扶桑紀Tale「三弟子、再び 前篇」

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大和田建樹作詞 日本陸軍伍番

一斉射撃の銃先に
敵の気力を怯ませて
鉄条網もものかはと
躍り越えたる塁上に
立てし誉れの日章旗
みな我が歩兵の働きぞ



皇紀弐千六百六年 四月弐拾参日


桜が散り、若葉が顔を覗かせる季節。まだ上着が手放せない気温ではあるが、今の状況では逆効果だ。
人が多すぎるのである。
雑踏の中で発生した熱は上着の中へと入り込み、さながら蒸し風呂の如き状態となってしまう。
それほどまでに人で溢れた京都の街は通り抜けるだけでも一苦労である。目的の場所はこの場所からでも視認できるが、そこまでの道のりは実際よりもはるかに長く感じられる。その場所は行き交う人々の話題にも度々上っており、"政府機関"として知られているようだ。──勿論、嘘である。

「……ここか」
「ああ。随分と様変わりしたものだな」
「最早様変わりどころの話ではない。院の面影なぞどこにもありゃしないじゃないか、まるで花札屋だ」
我々がはるばる東京から呼び出され、息を切らしながら辿り着いたのはサイト-8181。元は蒐集院の本部、内院が置かれていた場所である。
昨年の9月。財団との協定により蒐集院は解体されたが、その人員や資産をほとんど受け継ぐ形で「財団日本支部」は誕生した。それに伴い、院の施設群は財団によって接収され、この場所にも間もなくサイト-8181が建設された。元は風格ある古刹だった場所に建てられたのは、古き良き京都の街並みに似合わぬ、鉄筋コンクリートの巨大な箱。

「わざわざおれ達に直接話が来るとはな。こういう話は師父を通じて告げられるとばかり思っていたが」
「師父も先の一件でかなり心労がたまっておられる、無理をさせるべきではない」
師父──我々三人の師たる東風浦聾音──は昨年9月の一件以来ひどく憔悴してしまい、財団には移籍したものの顔を出す機会はほとんどなくなってしまった。歳のせいもあり、嘗ての院の同僚の間では隠退も近いという話もちらほらと聞く。
「そろそろ我々も自立しろ、ということの現れかもしれない。いつまでも師父には頼っていられないからな。それより先を急ごう、指定の時間まで数分しかない」

サイトの正面玄関は政府機関らしい体裁を取っており、磨かれた花崗岩の床には大窓から差し込む光が反射している。
書類を脇に抱えた事務員。腰に拳銃を提げた、濃紺の服の警備員。碧眼に金髪のアメリカ人もいれば、それと比べて背の低い黒髪の日本人もいる。
所属する職員も多いサイト-8181の正面玄関には足音が絶えず響き渡る。
受付嬢らしき人物に面会の旨を告げると、奥の会議室へと通される。我々を呼び出した張本人は既に部屋の中で待っているという。
懐中時計を取り出す。刻限通り。
私は扉を4度叩いた。
「入りなさい」
厳かな声に、自然と我々の背筋は伸びる。
「「「失礼致します」」」
私を先頭に、南方、応神の順に入る。


部屋の中は質素な造りで、長机が1つ。卓上には湯気を立てる緑茶が置かれている。
我々が早過ぎず遅過ぎず、刻限通りに来ることを見越していたのだろうか。
長机の奥の洋長椅子ソファーには男が一人座っている。照明に照らされ輝く金髪。その色はややくすんではいるものの、老練の獅子の如き威容を放つ、黒縁眼鏡の碧眼の男。眼鏡越しでもひしひしと感じられる圧力感。
その背後には、「確保・収容・保護」の6文字が墨書きで掲げられている。
我々はこの顔に見覚えがある。
蒐集院を我が物にせんと財団が送り込んだ、日米混血の特命高等弁務官。

「よく来てくれた、ハロルド・A・ヒーズマンだ。財団と蒐集院の交渉を委任されている」
彼が放つ風格は他の幹部職員とは桁外れており、私は未だに目を合わせられない。しかし、我々三弟子の筆頭──誰が決めた訳でもないが、何故かそういう立ち回りをすることが多い──として意地でも視線を合わせようと試みる。
右隣に座る南方は目線を下げている。額に浮かぶ汗が天井の照明を反射している。
ただ左隣の応神だけは、ヒーズマンの放つ圧力に屈していないようだった。

「今はサイト-8181の管理官及び81管区の全権が私の職掌だ……まあ当然知っているとは思うが。だが欧米にも挨拶の習慣はある。形式張っているようだが、礼儀を失するよりは良いと思ってね。……ともかく、そこに座り給え、立ってする話ではない」
ヒーズマンに促され、席に着く。用意されていた緑茶を少し啜ると、体中の硬直が少しだけほぐれたような気がした。

「さて、早速本題に入ろう。無駄話をする時間も私にとっては惜しいのでね」
三者三様の反応なぞ何処吹く風だと言うように、話を切り出す。視線を手元の資料に落とす。

「つい先日のことだが、我々のエージェントが兵庫県でとある情報を入手した。これを見給え」
そのタイミングで入室したヒーズマンの秘書と思しきパンツスーツの女性が我々の手元に資料を配る。夜の山道に浮かび上がる青白い炎らしいものが映った写真、それもかなりの数である。慌てて撮影されたのだろうか、写真にはぶれが目立つ。
「南方良治君……だったかな? 君は呪術に長けた観察眼の鋭い研儀官だったと聞く。これをどう見るかね?」
突然の指名に体をびくりと震わせる南方。ヒーズマンの視線は南方を隅々まで射抜く。
目が合ってしまったのだろう、緊張に耐えかねた南方は湯気を立てる緑茶を一気に啜る。その勢いが良すぎたのか、何度も噎せ返る。
「これは……狐火きつねび……でしょうか? これほどの数となるとかなり大規模な百鬼夜行と推察しますが」

狐火──妖怪にとっては太陽より眩しく彼らの道を照らし、力を与える妖術の一種である。弱小な妖怪でも狐火を使うこともあるが、百鬼夜行を照らすともしびとして用いられるのが専らである。その数に比例するように百鬼夜行の規模は大きくなるというのが通説となっていることは我々全員が理解していた。

南方の答えに対し、満足げに話を続ける。
「そうだ。これは兵庫県の……そう、多田銀山と呼ばれる場所で撮影されたものらしい」
「銀山……ですか?」
「その通り。このエージェントは行列が通り過ぎたあと、行列の元を辿ってみたそうだ。すると、銀山の坑道の一つに繋がっていたと報告を受けた。これ以上は危険と判断したのかエージェントは引き返したが、翌朝職員宿舎の自室で死亡していたそうだ」
「死因は?」
間髪を入れず問うたのは応神。その視線は逸れることなくヒーズマンの双眸に向けられており、臆することの無い応神の度胸に感心する。
「それが不明だ。今のところ、財団の持つあらゆる超常的な事件のデータとは一致していない。外傷もなく、持病や突発的な体調の変化の痕跡は全く確認されていない」
「そりゃそうだろう。間違いなく呪殺だな」──南方。身体的な痕跡を残さずに人間を殺すのは妖怪の十八番である。

「そこで、我々は多田銀山に調査班を送った。その結果、多田銀山の地下の一部がNEXUS異常活発領域となっていることが確認された。それに加えて、調査班が所属不明の武装集団に襲撃された。幸いにも死傷者は出なかったが」
「まさかとは思いますが、連合国の占領に抵抗する地元猟師、ではないですよね」
無いとは内心思いつつも、可能性だけは提示する。しかし己の発言の失策に遅まきながら気づく。
先程まで南方を洋包丁ナイフの如く鋭く刺していたヒーズマンの視線が今度は私に向けられたのだった。無意識のうちに、目の前の緑茶に口をつける。
緑茶は冷え切っていた。
しかし予想に反して、続くヒーズマンの言葉には一片の落胆や失望も感じられなかった。
「そう思うのも無理はなかろう。調査班によれば、その武装集団は高い訓練と統率の下で行動しているようだった、と報告を受けている」
「……では、多田銀山と武装集団の間にどんな関係が?」
「ちょうど坑道から出てきたところを調査班と出くわしたそうだ。知っているとは思うが、多田銀山は既に閉山されている上、件の場所は落盤の可能性があり周辺は立ち入りが制限されている場所だった。偶然とは言い難い、何かがそこにあるのだろう」
ヒーズマンは一瞬目を閉じる。そして、我々を見据え、口を開く。その視線は左に座る南方から私、そして応神に向けられる。
南方が固唾をのみ、応神は姿勢を正す気配。

「波戸崎愷、南方良治、応神景光。諸君等に異常活発領域、多田銀山の調査を命じ、百鬼夜行と武装勢力の関連を調査せよ。──但し、無茶はしないこと。戦力が把握できれば、後は我々の機動部隊が出動し制圧する。君達は重要で二つとない貴重な人材だ。必ず生還するように」
「「「御意」」」
無意識の内に院時代の返事を3人揃って返す。




「最後に、これを渡しておこう」
渡されたのは手のひら大の機械である。軍が使っていた無線機と形は似ているが、これほどまでに携行可能なサイズにまで縮小されているのは財団の為せる技術、といったところだろうか。
「何かあれば連絡したまえ。私は翌月の1日まではここにいられるが、そこからは用があって東京に向かうことになっているのだ」
「と言うと?」
「調査局や負号部隊以下、日本の超常機関の軍人の裁判だよ。その中に南大佐という調査局の軍人が1名いてね。その裁判に財団と連合国超常協約A O Iから裁判官を出すことになった関係で、今の日本支部の長である私が出廷することになったのだよ」
「はあ、なるほど」
「さてこれで話は以上だ。働きに期待しているよ」
ヒーズマンはすれ違う直前に私の肩に手を置いたかと思うと、我々に薄く笑みを浮かべ、部屋を出ていった。

どっと疲れがこみ上げ、体の至る所から汗が噴き出す。懐の手巾ハンカチは汗を吸い込んで重くなっていた。


「まずは今の時点で手に入れられる資料を集めるところからだ」
「応」
財団が蒐集院から引き継いだ資料は莫大という一言では言い表せないほどの量を誇るが、劣化していたり破損して修復中のものを除けば全て整理が終わっているという。
「手当たり次第に調べるしかあるまい。かつ効率良く、だ」
「探す手がかりは百鬼夜行と中国地方の妖怪にまつわる伝承。後は多田銀山だな」
こうして私達はサイト-8181の資料室へと足を踏み入れたのだった。

──数時間後。
資料室の机の前には椅子に体を投げだした応神と南方。応神に至っては虚ろな目を天井に向け、返事も上の空の有様だった。
「時代も場所も絞り込んでもなお多かったのに、その全てを調べても何一つ見つからないのはどうしてなんだ!?」
南方お得意の自動筆記の式も動員し、実質4人がかりで資料を漁ったにも関わらず、有益な情報は何一つ見つからなかったのである。
怒気混じりに愚痴を零す南方に同調の意を示したのか、応神も呻き声を上げる。
「しかし、気になることはあった」
応神が椅子から体を持ち上げる。直前とは打って変わって、体を起こし真剣な眼差しを私と南方に向ける。
「徳川幕府の時代の資料がすっぽり抜け落ちている。いくら院の資料が膨大とは言え、特定の時期だけ抜け落ちているのはおかしいと思わないか?」
南方が思わず唸る。私も調べている内に薄々気付いていたのだが、江戸時代、特に初期の資料だけが抜け落ちていたのである。偶然にもこの時代だけ資料が破損していることがあるだろうか?

その原因を議論することが時間の無駄になるということは三人とも理解していた。
ため息を零し、重い足取りで資料室を後にする。


「また無茶なことを任されたものだ」
「こう立て続けに起こると何かしらの宿命を感じるな」
「なぜこうも呑気にいられるのか……」
サイトを出る頃には陽は西の空を茜に染め上げていた。往来を行く人も足早に各々の家を目指している。
「そうだな、今日はおれの家で夜を明かそう。山城の屋敷なら近い」
そう提案したのは応神である。サイトから歩いても10分とかからない場所にあるらしく、すぐに辿り着く。

「相変わらずでかい家だな」
「見た目だけさ。大阪の方は先の空襲で全部焼けちまった。蔵だけは無事だったがな」
眼前には堂々たる四脚門。その梁には、墨黒々と「応神」の二文字が大書された扁額が堂々と掲げられている。飾り気のない扁額は、細工の施されたそれよりも逆に格の高さを伺わせるものになっている。扁額の文字は、代替わりの時に新たな当主によって書き換えられるのが古来より続く掟だという。

蒐集院の旧家は数多く存在するが、応神家はその中でも群を抜いて古い家系であり、今は一族全てが財団に移籍している。
その宗家は大阪の羽曳野にあるのだが、空襲で屋敷の大半が焼失してしまい、現在再建中だという。
今我々がいるのは2つある応神宗家の分家、山城応神家である。戦火を逃れた唯一の応神家として、今は宗家の役割を果たしている。

「帰ったぞー」
音を立てて玄関が開け放たれ、廊下に景光の声が響く。間を空けず、廊下に灯りが点され、奥の方から足音が向かってくる。
「景光、帰ったのか……おっと、そちらは客人かな?」
母屋の奥から現れたのは景光の父でもあり、元正一等研儀官にして現応神家当主の応神三船である。漆黒の着流しを纏った応神宗家の当主は御年55の老境に差し掛かり、髪にも白髪が混じり始めているが、それが却って彼に一層の風格を与えているように思われる。
「お、愷に良治じゃねえか、久しぶりだな。景光も帰ってきたか」
三船氏の後ろ、頭の後ろで手を組む男は景光の兄、国光である。国光と私、南方は内寮の同期であり、行動を共にしていたこともあったが、訳あって国光が寮を離れることになった時、その穴埋めとして景光を送り出したのである。

「お初にお目にかかります。正二等研儀官、南方良治と申します。……しまった、もう研儀官じゃなかったな」
「同じくお初にお目にかかります。波戸崎愷、フィールドエージェントです」
私と南方は一礼する。三船氏は名前に一瞬首を傾げていたが、ぽんと手を叩く。すぐに合点がいったようだ。
「南方に波戸崎……聾音の弟子かな? 噂は予々聞いておるよ」
「何か用事か? 内寮の三弟子が揃ったということは厄介事の予感がするな」
けらけらと笑う国光。後ろの景光が不満げに答える。
「ちょっと野暮用でな。京都まで行く用事だったから帰ってきた」

「まあ玄関先でする話でもあるまい。客人方、こちらへ」
三船氏を先頭に続く。通されたのは客間と思しき部屋で、上等な旅館の如きかなり広い部屋である。
「こちらでお休みくださいな。何かあれば気軽に言っておくれ」
「いえいえ、お構いなく」
すると客間の襖が音もなく開き、使用人と思しき和装の女性が入ってくる。
「旦那様、お客様。夕食の準備が整いました」
「ちょうど夕食の時間のようだね。君達も食べていきなさい」
「ご配慮、痛み入ります」

大広間に通され、間もなくこの家の住人達が大広間へ集い始めた。
普段よりもやや人数が増えた食卓に、景光や国光、三船氏が嬉しそうに見えたのは気のせいではあるまい。



皇紀弐千六百六年 四月弐拾四日


朝食を取り、すぐに家を発つ。景光は愛用の長刀"風切カザキリ"と短刀"雨覆アマオオイ"を持ち出していた。二刀は隅々まで念入りに手入れがされており、刃には一片の曇りも見られない。それに、景光と今朝会った時は少し汗ばんでいるようであった。我々よりも早く起き、庭で素振りでもしていたのであろう。
南方も同様に呪符を用意していたようで、場の空気は凍霧天捕縛の任務の如き様相である。

大阪から神戸へ移動し、馬を駆ることおよそ三時間。日は高く、四月とはいえど額に汗が浮かぶ程度には気温は高く感じられる。

「着いたな」
兵庫県川西市。徳川の時代には石見や生野ほどではなかったものの、銀や銅の生産で栄えた鉱山の町である。
一部の文献や好事家の間では、多田銀山には太閤秀吉の埋蔵金が眠っているなどと言われているが、確実な証拠に乏しく、実在するかは疑わしいところである。

写真の場所は最大の坑道の入口からやや離れた脇の坑道の近くという。人通りは全くなく、人目を憚るような何かを隠すにはもってこいの場所である。
「しかし今から坑道に乗り込んだところでそれは無謀というものだろう。まずは情報を集めよう」
麓の宿を取り、夕方に集合することとして解散する。情報収集に時間をかけていては謎の集団に悟られる可能性もあるため、迅速かつより多くの情報を得ることが肝要である。
時間との勝負。自ずと歩みは早くなる。

私が訪れたのは地元の有力者である。近隣の住人によれば、この家は代々この地域の地主を務め、一帯では最も古い家系の一つとされている。

「──それで、京都からわざわざこんな田舎に来たわけか、ご苦労なこった。この時世に学者で食っていけるとはなぁ」
訪れた私を出迎えたのは老齢の紳士である。見たところ歳は70前後、といったところだろうか。
「はい。この地域には興味深い伝承が数多くあるので、その調査に」
勿論、学者というのは嘘である。フィールドエージェントにとっては自らの身分を隠し偽る常套句の一つである。
「それで、お宅の蔵の資料を拝見したいのですが」
私の提案に、深いため息と同時にやや顔をしかめる主人。
「それは構わんのだが、蔵が荒らされてな。保管してたものがいくつか盗まれてしまったんだ」
「詳しくお聞かせ願えませんか」
やや声を潜めて、主人が語り始める。

「今から話すことが直接の要因とは断言できんが聞いてほしい。……去年の夏、ちょうど終戦直前のことなんだが、陸軍の連中が押しかけてきてな。蔵の資料を寄越せと吐かしてきた」
「陸軍……?」
「陸軍に限らず、軍人は横柄なものだと思ってたが、連中はそれ以上に横柄な連中だった。儂の方とてご先祖様から受け継いできた大切な蔵なんでな、要求を断っていたのだ。来る日も来る日も押しかけてきたんで、その度に怒鳴って追い返していたんだが、それが1週間くらい続いた頃だったか。朝起きたら蔵の鍵が壊されていてな。正確には分からんが、いくつか古文書が盗まれていた」
当時は軍人に逆らえばお国や天皇の御命令に逆らう、などと宣い軍が幅を利かせていた時代である。痺れを切らした軍が強硬手段に出たのだろうか。
「その軍人は自らの所属を名乗ったり、徽章を着けてたりしていなかったのでしょうか」
「所属は言わなかったな。ただ、蝶か蛾の印を着けていたな」

陸軍。蝶か蛾の徽章。
その2つの手がかりから私は瞬時に答えに辿り着くと同時に、天を仰ぐ。

IJAMEA2

帝国異常事例調査局
連中なら盗みなどやりかねない。

「それは……盗まれた古文書の内容は何だったのでしょう」
「太閤秀吉公の埋蔵金の言い伝えさ。多田の銀山の坑道奥深くの軍資金とその伝承だな」
「伝承、というのは?」
「大坂の陣で豊臣家が滅亡した後、秀吉の遺した埋蔵金を探すために農民や豪商、幕府までもが人を送ったが悉く帰って来なかったか正気を失った、とかそんな感じだな」
「なるほど……一応ですが、蔵を見せてもらえないでしょうか」
「構わんよ。必要ならば、一声かけて持っていくがよい」
1時間ほどかけて蔵の中を見て回ったが、目ぼしい資料は見つからなかった。やはり調査局に盗まれたのだろう。
しかし、坑道の古い見取図を見つけ出せたのは収穫だった。百鬼夜行の出発点が坑道の入口ならば、その本拠は坑道の中と考えるのが自然だろう。

「ではこれにて失礼します。ご協力ありがとうございました」
深く礼をし辞去する私の背後から主人が声をかける。
「鉱山には入らん方がいい、ほとんど崩れかかってる場所も多いから生き埋めになるぞ」

集合場所の宿に戻る頃には陽は大きく傾き、伸びた山の影が辺りを覆う時間となっていた。電灯も満足に存在せず、田畑と雑木林が広がるこの地域ではすぐ先も覚束ない闇が広がっている。耳に届く音は山から吹き下ろす冷えた風と、それに揺られる草木の擦れた音である。

宿までもう少しの場所で、不意に背中に氷水をゆっくりと流されるような悪寒が私を包み込んだ。蒐集官として赴いた方々で何度か経験した、人ならざるものの妖しい気配。それも、お前を狙っているぞと言わんばかりの気配を放っていた。
それよりも驚くべきことに、その妖気の直近から、人の気配が感じられるのである。
蒐集官としての経験則から振り向くのは危険だと判断した私は、相手に感づかれたことを悟らせぬよう、動きを止めずに思考を巡らせる。首筋を這う冷や汗が吹き付ける風でさらに冷え、少しずつ体温を奪っていく。

そういえば東京でも情報収集の時にも同じ事があったな、とふと思い出す。
あの時は死人の尾行の術、しかも私でさえ追い払えるような弱い使い魔であったが、今回はそれよりも遥かに強い妖気を持つものである。中途半端に刺激しては命を失いかねない。

しかし、むざむざと野垂れ死ぬのだけは御免である。一か八かに取る行動は1つ。私が凍霧天捕縛の際に使っていた経文の縫い込まれた国民服は今も健在である。南方や応神と共に呼び出された時点で覚悟をし、持ってきていたのも僥倖と言うべきだろうか。

呼吸を整える。左手の五指は服の前を掴む。国民服の生地裏には経文が縫い込まれている。これを袈裟に見立て、右手は緩く垂らす。掌は地を掴むようにして、手繰るのは地脈の流れ。地脈の霊力が十分ではないかもしれないが、足止め程度にはなるだろう。


オン・アキシュビヤ・ウン

先程の心配は杞憂に終わったようだった。
異様な視線と妖気が一瞬の揺らぎの後、空気に溶け込むように一気に薄れていった。それと同時に、その隣にあった人の気配がやや大きく揺らいだのが分かった。突然隣にいた気配が急に揺らぎ消えれば誰でも慌てるというものである。人がどこかへ走り去る気配を最後に、辺りは再び闇と風の音に包まれた。
「……ふう」
安堵のため息をつく。冷汗が幾本も首筋を伝っており、両手とも手汗に塗れている。今頃同じような追手が南方や応神のところにも迫っているのだろうか。2人の安否が心配である。


「ほう、追手とな? おれのところはそんな気配は無かったが」
宿に戻ったのは私が最後だったようで、南方と応神が12畳ほどの部屋に詰めていた。一先ずは安心である。
胡坐をかいて座る2人の間には紙束が積まれており、まさに資料の精査をしている途中のようだった。そこに私の持ち帰った情報を加える。世間では「三人寄れば文殊の知恵」という諺があるが、果たしてこの件は文殊の知恵をして解決できるだろうか。

「……で、その古文書を奪ったのは調査局らしい。蝶か蛾の徽章を着けていた、と」
南方と応神は同時に特大のため息を漏らす。応神は頭に手を当てる。
「調査局……どこまでもしつこい連中だ」
「調査局に百鬼夜行……愷の追手もそいつらかもしれない、警戒すべきだな」
「まあそれはともかく、そっちはどうだった」
「ちょうど纏めてたところだ」
南方は青白い煙を放つ紙束を指さす。ふわりと漂う神気は自動筆記の式だろう。
「愷が調べてきた通り、俺も多田銀山と秀吉の埋蔵金の伝承について調べてきたが、やはり史料はほとんど見つからなかった。おそらく調査局に握られているだろうな」

「他に何かなかったのか」
「それでな、俺が調べてる途中だったんだが、後をつけてきた奴がいたな。妙な視線を感じたんで看破の式を出したら、案の定隠形の術を使ってた。そいつはすぐに逃げていったんだが、一応顔は覚えておいた」
「敵は想像以上に多いかもしれん、以降の単独行動は控えるべきだろう。特に愷はおれか南方のどちらかと行動した方がいいんじゃないか?」
「それがいいかもしれん」

「景光はどうだった」
「おれは件の写真の辺りを探してたんだが、特に妖力が強い場所がそこそこあった。辿ってみたら坑道のかなり奥まで続いてたんで引き返したが、おそらくあそこが本拠地だろう。妖力から察するに、写真の百鬼夜行はほんの一部の可能性が極めて高い」
「ヒーズマンは機動部隊を出すとは言ってたが、呪術の使える部隊、しかもそれなりの数の部隊じゃないと苦戦するだろうな」
「さっき話した主人の話では、坑道は崩れやすくなっているとは言ってたが、いざとなったら坑道ごと潰すのも有りかもしれない。百鬼夜行を御する勢力にとっては多少は痛手にはなるだろう」

3人での議論を終え、今後の方針がが定まった頃には0時近くとなっていた。万が一襲撃される可能性も考慮し、応神の提案の元、私、南方、応神の順に不寝ねずの番を置くこととした。番といっても式神を用いるようなものではなく、己の目と耳、そして感覚のみを用いる。
術を使えば霊的な気配や痕跡が発生するため、その痕跡を捉えられれば場所が露見してしまうことを我々は学んでいた。方祓えの術で、室内の霊的な痕跡を浄化する。南方の集めた資料は最小限に纏め、巾着ポウチに納めた。

冷えた暗闇の中に聞こえるのは2人の寝息のみ、外は不気味なまでに静寂を保っている。
こうして何事も起きることなく交代の時間を迎え、一時の眠りについた。



皇紀弐千六百六年 四月弐拾伍日



「起きろ、良治、愷」
耳元からの囁き声。やけに真剣な面持ちの景光の顔が見上げた先にあった。只事ではないと判断したのか、身体が自ずと引き締まり、目が冴えてくる。南方も同じような状態なのだろうか、片手には呪符が握られている。
「窓の外だ、その隙間から覗いてみろ。そっとだ」

視線の先には未明の暗がりで動き回る人影、その数は3つ。宿の玄関前に屈み、手元で何かしたかと思うと、人影は宿の中へするりと侵入した。
「奴らからはおれたちの場所は割れてたみたいだな」
「どうする、迎え撃つか?」
「私に考えがある。任せてくれないか」
こういう時こそ私の仕事である。一連の計画を話し終えると、二人はにやりと笑みを返した。
「そりゃあ名案だ、流石は愷よ」


音も無く部屋の襖が開き、何者かが部屋に入ってくる。足音の数は2つ。残りの1人は見張り役なのだろうか。
しかしこちらにとっては好都合である。

「チッ……逃げられたか?」
「そんなはずはない、窓は鍵が掛かっている。出入口は固めてるから逃げられない」
「しかし、奴らは院の中でも手練れだ、何かしらの術を使って逃げた可能性も否定できない」
「しかし、この部屋には霊的な痕跡は何も無いな」

侵入者達はそんな会話を繰り広げている。それも私達の目の前で、である。

というのも、私達は部屋の押入に隠れているのである。押入の中には私と南方、そして私の反対側の戸棚には応神が隠れており、丁度侵入者を挟み込むような状態になっている。やはりと言うべきか、侵入者達は私達の霊的な痕跡を辿ろうとしていることは把握できた。まず制圧すべきは術士である。

──奴らは院の中でも手練れだ。
ふと侵入者の声が再生される。
なぜ、我々の院での経歴が調査局に渡っている?

「……愷。おい、愷。聞いてるか」
小声で小突かれ、はっと我に返る。
「しっかりしてくれよ。ぼさっとするな」
「あ、ああ……。済まない」
頭を振り、雑念を払い落す。
「良治、今だ」
小声での指示。隣の南方が口の中で詞を発する。

「しかし布団がまだ温かい。離れてからさほど時間は経っていないな。まだ近くにいる可能性がある」
「……」
「人を増やして探させるべきか?」
「……」
「おい、なんとか言ったらどうなんだ」
男が振り返ると、喉を押さえた相方の姿。何かを訴えかけているが、声が出ていない。
「…!……!」
「糞、喉縛りかっ!」

侵入者が異変に気付いた直後、戸棚を勢いよく開け放つ音と共に応神が飛び出す。不意を突かれた形となった刺客が振り返る前に手慣れた技で侵入者の首を絞め上げ、気絶させる。喉縛りをかけたもう一人も私と南方の二人がかりで同様に拘束し、侵入者2人の無力化に成功した。あまりに手際よく作戦が進んだのは嬉しい誤算と言うべきだろうか。

「さて、身元の確認だ」
応神が術士の体を検める。術士は体を激しく捩り抵抗しているが、脇腹に蹴りを入れて大人しくさせる。
「お前そういう時はほんと楽しそうだな」
南方は呆れているように見えるが、その顔には愉悦の表情が浮かんでいる。そんな2人に呆れつつも、私も応神が絞め落とした方の刺客の体を検める。
「当たりだ、やはり調査局の残党だ」
景光が放り投げてきたのは胸元から引き千切られた調査局の徽章である。

「それに、これは……」
上着から出てきたのは崩された上代日本語で書かれた札である。南方がそれを受け取る。
「見た感じは破魔の術っぽいが、改変が加えられてるな。まあいつも通りの大雑把で節操の無い改変だが」
「こっちも似たような呪符が出てきた、これも見てくれ」
応神が手に入れたのは使役の呪符である。効果こそ弱いものの、妖怪を使役可能にする呪符だという。
加えて、陸軍の制式拳銃、九四式拳銃が2挺手に入った。予備の弾倉も1つずつあったので、それも奪っておく。
銃に不慣れではあるが、護身用に持っておいても損はあるまい。

「まあそれはそれとして、だ。お前ら、お仲間がいるよな?どこで待機させてるか教えてもらおうじゃないか。そうだ、良治は外を見張っておいてくれ」
「応」
南方が部屋を出る。

応神の詰問。威圧感に満ちた、そして2振りの日本刀を佩く応神の姿はさながら特高の尋問である。しかし術士は口を噤み、話そうとはしない。とは言うもののできることは応神を睨み返すことのみである。
「仕方ねえ、この手はあまり気分のいい方法ではないが」
応神は"雨覆"の鞘を払う。それを見せつけるかのように、ゆっくりと術士の目尻に宛がう。術士の視線は宛がわれた短刀に釘付けになっており、怯えが見て取れるが、口を割る様子は見られない。

沈黙が2分ほど続く。応神の深いため息。
「次だ……いいか、これはまだ序の口だ」
当てられた刃先はこめかみに向かうように、皮膚を浅く裂き進んでいく。赤黒い液体と涙が混ざった液体が滴り落ちる。
「……っ……ぐっ……」
「仲間の居所を吐くか、目を潰されるか。2つに1つだ」
術士は固く目を瞑っているが、その体は小刻みに震えているように見える。
「……おおっと」
狙いを変えた短刀の一閃は、術士の左頬を深く切り裂いた。流れ出す血が断続的に頬を伝い、畳に赤黒い染みを作り出す。声を出そうにも猿轡のせいで満足に声が出せず、くぐもった叫びが聞き取れた。術士はその痛みに体を捩るが、出血の勢いは却って増すばかりである。
「手が滑っちまった、すまんな。もしかするとお前の命まで奪いかねん」
冷たい声。その冷徹な視線に術士は竦みきっていた。応神宗家ではこのような"尋問"──否、"拷問"も教え込んでいるのだろうか。

術士が何かを話そうとする気配。応神はそれを察し、猿轡を解く。
「分かった……話すからやめてくれ……」
「物分かりのいい奴は嫌いじゃない。さっさと話せ」
「正面入口に1人」
「それ以外に待機してる仲間は」
「いない、本当だ」
「そうか。行くぞ愷」
「あ、ああ……」
先程までの"尋問"に度肝を抜かれていたのか反応がやや遅れてしまう。応神は術士に再び猿轡を噛ませてから、私を置いて足早に部屋を出ていこうとする。

「景光、他の事は聞かなくていいのか?」
「そいつの階級を見てみろ」
肩章には赤地に星が1つ。ああ、と納得する。
「陸軍二等兵、下っ端の下っ端だ。知っていることなどたかが知れている」
「それもそうか。それより良治が痺れを切らしてる頃だろう、行くか」

応神に続いて部屋を出る。ふと背後から視線を感じ、振り返る。
後ろ手に縛られ、床に転がされた術士が一瞬だけ見せた不敵な笑み。直前まで命の危機に直面し命乞いをしていたのが嘘のような、あたかも自分は捨て駒だと言わんばかりの笑み。
その笑みから感じた得体の知れない悪寒が、しばらくの間離れることはなかった。


「さて、ここからが本番だな」
追いついた先は受付近くの物陰である。確かに、正面入口を塞ぐようにして立っているのが確認できる。
「奴に適当に傷を負わせつつ式神で追跡する、でいいんだな?」
「刺し違えてでも始末する、それくらいの気概を持つ奴は今の調査局にいるかと聞かれると否だ。連中も俺達を撒いてから本拠に戻ろうとするだろう。その前に式神を付ければ何の意味も為さないがな」
ふんと鼻を鳴らす南方。
見たところ武装は拳銃のみで、呪術的な装備は外見からは確認できない。

「じゃあ景光、頼む」
「はいよ」
わざと足音を立て、入口まで歩き出す。廊下に反響する足音に反応したのか、男は拳銃を取り出す。見えない足音の主を威嚇するかの如く、がちゃりと弾を薬室へ送る音が響く。当然、銃を抜いていることは応神も知っているが、それに動じることなく歩みを進める度胸に改めて感心するばかりである。
妖怪や呪いであれば、知識と技術さえあれば対処できるのに対し、銃弾は発砲音の刹那に命を奪っていく。我々の中でも、「武器を持った敵意のある人間」に対し強く出られるのは応神のみである。

男の視界に応神が入ったのだろうか、身じろぐ気配と同時に銃口を向ける。同時に応神は"雨覆"を音高く抜き放ち、歩みを止めることなく距離を詰めていく。その物怖じしない応神の様子に男は狼狽えるばかりで、徐々に後退りを始める。しかしなけなしの意思を振り絞っているのか、銃を持つ手に震えは無い。

遂に応神の足が止まり、相対する形となる。両者の距離、およそ十数メートルといったところだろうか。
相手に見せつけるかのように、互いの得物を突き付け合い、その視線は両者の中点で交差する。しかし、この立ち会いは圧倒的に応神に有利だ。
応神の眼前の敵に対する気迫──殺意とも言い換えられる──が男を圧倒し、その視線は眼を鋭く射抜いている。

男の瞬き。応神にはその一瞬で十分であった。
男の視線の先──ほんの一瞬前に応神が立っていた場所だ──に応神の姿はなかった。そして男は自らの失策を悟る。
応神は一瞬で距離を詰める。縮地の法を取り込んだ、蒐集院内伝七流派にして応神宗家秘伝の剣術、烏羽二神流の基本動作。左手に握った"雨覆"が男の持つ拳銃を弾き飛ばす。男の手を離れた拳銃は音を立てて床に落ち、暗がりへと滑っていく。得物を弾かれて体勢を崩した男の頭上をひらりと飛び越えた応神は男の背後を取る。刹那、男の首筋には"雨覆"が突き立てられていた。
──烏羽二神流の奥義の一つ・影落とし。その気なら背後から心臓を刺し貫き、死に至らしめることもできる。
応神宗家で古今東西の武道の基礎から応用に至るまでを徹底的に叩き込まれた景光でこそ為せる、超人的な身のこなしは文字通り"一瞬"で男の自由を奪った。

命を握られている感覚に男が体を強張らせる。その隙を突くように喉元に構えられた短刀は瞬時に狙いを替え、右脇腹を浅く切り裂く。切り裂いた痕に沿うように、軍服に赤い染みが現れる。苦痛に男の顔が歪むが、周囲を振り払うように腕を振り回し、応神を引き離す。そしてすぐさま入口に向きを替え、脱兎の如く逃走を開始した。

「良治、やれっ!」
応神の合図を待たず、隣にいた南方が符を切り、詞を発する。青みがかった半透明の煙は渦を巻き、人形ひとがたとなって男の後を追っていく。通った後方には術者にしか見えない同色の筋が伸びており、これで追跡が可能になったという。

「これで連中の居場所が割れたかな」
「一先ず偵察するか」
明け方前の最も冷え込む時間、陽はまだ昇らないが山の端に紫ががった雲が靡く。南方によると、式神の残した痕は山の方角へと伸びているという。ちょうど応神が向かっていた坑道の入口の方向である。
「行くぞ、ただ何時いつでも戦えるようにしておけ」
先頭から南方、私、応神の順に続く。


家屋の立ち並ぶ集落を抜け、郊外の田畑と雑木林が広がる四ツ辻に出る。田植え前の水田には遮る物も隠れる場所も無い。辺りに人の気配は無く、静寂と暗闇が場の空気を支配している。それだけならば田舎の何処でも見られる光景である。

しかし、そこにあるべき空気の流れが途絶えており、あたかも辺り一帯が隔絶された空間のような感覚を覚える。空気が質量を持ったかのように、体に重い空気が纏わりつくような感覚。

私はこの状況を知っている。
同じ事を考えていたのか、南方も応神も口数が減っている。
人間の原始的かつ本能的な感情が体の奥底からとめどもなく湧き出してくる。

恐怖。私はその源をなんとなくではあるが悟る。
出会ってはいけない何かが己の眼前に迫りくる予感。
首筋を伝う冷汗が襟元を濡らす。

後ろにいた応神が無言で先頭に立ち、刀の柄に手をかける。その目つきは鋭く前方に注がれている。
南方は呪符を固く握りしめ前方を睨みつけるが、その手が僅かに震えている。
強烈な妖気が我々の前方から荒波の如く押し寄せる。

狐火が1つ、2つと視線の先で灯る。妖しく揺らめく炎の影に浮かび上がるのは大山の如き異形の群れ。響き渡るは人間と異形の者が奏でる不和の旋律。


天に代わりて不義を討つ

忠勇無双の我が兵は

歓呼の声に送られて

今ぞ出で立つ父母の国

勝たずば生きて還らじと

誓う心の勇ましさ



「陸軍の軍歌、しかも出征の壮行歌だ」
「出征だと?」
「それは問題じゃない、今はあの群れにどう対処するか、だ」
呪術に優れた南方、武術全般に長ける景光がいるとはいえ、これでは多勢に無勢である。
しかし、眼前の百鬼夜行が通過するであろう我々が通ってきた道の先には民家がひしめく集落、しかも住民が目覚めだす時間帯である。行列に遭遇すれば彼らの"朝食"となり果てるのは明白である。

「やるしかない、夜明けまでここで時間を稼ぐ。腹括れ」
「腹括れとは言うが、俺達3人でどれくらい保つんだ?」
やはりこのような荒事には慣れていないのか、南方が弱音を吐く。
「分からん。そういえば愷よ、妖怪に後をつけられていたそうだな? その時はどう追い払った」
応神は南方の弱気など知らぬとばかりに質問を飛ばす。
「触地印だ。私でも追い払える程度の妖怪だったが、あれが弱い妖怪だった可能性も否定できない」
「となると、この数では退魔の術も武器も全部使って20分、って感じか」
応神は冷静かつさっぱりと結論づけたが、我々が持てる全てを注ぎ込んでもこれだけしか保たないことに絶望感を覚える。
ここでふと思い出し、懐を探る。出てきたのは刺客から奪った護符が2枚。
「良治、景光。さっきの刺客の持ってた呪符が2枚あるがどう使う」
「破魔の護符は愷が持っておけ、使役の符は良治が持ってろ。連中がそれと同じ術を使っている以上、2つの相反する命令が出れば、妖怪にも一瞬とはいえ混乱が生まれるだろう。その後は何とかしてやるさ」

音高く二刀を抜き放ち、右手に"風切"、左手に"雨覆"を構える応神。破魔の術を済ませた二刀からは清涼な神気が漂う。刀の青い燐光は損壊防止の術だろう。
「護りは俺に任せてくれ。何とかしてみせる」
南方の声は僅かに上ずっているが、その裏には確固たる意思を秘めている。符を切り詞を唱えると、南方を中心に結界が展開される。しばらくであれば防壁の役割を果たすだろう。

眼前には異形の姿が壁のように立ち塞がり、大地を踏みしめ向かってくる。壁が迫るにつれ、皮膚に刺すような感覚が感じられるまでに妖気が強まっていく。遠野の妖怪保護区でも数多の妖怪の集落に出向いたが、これほどの妖気を感じたことは無かった。

目を凝らし、前方を見据える応神。その後ろ姿には悲壮感や自棄は一片も無く、ただ己に課された使命を全うせんとばかりに私と南方の前に仁王立ちしている。

正面から人間の笑い声と、それに混じるようにして響く呪詛のような低音。先頭を行く男が我々に気付くと、進軍を止める。見上げる程の妖怪の壁は一層圧迫感を増し、我々の前に聳え立つ。
「なんだ貴様らは、名を名乗れ」
その高圧的な声で分かる。奴がこの騒動の発端である、と。
軍服に視線を移す。薄暗いので判別はできないが、胸にいくつもの勲章を下げている。それなりに高位の人間であろう。
「貴様らこそ名乗りやがれ、何の目的で百鬼夜行を連れまわしてやがる」
啖呵を切る応神。それを嘲笑うかのように背後の妖怪が再び呪詛のような低音を出す。
「私は帝国異常事例調査局所属、葦原アシハラ少佐だ」
その声は良く通っており、人の上に立ち人に命じることに慣れていることを窺わせる。
「……んん?よく見たら院の連中じゃないか。しかも三弟子とはな」
順に我々に視線を当て、大袈裟に驚く。
「俺達を知ってるのか」
予想外の反応に、隣に立つ南方は小声で呟く。内心、私もかなり動揺している。
何故、軍が我々のような一研儀官を知っている?

「院じゃ大層名が通っていたそうじゃないか。去年の9月にも散々引っ掻き回してくれたそうだな?」
葦原の言い分は尤もである。確かに、あれほどの立ち回りもすれば顔や名前の一つも覚えられるのだろう。
ここではっと思い出す。宿を襲った刺客の言葉。

──奴らは院の中でも手練れだ。

間違いない。
我々の情報が敵に渡っている。
それも我々を良く知る者の手によって、である。
ならば、敵の手勢には院の仲間も混ざっているのだろうか?

「……何故、院で名前が通ってたことを?」
応神は尚も無 表 情ポーカーフェイスを貫く。隙あらば葦原の首を落とさんとはしているが、その意は表に出ていない。殺気を放っていては敵に向かって大声で叫んでいるも同然である。
「院の反財団派を抱き込んだのさ。おかげで院の内情も筒抜けだ」
「何っ……?」
ついに応神の無表情が崩れた。構えられた二刀が微かに揺らぐ。
やはりか! 悪い予感の的中に、汗が一筋、二筋と頬を伝う。

「お前らの師……東風浦とか言ったか? 奴が院の反財団派を粛清してたそうじゃないか。だからそいつらが粛清される前に助けてやったのさ。匿ってやるから、我々に協力しろ、ってな。くくく」
にやりと不気味な笑みを浮かべながら答える。その態度によほどの嫌悪感を抱いたのか、応神が唾を吐き捨てる。

「院の資料を奪ったのもお前らの差し金か?」
くすりと笑う葦原。
「何が可笑しいんだこの野郎っ……!」
「ふっ、ははははははは! 正解だ!」
葦原が拍手を送ってくる。それに追従し、他の調査局の兵士も拍手を繰り返す。背後の妖怪も不快で耳障りな唸り声を上げる。
連中は我々を舐めている。
しかし舐めていてもなお優位は調査局の方にあることは全員が理解している。
体が怒りに震える。南方は骨が浮かび上がるまでに拳を握りしめ、応神は短刀の柄を握り潰さんとばかりに強く握る。しかしその手は調査局から見えていないところにあるところに、応神の最後の抵抗が感じられる。
「偽の資料を仕込む時間が無かったのが惜しい」
動揺──最早それは殺意そのものだ──を隠せていない応神の反応に葦原は得意満面である。

悔しいか? ならばやってみろ

声を出さず、口の形だけで言葉を発する。護衛も付けずに両手を挙げ、我々──主に先頭に立つ応神──を挑発する。それに乗せられて斬りかかる応神ではないと理解はしているが、怒りに身を任せ無謀にも突っ込むのではないかと気が気でなかった。
しかしそこは応神である。静かに深く息を吸い込み、吐き出す。それを何度か繰り返し終えた時、その場にいたのはいつも通りの冷静沈着の剣士。
束の間の沈黙。応神がはっと我に返ったように平静を取り戻し、戦闘態勢に入る。
「……敵対するおれ達にここまで話すってことは、そういうことだな?」
その言葉で我に返った私と南方も戦闘態勢を取る。
その言葉に葦原は無邪気な笑みを返す。更に我々を苛立たせる。
「察しが良くて助かるよ。お前もこの神国の土に還るがよい。……いや、西洋の毒に侵された人間をこの地に還すのは陛下、そしてこの神国への冒涜だ、痕も残さず消し去ってやろう。そして欧米を打ち払い、帝国を再建する!」

その言葉を合図に、己が身、そしてそれを支える大地すら震えるような轟音が背後から放たれる。実際に地面も揺れているのであろう。木々が大きく揺れ、葉が擦れ合う音が併せて一体を覆いつくす。
「来るぞ! ここが己の墓と思え!」




数体の妖怪を斬った。
数体の妖怪を撃った。
数体の妖怪を封じた。

一向に数の減らない妖怪をけしかける調査局の兵士は、呪符を手に我々を嘲笑う。あたかも我々の抵抗を見世物にするかのように、一度に攻め込んでくる妖怪の数は、我々の実力と伯仲するように調整されているようだった。
応神も葦原に直接斬りかかるべく、単身で何度も妖怪の壁に挑むが、その度に阻まれ押し返される。傷塗れになりながらも、臆したり躊躇する素振りを見せることなく何度も立ち向かっていく。
向かいで嘲笑う調査局の兵士。その中には、数ヵ月前まで我々の同僚だった人物もいるかもしれない。もしかすると顔を知る人物もいるかもしれない。

意識が研ぎ澄まされていく。
目に入るのは眼前の妖怪。耳に届くのは応神と南方の合図のみ。
何時の間にか調査局の不快な笑いや視線は己の意識から自動的に排除されていた。
ただ、この場を持ち堪えるために────。


次に私が気付いたのは、薄暗い洞穴の中であった。近くには南方と応神が行倒れの旅人の如く倒れ臥しており、応神に至っては全身に生傷が無い箇所など無いとばかりに、応急処置の包帯や布切れが巻き付けられていた。応神の傷跡の縫い目に私の癖が出ていたことから、意識を失う前の私は最後までやり遂げることができたのであろう。南方の右手は持ち主の意に介さぬように痙攣している。全員が生きていたことは途方もない幸運ということだろうか。

この多勢に無勢の戦いを思い出そうとしても、記憶は濃い霧の向こう側に立つ人影のように不明瞭なままだった。私が覚えていたのは、先頭に立ち百鬼夜行を薙ぎ払う応神の吠え猛る声と、私の前に立ち結界を張り続けた南方の背中。時折距離を詰めてくる妖怪に対しては、奪った使役の符で混乱させたところを応神が一刀に斬り捨てる連携が取れていたような気がする。

左頬が疼く。乾いた傷口に手が触れる。
同時に脳裏に銃声の記憶が蘇り、ああ、と再び記憶の泡が弾ける。傷口から一筋の血が頬を伝っていく。
夜明け、即ち妖怪が活動できなくなる時間を迎えたことで、背後の集落に危害が及ぶ可能性が消えたのである。我々の目標は達成されたのだった。
しかし今度は、我々の想定以上の抵抗に気分を害したであろう調査局の兵士が銃や手榴弾を取り出し、我々を追い立てたのだった。妖怪との戦闘で満身創痍だった我々は逃げることしかできない上に、今度の相手は呪術的な防御が効かない武器を持った人間である。
一目散に雑木林の中に逃げ込む。先程まで死地の先頭で刀を振るい満身創痍になりながらも殿しんがりを買って出た応神の時間稼ぎや丈の長い草が生い茂っていたのが幸いしたのか、何とか追手を撒くことに成功したのだった。
そして辿り着いたのがこの洞穴というわけである。

疲労で重くなった体を何とか起こし、壁にもたれ掛かる。血の付いた右手を襦袢ズボンで拭おうとすると、腰の辺りで革製の硬いものに触れる。刺客から奪った九四式拳銃の拳銃嚢ホルスターと気づく。弾は予備も含めて14発分しか無かったので当然と言えば当然かもしれないが、弾倉には1発の余りもなかった。

洞穴の入口からは白い光が差し込んでいるが、万が一調査局の追手がまだ我々を探していたら、と考えてしまう。私は耳を澄ませ、そっと顔を出す。
太陽の位置から察するに、我々が気を失っていたのはそこまで長い時間ではないということが分かった。追手の気配は無く、風に揺られ擦れあう木々の音や鳥の囀りが洞穴の中まで届いてくる。
ここは先を急ぐべく坑道へと向かわねばならないところなのだが、応神も南方も一向に目覚める気配がない。宿に戻ろうにも、部屋には調査局の刺客を拘束しているために、のこのこと戻るのも気が引ける。
時間が惜しいが、ここは待つことを選んだ。2人を無理に起こしては、状態が万全ではない状態で坑道に入ることになり、危険だと判断したためである。

30分ほど待った頃だろうか、南方が体をもぞもぞと動かした。それに釣られるように、応神ものそりと体を起こす。
「うっ、寝過ぎたか……?」
「大丈夫だ。ともかく2人とも動けるみたいでよかった」
一先ず安堵する。
我々はまだ戦える。

「さて、ここからだが」
眠気を払うように頬を3度叩き、南方が切り出す。
「坑道に向かうとしても、目的の場所が坑道のどこにあるのかが分かれば早いんだが」
「坑道の見取り図ならある。南方の巾着に纏めた資料と一緒に入れてあるはずだ」
「本当か! ……これか?」
取り出したのは古びた紙切れ。保存状態が悪かったのか虫に食われている箇所が多いが、それでも内容が読み取れる程度には書かれている。
「それだ。その中で一番広そうな部屋は……ここだ」
私が指差したのは坑道の半ば、見取り図に描かれている中では最大の部屋である。操業していた頃の作業場の名残であろうか。

「この印は何だ?」
応神が指差したのは、作業場の先から枝分かれしている支道の1つ。バツ印が黒々と書かれており、その先にも作業場と同じくらいの大きさの部屋が記されている。
「ここも調査対象だな。何となく予想はついているがな」
南方は既に何かを察しているようだった。
私も南方と同じ予想をしているのだろう。応神もまた然りである。

方針は定まった。
応神が首を鳴らしながら立ち上がり、洞穴を出る。それに続いて私と南方も続く。
「ならば行こう。一つ、調査局の腹を割ってやろうじゃないか」
応神は背負った"風切"を少しだけ抜き、また鞘に納める。澄んだ金属音は木々の間に響いていった。


「ここか」
我々3人の眼前には大口を開ける坑道への入口。百鬼夜行の出発点となったであろうこの場所には今もなお微かな妖気が残っている。我々の背中を押すように、あるいは我々を喰らわんと、坑道に向けて風が流れ込んでいく。
青空が広がっていた明け方とは異なり、今は雲が空を半分以上覆っている。風も冷たさを増したように感じられる。
「中からはそこまで強い妖気は感じないが、用心に越したことは無い。良治、式神に先行されてくれ」
"雨覆"の鞘を払う。屋敷を離れた時には眩しいまでに輝いていた刀身は、一晩でその輝きを失い、鈍く光を跳ね返す。
「応」
応神、南方、私の順に坑道へと入る。

坑道は冷えた空気が充満している上に、足元には地下水が滴り落ちているのか水溜まりが何箇所もあり、私も何度か転びそうになる。灯りは南方が持つ松明のみ。我々3人が広がって通ってもなお余裕がある坑道を照らしているが、光の届かない背後から視線を感じるような気がしてならず、しきりに振り返る。

20分ほど進んだところで、坑道が一気に幅を増す。広い空洞に辿り着いたようだった。
足元はむき出しの岩ではなく、三和土たたきで平らに均されているようで、足を取られる心配がなくなる。
松明の灯りは全く届かない濃密な闇が我々の周りを取り巻く。部屋の全貌は容易には推察できない。
「壁に沿って進もう」
入口が分かるよう、入ってきた場所に南方の巾着を置いておく。

部屋は円形らしく、緩い曲線を描くように続いている。
壁際のところどころに燭台があり、松明の火を移しながら部屋を一周する。一周終える頃には部屋の全貌が把握できるようになった。

室内は机や椅子、会議用と思しき小さな黒板も置かれており、机の周りには短くなった白墨チョークが散乱し、資料が山積みになっていた。机の上には持ち運びできる燭台もあり、分担作業ができそうなのも幸いだ。
その中でも一際作りが上等な机には、"葦原"の名が金字で刻まれた万年筆が転がっており、机上の新聞の切り抜きには傍線や書き込みが為されていた。

「ここの資料全てを調べ上げるのは相当骨が折れそうだな」
本来ならば整頓されて資料が収められていたであろう書棚は空であり、周りに散らばっている。纏めるのも一苦労だろう。天陽荘地下の研究施設の書棚がいかに整頓されていたかがよく分かる。
既に南方は床に散らばった紙を掻き集め始めていた。

捜索を続けて1時間ほど経っただろうか。
背後の応神が暫く黙り込んでいることに気付いた。こちらも夢中になりすぎていたのか、応神の様子に気付くのに時間がかかってしまった。
「景光、何かあったのか」
「ああ。これを見ろ、盗まれた院の資料の一つに違いない」
景光が投げ渡してきたのは、院の六つ菱が印された紙束である。かなり古びているが、紙束の中にそれを訳したであろう紙が混ざっていた。

慶長弐拾年伍月 按察使 金地院崇伝が記す

大坂の大戦の直後、豊臣方の落人に不穏な動きあり。西方に魑魅魍魎を秘匿し、御公儀に反抗する兆し有、と。
私が一番最初に目を付けたのは播磨多田銀山である。豊臣家の主要な財源でもあり、また大坂の戦時に捕らえた敵将も隠し金の存在を仄めかしていた。
内院の助力も受け、捜索に当たるも、数名が消息。数少ない生き残りも魂を抜かれたように腑抜けとなり果てており、何かしらの仕掛けがそこにあることが明らかとなった。

少なくない数の犠牲を出したものの、内院の研儀により多田銀山は妖怪共の巣窟となっていることが明らかとなった。また、入口の一つに五七の桐の紋が刻まれており、豊臣家が妖怪を従え反抗する計画の証拠となった。
直ちに院は坑道を厳重に封印し、麓や近辺の農民の間で噂となっていた埋蔵金は存在しないと虚偽を流布することで蒐集完了とした。

「太閤秀吉の埋蔵金はこういうことか」
「まさか埋蔵金が妖怪の軍団だったとはな」
昨今の巷でも与太話程度には語られてきた埋蔵金伝説だったが、その中身が金銀財宝ではなく妖怪の軍団だとは誰も考えるまい。
「そういえばそっちは何か見つけたか」
「……ああ。作戦の計画書だ」

イザナギ計画、1946年

目的: 大東亜戦争終結後、帝国にアメリカを中心とした連合国軍の司令部が設置された。その司令部には財団やAOIが入り込んでいる。加え、IJAMEA最高司令官の南大佐が拘束され、近日連合国軍や財団などを判事とする裁判が開かれるとの情報を得ている。今現在、IJAMEA指揮系統及び帝国そのものが日を追うごとに衰弱している。以下は、帝国の尊厳を復活させ、西洋諸国を追放するために提案された。その目標は以下の通りである。

  • 拘束された南大佐及び陸軍上官の身柄の奪還。
  • 身柄の奪還の一環として、裁判の妨害または中止。
  • GHQ本部の襲撃及び破壊。並行して、同館に駐在する財団やAOI要人の暗殺。
  • 計画の妨害に入る財団、AOI構成員の掃討。

資産: 存命の"孤影"部隊・波組構成員、のべ312名を動員。いずれも第四次アオダケ計画が実行された兵士である。また多田銀山やその近隣に封印されていた妖怪、のべ800体を解放し調教。妖怪大隊相当の兵力を補充する。多田銀山の妖怪に関しては民間人から資料の提供を求める。

1945年9月11日追記: 蒐集院の離反勢力約100名を懐柔、院の持つ資料の強奪に成功。難航していた封印の解除や妖怪の教導に大きな成果。

1946年4月25日追記: 決行。神戸、京都を通過、中山道の地脈を経由し、一気に帝都を急襲する。

結果:

帝国の再建を必ずや成し遂げる。 ──葦原少佐

「愈々大変なことになってきたな」
「大変どころの話ではない。最悪、また西洋諸国との戦争になりかねないぞ」
南方の頬には幾筋もの冷や汗が伝い、額は脂汗に塗れている。
「結果が書かれていない……ここに戻ってきて書き込むつもりかもしれんがそうはさせん」
息巻く応神。それは同感である。
「それにしても、妖怪800体とは多すぎる」
「確か妖怪大隊が500だったよな?」

妖怪大隊──調査局が組織した、全国から集めた異形の存在から成る部隊である。
その数は最盛期には500を数えたそうだが、指揮の困難さから運用は困難を極めたため終戦直前に解隊されたという。今はその一部が遠野で保護されている、というのは私がかつて遠野に赴いた時に得た知識である。

「それに"孤影こえい"なる部隊の存在に、第四次アオダケ計画。奴らが一体何者なのか。情報がまるで足りていない」
「あの数の妖怪を従えるだけの実力はある。生半可な戦力では成す術もあるまい」

大部屋の調査を一通り終える。資料は全て回収しておく。
「残すは奥のバツ印の坑道だけだが……どうする? 一応確認だけしておかないか?」
十分な量の情報は集まってはいるが、この先に重要な資料が無いとは言い切れない。
「そうだな。行くしかあるまい」
式神を先行させ、その後に続く。

通路は更に急な下りの坂道。漂う妖気は一段と強まっているように感じられる。それに今までの坑道と同様に濡れている箇所もあり、一層の慎重さが求められる。先頭を行く応神の歩みも遅くなる。ましてや最後尾の私が足を滑らせようものなら諸共に階下まで転がり落ちることになってしまうだろう。

下り坂を10分程歩いた頃だろうか。通路に漂う妖気は強まるばかりで、加えて鼻を突くような腐臭が混じるようになってきた。
歩みを止めることなく進んでいたが突如として、先行する式神が形を失い、間もなく霞となって霧散してしまった。
「呪い破り……どこかに出処の印があるはずだ」
松明をかざし、辺りを見回す南方。
僅かに照らされる私の視界に、壁面に何かが刻まれているのが一瞬だけ見えた。
「南方、松明を貸してくれ」
松明を受け取る。
「あった。おそらくこれだろう」
何かを見つけた場所を照らし、指差す。私の目に間違いはなかったようだ。

五七桐

「五七の桐……院の資料にも書いてあったが豊臣家の家紋だな」
「太閤の威徳で封印してたってことだろう。お家が滅んでからもよく残っていたものだ」
腕を組み感心する南方。
「しかし、式神が使えないとなると後は身一つで進むしかあるまい。気を抜くな」
応神を先頭に、再び歩みを進めていく。
それ以降も、壁面には太閤の紋が幾つも見つけられた。逆に言えば、これほどの数の封印を以てしなければ封印できない程の数、もしくは力を持った妖怪がいたということでもある。


「着いた。ここに間違いない」
眼前には大きく開け放たれた石扉いしどがあった。扉の左右には太閤の紋が刻まれ、松明の炎を反射するのはわずかに残った金箔だろうか、きらりと金色の輝きを放っている。扉を調べてみると、天台宗の流れを汲む経文が刻まれていた。
通路に満ちていた腐臭と死臭はこの奥から漂っていた。

部屋に踏み込む。歩を進め、その元凶に迫るにつれ、空気が俄かに冷えていくのが感じられる。
べしゃり、と先頭を進む応神が液体を踏み抜く。足元に視線を移す前に、松明の炎は眼前のそれを照らす。
「────ッ!」
我々の眼前の光景に息を呑む。

そこには体を食い散らかされた人間の死体がうずたかく積み上げられていた。
腕が肩から千切られた死体、首が捩じ切られた死体、腰から上が噛み千切られ、その断面から腐敗した腸が零れ出た死体。山の底には半ば凝固した血が溜まっており、時折松明の光を反射してはぎらりと赤黒い光沢を放つ。そこから流れ出した血は地下水と混ざり合い、死体の山の周りに液体の溜まりを作り出していたのだ。
液体の広がりを追う内に、己の足元までたどり着く。濡れた足が一気に温度を失う感覚。
坑道に入る前の我々の予測は強ち間違いではなかったと同時に、それ以上の事態でもあったのだ。

天陽荘の地下でも似たような状況に遭遇したことはあったが、まさか二度も同じ、もしくはそれ以上の凄惨な光景を見てしまうとは思っていなかった。後ろの方では南方が腹の中のものを外に吐き出している。私も思わず嘔吐しそうになったが、口をを手で押さえ、何とか堪える。口の中に胃液の味が広がる。

「うっ……この顔つきは支那人に朝鮮人……あとはアメリカの軍人か?」
嘔吐えずく南方が口を拭いながら身元を検める。死体は軍服を着ていたり、英語の刺青が彫り込まれた死体もあった。
「連れてこられた捕虜だろう。妖怪共の飯にされたわけだ」
首が残っている死体は皆一様恐怖の表情で凍り付いている。
応神は死体の山に手を合わせる。合わせて私も合掌する。
「これで調査は全部終わっただろう。さっさと外に出て報告しよう、頭がどうにかなりそうだ」
急かすように南方が走り寄ってくる。
一刻も早くここを立ち去れ、と本能が告げる。

「おい、見てくれ」
地上に戻るべく、石扉を潜ろうとした応神が扉の上を示す。すっかり地上に戻る気になっていた私と南方の首根っこをぐいと掴み、引き戻す。
我々の頭上2メートルの場所に、神棚が安置されていた。嫌悪感に意識を支配され、フィールドエージェントたる己の本分を失念していたことの不甲斐なさに呆れる。
「足場になりそうな物は……無いな。愷、おれが背負うから調べてくれないか」
「分かった」
応神の肩に足をかけ、肩車の体勢になる。
本来であれば神鏡台がある場所に、紫色の布が敷かれていた。その中心に何かが安置されていたかのように、布には皺が残されていた。
明らかに、通常とは異なる目的を意図していたような配置。布を下にいる南方に渡す。
受け取った南方はにやりと笑みを返す。
「愷よ、今日は中々冴えてるんじゃないか?」
広げた布をひらひらと振る反対の手には、1枚の紙切れが握られている。
「見ろよ、中々面白いことが書かれている。俺達にとってはちっとも面白くないがな」

1945年8月15日


葦原少佐及ビ其ノ指揮下部隊"孤影"ニ告グ

帝国ノ存亡ハ諸君等ニ託サレタ

嘗テIJAMEAガ総力ヲ挙ゲ発見シタ護国ノ鍵、小嶋"阿児奈波"ヲ諸君等ニ託ス

帝都ヘノ進軍ニ大イニ役立ツデアロウ

コレカラハ雌伏ノ時期デアル、地ニ潜リ、時ヲ見計ラヘ

聖戦ヲ継続セヨ、欧米諸国ヲ打チ祓ヘ


大日本帝国陸軍 帝国異常事例調査局大佐 南

「まさか連中も大八嶋を追っていたとは……それに一柱保有していたとは想定外だ」
「"阿児奈波"……聞いたことがないな」
「少なくとも大嶋の八柱ではないことは確かだ。小嶋はかなりの数がある上に悉く散逸しているからな。調査局が1つ2つ握っていても何ら不自然ではない」

「しかし、何故こんな場所に置いてたんだ? 保管するだけなら大部屋でもよかったんじゃないか」
応神の尤もな意見に思わず唸る。
正気を失いそうなこの悍ましい空間に幾度も出入りできるような肝の据わった人間なぞ存在するのだろうか。
「そもそも大八嶋自体が最高度の機密に相当する物品なんだ、大人数の前に堂々と置いておくわけにはいかないだろうな。それに、八嶋自体の力が妖怪を抑制する力を持っている可能性も否定できない」
「ならばその力で妖怪を使役していた、と? ふむ……」
「……なあ、それはともかくだな。一旦外に出てから考えることにしないか? もう耐えきれん」
思案に熱中していたのか、南方の一言で意識が周囲に向いた。
「あっ……」
腐乱した死体が山積みになっている部屋に長時間いたことを改めて認識した我々は、脱兎の如く階段を駆け上がり、我先にとばかりに坑道を飛び出した。


坑道を出ると、空は一面の雲に覆われており、点々と濃い灰色の雲が流れている。
爽やかな空気とまではいかないが、死臭と腐臭に満ちた淀んだ空気を嫌というほど吸い込んでいた我々には生き返るような心地であった。肺を洗うかのように揃って深呼吸をし、乱れた呼吸を落ち着ける。

一段落し、腰を落ち着けたところで無線機を取り出す。
「こちらは財団日本支部所属エージェント、波戸崎愷。ヒーズマン管理官に繋いでいただきたい」
取り次ぎの職員が席を外す。1分ほどでヒーズマンが通話口に出た。
「調査ご苦労。何か分かったのかね」
「はい。今回の百鬼夜行の騒動ですが、裏に調査局が絡んでいました。その百鬼夜行を用いて、3日の裁判を襲撃するようです」
「……詳しく聞かせてくれたまえ」
一呼吸入れ、得た情報を頭の中で整理しながら答える。
「来月3日の裁判の被告人の中に南大佐がいたと思いますが、調査局の残党は彼の身柄や陸軍高官を奪還しようと企んでいます。既に調査局の軍勢と件の百鬼夜行は東京に向かっています。妖怪の性質上、移動可能なのは夜間のみですが、地脈を経由すれば1週間程度で東京まで辿り着くかと」
「百鬼夜行が調査局の配下にある、と? 妖怪大隊なら既に解散して遠野で保護されているはずだが」
「それとは別の妖怪勢力です。しかも妖怪大隊以上の戦力なのは間違いありません」
「そうか……。身柄の奪還以外の調査局の思惑も分かったのかね」
「調査局の目的は3つ。1つ目は先程も言った通り、南大佐の身柄の奪還。次に占領中の連合国軍の排除、目標は日比谷です。3つ目は東京に駐在する財団及びAOI構成員の掃討。これらが1つでも実現した場合、もしくは我々が阻止できなかった場合、東京は再び灰燼に帰し、帝都350万の市民に多大な犠牲が発生する可能性があります」

無線機の向こう側からはヒーズマンの深いため息。しかし動揺は全く感じられない。
「我々も標的であったか……。こちらとしても見過ごすわけにはいかない、何が必要かね」
「敵の戦力は妖怪800、人間の兵士が400程度です。よって2000人程度、かつ呪術の扱える部隊でないと厳しいかと思われます。また、調査局は中山道を経由して東京に侵攻する計画のようです。人員の配備や道中の戦力の偵察も考慮すると、最終防衛線は埼玉県のになります」
「今すぐ手配しておく」
「ありがとうございます。あと1つ、大八嶋の一柱と思われる"阿児奈波"について何かご存じですか」
「大八嶋の"阿児奈波"……。ふむ、少し待ってくれたまえ」
数分の沈黙。
「"阿児奈波"……記録ではSCP-001-JP-B-13──小嶋に分類されているが、それがどうかしたのかね」
「その小嶋が、調査局に渡っています。彼らは間違いなくそれを奉じ、東京へ進軍していると思われます」
「何っ…?」
通信機の向こうでガタンと何かが倒れるような音が響く。
「……すまない。蒐集院の記録では、調査局が保有していたのを最後に行方知れずだったとあるが、まさか……」
「はい。となると、"阿児奈波"の奪還も作戦の一部になります」
「そうか……対応を至急検討しておく」
「ありがとうございます」
一呼吸置く。ここから、私の中での本題に切り込む。
「そして、この件に関して、協約には何かしら通達を出すのでしょうか」

ここが私が最も恐れていた部分である。
財団と協約は生業を同じくするにも関わらず犬猿の仲であり、互いに日本国内における影響力を主張している。これを機に互いを叩き潰す、もしくは影響力の低下を企んでいるとしたら、その内輪揉めの隙を突かれ、調査局が伸長する事態を私は危惧していた。

無線機の向こうからは沈黙。時間が引き延ばされるような錯覚。
「……それに関しては私から伝えておこう。いくら反目しあっているとはいえ、彼らも標的となっているのだ。日本には"呉越同舟"という言葉があるそうだね? 協約からも可能な限り協力を要請してみよう」
「ありがとうございます」
深く息を吐く。私の中の懸案が1つ消え去った。これで、敵は調査局のみ。

「そうだ、応神君に代わってくれたまえ」
「おれですか」
不意を突かれた景光は困惑の表情。通信機を渡す。
「代わりました、応神です」
「協約との交渉なのだが、君の兄上の国光君を連れて行きたい。来てもらえるよう、君から言ってもらえないかね?」
「兄貴が、ですか? どうしてでしょう」
困惑に次ぐ困惑。応神は私や南方に視線を投げかけ首を傾げる。しかしここにいる誰が聞いても同じ反応であろう。
「蒐集院と財団の吸収合併交渉の時に、蒐集院の代表の一人として出向いてきたのが国光君だったのだよ。彼は敗戦国側の機関の代表だったにも関わらず、我々に対して一歩も引くことなく強気に出てきたのでね。その姿勢を私は買っている。それに、協約は応神宗家を重要視していただろう?」
「まあ、思い当たる節ならかなりありますが」
頭を掻く応神。
凍霧天捕縛の際にも、協約や進駐軍に応神の人相書きが渡っていた関係で我々も襲撃を受けたのである。後から聞いた話だが、京都にいた国光や景光の弟、更には三船氏にまで刺客が差し向けられていたという。
しかしその結果は語るに及ぶまい。
「そういうことだよ」
「まあ構いませんが」
「助かるよ。くれぐれもよろしく頼む」

「最後に一つだけ連絡しておこう。分かっているとは思うが、そこの資料は押収してほしい。精査すればより具体的な戦力や計画が分かるかもしれない」
「無論、そのつもりです。ところで、調査局の刺客2名を拘束したのですが、そちらはどうしましょうか」
「場所を教えてもらえば、後で人を寄越そう。迎えを送るから、君達は直ちにサイト-8181に帰還してほしい。ご苦労だった」
「了解。では後程」
通信は切断された。

「呉越同舟、か。兄貴ならうまくやると信じよう」
応神のぼやき。その呟きは誰の耳にも届かなかった。


ヒーズマンの使いが到着したのは正午を少し過ぎた頃であった。車に乗り込んでからの記憶は途切れている。
使いによれば、車に乗り込んだ直後から泥のように眠っていたらしく、サイトに到着してからも、使いが起こそうとしていたのも知らずに3人揃って豪快な鼾をかいていたらしい。夕方まで暢気に睡眠を取ることができたのはヒーズマンの計らいらしい、というのは後から聞いた話だ。

「うう、よく寝た」
車を降り、応神が首を三度鳴らす。それに応えるかのように、隣を歩く南方も目を擦りながら大欠伸をする。私も大きく伸びをし、サイト正面入口の通りを並んで歩く。我々の足取りは重く、時折足を取られて転びそうになる。
雲の切れ間からは茜色の空が覗き、サイトを同色に染め上げる。まだ見慣れぬ建物ではあるが、目に入った時には安心感を覚えたことに少しばかりの違和感と寂しさを感じる。
もはや"蒐集院"は存在せず、その代わりに"財団日本支部"が存在し、また自分も"蒐集官"から"フィールドエージェント"になったのだと。眼前に聳えるコンクリートの箱を見つめる南方や景光はどう思っているのだろうか。

サイトに入ってからの我々は勤務する職員からの視線を一手に集めた。
特に応神は全身傷まみれであり、その傷の処置のせいか、埃及エジプト木乃伊ミイラの如き容姿だったことが最たる原因だろう。かく言う私や南方も人の事は言えないのだが。

ヒーズマンは一昨日の部屋で待ち構えており、また同様に淹れたばかりの緑茶が用意されていた。一通り説明を終えると、ヒーズマンの顔には無線越しでは見えなかった、額に刻まれた深い皺が見て取れる。
額に手を当て、ゆっくりと話す。
「状況は把握した。既に機動部隊の手配は済ませているから、3日後にも出立できる。一応聞いておくが、君達はどうするのかね? 私は君達に任せよう」
「無論、同行します。どうやら我々三人を認知している様子だったので、このまま引き下がるわけにはいきませんよ」
「調査局はここで叩き潰す。完膚なきまでに」
「ここまで関わっておきながら放り出して逃げる真似なんてするかよ」
我々の反応に、ヒーズマンの硬かった表情がやや緩む。
「ところで管理官、一つ提案なのですが」
応神が切り出す。
「何かね?」
「今回の作戦に弟2人を連れて行こうと思うのですがよろしいでしょうか」
「ほう、景光君の弟とな?」
「はい。能力的には不足ないかと」
ヒーズマンが首を傾げる。記憶を辿っているのだろうか、西洋人らしい身振りで考え込む。
「ふむ……長光君に吉光君、だったかな? 君とそっくりな人物だったとは思っていたが、兄弟だったのか」
「兄弟……正確には三つ子ですがね」
「応神家は優秀な人材が揃っている。是非とも協力を仰ぎたい」
「あ、ありがとうございます」
二つ返事で了承されたことに戸惑う応神。それを見てヒーズマンが軽く笑う。
「礼を言うのはこちらだよ。君たちがいれば心強いというものだ」
「管理官、それはおれたちを買い被り過ぎですよ」
「何を言うか。凍霧天の捕縛にも大層な貢献をしてくれたそうじゃないか、君たちは優秀な人材なのだよ。少なくとも、私はそう考えている。……ともかく、3日後に京都駅に輸送列車が来ることになっている。それまでは体を休めておきたまえ。……いや。その前に、君達は今すぐ医務室に行くべきだね」



皇紀弐千六百六年 四月二拾六日



一晩を医務室で過ごし、明朝に屋敷に向かう。一晩熟睡したのが良かったのか、節々に痛みは残っているものの疲れは大方取れたようだった。医務官の言うところでは、全員が致命傷を負っていないのが奇跡だという。
傷だらけだった景光は持ち前の体力でほぼほぼ恢復していた。サイトを発つ前の検査でも、医務官からその恢復の早さに驚かれていた。持って生まれた身体の頑丈さか、応神家の教育の賜物か。あるいはその両方なのかもしれない。

景光の弟2人は昨晩の内にヒーズマンを通じて呼び出しており、兄弟3人と私、南方、景光の6人での交渉が始まる。事情を説明すると、一様に深いため息をつき、額に手を当てた。
「なるほど? それでヒーズマン管理官からおれにご指名か」
「そういうことだ。ちなみに管理官の中では兄貴の交渉入りは決定してるみたいだから拒否権は無いぞ」
景光の駄目押しに国光はふんと鼻を鳴らす。
「断る気なぞ毛頭ない。全力で当たらせてもらおう」
私は安堵のため息をつく。
「助かる。管理官、お前の手腕をかなり評価してたからな」
南方も礼を述べると、国光は驚いたような声を上げ、やや照れたように頭を掻く。
「はは、おれもひどく買いかぶられたものだな」

「さて、後はお前ら2人だがどうする?」
眼前には景光と瓜二つの顔が2つ。
私や南方との付き合いはあまり無い2人だが、景光の言うところによれば、三男──三つ子では次男──の長光は銃剣を巧みに使い、四男──三つ子の末っ子──の吉光は古武術の達人とのことで、景光が私や南方と出会うまでは"応神三羽烏"として名が通っていたらしい。
「連絡があったと思うが、管理官からは許可は出ている。加わるかはお前ら次第だから好きに決めていいぞ。断ったらどうなるかは知らんがな」
南方が苦笑する。これではただの脅迫ではないかという心の声を表に出さないように堪える。向かいの国光も腹を抱えながらも笑いを堪えている。
長光と吉光は同一の反応。傾げる首の角度や顎に添えられた手の場所まで一致している。
「そうだな……この件に直接の関係はないが頭数が欲しいんだろ? それに敵は調査局の連中ときた。いけ好かない連中だったしな、徹底的に叩き潰すいい機会だ。おれは参加するぜ」──長光。
「断る理由が無いな。頭数は多い方がいいだろう。ただ妖怪相手は兄貴らに任せておくとして、おれは人間の相手に徹することにしよう」──吉光。
「助かるよ。管理官には後で連絡しておく」
個人的な戦力はかなり豊富になった。後はヒーズマンが招集した戦力次第である。


三船氏の好意で、出立まで屋敷に滞在させてもらえることになった。
当然、出立までの間も調査は欠かさない。

「うう、この場所には碌な記憶が無い」
「またここにあるかどうかも怪しい資料を漁るのか?」
数日前の徒労の記憶を呼び覚まされ、早速頭を抱える応神と南方。今回の目的は孤影部隊である。
「まあ今度は盗まれているようなことはないだろう。それに財団で集めた資料もあるかもしれない。さあ、始めよう」

捜索を始めて数時間。ヒーズマンとの打ち合わせのためにサイトを訪れていた国光も合流する。
しかし解体された組織とはいえ、一国家機関の秘密組織である。しかも軍の機関であったために、重要な文書はほとんど焼かれているのだろう。見つかった資料は極めて少なかった。
一度昼食を取ってから、数少ない資料を4人で読み漁っていく。

「お、あったぞ」
南方は院の内部文書を纏めた資料を開く。
「読み上げるぞ。……"孤影"部隊。調査局の長官直属の秘密部隊であり、伊組、呂組、波組の3隊の存在が確認されている。伊組は戦闘に、呂組は諜報に、波組は呪術にそれぞれ特化している。特に呂組は連合国側の超常機関のほか、負号部隊など国内組織の諜報も担当しており、院の中にもその間者が潜伏していることは疑いようはない。終戦まで存続できたのは内地中心だった波組のみであるが、その本拠は未だ把握できていない。……だそうだ」
「ということは相手は波組か。呪術を専門としているらしいが、果たしてどれほどの戦力なのか。しかしあの数の妖怪を従えるだけの実力はある。こちら側の戦力にもよるが、厳しい戦さになりそうだ」
「管理官が用意したのは2000人、全員が呪術や、呪術とは異なる、西洋風に言うならば"魔法"を専門としている精鋭だ。後はAOIとの交渉次第ってところかな」
「2000人か……ふむ」
背凭れに体重を預け、腕を組む景光。思案に耽るいつもの癖である。

「そういえば国光はこの部隊に関しては何か知らないのか? 満州は調査局の根城だろ?」
「ああ、伊組なら知ってるな。呂組が盗んできた特医やら理外研やらの技術を人体実験で兵士に還元して、戦線に投入してたそうだ」
国光は哈爾浜ハルビンで活動していたこともあり、外地での調査局や特医の動向に詳しい。調査局の動向を探る上では非常にありがたい情報源なのだ。
「ま、ほとんどは終戦前後にソビエトに捕まってるだろう。良くて収容所、大半は実験台か研究対象にされてるだろうな。呂組の動向も聞かない。この2隊の生き残りはいないと見ていい」
「肝心の波組はどうなんだ?」
「うーむ、内地中心らしいからな。こればっかりは詳しいことは分からん」
頭を掻く国光。しかし何かに気づいたのか、薄く積みあがった資料に手を伸ばし、目星をつけた資料から速読していく。
「後は……あるとしたらこれか? 財団が押収できた調査局の文書を纏めたものだ」
目的の物はすぐに見つかったようだ。
国光は調査局の文書が綴じられた分厚いファイルの1頁を開く。

第四次アオダケ計画、1944年

目的: アオダケ計画の停滞は研究資金の縮小を余儀なくされ、今や計画の廃棄まで追い込まれた。しかし、敏腕の軍医で生物学の権威でもある凍霧男爵との接触に成功。男爵が主宰する「日本生類研究所」の協力を得ることに成功した。本計画は極秘計画として、"孤影"部隊・波組の元で進められる。
以下は本計画の重要目標である。

  • これまでのアオダケ計画における欠点の修正及び実戦投入に耐え得る指揮官の製造・量産。
  • 指揮官を補助するための装備の開発。

資産: 存命の"孤影"部隊・波組構成員から志願したのべ150名を動員。実戦には一般兵を採用した。

結果: 兵士を5人程度の組に再編成し、組長を経由した2段階の指揮系統の確立に成功。組長に指揮官の意識を分割し移植することで、最大6方面の作戦が可能になった。
研究の副産物ではあるが、人間と精神構造の異なる妖怪でさえも、開発した呪符の補助があれば制御可能になった。
いずれにせよ、指揮官は特殊な脳外科手術を受ける必要がある。術式自体は完成しているが高い技術を必要とし、IJAMEAの最上席の医師ですら成功率は7割に留まっており、志願者150名の内48名が術中に死亡した。

実戦投入の成果は上々。指揮官1人当たりの指揮可能な兵士の上限は30名と変わらないが、安定性や制御、個別の状況に対する反応の点では大きな改善を見せた。しかし、指揮官が死亡した場合、精神を移植された兵士の内1名は指揮官の複製となり、残りやその指揮下の兵士は即座に死亡する。複製も施術すれば意識の分割は可能だが、精神錯乱や自傷行為など不安定な面が見られるため、運用はほぼ不可能である。

志を同じくする兵士の命を捨てる危険と隣り合わせではあるが、量産を為し得た暁には戦況を逆転させることも可能になるであろう。計画を続行する。 ──葦原少佐

「待て、第四次アオダケ計画だと?」
坑道で見つけた計画書にその計画名は記されていた。敵の素性が一部とは言え明らかになったのだ。
「……しかしまた凍霧男爵の名前が出るとはな」
南方の特大級のため息。私もうんざりである。
「天陽荘の時は男爵が一方的に利用しているとばかり思っていたが、調査局もただこき使われてた訳じゃなかったということか?」
「表向きは共同研究だが、内心は互いをうまく利用して使い捨てる腹積もりだったんだろう。にしても両者の思惑が達成されているのが気に入らん」

「それにしても、妖怪の使役は呪いに負ぶさっている訳ではなかったのか」
「妖怪を使役している指揮官が死んだ時、指揮下の妖怪はどうなる? 余り考えたくはないが……」
「おい景光。そこんとこどうなんだ。さっきからずっと考えているようだが、まさか寝てたりしてないよな?」
議論に参加せず、己の思索に耽っていた景光。集中のあまり、私もその存在を半ば失念していた。
呼びかけに反応し、目をぱちりと開く。体を起こし、推論を述べる。
「ちゃんと聞いてたさ。……そもそも人間が妖怪を制御するなんざ大それたことができる訳がない。それを無理矢理動かしてるんだ、操ってる側が死んだら奴らは自由になる。ぞれぞれの意思で暴れ回る妖怪になるだけ、そうなれば後は簡単だ。いつも通り斬り捨てるまでだ」

残った資料の精査はすぐに終わったが、有力な情報は得られなかった。しかし、敵の素性が割れただけでも大きな収穫と言えるだろう。屋敷に戻る足取りは軽かった。



皇紀弐千六百六年 四月弍拾八日



天候は晴れ。しかし東の方には灰色の雲がかかっている。
「行ってきなさい。くれぐれも気を付けてくれ」
三船氏の見送りを背に、6人の男が屋敷を後にする。
「おれの役割はあくまで交渉だ。使わずに済むのが一番だが、念のため持って行こう」
国光は愛用の長刀"十坂トサカ"を腰に提げ、もう一振りの長刀"烏頭坂ウトウザカ"を背負う。

「荒事はおれらに任せて、兄貴は頭を柔らかくしておいたらいいんじゃないか?」
外套の内側に仕込ませた長光の得物、三十年式銃剣を音を立てて鳴らす。
「そうだそうだ。ついでに舌もよく回るようにしておきなよ。大事な交渉中に舌でも噛んだらことだ」
指を鳴らし、額に巻いた愛用の黒帯の端を弄る吉光。
にやにやと笑う弟2人。その頭を後ろから国光が小突く。

「いつもこんな感じなのか?」
「まだまだ易しいものよ。酷い時なんか殴り合いだしな」
跡継ぎとして大事に育てられた国光だが、それでも並の人間よりかは遥かに実力者である。それに対し、古今東西の剣術や古武術を只管に叩きこまれた景光以下三羽烏との喧嘩も見てみたい気もしなくはない。

京都駅一番線プラットフォームに集ったのは財団の精鋭部隊、その数およそ2000。ヒーズマンによると、蒐集院から合流した構成員がおよそ800、残りは国内に滞在しているアメリカ出身の隊員だという。

列車に乗り込む直前、装備班と思しき隊員から装備を渡される。渡されたのは対呪・対魔法処置の施された防弾衣。裏地を覗いてみると、見覚えのある退魔の印。加えて、魔法を扱う上で補助的な役割を果たすという五芒の印が融合した図形が施されている。
私にも自前の装備があったものの、先日の戦闘で遂に役目を終えた。元々ガタがきていたものを騙し騙し使っていたのだから当然であろう。

我々は彼らよりも上等な座席に通される。
「一等客車は座席が広くていい」
「おれはこれで2回目か」
「喜ぶんじゃない。まさか2度も乗ることになるとは……」
既に乗り込んでいたヒーズマンは小銃を持った護衛に両脇を固められ、指を組み、泰然と構えている。視線が合う。自ずと気持ちが引き締まるのを感じる。
これから我々は更なる死地に往くのだ、と。

我々はヒーズマンと対面するように座り、景光の兄弟らは通路を挟んだ座席に陣取る。
景光の兄にしてヒーズマン推薦の交渉役。元蒐集官、応神国光。
"応神三羽烏"の三つ子兄弟。次男、応神長光。三男、応神吉光。

「来てくれたことを心から感謝するよ。諸君らの働きに期待している」
我々をその碧い目でじっと見据え、語り掛ける。
「この戦争の最後の狂気を絶やす機会だ。くれぐれも抜かりないように頼む」

警笛が鳴る。白煙を吐き出し、列車が動き出す。
石炭を喰らい、汽車は力強く軌条を噛む。

財団日本支部、81地域ブロック、臨時人員輸送列車。
調査局を討ち取る。
2000人分の総意を乗せ、汽車は東へと突き進む。


一路、東へ──東京へ。

列車



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執筆者: RainyRaven
文字数: 39904
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批評コメント: 4

最終更新: 04 Dec 2020 07:23
最終コメント: 30 Nov 2020 12:27 by hey_kounoike
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