ある神的存在の発現と消失までの記録レポート、または小さな奇跡

どこからかは分からない、正しく言えば全方角からごごごごごご、という低く響く音が聞こえていた。それは建物の壁面や屋根が崩壊する音だったり、木の幹が無慈悲にへし折れていく悲鳴だったり、誰かが嘔吐をする声だったり、細かく分けようとすれば分けられるのかもしれなかったが、私に今その神経を使う暇はなかった。私はただ、足を動かすためだけに生きている。
乱暴に走る振動が足の裏をぶん殴ってきて、頭蓋骨まで貫くようなしびれを伝えてくる。息はすでに規則正しく吐くことを諦めて、振動に合わせて空気の玉を吐くだけになっている。走るたびに、指定された長さのスカートが前に出す足を邪魔してくる。酸素の足りない脳みそではあるが、思考はとめどなく流れていく。私の考えが正しければ、私が信じることが間違っていなければ。
この世界は間もなく何も無くなる。ただ、私とあの子、そして神さまを残して。
私はどこの道かも把握できないような、瓦礫の降り注ぐ道を走る。大きな壁面が重力を纏って、車を潰していく音が聞こえる。荒れ狂う風に遮られた耳に、悲鳴、高い悲鳴、泣き声、吠える声が続いて届いてくる。私のすぐそばにも、何回か瓦礫は落ちていた。しかし、私にはそれに潰されるといった恐れは一つもなかった。だって、私は残されるはずだから。ここで死ぬわけがない。つかの間の無敵状態といえるだろう。
ただ、足の裏はきっとぼろぼろで、何か踏んでできた傷をえぐるように走っているから、痛みは麻痺する寸前まで鋭さを増していた。

「あと、もう少しで」

私は呪文のように呟いて、目の前の少し低い塀を睨みつける。その向こうには海がある。曇り空を映したつまらない色の海。その水平線の端っこの岩場に、あの子はいる。私は限界を迎えていた足を止めて、息を整えながら探す。ざぱんざぱんと絶え間なく打ち寄せる波が、岩場にぶつかって真っ白に散らばっている。
海と岩場の境に、私たちの神さまがいる。変わらない形で、世界が終りかけていることをしらんぷりするように、ただずんぐりと建っている。そのすぐそばに、水しぶきを浴びる人影があった。荒れ狂う風を受けて長い髪が水平になびいている。
その髪の毛の柔らかな癖を私は知っている。あれは、神家だ。神家でなくてはならない。

「神家!」

私は再び走る。砂浜は固い地面と違って傷だらけの私の足を包むように優しくへこむが、うっとおしい。が、砂浜は思ったより短く、あっという間に神家のところへたどり着けた。彼女は体の前面が何処かしこもずぶぬれで、制服が透けて下着が見えそうにもなっている。

「どないしよ、加藤さん」

彼女の声は、震えていた。息を止めて何かを捕まえようとするような、一瞬で消えてしまいそうな切実さが、鼓膜をくすぐってくる。私は彼女に何かしようとして、でも何もできなくて、結局私自身の目的のため、口を開いた。

「願ったの」
「うん」
「それは、やっぱり」
「世界が、世界が」

私たちだけだったらよかった、と彼女は唱えかけて、口をつぐむ。それに意味はないのかもしれない。あの神さまは私たちから生まれている。頭で考えただけでも読み取られているかもしれない。だから、考えないようにしていた。でも、どうしても脳から離れることはない。
人は考えてはならない、と命令されると、どうしてもそのことが頭に離れない性質があるんだと、心理学の本に書いてあった。解決策も載っていた気がしたが、立ち読みの記憶はそこまでしかない。だから、止める方法の無い思考は、流れ続ける。私たち二人、だけの、世界。何も無くて、共にいられるだけの世界が、どうにか、違う、私はこう「なぜですか」なってほしいわけじゃ。

思考が遮られた。混線したラジオのように、突然誰かの声が挟まってきた。鳥肌が立つ。絶対に入ってこられないところを舌で舐めるような不快感が伝ってきて、その場にうずくまる。機械編集をめちゃくちゃにしたような声は、続けて思考に遠慮なく入り込んでくる。

「ふたりののぞんでいたから、やれました、ので、よろこぶべきでは」

これは、神さまの声なのだろうか。そうなのだろう。でも、認めたくない。こんな稚拙な声が、子供みたいな無邪気な行動で世界を終わらせて、それの原因が私たちかもしれないなんて、私は嫌だった。「なぜ」理由を問わないで「どうして」ほしい。やめて。入って「知りたい」こないで、近寄らないで。

「ちゃう!」

神家が声を大きくあげる。きっと彼女にも同じ声が聞こえていたのだろう。この、気持ちの悪い産声が。神家は声を出す。

「願いと、望みはちゃう。勝手に頭ん中の望みを、あんたの願いにせんで!私の願いは、もっと大切な、大事な方法で、生まれるものやった!そやのに、勝手に取り上げて、ラッピングして、喜ぶと思ったん?なあ、どうなんや!」

もう、動物の叫びと同じような声だった。挟まってくる神さまの声をぐちゃぐちゃと踏みつぶしながら、神さまへぶつける。神さまの本体、石はまったく動いていない。今すぐにこれを持ち上げて、荒れ狂う海の中へ放り投げれば、その波紋から世界が静まって、再構築されていくのかもしれない。ただ、私には今、そんな力も意思も残っていなかった。ただ疲労感と恐れに身体を縛られている。私は目を見開いて、神家の姿を見る。少しでも目を閉じると、脳内へ意識が向かってしまいそうで、乾く眼球をずっと彼女に釘付けた。勇ましく立ち、思いの丈を伝える彼女は、神さまよりも神さまらしく見えた。

「そう、じゃあ、ねがいをまつのがよかったと、わかったよ」

神さまの声が小さく聞こえる。泣きだしそうなのを必死にこらえて喋るような声は、波の音に飽和していきそうだった。瞬間、私の身体が、地面から離れていることに気が付いた。確かな地面が勝手に離れていくことは、人生で初めてのことだった。隣を見ると、神家の身体も同じくらい浮かんでいた。

「手、手」

彼女は空気を抱え込もうとするように、私の方へ手を差し伸ばす。私の伸ばした指先が、彼女の丸い爪の表面にかつ、と何度か擦って、身体をねじらせて腕をもう一段階先まで伸ばして、親指以外の指を握る。シャーペンを筆箱からつかみ上げるような、細い手触り。そういえば神家と手をつないだことは一度もなかった。

「もういちど、むかしにもどって、おしえて、ほんとうのねがい、ください」

神さまの声が、薄れていく。色あせたポスターみたいに視界が白くぼやけていく。ひょっとして、世界の終わり方が変わっただけかもしれない。でも、神さまはもう一度昔とか言っていた。その言葉を信じるなら、素直な気持ちで受け止めるなら、世界は遡るのだろうか。

「加藤さん、下」

神家さんの言葉で私は下に目線を送る。まばたきで届け終えた眼球が捉えていたのは、あの岩場だった。でも、さっきまで私たちが居た岩場ではない。空は晴れ渡っていて、海は静かできれいな青色のまま。そして、岩場には二人の人影、私と神家さんがいた。
これは、どういう現象だろう。タイムリープ?トラベル?走馬灯?正しい名前が思いつかないが、とにかく時間がさかさまに移動したのは間違いないのだろう。

「本当の願い」
「え、何加藤さん」
「本当の願いを、捜そう。神さまは昔に戻って、って言っていたし、私たちが本当に叶えてほしかったものを探そうよ」
「本当の願い、か、そやけど」

神家は一瞬息を詰まらせるが、顔を歪ませて私に視線をぶつける。

「もし、本当の願いが、変わらんかったら、どうしよ」

もし、世界の滅亡と、二人の存続が叶えたいという事が、私たちの真理だとするならば、その時は二人で。

「まって、二人が動いてる、静かに」

単純な会話の転換で私の思いをごまかして、私は神家から自然を外す。昔の私たちの周りにある世界は、どこまでもきらきらして、祝福と共に守ってくれているようだった。

****

同級生が浜辺て奇妙なポーズで石に向かって苦悶の声をあげているところを見てしまった。私はその姿を無視することが出来なかった。あまりにその表情が切実で、苦しそうで、とてもしている行為とかけ離れていたから。
「何してるの」
「あ、加藤さんやない」
関西弁で私の名前を呼ぶ彼女は、表情をぱっと明るくして、足場が悪いのにひょいひょいとこちらへ跳ねてくる。近くまで来て、彼女の胸元にぶら下がるちょっと曲がった名札に「神家」と書かれていることが分かった。
「今な、神さまに祈ってん」
「神さま?」
「そ、あそこのあのでかい石あるやんか、あれ」
指さす方にその石はあった。上の方がとがっていて、どっしりとした土台で立っている、雫のような形をした石。あれが神さまなのだろうか。しかし、周りにはお供え物とか、しめ縄のような、いわゆる神さまによく見られるものはどこにもなかった。
「なんか、ここって神話で神がいたとかって話あるっけ」
「んーん、無いで、だって私の神さまやからね」
神家さんは楽しそうに笑う。子供が初めて縄跳びを飛べた時のような、邪気の無い優しい笑顔だ。だが、言っていることはあまり噛み砕けない。私の神さま、というのはあれだろうか、カルト的なやつだろうか。私の表情が曇っていたのだろうか、神家さんは慌てて腕を振る。
「ちゃうんよ、怪しいツボとかあるやつちゃうくて、私一人で祈ってる神さまなん」
「一人だけの?」
「そ、信者も私だけの神さまや」
どう例えよかな、と神家さんは少し俯いて考えていたが、は、と声をあげて再びこちらに向きなおす。
「お腹痛くなったりする?」
「まあ、たまに」
「そん時神さまに祈ったりせえへん?」
「ああ、するかもね」
お腹が痛い時だけではなく、辛い時に神さまに祈ることはたまにあるかもしれない。
「そんときって、固定された姿の神さまおらんくない?」
「言われてみれば、そうだね」
私は、神さまと言われて姿を思い浮かべるが、出てくるのはキリストみたいな概念の服を着た人型で、とても特定の神さまとは言い難かった。
「そんな感じで、みんな神さまに適当に祈ったりするやろ、それを私は本気で祈ってん。んで、いつも毎日ここで時間かけて、平和とか、最近あったことを考えてるんよ」
熱弁する神家さんの熱量に比例して、少し曇っていた空が青色を覗かせる。ここで「ああそうなんだ、頑張って」だとか適当なことを言って帰ることもできたが、私はその熱量に惹かれている自分がいることを、知覚していた。
「それ、名前とかあるの?」
「え、あるよ、シズクさま言うんよ」
「形からとったでしょそれ」
「なんでわかったん!」
大げさに驚く神家さんの姿に、私は思わずふ、と息を漏らして笑ってしまう。そして、私は心の中にせき止めていた好奇心を溢れさせて、彼女を見つめなおす。光に照らされた瞳は、色素が薄く、琥珀のように透き通っていた。
「私も一緒に祈っていい?」

低度異常調査記録♯████2より一部文章を抜粋
追記: ██県██市██町にて城谷式異常存在感知器を使用中、当調査において確認された異常の他に、微弱ながら神的存在の発するエネルギーの感知を記録しました。追加調査として調査地点から最も近い██神社へ向かい確認したところ、同程度のエネルギーは感知されませんでした。値は非常に少なく、即座に甚大な影響を与えるような存在ではないと推定しましたが、後日再び調査に向かう際に、近似した状況で確認をして、報告をします。
浅野健司

*****

一日経ってから、私はまたシズクさまと呼ばれている岩のある浜辺に向かった。あいも変わらず珍妙なポーズで身体を捻る神家さんがそこにはいた。
「おーい、神家さん」
「あ、きたねえ」
明るい声で私の方に首だけぐに、と傾けて顔を向ける。猫のようなその姿に笑ってしまう。私は神家さんのすぐ隣の岩に近づいて、表面を撫でる。遠くから見るとゴツゴツしているように見えていたが、実際は紙やすりで整えたような滑らさを持っていた。私は岩の根元に持っていたペットボトルの中身をかける。ぱしゃ、と地面の砂を少しだけへこませて水分が浸透する。
「何かけてん」
いつの間にかお祈りを終えた神家さんが、後ろからのぞき込んでくる。
「水。ほら、お供え的な感じ?お酒は私たちまだ駄目だし、お神酒じゃなくてお水でも許してもらえないかなって」
「なるほど、お供えねえ。私も何か持っとったかな」
地面に無造作に置かれていた鞄の方へぱっと走って、中身を漁り、またすぐに戻ってきた。手には銀色の包装をされた何かを持っていた。両端がぎざぎざにカットされていて、筆記体で何か書かれている。
「クッキーなんやけど、神さま好きかな」
「神家さんの神さまだし、好きにすればいいんじゃない」
それもそうか、と言いながら神家さんは私が垂らした水で色が濃くなった砂の横にぽと、と包装ごとクッキーを置く。そして、両手をぴったりとくっつけて、眉をひそめながら唸り出す。何かまた祈ってるんだろうか。
「何を祈ってるの、そういえば」
「ん、これはまあ第一段階の祈りやけど、魚が跳ねますように、って祈ってるんよ」
「第一段階?」
なかなか祈りに聞かないワードに私は首をかしげる。
「そう、最初からでかい願いやとさ、びっくりするやん、神さまでも。やから、ウォーミングアップで軽めの祈りにしとるんよ」
「魚跳ねさせるのって、簡単かな」
「ピョン、やで。簡単やん」
「もっとシンプルに、生命に関係しないやつの方が簡単さは上でしょ」
「そうやろか、うーん」
神家さんは唸って腕を組む。スカートが汚れることも厭わずにどっかりと砂に尻をつけて座り込んだ。私はしゃがみ込んだまま、空を見上げる。快晴続きの空は一面真っ青で、ポスターカラーのようにのっぺりと広がっている。そういえば、名前の無い神に祈るシチュエーションに「雨が降りますように」というのは定番と言えるのではないか。
「雨とかどう」
「あめ?もっとらんけど」
「自然現象の方。降るように祈るとか」
「そっちかあ、え、でもそっちの方がでかない?だって世界やん、天気って」
そうだろうか、と私は考え直す。世界に生きる一つの生命を動かすことと、世界を包んでいる自然現象を一部だけ変化させること、どちらが壮大かと聞かれたらすぐには判断できない。でも、やはり長年祈ってきた身としては、後者の方が簡単な気がする。ゲリラ豪雨なんかはすぐにやってくるし。
「私は雨の方が簡単だと思うけどなあ」
「うーん、そうかな、加藤さんがそういうなら、それにしよかな」
再び同じような表情で祈りなおす。きっと脳内では願いの上書き保存が行われているんだろう。私は同じように目を閉じて、指を絡ませ祈りのポーズをとってみる。そして「雨が降りますように」と祈ってみる。が、一つのことを考え続けるのは難しい。雑念が入り込む。何をしているんだろうか、こんな放課後の貴重な時間で。いや、でも家に帰っても特に良いことはないし、むしろ時間を潰せていいのかも、ただこの姿は見られたら恥ずかしいかな、そんなことをぐるぐる考えて、大体一分くらいして目を開けてみた。が、しばらく暗闇を見つめていた瞳を太陽は無慈悲に攻撃してくる。まぶしい晴天は変わらなかった。
「やっぱ簡単にはいかへんかあ」
「まあ、すぐに起こったら怖いよね」
「でも、若者のパワーは無限大、って英語の笠原も言うとったから、早ういけるかな思ったんやけど」
笠原先生の真似をして顎をしゃくる神家さんの顔は、整っている顔の片鱗もない滑稽さだった。私はまた笑う。神家さんといるとよく笑っている気がする。神家さんと会う前に最後に笑ったのはいつだろう。数秒考えたが、やめることにした。あまり考えて楽しいことではない。
「今日はこの辺で帰るよ」
「あ、私も帰る、鞄取ってくるなあ」
神家さんはぱっと砂を少しだけ散らして勢いよく立ち上がり、走り出す。私はその後ろをゆっくり歩いて、足跡をたどる。もう一度空を見上げてくる。目を閉じている間に出来ていたのか、空の端っこに生まれたての薄い雲が、一面の青を優しく汚していた。

***

やけに楽し気に照る太陽の光が、汗ごと皮膚を焦がしてくるようで、もうすでに湿ってしまった袖で首をぬぐう。カーブミラーから真っすぐに私に突き刺さってくる光を手の甲で遮りながら、私は地図の書かれた掲示板まで歩く。
「って、これ、ボロボロだな」
所々色あせてしまっている掲示板の右下には「H14.2.11」という表示がうっすらと記録されている。今から10年以上、このままここに建っているのだろう。そして、そのまま放置しても問題がないほど、この場所は変わっていないということだ。
「あともう少し先を右に曲がれば、神社か、あってるよな、うん、合ってるはずだ。」
道筋を脳に刻むように指でなぞると、埃のない線がつう、と生まれた。何度確認しても、不安が消えることはない。
アスファルトを擦る音が、不満な私の声を代弁してくれるように、大きく鳴る。先週までこんな外での調査の予定はなかったというのに、何故私はこんなに歩いているのだろうか。プライベートでも重たい腰なのに、仕事となると深海の水圧より重くなる。本当なら今すぐにでも近くの売店で冷たい飲み物でも買って、近くの海岸をぼうっと眺める旅でもしたい。それならこの足も少しは進める楽しみが生まれるだろう。
そう思った矢先に、ポケットに入れた端末が震える。取り出すと「棚本」という名字が黒い背景に白く光っている。通話のボタンを押して耳に当てる。
「やあ、調子はどうかな」
「さっきまでは楽しい想像をしていて、それなりだったよ。今こうして話さなければもっと最高になると思うから、もう切っていいか? 」
「そんな怒る事ないだろう? ただ連絡を入れたいだけの気持ちを汲み取る余裕くらい持ってくれよ、浅野くん」
悲しそうな、しかしどこかボールの弾むような声色でそう言われて、私は眉をぎゅう、とひそめた。今の私は不運に不運が重なっている。その不運の大元を辿れば行きつくのがこの棚本なのだから、もう少し怒ってもいいのかもしれない。
「いや、確かに町を全体的に調べて、神的実体に関連しそうなスポットの調査しろ、って言う指示はいささか大変だったかな、とは思うよ? しかし、一応スポットは箇条書きで連絡してるし、回ろうと思えばそんなに時間はかからないはずなんだけど……もしかして、何かあったりした? アクシデント」
棚本が少しだけ声色を真剣にする。が、こいつは知っている。今私に何が起こっているのかを。私は息を大きく吐いて、行き先までの道のりを、大股で歩きながら声を荒げる。
「ああ、ああ、アクシデントだよ! 道が入り組んでるし、地図にあるはずの細道は無くなってるしな! 迷子だよ迷子! これで満足かよ」
「あっはは、一人でしていた賭けだけど、大勝ちみたいで安心したよ」
嬉しそうに笑う声が、電話越しに割れて耳に届く。くそ、私が地図音痴なの分かってるくせに、こいつは。
「でも、難しそうだと思ったのは、一か所くらいなんだけど、それ以外で迷ってたりするかな? だったら計算違いだし、謝るよ」
そう言われて私はさっきまでの道筋を思い出す。確かに、他の場所にたどり着くときは、1度ほど道を間違えるくらいで、なんだかんだたどり着くのは簡単だった。今の目的地だけ、何度も行き止まりにたどり着いている。
「まあ、そうだな、ひょっとして、何らかの事案が絡んでいたりするのか? 」
「いや、まあ確定はしていないよ、でもね、その場所はなんだか不思議でね」
「不思議?」
そう言うと、私は足を止めて、右に顔を向ける。所狭しと生えそろった木々に挟まれた石の階段が、奥の方へと小さくなっている。
「その場所、何というか、奥なんだよね」
「奥って、山のだろう?それなら分かるが」
「うーん、それもそうなんだけど、何というか、町の奥、というか」
「町の?」
端末の地図を開いて、ゆっくりと縮小して町の全体を確認する。上の方が細く、下に行くにつれて広がっていく、丸い三角形のような形の町だ。その中心に位置するところに、この神社はあった。
「町の真ん中にあるだろう。だから、なんだか潜んでいる感じがしないかい」
「うーん?分かるような分からないような……」
「私も確信を持ってこうだ、とは言えないんだよ、だから言わなかったんだけど」
だから、気にしなくてもいいよ、と棚本が軽く笑う。が、私はじっと、階段の奥を見つめる。奥に向かうにつれて暗くなっていく緑色のトンネルが、狼の瞳のようにじっとりと私を見つめている気がして、唾を飲み込んだ。
「足音が聞こえなくなったってことは、ついたみたいだね、じゃあ、あとは頼んだよ、調査が終わったら、近くの海でも見ながらゆっくり帰ってきていいからね、じゃ」
「あ、ああ分かった」
私が答え終わる前に、ぶつ、と通話を切られた。不安だけ軽く植え付けて切りやがって、と私は怒りと共にポケットに端末をしまう。そして、階段を上り始める。ここで「こんなこと怖くなんてない、何も起こるわけがない」と高を括るようなことはしない。恐怖はある。その恐怖を受け入れたうえで、前に進む。何が起こるか分からない、その恐怖は捕らわれてはいけないが、忘れてはいけないものだ。一段一段踏みしめながら、私は心の中で、今回の目的を思い出す。
神的実体の反応の再確認。実にシンプルな目的だ。オブジェクトの検査くらいならば、機器を使って短時間で済ませられる。が、今回は少しだけ特殊な状況だから、そう一筋縄ではいかない。その神的実体の反応が、かなり微弱なのだ。雨で言うならば霧雨の降り始めほどの弱さ。無視できる値として見逃すこともできるかもしれない、その程度だ。神様の関連する建物、祠などの周辺であれば、こんなことは結構ある。
ただ、今回は違う。町全体だ。町全体に微弱な神的反応がある。それもずっと。先ほどの例えを借りると、常に霧雨が降り続けているという事になる。こうなると流石に無視することはできなかった。だから、実地調査として私が出張ってきた。だが、派遣されたのは私一人だけだった。
「いくら小さいからって、人員をもうちょい派遣しても、良くないか、まったく、私はデスクワークが、好きだと言うのに」
一段一段踏みしめるまどろっこしさに、一段飛ばしで対抗したが、体力が底をつく音が聞こえるようで、財団への恨み言でかき消しながらずんずんと上がる。少開けた場所で一度足を止めると、鈍い痛みが足にまとわりついてくる。荒い息を整えながら、先の方を見つめる。先ほどよりも、周囲の音が小さくなっているようだった。

「なっがすぎる! 何の意味があるんだ、こんな高さに神社を置くことに!」
10分くらいしか経ってないのかもしれないし、1時間も経ったのかもしれないが、とにかく長いことは体全体で感じ取っていた。帰りも同じ道を進まないといけないと思うと、げんなりする。上りより下りの方が階段は辛い気がする。重力に従って段を勢いよく降りると膝が辛いし、だからと言ってそっと降りようとしても、逆らう気力で疲れる。はあ、と口に出してため息をついて、私は目の前に建つ古めかしい建物を見る。入口を塞ぐように大きな賽銭箱が置かれている。周囲には規則正しく灯篭が立っていた。少し離れたところに、手水所があったが、のぞき込んでみると、溜まっていたのは乾いた葉っぱだった。そうとう長い間放置されていたのだろう。屋根があって入りにくいはずなのに、半分ほど埋め尽くしている。
よいしょ、と背負っていたリュックを下ろして、さらにリュックの中のアタッシュケースを開く。ふかふかの黒いスポンジにはめ込まれた手のひらサイズの機器をそっと取り出す。もし石畳に落として壊しでもしたら、どうなるか分からない。何億円とか、そんな次元じゃない責任の取らされ方を想像して手汗がにじむ。そっとスポンジの上に置いて、ズボンで手のひらを拭きながら一応周囲の確認をする。万が一見られていたら、余計な仕事が増えてしまう。
「よし、大丈夫だな」
銀色のアンテナを賽銭箱の前あたりに設置して、スイッチをぱちんと跳ねあげると、黒い画面に緑色の字が高速で連なってスクロールしていく。ここに表示される項目の1つ1つを私は詳しく理解できていない。が、結局は最後に出る数値さえわかればいいから、目線を空に向けて、結果が出るのを待つ。が、すぐに甲高い電子音が長く鳴る。測定完了の音だ。
「あれ、もう鳴ったのか」
この町に来て最初は、測定なんかすぐに終わると思っていた。しかし、実際はそんなに単純ではなかった。微弱だからこそ、断定するまでにはそれなりに時間がかかるみたいだった。だから、こんなあっという間に終わるなんて、少し不安になりながら画面をのぞき込む。
「0」
画面には表示されていたのは、それだけだった。小数点もない、二桁目も一切ない、純粋な0。ここには一切の反応がない、何も神の跡が存在しない、ただの場所だった。微弱ながらも神が空間に常に存在していた町の中で、神社のある場所だけが何も反応がないというのは、何とも気持ちが悪い不和だった。
「何が、ここで起こったんだ……?」
機器を片付けて、報告の準備をしながら、先ほどよく見れなかった空をもう一度見つめる。薄い雲さえ一切ない、機械が塗りつぶしたようにただ一色の青色だった。

***

真っ黒な道を、スマホの光で切り拓きながら歩く。アスファルトに埋め込まれた小石が時折きらきら光る。いつもより敏感になった鼻に、潮風が無遠慮に入り込んでくる。ポケットに入れたライターとロウソクが振動に合わせて楽しそうに鳴る。
「あ、加藤さん、やっほー」
遠くから光が近づいてきたと思ったら、光に照らされて神家さんの顔がぼんやりと現れた。肘からぶら下がっているレジ袋から「超豪華!色とりどり花火50本!」と大きくプリントされた花火がはみ出ている。
「ライター持ってきてくれた? 」
「うん、多分オイルもあるから大丈夫」
「風も今弱いなあ。まあ、いつ強うなるか分からんし、はよいこか」
たたっと駆けていく後姿を慌てて追いかける。
ものの数分で、いつもの集合場所になった岩場に着いた。平たい面のある大きな石を探して、そこにロウを垂らして、ぐっと立てる。薬指ほどの長さのロウソクの火は、神さまの石の形とよく似ていた。
「ここ千切るって知ってた? 」
神家さんが花火の先のひらひらした紙を千切りポケットにしまう。ここを取ったら火つけやすいねんなあ、と言いながら、火の中心にそっと添える。小さな火花と共に、火薬の煙が喉に届いて、追い出すために軽く咳をした。花火は緑色の光をばらまきながら大きくなっていく。久しぶりに、色のついた炎を見た気がする。炎色反応の実験で見たのが最後だろうか。緑は銅だっただろうか。そんなことを考えていたが、すぐに目の前の綺麗な風景に意識を集中することにした。
「私もやるよ、火貸して」
「ええよ、はいはい、消えそやからはよはよ」
急かされて慌てて先をくっつけ合う。言ったとおり、すぐに消えてしまったが、最後の火花が上手くアプローチをしてくれたのか、すぐにしゅうしゅうと音を立てて火を散らし始めた。白色だった。
「珍しくない、白って」
「せやねえ、色々な火薬混ぜとんやろか」
「光は、全部混ざると白くなるんだよね」
「絵具と違ってそうらしいなあ。色んな色が混ざり合って、こんなきれいな白色になるって、なんかええね」
そう呟く神家さんの頬が、おしろいをつけたように白く染まる。下に来ている制服の赤いリボンと白い布地と相まって、どこか巫女のように見える。が、すぐに花火の火は消えてしまい、神家さんの姿が闇に紛れる。花火の音が無くなり、静かになって、ふと今回の目的を思い出した。
「これ、ちゃんと神さまに見えてるかな、もう少し近づいた方がいいかな」
「ああ、確かにな、もうちょい近く行こか」
しゃがんだまま石のあるところに移動する。そして、花火に火をつけて石を照らすように先を向ける。ごつごつとした表面の陰影を光がくっきりと彫る。何となく、神々しさを感じる白い花火は、直接石に火花をぶつけてみた。これは、神家さんの考えたお供え方法だ。人魂やとんど焼きみたいに、火は神様の儀式に使われることが多いから、楽しい方法でできれば、と思い花火をしようと決まったのだ。
「なんていう儀式になるんだろうね、これ」
「うーん、火を贈ってるし、贈火式、とか?」
「贈火式、か」
卒業式みたいな堅苦しさがあるが、それもまあ儀式らしさが出ていいかもしれない。気が付くと神家さんは細くよられた線香花火を取り出していた。どうやら最後の普通の花火はもう終わったらしい。
「さ、あとはこれで終わりやで、これあげるわ」
「ありがと」
火をつける。小さい火の玉が生まれ、ぱん、と小さく音がして菊のような火花が散り、数を増やす。こんねに賑々しくて元気のある花火なのに、終わるときはどうして、普通の花火よりも悲しく感じるのだろう。
「終わらなければ、って思うよね」
「思うわー、それ、めっちゃ。あ、でも、元気ないなってきた」
がんばがんば、と声をかけるが、火花の数は少なくなっていく。そして、全てが消える前に中心の火の玉が死んだ蝉のようにみじめに落ちる。そう思っていたが、予想より長くぶら下がっている。そして、見つめていた花火の先っぽで、落ちることなく、火の色だけを失った。
「え、落ちなかった」
「やば、初めてみたわこんなん。すごない?」
そう言う特別な線香花火かと思ったが、パッケージにそんな記載はない。大げさかもしれないが、これを例えるなら。
「奇跡、ってやつ?」
「祈りは通じたんや、ってやつ?」
二人の声が被る。そんなことは初めてで、思わず顔を見合わせる。闇の中、少しだけでも慣れていた目だと、彼女の表情もちゃんと分かった。親の口によって喋る人形を、初めて見たような、そんな顔だった。

ーーーーーーーー
このように、二人で神さまを信じて神さまを発現させようとする、青春の一コマのようなTaleと、その陰で研究員が二人の作り出した神的存在の経過観察を行ったレポートを挟み、最終的にその神さまがすごい力を持って、何かを一瞬起こして、消えていくところまでを二つの視点で描いていくような作品にしたい

まだ、神的存在が二人によって生まれたと研究員か気づいたときの対応については考えていない。危険視して二人に接触するか、神的存在を保護する名目で経過観察を行うか?


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