病めるものへ祝福を

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その日、福路弐条の体は倦怠感に包まれて、とても重かった。一歩踏み出すことすらも面倒くさく、出来ることならば冷たく気持ちがいいはずの廊下に今すぐ横たわって休みたかったが、廊下で雑魚寝をしてしまうと、今以上に体の調子が壊れてしまう。福路は体内に溜まっている不快な熱気を細く吐き出した。

「風邪を引くなんていつぶりなのだ……」

もともと福路は体は丈夫な方だった。体がまだ人間だったころ、風邪をひいたことは数えるほどしかなく、体がイヌと融合してしまってからは一度もかかっていなかった。むしろイヌの姿になってから体調は逆によくなっていた。しかし、今回は気温の低い地域への夜間捜索や、書類仕事の消化のための徹夜といった体への悪影響となることが重なってしまったせいか、見事に風邪の症状にやられてしまった。挙句に所属しているサイト‐8129の医務室が臨時休業していたため他サイトまで出向かなければならず、福路の体は風邪と疲労の板挟みでボロボロだった。

ずっと下を向いていた顔を前に向ける。廊下の壁から飛び出しているプレートの文字から、『医務室』という文字を見つけた。目的達成が近いことを知り体の奥から元気が少し湧いてくる。

「もう少し、もう少し……」

うわごとのように呟きながら壁に手をついて歩く。そして、手探りでついに扉の取っ手に手が辿りつき、勢いよく横に開いた。反動で入り口が狭まる前に部屋の中に滑り込む。前傾姿勢の福路が扉が1つずれていることに気づけないまま、小さく音を立てて扉は閉じてしまった。

「あ、あれ?」

部屋に入った瞬間、福路は違和感を感じた。明らかに医務室と内装が違うからだ。見覚えのない茶色い革製のソファーが低いテーブルを挟むように対面上に置かれている。医務室らしい薬品棚や救急箱は見当たらず。棚の中には黄色や青色のファイルや書類が所狭しと並べられている。そして、部屋の半分を隠すように白いカーテンが左側にゆらゆらと境界線を作っていた。あまり医務室に縁がない福路でもすぐに分かるくらい、何もかもが違っていた。しかし、ぼーっとしている頭では冷静な推察をする力は出せなかった。

「改装でもしたのだ……?」

そんなありきたりな推理を口に出し、とにかく早く体を休めたいとソファーに歩いていき座った。思ったより座面が柔らかく体が沈み込む。ようやく得られた安息に息をつきながら、医師を探そうとすると、隣から「あの」と声をかけられた。心臓が軽く握られるように弾み、思わず出そうになった声を慌てて抑える。先客がすでにいたのか──気づかなかった自分にも、声の主の存在感の希薄さにも驚いた。

隣にいたのは女性だった。焦げ茶のロングヘアを軽くまとめ前に垂らしている。色素の薄い眼は突然の来訪者を警戒しているように丸く見開かれ、両手が不安を潰そうとしているように白衣の裾を握りしめていた。動揺していることが明らかに伝わってきた。とりあえず何か話して落ち着いてもらおうと声を出そうとしたが、彼女の方が福路より少しだけ早かった。

「福路捜索部隊長……ですよね?」

おそるおそるといった様子で彼女は福路の苗字と役職を間違えることなく呟いた。福路は目の前の女性とどこかで出会ったか焦りながら思い出そうとしたが、ただでさえ朦朧としている頭では記憶の深海へのサルベージはとても困難だった。結局、正直に聞いてみることにした。

「あ、れ。どこかで、お会いした……のだ?」
「私、この前の捜索業務の補助で参加していました、三城です。」

三城という名前を聞いて福路はようやく思い出した。三城紗那。数か月前に行った夜間外部捜索の際に、現場付近の土地勘があるという事から助っ人として呼ばれていた研究員だ。とても冷静沈着で淡々と、そして早々に業務を終わらせていた。何か話を二三した気がするが、内容はよく思い出せなかった。それくらいすぐに離れてしまったから、今の今まで思い出すことができなかったのだろう。

「ああ、三城さん。これは久しぶりなのだ。」
「ええ、本当に。……福路もこの部屋に用事があったのですか?」
「うむ。かなり大変で、さすがに我慢だけでは治りそうになくて。」

三城は先ほどの警戒心むき出しの瞳ではなく、至極意外そうに福路を見つめた。

「へえ、なんだか意外です。福路さんはこの部屋には余り縁がないだろうと思ってましたから。」
「私自身もなのだ。全く、隊長が体調管理を怠るとは……あ、今のはシャレではないのだ。ミステイクなのだ。」
「……ふふ、ええ分かっていますよ。」

口元に手を持っていき、三城は微笑んだ。その所作に先ほどの動揺は見当たらない。それと同時に福路はあることに気が付いた。三城の姿が健康そうなのである。普通は健康そうであることは喜ばしいことであり、むしろ不健康そうな人がいる方がおかしいだろう。だが、あくまでも外の話である。この医務室という不健康の集まる部屋において、健康そうな人がいるというのは明らかにおかしい。唯一の健康体である医師だとしたらすぐにそう伝えるはずだし、三城がなぜここにいるのかが分からない。福路は軽い話の種として聞いてみることにした。

「そういえば、三城さんはどうしてここに来たのだ?」
「ええと、少し話を聞いてもらおうと思って。」
「話?」
「自分の症状について聞きたいんです。」

そういって三城は顔をわずかにふせた。ライトに照らされて白く見えている前髪が小さく揺れる。

「最近酷くなっていて、私も我慢するのがきつくなってしまって。」

再び顔を福路に向け笑った。その笑顔は、こけた痛みを母親に隠そうとする幼児のようで、痛々しく愛らしかった。確かに、普段から片頭痛や慢性的な腹痛に悩まされている知り合いを福路も何人か覚えていた。今まで我慢していると、人に相談するという行為に勇気がいるのかもしれない。

「それは、大変なのだ。よくここまで来たのだ。」

福路は自然に三城の頭を撫でていた。今にも泣きそうな子供をあやすように、精いっぱいの優しさとして。手のひらの肉球越しにつやりとした神の手触りが伝わってくる。

「あの、どうしたのですか?」
「……あ、いや、なんというかつい……失礼したのだ。」

慌てて手を放す。やましい気持ちが無かったとはいえ、急に何も言わずに女性に触れてしまうのはよろしくない行為だ。しかし当の三城は自分で頭を撫でながら笑っている。

「いえ、嫌だったわけではなく……誰かに撫でられたことが久しぶりでしたので、その、嬉しくて。」
「そ、そうなのだ?それは良かった。」

三城の白い頬がほのかに色づく。嫌な思いをさせていなかったことが分かってよかったが、これはこれで照れてしまう。2人の間に気まずい沈黙が溜まっていく。座って大分休んだからか、それとも話して気が紛らわせたのか、福路の体調は廊下で歩いていたよりも良くなっているようだった。先ほどより霧が晴れてきた頭で会話のタネを探す。

「そ、そういえば、症状がと言っていたが、どんな症状なのだ?比較的調子は良さそうに見えるのだ。」

もちろん言いたくなければ大丈夫だから──と付け加えて福路は返答を待った。手の甲の犬毛をねじって時間が経つのを紛らわせた。

「自分が変に見えるんです。」

問いかけから数十秒経った後、三城はつぶやいた。ほとんどが吐息であるようなか細い声で、あっという間に部屋の中に拡散されてしまった。福路は返答の意味を分かりかねていた。自分が変に見える。それは風邪とか体調といった症状ではあまり聞いたことがないからだ。その言い方だとどちらかと言えばただの悩みであるような気がする。

「ええと……それは、あれかな?不思議の国のアリス症候群といった、自分の手が大きく見えたりといった感じの……」
「いえ、違います。変に、見えるんです。」

変に、という所にアクセントをつけて同じような回答が返ってきた。やはり、分からなかった。困っていることが伝わったのか、三城は言葉をつづけた。

「例えば、手の指が急に伸びて芋虫のように蠢いたり、鏡の向こうの私が異形の化けものに見えるんです。もうどうしようも、なくて。」
「……それは。」

ここまで聞けば、福路と三城の間で考えが少し食い違っていることは流石に理解できた。福路は風邪の症状がひどくて、医務室に来た。だから三城の「症状」という言葉を聞いて勝手に風邪の症状だと認識していた。ただ、今の話を聞くと、どう考えても風邪の症状とは考えにくい。そう、肉体的ではなくどちらかと言えば精神的な症状なのだ。その時福路の耳が外から聞こえる小さな音を探知して、ぴくりと扉の方角に向かった。誰かこちらにくる──福路は扉に顔を向けた。予想通り扉はすぐに開かれた。

「いやあ三城さん、お待たせしてしまいすみません。少し急用ができてしまい遅れて……」

後ろ手で短髪の頭を掻き、饒舌に言いわけを喋りながら眼鏡をかけた男が入ってきた。そして福路と目が合い、言いわけを喋る口が一瞬止まった。が、すぐにまた動き出した。

「あの、新しいお客さんですか?来るという話は聞いていなかったのですが。」
「え?いや、その、風邪をひいてしまったから、医務室に来たのだ。予約が必要だったのだ?」

そういうと、入ってきた男は納得したように二回うなづいた。

「あの、医務室は隣の部屋ですよ。ここでは風邪の診察はできないです。」
「え、そうなのだ?」

確かに入るときに医務室かどうか見ていなかったし、内装が違いすぎるのにも違和感を感じていた。しかしまさか別の部屋に入ってしまっていたとは思っていなかった。福路は慌ててソファから立ち上がる。スプリングのきしむ音が部屋に響いた。

「そ、それは失礼しましたのだ。では失礼しますのだ。」

恥ずかしさや情けなさといった感情がもうもうと湧いてきて、福路はなるべく顔を見せないように早足で男の横を通り抜けようとした。が「ちょっと」と頭上から声を掛けられ動きを止める。

「ま、まだ何か?」
「いや、少し声が枯れているようでしたからね。今ちょうどのど飴を持っているので、良かったらもらってください。」

そう言い男は白衣のポケットを漁りすでに開封されている、スティックタイプの四角いのど飴の包装を取り出し中から銀色の粒を取り出して差し出してきた。福路は飴が好物であったため、その提案に尻尾を揺らした。

「いいのだ?ありがとうなのだ。ええと……」
「天羽太透、ええと、天使の天に羽と書いてあもうという名字で、太く透けると書いてたすくと読みます。読みづらいとよく言われる名前ですが、憶えてくれたら嬉しいですね。」

名前が分からず言いよどんでいた福路に丁寧に自己紹介をして、天羽は福路に向けて手を差し出した。

「いや、我も同じくらい難しいのだ。福路弐条なのだ。幸福の福に道路の路、古いほうの漢数字の弐に十七条の憲法の条で福路弐条なのだ。本当はここのサイトではなくサイト‐8129で捜索部隊長をしているのだ。だから、福路捜索部隊長と呼んでもらえると嬉しいのだ!」

よろしくなのだ、と福路は差し出された手を爪を立てないように気を付けながら握り返した。男にしては細く白い腕だった。

「では、失礼しましたのだ。」
「ええ、ではまた。」

福路は天羽に背を向けて隣の医務室に入り込んだ。天羽は三城のいる方へ向きなおし、音を立てないように扉を閉めた。

「では、三城さん、対話を始めましょうか。」
「……はい。よろしく、おねがいします。」

三城は軽く会釈をした。そして、顔を下に向けたまま、静かにつぶやいた。

「やはり、あの人が分かるはずなどなかったんですね。」

三城の呟きは誰に届くこともなくソファの隙間へと消えていった。


「ああ、隣?カウンセリングルームだよ。つい最近できたんだ。」


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