「かなしいを教えて」

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日差しが強い。セミの鳴く声は日に日に元気になり、遠くのグラウンドはゆらゆらと揺れている。夏がもう私の高校にやってきた。腕時計に目をやる。12時30分という表示を見てこの屋上へ入れる扉へと目をやる。もう少しで来るはずだ。支倉くんはとても時間に厳しいから。予想通りに鉄製のドアノブががち、と音を立てて開いた。

「わ、珍しい。先に三珠さんがいるなんて」

昼食が入ってるであろうレジ袋を鳴らしながら、支倉くんが目を大きく広げてこちらを見つめてくる。

「私だってたまには時間を守れるんだよ」

腰に手を当て得意げに言う。

「それにしてもかなり暑いよね今日。嫌な日差し」

どうでもいいと言わんばかりに支倉くんは空を見上げる。大きな目に太陽光が反射して茶色い瞳孔が琥珀のような色合いに光る。私も同じように空を見上げてみる。数秒も立たないうちに太陽を見つめることはできなくなった。緑色の残像が目に焼き付く。同じ景色を見ているはずだ。だけども。

「やっぱりその嫌、って言うのは分かんないな」
「ああ、そうか。そうなんだね」

前はみんな眉をひそめてたんだけどな、と呟きながら支倉くんが貯水タンクの陰に座り込む。

「嫌って感じなくてもさ、熱中症の危険があるのは変わらないでしょ。こっち来た方がいいよ」
「ま、健康でいるように言われてるからね。理由はわかんないけど。」
「病気って言うのは辛いことなんだよ」
「やっぱわかんないな」

支倉くんの隣に座る。壁の冷たさが背中から伝わってくる。

「それで今日は何するの?」
「今日はこれを使おうかなって」

そう言いながら支倉くんはポケットからソーイングセットを取り出した。そして中から黄色の玉がついたまち針を取り出す。

「それをどうするの?」
「腕に刺してみる」
「健康でいなさいって言われてたのに?」
「これぐらいなら大事にはならないよ。破傷風にならないよう消毒してるし」
「入念だね。分かった、じゃあやってみて」

私は右腕を支倉くんの前に突き出す。「いくよ」という声とともに私の白い腕に針が侵入してきた。

こんな待ち合わせを始めたのは学校が始まってすぐのことだった。新しいクラスで初めて隣になった支倉くんから、面白いことを聞かれた。

「ねえ、みんなおかしくなってると思わない?洗脳されているみたい」

SFの主人公のような物言いに私は思わず吹き出してしまった。それと同時に少し気になった。何がおかしいんだろう。周りのクラスメイトは何一つ変わらない良い笑顔で毎日過ごしている。何も変わらない今日も明日も幸せな一日を過ごしているだけだ。角が生えてるわけでも言語が喋れなくなってるわけでもないのに何がおかしいのか。それを聞くために昼食の時間、屋上に支倉くんを呼び出した。これが待ち合わせの最初だった。

「みんな笑う顔しかみないんだ。泣いてたり怒ってたりしてる人を見なくなった。これってあまりにもおかしくない?」

そう言ってくる支倉くんの顔はとても真剣で、冗談を言っているわけではなさそうだった。だからこそさらに面白かった。後半何を言ってるか分からなかったから。泣く、怒るというのが何を差してるのか分からなかった。支倉くんによると、泣くって言うのは欠伸をすると出る涙を特定の現象が起こったときに出すことらしく、怒るというのはこれまた特定の現象が発生したときに頭に血が上ったりすることらしい。

「ふーん、全然分からない」

あっけらかんと答えたが支倉くんは微妙な顔をした。どうやら私もおかしいと言いたいらしい。普通の人なら気にしないか、もしくは面白い話だと周りに言うかもしれない。でも私は支倉くんのいう「泣く」や「怒る」に興味を抱いた。

「ねえ、よかったらそれ、教えてよ」
「それって、なんのこと」
「さっき言ってた泣くとかってやつ。私や他の人が持ってないそれ。面白いじゃない。知らないものを見つけるのって」

その日から私と支倉くんの無いもの探しが始まった。

「わ、すごい血が浮かんできた」
「だ、大丈夫?」

支倉くんが慌てて針を抜く。丸い血が腕の丸みに沿って流れていく。ルビーのピアスをつけた様できれいだった。

「勢いよく出てないし死なないと思うよ」
「そう。で、どう思った?」
「うーん、血って宝石みたいで綺麗だなって。あと少し痛い。久しぶりで面白い感覚。あ、これはその無くしたものに入らないの?」
「それはちょっと違うなあ」

支倉くんがポケットティッシュを何枚か抜き取り渡してきた。止血しろってことだろうと腕の傷にティッシュを当てる。丸い血の粒がティッシュの平面に吸われていく。

「痛いってのは分かるんだね?」
「うん、それはさすが分かるよ。痛覚っていうのがあるって生物で習ったでしょ?」
「……そうだったね」

何処か納得しない様子で針をしまう。やはり支倉くんは不思議な人だ。そういえば、とずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「支倉くんはさあ、なんでそんなに悲しいってやつにこだわってるの?」
「こだわってる?」
「だってさあ、そんなものある必要なくない?」

支倉くんが以前教えてくれた、私に足りないものの話を思い出す。数学のプラスとマイナス。楽しかったり幸せだったりするのがプラスだとしたら、私にはマイナスが無いらしい。いつまでもグラフは上へと登っていき、急に下がることが無いってこと。それがおかしいんだって。でも、それは数学だとおかしいけど、人間としておかしくはないんじゃないか。

「いつも楽しい、幸せなのが理想なんじゃない?支倉くんはそのマイナスがあった方が嬉しいの?」
「それは、うーん……」

腕を組んで考え始めてしまった。その姿がおかしくて、私は声を出して笑った。

「面白いね!そんなものを見つけようなんて、矛盾してる」
「そうだね……確かに昔は、悲しいなんていらないってみんな言ってたな」

でも、と支倉くんは立ち上がって伸びをする。

「無いといけないものなんだよ。どんなに嫌いでも、無駄でもね。」
「そんなに大切なものなの?」
「そう。例えば、三珠さんの好きな人が突然いなくなったらどうする?」

私の好きな人は、別に今はいない。色恋沙汰っていうコンテンツで女子高生がわあきゃあと楽しそうに笑っているところはよく見るけど、今は私の興味から外れている。だから私は家族を思いうかべた。もし家族が突然いなくなったら。私はどうするか。

「……別に、特になにも感じないね。ああ、死んだんだ。って思うかな」
「その何も感じないところに悲しいが当てはまると、良いこともあるんだよ」
「どうして?」
「大切な思いを、見直すことができるから」

支倉くんは遠くの山を見つめて呟いた。山の遠くにある幸いを見据えているような、不思議な眼差しだった。

「人は、いつも楽しいばかりだと、それがいつもあることだと錯覚してしまう。人はいつか死ぬし、ものは亡くなってしまう。それは悲しいし寂しいことなんだ。でも、だからこそ今あるものを大切にしたいし、楽しいことをしっかり味わいたいって思う。だから必要なんだ」

一息で言い終わり、深く息を吸い込んでいる。それだけ強い思いがあったんだろう。どう言っても、悲しいがマイナスなことには変わりはない。なのに、何故だろう。私は悲しいに改めて強く惹かれている。初めて知った時の何倍も。

「そっかあ。まあ、たまに酸っぱいもの食べた後の甘いものっておいしいよね。そう言う事で良いのかな?」

何となく解釈した私の考えを話す。支倉くんはきょとんとした表情で私を見つめてきて、そして大きな声で笑った。

「はは、そうだね。そういうことに近いと思うよ」
「初めて見たかも。支倉くんのそんな笑い方。……ふふ」

私も思わず笑いだす。音の違う2人の笑い声とともに、予鈴が鳴った。いつもよりも楽しそうな音だった。

帰り道は、朝と変わらない明るさだ。グラデーションのように日没時刻が変わるから、こういうふとした時に改めて夏が来てるんだな、と思う。

「ねえ、支倉くん。次は何をして教えてくれるの?」
「そうだなあ、次は、童話でも使って……」

と呟いたその時、視界の端の方に何か見えた。それはどうやら赤い車のようで。でも普通のものと違う。とても早く、私たちの所へ近づいている。考える時間も放棄して、私は支倉くんの肩に手をかけ、強く後ろに引いた。

「三珠、さん急に何――」

聞くのが間に合わなかった。私の体に赤い車がぶつかってきた。みしっと骨盤から鈍い音がして、体が宙に飛ぶ。体中の血液が遠心力で偏るような、奇妙な感覚と共に、今日の何倍もすごい痛みが襲ってきた。アスファルトにぶつかる。右目が開かない。ひょっとしたら無くなってるのかもしれない。遠くから声が聞こえる。さっき途中で消えた支倉くんの声が聞こえる。

「三珠さん、三珠さん!」

のぞき込んでくる顔が見えた。顔を歪めて声も震わせて何度も私の名前を呼んでいる。

「は、ぜくらくん。い、今かなしい?」
「もちろん悲しいし焦ってるよ!車に怒ってるし、ええと、救急車呼んだから!」
「ふふ、知らないことばかり出てきた。面白いね。」

自分のことを見ようとしたけど、駄目だった。首は動かないし、体のどこに力を入れても動かせない。鼻から出てくる血のせいで息をするのも精一杯だ。私死ぬのかな。きっとモザイクかからないと見れないような姿になってるんだ。面白いな。でも、どうしてだろう。今は支倉くんといたい。まだ、支倉くんと勉強したい。

ああ、そうか、これがきっと。

その後の言葉は、黒い意識の網にとらわれて続けることはできなかった。

足のギプスが蒸れてかゆい。夏じゃなかったらこんなことにならなかったのに。

「あ~脱ぎたいよギプス」
「駄目だよ。靴下じゃないんだから」

私が横たわってるベッドの横でリンゴを剥いている支倉くんが諫める。ちえー、と口をとがらせ代わりに天井を睨む。

私は生きていた。両足と鼻、あばらとかの骨折、頭蓋骨にひびが入ってたらしいけど、内臓は損傷が少なくて、何とか生きれたらしい。クラスメイトや両親がおめでとうと笑ってる中、支倉くんだけは目を腫らしてぐずぐずと泣いていて、みんなから気持ち悪がられてて、面白かった。

「今、授業何してる?」
「テスト週間だから自習が多くなってる。今度ノート貸すよ」
「わ~ありがと!」

他愛無いことを話していると「いて」と声が聞こえた。目だけを動かして支倉くんの方を向く。どうやら親指を切ったみたいだ。血が出てるところが少しだけ見えた。持参していたのだろう、すぐに絆創膏を取り出し巻き付けている。

「大丈夫?」
「少し切っただけだから」
「そういえば、この事故の前私も血を出して悲しいを探してたよね」
「ああ、そうだったね。針を使ってね。まあ、その何倍も痛いことがあったんだから、その」
「笑えるよね」
「うーん、そうだね……死の淵を彷徨っても、悲しいは分からなかったか」

そう言われて思い出した。あの時の言葉の続きを掬い上げた。

「私、悲しいって分かったかもしれないの」
「え?!」

凄い大きな声で目を見開いた後、あたりをきょろきょろして、もう一度小さくえ、と声を出した。

「本当に?」
「正しいか分からないけどね。事故の後私思ったの『ああ、支倉くんと話したい』って」
「う、うん」
「大切な人がいなくなる、まあ、私がいなくなる側だったんだけど、いなくなる時の何もないところにそれがあったの。これが、悲しいってことなんじゃないかな……あってる?」
「……そ、そうだね。とても近い。ほぼその通りだよ。僕の悲しいとおんなじ」

そうか、やっぱりあれが悲しいに近いのか。納得できた気がする。

「支倉くんも私を大切って思ってくれてたんだね。ありがとう」
「あ、いや、間違ってないけど、いや、うんそうだね、大切だね」

やけに言葉が詰まっている。顔も赤い。恋してる女子の反応によく似ていた。色恋沙汰に興味はなかったけど、今度友達に聞いてみようかな。

「そ、そんなことよりほら、リンゴ剥けたよ。口あけて」
「ありがと。あ」

瑞々しい音を立ててリンゴをかじる。少し酸っぱい、甘さを増長させるような、悲しいに近いような味だった。


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