螺旋は環にあらず、天上の王冠に続く

――この部屋に入ると、その度に財団がいかに「合理的」な組織か思い知る。
白くそっけない、最低限の調度しか置かれていない部屋――サイト-8181の異常性資産収容ユニットの中で、来栖朔夜くるすさくやはそんな感慨を抱いた。
中には、来栖とさほど背格好の違わない、薄い髪色のツインテールの少女が、プリチャード学院中等部の制服を着てベッドに腰掛けている。円谷つぶらやまどか――来栖の倫理監督対象であり、フェーズIII現実改変者リアリティ・ベンダーであり、そして財団のレベルIV異常性資産アノマリー・アセットだ。
――異常性を持った現実改変者とはいえ、人間を資産として扱うというのは、いささか違和感がある。
財団という組織がなぜ冷淡で、時に冷酷になりながらも、けして残酷にはならないための最後の良心として、倫理委員会は存在し、来栖は倫理委員会の模範的な職員だったから。そうした違和感を保持し続ける必要があった。
だから、来栖は柔らかに微笑み、円谷に人がましい態度をとってみせる。
「こんにちは、円谷さん。今日のご機嫌はいかがですか」
円谷は邪心のない透き通った瞳で来栖を見つめる。
「あ、来栖さん、こんにちは。今日はかなりいい気分です」
円谷の邪心のなさ、あどけなさは、財団のミーメティック誘導技術による思考抑制によるものだということを、来栖は理解している。もしそれがなければ、円谷はいつフェーズIV現実改変者に変化し、恣意的にその現実改変能をふるい出すか知れたものではない。ミーメティック誘導は、いわば彼女と周囲の両方を守る枷だと、来栖は認識している。
「今日は定例実験の日ですけど、不安や抵抗感はありますか? もしあるようでしたら、私から土橋管理官に報告し、実験の延長を具申してみます。私はあなたが不当に扱われないよう、できるだけの努力をしてみますので」
「いいえ、大丈夫です。私が財団で生きていくためには、これは必要なことですし、皆のためになれるのはとてもやりがいがあることだと思ってます。だから、今日の実験も頑張りたいと思います」
円谷はためらいなく答え、来栖は内心で安堵のため息をつく。財団のミーメティック誘導は完璧だ。アベ・ベリーマンのラングフォード実験以来、90年近い歴史の中で、常に洗練され続けた技術は、円谷に自己を異常資産であることは当然と認識させ、資産として最適な行動をさせるギアスとなっている。それをしてなお、実際に受け答得する際には緊張を伴うのだ。
――本来、これは普遍的人権の蹂躙だ。財団外では到底許されることではない。
だがここは財団で、彼女は財団の異常資産だから、財団倫理的にはこの措置は正しい。来栖は人間的には違和感を覚えつつも、理性的にそれを受け入れている。最大多数の最大幸福、ベネフィットの最大化。そのために、少数を有効活用することは正しいのだと。
「良い心がけです。ところで、欲しいものはありますか?」
「えーと、そうですね……ここのところ実験続きで、来栖さんや実験担当者の人以外と会ってないので、外出許可が欲しいんですけど……」
ねだるような視線。そこに人間味を感じ。来栖は少しだけ安心する。大丈夫、この子はまだ人間だ。心はまだ擦り切れていない。それゆえ「人間」として向き合うとともに「資産」としてまだ十分に運用できる余裕があると。
「いいですよ。実験が正常に終わり次第、1週間の自由行動の許可を、土橋管理官に申請してみます。おそらく、取り付けることができるでしょう」
「ありがとうございます!」
「あ、礼は言わなくていいです。ごく当然のことですから」
――そう、ごく当然のこと。年頃の娘が自由に行動し、それに見合った幸せを得ることは。
その当然のことを、財団資産というだけで「許可」しなければならないというのは、必要な手続き、保安基準の遵守という意味では正しいが、倫理的にはもう少し「人間」らしく扱えないものかと、来栖は思わないでもない。それを押し殺し、再び微笑む。
「休暇で、新しい出会いがあるといいですね」
円谷は顔を少しだけ赤らめ、照れくさそうな笑みを浮かべる。
「そんな……来栖さん、結構意地悪ですね」
――意地悪。この子のギアスで捻じ曲げられた常識では、財団資産であることを当たり前としつつ、年頃の娘の含羞が同時に存在しているのだ。
思わずため息を付きそうになるが、微笑みを崩さず、むしろいたずらっぽい表情を作る。
「好きな男の子ができたら、ぜひ私に教えて下さいね」
「……もう!」
円谷は真っ赤になって枕を投げつけてきた。それをキャッチし、ベッドの片隅において。
「それでは、私はこれで。あなたの状態を、土橋管理官に報告してきます」
そう告げて、収容ユニットを去った。
残された円谷は、休暇と、新しい出会いへの期待感に胸を膨らませているだろう。
――財団という箱庭の中の「自由」は、いつかきっと無理が来る。破綻しないよう、慎重に軟着陸させないと。
彼女なりの理性と倫理観がそうささやくのを脳裏のメモに書き綴り、来栖は土橋管理官のオフィスへと向かった。


冠城先軌かぶらぎまきはサイト-8181の混雑する食堂でため息をついた。
――なんでまた、検死中の死体が蘇生して暴れだすんですか、いい加減にして欲しいです。
冠城はサイト-8181の検死官としての激務をこなしている。それだけもかなり超過勤務というのに、インシデントまで発生してはたまらないというものだ。幸いかつて身につけた戦闘術により単独鎮圧、再終了できたが、そのせいで本来の検死はできず、もう一度やらなければならない――自身が終了した個体として。
そんな思いを胸に、混雑した食堂の中で空いている2人席を見つけ、プラスティックのトレイに載せた唐揚げ定食をテーブルに置いて席に座る。
「いただきます」
習慣となった言葉を口にし、箸を取ったところで、ふと、奇妙な姿が目に写った。
プリチャード学院中等部の黒い制服を着た小柄な少女――およそ財団施設にいるべきではない姿だが、胸に臨時セキュリティクリアランスレベル1の赤いカードをつけている。しかしそれよりも気にかかるのは、見覚えのある、首に巻いている黒いチョーカーと、両手首に嵌めている金属質のブレスレットだ。
――世界オカルト連合G  O  C型の現実歪曲者タイプ・グリーン排撃資産拘束/粛清具?
冠城はかつてGOCの物理Psysics部門に属し、排撃班副班長まで勤め上げたから、それについては良く知っている。しかし財団が――少なくともサイト-8181が現実歪曲者――財団では現実改変者というと最近知ったが――それを資産にしたという話は聞いたことがない。セキュリティクリアランスの問題で知らされていないのかも知れないが、にしても、異様な状況だった。
混乱し、自然と険しい顔になった彼に、少女は薄い髪色のツインテールを揺らしながら、ひょこひょこと近づいてきた。
「あ、あの、大丈夫ですか? 少しお加減が悪いみたいですけど……」
少女の問いかけに、冠城は表情を意識して緩める。ぎこちない応えが、口をついて出た。
「いや、その、疲れていまして」
疲れていたのは事実だが、この少女に対する疑念のほうが強い、それを取り繕った応えだったが、少女はそれで納得したようだった。
「もしよかったら、一緒に御飯を食べませんか――っと、すみません、自己紹介がまだでしたね。わたし、円谷まどかっていいます」
「あ、ああ。冠城先軌です。よろしくお願いします」
やはりぎこちない応えに、円谷は微笑んだ。そこで、冠城はふと暗い感慨に囚われた。
――この笑みは、あいつを思い出させる。
いつも笑っていたほがらかな妹。自ら行った粛清の瞬間も、ほがらかに笑っていて、次の瞬間何が起こるのか理解していなかった妹。その笑顔を打ち砕き、飛び散る血と脳漿の、赤とピンクのコントラストに染め上げた記憶が脳裏をよぎる。
――GOCの排撃班員として、私は正しいことをした。だけど、守りたいものを守れなかった。
後悔の念が脳裏をよぎり、目尻に自然と涙が浮かぶ。それを見て取った円谷は、心配そうな表情をした。
「あ、あの? なんで泣いてるんですか? わたしお邪魔しましたか?」
「いや――そうじゃなくて、ただ、昔のことを思い出しただけです。気にしないでください」
すると円谷は真剣な顔をして冠城を見つめる。
「気にしますよ。悲しんでいる人が目の前にいるのに、気にしないなんてできないじゃないですか」
――なんて素直な、いい子なんだろう。
妹もかつてはそうだった。フェーズIVの現実改変者になるまでは。素直で、ほがらかで、人の痛みや悲しみにまっすぐ向き合っていく娘だった。だから、目の前にいる円谷が、ますます妹にかぶさって見える。それはとてもつらいことだった。そのまま席を立とうかと考えたが、それはこの少女に無礼だと思い、目尻を拭うためハンカチを取り出そうとする。
すると、円谷が冠城の手を取って、握りしめてきた。
「――なんでしょう」
「あ、これ、元気になるおまじないです。冠城さんが少しでも元気になってくれればって思って」
――その気遣いは、とても暖かい。
目の前にいるお節介で優しさを押し付けてくる少女の、心根にある暖かさを、冠城は否定できなかった。だから、冠城はその手を振りほどけなかった。冠城の頬を、涙がひとしずく、伝って落ちた。


やがて落ち着いた冠城は、まだ温かい唐揚げ定食に、再び「いただきます」と云って箸を向けようとした。だが、円谷がそれを止める。
「待ってください、冠城さん、その前に声掛け確認をしないと」
「声掛け確認?」
怪訝そうな表情を浮かべる冠城。円谷は唐揚げ定食に向かって大声で問いかけた。
「もしもし虎屋博士ですか!?」
もちろん唐揚げからは返答がない。
――どういうこと?
ますます怪訝な顔になる冠城に向かって、円谷は説明する。
「サイト-8181の名物博士で、唐揚げに見える虎屋博士って人がいるんだって、私の倫理監督官――来栖さんって人が云ってました。そのせいで来栖さんは虎屋博士を食べかけたことがあるそうなんですよ。それ以来、唐揚げを食べる際には声掛け確認が必要になったんです」
「な、なるほど……」
唐揚げに見える博士――おおよそ認識災害に曝露したのだろうが、それで食べられそうになるとは難儀な話だ、と思う。同時に、そんな人材であっても有益であれば現役の博士として勤務していられるサイト-8181の自由な気風にも少し憧れを覚える。
しかし――目前の少女はあきらかに資産扱いだ。その差は一体なんだろう、と、そこまで考えて、冠城は円谷の声に思考を中断された。
「早く食べないと冷めちゃいますよ。さあさあ」
せっつかれて、冠城は唐揚げに箸をつけた。カリカリの衣の下のジューシーな鶏肉が、スパイスの効いた味付けをされており、実際うまい。
「ここの唐揚げ定食は、おいしいですね」
GOCを退職し、財団に招聘されてからは、ずっとひとりでわびしく食事をとっていた。だから、味なんか気にしたこともなかった。だけど、こうして誰かとともに食事を摂るのは久しぶりで、だからこそ食事をうまく感じるのかも知れない。
「そうなんですよ。来栖さんは毎日唐揚げ定食だそうですよ」
「それは偏食では……」
「ですよね。私もそう思います」
そんな他愛のない会話をしたのもいつからだろう。妹と一緒に暮らしていた頃以来か――そう考えると、ますますこの円谷という少女が妹の似姿に思えてしまう。
――赤とピンクのコントラスト、飛び散る鮮血と脳漿。
ふと、そんな鮮明なイメージが脳裏をよぎり、思わずえづきそうになる。むせたふりをしてハンカチを口に当てた。円谷は心配そうに冠城を見つめる。
「その――やっぱり体調悪いんじゃないですか? 脂っこいものは避けたほうがいいかも知れませんよ?」
「いえ、美味しいです。美味しいからこそついつい食べ急いでしまって」
「だったらいいんですけど……本当に、無理だけはしないでくださいね」
円谷に気遣われてしまう。妹くらいの年頃の少女に気遣われるというのは二重の意味で辛いものがあると、冠城は感じたが、何気ない話題に話をすり替えた。
「まあ、財団職員である以上、ある程度無理するのは当然ですから」
「たしかにそうなんですけど、何の仕事をしてらっしゃるんですか?」
まさか検死官と応えて食事の場を気まずくするのも良くないと思い、ぼかした返答をする。
「医療部門のスタッフです。ここの医療部門は財団職員からアノマリーまで扱うんで忙しいんですよ」
すると円谷は済んだ目を輝かせて云った。
「医療部門ですか……人の命を救う、立派な仕事だと思います」
「それほど大した仕事はしていないですよ。私は後片付け専門みたいなもので」
――そう、私は「後片付け屋」だ、終わってしまった、あるいはもう取り返しのつかないことを「後片付け」する、それしか脳がない人間なんだ。
口にした言葉から連想したネガティブなイメージに、冠城は重苦しい感情を抱く。せめて自分が、なにか大切な人の救けになれるようなことをしていれば、もっと自分を肯定できたかも知れない、だけどそうはならなかったという諦念が脳裏をよぎる。
その感情を顔に出さず、ごまかして、円谷に問い返す。
「君は一体、ここでなにを?」
「あっはい、科学部門のお手伝いをしています。来栖さんは、人の役に立つ立派な仕事だと言ってくれますし、自分もそう胸を張って言えます」
――それは、財団資産としてのミーメティック誘導の結果だ。現実改変者に人権が保証されないのが超常機関の常といえど、君の置かれた立場は過酷なものなんじゃないのか?
そう問いたくなる自分を押さえつけ、ほほ笑みを浮かべてみせる。
「すごいですね。自分の役目に誇りを持てるのは立派なことです」
すると円谷は戸惑うような表情を見せる。
「そう言ってくれた人、来栖さん以外だと、あなたが初めてです……自分では胸を張れる仕事をしているつもりなんですけど、他の人は誰も『当たり前のことをしている』って感じなんですよね」
――そう、それが財団という組織の冷酷さだ。ミーメティック誘導で人を操り、人間を可処分資産として扱う、ある意味GOCよりも冷たく平坦な氷の世界。こんなところに居たら凍えてしまう。君はそれに気づかず、やがて凍えて死に至る運命なんだ。
冠城の中で、円谷と、妹と、死のイメージが分かちがたく結びついていく。
――だけど、そうはならないで欲しい。
この、妹の面影を感じる少女には、生き続けてほしいと、冠城は感じていた。しかし一方で、それは難しいだろうとも理解している。GOCの排撃資産は高価値だが最終的には消耗品だ。財団も資産に対しては同様のスタンスを取っているだろうから、不必要、あるいは危険と判断されたら終了されることは想像に難くない。
――それでも。この子には妹の分まで幸せになってほしい。
冠城はそう強く念じて、言葉を吐く。
「君は、決して当たり前のことなんかしていないですよ。みんなの役に立つ、だけじゃない。顔の見える相手――そう、来栖さんや私にとっても役に立つことをしているんです」
「はい?」
うろたえる円谷に構わず、更に告げる。
「詳しいことはこれ以上話せませんが、そういう気持ちを持っている人も中にはいる、それを覚えていてください」
「は、はい」
円谷は面食らったような顔で頷いた。


その後、おかしな雰囲気になったのを取り繕うようにいくつか他愛もない会話をしたあとで、冠城と円谷は別れた。円谷はマクロラインで他のサイトに遊びに出かけると言っており、そこで良い出会いがあればいいな、と、冠城は感じていた。
足早に職場に戻る途中、背中に気配を感じる。往年の勘で振り向きざま手を取ると、そこには見知った顔が居た。
「なんだ、神舎利みしゃりさんですか」
「なんだじゃない、いきなり肩に手を置こうとした人間の手を振り返りながら拉ごうとするな」
「それはどうも」
冠城は慇懃無礼に手を話し、エージェント・神舎利――本名御代記内みしろきないと向き合う。
彼と冠城は仕事柄の同僚だ。といっても、エージェントと検死官の関係なんぞ、エージェントの始末した死体を検死することだけだが、御代は冠城に、なにかというと絡んでこようとする相手だった。いい意味でも、悪い意味でも。
いい意味――孤独になりがちな冠城を頬っておけない面倒見の良さ。
悪い意味――なにかというと冠城をエージェントとしてスカウトしようとするしつこさ。
前者は純粋に御代の性格からくる好意なのだろうが、後者はGOC排撃班副班長まで努めた自分のキャリアを見込んでのことだと、冠城は思っていたし、それならばあんな修羅場にはもどりたくないとつくづく感じていたため、疎ましさを覚えていた。
「なんですか、またエージェントになれってお誘いですか、それなら謹んでお断りさせていただきます、何度でも」
冷たい口調で応えるが、御代は違うと首をふる。
「そうじゃない。さっきお前が話していた円谷まどかという娘だが」
――彼女がどうかしたのか?
不安げな表情を浮かべる冠城に、御代は畳み掛けるように告げた。
「アイツには関わるな、これは俺からの忠告だ」
「――なぜですか?」
「セキュリティクリアランスレベルと保安規則上から詳しくは言えないが、あの娘は現実改変者の財団資産だ。保安部門の黄色警告イエローマーカー付きのな。下手に関わると、お前だけでなく、このサイト内部のかなりの部分が混乱に陥る」
御代は真剣な表情と声色で語りかける。それが何を意味するのか、理解はできた。
「なら、なぜある程度の自由を与えているんです? 彼女の自由の範囲なら、私も触れ合って構わないと思いますが」
赤色警告レッドマーカーに悪化しないための苦肉の策だ。無論アイツには常時監視が付いてる。そこから、俺も情報を手に入れた」
「答えになっていません。どうして私はダメなんですか?」
――理解はしている。御代は自分の境遇を知っているから、妹を思い起こさせる資産との接触で双方に悪影響が出かねないと危惧しているのだろう。
しかし、冠城はそれでもあの娘――円谷まどかに幸せになってほしかったし、自分も彼女に固執しつつあることを自覚しつつあった。
そんな冠城を見て、御代は頭を振る。
「気持ちがわかるといえば嘘になる。だがな、あまり入れ込むな、俺はお前が不幸になるのを見たくない」
そっけない口ぶりには、真実か否か判断する要素は備わっていなかった。


「私はあなたから再三アセットになれと勧誘されました。その条件を飲みます」
 来栖はマクリーンに精一杯の勇気を振り絞って告げた。マクリーンの眼光は眼鏡の反射で見えない。
「その条件で何を要求する?」
「内保統括次官であるあなたに、内部保安部門権限で、現実改変機序実験体を1名、救命してほしいのです」
「わからないな」
マクリーンは能面のような顔で疑問を口にする。
「なぜ実験体ひとりを救おうとする?」
来栖は対称的に熱弁を振るった。
「不当に終了されようとしているからです。彼女は私から見ると、まだフェーズIIIの無害な現実改変者です。しかし土橋管理官と諸知博士は彼女を潜在的フェーズIVと見なして終了しようとしています」
「専門家の判断が正しいだろう。土橋管理感は現実改変のオーソリティだし、諸知博士は優秀な医師だ」
マクリーンは肩をすくめてみせる。
「諦め給え。これはないホが介入スべき案件ではない」
「では」
来栖は息を吸い込み、決意したように秘密を述べた。
「私は倫理委員会9人委員会の”ブラックシープ・プロトコル”に選ばれた人間です。その立場から、財団倫理を超越し、財団規則違反を犯して、あなたに請願しているのです」
「ブラックシープ・プロトコル……財団に対する異端分子をあえて雇用し、集団思考を防止するプロトコルか。無論、君がその一因であることは知っている」
マクリーンは眼鏡の位置を直し。
「その”ブラックシープ・プロトコル”によれば、君の要求は是認されるべきだが、ブラックシープが失敗した時、何が起こるか当然知っているな?」
「名誉剥奪、Dクラスへの降格です。そのリスクを犯してでも、私は彼女を助けたい」
来栖ははっきりと、力強い声で告げた。
「どうして?」
マクリーンは眉をわずかにひそめる。
「その実験体――円谷まどかという潜在的フェーズIV現実改変者を生かしておく利益あるいは理由は何だ?」
来栖はその大きな瞳でマクリーンの眼鏡の底を覗き込んだ。
「利益以前の、財団の存続価値に拘る問題です」
マクリーンは片眉を上げて、興味深そうな態度を取る。ブラックシープ・プロトコル下の財団職員は、時にむやみな要求をしてくる。来栖もその手合かと思ったが、彼女は憤りを顕にしてこそいるが、明快に趣旨を述べようとしている。
なら、聞いてみようとマクリーンは思った。
「続け給え」
来栖は頷き、語り始める。
「”人類は暗闇に怯えていた時代に戻ってはいけない”――”管理者”の言葉は、もちろんご存知でしょう。そして、暗闇とは、時に人の心の中に生まれるものです。土橋管理官も諸知博士も、暗闇に囚われ、円谷被験者を必要以上に恐れ、終了しようとしています」
「潜在的フェーズIVなのだから仕方ないだろう」
「その、リスクヘッジ思考自体が、財団職員が”闇”を抱える原因なのか、”闇”がリスクヘッジ思考を生み出すのか、鶏と卵の関係ですが、そこに”闇”が存在していることには代わりありません。私は、それが許せない」
来栖は憤懣やる方ないという態度で告げた。
「円谷被験者はまだフェーズIIIに引き戻せます。適切な処置を取れば。ですが土橋管理感と諸知博士は、それよりコストが安くリスクヘッジできる終了処分を選ぼうとしています。私は、その思考停止が許せない。ヒトとして生まれたならば、最適の健闘をしてのち、最終手段を選ぶべきです」
「なるほど、確かにブラックシープだ。”財団は冷酷であるが残酷ではない”を、彼らは逸脱しかけているというのか?」
マクリーンの言葉に、来栖は頷いた。
「はい。彼女は適切な介護とコミュニケーションで、フェーズIIIへと復帰します。冠城先軌検死官のちからを、全面的に借りることになりますが、それは冠城検死官にも有益なメンタルケアとなると、私は判断しています」
「ふむ」
マクリーンは頷いた。
「私の資料から推論される結論も同じだ。リスクは若干上がるが、リターンが上回る」
「ご理解いただけましたか」
「しかしセキュリティクリアランスレベルIVの管理官と医学部門責任者相手には、君の顕現では手が届かない。だから私に頼る。アセットになる利得を示し、代償として内部保安部門の介入をまねこうとしている」
マクリーンは呟くようにいい、そして来栖を見据えた。眼鏡越しの視線は来栖を射るように鋭かったが、彼女は大きな瞳で見つめ返した。
「あらゆる覚悟はできています。あなたのアセットとして、危険を犯すことも、”ブラックシープ・プロトコル”に則り、失敗時は名誉剥奪、Dクラス降格となることも」
マクリーンはしばし沈黙し、来栖の覚悟と主張の合理性を再度図った後、答えた。
「良かろう。内部保安部門の監査で、土橋管理官と諸知博士を制止する。君はその代わり、冠城検死官と円谷被験者の交流を促進したまえ。そして――君は私のアセットとなる」
「――ありがとうございます」
来栖は深々と頭を下げた。
「礼はいらない。これは対等の取引で、リスクテイクはすべて君だ。たかだか14最の少女の命ひとつで、君をアセットにできるなら言うことはない」
マクリーンはそう告げ。
「首尾よくやり給え。失敗すれば、君も私も損をする」
そう言ってマホガニーのテーブルに膝をついた。

ERROR

The winston1984's portal does not exist.


エラー: winston1984のportalページが存在しません。利用ガイドを参照し、portalページを作成してください。


利用ガイド

  1. portal:4330160 ( 20 Aug 2018 03:25 )
layoutsupporter.png
Unless otherwise stated, the content of this page is licensed under Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 License