新年の蛇
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新年だった。地上では人々が神社仏閣に繰り出して新たな門出を寿ぎ、あるいは自宅で身体を丸めて年始休暇を満喫し、または怨嗟の声を漏らしながら各々の生業を重ねていた──そして中国地方の穴蔵は、普段と何も変わっていなかった。

「それで?」アオが訊いた。トレードマークである深緑のモッズコートのポケットに手を突っ込み、吐息をわずかに白く曇らせながら、彼女は口をへの字に曲げていた。「いったいぜんたい、これは何なんだ?」

「何ってそりゃあ、売り物ですよ」ケーが答えた。隣のカラオケショップから防音壁を突き抜けて響く強烈なメタルサウンドが薄暗い路地裏に充満していたので、彼の甲高い声はかなり聞き取りにくかった。

「こいつは売れ筋なんです。"中国行きの穴A Hole to China"に専売で卸してるんですが、これがもう頭のおかしい売れ行きでした。流石は本場バックドア・ソーホー、現地の規制に従った薄味な品じゃ満足できない連中が大変な勢いで群がって」
「そりゃあそうだろうな」

アオは嘆息し、まるで腫れ物に触るようなやり方でそれをつまみ上げた。彼女の目の前には何の変哲もない段ボール箱がいくつか積まれており、中にはぎっちりと隙間なくBD-ROMが詰め込まれていた──パッケージはひと目見ただけで目が痛くなる極彩色で、微弱なミーム作用が施されており、一度視界に入ったならタイトルを最後まで読み下すことを半ば強制される仕組みだった。

アルティメットレスリング男 VS 触手チャンピオン 粘液デスマッチ十番勝負」ひどく平坦な調子で彼女は読み終えた。「おい、本当にこれがうちの主力商品なのか?」

「まさにそのとおりです。先月はもっと凄いやつでした。確認されますか? ジャケ絵が過激すぎて流石に本拠に持っていくのは躊躇われたので二二区の倉庫街に保管したんですが、あのヨモギ姫シリーズの最新作──」

「必要ない!」アオは呻いた。かの高名な18禁アイドルのレーベルに関するいくつかの忌まわしい騒動の記憶が、彼女の脳内を駆け巡っていた。あれが地下音楽シーンで大人気のカルト・アーティストだと? あの界隈の自称事情通どもが言っていることはいつだって意味不明だが、この件は極めつけだった。

「ちくしょう、こんなことなら大人しく新年の挨拶回りに行くべきだった。何が悲しくてエロDVDの在庫確認なんか」彼女はブツブツ呟き、新しい段ボール箱に手をかけた。今度はモノトーンの落ち着いたジャケットだったが、アナーティストの仕事が強烈な共感覚を呼び起こし、彼女は生木がひどく焦げたような臭いを"視た"──タイトルは「まず煉獄より始めよ: 第二鼻道催眠快楽拡張 昇天篇」。

彼女は箱を閉じ、天を仰いだ。"穴蔵"の天井は彼女の数キロメートル頭上にうっそりと広がり、所々に群生する大月光苔の仄暗い明かりで黒と薄翠色の斑模様になっている。なにか巨大な生き物、おそらく羽の生えた大ナメクジの仲間が、エーテルの煙に乗って何匹か浮かんでいる。今夜は雨か、気温によってはみぞれが降りそうだった。数年前、洞穴都市にも雨が降ることを初めて知ったときの驚きを想起し、アオは小さく唸った。

「この道に進んだことを後悔はしてないが、たまに何かしらの選択を間違えたんじゃないかって思えてくることがある。生きていくためとはいえ」

「まだしもマシな方の商売だと思いますけどね」在庫管理用のタブレット端末を睨み、ケーは難しい顔をした。

「少なくともこの手の商品は誰も傷つけていませんし、消費者基準では適正価格です。向こうアメリカじゃ入手も視聴も違法のうえ、関税は未払いですが、まあよくあることです」
「さしずめフェアトレードってか?」
「生産者と販売者が納得していますから、おおよそ公正ではあります。図書館の皆さんがどう思うかは──かなり難しいところですけど」
「人助けをしますって大口叩いておいて、その原資がちゃちな密輸だってんだからな」

青大将の若いリーダーは首を振った。特に疚しいところがなかろうと、同輩に話すことを躊躇われる生業なりわいというのはあるものだ。彼女の一味はまさにそういった事柄で食いつないでおり、そして小規模だが明確な需要のために彼女は年末年始をずっと仕事に駆り出されていた。

「蛇の手の仕事にしちゃあしみったれてるよな。こいつら以外に今扱っているのはなんだった? 密造酒にタバコ、黒魔術の触媒が数十種類、ヴィンテージの古着に、それから車のパーツ?」

「あれは駄目でした」ケーは肩を竦めて、段ボール箱を三段重ねて持ち上げた。箱の底面で重量軽減の符がわずかに輝く。アオも箱を抱えて続いた。路地を抜け、青大将の二人はどこか寂れた空気の漂う狭い通りを中心街に向かって歩いた。まばらに光るネオンサイン。一四区は穴蔵の中でも度重なる区画変動から取り残された"イケてない"街であり、観光客からも犯罪者からも見捨てられて閑散としていたが、牙を持たない蛇が隠れ潜むには絶好の場所だった。したがって二人は盗み聞きを気にする必要もなく、歩きながら堂々と密談していた。

「4ヶ月前にナブハニ経由で卸した疑似重力ホイールですが」ケーがためらいがちに切り出した。「あれを使ってコロラドの田舎で核兵器を作ろうとした奴がいたんです。同じ偽装アドレスからプルトニウムの買付注文が出たのを馴染みの業者が知らせてくれて。どこを爆撃しようとしたんだか知りませんけど、うちの商品で大量殺人をやらかされちゃたまりません」

「へえ」アオの切れ長の瞳が鋭く輝いた。「後始末は? うまいことやったんだろうな」

「当然。連中、不用心に部品買付用の住所でそのまま作業してたんで、UIUに匿名通報を。買い手のついてなかった商品は全部引き揚げて、恋昏崎のストックヤードに流しました」
「素直にドラッグレースに使ってくれてりゃよかったのに。スリー・ポートランドにはしばらく顔出せねえな」
「次の会合までに新しい取引先候補のリストを作りますよ。国内にまともな事業者がまだ残ってるといいんですが」
「ヤクザ連中はもうやめてくれ。有村の嬢ちゃんの相手をするだけで手一杯なんだ」
「彼女がリーダーを気に入ってくれたお陰で、俺は仕事がやりやすくて助かりますがね」

青大将が誇る地下密輸事業の総責任者はにんまりと笑い、段ボール箱を抱え直した。アオはきまり悪げに頬を掻き、それから面倒な取引先と今年も付き合っていく必要があることを考えて溜め息をついた。

二人は坂を下り、上り、角を5回曲がってまた下った。遥か昔にポケット宇宙の内側に投げ込まれた存在の影響か、中国地方の穴蔵は際限のない内部拡張と崩壊を繰り返し、空間的な整合性はとうの昔に破壊されていた。目的地の三五区は純粋座標としては一四区の600メートル直下にあるはずだったが、実際には多少坂のある街路を5分ほど歩けば到着できる。この区は最近の大規模な区画変動で丸ごと移転してきた商業地域で、以前は地上における山口県の一部に対応していた。穴蔵における地上との対応関係は非常に複雑で、住民の誰も詳細を知らない──だが少なくとも地上で地震や洪水が起きると、空間的に繋がりのないはずの穴蔵でも同じことが起きるのは広く知られている。実際、以前の地上での豪雨の影響で、街の様々な場所に水没の痕跡が残っていた。

「ここは見るたびに酷くなってるな」大通りに一歩踏み出して、その無秩序ぶりにアオは驚嘆した。通り沿いの建物はほとんどが高さ数十メートルはある巨大な建造物で、何故かみな動物の形状を模していたが、その多くは隣接する建物と互いに融合し、ひどく歪んだキメラのごとき様相を呈している。おまけに大量の可動部分がてんでばらばらに動作してはぶつかり合い、猛烈な騒音とともに螺子や瓦の破片を絶えず街路に投げ出していた。

そんな惨状にもかかわらず、大通りは人(あるいは外見上そのように思われるもの)で溢れかえり、混沌の中で活況を呈していた。二人は人混みの間をすり抜け、地面から文字通り生えてくる大小さまざまな屋台を冷やかし、膨張し続けて通りを塞いでいる建物を土台から切除する"穴熊"の構成員に挨拶した。

「腹が減ってきた」呟くアオの視線の先では、店主が削り取った端から再生する巨大な肉塊を焼くケバブ屋台に長蛇の列ができている。「こいつを取引先に卸したら食べに行くか?」

「黙って二人で食べたらユウキに何を言われるかわかりませんよ」ケーは肩をすくめ、非常に食い意地の張った同僚について警告した。「今度、本人を連れてきましょう。あの列じゃあ土産に買っていくのも一苦労です」

「それもそうだ。本拠にはまだ食い物が残ってると思うか?」
「士郎さんが正月料理を準備してるそうで。久々に腕によりをかけると言ってました」
「そりゃいい。お節なんて実家を飛び出して以来だ」
「俺も似たようなものです。本拠をここに借りられるようになるまで、ひたすら逃げ回ってばかりでしたからねえ」

二人は遠い目をしてこれまでの日々を想起した。実力も縁故も行く宛もない根無し草の寄り合い所帯が権力の目を逃れて生き延びるには、日本という国はあまりにも狭い。それでも図書館を出る道を選択した以上、逃げ帰るという選択肢はなかった。今のところ、いくつもの幸運と良縁に助けられた結果として、青大将は何とか当座の住まいを見つけ出しているに過ぎないのだった。

「しかしまあ、忙しすぎて年越し蕎麦は食べられませんでしたが、どうやら雑煮にはありつけそうですね」ケーの声は心做しか弾んでいた。「仕事納めが楽しみになってきました」

「そうだな、さっさと済ませて帰ろう。買い出しは必要だろうか?」
「デッカーが車を出すと言ってましたが、あと一人くらいは手伝いが要るのでは」
「食事の話だ、どうせユウキじゃないか。仕事を放り出してでも付いていくはずだ」
「まあ、彼女の舌は確かですからね。任せておけば問題は──」

ケーが頷き、大通りの角を曲がろうとした瞬間、アオが彼のシャツを後ろから掴んで引き倒した。抗議の声を上げる間もなくケーは倒れ込み、続く情けない悲鳴は建物が崩れ落ちる猛烈な轟音によって掻き消された。

土埃と有毒物質が混じった危険な煙があたりを包み込んでいた。必死に後ずさるケーの数メートル向こうで、広範囲に渡って街路が崩壊し、建物が地下に沈み込んでいく。大量の木質がどこからともなく生えだして、穴の空いた区画を埋めにかかっている。穴蔵の住人はこのような事態に慣れっこで、即座に避難を始めていたが、見物に来た野次馬や観光客と衝突し、周囲はごった返していた。

「おい、生きてるか?」ハンカチで口元を覆いながらアオが訊いた。

「なんとか。すみません、助かりました」
「いいって。移転してきたばかりで区画が不安定だとは聞いてたが、まさかまだ入れ換えをやってるとはな」
「予報じゃ数日は安全って話でしたが、観測台も当てになりませんね」

腰を抜かしたまま頬を掻き、それからケーは静かに訊いた。「これからどうします?」

「どうするも何も、このビデオの納品がまだだろうが。ちょっとした事故があったくらいで──」
「いえ、それがですね」

ケーは苦笑して、"穴熊"による規制線が張られつつある崩落した区画を指差した。

「納品先のショップはあそこだったんです、ひと月前に開店したばかりの二号店でして」
「ああ?」

二人は小走りになって人混みの中に消え、後には喧騒だけが残された。


*


横浜の空は青く、抜けるような冬晴れが美しい。海風が強く吹き付ける表通りは、新年ゆえか猖獗を極める感染症の影響によるものか、人通りも少なく閑散としている。穴蔵の暗がりや廃桃源の伸し掛かるような薄桃色の空に慣れたデッカーの目には、当たり前の青空と明るい町並みはひどく新鮮で、尊ぶべきもののように映った。

「ねえ、もうすぐ麺の補充が終わるって」ユウキが言った。彼女の頬は寒波に対抗するかのように赤く染まり、小柄な体格と着膨れしたシルエットが相まって実年齢よりも一回り幼く見えた。「注文しないの?」

二人は駅にほど近い立ち食い蕎麦屋の前に立ち、券売機を眺めていた。足元にはこれまでの買い出しの成果である荷物が積み上げられている。高架の向こう側から差し込む朝日が眩く輝き、デッカーは目を細めた。彼の浅黒い肌と高い上背は黒人の父から受け継いだ数少ない誇りのひとつだったが、ここでは少しばかり目立っていた。

「食べはするが、警戒も怠るわけにはいかない。ここは図書館でも穴蔵でもないんだ」
「焚書者が私たちを見つけるなら、もっと遠くから気付かれないようにやってるでしょ。今更慌てても仕方ないよ」
「お前は用心深い悲観主義者だと思っていたがな」
「心配すべき時とそうじゃない時を知ってるだけ」

券売機の前で爪先立ちをして鴨蕎麦の特盛を注文しながら笑うユウキの姿は、青大将の通信と技術移転を一手に請け負う要人にはとても見えない。デッカーは嘆息し、とろろ蕎麦のトッピングを考えながら携帯端末を確認した。看守による傍受を防ぐため、端末はすべてユウキが部品から仕入れて組み立てている。電波法違反のチップを満載した端末のチャット画面には、補充が必要な食品や物資のリストが端的に記述されていた。品目は本拠で出発前に確認したときよりも大幅に増えているようだった。

「なあ、これ」大きく屈んでユウキに画面を見せつつデッカーは聞いた。「士郎がメッセージを打てたと思うか?」

「彼にチャットは無理、お爺ちゃんだもの。ショウが代わりにやったんじゃない?」
「なるほど。最初はどうなることかと思ったが、あの電子生命も随分馴染んでる」
「私は今でも警戒してるよ。あの子がどう思ってるかは知らないけど」
「ショウはお前を気に入ってると思うがな。というより、懐いてる」
「どうだか」

券売機から食券を取り出し、二人は蕎麦屋の暖簾をくぐった。入り口に最も近い席を選ぶのは、運び屋としての長い経験から身に染み付いた習性といってよかった。水のコップを探すふりをして、デッカーは店内を見回した。

「カメラはないよ」ユウキが囁いた。「今時珍しいでしょ。だからこの店を選んだの」

「そりゃあいい。盗聴は?」
「多分ない。指向性マイクで遠くからやられたらわからないけど」
「そこまで考えておいて、それでもこんな町中で食事か?」
「お腹が減ってたら戦はできないよ。何をするにしてもまずは胃袋を満たすことからだね」

ユウキは真剣な顔で言い、カウンターの下に踏み台を設えた。程なくして、眠そうな目の店員が湯気の立つ器を二つ持ってくる。ユウキの瞳が喜びに輝いた。しばらくは無言の時間が続き、大の大人でも苦労しそうな量の蕎麦と鴨肉が見る間に消えてゆく様子を横目で眺めて、デッカーは静かに驚嘆していた。

「さっきの話ね」唐突にユウキが呟いた。いつの間にか空っぽになった器の底を見つめて、彼女は少し俯いていた。デッカーは僅かにそちら側に身体を傾けつつ、店内に視線を飛ばした。店員は奥にいて、盗み聞きの危険はなさそうだった。

「買い出しの途中でお腹が減ったのは本当。でもそれだけじゃない。ちゃんと思い出しておきたくて」
「何をだ?」
「普通の人の感覚。お正月には初詣をして、買い物をして、ちょっとした外食、それから帰って家族と過ごす。そういう生活をしてた頃の目線を忘れちゃいけないんだって思ったの」
「大将の言葉か」
「そうだね。"私たちがどこから来たのかを忘れるな"って、それを実践してるだけ」

「そうか」頷いて、デッカーはコップの水を飲み干した。「出よう。長居するべきじゃない」

二人は速やかに店を離れ、高架下を市場の方へ歩いた。逞しい両腕に荷物を抱えて、デッカーは隣を見下ろす。ユウキはいつもどおりの様子で、買い物リストを眺めてあれこれとルートや予算を思案している。彼女が青大将、まだ正式にその名を冠する前の、アオが立ち上げたばかりの小さな互助組織にやってきたときのことをデッカーは思い出した。

「家族か」デッカーは空を見上げた。少しだけ雲が出てきていた。「俺にもいる。随分会っていないがな」

「娘さんだっけ。今いくつ?」
「今年で7歳になるはずだ。昔の伝手を介して金を送っているが、健康だということ以外は何も聞いていない」
「会いたいとは思わない?」
「思うが、必要は感じない。組やクスリに関わることはなくなったが、俺は今でもまともな人間とは言い難いからな。俺よりもましな人間が父親をやっているかもしれない。突然訪ねていっても迷惑を掛けるだけだろう」

それに教育に悪い、とデッカーは笑った。ユウキも釣られるようにして笑ったが、その表情には少しだけ影が差していた。

「デッカーは強いね。私にはまだ少し難しい」
「家族が恋しいか」
「ううん、あんまり仲はよくなかったから。でも故郷の町並みは好きだったし、友達も結構いた。バカをやっちゃって色々失ったし、追われる身にもなったけど、たまには帰ってみたくなるよ」
「大将に話してみろ。休暇くらい取れるし、変装のやり方は士郎がよく知ってる」
「今はまだ無理だよ。本拠に腰を落ち着けたばかりだもの」

真っ白な溜め息を吐き出し、ユウキは小さく首を振った。「私にだって技術責のプライドがあるから。溜まりっぱなしのタスクが片付いたら考える」

「好きにしろ」デッカーは頷いた。「その時が来たら、送迎は俺がしてやる」

市場に入り、二人はまばらな人影の間を縫って買い出しに勤しんだ。ほとんどの品目は食料だったが、一部には用途不明の物品もあった──壊れた時計、

ユウキ+デッカー 食べ歩き&買い出し

円+クリスマス 挨拶回り

士郎+シャオ お留守番

tale jp 青大将 穴蔵

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  1. portal:5060201 ( 15 Jan 2019 17:15 )
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