ、連合は初動で躓きました。ともすると戦闘要員よりよほど貴重な評価班員2名が失われた。1ヶ月前のことですね」

僅かに熱を持ったワゴン車のボンネットに体重を預ける。
連合の敏腕エージェントと特事課の刑事が見つめる中、迷彩服姿の一団が不発弾処理を装いつつ、遥か上空から叩き込まれた弾頭の破片を回収していた。

「彼女の能力は何だったんだ。爆撃を決意させるほどのものなのか」
「他愛ない砂遊びですよ。スノーグローブ、ガラス玉の中に水と紙を入れて雪のふりをさせるおもちゃです。あれを触媒にして、現実を固着させる。彼女は砂を使っていました。白砂で望むものを作れた。何でもね」
「身の回りのものも、すべて砂で作っていたのか。日々の生活に足りないものを娘が補ってた」
「タイプグリーンにしては珍しい、完全改変ではなく改変状態を上書きし続けるタイプでした。死ぬかより強い改変をぶつけるか、現実性を元に戻せば被造物はいずれ砂に還ります。755のふたりはベースで検査を受けている最中に600グラムの砂になりました。ものを砂に変えることもできるのは想定されていなかった」

腕を組み、エージェントがより強く体重をかける。車の外装がみしりと軋んだ。

「彼女が死んだら…………ホトケになったら元に戻るんじゃないのか」
「ええ、戻ったと聞いています。しかし砂になっている間の精神までは戻せませんでした。砂粒も全ては回収できていないし、そもそも粒の配置がめちゃくちゃですからね。装備品と一緒に遭遇記録も消え、我々は立ち往生した」
「…………それで、空から」
「認識の外から、基本です。彼女の捕捉距離は不明でしたから。"不発弾事故"で不幸にも身寄りのない一家3人が死亡し、他の怪我人はなし。砂で両親を組み直してしまった子供のことなんて誰も知りません」
「そこまでやれたんなら、俺たちに何を求めてる? 隠蔽も何も、全部自分たちでやればいい」
「そうできたら苦労はしませんがね」

苦笑いしつつ"孟宗竹"が手招きすると、報道車両に偽装された通信車から出てきたプレスジャケット姿の男が書類の束を彼に渡す。
エージェントは中身をちらりと見るなり、丸ごと霧島に抱えさせた。

「彼女の人間関係の洗い出し、行動範囲の特定、これまで影響された可能性のある個人の特定。具体的な対処はうちの排撃班がやりますから、下調べをお願いしたいんですよ。こっちのやり方を学ぶいい機会でしょう」
「結局下働きか」
「仕方のないことだと思いますがね。それに──」

薄く笑って、エージェントが言う。

「我々には、タイプグリーンの死を悼むという発想はありません。しかしあなた方は、違うのでしょう?」
「──────」
「ご足労いただき感謝しますよ。何かあればベース22までどうぞ」


ひらひらと手を振りながらこちらに背を向けて去っていく工作員は、歴戦の風格を漂わせている。
おそらくそれは正しい感覚なのだろう。この街でまず2人が死に、連合は3人──1人を殺した。
正しいのかどうかはわからない。こびりついた違和感が消えない。消えゆく痕跡がフラッシュバックする。理不尽に奪われた生活が心臓を圧迫する。殺人の片棒を担いだ男と冷静に会話する自分への、離脱的な違和感が脳を削る。

どちらにせよ、調査の前にやるべきことがあった。

向き直り、姿勢を正す。半ばブルーシートに覆われたアパートは、傾きながらもそこにある。
手を合わせ、深く礼をする。半ば儀式的な普段のそれではなく、死者の冥福を祈るために。

彼女は一体、なにを想っていたのだろう。
六畳一間に毛が生えた程度の小さなアパートで、望めば何もかも創り出せたはずの少女は、何ヶ月も静かに暮らしていた。
右手に抱える紙束は、彼女のこれまでの軌跡を霧島に教えるだろう。しかしそれはただの記録であり、小学校に通うことすらできなかった彼女の心はもはやどこにもない。
彼女の安息の地は焼けた。彼女の未来は露と消えた。彼女の記憶は消去され、彼女の記録は抹消されるだろう。世界を壊すかもしれなかったから、彼女は先んじて世界に壊された。
何もかもが、本当に、馬鹿げていた。

祈り、祈り続けて、ふと目を開けた。
何者かに導かれるように、視線が1箇所に吸い寄せられる。

アパートの脇の電柱。その根本の、枯れかけた草むらに。
朝日を浴びて輝くガラスは──割れて砕けたスノーグローブ。

「…………これは、」

絶句して、それからもう一度、より強く手を合わせて、祈った。
名も知らぬ少女への手向けとして、花すら持たぬひとりの刑事には、それが精一杯だった。
数十秒間、彼はそうしていた。たった一人で。

そして彼もまた歩き出す。胸の奥に懊悩を抱えて。
白手袋の手のひらに、もう降ることはないスノーグローブの残骸を丁寧に押し戴いて。
喧騒は遠く、彼の心中は陽光にも溶けぬ寒気に満ちている。

「…………あ、雪」

ある初冬の朝。それは一人の少女とその家族が死に、その名前が記録されなかった日。

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わたしはゆきが大好き。


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