幻視者の残像
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00

「あなたみたいに手の冷たい人は」
 ボクに向かって、彼女はこう告げた。
「手が冷たい分、心が温かいんですって」
そんな彼女の笑顔を、ボクは守りたかった。
ただ、それだけだった。
だけど――守れなかった。
その光景は、ずっと右目の奥底に焼き付いている。

01

財団サイト-81██には正式名称「財団日本支部サイト内アノマリー案件調査室」あるいは「探偵事務所」と呼ばれる一室がある。サイトの近代的な様式とは異なる、手を尽くしたヴィクトリア朝の内装は、様々なもので飾られていた。
本棚に収まった百科事典と稀覯本、マホガニーのデスクの上にある地球儀と葉巻入れ、壁に飾られた古地図とダーツ盤、それらに突き刺さったピンとダーツ……空白を覆い尽くさんばかりに様々なものに溢れた部屋の王座たる、デスクの後ろの大きな椅子に、ショートカットのボーイッシュな女性――稲穂みちるは埋もれるように座っていた。目をつむり、胸の上で手を組んで、何かを考えている様子だ。
「今日の晩飯は唐揚げかタンドリーチキンか……」
口から漏れる、意外と俗っぽい独り言も、どこか様になっているのは部屋の雰囲気と彼女自身の佇まいだろうか。薄い髪色の、中性的な顔立ちをした、ややレトロスペクティブな感じのパンツスーツ姿の彼女は、たしかにこの「探偵事務所」の「探偵」にふさわしい雰囲気を持っていた。
そこに、扉の呼び鈴がなる。稲穂は飛び起き、身繕いを整えると来訪者をチェックした。スクリーンに映る、中性的な外見の人物は、今日の朝SCiPNET経由でアポイントメントを取ってきた、冠城先軌検死官だった。
「どうぞ。”探偵事務所”へ。ご用件を詳しくお聞きしましょう」
すると、憔悴した表情の冠城は、堰を切ったように話し始めた。
曰く。自分には御代記内という友人がいるのだが、ある現実改変者の少女に対する態度の件で口論となり、そのまま喧嘩別れしてしまった。だが翌日サイトに出勤すると、誰もが御代のことを覚えていないし、御代のデスクも存在していなければ人事記録にも残っていない。ただ、自分と現実改変者の少女――円谷まどかだけは覚えていた。これがどういうことか、解明してほしい。そして友人たる御代を見つけ出してほしい。
大まかに略するとそういう依頼を受け、稲穂は顎の下で両手を組んだ。
――事件が起こったのは昨日。1日でそこまで記録を書き直すことは困難。そしてサイトが冠城に詐術を使うのも、冠城が自分に詐術を使うのも、可能性としては低い。だからこの依頼は確かに「神隠し」にあった御代を探す依頼なのだろう。
――神隠し。自分が7歳の時にあった神隠し。
――正体不明の男たちに拉致され、右目を抉られ、左足を落とされ、牢屋の中に閉じ込められた記憶。
――御代という男もまた、そんな目にあっているというのだろうか――
記憶を想起するとともに、目眩と幻覚が現れる。見えないはずの右目の視界に様々な映像が去来する。その大半は意味を成さないが、ただひとつ、くっきり見えたものがあった。
「啄木鳥――」
虫を銜える、一羽の啄木鳥。その姿をありありと脳裏に焼き付けて、稲穂の意識は暗転した。

02

「――ですか!?」
「――ん」
 暗転した意識が徐々に明るさを取り戻していく。
「大丈夫ですか、稲穂さん!?」
冠城が稲穂の体を床から抱き起こし、ベッドに寝かせようとしている。
「今医療部門を呼びます。私も医者ですから一応の診察はできます」
「――ああ、すまない。時折現実識を失調して目眩と幻覚を覚えるんだが――今回は久方ぶりに強烈だった。見苦しいところを見せてすまない、大丈夫、医療部門は呼ばなくていい。自分の体は自分が一番知ってる」
そう。自分が謎の男たちに右目と左脚を奪われたのは、年神様の依代として豊作祈願をさせられるため。その結果、人の身に過ぎたる年神様の霊力の一部が自身に宿り、自分の体を内部から蝕んでいることは、自分がよく知っている。
だから。
「済まないが、その酒棚の一番上のブランデーを取ってくれないか。気付け薬にしてるんだ。それを飲めば元に戻る」
迫りくる寿命に怯えるより、今動くための処方を用意しておくほうが良い。できれば楽しみを兼ねて。
冠城は稲穂のそんな思いは知らねど、探偵に倒れられては困るため、ブランデーの瓶とグラスとを稲穂に渡した。
くいっといっぱい引っ掛けると、胸の中に燃えるような活力が湧いてきて、目眩と寒気を吹き飛ばす。
「じゃあ行こう。時間の浪費は悪徳だからね。まずはRAISAの来栖連絡官に御代の現在の所在を問いただそう。連絡が返ってくるまでの間に現場にいって、君の言った事項を再確認だ。現実改変者の少女、といったね? 彼女にも確認を取る」
キビキビとした口調で告げながら、ベッドから立ち上がり上着掛けのコートを取って羽織る稲穂に冠城は呆然とする。
「――大丈夫ですか? まだ顔色が若干悪いようですが」
「色が白いのがボクの取り柄なんだ。気にしないでくれ給え」
そう韜晦してみせると、「探偵事務所」の外へと、そしてサイトの外へ出る。慌てて追いかける冠城は、稲穂の自暴自棄にすら見える行動力に驚嘆と不安を覚えざるを得なかった。
冠城の勤務するサイトへマクロラインで移動する際、来栖からの連絡が返ってきた。御代記内という財団職員は存在「する」とRAISAデータベースは記録していると、彼のプロファイルとともに返答が帰ってきた。
「セキュリティクリアランスレベル:3、任務:現実性に関連するオブジェクトの研究調査、現実改変者の発見と終了」
現実改変者の少女、現実性に関するオブジェクトの研究調査を担当しているエージェントの現実性喪失――直線で結びつけるのはまだ早いが、何かしらの関連性が見えてきたところで、マクロラインが冠城の勤務するサイト前駅へと到着した。
圧搾空気の音とともにドアが開くと、そこには薄い髪色の、首に即時終了用のチョーカーをつけ、両手首に小型スクラントン現実錨をはめた、聖プリチャード学院中等部の制服姿の少女が待っていた。この娘が例の現実改変者の少女――円谷まどかかと納得している間に、冠城はマクロラインを飛び出し、ホームの円谷へと詰め寄った。
「まどか!? 実験を抜け出してきたのか?」
「違うよ。博士に許可はもらってきたもん! で、このヒトが探偵? なんだかフラフラしてる……大丈夫ですか?」
円谷まどかが、御代記内が関わっていた現実性に関連するオブジェクトの研究調査と関連しているのだろうか。あと、体調を心配されるいわれはない。そんな事を考えつつ、よそ行きの笑顔を浮かべ、稲穂は円谷の手を取った。
「さよう。ちいさなお嬢さん。ボクこそが探偵、真実の求道者、稲穂みちるだよ。よろしく」
そうすると円谷ははにかみながら、手を握ってきた。
「円谷まどかです。このサイトで現実改変機序研究の被験者をしています」
温かい手だった。普段敵に回しているグリーンたちとは違う印象だった。
「じゃあ、まずはこのサイトで一番美味しいスイーツをおごるよ。それで、詳しい状況を聞かせてほしいな」
「ええっ、ここの特大パフェ、私の1ヶ月分のお小遣いより多いんですよ……いいんですか!?」
少女――円谷が目を輝かせて期待で胸を膨らませるのを見て、稲穂も思わず顔を緩める。
「もちろんだともお嬢さん」
気取った口調で告げると、円谷は稲穂と冠城の手を取って、駅からほど近いサイトのカフェへと引っ張っていった。

03

円谷まどかから得た情報は以下のようなものだった。
円谷はフェーズIII現実改変者として現在財団日本支部現実改変部門長、土橋京一郎博士のもと現実改編機序研究被験者をしている。御代記内もまた現実改変部門で土橋のもとなにかの研究を行っていたらしいが、これについては円谷のセキュリティクリアランスレベルでは周知し得ない。ただ、御代記内について記憶しているのは、冠城と彼女だけらしい。
「御代さん、冠城さんのことを本当に心配していて、私と冠城さんが接近するのを極力避けるように動いてたんです」
一通りの供述を終え、パフェの残骸を片付けていた円谷が、ふと手を止めて昔を思い出すようにする。
稲穂は円谷に問うた。
「なぜまたそんなことを?」
「冠城さんは今では私のことを妹同然に扱ってくれます。だけど……」
口ごもる円谷の代わりに、冠城が答える。
「私には妹がいた。妹はフェーズIV1グリーンになっていた。だから私が殺した。この子には、妹のまだ正常だった頃の優しい面影を覚えて、つい親密にしよう、親密になろう、妹のようにはしないと思っていたんだ」
「だけど御代さんは冠城さんの親友だから、私と冠城さんが共依存状態になったら私が暴走してフェーズIVになるかもしれない、そうなれば冠城さんの心を傷つけてでも私を終了しなければならない。それは最悪の結果だから、そもそも深く関わり合いにならないように、そう思ってできるだけ引き離そうとしていたんです」
冠城の言葉を継いで円谷が答え終わると、稲穂は少し驚いたように問う。
「でも今は普通に兄妹って感じだよね?」
「ある事故で私が負傷したのがきっかけで、冠城さんが相当取り乱して、御代さんも折れて”俺が見張ってるところでなら会って構わん”って言ってくれたんですよ」
円谷がそう言うと、冠城は恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「看病中、ずっと御代に見られているのはどうにも心地が悪かった」
その答えに円谷はほほえみ、稲穂は考え込んだ。
――RAISAのデータベースに誤りが生ずることはありえない。スクラントン現実錨とシャンク=アナスタサコス恒常時間溝によって現実改変や過去改変からも守られているデータベースを改竄できるのはRAISA職員の上級者のみだし、御代記内という架空の職員を作るメリットがRAISAにはない。
――だが、実際にこのサイトの人事記録にも御代記内の記録は残っておらず、現実改変部門で共に研究をしていたはずの土橋博士も、他の同僚も、彼の記憶を失っている。ただ、彼の現実改変者殺しである冠城と、現実改変者である円谷が、彼のことを覚えている。偽の記憶が彼らだけに受け付けられる可能性はとても、低い。
――不完全な、現実改変。
稲穂はそう結論付けざるを得なかった。現実改変者がある人間の存在消去をすると、彼のいた場所、彼の記録と記憶に当てはまる部分がすべて周囲の現実圧に負けて「現実爆縮」とでも呼ぶべき現象を生む。その結果として、彼の存在は元から存在しなかったように現実は改変される。
しかし、そのような爆縮はいびつになることがある。人間の存在消去となると、人間として強い絆を彼と築いてきた人間がいた場合、その絆まで消去しきれないことがある。特に、円谷のような現実改変者が対抗現実を無意識展開した場合は。
その結果として、御代記内を消した現実改変者は、不都合な記憶を冠城と円谷に残してしまったのではないだろうか。
――オッカムの剃刀的にどうなんだろうね。要素を増やさなくても、目の前にそれができる現実改変者はいるじゃないか。フェーズIIIは擬態で、フェーズIVに深化しているのかもしれない。ならばやれることはひとつじゃないのか?
自分の中にある不信が、そのように告げるのを、稲穂は否定する。
――ボクは、その考えを肯んじ得ないね。もしそうならば、円谷は冠城の中から御代記内の記憶を消すのを最優先するだろうから。自分だけを見させるために。
不信はなおも告げる。
――では、その新しく登場した現実改変者は何者なんだい?
――おそらく、御代記内の研究に関わるものに相違ないね。そこにしか項がない。
――予断は推理の大敵だよ。
――まだ推論をひとつひとつ着実に検討しているだけだ。
自己との対話は消耗する、そう感じたところに、声がかかった。
「稲穂さん? 大丈夫ですか?」
円谷だった。心配そうな顔をして、こちらの顔を覗き込んでくる。この娘は、ひとつひとつ精神的距離を縮める行為を行ってくると感じられて仕方がないが、不思議と鬱陶しくはなかった。
「ありがとう。大丈夫だよ。少し考え込みすぎただけだ。ただ、ボクはこの時点で捜査の方向性が見えたと思ってる」
「えっ!?」
「すごい!」
驚く冠城と円谷に、稲穂は告げた。
「まず土橋研究室を訪ねることにするよ。彼が現実改変については一番詳しい」

04

「私が土橋です。お話は来栖連絡官から聞いています。財団日本支部サイト内のアノマリー案件調査をなされているとか。大変な重責ですね」
「いえいえ、生来の負けず嫌いで、重責であり難題であるほど解決しようという気になるものですから、この仕事は楽しいですよ」
土橋京一郎はまだ「部門責任者」としては若く行動力のある部類の財団職員だった。どこからか拾ってきた円谷をフェーズIIIに留めながら現実改変機序解明に向け多くの成果を出しているというのは、紛れもなく有能な人間の証だ。
その彼にして、部下であるはずの御代記内が消滅していることには気づかなかった。
「RAISAのデータベースアクセス権限は私にもあります。確認してみましょう」
そう告げて数分後、土橋は自身が御代記内の記憶を失っていたことを確認した。そして、どうやら稲穂より先に事件の真相にたどり着いたらしい。
「エージェント・稲穂。ここから先は現実改変部門に任せていただきたい。あるいは現実改変部門の指揮下に入っていただきたい。どちらを選んでも結構です」
優秀な頭脳と高いセキュリティクリアランスレベルで閲覧できる秘密。そのどちらが欠けてもたどり着けない心理に、土橋はたどり着いたのだろう。だが、土橋に任せる、あるいは土橋の指揮下に入るということは、主導権を、自由を、土橋に明け渡し、土橋の思うように事件を解決させられるということであった。
だから――稲穂は少し考え込んだ。
結局、土橋の指揮下に入るのは48時間後として、それまでに自分のセキュリティクリアランスレベルで調べられることをきっちり調べようと決心し、冠城と円谷とともに行動することを決めた。それは財団規則内部で、もう少し柔軟に動いて真実を知り得るのではないかという見込みと、できれば御代記内を助けたいという気持ち――財団現実改変部門の最適解が自分の最適解と同じとは限らないという不信感と表裏の思いから来ていた。
「結局どうするんですか?」
円谷の問いに、稲穂は答える。
「まずは出たとこ勝負かな。鬼が出るか蛇が出るかわからないけど、確実に”なにか”は出る」
そんな無責任な、と言いかける円谷を制して、冠城が問う。
「では、突付く藪はもう決まっている、と?」
「そうだね。直感だけど、はっきりとした行き先は見えているよ」
稲穂はそう、曖昧な答えを返した。
鍵は、現実改変者がベースライン宇宙から御代記内を消去する際に、いびつな形での現実爆縮が起こったこと。御代記内がベースライン宇宙に確かな痕跡を残していること。そして――最初に幻視した啄木鳥。日頃うるさい幻覚ばかり見せる右目が、はっきりとした、現実識の失調を伴う幻覚を見せる際は、それがなんらかの「手がかり」であると、稲穂は長い幻覚との付き合いで知っていた。
――察するに、キツツキが木に穴を開けて中の虫を食べるように、ベースライン宇宙に穴を開けて中の存在を喰らう高次存在がいるに違いない。それが御代記内を喰らったが、喰らいきれず、御代記内の存在はまだベースラインに引っかかっている。それが円谷と冠城の記憶である以上、完全に御代を喰らうために、冠城と円谷をも喰らいに来るだろう。
稲穂はそう推測し、対策を考えた。
――その時が好機だ。円谷に御代記内を奪還させ、御代の残存情報をもとに彼と彼を取り巻く現実性を復元する。
――円谷頼みの作戦じゃないか、恥ずかしくないのか? 大体、現実改変部門の切札である円谷が君と一緒に行動できていることがおかしい。土橋博士の作戦に組み込まれてるぞ、このイレギュラーな行動も。
自分の中の「なにか」がそう語りかけてくる。
――それでも、自分が、自分で選んで成すことに意味があるんだ。土橋博士が作戦にボクを組み込んでいるって言うなら、ボクも彼の思惑を利用させてもらうさ。勝っても負けても文句なしの勝負だ。
――正気か? 下手すれば財団規則の連鎖違反だ、そうなればFランク記憶処理とDクラス降格は間違いなしだ。
「なにか」はそうやって脅しつけてくるが、稲穂はくじけない。
――本当にやるべきことを、ボクはまだ見失っていない。財団職員としての職責、すなわちアノマリー対策。御代記内の奪還。冠城先軌と円谷まどかの身命の保護。それさえなせれば、後は土橋博士がなんとかするか、なんともできなくて責任をボクに押し付けるかだろうけど、どっちでも構わないさ。青年よ、若い内に楽しめ、っていうだろう?
――それは刹那主義だ! 自分の身にかかった呪いを解いて、生き抜いてやると決めたのは自分自身だろう!
「なにか」はついに本質をつくが、稲穂は否と答える。
――自分がやれることをやらないで、悔いが残る人生は嫌なんだ。それは、生きているとはいえない。財団職員としてベストを尽くし、人間としてもベストを尽くし、この理不尽をはねのけ克服しなけりゃいけないんだ、ボクは!
その決断的思考に「なにか」は押し黙り、そして心の闇の奥へと引き下がっていった。

05

稲穂が考え込んでいた少し前、土橋京一郎は自らのオフィスで、RAISAから転送されてきた稲穂みちるのプロファイルを丹念に読んでいた。そこには、セキュリティクリアランスレベル4の彼にして、初めて知る事実が書かれていた。
「”ブラックシープ・プロトコル”――財団が集団思考により硬直化することを防ぐために、あえて異端分子を各サイトに配置し、財団規則や忠誠義務を最大限に自己に有利に解釈した積極行動を惹起させて、通常の財団要員では不可能な行動と成果を得る、ですか……そんな手間暇をかけている余裕は、日本支部にはないと思っていましたよ、ミスタ・マクリーン」
土橋が目を向けた方向には、陰謀の世界で長らく生き延びたものだけが持ちうる、冷たく、金属のように強固に鍛錬された雰囲気を放つ、スリーピース姿の中肉中背の白人男性――グレアム・マクリーン財団日本支部内部保安部門統括次官が座っていた。もう老境に差し掛かろうとしている古ぼけた男は、土橋を暗い視線で射ると、彼に応える。
「そのプロトコルは私達が策定したものではない、ヒーズマン時代の遺物だ。だが、実際、日本支部の各所で概ね成功しているプロトコルでもある。私は、それが今回も確実に作動するか、監査、確認しに来たのだ」
「お言葉ですがミスタ・マクリーン、やはり私にはこれが非合理にしか思えません」
土橋が苦々しげに言うと、マクリーンはその年老いた顔にセルフレームの老眼鏡をかけて、もう一度土橋を見つめ、静かな声音で告げた。
「君の言うことは正しい。だが、ブラックシープの手綱を握れるようになれば、正しさを超えた成果が出る。私は君が真にSCL5/BlackSheepProtocolのクラブメンバーになれるかどうかを見定めにも来ているのだよ。ブラックシープも含めた、すべての羊を守る、グッド・シェパードになれるかどうか」
土橋はマクリーンの言葉を真摯に受け止め、やがて、苦い薬を飲み下すように、目前の現実を飲み下した。
「失敗すればカバーストーリーをかぶせての懲戒処分と記憶処理ですか、ですが私は成功させてみせます」
財団が自分が思い描いていた組織でなかったからと言って失望するほど彼の忠誠心は薄っぺらいものではなかったし、むしろ積極的に自分から合わせに行くことすらできる人間だった。今回マクリーンに抗弁したのは、自らを整えるために必要なひとつの儀式だったというだけのことだ。
やがて、土橋はマクリーンにひとつの作戦提案をした。それは稲穂みちると冠城先軌、円谷まどかを利用して、ベースライン宇宙を啄き回しては存在そのものを貪るイーオンファージ実体2を確保・収容・保護する作戦だった。マクリーンはそれを了承し、土橋を作戦総司令官として、必要な戦闘資産と技術資産の手配と運用をなさしめる許可を与えた。
――作戦名称は「啄木鳥狩り」(Woodpecker Hunt)。
そして、この成否は、すべての羊と牧童がベストをつくすことにかかっていたのである。

06

稲穂は冠城と円谷を連れ、サイトの運動場へと出た。もし「啄木鳥」が襲ってくるなら、大立ち回りができるこここそが、自分にとっても、自分を利用しようとしている土橋にとってもベストと信じたからである。
そして稲穂は、円谷と冠城に、御代記内について覚えている限りのことを思い出すよう、そしてそれをこの宇宙の外にいる御代を捉えた実体に届くよう、祈り、念じろと囁いた。
「これで、御代記内を捕えた存在は彼を捕えたまま目前に現れるはずだ。その時が好機。全力で叩きのめしてやろう」
円谷は頷きつつも、疑問を隠せない。
「それにしても、ベースライン宇宙の高次次元から存在そのものを啄きに来る存在なんて、よくわかりましたね」
「まあボクの妄想かもだけど、当たってれば色々考え合わせた結果だよ。あと1%の直感。これがバカにならないんだ」
稲穂がそう告げると、冠城が問う。
「私は何をすればいい?」
「そうだね、確か元世界オカルト連合の排撃班副班長まで務めたんでだろ? その腕で、こいつを使ってほしいんだ」
「――GOCのグリーンハントチームが使ってる、バレットM82じゃないか」
どこか懐かしそうに、どこか後悔するように、冠城は黒い対物ライフルを見つめる。
「マガジンの中身は対神霊用呪念弾頭が装填されてるから、大概の化け物には聞くはずだよ」
「どうやって手に入れました?」
当然の問いに還るのは当然の答え。
「以前GOCと揉めた時に鹵獲した品だよ。貴重品だから無駄にしないでね、あ、ゼローイングは済んでるから」
冠城が細面を戦士の表情にして頷く。
そして稲穂はふたりに告げた。
「気をつけて。現れる敵対存在がどんな物かさっぱりわからないからね」
「そこがわかってないのはおかしいですよ稲穂さん!」
円谷が抗議の声を上げるが。
「あいにくボクは文系でね、財団超科学には疎いのさ。冠城君のほうが大体のディティールがつかめるだろ?」
ひょうひょうと返す稲穂。そして冠城は告げる。
「Type-Greeen Tesseract――そういうところか。バックラッシュは御代の件を見る限りないようだが、念の為簡易陣を敷いて結界を作る。それでもダメならまどかに防御を頼む」
「タンクとダメージディーラー両方こなすの!?」
円谷は流石に焦るが。
「冷静になれば十分対処できる、程度の存在だ。落ち着け」
冠城にそう言われると、円谷としては落ち着かざるを得ない。
「うん……うん! 頑張ってみせるよ!」
しかしそこにさらなる重責が重なる。
「敵の現実改変を防ぐための対抗現実を高い精度で張ってくれ。今回の敵は、スピード、サプライズ、バイオレントアクションができない、後手に回る相手だから、防御を固めるのが必須だ」
「ふえぇ……」
演算力の限界まで妹分を扱おうとする冠城に感心しながら、稲穂は自分のやるべきことを見定めようとする。
「まぁ、ここでは特に何もできないねボクは……」
稲穂は嘆息する。彼女は自らのアキヴァ放射を制御するすべを知らない。できていればアキヴァ放射が身体を蝕むことなどない。外に向けての年神の祝福は、バックラッシュとなって肉体の中を駆け巡り、組織をゆっくりと傷つけていくのだ。
そんな思いにふけっている内にも、物事は進んでいく。
「よし、準備できた」
冠城が運動場に白線を引くためのラインカーを引っ張りながら戻ってきた。運動場全体に簡易結界を張り終えたらしい。
円谷はひたすら、念を集中して、敵のおびき寄せと対抗現実展開に全力を注いでいる。
やがて、空の一点から同心円状の歪みが生まれ、それがどんどんと規模を大きくしていった。
「来るよ!」
稲穂が叫ぶと、その瞬間、空にまばゆい光を放つ大きな「孔」が現れた。
そして、「孔」から、長いくちばしを先頭に、全長15mもの、巨大な鳥型実体が顕現したのである。
鳥型実体――「啄木鳥」は、クエェとけったいな叫び声を上げ、瞳のない眼で、稲穂たちを見つめた。
そして――戦闘が始まった。

07

戦闘はまずもって「啄木鳥」と円谷のいずれが周辺現実を掌握するかにかかっていた。そのため、双方全力を尽くして現実改変を展開していく。次々に塗り替えられる物理法則により空間が非常に不安定になっている中では、あらゆる攻撃が意味を成さない。ふたつの現実の境界面ではディラックの海が沸騰し対生成で生まれた物質と反物質が対消滅してガンマ線の嵐を吹き荒れさせる。「啄木鳥」と円谷はいずれも電磁フィールドを展開してガンマ線を防いでいるが、行き場のなくなったガンマ線は周囲に漏出し、青い光を放ち始める。チェレンコフ光だ。
「このままだとまずいな……」
稲穂は自分たちや土橋の部隊、そしてサイトと周辺の被曝を恐れ始めた。
だがついに、円谷の現実改変が勝利した。「啄木鳥」と円谷、ふたつの現実の境界面が消滅する。代わりに「啄木鳥」は、現実改変の主体であり他にできることのない円谷に向け、スピード、サプライズ、バイオレントアクションを兼ね備えた触肢を伸ばす。
しかしそれも、冠城に見切られていた。触肢の付け根が12.7mm×99口径神霊祈念弾頭により吹き飛ばされる。それだけではない。冠城は「啄木鳥」の急所と思しき場所――眼球や頭蓋、喉頭部に容赦なく12.7mmを叩き込む。右目に2発、左目に2発、眉間に2発、喉頭部に4発。1弾倉を打ち切ったあとで、冠城は叫んだ。
「帰ってこい、御代!」
それに応えるように、「啄木鳥」が嘴を大きく開く。そこから血反吐とともに爆炎が上がる。そして、嘴の付け根の、開いた口吻部から、汚物にまみれた男の上半身が這い出てきた。そして叫ぶ。
「冠城……ッ!!」
「御代かっ!」
叫び返す冠城に対し、御代は頷き、全身を口吻部から引き抜くと、手榴弾を開いたままの嘴の奥へと放り込み、自身は10m近いジャンプを試みた。
「無茶だ!」
稲穂は御代の身を案ずるが、彼は華麗な5点着地からの地上ロールで反動を殺し、冠城の足元まで転がってくる。
「心配させるな……!」
冠城はそうつぶやいて御代を抱き起こす。彼の背後で、大爆発が起こり、「啄木鳥」は全高15mもの巨体を地に崩れ落ちさせた。全身からどくどくと体液らしきものが溢れている。
「まだ、致命傷じゃないです!」
とどめを刺そうと、円谷が最後の現実改変を行おうとするが、その瞬間、運動場全体の証明灯が点灯した。
「戦闘中止! 戦闘中止! これより当オブジェクトは現実改変部門の収容下に入る!」
その土橋と思しき声に続いて現れた、完全武装の機動部隊を前にしては、稲穂たちとしては万策尽きたと言って良い。
そして、機動部隊の後ろから、スタジアムジャケットをカジュアルに着こなした土橋博士と、背広の上にトレンチコートを羽織ったマクリーンが現れた。
「ご苦労、エージェント・稲穂。君は限られた資産を最大限活用し、オブジェクトをひとつ確保することに成功した。その功績は財団勲章ものだが、君が運用した最大の戦闘資産は特秘であり、さらには運用許可を得てない。厳罰に値する」
マクリーンが冷たい声で告げ、深淵を覗き込むような視線で稲穂を見つめる。
「……」
Dクラス降格ならともかく、終了もありうる財団規則違反を、マクリーンは罪状とするつもりだった。稲穂の背中を、冷や汗が滴り落ちる。
「追って財団裁判所に出頭せよ。逃亡は許さない」
マクリーンの言葉とともに、稲穂、冠城、円谷、御代はそれぞれ機動隊員に取り押さえられ独房へと連行された。

08

「!!」
深夜。稲穂はじっとりと寝汗をかいて飛び起きた。今でも自分のやったことに反省はない。ああしなければおそらく御代は助からなかったし、オブジェクトの確保にも至らなかったろう。それに、特別戦闘資産である円谷を稲穂の自由にしても良いとばかりに自由にさせておいたのは土橋博士だった。それがオブジェクトと自分をカタにはめる罠だと半ば感づいて、それでも必要だから食いついた。
――必要?
――なぜ?
一瞬だけそんな疑問が脳裏をよぎったが、それは強い怒りによって反駁された。
「不条理に振り回されるのはボクだけでいいんだよ! みんながみんなボクみたいな不条理な目に合うセカイなんて間違ってる! 絶対に許せない、そんなことは許せないんだ! 犠牲は少ないほうがいいし、そのためなら何だって利用する。これ以上、取りこぼすものが多くなる選択肢を取るなんてできない!」
そう、錨を発散すると、急に虚しく辛い気分が襲いかかってきた。稲穂は横になって、まんじりともせず朝を待った。
やがて、朝の電灯が灯った。独房のベッド横のスリットから、トレーに載せられたペースト状の食事が出る。
「2001年宇宙の旅かい?」
その味はかつてAnomalousアイテム審査を受けていた時に閉じ込められていた独房で出されたものと同じで、味はともかく食った心地がしないのはすでに学習済だったが、稲穂はトレーを手に取り、乗せられていたスプーンでペーストを掬って食べた。思ったとおり、食べた心地がしなかった。
「いつまでここに閉じ込められるのかな……」
マクリーンが現れたということは、今回のインシデントは内部保安部門にとってよほど重要だったとうことだ。あの鋼鉄のような老人を攻略するのは骨が折れるが、かといってそれ以外に稲穂には活路がない。余命数年の身体で、懲役刑など御免こうむる。
だから、稲穂はマクリーンを待った。
そして、機会は意外と早く訪れた。
「君の事例は極めて特殊なため、私が直接尋問することとなった」
セルフレームの眼鏡の奥から、灰色の眼が深淵を覗き込むような視線で稲穂を覗き込む。その視線に、全てを見抜かれたような気がして、稲穂は思わずたじろいだ。
「もちろん、尋問というのは建前だ、私は君に、事実上一つしか選択肢のない提案を持ってきたと理解してもらっていい」
マクリーンの深い灰色の眼は、覗き込んでも奥が見通せない。
「交渉事は一切なしなのかな?」
「一切なしだ。君には、終身刑の懲役か、内部保安部門のアセットとなる道を選んでもらう」
懲役刑は確かにありえない選択肢だった。稲穂にとっては運が良ければ1ヶ月で出られるDクラスより遥かに質が悪い。
内部保安部門のアセットは、現状の職責において、内部保安部門に協力する存在となることであり、つまりはマクリーンの首輪がつくだけで他は自由だ――マクリーンを裏切りさえしなければ。
しかし。
稲穂は疑問に思う。
こんな条件を飲ませるために、わざわざ大掛かりなカタにはめる手口を使わなくても良かったろうに、と。
そう問うと、マクリーンはニコリともせず告げた。
「ときには、人間らしさが組織を救うこともある。エージェント・バークレー、D-14134、私の若き日の戦友たち。私自身も、かつては君のように人間的で、状況をハックし、利用しようとする人間だった」
思わぬ告白に稲穂は驚く。
「あなたが人間らしかったなんてねえ。信じられない」
そんな皮肉も口をついて出るが。マクリーンは意に介さない。
「良き羊飼いとは、狼の群れに襲われても自らは最後まで踏みとどまって羊を逃がす。君はその手合だ。私は牧場を設計し、管理する経営者の側にいる。君はそうはなれんだろうが、経営者視点があることを常に意識しておくと良い」
「あなたは、ここまで大げさな事件で、ボクの人間性を試したというのかい?」
「ああ。強さも、弱さも含めて、総合的に。概ね私の求めるブラックシープであり、シェパードの代わりに羊を逃しうる存在だと判断した。これだけ大げさな事件を解決する能力のあるブラックシープをアセットにするのは、私の組織経営にとって大きな利得になる」
「ならいいさ。ボクも、あなたの権力や情報を背景に、うまく立ち回ってブラックシープであり続ける」
稲穂が言うと、マクリーンは鉄面皮のまま、彼女に告げた。
「なら、契約成立だ。君は裁かれることはなく、今まで通りの仕事を続けられる」
「それが一番の望みだよ。ボクは人助けをしているときが一番しっくりくるんだ」
稲穂の応えに、マクリーンは無言でコートを着込んで背中を向け、しっかりとした歩調で立ち去っていった。
そして、稲穂も開放される事となった。
どうせ冠城や円谷は自分のことをAクラス記憶処理で忘れているだろうと思ったから、彼らが財団拘置所の門前で待っていることがどうにも以外だった。
「君たちは、処分を受けなかったのかい?」
「いや、軽い処分は受けた。だがそれだけだ」
「私は大金星って言われました。稲穂さんのおかげで、御代さんも助けられましたし」
冠城と円谷が口々にそういうのを聞いて、稲穂は静かに微笑んだ。
――ああ。
――これからも。
――こういう人達を助けていくことができる。
今の彼女には、その思いだけで満足だった。

09

そして、円谷が稲穂に告げた。
「あなたの手を握った時、とても手が冷たいと思ったんです。でもそれは冠城さんの手の冷たさと同じで」
「手の冷たさの分、心が温かいんだって、そう思えました」
「だから私は、あなたの手の冷たさが、好きです」
訥々と、そう語る円谷に、かつての親友の面影を見て、稲穂は息を呑んだ。
ああ。
あなたも。
もし生きていてくれたら、今のボクを見て、そう思ってくれるのだろうか――。

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