超常科学の基本単位 「現実値1.0」の求め方

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現実値(ヒューム値)1とは何者なのか?

現実値、あるいはヒューム値と呼ばれる単位があること、そしてそれが何を示しているのかについて、財団に所属する研究員にとってはもはや説明不要だろう。
あえて説明するのならば現実値とは、単純に言えば現実の強さであり、主として現実改変者の持つ能力の強さを表す指標である。単位記号はHm(ヒューム)。1Hmが通常であり、それより外れていれば異常である。
「現実の強さ」を説明するのは難しい。一般的な物理法則や常識では考えられないような、それこそ魔法のような「非現実」的な能力や現象を引き起こす度合いを、現実の強さと呼ぶべきなのだろう。つまり、現実値とは非現実性を示す指標であるとも言える。
 
では次に、「何を基準に決めているのか?」という問いに、答えられるものはいるだろうか?
恐らくは、即答できない者が多いだろう。現状、現実値というものはカント計数機が指し示す1という値を、あるいはスクラントン現実錨が生成する1という値を基準に測定しているが故に、その成り立ちを理解できていないのだろう。しかしこれらは別に問題があるというわけではない。一般科学においても、1秒や1メートルを計測するのにわざわざ真空中の光を観測せず、信頼性の高い時計や定規を使っているのと同様である。

けれども、手軽に測れるその「現実値1」が一体どのような歴史を辿ってきたのかを知るのは、研究者たるもの知る必要がある。
今回は、この「現実値1」がどのようにして生まれ、そしてどのように規定され、どのように測定されていたかを、改めて振り返っていこう。
 
 

現実改変者が、現実を教えてくれた

現実値を使用する相手は、主として「現実改変者」であることは前述の通りである。そもそもの話として、現実改変者の力の強さを表す指標として、現実値という単位が誕生したのである。
1843年、現在の財団の前身となる全米確保収容イニシアチブ(以下「ASCI」と呼ぶ)は初めて現実改変者の定義を定めた。この時使用されたのは現実値ではなく、下記表のような”Reality Bender Scale”(現実改変者階級尺度、以下「Rスケール」と表記)と呼ばれる、現実改変者の能力の強さをR0~R7までの8段階に分けたものを使用した。

階級 概要
R0 自身が、通常現実に影響を受けている
R1 通常
R2 狭い範囲(10ヤード程度)に、僅かな影響を与える
R3 ある程度の範囲(50ヤード程度)に、僅かな影響を与える
R4 ある程度の範囲に、一定の影響を与える
R5 広い範囲(100ヤード以上)に、一定の影響を与える
R6 広い範囲に、甚大な影響を与える
R7 非常に広い範囲(1000ヤード以上)に、甚大な影響を与える

この尺度は主に改変範囲、被害規模、確保・収容難易度の3要素から、担当研究員が適当と思われるスケールを当てはめるという運用を行った。主として現実改変者同士の比較検討のために使われていたようだ。
ある程度科学的・統計的なアプローチはあるとはいえ、現在の感覚からすれば非常に主観的且つ基準が曖昧である。

このようなことになった理由は、まだ超常現象の計測機器が未発達だったこともある。しかしそれ以上に現実改変者の数がそもそも少なかったことが挙げられる。当時ASCIは規模は大きくなく、合衆国でのみ活動していたことや、現実改変者への収容方法が確立されずやむなく終了処分することが多かったためである。

しかしASCIが米国政府からの公認と予算を与えられ、南アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア
へと広げていき、さらに19世紀も佳境を迎えた頃には技術が確立されたこともあって、現実改変者の収容数が一気に増大する。そして、現実改変者が実にバラエティーに富んだ存在であるかを財団が知ったとき、既存のRスケールが如何に滑稽で現実離れしたものであるかを実感したのである。

転機が訪れたのは遡って1879年、ASCI サミュエル・C・カント博士が提唱した「現実強度」1という概念である。
現実改変者が如何にしてその能力を発揮するかについて、カント博士は「現実改変者は、自身の持つ強い現実を、(相対的に)弱い通常現実に押し付けることによって、その異常性を発揮している」と考えた。この「強い」「弱い」と表現された「現実強度」こそが、現実改変者の謎を紐解く重要な鍵であると主張したのである。
この現実強度の正体について、カント博士は同論文の中で「全ての物質が、それ以上分解できないごく小さな”Atom”(原子)で構成されているように、現実も”Realton”(現実子)で構成されている。その多寡によって、現実強度は決定される」という仮説を唱えた。
この時点では、カント博士は現実子を発見したわけでも、その存在を証明したわけでもなかった。あくまでもカント博士の頭の中にある、仮説上の存在でしかなかった。
しかし1883年にジョン・ユーイング博士の研究チームが、担当しているすべての現実改変者がASCI ベルマ電磁波共振器に干渉していることに気づいた。分析の結果、現実改変者から流出する未知なる「力」がその原因であることが判明する。ユーイング博士は「これこそカント博士が追い求めていた、現実改変者が周囲に押し付けた現実の正体だ」と考えたのである。

ASCIは、カント博士の仮説と、ユーイング博士の発見を基に現実強度の本格的な研究を開始した。
そして1885年、ようやく「現実測定器」が発明されるに至ったのである。
これは「ベドロー式現実流出測定器」とも呼ばれるものである。つまりこれは現実強度を直接測るのではなく、現実流出を測るのである。現在使われているカント計数機とは似ても似つかない装置であるが、超常科学史上初の現実観測機器であり、偉大な発明であることは間違いない。

カント博士、ユーイング博士らは、現実強度は常に高いところから低いところへと、何らかの力を流出させていること、そしてその差が大きければ大きいほど流出力も強くなることを実験によって証明した。これは気圧差による「風」に例えられ、この現実流出は非公式に「現実風」と呼ばれるようになった。

そしてこの現実測定器の発明によってASCIは現実改変者の指標として従来使われていたRスケールを廃止、変わって新しく導入されたのが「現実値(ヒューム値)」である。定義は以下の通り。
 


合衆国東部標準時1886年1月21日14時00分00秒、北緯40度41分20秒 西経74度02分40秒において観測された現実流出を基準とし、通常現実の現実値を「1」と定める。
 

 
北緯40度41分20秒 西経74度02分40秒とは、アメリカ合衆国アッパー・ニューヨーク湾に浮かぶリバティ島(制定当時、公的にはベドロー島)を差している。当該地点が基準になったのは、カバーストーリー「自由の女神像建設現場」を適用して大型の観測機器を設置しやすかったというだけでしかない。そして1886年1月21日14時00分00秒、現実測定器は現実流出速度「0」を記録した。極めて安定したその数字を基に、ASCIにおける「現実値1」が決定したのである。

こうして、1886年1月21日14時00分00秒に観測された「風」の速さを基に、現実値が定められたのである。
 

現実に振り回される現実値

19世紀末、ASCIと友好的な関係にあった英国の超常現象の確保収容に関する王立財団(以下、HMFSCPと表記)やフランスのエステート・ノワールと言った各国の超常組織に、ベドロー式現実流出測定器の技術が提供された。そして各国において、様々な基準の「現実値1」が誕生する。
例えばHMFSCPはテムズ川河口のノア泊地に、エステート・ノワールはマルセイユ沖イフ島の要塞を基準にした。
その他各国で思い思いの、「現実値原器」と言える基準が出来たのである。

なぜこうなったのか、というには主として2つの理由がある。

まず第一に、世界の現実値はどこで観測しても「1」であるという説が広く信じられていたからである。
ベドロー式現実流出測定器は世界のどこで観測しても現実流出速度「0」を記録していた。そのため各国超常組織の研究者たちは「現実値はオブジェクトの有無によって多少の偏りはあるかもしれないが、概ね『1』となる」と考えていたのである。

そして第二に、(非常に馬鹿馬鹿しいことながら)政治的、感情的な理由という科学組織にあるまじき理由が挙げられる。
19世紀末、ASCIが本部を置くアメリカ合衆国と、提携関係にあった友好組織の主活動地域であるヨーロッパ各国の外交関係は冷え込んでいた。当時、ASCIにしてもHMFSCPにしてもエステート・ノワールにしても、政府公認、あるいは政府管轄の国家的組織であったことから、国家間の緊張関係はそのまま組織の緊張関係に直結してしまう。無論、人類を異常物品から守護するという共通の目的があるため国家関係よりは宥和的であったものの、必ずしも良好とはいえない関係が長く続いたのである。

それを証明するかのように、各国組織の研究員から下記のような発言があった。

「1886年1月21日14時00分00秒のニューヨークをなぜ『普通』と断定したのか。その資料がいくら探しても見当たらない。マルセイユではダメだったのか?」
 
ユーフス・バロール博士 1891年4月2日 エステート・ノワール 現実改変者研究発表討論会より

「1886年1月21日14時00分00秒のニューヨークにタイムスリップして観測をやり直すことができず、また可能であったとしても事故によって過去改変が発生する可能性があるため、この1.0Hmという数字が信用できない」
 
エンリケ・マクマード評議員 1893年5月21日 HMFSCP御前会議における発言より

これに類する発言は、1890年から1895年にかけて合計84件報告されている。
そしてそれに対してASCIは皮肉でもって対抗した。これらの論理を「ニューヨーク異常説」と呼び、自らを現実改変者だと自称してJokeオブジェクトとして報告書を提出し受理されることもあったという話もある。

この緊張関係は1895年以降のThe Great Rapprochement(大接近時代)と呼ばれる米英の関係改善期の到来をもって一応の収束を果たしたが、各国でバラバラに制定された「現実値原器」が見直されるのはもっと後のこととなる。
 
 
1901年、ASCI、HMFSCP、エステート・ノワールをはじめとした13の超常組織の統合を目的とした紫禁城条約が成立した。これによって、各国バラバラで動いていた各組織が我々の知る「財団」として生まれ変わり、世界と人類のために活動を始めた。
それによって翌1902年、バラバラにある「現実値原器」の見直しが始まる。そして、財団は単純にして致命的な失敗に気づいたのである。

毎年8月1日14時00分00秒、世界18ヶ所で同時に現実性観測を行い、その平均値を1とする。

 
記念すべき第一回観測は、1914年8月1日に行われる予定だった。しかし、直前の7月28日に第一次世界大戦が勃発。財団ドイツ支部、オーストリア支部、ハンガリー支部と連絡がつかなくなり、トルコ支部も重要業務以外の業務を停止、その他連合国側に参加した各国でも観測予定地が戦場に近くなってしまったこと等によって、無期限延期となってしまった。

結局、第一回観測が行われたのは終戦から暫く経った1927年8月1日。
財団に復帰した同盟各国支部も参加した第一回観測の結果、ようやく新定義の現実値1が決定したのである。
 
ちなみにこのとき、ニューヨークで観測された現実値は1.00Hmであり、40年程論争を巻き起こした「ニューヨーク異常説」は間違いであったことが証明された。以降、「ニューヨーク異常説」が陽の目を見ることはなかった。

その後、現実値観測は財団の規模拡張と共に観測地点の追加が行われ、1933年には世界25ヶ所の同時観測となった。

全てのちゃぶ台返し 「世界現実流出説」

 
1937年3月14日、財団は初めて有人宇宙探査に成功した。一般社会より24年早い達成であるが、財団に喜びの声はほとんどなかった。
それは、この有人宇宙探査の際に宇宙船に装備された「改良ベドロー式現実性流出測定器」が、地球の現実性が宇宙空間へと流出していることを観測してしまったからである。これは1912年のジークハルト博士が発表した「世界現実均衡説」を否定しかねない事実である。
 
宇宙の現実値はいくつなのか?
 
人類初の有人宇宙探査は、財団に大きな課題を突き付けた。
財団の研究者たちは様々な仮説を発表したが、最終的には3つの仮説が支持されるようになる。

世界現実均衡説を提唱したジークハルト博士は、探査船がたまたま流出地点にいただけという「偶然観測説」を提唱。
ジェームズ・コウルドマン博士は、現実値は常に流出しいずれ世界の現実性は0ないし宇宙空間の現実値と同等になる「世界現実流出説」を唱えた。
そして最後にカルロス・ジェフスキー博士が提唱した、地球という惑星には常に現実性を生み出すシステムが備わっているという「世界現実発生説」がある。

このうち最も支持されたのが最後の「世界現実発生説」である。というより、他の説は証拠不十分で、この説を信じざるを得なかったというのが実際のところだろう。

「偶然観測説」を実証するには、地球の大気圏と宇宙空間の境界層を観測し続けなければならないが、それを行うには財団では資金的にも技術的にも、そして時間的にも無謀。「世界現実流出説」を証明するには過去と現在の現実値を比較することだが、そもそも現実値が現在の定義に定まったのが10年前であり、その前の数値は比較できない。
それ故に「世界は何らかのシステムによってこのままであり、この先もずっとこのままである」という「世界現実発生説」が、消去法で支持されたということである。
しかし、宇宙空間の現実値を恒常的に観測できなければこの問題は解決しないことは明白である。現実値を地球上で観測してるだけでは足りないのだと、財団はこの時理解したのである。

しかし現実値1の定義は変更されることはなかった。より現実に近い現実値1の観測方法を考える前に、歴史が繰り返されてしまった。
つまり1939年に勃発した第二次世界大戦によって、である。

このときは第一次世界大戦以上に、財団の現実性観測に問題が生じた。
第一次世界大戦によって戦車や化学兵器が発明されたように、第二次世界大戦は各国で超常現象を積極的に兵器化しようという動きが見られた。特に顕著なのは枢軸国で、ナチス・ドイツの異常利用特殊部隊(通称「SKP」)はドイツ国内や占領地に存在した財団施設・研究員を接収し、現実改変兵器の開発を急いだ。当時財団の活動が手薄だった南ヨーロッパ、アジアにも同様の動きが見られ、また連合国側であっても財団の協力を各国政府が要請――という体を取っているが、実質的には脅迫――をするなど、現実性はまたしても現実的な問題を前に揺らぎ始めたのである。

結局これらの問題は終戦間際の1945年5月15日まで解決することはなかった。
この間、現実性観測は行われていたものの、ヨーロッパ全土が戦渦に呑まれたこともあって北米大陸の7ヶ所でのみ実施。この期間の現実値は、全て参考値となっている。
 

地獄からの奇跡。素粒子A-113(現実子)の発見

1945年7月16日、北緯33度40分31秒 西経106度28分29秒――アメリカ合衆国ニューメキシコ州ホワイトサンズ性能試験場で、世界初の核実験「トリニティ実験」が行われたのはご存じの通りである。
前述の理由から、財団は米国政府に対してこの極めて悪魔的で粗悪な原子核分裂兵器の研究に協力していたが、その途中で思いもよらぬ収穫があり、財団研究員は驚愕した。
ロスアラモスの作った世界初とされる核兵器を製造するにあたり、必要とされるプルトニウムは財団が保有する加速器が一部使用された。その加速器によって粒子を衝突させている最中に、未知の素粒子が発見された。

「A-113」と仮称されたその素粒子は、生成から僅か0.13秒で蒸発する。兵器開発者からは目に留まらなかったが、財団の研究員はその0.13秒の間に詳しく分析した結果、その素粒子が持つ驚くべき性質を発見したのである。

それは「すべての物質に現実強度を付与する」という性質である。
 
改良ベドロー式現実性流出測定器は、加速器内のA-113の現実値を1.57Hmだと観測した。この時、A-113は███立法nm内に████個存在していた。そしてニューヨークをはじめとした北米大陸7ヶ所、A-113を同様の密度で観測した結果、全て1.57Hmの値を示した。
偶然の一致か、それとも必然なのか。財団研究員の意見は分かれた。
1945年9月2日に第二次世界大戦が終結すると、財団はすぐに世界各国で同様の観測実験を施行。それは、毎年8月1日に行われていた現実性観測よりも大規模で、熱意のある実験と言える。1945年10月1日から1947年4月12日まで、世界37ヶ所で素粒子A-113の観測実験が行われた。

結果は、全て同じ「1.57Hm」だった。
 
この画期的な発見と観測実験は、財団を大いに熱狂させたに違いない。
1948年5月30日、長らく開催が見送られていた財団国際連絡委員会定例会合において、「現実値1」の定義が35年ぶりに大規模改訂された。

1nm×1nm×1nmに█個存在する現実子が保持する現実性を、現実値1とする。

現実子とは、素粒子A-113に与えられた名称である。
また1951年には「現実子が1nm×1nm×1nmに█個存在する状態を1DHmとする」という文も加わる。つまり、ある空間において現実子密度が1DHmであれば、その空間の現実値は1Hmである、ということである。

これらの決定と共に、現実子をSCP-████に指定。この素粒子の存在は、財団の管理下に置かれることになった。
そしてこの定義は、2021年現在も変わっていない。
 

変わる観測機器、変わらない定義、変えてはいけない現実

「現実性が現実子(素粒子A-113)によって生み出され保持される」という事実は、財団にブレイクスルーを引き起こしたと言える。現実子に関する様々な研究論文が発表され、次第にその性質と応用が見いだされる。

特に重要とされる研究は、1972年、マックス・カント博士の「現実子保持と集積に関する基礎理論」であろう。
現実子は、1970年代の技術では最大でも11秒で蒸発してしまう不安定な物質である。なんとかしてそれを保持しても、現実性は高いところから低いところへと流出するという根本原則に従い、生成された現実子は生成地点から外部へと流出する。カント博士はこれを特別なポータルによって保持すべきと提唱した。ざっくり言えば、「通常空間では貯蔵できないので、現実子が蒸発しない異空間ポータルを人為的に作成し、その中に収納する」という理論である。
理論発表当初は「技術的な難易度は極めて高く実現不可能」という評価が多かった。しかし理論がおおむね正しいことは確かである。現実子の有用性を考えれば、財団はこの理論実現に向けて可能な限りの予算と人員を割くことになる。

そして1985年、ロバート・スクラントン博士率いる研究チームが、「試製現実子安定維持装置(通称ラング - スクラントン安定機、LSS)」を開発、人為的に空間現実値を1.17Hmで安定させることに成功した。カント博士の基礎理論に若干の修正を施した理論によって開発されたとされる。
LSSは幾度かの実験と不幸な事故の後、2006年についに実用化に成功した。事故死したスクラントン博士の名を取り「スクラントン現実錨」と命名されたその装置は、現在の財団において現実改変者に対する最大の武器となっている。

またこれと並行して、現実性(現実子)の流出観測に拠らず、現実子密度を直接計測する観測機器の開発も進められた。これも先のカント博士の理論を基にしており、そこにスクラントン現実錨の制御原理も取り入れた装置として研究が進められた。
そしてスクラントン現実錨から少し遅れること2007年。164年前に「現実値」という単位が出来て以降、様々な財団研究者が求めてきた答えをすぐに教えてくれる装置、「カント計数機」がついに完成したのである。

そして、時は現代へとたどり着く。
現実改変者との戦いは、まだ続いている。新しい特性も発見されており、現実性というものが如何に難しいかを再認識させてくれている。いずれ今現在使われている現実値1の定義を変更する未来も近いかもしれない。

しかし忘れないで欲しいのは、そのたびに多くの財団研究者が汗水、時に血を流し研究し続けていたということを。
単位ひとつを決めるのに、なぜそこまでするのかと思う人もいるかもしれない。

けれどそれは、財団が守るべき世界そのものを表す重要なものであるからだ。そのことは、今も昔も変わらない。
ここで1843年に制定された現実値の古い定義を、もう一度引用しよう。

通常現実の現実値を「1」と定める。

それは、私たちが守るべき数字なのである。

――確保、収容、保護。


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