地下東京

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がぎり、という音がした。
それはひどく不吉な響きだったので、カトリは思わず小さく飛び上がり、それから次いで手元に目を凝らした。

連日の坑道住まいで耳はだいぶ麻痺していたが、それでも先程の音が幻聴などではないことがすぐに証明された。鉄パイプの先端に折れた円匙の先を括り付けた急拵えの鶴嘴は、刃の先端がぱっくりと割れている。仄かな燐光が裂け目から吹き出し、青白い軌跡を残して消えていった。

「ちっくしょう」

舌打ちをして、カトリは脇の壁に寄りかかった。できることなら寝転がって休みたいところだが、今日の仕事場は第3層の縦坑で、つい最近も死者が出ていた。そいつは宴席でイモ酒をしこたま飲んだ後、仕事場に戻って穴の底で酔い潰れ、足元に溜まった二酸化炭素を吸い込んだのだ──このあたりは風の循環が弱いうえ、換気扇は故障続きだった。膝より下の位置で息をするのは生身で下水道に飛び込むようなものだ。

道具が壊れたのでは仕事にならないし、かといってわざわざ駅に戻り、替えを持ってもう一度潜るのも面倒だ。諦めて暫く体を休めていると、不意に首の後ろの産毛が粟立つ。ざわりと肌の先が震えるような感覚は、遠くから音が伝わってくる前触れだ。閉ざされた空間では、耳よりも先に身体が予兆を察知する。

響きは数瞬を遅れて届いた。


"あの日の██き 硝子█工の音 砕けるように すべてが変█る初夏……"

坑道に大音量で響き渡るヒットチャートは酷いノイズに蚕食されている。再生機材を修理するための電子部品が尽きているからだ。トンネルの底で垢と埃に塗れ、騒音に耳を潰されている年老いた鉱夫たちにも届くように、ここ数周期は作業終了の合図にサイレンではなく"大災"以前の楽曲を使う駅が多くなっている。

『砕けるように』だなんて、縁起を担ぐ鉱夫らしくもない──カトリのような若い世代からすればそう感じられる。しかし"大災"前を知る者たちに言わせれば、かつての流行音楽は地上の生活を偲ばせる数少ないよすがに他ならないのだ。

「地上、ねえ」

息を吸わないように注意深く身を屈めて、折れた鶴嘴の刃先を拾い上げる。
見上げた先。薄暗い作業灯が照らすコンクリートの天井は、低く硬く暗く、延々と頭上を塞いでいた。


かつて地上が平和であった頃、浅草駅と呼ばれていた駅は全部で4箇所あった、と伝わる。

"大災"と呼ばれる異常災害が地上のすべてを崩壊させたのは、19周期ばかり前のことだ。地上との連絡を完全に絶たれ、地下空間に残された人々は、独自に駅を中心とした小規模なコミュニティを築き上げた。彼らは地下鉄のトンネルを経由して相互に連絡を取り合いながら、必死に食料と生活必需品を生産し、地下空間で細々と命を繋ぐことになった。

銀座線の浅草駅は比較的設備の被害規模が小さいコミュニティだった──少なくともはじめの数周期はそうだった。物資は常に欠乏していたが、人数の多さに対して争いはあまり起きなかった。初代の"駅長"は浅草寺から逃れてきた僧侶のひとりで、住人たちの信望篤く、よく駅をまとめて最初の3周期の"危難の冬"を耐え抜いた。

しかしそれもまた、過去の話だ。

「お前、また道具を壊したのか。もう3度めだ」
「仕方ねえだろ、ここいらは岩盤が硬いんだからさ」

電気の割当が削減され、数日前よりもさらに薄暗い構内は、鉱夫たちの囁き声というには少々大きすぎるざわめきと、住人たちの生活音に満ちている。
駅の中央、階段にほど近い開けた位置に陣取れるのは権力者の証だ。壁と窓と鍵のかかる扉があり、砕けたベンチを再利用した椅子と専用の電灯すらある豪奢な掘っ建て小屋は、この駅における序列第3位──鉱夫親方が代々使用する邸宅である。
椅子にどっかりと座り込んだカトリの返答に、親方のカミナリは不満げに頭を掻いたが、やがて太い首を不承不承といった風に頷かせた。

「まあ、そうだな。ここいらの岩盤はどんどん圧力がかかってる。岩の質が5周期前とはまったく違うって話だ」
「東京駅の連中がそういったのか?」
「ああ、財団のな。わざわざ技術者を送って寄越した。お前が潜ってる間の話だ」
「そいつらはなんて?」
「人力は無理だとさ。自分たちを頼れといいやがる」

無理な話さ、とカミナリは吐き捨てた。かつては見上げるような背丈の偉丈夫だった男の額には幾筋もの深い皺が刻まれ、薄暗いオレンジ色の電灯の下でも分かる程度には、髪に白いものが混じっていた。

「財団がどれだけの物資を溜め込んでるか知らんがな。東京駅は遠すぎる
「昔はそうでもなかったんだろ? 浅草橋が沈むまでは」
「知ったふうな口を利くな、若造。お前は"地下世代"だろうが」
「生憎ともう生まれてた。3歳にはなってなかったけど」
「そりゃ失礼。親は苦労したろうな」

まあね、とだけ返して、カトリは鶴嘴の刃先を弄った。
両親の顔など覚えてもいない。物心ついたときから薄暗い駅の端にいて、側には誰もいなかったのだから。
自分より一回り上のカミナリは、まだ地上の親子関係を覚えているのだろう。こうして壁と屋根のある個室にわざわざ住んでいるのだって、かつての暮らしを懐かしんでいるからだ。カトリからしてみれば、それは遠い世界の話だった。

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