二重の故郷 序章
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時計の針は10時を少し過ぎていた。

その時計がほんとうの意味で"正しい"時を刻んでいるものか、種山定雄は理解していなかった。彼にとってはそれで十分だった。海上自衛隊の2等海佐であった彼は、同時に、そしてそれ以前に財団の偽装エージェントであり、その職務を全うして生きてきた。世界最大の秘密組織の尖兵として、彼は国家の防衛資産たる護衛艦に偽装された汎用確保艦を預かり、そして十全に運用してきた。知るべきことを知り、そうでないことは知らなかった。責務のために生きてきた。

彼はそうして、妻とふたりの息子、老いた父親を喪った。おそらくは不可抗力的に、永遠に、不可逆に。

種山にとってはなんの慰めにもならなかったが、何も知らない彼の部下たちもまた、同じ境遇に置かれていた。2020年5月19日。艦のセンサーがいっせいに警告を発し、カント計数機は見たこともない数値を示していた。すべてのデータリンクが切断され、水平線に遠く映る陸地が瞬く間に姿を消していったあの日を種山は鮮明に覚えている。彼と178名の部下たちは、否、生き残ってしまったすべての人間は、容易には受け入れがたい事実に直面していた。

彼らの故郷は水底に沈んだ。家族、友人、恋人、守るべきであった人々もそうでない人々も、永久に失われたのだ。

それでもなお責務が続いていることが、種山には奇妙なことに思えてならなかった。財団の指揮系統は異様なほど弾力的に存続し、確保艦は通信を寸断されながら、帰り着く基地さえ決まらないままにかつての任務を続けていた。いくらかの民間人と財団職員を救助したことで、種山は表彰さえ受けた──表彰式への出席こそ辞退したものの、帰投した折には表彰状と財団勲章が君を待っていると、聞いたこともない名前の臨時艦隊司令は勇ましげに話した。部下のために新鮮な食糧が必要だと種山は告げ、司令は苦み走った顔で要求を認めた。

それが1ヶ月前のことだ。種山はかつてと同じように任務を示し、部下たちもまたそれに応えた。抗命も反乱もなかった。すべてを失って100日が経とうというのに、誰も泣き言を言わなかった。夜毎誰かが甲板に立ち、静かな嗚咽と苦鳴が潮風の中に消えていったが、誰もがそれを見ぬふりをして、日が昇ればいつものように明るく粗野に振る舞った。

結局、誰も現実を直視していなかったのだと種山は思う。家族を失い、命からがら逃げ延びてきた人々を幾人も収容し、泣き濡れる彼らを他の船に向けて送り出しながら、全員が目を背けていた。自分たちが本当の意味で何をしていたのか──何をしていなかったのか、誰も事実に向き合おうとしなかったのだ。

種山にはそれがわかっていた。何もできないままにまたも命が消えていくのを見つめている今、彼はすべてを悟っていた。

漆黒の海上、闇夜を切り裂いて飛んでいくのは、アスロック1のロケットモーターの光だ。

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