スシブレードの歴史……
それは遥か二百年の昔
江戸時代にまでさかのぼるという
古代よりスシブレードは
寿司をぶつけ合い鎬を削る
奇跡論的な遊戯であった
それらは、「鮨相撲」と呼ばれた
今、スシブレードを駆り
寿司寿司の戦いに挑む少女がいた
光と闇 二つの顔を持つ少女
人は彼女を「大江戸淑女」と呼ぶ
【A&B part】
「さようなら、皆様」「良ければまた明日誘っていただけるかしら?」「ごきげんよう」「私たちも向かいましょう」「ごきげんよう、また明日」「ごきげんよう」「ごきげんよう」
傾いた太陽がジリジリと肌を焦がす、ある夏の日のこと。
私立伽美阿女学院の前庭では、下校時間を迎えた多くの生徒が涼やかに談笑を交わしている。校門へ向かって歩く者、友人と何か約束事を交わす者、噴水の前で迎えや他の生徒を待つ者、東屋で話し込む者、思い思いに。
それらを横目に、私はベタつく長い黒髪をほどいてもう一度うしろで結び直した。校舎から落ちる大きな影を出て、夕暮れになってもジワジワとうるさい蝉時雨に眉をひそめながら、足早に進む。特に誰とも言葉を交わすことはない。リュックサックの肩紐を握り直し、足元から伸びる長い影を追って校門を後にした。
車通りの多い大通り沿いをしばらく進み、ショートカットのため広い公園に入る。背の高い常緑樹が風を受けて枝葉を揺らし、ウッドチップの細いジョギングコースに影の縞模様をつくる。犬を連れてジョギングをする人、ベンチに座って休憩する老人、低い生垣の向こうにはボール遊びをする親子連れもいるようだった。
足早に公園を通り過ぎ、反対側の出口から道に出ようとした時だ。中央にある噴水の向こうから聞き覚えのあるフレーズが聞こえ、小さく歓声が上がった。
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
ふと足を止め、少し回り込んでみると 広場の反対側で2貫の "スシ" が戦いをが繰り広げられていた。
それぞれを操る対戦者は見覚えのある制服を着ている。どうやら私と同じ学院の生徒のようだ。すぐそばでは同級生らしい数人が双方を応援していて、近くのベンチに座っている子供が歓声を上げ、通りかかった通行人も興味深げに足を止めている。
輪を描くように動き周り、回転しながらぶつかり合っているのはサーモンとカンパチの握り。どちらも人気がある定番のスシだ。カンパチが優勢らしく、心なしかサーモンを応援する声が大きい。
バシッ バシッ ビシッ
しかし何度かの衝突のあと、サーモンがグラグラとバランスを崩しゆっくりと回転を止める。敗北だ。
先ほどまでよりもっと大きな歓声、あるいは励ましの声が上がり、次は見学していた生徒2人が交代で対峙する。広場の向こうから更に数名の生徒が合流しようとしているようで、もしかしたらこれからもっと大人数で遊ぶのかもしれない。
始まった対戦を見終えることなくその場を後にする。公園を出ると、道路を挟んで反対側の道から小さな子供がスシを持って駆けて来るのが見える。スシのラッピングバスが公園前に停車し、少し離れたコンビニの前には新作スシの販売を示すのぼりが立っている。
珍しくもない光景だ。今やあの "オモチャ" は社会現象ともいえる大ブームであり、きっと明日も明後日もこの公園で……いや、全国でスシが回されることだろう。スシは日常に溶け込んでいる。
スシブレード。
数年前から世界規模で流行している対戦型ホビーだ。プレイヤーは片耳にデバイスを装着し、用意した寿司に小指の爪ほどの専用チップを埋め込む。寿司はデバイスから読み込まれた脳波に応じ、特殊な技術で浮遊・回転し、"スシブレード" となる。プレイヤーはこれをぶつけ合わせ、どちらかのスシが自壊または停止するまで争う。
人気の秘訣はその奥深さと対戦の熱狂にある。
用意する寿司は市販のものでも問題ないが、シャリが硬いと回転力が地面に伝わりにくくなるため、なるべくふんわりと、しかし自壊しない絶妙な寿司を自作するのが至上とされる。地面との接触で回転力を削がれないために酢の選定にも注意を要し、当然、直接敵スシに接触するネタは無限の選択肢と可能性を持つ。努力次第では特殊なエフェクトを発生させることもでき、そのカスタム性・戦術の多様さは凄まじいものだ。
回転力はデバイスから読み取った脳波に影響されるが、これは概ね「スシを信じる心」「明確なイメージ力」「戦闘の興奮」が強いほど回転が強くなるとされている。スシを相棒として信じ、勝利を渇望し、熱いバトルを求めるほど強くなるという単純でロマンあふれるその仕様は、ホビーアニメシリーズの人気爆発も相まって老若男女を問わず多くの人々の心を掴んだ。
今やスシはあらゆる媒体の宣伝・広告に顔を出し、世界大会はオリンピックにも引けを取らない盛り上がりを見せる。ネット上には寿司やネタの情報が溢れ返り、スシ・インフルエンサーもメディアに顔を出すようになった。極少数顔をしかめる "上品" な人々もいたが、私が通うような所謂お嬢様学校にも人気の波が来ている……いずれスシブレードを嫌う者は皆無になるのだろう。
スシについて考えながら大通りを逸れ、しばらく寂れた住宅地を進み、脇道に入る。
このあたりは古い商店街に近く、入り組んだ路地が多い。大型室外機の合間を縫い、捨て置かれたビールケースの横を過ぎ、壁の隙間を通る。どんどん人の気配は少なくなっていき、ただよう空気は料理や洗剤にカビや土など様々な香りを含み始める。そんな中で更に数度角を曲がると、目的地に着いた。
ここは四方を廃ビルの壁に囲まれた空き地だ。薄くコケが生えたコンクリートの壁と、まばらに雑草が生えた固い土、傾いた「売地」の看板とねじ曲がった枯れ木、金網が付いた排水溝、あとは橙色の青天井しかない。ここに来るにはL字の通路を通るしかなく、廃ビルに囲まれた寒々しい荒地にわざわざ来る人など皆無だ。私以外は。
リュックを下ろし、スシを取り出した。黒いイヤーカフ型のデバイスもポケットから取り出して装着する。
大人気のスシブレード、かく言う私も大好きだ。アニメは一昨日夜の最新話まで全シリーズ見ているし、自分の部屋にはたくさんの漫画やグッズもある。スシの握り方もだいぶ上達してきたと思うし、色々なネタを試して最近は手になじむネタも絞り込めてきた。さっきも公園での対戦を見て、イメージトレーニングしていたくらいだ。
足りないのは そう、友達である。
私は……私は友達が少ない。というのも、好きなものにこそ詳しいがそれ以外のものにものすごく疎いのだ。同世代に流行りのアイドルや歌、コスメやファッション、イベント事やグルメにも詳しくない。話題を合わせられない。そもそも家では勉強に多くの時間を割くし、これは怠れない。
そして私が通っているのは俗にいうお嬢様学校。だが私の暮らしはお嬢様というほど裕福ではない。通学・生活していられる程度のマナーは身に着けているつもりだが、お稽古・お食事・バカンスなんかのセレブリティな話題にも乗っていけるわけではないのだ。
楽しいものを同じ視点で楽しめないこと、"実感に共感できないこと" は友達作り、ひいては人間関係の構築において致命的な問題だと痛感する。そしてこれは、スシブレードでの交流という選択肢においても支障をきたす。私個人にとってスシブレードとは……暇潰しのホビーであり、好きなアニメのグッズであり、そして、妄想のタネでもある。
最近はちょっと恥ずかしくなってきて公言しなくなったが。いわゆる中二病である私はオリキャラが創作世界で無双したり、現実のトラブルを解決したりする妄想をするのが大好きだ。授業中の教室に「魔の者」たちが襲来して同級生や教師を捕らえ、私はオリキャラを手早く厳かに召喚し、敵の命乞いに耳も貸さずに切り伏せてふふんと笑うのだ。あらゆる状況あらゆるパターンでだ。
スシは今の私の武器であり、いつでも懐から取り出せる相棒だ。毎朝鍛錬も兼ねて握っている。様々な設定を練り込み、単体で放てる華々しい必殺・絶技・妙技・秘技・最終奥義の数々を持ち、オリキャラとの合体技も存在する。その動きは華麗かつ凄絶。素早い動きと絶え間ない連撃で反撃の余地を与えない。アニメスシブレードのキャラクターとも何度もイメージトレーニングをこなし、その戦略に隙が無いことを確認している。無敵の相棒だ。
それで、これでどう "友達" と遊ぶのだ。
技名とか友達の前で堂々と言えるか!! 言えないが!? いやでも……ちょっと超かっこいいし……妄想も、スシも、もう手放すには惜しいほど手に馴染んでしまった。
「………………はぁ……」
スシを夕空に掲げてみる。
真名まなは『奈落天暗黑掌アブソウルド=シャドウテンタクル』。「大洋の白蔓」を「極透結晶」で漬けたものに「夜の滴」を垂らし和えたものを軍艦巻きとして設えた逸品。暗黒海の芳香に臆することのない選ばれし者にしか扱うことのできない至高のスシ。
……という設定の黒造り軍艦だ。イカの塩辛にイカスミを和えたネタで、見た目はツヤのある漆黒の軍艦寿司。さすがに夕方まで懐に入れておくと少し生臭い。スシブレードのチップに抗菌・防腐効果が無ければとても持ち運びできない代物だ。だけど、夕焼け空にキラキラと輝くスシは濃厚な設定と愛着も相まって最高に輝いて見える。
「……」
スシに秘めた思いは人それぞれで、それがすべて語られるとは限らない。アニメ4期でレンジも言っていた。つまりこのスシの背景アレコレだって、私が心の内に秘めていれば良いのだ。相手にわざわざひけらかす必要も無い。
手の中のスシをもう一度眺め、壁に向き直る。壁面の汚れはほとんど吹き飛んでいて、他の壁よりも明るい色をしている。気のせいだと思うが、いつも使っているせいか微妙にへこんでいるようにすら見える。
「……3、2、1、へいらっしゃい!! ……3、2、1、へいらっしゃい!!」
掛け声とともにスシを射出し、いつものように壁打ちを始める。一回一回、対戦開始までにする名乗りや対戦相手との対話を思い描きながら。仮想の敵と戦い、打ち倒しながら。
家に帰る前、帰り道の途中にここでスシブレードの練習をしていくことがよく 頻繁にある。最近頻度が増えた気がする。まっすぐ家に帰るべきなのはわかるが、叱られているわけでもないし、きっと……就職や趣味、人間関係の悩みや寂しさを慮ってくれているのだろう。特に、友達が少ないことは夕食のときに少し心配しているふうでもあった。 見透かされているのだ。
スシを自分の足元に寄せて、拾い上げる。
いつか、いつか友達は欲しい。一緒にスシを回せる友達が。一緒に遊べる友達が。練習していれば、上達できれば、いつか誰かとスシブレードができたなら、その人と友達になれるだろうか?
「……へいらっしゃい!! ……へいらっしゃい!!」
射出。回収してまた射出。
回転を利用して斜めに着地させ、仮想の敵を中心に円を描くように回す。敵の攻撃を躱して急旋回。上手くいなして体当たりを決める。思い通りに戦略を組み立てる。対人戦ならこう上手くはいかないだろうが、イメージトレーニングの敵は思い通りに吹き飛ばされていく。
友達との対戦とはどんなものなのか。やっぱり勝ったり負けたりを繰り返すのかな。一緒に練習して、まだ見ぬ対戦相手やスシとも戦って……もっと言えば、あのアニメほどドラマチックにはいかなくても、この嫌な気持ちを振り払うような、冒険心がくすぐられるような日常を送れるようになるのだろうか。
また拾い上げ、構える。
「へいらっ」
パキン。
その時、背後で小枝が折れる音がした。
「 っ!! だっ、誰だ!?」
反射的に叫び、振り向く。気のせいか、風の悪戯であってほしかった。しかし、人影が売地の看板の陰に隠れたのが見える。咄嗟だったのか足元とスカートの裾が見えている。スカートの色は私が履いているものと同じだ……-伽美阿女学院の生徒? 私の頭が絶望に傾く前に、本人も逃げ場が無いと理解したのか姿を現した。
奥の通路に射し込んだ淡い夕陽を背に、ひとりの少女が仁王立ちを決める。
縦に巻かれたブロンドの髪が、光を透かして金色に輝く。西洋風で高い鼻筋、活発そうな太めの眉、自信に満ちた表情でまっすぐにこちらを見据える青い瞳からも溌剌とした性格が垣間見える美少女だ。私と同じ伽美阿女学院の制服を着ているが、高めの身長と、厚手の生地越しでもわかるグラマラスなプロポーション、背筋を伸ばした美しい立ち姿は……なんというか、同じ制服でも私なんかより "サマ" になっている。
予想外にして初対面の闖入者。ただでさえ混乱しているが 私が初めて見る彼女の言動は、私をさらに混乱させた。
ゆっくり、こちらに左手を、頭上に右手を掲げ、左足を前にスッと差し出す。なにか印を結んだような手つきで、私の方をキッと見つめる。ヨーロッパかどこかの民族的なダンスにも、能か何かの伝統芸能にも見える……ありていに言えば "キメポーズ" をとり、朗々と宣言した。
「わたくしは闇寿司四包丁が1人、"ペティナイフのカタリーナ"! 人呼んで"大江戸淑女・カタリーナ"ですわ! 野良のスシブレーダーとお見受けします! 本意ではありませんが、貴方のおスシ わたくしの華麗なる舞踏で討ち倒して差し上げます!」
自己紹介だ。
「!?」
自己紹介か?
アニメスシブで混乱したときに流れるBGMが脳内で渦巻く。一言一句わけがわからない……いや、スシブレーダーと言ったのはわかるが。勝負? いやそれ以外の語が何もわからない。大江戸淑女? ペティナイフ? カタリーナ……は……名前だろうか。それと 。
「闇…寿司……四……包丁……?」
思わず口をついて出た。
闇寿司四包丁、この言葉だけは聞き覚えがある。アニメスシブレードの敵幹部だ。"闇寿司" なる悪の組織の首領 "闇親方" に忠誠を誓う(劇中では)8人の四天王。その数は本質的に無数とされ、各々が様々な特殊能力や異端のスシを持つ。その四包丁を名乗る少女が……何やら私にスシブレード勝負を挑んできているよう口ぶりだ。
まるでアニメの世界の話。
「そう。わたくしは貴女の敵ですわ! 鍛錬の途中に申し訳ありませんが、わたくしとスシブレードで勝負いたしませんこと? すなわち、"実戦"ですわ!」
胸を張って再度宣言。どうやら私がスシブレードの練習をしているのを見て、対戦を申し込んでいるらしい。これは、確かなようだ。
喉から手が出るほど欲しかった誘い文句。ふたつ返事でとにかく対戦開始と行きたいが、ただ、なんだろうかこの妙な立ち振る舞いは。名乗る直前まではThe・美・お嬢様という雰囲気だったのだが、言葉遣いもどことなくエセおじょ……創作物のお嬢様のようで、ポーズを決めたり、アニメの敵キャラを名乗ったり、急に勝負を挑んだり。これは……。
「 ッ!!!!」
思わず息をのむ。重大なことに気付いた。
「……この人も……わたしと同じ……?」
中・二・病・な・の・で・は・な・い・か・?・
チラリと表情を伺う。こちらをまっすぐに見据え、なにか仲間意識のような、私を同族と確信したような何かを感じる表情だ。明らかに、なんらかのシンパシーを感じている。
この人も中二病だ。確実に。闇寿司幹部四包丁の一人、悪役令嬢カタリーナということか。いやに堂々とした名乗りに好戦的なキャラクター、間違いない。そう思うと表情やポージング、制服の着こなしまで悪役然として見えてくる。留学生かハーフのような顔立ちだし、カタリーナは本名かもしれないが……。
彼女はまだ待っている。腰に両手を当てて、こちらの名乗りを。緊張から、口の中が渇いてくる。
そもそもどうして私を中二病どうしと見抜いたのか、どうしてここを訪れたのか、尾行して来たのか? 本当に乗って大丈夫か? 疑問は尽きない。
しかし、考えるのに時間を割きすぎている。中二病であること、格好良くある上では守らなければならないテ・ン・ポ・がある。今すぐ、私が名乗り返すのが最も『格好良い』。
そもそもこの袋小路の空き地に逃げ場なんてない。たじろいで無難で普通な対応をしても先がない。これを子芝居と知りながら、児戯と悟って踊ることこそ最も愉しいのだと全神経全直感が叫び始めている。悩んでいても後悔するだけだ。全力でスシを回すべきだと。
汗がこめかみを伝う。思わず笑みがこぼれる。
…………良いだろう……乗ってきた……!!
残念かな。悪役令嬢を気取る彼女を相手取るには、きっと正義を背にする役者ロールが相応しい。
だが、私・も・敵役ヒールだ・……!!
「なるほど……わた……我に挑もうとするならば、汝は我が奈落天暗黑掌アブソウルド=シャドウテンタクルの前に敗れ去り、深淵に散る泡沫と化すのみだ……!!」
ちょっと噛んだけど、どうにか名乗り返す。私の名前言ってないけど。高揚感と恥ずかしさで全身がムズ痒いし、表情筋がプルプルする。でも、お互い名乗って始まる戦闘って "死闘" ってかんじがして好きだし、へいらっしゃいするたびに固定の名乗りを脳内反芻しておいて本当によかった……!!
「あら、なかなか様になっていますわね。ここで葬るのがもったいないくらいですわ……!!」
ピンポイントな褒めが来てしまった。
「さっきまで練習してたし……」
「え? なんですの?」
「う、うるさい! その方、構えよ!!」
聞き返すのは本当に勘弁してほしい。あとその方ってなんだ私。
ともあれ名乗りは済ませた。あとはスシで雌雄を決するのみ!!
「3、2、1、へいらっしゃい!」
「3、2、1、へいらっしゃい! ですわ!」
宣言と同時、互いにスシを射出する。相手のスシはスタンダードな射出、私はその予想着地点へ向けて打ち出す。着地点で、あるいは空中での激突を意図した初動。対人戦こそ初めてではあるが、多くの対戦動画や大会の戦績を学び組み立てた戦略に死角は無い。スシブレードには初動を重要視する戦略も多く存在するのだ。
着地点を極端に相手側に寄せるメリットは複数ある。着地してすぐ攻撃に移りやすいこと、射出の勢いのまま初撃を与えられること、そして忘れがちなことだが、速攻によって相手に回避や受け身の選択を強要し、観察の機会や姿勢の有利を得ることができる。ややダーティな戦法と言えるが、耐久力のある軍艦巻きにはマッチしているだろう。
空中を舞う相手のスシを見やる。元々私は動体視力が良い方だが、相手のスシは一瞬で何のネタかわかるくらいわかりやすい姿をしていた。
(あれは……ピンクの……薄い……生ハム? 生ハムの握り……?)
生ハムの握り。
近年は大手回転寿司でも提供され始めたものの、まだメジャーとは言えない寿司だ。生ハムの塩気がシャリの酸味とよく合うネタで、ピンクのヒラヒラとしたビジュアルが若い女性に人気があり、女性の新人スシブレーダーが使用することもあるという。
ただ、スシとして長く使い込む人は本当に少ない。なぜなら、弱・い・からだ。
その身は軽く、柔らかい。つまり攻撃力が皆無で紙のような低耐久ということだ。これだけならまだしも、回転や移動に乗ってヒラヒラと振られることで高い空気抵抗を生み、スピードにも持久力にも乏しい。ネタのはためきをうまく使えば射出系のスシによる攻撃を避けられるとも聞くが、それがあったところで他が……という性能だ。
特定の弱いスシに光明を見出すためにずっとカスタムしている人もいるにはいるが、とても実戦で使える代物ではない。スシの強さでリストを作ったら確実に最下層に来る、いわゆる雑魚ネタだ。しかもネタが大切りになっているカスタムに見える。ますます弱い。
なぜここで生ハム? ひょっとして名乗りやポーズに全振りしたいか、あるいは背景設定に何か意味があるのだろうか。一応やり込み派とも……いや、前者か。私ならキャラ設定はこだわりたいしな……。わかる。とてもわかる。
どうやら避けるのではなく受ける選択をしたらしく、生ハムは私のスシが今まさに着弾する地点から動かない。もうすぐはじめの衝突を迎えるが、一撃か二撃打ち合えば勝負ありだろう。性能差は歴然だし、設定に要素を振っているなら軽めに戦闘を終えてしまって……できれば普通の自己紹介をしたい。
初撃で打ち合い、生ハムは大きくバランスを崩し、『奈落天暗黑掌』の二撃目を受けてあえなく沈む。もしかしたら一撃で戦闘不能に持ち込めるかもしれないな。
そう思っていた。
直撃の寸前、生ハムがヒラリと身を翻す。
「なっ……!?」
機敏な回避に対応できず、『奈落天暗黑掌』は空を薙いで着地する。
(まぐれか!?)
半ば反射的に考える。あれはネタが大きなスシだ。この閉鎖空間とはいえ、僅かに吹き込む風の影響を受けたと考えれば、おかしくはない。
しかし、急速旋回しての追撃が一撃、二撃、と避けられるうち、どうやら本当に生ハムのスシがこちらの攻撃を難なく躱しているのだと理解させられる。攻撃を十分に引き付け、衝突の寸前にヒラリと身を躱す。空気抵抗など微塵も感じさせない、闘牛士やダンサーを思わせる華麗な動きだ。
その弱さゆえとはいえ、有名なスシネタだ。彼女のスシが他の生ハムと比較にならないほどスムーズに移動しているとわかる。私が想定した、くるりくるりとゆっくり回る最弱のスシの姿など、そこには無かった。
「そんなものですの? せっかく良いおスシを持っているのに。おスシが泣いていますわ~?」
腕を組み、口元に手を当てて煽るカタリーナ。サマになっている。それに、初撃で仕掛ける情報のアドバンテージもすっかり失ってしまったらしい。ネタが割れたとはいえマイナーなスシだし、詳細な性能までバレていなければ良いが……。
どういう絡繰りかはよくわからないが、あの生ハムは、あるいは繰り手たる彼女は普通とは違うようだ。今なお軍艦巻きゆえの重量と防御力で攻め続ける『奈落天暗黑掌』を上手く躱しているし、余裕綽々とした彼女の様子を見るにスタミナ切れも望めない……可能性がある。
このままでは膠着状態となるか、ひょっとしたら競り負けることすらありえそうな気配だ。
「フンッ、まだだ!!」
ここで啖呵を切る。挑発には乗るに限るから。そして、打開策があるからだ。
"必殺技"。
初代アニメスシブレードから使用されている特殊な攻撃。派手なエフェクトと共に繰り出される魔法じみた攻撃は、華々しく奇抜に闘いを彩ってくれる。主人公は師匠からスシと心を通わせることの大切さを学び、共に研鑽を重ねた末に最初の必殺技を会得する。それ以降も頻繁に使用し、時に新たな、時に進化した技で視聴者を沸かせてきた。
ホビー版スシブレードでも "必殺技" は実装されている。ある程度熟達したブレーダーは、デバイスから発する脳波を経由してアニメと同じようにスシから爆炎や雷撃を放つことができるのだ。もちろん、本物の炎や電気ではなくシャリに内蔵したチップが投影するソリッドビジョンなので、安全面の問題はない。
しかし、敵のスシにはしっかりと影響する。熱波で焦げ、激流に揉まれ、岩壁と衝突し突風に舞い上がる。互いに敵ブレーダーの脳波も受信しているためだ。二次元世界を切り取って直接三次元場へ持ち込んだような大迫力の映像は、はじめのブレーダーが披露して以来常に人々を魅了してきた。
私は、"必殺技" を使うのが得意だ。どんなスシを握っても、少しの練習だけですぐに狙ったエフェクトを発生させられる。スシの上達に同じく、必殺技の発動に必要となるのも猛る心と鮮明なイメージが重要。常に厨二心と共にある私にとって、その容易さは呼吸にも等しい。
必殺技の発動に、ポーズや掛け声を合図とするのも良いという。タイミングを明確にしたり、いつも同じ感覚を掴めるようにする工夫だ。これは多くのブレーダーに有効だと認められていて、実際私も使っている。私の "必殺技"、その発動条件は 技名の "詠唱" だ。
「『堕黑凍絞凶握』グラスピングスケアー!!!!」
「!」
呼応するように、『奈落天暗黑掌』から冷気を纏う弾丸が射出される。
黑く堕ちた天海の刃で、敵対せし総ての者に敗者の烙印を刻み込む。然る後に投降を赦し、凍え、声を絞り出してどうか救いをと崇めて、初めて、その凶悪なる力で命を摘み取り、握り潰す。
……という背景を持つ攻撃。黒造り軍艦には元よりネタを射出する攻撃が可能なのだが、これに冷気のエフェクトを加えた技だ。黒造りの表面に纏うぬめり成分が射出の空気抵抗で鋭い形に整ったところに、冷気を纏わせて凍り付かせ、鋭い槍として敵のスシを貫く貫通攻撃……をイメージしている。冷気はホログラムだから凍らないのだが。
それでも、通常の打撃ダメージに加えて冷気のダメージを与えたかのような効果を期待できる。シャリを凍らせてスリップさせたり、ネタによっては可動部を凍らせて機能不全に陥らせたりできるはずだ。実際、壁打ちで試した時には硬い音が鳴っていた。
さっきまでの突進とは打って変わって不意を突いた遠距離攻撃。弾丸として細長い形状のゲソは、直線的でこそあるがその分高速で敵のスシに届く。いかに生ハムにしては素早いとはいえ、これは避けられないだろう。
しかし、またしても狙いは外れる。
「ハッ!」
一瞬、彼女が挙げた掛け声に呼応するように生ハムがブレたように見え、完全に突き刺さったかに見えた『堕黑凍絞凶握』が急角度で方向転換し、遥か彼方へ飛んで行く。
「!?」
何が起こったか理解できなかった。完全に直撃コース、シャリへの被弾から継戦不能まで見えた奇襲だったはずだ。いかに巧みな動きで翻弄出来ようとも、素材が生ハムである以上防御力が低いのは確実で、被弾=瀕死の図式は崩れない。元より射出攻撃を弾く戦法があると言っても、何かデタラメな絡繰りでもなければあの不意打ちのあの攻撃をあの土壇場で……。
いや、違う。おそらく技術のみで回避された。そう見るべきだ。
思えば、左回転の生ハムの回転軸に対してやや右に着弾していたように思う。受け流しやすい位置に着弾したことに加え、彼女の操作精度、あの生ハムの操縦性、噂に聞く生ハムの防護技能も加味するならある種当然のミスかもしれない。すべては、まだどこかで彼女を並みのブレーダーとして見ている私の驕りが招いた結果。
目下最大の問題は『奈落天暗黑掌』がもうだいぶ消耗してしまっていることだ。序盤の連打に必殺技の使用、言い訳がましいがスシのコンディションも決して良くはなかった。ここから繰り出すことができる必殺技も少なく……今の失敗も踏まえてここから切れる手札は……。
そう逡巡する間に『奈落天暗黑掌』を眺めて 闇寿司四包丁 "ペティナイフのカタリーナ" は云う。
「お見事な "必殺技" ですわ! それほどの技を使いこなすとは……どうやら、お遊びはここまでのようですわね……!」
「ぐっ……!! 」
残る手札は『堕黑凍絞凶握』の連撃。全弾撃ち切って、一気に決める……!!
早くも劣勢の正念場。残るリソースはあちらが有利で、腕前でも完全に負けている。が、回避に徹しているということはやはり被弾は形勢逆転に直結すると見ることができる。低精度ゆえ上手くいくかは分からないが、なるべく芯を捉える射撃を試みて、どうにか……!!
何より、煽られてばかりはいられない。できれば一泡吹かせて何かしら言い返したいところだ。そのあとゆっくりあの超常的な挙動についてお伺いを立てるとしよう。
「減らず口は冥府で叩くが良い!! 『堕黑凍絞凶握』!!!!」
射出された『堕黑凍絞凶握』は再度生ハムのスシに迫る。そしてすかさず次弾準備。今度の攻撃は完全にクリーンヒットのコース。まだ数発は撃てる……これで無理なら今度はもう少し左を、さらに無効化されたならフェイントや周囲への攻撃を狙ってみよう。苦肉の策ながら可能な限りの戦略を立てて、これではどうだと対戦相手の顔を見やる。
その刹那、カタリーナは笑みを浮かべていた。
直後、生ハムに突き刺さった『堕黑凍絞凶握』が直角に空へ弾き飛ばされ、それ以上の超高速で生ハムスシが『奈落天暗黑掌』へ向け跳躍する。
「なっ!?」
それはちょっと意味不明が過ぎないか!?
「ご賞味あそばせ? これが、生ハムの力ですわ~!!」
対応する余地もなく生ハムの一端が『奈落天暗黑掌』を捉える。そのままぐるりと回り込むように包み込むと同時、そのまま跳ねるようにして両者が絡み合ったまま宙を舞う。そして、そのまま空中で宙返りしたかと思うと『奈落天暗黑掌』だけが上空へと放り投げられた。
「なにあれ!? 『堕黑凍絞凶握』が!?」
間抜けな悲鳴と共にようやく思考が追い付いて来る。
着弾の瞬間、バチンという音が聞こえそうなほどの急角度で『堕黑凍絞凶握』が逸らされたが、直後の高速接近も加味すると……弾丸の勢いを利用されたと考えるのが妥当 だろうか? 理屈はわからないし、どれほどの早業をもってすれば可能なのかもわからないが、直前までの "身軽で素早い" 動きとは完全に違う急加速に見えた。
衝突後の投げ技も奇妙だ。急接近は空中で『堕黑凍絞凶握』の弾丸を回転軸か足場に……強引に解釈して、そうしたしても、今度は『奈落天暗黑掌』ごと跳躍している以上、支点は別の場所にある。生ハムを手足のように地面に突いて跳んだ……? いや、あの柔らかさでは無理だ。原理不明の手段でネタを指のように繊細に動かせたとしても、素材の強度は というか待て、そんなことよりも、『奈落天暗黑掌』が異常に弱っていないか?
見上げると、空中でほぼ回転を止めた『奈落天暗黑掌』が目に映る。
イヤーカフを通じて感じられる直感的な、脳波に障る程度の理解だが、ほぼ停止したと言っていいほど回転が弱々しい。触れてから投げ上げるまでの一瞬に回転を殺された……? このまま地面に叩きつけられれば完全に いや待て。回転が殺される要因は 逆方向に振り払った 接触面が 特殊な素材が ???
時間にしてみればほんの刹那。入ってきた情報が多すぎて、ぐるぐると頭が回る。あるいは、まるで現実を理解することから逃げるように、負けの言い訳を求めるように。
そのせいで、彼女の接近に気づかなかった。
「セァァァァァァアアアアアア!!!」
突如上がったカタリーナの雄叫びに驚き、我に返る。スシを見上げていた視線を下げて彼女へ焦点を合わせようとするが、本来いるはずの位置に彼女の姿は無い。その代わりに、鼻が触れそうなほどの至近距離を何かが掠めて 。
ズドッッッッッ!!!!!!!!!!
私の足元が爆発する。
「!!??」
直後、砕け散ったアスファルトが腹や胸を突風の如く打ちのめし、抗う間もなく肺の中身が全部吐き出される。身体ごと吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられたうえでゴロゴロと転がり、壁に後頭部を打ち付けてようやく止まった。
「ッ!? ガフッ!? なっ何が!?」
やっとの思いで地面に手を突き、土と苔の感触を感じながら上体を起こす。ゲホゲホと咳き込みながら爆発地点に目を向けると、地面が大きく陥没していた。象か何かが踏みつぶしたように1mほどの大穴が開き、あまりの衝撃に周囲の地面が大きくひび割れめくれあがっている。粉々になった破片が頭上から今もパラパラ降り注ぎ、粉砕された土とアスファルトが土煙のようになって滞留している。
その陰から、怪物じみた気配の何かがゆっくりと立ち上がる。
「焦ると手元が狂いますわね……ですが、2度は外しませんわよ……?」
「ヒッ……!?」
闇寿司四包丁が1人、"ペティナイフのカタリーナ" がそこにいた。
爆心地のすぐ近くに立っていたのは彼女も同じ。だが、派手に転がってあちこち汚れて着崩れた私と違い、カタリーナの着衣に乱れはない。姿には微塵の変化もない。しかし、その立ち姿からは異様な雰囲気が漏れ出ている。「覇気」、あるいは「殺気」とでも形容すべきか。立ち姿を見ているだけで身体が強張るのを感じる。
いつのまにかカタリーナの手には何かが握られていた。あれは……何だ? 棍棒のように見える。くすみがかったブラウンの、クリスマスチキンや生ハムの原木のようなフォルムをした……鈍器、だろう。よく見ると、先端付近には砕けたアスファルトのカケラが少し付着している。
なにかおかしい。
明らかにスシブレードに絡む物品ではない。デバイスでも、当然スシでもない。急激に凄みというか……人生で初めて感じる明確な殺気を放つカタリーナ。イレギュラーすぎる地面の爆発と、それに全く動じない姿勢。鈍器の先端の汚れ。……2度は外さないという宣言。
なにか異常だ。
異・常・な・膂・力・で・不・意・打・ち・の・撲・殺・を・仕・掛・け・て・き・た・。そうとしか思えない。
身体が震えだすのがわかった。離れた場所に立っているのに、眼前に凶器を突き付けられているような感覚がある。原理はわからない。動機もわからない。しかしそれどころではない。明確に死が迫っている。玩具で遊んでいただけのはずが、どうしてこんなことになっている?
壁に手を突いてなんとか立ち上がる。全身が痛む。擦り傷に脂汗が沁みる。呼吸もどこかおかしい。しかし逃げなければならない。どうやって逃げ切るとか追い付かれるとか考えてる余裕などもう無い。少しでもカタリーナから距離をとるため、1歩、2歩と歩き出した。
だが、それまでだった。
カクン、と、足から力が抜ける。
咄嗟に「あ。これはもうダメだ」と悟る。足先から膝、指先から両腕、スゥっと脱力し始める。経験はないが、意識が落ちる感覚ということなんだろう。転がって多少減速はしたのだろうが、後頭部からモロに壁にぶつけられたからな。思えば、命の危機との直面や身体が飛ぶほどの衝撃、殺気を感じるなんてのも初めてだ。スシブレード初対戦で得られる貴重な経験ってこういう意味ではないと思うが……。
視界が薄暗くなってきたのに、不思議と安堵があった。直前まで命を守ろうと身体がフル稼働していた反動だろうか、疲れが一気に来て、まるで気絶に眠りのような安らぎを感じる自分までいる。もうどうしようもないし、どうにでもなれという気分だ。おめでとう悪役令嬢カタリーナ。貴女の勝ちだ。彼女がどう見ても即死級の攻撃を放つらしいことも、苦しまずに済みそうということで安心材料だろうか。
ああ、ただ 。
(もう少し動ければ、もう少し冷静なら、通報くらいは しておきたかった な )
身体が完全に崩れ落ちる前に、私の意識は闇へと落ちた。
拍子抜けだった。
表情を見るに、対戦相手の少女からはもう闘志を感じられない。壁際にへたり込み、顔は青ざめ呼吸は乱れている。今しがた放った一撃はほんのジャブ感覚のもので、決して殺す気の一撃ではない。先ほどまでは悪くない精度の必殺技を放ち、勝算があるかのような姿勢だったというのに、少し慮外の攻撃を受けた程度であそこまで動揺するとは と、カタリーナの口から嘆息が漏れる。
カタリーナの目的は少女の命ではない。尾行がバレてしまったから、不意の遭遇戦として相手取っただけのこと。スシブレードとしての戦闘を済ませてしまって、このあたりで退散するべき。そう判断したカタリーナは周囲を見回して黒造り軍艦を探す。
最後に投げ飛ばす瞬間、生ハムの僅かな粘着性とシャリ・ネタの精緻な操作によって、軍艦の回転とは逆向きの回転を与えてある。単純に回転力が激減するだけでなく、回転軸が乱れ受け身も取りにくくなっているはずだ。直前までの消耗ぶりを加味すると、おそらく地面に叩きつけられて潰れているだろう。
スシブレードの基本ルールに、敗者は自身のスシを食べるというものがある。止まったスシを少女の前に捨て置けば勝負付けは済むはず。そう思ったところで、カタリーナの目が黒造り軍艦を捉えた。
回っている。何事もなかったかのように。
「っ!? なぜ !?」
咄嗟に身構えるが、嫌な汗が頬を伝う。ここまでの戦闘で、黒造り軍艦が想定を大きく超える動きを見せたことは無かった。スシブレードでの戦闘において、油断は即敗北に直結しうる。スシが想定外の挙動を見せた場合、自分には見えない形で秘策が用意されていた可能性が高い。
生ハムスシ最大の長所は、相手のスシへの接触面の大きさ。これは空気抵抗もあわせて短所として見られがちだが、少し接触しただけで相手のスシへ密着し高い摩擦力を得られる生ハムは、繊細なスシの操作を得意とするカタリーナと相性が良い。まるで手のひらのようにネタを操作し、相手の攻撃に対しての受け身や回転への干渉を可能とする。
逃げ場のない空中で行う攻撃はある種の決め技であり、彼女が好んで使う戦法だ。回転軸を揺さぶられたり、回転と逆方向へ向けた力を受けると、当然敵のスシの回転は弱まる。通常であれば地面に接触しての踏ん張りや重量を活かして生ハムを引きちぎろうとするなどして対抗できるところだが、空中ではそのどちらも不発に終わりやすい。
今回も完璧に回転を殺したはずだった。もし干渉から逃れたとすると……黒造りの特性を生かして、逆に生ハムへ何らかの干渉を行った可能性がある ?
その可能性に気付いたカタリーナは、少し離れて待機している生ハムスシを確認する。少女を吹き飛ばした攻撃に対し、なんらかのカウンターが来るのではないかと警戒して少し離しておいたのだ。よく見ると、黒造り軍艦に何をされたのかすぐにわかった。
「まさか、イカの "ぬめり" ですの!?」
表面に変化はない。しかし、ネタの裏側がイカスミ入りのペーストで黒く汚れていた。
少女が『堕黑凍絞凶握』と呼んだ必殺技、あれはイカゲソに冷気を纏わせ、凍らせて射出したものだ。あの状態では、黒造りの潤滑性は凍結によって失われている。しかし、直接の接触となれば話は別。イカスミの潤いが生ハムの摩擦を減退させ、回転への干渉を阻害したのだ。
他にも射出攻撃を行うスシは存在し、生ハムはこの迎撃も得意とする。しかし、主要な射出系であるかっぱ巻きやいくら軍艦などはネタにぬめりが無いに等しい。納豆などは多少のぬめりを持つが、生ハムから逃れるには粘度が高すぎる。
少女自身、生ハムのような特殊な戦法を用いるスシを警戒して黒造りを握ったわけではおそらくないだろう。偶然の結果として、黒造り軍艦は生ハムの戦法が通用しづらいネタだったのだ。
「 っ!!」
カタリーナが想定外の回避に驚いている間、少女に動きがあった。苦悶の声を押し殺すように立ち上がり、一歩、二歩とカタリーナから距離をとる。
カタリーナもこれに気付き、一旦少女へ向き直るが……むしろ疑問が深まる。継戦可能な状態で逃走? 多少でも距離をとってカタリーナ本人からの不意打ちを警戒するにしても、あの状態では1秒すら稼げない。逃走の無意味さを証明するように、少女は大きくよろめく。辛うじて踏みとどまり、カタリーナを横目にまた一歩踏み出すが、そこで止まってしまった。
「どこへ行こうと 」
声を掛けようとして、言葉に詰まる。
目が合った少女は、先ほどまでとは明らかに違う表情になっていたからだ。元々あどけなさが残るような、大人びたような、どこか不思議な顔立ち。はじめは自信に満ちた表情をしていたが、対戦を経て徐々に余裕を失っていったように思えた。
しかし明らかな窮地に立った今、彼女の表情は冷たい。冷ややかな目、どころではない一切の表情が消えた鉄面皮。先ほどまではポーカーフェイスなどできようもない人物に見えたのだが、今は人が変わったような無の表情で、変わらず黒い……濃紺のようにも見える大きな瞳にカタリーナを映していた。
二の句を継ぐ前に、少女の方が言葉を紡ぐ。
「此に敷くは戒壇。召喚せしは叛逆の堕天使」
明らかに、必殺技の詠唱だ。
「!?」
ここに来て新たな必殺技の発動。これにカタリーナは瞬時に応戦……できない。必殺技を複数種使い分けるブレーダーはほんの僅かしかいないという常識、まだ抜けきっていない黒造り軍艦生存の動揺、そして、戦闘終盤というスシが弱ったタイミングで必殺技など打てないだろうという先入観が、無意識に一瞬の遅れを生む。
加えて、スシとの位置関係も悪かった。カタリーナは生ハムスシでの迎撃を考えたが、生ハムスシは警戒のために距離をとらせている。投石等の遠距離攻撃で援護をと振り返るが、手近に良い投擲物が無く、この動作も対応を遅らせる。
カタリーナは咄嗟に駆け出した。直接攻撃で仕留めるのが一番迅速だと判断したためだ。少女との距離はたった数m。カタリーナの膂力を以てすればほんの一瞬。手にした得物を握り直し、今や眼前となった少女へ向けて振りかぶる。
「 神属からの追放、背徳と魅惑を以て、零下の黎明を拓け !!」
しかし、そこまでだった。
ガキィンッ! と硬い音を響かせて、飛来したイカゲソ 『堕黑凍絞凶握』グラスピングスケアーがカタリーナから鈍器を弾く。必殺技の併用のみならず、必殺技の同時無詠唱発動である。彼女の知見を完全に超える技の運びであった。
「そん 」
そんな馬鹿な。ありえませんわ。このわたくしが。
闇寿司四包丁の一人、"ペティナイフのカタリーナ"。スシへの深い知見を有し、スシの精密操作にかけては比類なき実力を有する彼女をしてそう言わしめた少女は、彼女の言葉を待つことなく、黒造り軍艦 奈落天暗黑掌アブソウルド=シャドウテンタクルに自身の周囲を巡らせ、眼前でピタリと止める。
右の掌を己のスシへ翳し、左手で顔を覆う。先ほどまでの弱々しさは立ち消え、胸を張って両足を踏みしめ、堂々と見得を切る。奇しくも、その姿は名乗り口上を上げたカタリーナにどこか似ていた。
そして、完成させる 必殺技の詠唱を。
「降臨せよ!!!! 奈落の悪鬼、黒き翼の堕天使 アイスヴァイン!!!!]」
その瞬間、少女の背後からひどく歪んだ何・か・が立ち上がる。
一対の黒く大きな翼、そして剣のような武器を携えた、人影に似たソレ。同時に、その姿が掻き消えるほどの猛烈な勢いで冷気が噴出し、周囲のすべてを凍て付かせる吹雪となってカタリーナの全身を打つ。視界の全てが白く染まり、その身体も、武器も、スシも諸共に遥か後方へ吹き飛ばされる。
背中から壁へ叩きつけられ、声を上げることもできずその場に崩れ込む。轟轟と吹き荒れる純白の嵐の中、カタリーナはあっけなく意識を刈り取られたのだった。
【C part】
瞼越しに光を感じて、ゆっくりと意識を取り戻す。
私はパイプ椅子に座っていて、手を後ろに回したまま動けなくなっている。腕を動かそうとするとガシャガシャと金属音がして、冷たい質感が肌に触れる。どうやら手錠のようなもので拘束されているらしい。
服装も変わっている。気を失うまでは泥まみれの制服だったはずだが、患者衣のような薄く簡素な服に着替えさせられている。手や肘にできた擦り傷には絆創膏や包帯が巻いてあって、少し薬品の匂いがする。どうやら治療してもらえたらしい。
周囲に目を向けると、そこは殺風景な部屋だった。歯のように真っ白な硬い素材の床、壁、天井。天井の四隅には黒い半球状の監視カメラが取り付けられている。目の前には新品らしい綺麗な長机と、その向こうにもう一台パイプ椅子が置かれているが、誰も座っていない。私と椅子や机は部屋の中央に配置されているが、見回しても扉らしいものは見えない。
見慣れた風景だった。
ここはおそらく臨時収容室のひとつ。または収容コンテナの中。扉はたぶん背後の壁面に見えない形で施工されていて、そのすぐ横にタッチパッドが隠されている。私から見て左右どちらかの壁には監視窓があって、この5m×5m×5mの部屋、そして私の様子を誰かが観察しているはずだ。
S・C・P・財・団・の誰かが。
『あー、テステス。声が聞こえるかね? 返事をしてほしい』
不意に、低い男の声が部屋に響いた。
「はい、聞こえます」
見えないスピーカーからの呼びかけに答える。
『よし。身体に不調は?』
「ありません。ケガの治療、ありがとうございます」
『問題ないよ。制服やカバンはまだ検査中だ。中の教科書や、制服に入っていた財布やスマホもね。明日には検査を終えて手元に届くか、もしかしたら新品になるかもしれない。ところで、もう少ししたらインタビューに入るが、何か聞きたいことはあるかね?』
「詳しくはインタビューでお話ししたいと思います」
『ふむ、助かるよ』
「……ただ、その……私のスシはどうなりましたか?」
『ん? ……ふむ』
生ハム使いの 異常存在であろう彼女について通報しなければならないだろう。ただ、重要な話はインタビューでまとめて記録した方が情報を整理しやすいと聞く。異常の話は後回しにして、あくまで雑談として、私のスシブレードがどうなったか聞いてみる。
嫌な予感がした。制服や所持品を検査しているのに、スシについてだけ触れないのは不自然だ。拘束されていることといい、機械越しの会話から入ったことといい、扱いに違和感がある。
『そんなにスシブレードが気になるかね? 立花育子君……おっと』
この予感が正しければ、私は 。
『ああいや、SCP-014-JP-J?』
私は、異常存在として再収容された。
【次回予告】
黒造り軍艦の使い手、立花育子。SCP財団の手によって尋問を受ける彼女を、闇寿司四包丁 "ペティナイフのカタリーナ" が突如急襲する。さらに謎の勢力の襲撃を受ける財団施設で、徐々に立花の過去が明らかになっていくのだった。
次回、スシブレード 華聞伝 第2貫「精神一夜漬け Invite_To_The_Combat」
次週もみんなで、へいらっしゃい!!
ですわっ!
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