月 - SCP-JPサンドボックスⅢ

月

クレジット

タイトル: 月
著者: ntern
作成年: 2023

娘は月を見つめている。

娘のみすぼらしいなりは、淡い月明かりの下でも見てとれる。艶やかであったはずの黒髪は、風雨と日差しで傷み切っていた。端正な顔立ちは泥汚れにまみれ、繊細だった指先は日々の土いじりで節くれだっている。
貧しい農民でなければ、彼女の美しさに誰もが振り向いたことだろう。
だが娘は、己のくすんだ容姿を微塵も気にしてはいなかった。帝に税を納めるための労苦に文句をこぼさず、日々を懸命に生きる純粋さもまた、彼女の美徳であった。
一日の労働を終えた後の村落。竪穴の住処の外に広がるのは、星明りに照らされた静かな夜。佇む彼女が夜空の月に目を奪われたのは、質朴な心根ゆえか。

娘は、月を見つめている。

日本やまとの国に古くから祀られている霊峰、不尽ふじの山。この地を練り歩くは、五人の屈強な士^つわものたち。
「──本当に、こんなところにいるのか」
士のうちの一人、六尺にも及ぼうかという大男が口を開いた。それに応じて、長柄の刃を背負った小柄な男がガハハと笑う。
「おうおう日向^ひむかよ、この程度で音を上げるか？」
日向と呼ばれた大男はそれを無視し、憮然とした様子で歩を進める。
「言い返す気力もないか！　日向は軟弱だわい！」
小男が再びガハハと笑った。
「黙っていただけますか、馬龍^またつ。できることなら、永遠に」
豪快な男に水を差したのはひょろ長い容姿の弓手、李尊^りそんだ。
「そんなことは不可能だ！」

「無駄口を叩けば、それだけ腹が空くぞ」
遠巻きに眺めていた老翁──石手^いしてが口をはさんだ。
「あいつを見習ったらどうだ？」
石手はそう言って、一言も会話に参加していない若い士を顎で指した。
「久須麻呂^くすまろは喋らなさすぎだ！　そんなことでは」

娘は月を見つめている。

否、気がつけば月を見ていた。刹那、娘は自分が気を失っていたこと、そして自分が仰向けになって月を見上げていることを理解した。
段々と思い出す。たしか、月を眺めていた時に空に見つけたのだ。皓々と輝き、村のはずれの竹林に落ちてきた「星」を。そうだ、私はそれを見つけた。そして、見つけて──どうしたのだったろうか。

次の刹那、計り知れないほどの痛みが彼女の身体を駆け巡る。それは外からの痛みではなかった。彼女の内側で、無数の何かがのたうちまわっている。
「ああ、がっ──、ぐ、ぁが──」
腕の皮の下を、何かが這いまわっている。
眼窩と眼球の間を、何かが蠢いている。
腹の中で、何かに腸^はらわたをまさぐられている。
「ああ、ああ、ああ────！」
そして鼻腔の奥のさらに奥に、何かが突っ込まれた時。声が聞こえた気がした。

私の　名

「………………カァ、グ……ヤ」

罪人は月を見た。かつて罪人が流れ着いた、灰色の荒野の星を。

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