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名古屋。
しっとりとコンクリートに降り積もる霧雪が雌伏して時の至りを待っている。
晩秋が舞台から音もなく過ぎ去り、初冬が図々しく割り込んできてから数日。ミスキャストに慣れつつある雑踏の音は、大小ともに釣瓶落としの哀愁をひしひしと噛み締めている。
ミントの香りをにわかに残しつつゴミ箱に捨てられるガムを横目に、決まらない行く先を探るべく地下街を探し続けて早2日。43ヶ月分の補償金で就職活動を行うのに不足は無かったが、家では息が詰まりそうな気がして、外の空気も変わらず重たいと言うのに繰り出してしまう。
ハローワークに行こうと靴紐を結ぶも、いつも気がつけばコースティック柄の影に当てられている。屋根に水が張られた屋外広場。昔から、気が滅入る時はここに居る。監獄では床ばかりを見つめていたから、床が明るいとやっと出られた実感が出てきて、床が、床が、床が……
────床?
───これは…青い床。
──これは……違う?
D-210212
████/██/██ 殺人容疑で有罪死刑判決。
████/██/██ Dクラス雇用契約。
████/██/██ 愛知地裁は最高裁に再審を要請。
████/██/██ 死刑、拘置ともに執行停止。試作クラス█記憶処理処方の後、開放。現在、経過観察中。
オブジェクト接触歴
・SCP-████
・SCP-████-JP
・SCP-████
赤白の、チェック柄。
茶黒の、チェック柄。
違う。何かが、違う。
通りかかる服の柄、歩けば流れ行く壁紙の柄、踏み鳴らす床の柄。
全てがはまらない。全てが冷たく、彩度が高くて目が痛い。彩度が高いのに、どこか空虚。
灰色の空虚には慣れたが、綺羅びやかな空虚に慣れていないと気がつけば、それはもう息苦しい。
息苦しいなら、深呼吸をする。空気が無ければ息は吸えない。
空気はある。あると言うのに、息苦しい。深呼吸ができない。
翼を失った鳥と形容するには、奪われたモノが汚れすぎている気がする。
気の所為を無碍にするには、半生の経験が赦さなかった。
「それで…どうなの?」
色とりどりに紫陽花が開いていた蒸し暑い梅雨の日。
高校2年だった頃の梅雨。
告白された、梅雨。
あの日の雨はどんな擬音が似合っていただろうか。
「しとしと」「ぽつぽつ」「ざぁざぁ」
どれもしっくり来ない。目の前の、衣替え習慣も終わりに近づいているのに未だ冬服姿の彼女が、そっと意地悪な笑みを携えている姿を思えば、些末な事かもしれない。
細雪は適度に視界を遮り、天上の窓ガラスは曇り空のノイズを映し出し、溶け込んでいく。
しかしその足元を揺蕩う群衆は、どうあっても人でしかない。
俺も、その一人。去年なら、そう思っていた。今は…自分に自身が無い。
自分が無い訳ではないけども、何かを、どこかに、置いてきた気がする。
冷たい風が、ぽっかりと空いた自分の身体をどこかに吹き飛ばしてしまいそうな気がして、吹き飛ばされた先には、なにか良くない事が待っている気がして、駆け足気味に地下鉄に飛び込んだ。
2143円が入ったマナカを取り、改札をくぐる。図らずも通勤ラッシュから外れた時間だったからか、学生達を多く見かける。
そうして何気なく桜通線に乗り、何気なく名城線に乗り換え、かつて通いの喫茶店をふと思い出し、上前津で降りた。
「ざぁざぁ」な雨が降り注いでいる。
むせ返るような湿気がトタン屋根のバス停にたち籠もり、立ち尽くす二人の感情を湿っぽく刺激している。
紫陽花はある日、色味をにわかに失った。褐色に浸されていく色素は、窓際で頬杖を付いている誰かに助けを求めているようで、見ていて落ち着けない。
梅雨の始まりを過ぎても尚、小意地ながら夏服を脱がなかった彼女も、今日ばかりはやつれた表情を見せている。汗ばんだ彼女の肌は水滴を際立たせ、水滴は落ち行く雨粒を強調する。
暑さに喘ぐ吐息とともに、視線、聴覚を彼女が支配しているようで、そのせいでも落ち着けない。
手でも握れば良いのだろうけど、彼女はきっと無理して皮肉な笑みを浮かべるだろうと思うと、このまま二人で、暑さに喘いでいる方が、もっと彼女を密に感じられると思った。
通っていた喫茶室の閉店を、空きテナントの静寂で知った。
このまま、また吹き付ける冷たい風に怯えながら居場所を求めることになるのだろうと思われたが、数メートル歩いた先に、行きつけに似た雰囲気の店を見つけ、なんとか腰を落ち着けることに成功した。水を運んできた店員にコーヒーを頼み、水を飲み干し一息をついた。
店を見渡すと、店構えは似ていても随分かつての行きつけとは雰囲気が違うと思う。橙の薄暗い照明。いくつも並ぶサイフォンの耐熱ガラス。深煎特有のどっしりとしたコーヒーの香り。名古屋の喫茶店でこのような雰囲気を持つ店は珍しい。
やはり数人がおしゃべりをして店内は明るい、人の存在を感じる店の方を好む自分の性分には合わないと思った。メニューを見返すと一杯1200円。無職の身である自分の存在を感じ、引け目になってしまう。
窓際の席だから、風に吹かれはらはらと舞い降りる粉雪がよく見える。冷たい街並を行き交う人影一つ一つがどこか現実味を感じられず、どこか世界から浮いている気がする。
そんな陰鬱な考えの連続に取り憑かれ、俯いていた定中、黒くて香ばしい液体が入ったフラスコと灰色のカップが目の前に置かれる。店員は何かを言うと小さなミルクサーバーと大げさなサイズのシューガーポットを起いていった。
フラスコからカップへ珈琲を注ぎ、白みがかった灰色に入れられた黒色が水の形態を借りて揺らいでいる。色相の調和。
しかし明度の調和は無い。微妙なコントラストが木目のテーブルの上に乗っかっている。考えすぎは不幸の元だと分かっていても、ため息が肺の中でぐるぐると渦巻いている。
ため息が出かかった。しかし、なぜだか分からない。ため息は喉元で押し返された。
何故だろう、と、顔を上げる。上げた先には、向かいのテーブルに座っている白黒の学校制服を着た少女が居た。
視線を、きっと感じていた。
『目から遠くなると、心に近くなる』
ロシアの諺で、彼女が好きな諺だった。
まさにその意味を知った。彼女が隣に居ないと意識すると鼓動がほんの少し高くなる。
学校の屋上。普段は立ち入り禁止だが、彼女が南京錠を勝手に壊したお陰で暫くは二人だけの空間になっていた。
もう南京錠は付け替えられている。ここに入りたいと言った彼女はもう居ないのだから、何ら問題は無かった。無いと思えば、振り返らずに済むと思っていた。
しかし自分でも不意に振り返ってしまえば、そこには空虚な青空、雲ひとつ無い退屈な蒼空が天を穿っている。
彼女はよく、その蒼空を見上げて「割れちゃえばいいのに」と、冗談っぽく言った。
きっと、本気だったのだと思う。
割れた彼女の頭が転がっている光景を思い返すと、なんだか皮肉っぽい笑みが移ってしまいそうだった。
あれは、きっと寂しい時の表情だったのだと、ふと思う。
あの日手を繋いでいたら、彼女はどんな表情を見せただろう。
彼女は、静かに中指、人差指、親指でコーヒーカップを持つと、静かに啜り、静かにソーサーに置いた。申し訳程度の乾いた音を立てて。カップの持ち方はティーカップの持ち方だった。
彼女はスローモーションのようにゆっくり視線を上げると、目が合った。
目があった彼女は数瞬の後、不意に口元に笑みを浮かべた。皮肉っぽい笑みだった。
冷たいナイフが、胸を突き刺し、熱い熱い血が、焼け焦げた心臓と共に身体から爛れ墜ちていく感覚を覚えた。
手が震えた。呼吸が荒れた。表情が崩れた。彼女は、まだ冷たい目で笑っている。
きっと、煉獄に堕ちたのだろうと思った。
あの長い長い収容所暮らしの間で、どこかで俺は死に、ここは煉獄で、トマトみたいにグチャグチャに潰された彼女が、逢いに来てくれたのだと、思った。
彼女は、笑みを崩すとまたティーカップの持ち方でカップを持ち、一口喉を鳴らした。
またソーサーに戻すと、釘付けにされた俺を見て、また、今度は小馬鹿にするような表情で見つめて、鼻で笑った。
笑ってくれた。あの日二人で見上げた蒼空を見て、俺は綺麗だと感じた。でもそれは、君が居たからで、俺はやっぱり、あんな青々しい蒼空なんて嫌いで────
彼女、って、何だ。と、思った。
白黒チェック柄の床に、落ちていた彼女。
白黒チェック柄のユカに、落ちていた彼女。
そういえば、昔。幼馴染が居た。
とても健気で、でもちょっと女らしくって、可愛らしい子。
道端で、車に引かれて、脳漿をばら撒いたあの子。
あの子、どうしてるかな。
今、何をしているのかな。
あの子の名前、何だっけ。
確か……
もう、よく分からない。
何だって良いじゃないか。
だって、ほら、彼女が逢いに来てくれた。
それで、もう良いじゃないか。
「はい、なんですか?」
「私ですか?私の名前…って、貴方誰です?」
「えっ、ちょっと、えっ、何で泣いて、えっ、私何か」
「いやっ…!なにっ…離してっ、嫌だっ…なんなんですか!」
「…えっ…何…?い、いや、やめて、おねがい…」
「やめろッ!やめてッ!!離れてっ!私ユカなんか知らない!私知らないの!」
「誰かッ!助けて…!!やめて…!私、まだやりたいこと…」
「イヤッ!!痛いッ!!やだッ!!いやぁぁっ…!」
「あ、貴方は?」
「あ、ありがとうございます。ほんと、もう……」
「う、後ろッ!!」
「ナイフっ!!あっ…!ああ!いやだ!!そんな!!来ないで!怖いよ!来ないでよ!!」
「助けてッ!助けてッ!助けッ!!!!痛いッ!!イヤッ!!」
「もうやだ!痛い!痛いよ!私こんなの嫌だ!私ッ!もっと幸せになりたかった!!」
「止めてェッ!!腕切らないで!!明日大会があるの…!明後日はデートで、また明後日は手を繋いで幸せになるの!!みんなが手に入れてる幸福なのに!!死にたくないッ!!!」
「『みんな』になりたいッ!『みんな』になって、幸せにッ……!!」
「腕ッ!!うでうでうで!!!いやいあいやああいあやあややいや!!!!!!」
「捨てないで!!踏まないで!!私の腕!!幸せになる腕を踏まないでッッ!!!うでうでうでェェッッ!!!!」
「ナイフやめて!止めてよ!!!もうやぁ!!足止めて!!アシッ!!あしあし!!歩けなくなっちゃう!!!『みんな』になれなくなっちゃう!!!いやだいやだいやややいやァッ!!!!!」
「ころしゃないで…殺しちゃ、あ、あ、ころ…あ、え?……あ……クビ…あ、あ、あ!あ!アッ!!やだ…!!やだやだやだ!!殺さないで…ころすって…あえ?あっ、あああ!!!いやいあ…あっ…ひっ…あああ…ぉ、ぉ、ぉ……おヴオゥオヴオク……ヴォェ…ォヴォォ……ぉ……」
(首が落ちる音)
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任意A任意B任意C- portal:4340581 (02 Nov 2018 16:12)
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