これは頼逸先生、ご無沙汰しております。寝ながらの格好で失礼いたしますです。お変わりはございませんか。ご研究は進んでおられますか。
そうですか。そう聞いて安心いたしました。
妾の方もおかげさまで気ままに暮らしております。なにぶん借り住まいと申しますか、他ならぬ先生方にお世話になっております身の故、手前どもではお茶もましてやお茶請けもご用意できませんがどうぞおかけになって。いえいえこちらの方こそ諸々のお取り計らい痛み入りましてございます。
なにせここの施設は妾どもみんなの生活をいっぺんに見てもらえると聞いたものですから、一にも二にもなく村ごと引っ越しを決めたのでございます。この村の奴らはよっぽど遠慮のない奴らだとお思いになったでしょうな。はは。どうも節操のない人間ばかりでして。まあかく言う妾も見ての通り足腰が立たなくなってきたので渡りに船とばかりに飛びついたんでございますが。
ところで助手さんの方はいかがされましたか?桜ノ宮さんとおっしゃったと思いますが。別用でしたか。それは残念でございますね。ああいう若い女の人がいたら目の保養に、いや失礼、他人様のご同僚をそんな見方をしてはいけませんね。ご無礼仕りました。
それはそれとして挨拶が長くなりまして相すみません。今日はどういったご用件で。ええ、ええ、まあそれ以外ないでしょうな。ははは。妾が自信を持って学者様に面と向かって話せることときたら、その小児心経以外にございません。他はてんで見当もつきませんもので。この頃益々白痴がかってきましてね。古い話は憶えてるのに最近のことはまっさらになってきて敵いません。桜ノ宮さんのような別嬪さんは別ですがね。ははは。どうも凝り性のない人間でございます。
どこから話を始めたものか、そうでございますね、最初に先生から心経のことを尋ねられた時の驚きっぷりは生涯忘れることはないでしょう。今日のように雨がしとどに降る晩のことでございました。てっきりフィールドワークの学者様が村の奉納舞についてお問い合わせいただいたのだと思いましたら、軒先で突然あれを尋ねられまして仰天した次第で。そしてその後の困惑。誰がバラしたか、どこから漏れたか。いっぺんに妾の頭の中に疑わしい人間の情報が錯綜して参りました。同じ通り沿いに住む田代の野郎が酒欲しさにバラしたのか、或いは斜向かいの米屋の今宮が袖の下をもらったのかとも思ったものでしたが、兎にも角にも妾はこの御仁は只者ではないと思いました。隠すでもなくズバズバと聞き込んでくるものですから、ここいらの大学の史学科の学生や先生とは訳が違うなと思ったものでございます。大抵は学生であれ先生であれ奉納舞の話で煙に巻いてキリの良くなった頃合いを見てお帰りいただくというようなことをしていたのでございますが、どうもそれが通用する気配がない。そしてもう調べはとっくに済んでいて、これ以上妾どもが隠しおおせるものはもう残っていないということも。
ときにそのモノは見つかりましたか。ああやっぱり本殿の下でしたか。最後に儀を執り行った時の月番が神社の倅だったものですから。妾どもにとっては無用の長物です故、煮るなり焼くなりご自由になさってください。どうせ粗方内容は妾の頭に入ってございます。諳んじる程度わけもございません。妾どももそれを知られては最早後生大事にとっておくいわれもございません。
それでは改めましてその話を、はい。はい。今日はY村の歴史からと。しかし大学にお勤めの先生の方がお詳しいでしょうに、妾めの解説が果たして要りますでしょうか。記録としてですか。村民の口から直接聞きたいと。実況見分といったところでございますか。そうとなれば話さないわけにもいかないでしょうな。えー、Y村の成り立ちでございますね、少々遡って始めさせていただいてもようございますね。心経の話はしばらく措いておくとして。
先生ほどの学者様でしたらもうご存じとは思われますが、私どものY村は山間の、しかも水害がたびたび起こる峠越えの難所に位置してございます。妾どもがそっくりこちらに越してきたものですから、今や無人の消滅集落と申してもようございましょう。まあ元より目ぼしい産業もなく、鄙びた村には相違ございませんでしたがね。しかしお尋ね人にとっちゃ追手から身を隠すためには絶好の隠れ里でございまして、出入りも少なく難所を越えてまで追ってはこない。古くは平家の落武者を匿ったり、最近では、と申しましても江戸時代ですが、キリシタンの潜伏先になったりとその筋の人間には重宝されていたもんでございます。それ故流れ者が住み着いては死にを繰り返していく中でY村はS地方以外の風俗や文化を吸収して行ったという具合でございまして。小児心経につきましてもそういった文化の混交による産物の一つでございます。早くとも平安末期から新参者が村に入ってきたわけでございますが、それが諍いを起こすわけでもなく原住民の社会に貴賤を問わず入り込んでいきました。そういった外部者の参入にやたら寛容だったのは、土着の村民も元をたどればS地方以外から逃れてきた流浪の民だったそうで、Y村に来るような人間だからのっぴきならぬ事情があるんだろうと、どこか憐憫と申しますか、警戒するより前に余所者を受け容れるべしという独特の気質があったと古い資料を掘り起こしていた頃目にございました。原典はまだ妾の自宅にあるはずでございますし、後々ご確認いただいたらよいでしょう。
まあこうして毎年不作に喘ぐような狭隘な土地で、全国津々浦々から命からがらやってきた人間同士それぞれの事情も汲んだうえで老いも若きも身を寄せ合って暮らしていたとのことでございました。そうすると、なんですかね、時が経るにつれ色んな所の血が混ざるものですから、山を越えた隣の村の人間とは目鼻立ちが違ってくる。男女問わず村の者は代々鼻の稜線がくっきりしていて、青年期に差し掛かるとそれも相まってすらっとした面相になっていくという具合でございまして。どこぞの文化人類学の学者様から拝聴しました話によりますと、美男美女とはその国の人々の顔を平均値で割り出した顔であるとのことで、Y村は日本中にいる色んな顔のるつぼといった感じになり、南北朝あたりの文献では美男美女が住む秘境だとする記述がございます。妾なんぞは崩れかけのあばら屋みたいな馬面でございますが、いえ、ともかくご先祖様はさぞ眉目麗しい方々だったろうと思われます。
しかし世の中分からないもので村民の美貌こそが後々仇となったんでございます。少々時代は下って徳川幕府ができた前後にY村を含めたS地方を治めるE氏という殿様がおられました。天下分け目の関ケ原が起こるより前から代々徳川家に仕えた大名の系譜を継いだ由緒正しい家系の。もちろん関ケ原では徳川方につき、しかもそれなりに武功を上げたとして幕府が立った後も徳川家とは友好的な関係を築いておりました。そしてE氏の領内では、新たな城を建てるのは流石にご法度だったそうでございますが、ある程度のE氏の裁量による自治を認めるという破格の待遇にあったそうです。初代のお殿様は家康公の覚えもめでたくそれに応えようということもあり奮起して、Y村からは少し離れた盆地にある城下町を中心に、町人、農民らをも厚く保護して産業の発達に大きく貢献したと書いてございます。その度合いと言いますと、それほどS地方に詳しくない方でもこのあたりの歴史書を紐解けば「ああここは初代が一番の功労者なんだな」とストンと腑に落ちるという具合です。頼逸先生も否定はしませんでしょう。しかし、その栄華も一代で見納めとなってしまいます。と申しますのは、初代亡き後家督を継いだ倅がとんだ食わせ者だったんでございます。まあありがちな話ではございますが、最後の五賢帝アントニヌス帝しかり名君の倅というのは出来損ないになると相場が決まっているようでございます。先代が家康公より賜った御恩も忘れ、好色に耽り、政に興味を示さないばかりかたまにやる気になったと思ったら素っ頓狂なお触れを出す。こいつのせいで一代でS地方はすっかりさびれ、後代のお殿様が力を尽くしてもついぞ、S地方は初代のような繁栄ぶりを取り戻すことはなかったとどんな学派でも異口同音にそう唱えられております。
そしてまさにこの二代目が出したお触れこそが、ご存じのとおりY村の悲劇の産物であります、小児心経ができあがる端緒となったのでございます。そのお触れというのが実に気が触れていて、米を一定の収穫量納めないと足りない分に応じて村の女をE氏に捧げるというものでした。理不尽極まりないでしょう。妾も話しているだけで腹が立ってくる次第で。ええ。それにこのお触れには裏があるのでございます。当時S地方一帯を見れば農作物の収穫自体は安定しておりまして、並大抵の村なら達成できる値ではあったということでございます。それ故このお触れに引っかかる村などほとんどない。しかし布切れみたいに狭い山地に位置するY村だけは毎度この規制に引っかかったわけです。そうして村から女が徴発されていく。EはY村を狙い撃ちにしやがったんですよ。二代目E氏は好色だと先に申しましたが、やはりというべきかその矛先は美貌を持つY村の村民に向けられたんでございます。特産品がなく付近の村々からはS地方のごくつぶしとまで悪罵されたY村が、S地方史最悪の暴君に重用されたというのはなんと皮肉なことでございましょう。年々女手が減っていき、Y村は寂れて参ります。史料によりますと当時はどの家も幼児を含め女性はほとんどなかったようでございます。連れられて行った女性には子を持つ母親も含まれました。その子どもも物心つく頃には母親の不在が気がかりになっていく。残された子らは残った父親に訊くのです。お母さんはどこと。そうすると残った父親はたまらなくなり、お殿様に奉納舞を捧げるために町に出ていったんだよと出まかせを言う他ありませんでした。
というのもうちの村で妙だったのは、
昔の日本の農村なら出稼ぎは夫がやって妻は専ら内職に励むというイメージがございますでしょう。家内と呼ぶくらいですからね。女がやるから家内制手工業だと言われたもので。くだらん洒落を失礼いたしました。
俺は人さらいの村に連れてこられたのではないか、今目の前にいる父と名乗る男は俺の本当の父ではないのではないかと幼い時分には不安に思った訳です。だからY村で反抗期を迎えたガキどもは父に向かって決まって「俺の本当の親じゃないくせに」とか言うのが決まり文句になったわけです。しかしそう言うとどの家でも決まって
「俺がお前の実の父親だ」
とどこか寂しげな顔をして
忘我の境地に至った様子で恍惚としているんでございます。その上よだれをあたり一面に振りまきながら出来損ないのカストラータみたいな声を出しやがってそれがほんとに気色悪いのなんの。
不知不識のうちに
「我が魂の慕い祀る祭神に委ねますらば」
キリスト教の処女懐胎、立川流、密教、とにかくご利益のありそうなもの全部をごっちゃにして
外法もいいところです。
どうやら長く話しすぎたようでございます。すっかり日が暮れてしまいました。妾も少し疲れてしまったようでございます。ええ、ええ、申し訳ございません。今日はひとまずこの辺で……。
ええ、ええ。はい、妾ももう臨月でございまして。
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任意A任意B任意C- portal:4440715 (17 Dec 2019 13:00)
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