ローデシア宝玉の謎

送別会を終えて、加賀善久は深い息を吐きながら自分の席に着いた。世界が一転して白黒に変わった気がした。もしかしたら別室では部下が残って飲み食いを続けているかもしれなかったが、生来、加賀は大勢で騒ぐのは性に合わなかったので自室に引き上げてきたのだった。会の主役が自分だっただけに部下は引き留めたが、少しの間独りになりたいからと言ったら解放してくれた。

いつもの仕事椅子に腰かけた時、妙に視界が開けていることに気付いた。そういえば3時間ほど前に部下に命じて身の回りの仕事道具をほとんど撤去させたのだった。自分にはもう未来永劫必要なくなってしまうからという判断の下そう命じたことを今更になって思い出す。

「俺も焼きが回ったな」

今や机の上には何もなく広々としている。この部屋にあるのは、自分の前に長らく使われていなかったであろう何の変哲もないオーク材でできた作業机と、そのすぐ目の前に配置された応接用のソファー2脚とちゃぶ台のように背の低い長机くらい。その他には五体満足で直近40年余りの歳月を生き抜いた老兵のくたびれた身体だけがそこにあった。彼にとって残務と呼べるものももうなかったはずだ。それでも加賀がこの部屋に留まり続けるのには理由が二つほどあった。まず一つは退職時に施す記憶処理だ。この部屋に係官が来て手短な説明を加えた後、厳かで儀礼的な調子でその実行にあたる予定だ。最後の記憶処理を受ければ、彼が財団で過ごした40年近くもの歳月を忘却の彼方に追いやることとなり、彼の意識の網には二度とかからなくなる。部下たちが無理に宴席に引き留めなかったのも、記憶処理を前にした財団職員としての最後の瞬間を噛みしめる猶予が欲しいという加賀の心情を汲んでのことだったのかもしれない。上司に対する気遣いというよりも一人の終わりを迎えようとする財団職員への憐憫にも似た感情がそうさせたのかもしれないが、真意がどうであれ加賀がその配慮に感謝していることには変わりない。記憶処理。加賀が若いころ世話になった訓練教官が言うには、記憶処理とはいわば緩やかな自殺であるということだった。体験したはずの人生の一瞬を葬り去る点を挙げれば確かにそのとおりかもしれない。

できれば記憶処理を受ける機会を少なくしようと加賀は職業人生の中で胸に決めていた。自分の人生を我が物としていたいという密かな願望があったからだ。たとえ目を覆いたい惨劇が眼前に繰り広げられたとしたとしても、
しかし、平時の任務を忠実にこなしながら昇進し、その過程で数多くの重要機密を胸に秘めたが故に、キャリアの最後の最後で記憶処理が彼を待とうとは、なんという皮肉的な末路だろうか。

ところで、通常、財団職員が退官や辞職を迎える際には二つの選択肢が与えられる。一つは、財団での記憶を保持しつつその後の社会生活を送り、有事の際に招集を受け財団の業務を補助するという自衛隊でいうところの予備役となるか。もう一つは、財団での記憶を完全に消去したうえで偽の記憶を注入して社会に放り出されるかだ。放り出す、といえば無責任に聞こえるが、実際には財団が裏で手を引き、齟齬をきたさない程度に公的私的問わず情報を改竄して退職者が社会に溶け込めるよう暗躍する。そのおかげで退職者は戸籍を与えられて必要であれば行政の支援を受けることもできるし、今まで頭を悩ませてきた異常存在との格闘について考えず静かな余生を送れるというわけだ。
加賀が後者を選んだことに対して日本支部の上層部が微かな動揺をもって迎えたのは無理もなかった。加賀ほどの忠臣が財団での功績を自身の記憶から捨て去り、無垢な市井の人として暮らしたいと しかしその動揺も所詮は微かなものだった。加賀が直近で主導したある作戦の失敗が財団日本支部の運営において尾を引いていることは確かであったし、それに対する幹部職員特有の悲哀を感じ取った上層部は、ついに武士の情けで加賀の願いを受け入れるに至った。こうして加賀は今、座して「死」を待つに至ったのだ。
加賀がここにとどまるもう一つの理由としては、えらく漠然としているが、来るはずの客人の来訪を待っているのだ。正確には、加賀が何もかもを忘れてしまう前に会いにきてくれる人間が、記憶処理の係官の他にまだこの財団にはいるだろうと踏んでいるのだ。少なくともこのサイトにはいないことは確かだ。加賀は左遷同然で畑違いのこのサイトに赴任してきたのだし、仕事上での上下関係こそあれ、それ以上の友情だとか親しみだとかをこのサイトの人間から抱かれている覚えはなかった。だとしたらやはり、このサイトに来る前に知り合った人間の訪問を心の奥底では待っているつもりなのだろう。

改めて
この部屋をあてがわれたのは昨年の春からだったが、この椅子に腰かけるのも今日で最後かと思うとつい感傷に浸ってしまう。
送別会が終わって、あとは記憶処理を待つのみだった。

短いノックが聞こえた。

「どうぞ」

扉を開けて入ってきたのは物々しい様子の係官ではなく、痩身の青年と若い女性だった。しばらく会っていなかったが、加賀が彼らを忘れるわけはなかった。

「おお、頼逸君と桜ノ宮さんじゃないか。かけてくれ」

頼逸博士とエージェント桜ノ宮だった。今回の送別会参加者のうちこのサイトの職員でない者たちだ。頼逸に続いてその部下の桜ノ宮も入室した。
この部屋に唯一色彩を与えている深紅の絨毯張りの床をサクサクと踏みしめ、澱みない足取りで
階級は博士、一概に戦闘員や保安部門の階級と照合するのは野暮だと知りつつも、自分の二つ下くらいだろうと加賀は踏んでいてそう接してきた。しかも60を迎えているのに対して向こうは30代前半くらいの風貌をしているものだから、言葉遣いに特段遠慮もいらないだろうと思っていた。
もっとも、外見は博士というにはさわやかすぎていて、今まで眉間にしわを作ったことがなさそうな今どきの飄々とした好青年の面立ちをしている。今回の送別会にサマージャケットに白いチノパンという軽装で現れ、古株の職員を動揺させたが、すぐさま持ち前の人当たりの良さで彼らのよそ者に対する偏見を拭い去ることに成功した。

「まさか君達が記憶処理をするのではあるまいね」

「とんでもない!私達にそんな技術はありませんよ」
「だろうな。君達が来るとしたら、もっとマシな要件だろう」
「いや、図星です。」

「いや、むしろ君達を待ってたんだ。君達が来るんじゃないかって予感がしてたからね」

「流石は加賀さんですね」

頼逸は屈託のない笑みを浮かべる。

桜ノ宮の方は物珍しそうにがらんとした部屋を見まわしている。

「君たちの顔を見ると思い出すよ」
「やはりお邪魔でしたか」
「そうは言っていないだろう。俺には仕事はないが、君達にはあるんだろう。やはりあの件かな」

「ええ、まあ。いやあ敵いませんね」

珍しくはぐらかすような返事をする。
「君達がここに来る理由と言ったらそれぐらいしかないだろう」

「参謀本部付というと聞こえはいいが、閑職さ」

「東京湾に怪獣が出たらどう戦うかだとか、その際兵糧をどう輸送するかだとかいう夢物語をひたすら大真面目に議論するような部署だ」

「記憶を消されるというのは本当だったんですね」

「ああ。幹部職員として俺は多くのことを知りすぎた。別にこの期に及んで忠臣を演じようというつもりはないが、財団の情報が外部に漏れる可能性をつぶしておきたいと思ってな」

「俺みたいな凡百の人間がたどり着けるはずもないさ」

職務に殉じた部下や戦友の顔を思い出さずにはいられなかった。

「しかしこれもある種でいうと転機だと思いますよ」

頼逸は相変わらず笑みを湛えながら言った。

「エマーソン・レイク・パーマー版の『展覧会の絵』のアルバムに収録されている『キエフの大門』の歌詞も正鵠を射ているように思われます。『私の命に終わりはない。私の死に始まりはない』」

「『死之生也』か」

思わず加賀もつられて微笑む。

悪気はないのだろうが、頼逸は時折分かりづらい海外文学や歌の一節を引用する悪癖がある。桜ノ宮は大人げない上司を見て思わずため息を吐く。

長野は避暑地軽井沢を擁するくらいだから、事務所がある横浜よりかは涼しいだろうと勝手に楽観していたが、特急あずさを降りた瞬間、その期待は儚くも崩れ去っていった。

日焼け止めを白粉のように塗りたくった甲斐があり日焼けの心配はしなくてもよさそうなものだが、この暑さを前にしてはそんなことは何の慰めにもならなかった。

生理現象一つにしても一々超人的だなと桜ノ宮が変に感心しているのをよそに、頼逸はスタスタと改札へ歩いて行った。

「こっちは冷房がついてるよ」

その一声で桜ノ宮もようやく足を動かし始めた。

「今日だって組合との団交中で忙しいんだし、おまけに午後からは検体の受け入れがある」

今年度の冬のボーナスを0.02ヶ月分上げるか上げないかの大詰めなんだと小声で付け足す。

「へえ、そういう現場の泥臭いこともやってるんだ。課長職もお飾りというわけではないんだな」
「そりゃあいくら世を忍ぶ仮の姿といえど仕事はやらなきゃいけないさ。こういうフロント企業の活動もうちの外資獲得に必要なのはお前も知っているだろう」
「それくらいは分かっているとも。でも、そういう雑事はプロパーの社員に任せて、自分は研究やフィールドワークに勤しんだ方がいいんじゃないかね」
「ところがそうはいかないもんだ。世知辛い世の中だなどうも」

桜ノ宮はとめどなく吹き出る汗の濁流を流すままにしていた。

不気味なほど汗をかいておらず、照りつける日差しをたまに疎むような素振りしか見せない。こうした様子を間近で見て自分よりも頼逸の方がエージェントに向いているのではないかと思うことも少なくなかった。それに比べ自分のエージェントとしての威厳

次に冷房の恩恵に与れるのはいつになるだろうと早くも考えていた。しかし、その機会には程なくして巡りあえた。先ほどまで話していた課長から頼逸に着信が入ったのだ。

「はい」
「もしもし」
「ああ、さっきはどうも。どうしたの?何か忘れてたっけか」
「違う。いや、そんなことどうでもいいんだ。とにかく戻ってきてくれ、急いで」

といったところで電話は一方的に切れてしまった。暫く二人して画面を見詰めたままだったが、
すぐさま工場に引き返していった。入道雲が二人の背中を追いかけるように


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