幻覚探偵の事件簿――啄木鳥
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01

雨霧と――いや、霧香と別れた。
理由は――いや、どうでもいい。
僕、ジョシュア・アイランズは、彼女のことを受け止めきれなかった、それだけだ。
その苦い思いを抱いてオフィスに帰ってくる。書類ひとつを片付けるのも気が重いほど落ち込んでいた僕の目の前には、完全に片付いた書類バインダーがあった。
「これは?」
「昨日帰ってこなかったでしょう。その分を、シュシュニコワさんと手分けして片付けました」
僕の問いに答えたのはジュニアハイスクールの生徒にしか見えない小柄な女性だった。来栖朔夜。政治局の文書的ブラウニー。彼女には何度か超過勤務を肩代わりしてもらったことがある。しかし――
「昨日、帰ってこなかった?」
「そうですよ。アイランズさんは一昨日の夜から今日の朝までずっと外勤だと聞いていました」
来栖は何事もなかったかのように応える。
嘘だ。僕は1日有給休暇を取っている。後回しにしていい書類を残して、僕は霧香と逢引し、行為を求めて――拒絶してしまった。
だが、勤務表を見ても、僕はその日外勤だったことになっている。
「お疲れさまです。アイランズさん」
僕の疑問をよそに、来栖がシュシュニコワ直伝のロシアンティーを入れて持ってきてくれた。
「――ありがとう来栖さん」
「疲れているときは、甘い物がよく効きますよ」
そう、来栖は何げなく応える。
僕はオフィスの椅子に腰を下ろし、机の上に置かれたロシアンティーを飲む。ジャムを中にぶちまけて、乱暴にかき混ぜ、一気に飲み干すと、わずかに疲労が引いた気がした。
「飲みっぷりがいいですね」
「できればブランデー入りが良かった」
そんな繕うような応えでも、来栖は真面目に聞いてくれる。
「少量のブランデーは気付けに良いですからね。2杯目はそうしますか?」
「いや、やっぱりいい。勤務に差し障りが出る」
そして今日の勤務内容を確かめる。
「サイト-81██に勾留中のPoIの世界オカルト連合への引き渡し案件調整――」
そのサイトは霧香が務めている。それだけで気が重くなった。
もし出会ってしまったら、もし顔を見てしまったら、もし言葉をかけられてしまったら――僕は、どうして良いかわからない。
そんな風に戸惑う僕を、来栖が気遣うように見つめている。
「――大丈夫ですか、アイランズさん」
「ええ、一応は」
嘘だ。僕は霧香と向き合うことを恐れている。
そんなことは露知らずという顔で、来栖はスキットルをスーツのポケットから取り出した。
「イヴァノフ局長代理からもらったのの、おすそ分けです。やっぱり、一杯引っ掛けたほうが良いですよ。顔色悪いですし」
「いや、遠慮します」
「――そうですか」
来栖が残念そうな顔をする。
しかし、僕としては霧香と出会うかもしれない場所にアルコール臭い状態で向かうことは気が引けていた。
「お気持ちだけいただきます、それでは」
「いってらっしゃい、良い一日を」
来栖は僕を暖かく送り出してくれたが、僕としてはどうしても足が重かった。
ミクロラインを使ってサイト-81██に到着する。足早に、顔を見られないように、そそくさと問題のPoI引き渡し交渉場所の部屋を目指す。幸い霧香には出会わずに済み――そして部屋の前に立った。
「ジョシュア・アイランズ調停官です」
「ご自由にお入りください」
中からしたのは、中年男の声だった。
交渉自体はスマートに進み、PoIの身柄はGOCに引き渡された。財団側にどれだけ情報が漏れたかは、GOCのモールが調べるだろうが、こちらから直接渡さずに澄んだだけでもマシな部類だ。
帰り道も足早に、サイト-81██を出た。その間、霧香とは一度も出会わなかった。その日からずっと――。
僕は1週間ほど、通常の業務を続けた。傷も癒えかかった頃、ふとしたことに気づいた。
――だれも、僕と霧香の関係について探りを入れてこない。
財団職員の色恋沙汰ともなれば、それなりに噂になるものだし、僕と霧香は目立つタイプのカップルだったから、デート後は必ず探りを入れられたものだ。
だけど、破局的な別れを経たあの事件後は、誰もが僕に平常の構えで応対して、探りを入れてくる者がいない。僕は訝しんだ。そして――来栖に相談した。
「実は、僕は霧香にひどいことをしてしまったんだ」
そうすると、来栖は丸い目をさらに丸く、キョトンとして問うてきた。
「霧香さんって誰です?」

02

「それで、ボクのところにお鉢が回ってきたということかい? 来栖くん?」
「そうです。エージェント・稲穂。RAISAデータベースにアクセスした結果、雨霧霧香という職員は確かに存在しています。しかし、勤務先のサイト-81██に問い合わせても、付属寮に問い合わせても、そのような職員はいないと」
僕が訪れた部屋の主は、そう言って、色が微妙に違う瞳で来栖を、そして僕を見つめた。
彼女の周りには、財団サイトの職員室には似合わない様々なもの――セピア色の世界地図、ヴィクトリア様式の書類棚に乱雑に収められた書類バインダー、色とりどりの瓶に詰められた古い酒、壁にかけられたダーツボードに突き刺さった数本のダーツ、トルコ風の長椅子、マホガニーのデスクの上の古い地球儀に革張りの葉巻ケースという面々――が無秩序に置かれている。これが彼女の心象風景なら、えらく享楽的な人物なのだろうと職業敵艦が働くが、僕の考えを読み取ったかのように、彼女は言った。
「ジョシュア・アイランズ君。君が当面の”依頼者”だね。ボクは探偵、稲穂みちるだ。よろしく頼むよ」
そう言いざま、安楽椅子から身を起こし、デスク越しに握手を求めてくる。慌てて僕は近づいて、手を伸ばし、彼女の手を握った。
――ひどく冷たい。
それが第一印象だった。
「まあ、まずはそのソファにかけて、キャビネットから好きな酒でも1本取り給え。どうせ財団の給料なんざ外で使う暇なんか殆どないんだ。せいぜい饗応するよ」
稲穂の誘いに応じて、来栖がキャビネットを開け、ショットグラス2つと共にヘネシーのV.S.O.P.を取り出す。
「職務相談中に飲酒なんて良いんですか?」
「構わないさ。少し呑んだほうが舌も滑らかになるだろう?」
探偵を自称する稲穂は、そういって薄く笑うと、自身もデスクの上のボトル――マッカラン・グランリゼルヴァ18年のボトルを傾け、ショットグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「聞き手はあまり呑まないほうが良いと思いますが」
来栖の苦言にも、稲穂は薄い笑みを崩さない。
「なに、依頼人だけ呑ますのも礼儀に反するかと思ってね」
そういってグラスを片手でクイッと上げる。僕も、来栖と一緒に並べられたグラスにヘネシーを注いで、乾杯の姿勢を取ることになった。職業柄、どうしても受け答えしてしまう流れだった。
「では、君とボクとが奇怪な事件に共に立ち向かう同志であることに乾杯!」
稲穂はそういってショットグラスを一気に傾ける。つられて僕もグラスを傾けた。強いがなめらかな感触の芳醇な液体が僕の喉を通り過ぎ、胸が熱くなったところで、稲穂は問うてきた。
「さっそくだが、アイランズ君。君がその、雨霧霧香という財団職員と最後にあったのはいつになるかな?」
僕は言いよどんだ――しかし、彼女は色がかすかに違う片目――右目を押さえて、少しうつむくと。
「痣。それが君の瑕の原因か」
と告げた。
――痣。
――霧香と行為に及ぼうとした時、彼女の身体に浮かんでいた黝い痣。
――それを見て戸惑った僕と、戸惑った僕を見て悲しげな顔をした霧香。
――言い訳がましい言葉を口にする僕は霧香に拒絶された。いや、僕が霧香を拒絶したんだ。
そんな罪悪感が胸をよぎる。
「僕は――」
口から出る言い訳は遮られ。
「どうやらそれ自体は事件とは関係ないみたいだね。瑕をえぐって悪かった。だけど、それを大切にし給え。おそらくは、事件の鍵になる」
稲穂は巫女のような託宣を下した。
「ちょっと、アイランズさんはあなたのペースを知らないんですから、初手から驚かすのはやめてください」

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