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押負博士が死んだ。
私──神藤愛は彼女とはそれほど接点はなかった。たまたま同じプロジェクトに配属されて、たまたま飲み会なんかで隣の席になったりして、たまたま酔った勢いで意気投合したりなんかして、それで結婚式に呼ばれたりしてしょうがないから出てあげたくらい。たったそれだけの関係だった。
押負博士の死因は自殺だった。部屋で首をつっていたそうだ。通常首吊り自殺は息が出来ずもがき苦しむことが多いそうだが、押負博士の死体には暴れた形跡がないようだった。苦しむだけ苦しんだ挙句自殺に失敗し、後遺症を抱えて苦しんでいる人も何人もいるそうなのだが、彼女はその苦しみに耐えられるほど世界に絶望していたのだろうか。私にはわからない。彼女のデスクには遺書らしき紙が置いてあり、そこには「もう許してほしい」とだけ書いてあったそうだ。
彼女は結婚してから数週間しか経っていなかった。最後に直接話したのは結婚祝いを持って行ったときのことで、そのときはまさに幸せの絶頂といった感じだった。彼女は自分を「選んでもらえた」ことを、それはそれは喜んでいて、死ぬほど悩んでいるとは微塵も感じさせなかった。だから彼女が死んだとき旦那さんはそれは色々聞かれたらしい。喧嘩をしたこともあったし、仕事で悩んでいることもあったようだが死ぬほどのものとは思えなかった。考え事をしていたり、苛ついている様子もあったが、それは誰にでもあることだろうと思っていたそうだ。
あっという間に葬儀は終了し、彼女に線香をあげるため旦那さんの元を訪れた。真っ白な部屋には何もなく私が結婚祝いに渡したスズランの花がゆっくりと揺れているだけだった。あのスズランはサイトの片隅に咲いていたものがあんまり綺麗だったから、植え替えて結婚祝いとして渡したものだ。フランスでは、花嫁にスズランを贈る習慣があり、結婚祝いにふさわしい花とされているらしい。旦那さんはここを引き払ってサイトの宿舎へと引っ越すと話してくれた。
「彼女と一緒に買った家財道具は全部引き払いました。彼女のことを思い出すと辛くて」
私はそうですか、としか返事ができなかった。
「彼女、暇さえあればそのスズランを見つめていたんですよ。よほど気に入っていたんでしょうね。…それでですね。そのスズランなんですけど、あなたに引き取ってもらいたいと思っていまして。この花を見ると彼女のことを強く思い出してしまって」
私はその話を淡々と聞きながらも内心怒りに震えていた。彼が彼女の存在を一刻も早く忘れたがっているように見えてしまったのだ。結局、旦那さんに押し切られスズランは受け取ってしまった。彼女の最後の形見なのだ。大事にしよう。
数日後、旦那さんが亡くなったと聞いた。屋上から飛び降りたそうだ。スズランのように白い肌は鮮血で赤く染まっていた。彼の「恋人」は傍で静かに泣いていた。
彼を取り戻したと思った矢先、再び彼を失った彼の「恋人」は後を追うようにして亡くなった。
私はといえば暇さえあればスズランを眺めていた。なぜか旦那さんの死も大したことのようには思えなかった。旦那さんの死だけではない。仕事もプライベートもなにもかもどうでもよくなっていた。本当はサイトにも行きたくはないが、努めて普段通り振舞っていた。誰かが異変に気付いてしまったら、このスズランのことを調べに来るんじゃないかと不安だったのだ。スズランもその気持ちに応えるように大きく花を広げていく。
どんどん私自身が変わっていくことを感じた。誰かがスズランを盗み出すのではないか、私に話しかけてくるのはスズランのことを探っているのではないかと不安に感じるようになり、それはいつしか他人に対しての殺意に変わっていった。今この瞬間にも目の前にいる研究員の喉を絞め殺そうとしてしまいそうな欲求に耐えるのが精いっぱいだった。不思議なことに、誰一人私の変化に気づいている者はいなかった。日がな毎日スズランを眺めているだけ私を見てそんなに楽しいものかと尋ねてくる人もいたが、花を見るのが好きなんだという理由で納得していった。花に触れようとする人間を怒りに任せて激しく叱責してしまったこともあったが、そこまで怒る必要もないのにも関わらず深く反省してくれている様子で丁寧に謝罪してくれた。花を見るために残業も全て断って帰宅していても、気に掛ける人間は誰一人としていなかった。
この花を見ているときだけが安息できる時間だったのだ。
数週間が過ぎた。そんな日々を送り私の精神は既にボロボロになっていた。段々とやつれていくのが自分でも実感できたのだが、誰もそんなことは気にしていないように振舞っていた。
…もうだめだ。自分でも判る。今から検査を希望するか?記憶処理を受けさせてもらうか?いや、今更遅い。部屋の扉を開けて一番最初に目に付いた人物を今すぐ殺しに行きたい欲求に耐えられない。既に大きく花を広げたスズランに呟く。
「もう、許してください…」
手にしたナイフが頸動脈を切り裂く瞬間、スズランの花の元に真っ白な女性の影が見えた気がした。
キャラヶ原の戦いコンテスト参加作品です。
殺害キャラクター
押負 綾花
http://scp-jp.wikidot.com/author:extra3002
神藤 愛
http://scp-jp.wikidot.com/author:tf2045

ここだけひらがなになっています。
文脈からすると彼女かと思います。
雰囲気自体はとても良かったのですが、どうしても(メタ的な意味で)なぜ押負博士なのかという点が引っかかってしまいました。また、神藤技師の職務が「オブジェクトの調査に用いる撮影機器、ドローン、人工知能などの開発および修復」、エージェント・時實の職務が「要注意団体の職員への尋問、拷問、暗殺、要注意団体との関連が疑われている施設の偵察、破壊」、押負博士の職務が「オブジェクトとの交渉、要注意団体のオブジェクトの購入」であり、同一プロジェクトに配属されるとは考えづらいと思います(実際には同一プロジェクトに配属されていたのは押負博士と神藤技師だけかもしれませんがそれでも少し違和感があります)。
ありがとうございます。修正しました。
ありがとうございます。
「満員となっているイベント/座席/抽選などの定員を超えているにもかかわらず、参加、当選をすることが可能」これを拡大解釈して「恋人という先約者がいるにも関わらず、結婚までこぎつけることができる」としてエージェント・時實と結婚しています。
エージェント・時實が彼女のことを忘れたがっているのはそのせいです。
押負博士が死んだのは「恋人がいるとわかっていながら男性をその人から奪った」からであり、エージェント・時實が死んだのは「異常性とはいえど浮気をした上にその事実をなかったことにしようとしている」からであり、神藤技師が死んだのは「スズランを抜いて薮下から奪った」からであります。
私はそうは思いません。
神藤技師はドローンや人工知能などの開発、押負博士はオブジェクトとの交渉を行っています。オブジェクトと交渉する際、直接交渉する場合もあるでしょうが触れ合うことが困難なオブジェクトだった場合、ドローンや人工知能を利用すると思います。
エージェント・時實と同じプロジェクトとなった描写はないためここでは割愛します。
以上です。ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。